虫の声

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 今年はお盆明け頃から、こおろぎや鈴虫の鳴き声が聞こえるようになった。
 いつもよりも早いような気がする。
 いや、去年までは帰宅が深夜だったので虫も寝静まっていたために、鳴き出した時期がはっきりわからないだけかも知れない。
 ま、それはともかくとして、とにかく、虫の声が聞こえる。
 じっと耳を澄ましていると、結構大勢鳴いているような気がするし、あちこちで鳴いている。
 うん、昆虫はまだまだ健在だ、と思う今日この頃。
 秋の夜長、じっくりと虫の鳴き声に耳を傾けて夕涼みなんてのもいいなあとしみじみ思う。
 新しい仕事に関して、試験やら検定やら沢山勉強しなくてはならないし、まだまだそういう時間のゆとりはないが、しかし昔は結構そういうほっとする時間というものがあったように思う。
 というよりも、テレビだとかなんだとか、時間を費やすものがなかったがゆえに、虫の声とでもつきあっているしかなかったのかも知れないが。
 そんなことを考えると、正岡子規の『筆まかせ』などをまた読んでみるか、という気になる。
 本当は、こういう晩は縁側などに腰かけて、虫の声に耳を傾けながら、のんびりとかみさんと晩酌などできたらいいなあと思うのであるが・・・。

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中国四千年のすごい技術

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 2週間ぐらい前から左の腕が時折ひどく痺れることがある。
 今年の春先にも似たようなことがあった。
 そのときは右腕で、頚椎の5番が出ているのが原因で神経に触っているからだということだった。
 結局カイロやら色々行っているうちに夏ごろになって痛みがひいた。
 今度は左かい!?といやあな感じがして、とある治療院に出かけた。
 中国から来ている人がやっているところで、なかなか上手である。
 今回、疲れがたまっていたことに加え、この左腕の痺れについて相談した。
 すると、おもむろにヘラのようなものを出してきて、これでやろうということになった。
 ヘラといっても、大きさは子どもの手のひらくらいのもので、象牙でできているのか
プラスチック製か竹のものなのか、見ただけではよくわからない。(めがねをかけて
いなかったせいもあるが)
 ともかく、そのヘラを首や肩や背中にかけて、版画のバレンでこするように、上から
下に向けてゴシゴシこするわけである。
 こする際には、タラーリと油のようなものをたらし、それを皮膚にすり込むように
しながらこする。
 そうすると、あーら不思議。
 悪いところが紫色に変色する。
 同じように均等にゴシゴシやっているのだが、一部分だけが変色するのである。
(もちろん、私にはその様子は見えず、施術者の解説で理解するだけなのだが)
 後で風呂に入って鏡でよく自分の肩を見てみてびっくり。
 右と左の一部ずつ(場所は別)が見事に紫色に変色していた。
 なんとなく、そこに悪い血が集まって、それを白血球たちが始末してくれれば
腕の痺れも治りそうな気がするではないか。
 しごけば血が集まって充血するのは当然、という声も聞こえてきそうだが、普通
の充血とは全然違う色であり、しかもそこだけいまだに熱い。
 なんだか、中国四千年の技を見たような気がする。
 ちなみに日本ではその「ヘラ」みたいなものの名称は存在しないようだし、施術
者も、現物を日本で見たことは一度しかないと言っていた。
 中国にはまだまだ色んな深いものが存在しそうだ。
 個人的には、痺れがとれれば結果オーライである。

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塩野七生『ローマ人の物語』のこと

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 塩野七生さんの『ローマ人の物語』を断続的にゆっくりと読んでいる。
 今は文庫本の21「危機と克服」の(上)を読んでいるところだ。
 アウグストゥス、ティベリウスというきっちりした皇帝の後、カリグラ、クラウディウス、ネロと続き、若気の至りのネロが混乱を招いて死んでしまった後、ガルバ、オトー、ヴィテリウスという聞いたこともないような軍人皇帝が1年の間に入れ替わり立ち代り国家の混乱の中、次々に就任しては殺されていくというややこしい時代だ。
 ややこしく、さらにまた、カエサルのような素敵さも天才性もなく、ネロのような稚気ではあるが魅力的なところもないような人物たちのようである。
 塩野七生さんは叙述家であり、立派な歴史家でもあると思うので、批判するつもりは全くないが、こういう混乱期の魅力のないリーダーたちをどういう心境で描いていたのだろうか、とふと立ち止まって考えてしまう。
 面白くないというわけではないが、なんとなく淡々と叙述が進められているような気がして、たぶん塩野七生さんも面白くないなあと思いながら筆を進められたのではないかなあと忖度してしまう。
 彼女にとって血沸き肉踊る心持ちで描いていたであろう人物たちは、グラックス兄弟やハンニバルであり、スキピオ・アフリカヌスであり、スッラやマリウスであり、そしてカエサルでありアウグストゥスたちであったろう。
 それらの激動の人物と比べると、なんとも小粒の面白みに欠ける人たちを、塩野さんはどういう思いで書いていたのかなあと思う。
 だからこそ、この時代の皇帝たちを描きながら、つい、カエサルだったらどうしたとか、アウグストゥスはこうしたとかいうふうに、すぐ筆が飛んじゃうんではなかろうか。
 などと考えつつも、この人の描くローマとローマ人の歴史に今日も耽溺している。
 面白い。

