マネージャーとしての責任のようなもの

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 今行っている会社では、販売推進という仕事をしている。
 色んな商品の販売を、様々な流通チャネルを通じてどうやって販売していくか、について、計画から進捗管理、施策による支援など、色んなことをしている。
 これまで、上司もその上の上司も、私がそういう全体を見る立場のために、流通チャネルのマネージャーに言うべきこと、各マネージャーの責任範囲のことまで私に指示することが多かった。
 そのため、各マネージャーは自分の職掌であるにも関わらず、自分のことではないような受け止め方をしており、販売目標の数字に関しても、なんだか与えられたもので責任をもって数字に執着して取り組まなくても、また結果が伴わなくても別にかまわないと思っているとしか思えないような言動が感じられた。
 この仕事を2年やってきて、各マネージャーが自分の責任範囲のことを自分の言葉で語らなかったことがもどかしかった。
 部下への指導もあまり事細かに行っていたとは思えず、いい子ちゃん課長をやっているのが見えていた。
 しかし上司の手前、彼らを非難するとこちらに全部倍返しで返ってきたので、それもできず悶々としていた。
 ここへきて、彼らのマネジメントが手ぬるいのではないかということに、上の人たちが気づき始め、ものの言い方、接し方が厳しくなってきた。
 私も辞める間際になって歯に衣着せず、はっきりと彼らに批判を加えるようになってきた。
 今日の会議では、初めて彼らが自分の言葉で自分の職掌範囲を責任をもって取り組むというものの言い方になってきた。
 それも、複数のマネージャーが一斉に、である。
 ようやくマネージャーがちゃんとマネジメントする意思を見せてきた。
 ここまでくるのになんと2年もかかった。
 この職場での私の仕事がようやく終わった、という感じである。
 これでこの職場は今までと変わり、少しはボトムアップができ、全体的に盛り上がっていくと思われる。マネージャーが自己責任を認識し、しっかりすれば、良い組織になるはずだ。
 もっと手早く彼らを変革できなかったものか、という悔いはある。
 自分の取組方が誤っていたのではないかという反省はしなくてはならない。
 しかし過ぎたことは取り返しがつかない。
 今後のために、自分のやり方、人への接し方の厳しさ・甘さ、色んなことを振り返り、今後の人生の糧にしたい。

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採用決定

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 今日、志望先の会社から「役員会であなたを採用することが正式に承認された」との電話が入った。
 いよいよ正式に退社と入社の手続に入っていくことになる。
 妻から「後悔はしていないの?」と確認の声かけ。
 「後悔はしていない。なんで聞くの?」
 「後悔していたら良くないと思うから」
 「だったら大丈夫。前に進むだけだ」
 というような次第で、明日、今の会社に辞表を出し、明るく退社宣言をする。
(ここで大事なのは、決してうらみつらみを表に出さないこと、仮にあったとしても、だ)
 ところで、転進までまだ1ヶ月ちょっとある。
 使い切っていない有給休暇は山ほどあり、即休みに入ってもいいくらいだが、今の仕事を中途半端な状態で離れると部下や同僚に間違いなく迷惑がかかる。
 立つ鳥として後を濁すのは本意ではない。
 全部をやりきることなどは永遠にできないが、極力最後まできっちりやっていきたい。
 1週間ぐらい休みをとってリフレッシュとか、切り替えに向けた勉強の時間とかに充てようかとも思ったが、今の会社もちょうど6月一杯で一つの切り替えがあるので、自分の楽しみのためにこれまで同じ釜のメシを食ってきた間柄の仲間に苦しい思いをさせるわけにはいかない。自分の品格・人生観の問題だ。
 自らの尊厳のため、自分を誇りに思えるようきっちりやっていこう。
(と言いつつ、状況が許す限り、休みも取ろうとは思うが)