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押入れ掃除後日談 古い官製はがきは交換しよう

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 先日押入れ掃除をしていたら、古い年賀状が随分出てきた。
 それはそれでいいのだが、一方こちらから出す年賀状は、いつも少し多めに買うものだから、だいたい毎年10~20枚程度余ってしまう。
 そういうものがここかしこから出てきた。
 古いものでは平成10年ぐらいのものもあり、数えてみると百数十枚になっていた。
 平日であったことを幸いに早速郵便局へ持っていった。
 確か有償で普通はがきと交換してくれるはずだ。
 ちょっと出費にはなるが、使えない「お年玉つき平成10年度の年賀はがき」を後生大事に持っていてもしょうがない。
 結果は、一枚あたり5円の手数料で新品のはがきと交換してくれるので、100枚なら100×50-100×5=4500円分の現金ではがきを購入する計算になる。つまり90枚分の新品がこちらの手出しなく手に入るのである。
 しかも驚いたことに(知らなかったのは私だけかも知れないが)、今では通常の官製はがきにも「インクジェット用」のものがあり、希望すればそれに代えてくれる。私の場合はパソコンではがきを作成することも時々あるので「インクジェット用」はがきにしてもらった。
 まあ500円分損という見方もあるが、上記のとおり使えないものを持っていてもしょうがないと思う私のような人は是非交換されるといいと思う。
 ちなみにはがきではなく、80円切手や50円切手との交換もOK(記念切手はだめ)らしいので、官製はがきは書かないけど手紙や絵はがきなら、という方は切手に交換されるという手もあるだろう。

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押入れ掃除は気持ちいい

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 夏休み二日め。
 ずっと前から思っていてなかなか実行できなかった「押入れ掃除」をやった。
 妻も昨日、今日と二日連続でパートが休みだったこともあり、一緒に朝から取りかかった。
 自分が大阪に単身で行っている間に家の色々なルールが形作られていって、それはそれできっちり機能していたのだが、私が帰ってきてスペースを使うようになり、一方妻は妻で押入れの大方を買い込んだ洗剤類や子どもの菓子類やなんやかやとどんどん、ものが増えていった。
 そこへ私の工具類やら雑用品やら文具類やらがごちゃごちゃに混ざっていき、60Wの電球がそこかしこにありながら肝心のときには見つからず、また買い足したり、一番散逸していたのは乾電池で、一体どこにどういう種類のものがいくつあるのか・・・とにかくわずか畳2枚の押入れでありながら、収拾がつかなくなっていた。
 とにかくまずは中のものを全部出す、というところから始めた。
 上の段のものを全部出し終わったら、敷物があった。防虫の紙であるが、1998年10月に敷いた痕跡が残っていた。
 なんと10年前である。有効期間は1年間と書いてある。ええっ?て感じだが、そんなもんかも知れない。
 下の段。
 こちらはまだ新しく、3年前の新聞が敷いてあり、そこらへんで一回何かをしたのだなあとわかる。
 さて今度は再度収納の段階。
 捨てるべきものを捨てたら、収納である。
 これまで収拾がつかないくらいに乱雑だった原因は、どこに何を入れるかというルールがないままに二人でバラバラに収めていたことだと気づく。
 そこで再収納する前に、どんなものがどれだけあり、どんなものがよく出入りするかということはこの数年の状況でわかる。
 そこで、前からあった整理棚を用い、どこにどういうものを収納するかを決め、一気に収納していった。
 朝8時から午後2時まで、結構かかったが、おかげでスッキリした。
 どこに何があるかも瞬時にわかるようになったし、重複して無駄なものを買う恐れも少なくなった。
 掃除をして幸せになる、というような表題の本が昨年暮れくらいからヒットしていたが、掃除や整理整頓は気分転換にいいし、健康にもいいというような気がする。
 妻との会話もでき、良い一日だった。
 さあ、この調子で明日は書類関係の整理だ。

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海水浴について

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 珍しく今年は海水浴をしていない。
 いつもは(大阪にいたときも含めて)両親、妻子と一緒に氷見に一泊海水浴旅行をしていたものだが、来春の子どもたちの受験ということもあり、今年は控えた。
 もっとも私自身、7月に転職した一方で、妻との会話時間の確保のためのドライブや、前の職場の人と約束していた山登りなど行事も色々あり、海水浴というところまで気持ちが行っていなかったせいもある。
 この後、お盆から1週間休みがあるが、墓参、妻の実家への挨拶、仕事の勉強と休み明けに向けた準備、押入れの整理など、やらなくてはならないことが目白押しだし、休み明けからは会社の重要なミッションであるお客様の経営相談という仕事が年末まで入っている。ボリュームも大変なものなので、よほどうまくやらないと業務量の多さでパンクしてしまう危険性がある。恐れることはしないが、準備はしておきたい。
 そんなこんなで、今年は海水浴は我慢するが、来年はきっとまた行くぞ、と思っている。特に強く希望しているのは朝日海岸である。子どもたちもうまく進学しておれば、一泊ぐらい、コテージに泊まってというようなことをしたいものだ。
 楽しみは先にとっておこう。

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読んでいる本 塩野七生『ローマ人の物語 文庫版17~20』

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 塩野七生さんの『ローマ人の物語』。
 文庫本でちまちまと読ませていただいている。
 高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』という素晴らしい本がある。
 それと比較をするのは適切ではないと思う。
 なぜならば、それぞれ、範囲もボリュームも著者の専門領域も異なるし、さらには著者の関心のありかすら別である可能性があるからだ。
 ではあるが、高坂氏の本と「同じくらい」素晴らしいと思って読んでいる。
 現在ようやく「悪名高き皇帝たち」を読み終えたところだ。
悪名高き皇帝たち1
 オクタビアヌスの後のティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロという4人の皇帝をめぐる物語である。
 カリグラやネロは若くして権力者になってしまい、それが元でものごとがよく見えなかったのではないか、という気がする。
 治める、ということは、自分が好きにする、ということではなく、人々がいかに満足を得られるような演出をするか、ということかも知れないなとこの巻を読んで思った。
 そういう演出を政治というのかも知れず、そうなると若さというのは、熱狂で人々から迎えられていい調子になっているときはいいが、ひとたび世の中の調子がおかしくなると、どういう方向に持っていくべきかとか、一時的にみんなの不満をそらすためにどういう手を打っておいたらいいかとか、誰を取り組みのリーダーにすべきかというような調整的な能力が必要で、それは若い君主にはなかなか求めることが困難なのではないかなと思う。
 明確な意思があって、それをやり続ける意思があって、実行できる体力と脳みそがある。そして人々をして主役だと思わせるような演出ができる。
 これが世の中を引っ張っていき、かつ人々から慕われながら仕事をしていくリーダーに求められる条件ではなかろうか。
 思慮の浅さ、という点では、いくつかの善政もしたのだろうけれども、やはりカリグラやネロに及第点は与えられないだろう。
 そんなことを思った。

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念願叶って僧ガ岳登山+α

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 昨年の7月に職場の先輩から僧ガ岳(魚津市と宇奈月町にまたがる山)登山に誘われた。
 雀躍して、行くぞ、と思っていたら、夜半からの雨で中止になった。
 あれから1年、遂に再び僧ガ岳登山のチャンスがめぐってきた。
 ニッコウキスゲという素敵な花が咲くらしい。
 ということで、本日、遂に念願叶って登ってきた。
 登山口は宇奈月温泉の町から車でさらに30分以上山道を上がったところだ。
 それから延々。
 1時間半ぐらいのところにニッコウキスゲが満開のお花畑があった。
 いやあ、素晴らしい。
僧ガ岳のニッコウキスゲ
 さて登山行はそれからが本番。
 さらに30分で僧ガ岳の頂上に到達。
 それで終わりかと思いきや、リーダーの一言で、そこからさらに1時間半を要する後ろの「駒ガ岳」まで登った。
 僧ガ岳から駒ガ岳に向かう道すがら、クマのフンがボテボテ落ちていて、ああ、きゃつの縄張りなんだなあと思いながら、臭いにおいに耐えながら延々。
 