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レーシック手術について

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 入浴や海水浴、プールでの泳ぎ、ジムでのトレーニングなど、生活の中の色々なシーンで眼鏡があると邪魔に思う場面が多い。
 しかし近視のためにやむなく眼鏡に頼る生活を、かれこれ30年以上続けている。
 できれば日常生活で眼鏡に頼らなくても良いようになりたい。
 レーシックという近視治療手術の方法がある。
 その手術を受けようと、富山県高岡市にあるOという眼科に行った。
 実はこの手術、私の記憶では、既に20年以上前に、ある雑誌で「ソ連では20年以上やっている」と詳細な記事が載っているのを見て、日本で普及するのを心待ちにしていたものなのである。
 つまり世界的には、もう40年以上実績のある手術方法なのだ。
 理屈は簡単で、眼球の表皮をうすくむいて、その結果眼球全体を一回り大きくするのと同じ効果を出すことで、遠くまで焦点が結べるようにするというような感じのものだ。
 そのためにレーザーメスで眼球に傷をつけ、皮をむく、というやり方をするらしい。
 医院では、約1時間にわたって、十数種類の検査が行われ、その後結果の説明を含め、医師との面談が行われた。
 しかし結果は、検査結果の説明もないまま「お勧めしません」と来た。
 「あなたの年齢は、一番難しいんです。」という。
 なんのことかというと「手術をした結果、遠くを見るときは眼鏡は使わなくても良くなりますが、手元の書類を見るときは逆に老眼鏡が要ります。あなたぐらいの年齢では、外回りの営業職で書類などの中の仕事がほとんどない人や、スノボやゴルフなど眼鏡をしていることで不利になるスポーツが人生の中心だという人の場合は効果があるが、あなたのように事務職の人にとっては、結局眼鏡が手放せません。老眼はこの手術ではカバーできません。そうなると、使い慣れた近視用のメガネがいいか、新たに老眼鏡にするか、の選択です。そういうわけでお勧めしませんが、よく考えて、どうしてもやりたいということであれば、また連絡下さい」
 そういうわけで、結局この日は手術の予約は行わず、帰ったわけだが、一日経って、車の運転をしたり、銭湯に入ったりすると、やはり眼鏡の不自由さを感じる。
 近く仕事を変わる予定だが、その内容等を見つつ、また老眼鏡を使う先輩諸氏の意見などを聞いて再考しようと思う。

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日展100年

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 日展100年という展覧会に行ってきた。
 図画工作から美術といわれる科目に至るまで、学校の成績は悪かったが、大人になってから何かをさかい絵が好きになった。
 これまで訪れた個人の美術展では、下保昭、鴨居玲、ダリ、篁牛人、東山魁夷、平山郁夫などが素晴らしく良かった。
 子供が生まれた後、彼らが大きくなるまではなかなかこういうものに触れる機会がなかったし、最近は単身赴任やらなんやらで、仕事と生活以外のことはあまりできなかったので、たまにはいいものだ。
 さて、件の「日展100年」だが、会場は富山県立近代美術館というところで4月からやっていたもので、5月18日が最終日だった。
 富山県内で開催される美術展は、これまでの最高動員数が、東山魁夷展の時の4万人だったらしいが、今回の「日展100年」はそれをはるかに超える人数が訪れたということだ。
 さすがに最終日とあって、朝一番で出かけたが、大勢の人で賑わっていた。
 元々は明治末頃に始まった文展というのがその起こりであり、戦時中は帝展といい、終戦後は新文展となり、さらにその後民間が運営するようになって日展となって今日に至っているらしい。
 私のお気に入りは山元春挙という人の「富士二題」という一幅の絵のうち「秋晴れ」という、富士山を背景にした農家の絵である。
 その他に、第1回文展に出品された新海竹太郎という人の「ゆあみ」というブロンズ像。天平的ヘアスタイルのとても美しい女性の像で、かみさんを横にしてしばらく見惚れてしまった。本来の所蔵場所は山口県立美術館らしい。
 書では、村上三島という人の「知命者不怨天」(命(めい)を知る者は、天を怨まず)というのが良かった。文字、というより、その言葉が気に入った。
 この展覧会は昨年の東京を皮切りに、仙台、広島と来て、ここ富山会場の計4会場でしか開催しないらしい。まれな機会に恵まれて幸せだ。
 しばらく美術作品とは縁がなかったが、これを機にまた色々見て行きたいものだ。

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大前研一の本を読んで

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 大前研一の『50代からの選択―ビジネスマンは人生の後半にどう備えるべきか』 (集英社文庫)という本を立ち読みでパラパラと読んだ。
 その中に、50代からの人生は40代後半で考え、準備していかなくてはならないという主旨のことが書いてあった。
 私も今46歳。
 このままあと4年が経過すれば給与はいやでも3割カットとなる。これは、そういう会社の制度なのでしょうがない。
 そうして54歳ぐらいで肩を叩かれ、関連会社に行き、今よりも割に合わない仕事をテクテクと続けるか、まだ売れる可能性のある今この時期に自分の力を信じて新たな世界に飛び出していくか、大前研一の本を読むと、今だからこそできることをすべきではないか、60代になってから何かを継続しようと思っても、大概は何もできないと書かれてあった。
 確かにそうだろうな。
 何かひとつのことを成し遂げるとしても、60歳からではちょっと遅すぎるような気がする。やはり50代でのスタートだろう。そのためには40代からスタートを切っておかなくては間に合わない。今が旬だ、今がチャンスだ、と自分に言い聞かせている。