駒ガ岳への尾根道
 山道は尾根をずっと歩く。
 風が吹いて心地よかった。
 1時間半ぐらいだったろうか、やがて山頂に着いた。
 標高2002メートル。
 石の碑が据え付けてあったが、重さ100kgはあろうか、あんなものをどうやって運んだんだろう、と思う。
 この行程は、帰りがきつい。
 往復7時間。
 クマの襲撃を心配しつつ、なんとか下山した。
 男7人の登山行。
 楽しかったが、今度はもう少し短い行程にしよう。
(ジムで30分ぐらい歩いたり走ったりしてもほとんど効果はない。もうちょっと本格的に体力作りをしなきゃ)

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井波の瑞泉寺へ行ってきた

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 井波町にある瑞泉寺に行ってきた。
 元々は郡上八幡へ涼みに行こうかと妻と言っていたものだが、2週間前に奥飛騨に行ってきたばかりだし、岐阜はこのところ暑いので、ということで、昨夜急遽行き先を変更して、井波になった。
 なぜ井波かについての深い意味はない。
 ただ、今年の1月頃に瑞泉寺や木彫りの町を散策して風呂にでも浸かってという行程を考えていたので、代替案とした次第。
 行き先は、まずは井波の「道の駅」。
 駐車場内に巨大な七福神の彫り物があり、目を引いた。
 そしてその隣にある井波彫刻総合会館。
 数十万の彫り物から百万単位の欄間などどれも目を見張る素晴らしい技術品ばかりだった。
 中でも1千万円近くもする聖徳太子の馬上像はすごいものだった。
(金額でいい悪いを決めているわけではないが)
 そして瑞泉寺。
瑞泉寺
 井波彫刻の粋を集めた素晴らしい寺だ。
 宗派のことでもめごとがあるのかどうか知らないが、こういう芸術的なお寺が富山の片田舎にあることは奇跡的なことかも知れない。
 南北朝時代に、京都本願寺五世の綽如上人(しゃくにょしょうにん)という人が来たから開山されたものらしいが、その後前田利長公が彫師を招聘したことが今日の井波=彫刻の町へとつながったというから、歴史というものはふとしたことで何かが作られていくものなのだなあと感ずる。
 池波正太郎氏の父祖もこの地の出身らしい。
瑞泉寺の獅子
 明日の午後から聖徳太子の偉業を偲ぶ「太子伝会」というのが開かれるらしい。
 毎年同じ日程なのだろうか。
 今年はその前日に訪れ、偶然太子2歳の像を拝むことができた。(ような気がする)
 後光松天皇が下賜されたものらしい。
 ほんの一瞬だけ、本尊の正面に据えられたときに、たまたま正面から拝んだ。
 本物なら、目前で拝むことができたことはなかなかない行幸だろう。
 偶然いいこともあるものだ。
 帰りは福光の華山(はなやま)温泉の砂風呂に入ってきた。(温泉と合わせて一人1600円也)
 汗がたっぷり出て、すっきりした。
 良い休日を過ごすことができた。

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久しぶりのジム

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 久しぶりにスポーツジムに行ってきた。
 魚津のありそドームである。
 2月に右肩の痛みが出てからあちこちの医者に行ったりして、原因は首の骨だということもあったため、それをまず治してからじゃないとなあと思っていたら、やがて半年近くが過ぎてしまった。
 元々、山登りや短距離のマラソンなどにも出たいという願いがあり、それに向けた体力作りのために昨年の11月から始めたものだ。
 今年4月のしんきろうマラソンは、そういう経緯もあり出場を断念した。
 久しぶりだったし、先輩でジムに行き過ぎてヘルニアになったという話を聞いたこともあり、いきなり色んな運動をするのは控え、まずは軽く「ラン」を15分やり、その後で山登りめいた機械での歩行を15分やった。
 汗はたっぷり。ビールがうまかった。
 右肩の痛み・しびれが完全に治まったわけではないが、これからまたスポーツもしていこうと思う。
 さて、今日はもう一ついいことがあった。
 先週から探しまくっていた『おくのほそ道』(岩波文庫)が見つかったことだ。
 論語や徒然草など、古典を愛しているが、おくのほそ道もその一つである。
 新しい仕事の勉強も色々していかなくてはならないが、精神の栄養も必要だ。
 おいおい読んで行こう。

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