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80歳の自費出版という話

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 平成20年4月18日の日経新聞「文化」欄に、「源氏54帖 主婦が完訳」という記事が出ていた。
 上野栄子さんという83歳の「主婦」の記事である。
 高校時代に源氏物語に魅せられ、以来ラジオ講座を聞いたり、他の訳を読んだりと、ずっと親しんできていつか自分の手で口語訳をしたいと思っていたらしい。夢を持ち続け、子育てが終わって50歳を過ぎてから念願の現代語訳にとりかかり、途中お母さんの介護をしなければならなくなってからも、介護の傍ら、少しずつ継続し、20年近くかけて自力で口語訳を成し遂げた。訳ができて自己満足していたが、それから10年後、家族の勧めで80歳で自費出版をした、という話である。
 特別な方ではない。ましてや作家でもない。
 源氏物語なんて、今までさんざん色んな作家が現代語訳をしており、今さら一般の主婦が訳したところで誰も見向きもしないし、何の意味があろうか、と思うのが私のような凡夫のあさはかさである。
 この人はしっかり夢を追い続け、それを成し遂げ、専門家からも「読みやすい」と評判をもらっているということである。
 感動した。
 夢を持ち続け、それに向かって頑張り続ける、ということが夢を実現する唯一の道なのだと思う。
 自分のやりたいことを持ち続け、それに向かって営み続ける、これが大切だ。
 さて、私の夢は・・・中小企業支援を通じて富山県のさらなる活性化につなげること。
 ちょっと大仰かなあ。でも毎日、中小企業経営者と色んな話しをして経営改善のために何をし、もっと売れたりもっと品質を高めたりもっと正確に仕事ができたりもっとスピードを上げたり、ということを実現していくことができたら、そしてそれらの実績を世間に評価され、あいつに相談したら今よりも会社がよくなるという評判が立てば、それに勝る喜びはないと思う。

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転職に向けての検討課題

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 40代後半で今勤めている会社を離れ、別の仕事に就こうかというのは、いざ現実味を帯びてくると大きな不安がある。
 色んな意味で今がタイミングだとは思うが、生活水準を維持できるだろうかとか、わからない世界でちゃんと仕事ができるだろうかとか、頭の中を不安が駆け巡っている。
 もちろん訪問先の企業から「来て下さい」という意思表示をいただいたわけではないし、仮に「来て下さい」と言われたとしても、希望する条件と合わなければこちらから辞退しなくてはならない可能性もあり、今の段階ではまだ先のことを不安視する必要はないのかも知れない。
 とは言え、明日以降、近いうちに連絡が来ることが想定されるため、はっきりと心の準備をしておく必要があり、不安をぬぐう意味からも再度何人かの人に相談した。
 診断士の大先輩Fさんには、金融機関で企業の再生を支援する業務が、サラリーマン診断士のスキル向上や将来にとって役に立つのだろうか、という点について相談した。
 回答は、今の診断士業務とは全然関係ない仕事をし続けるよりも、企業を良くする仕事に携わっておけば、それは診断士の仕事そのものなので、将来、県の再生支援協議会の仕事など色々あるから断然有利である、独立しても実績がないと2,3年は仕事がほとんどないので、将来のためにも今からやっておいた方がいいだろう、と力強い励ましの言葉をいただき、勇気づけられた。
 それにしても色々悩むものだ。
 しかし、自分の人生なので自分で切り開いていくしかない。
 今の会社に留まって自社の改善はできるとしても、企業を良くする仕事を幅広く経験できないままに自分の時間も持てずに定年まで行ってしまうか、新しい世界に飛び出してわからない業務や新しい人間関係などの苦労はしつつも時間も多少は持て、診断士としてのキャリアを磨いていくか、今が判断のしどころだ。
 留まれば給与は読めるものの時間とスキルの面では期待できずたぶん今まで以上の地獄、進めば所得は多少下がるが時間もでき健康や今までできなかったことができるしスキルと経験の面でも可能性が広がる。
 上記の確認結果次第だが、今日の時点では、自分の将来展望を考えて進もうかと思っている。

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