本についての記録を久しぶりに書く。
猛然と読書への意欲が沸いてきた。
ここ数年なかった感覚だ。
とにかく疲れていたから。
それはさておき、松岡正剛氏の『多読術』を読んだ。
松岡正剛氏は私が大学生の頃「遊」という雑誌を編集なさっており、何冊か私も購入して読んだものだ。
値段が高かったので、貧乏学生にはなかなか毎月定期購入というわけにはいかなかったが、大変食欲がそそられる雑誌だった。
前衛的というか、科学と宗教が渾然となっているというか・・・。
私が今でも持っているのは「ジャポネスク」について特集された号だ。
やや思想がかったような印象を受け、この人はちょっと危ない人ではなかろうか、と思っていた。
従って、「遊」は読んだが、松岡氏に近しくなりたいとは思わなかった。
その後の松岡氏の活躍ぶりは言うまでもない。
某巨大通信会社と組んで出版された『情報の歴史』などは、私も購入した。
素晴らしい大作だと思う。
情報の意味を有機的に結び付けてみる、という実験的な試み。面白い。
極めて真面目な常識人であり、読書人なのであろうと思う。
今にして思えば、折角4年間も東京で遊んでいたのだから、一度ぐらい松岡氏のオフィスを訪ねて謦咳に触れてみても良かったかも知れない、とちょっと思う。
さて『多読術』。
松岡氏は、驚異的な読書量の持ち主であることは周知のとおりである。
最近はやりの「速読術」をきっとこの人も心得ているのだろう、と思っていた。
が、さにあらず。
いや、たぶん、読むスピードは間違いなく常人には考えられないくらい早いのだと思うが、いわゆる速読術ではないらしい。
夜中3時まで鉛筆と辞書と地図と年表を傍に置きながら、一生懸命に読んでおられるようだ。
「いちばん心がけたことは、寝ないようにするということ」
これがこの人の驚異的な読書量の基本であるようだ。
「読書というもの、夜に根っこをのばすんです」
なるほど。
言いえて妙。
今の私にはできないが、そのくらいの気合で本に立ち向かわないといかんということだというのがよくわかる。
但し・・・
「読書を神聖なものだとか、有意義なものだとか、特別なものだと思わないほうがいい。読書はもともと多様なものだ」
とも言っておられる。
極端な話、昔竹村健一氏が著書の中で「自分が寝っころがって本を読む。スタイルを気にしていて読めなければ意味がない。読むためには自分の好きな格好で読めば良い」というようなことを書いておられたが、それとまさに共通する。
しかし、まあ、なかば自由人のような竹村氏と、万巻の書物を読んできた松岡正剛氏とが同じような見解を持っていたとは驚きだ。
その他、気に入った箇所を一部抜粋。
「本はすでにテキストが入っているノート」
「(本は、書いたその人が)自分にプレゼンテーションしている」
「本は、リスク、リスペクト(敬意)、リコメンデーション(おすすめ)の3R」
その他その他。
大変ユニークで参考になった。
俄然、読書欲が沸いてきた。
ちょうど先日注文した本6冊も、出張中に届いていた。
さあ、明日から読書も生活の一部にしっかり加えていくぞ。
(肩の力を抜いて、でも片っ端から手当たり次第に)
東京五日目(最終日)
東京には随分長いこと行っていなかったので、本当に久しぶりだった。
しばらく会えなかった従弟や友人にも会うことができた。
研修の中身はなかなかレベルが高かったが・・・。
よく考えてみると、東京に行く道中のこと、手持ち無沙汰にならないように、というようなことを出発前はさんざん心配していたが、魚津から、わずか3時間で着いてしまうのだ。
そんなに色んな本やら何やら持って行かなくていいのである。
私が学生の頃は上野までですら6時間かかった。
その印象がいまだにぬぐえない。
だから遠いと思ってしまう。
そして本やら電車の中で履くスリッパやらまでカバンに入れてしまう。
その結果カバンが重くなる。
今じゃ昔の半分、3時間で着いてしまうのだ。
大阪から行くのと変わらない。
近くなったものだ。
朝7時に魚津を出発したら、午前10時には東京駅に着いている。
午後6時に東京を出たら、夜の10時前には家に着いている。
十分日帰りが可能な距離だ。
もちろん遊びに行くとしたら、1箇所か2箇所ぐらいしか逗留できないが。
そんなこんなで、帰りの新幹線とはくたかの乗り継ぎで本を1冊読んできた。
東京四日目
別に毎日東京での出張レポートを書くつもりではなかったが、結局毎日書いている。
今日は研修の4日目である。
毎日息もつかせぬM銀行調査部の精鋭によるしごきである。
優しい顔してソフトな語り口ゆえ、余計に真綿でクビ締められるようなきつい研修である。
今日は比較的早く、午後7時半頃に終わり、唯一飲み会も入っていなかった日であり、明日の最終日に向けて片付け等の準備もあるので、そのまま宿に直行。
途中食事をし、買い物などして午後9時頃には部屋に入った。
一人の夜の時間が1週間できたので、少しまとめて勉強しようと思い、仕事の参考資料やら小説やらを色々持参してきた。
現実には、初日のJRでは寝るか事前課題の残りをやるかしてきたし、東京に来てからは毎晩飲んでいたため、今日のこの時間まで何もしていない。
しかも飲み会がない日はない日で、さあしっかり学習するぞと勢い込んで部屋に入るのだが、たいがい寂しさが募ってテレビを見てだらだら時間を費やすのが私の出張時の常の姿である。
家にいて誰かがそばにいるときは割りとちゃんと勉強できるのだが、家族がいれば色々用事もあって集中して学習できる時間にはおのずと限度があり、いなければいないで寂しい・・・なんて勝手なことか、と思うが、寂しいという感覚は制御できないのでどうしようもない。
今日ぐらい、しっかり自分にストアをかけて(ストイックになって)、残された2時間を思索や勉強にあてがいたい。天から与えられた、瞑想でもなんでもできる貴重なひと時だから。(もうちょっと自分に強くならんけりゃあかんねん!)
さあ、とりあえずは洗濯だ。
最近のステイ型のホテルには乾燥機能付の全自動洗濯機があって大変助かる。
東京三日目
上京してきてあっという間に三日が過ぎた。
本当に久しぶりの東京なので、この短い間に、空白の時間を埋めようと色々やっている。
昨日は従弟に5年ぶりか6年ぶりぐらいで会った。
新宿のライオンで飲んだ。
ほんの1時間だったが、元気な様子を確認できたので良かった。
新宿ライオンなんて、ほんとに久しぶりだ。
約30年ぶりではないか。
相変わらずちゃんと営業しているところは時代が変わっても風俗が変わってもやっている。
堅実な老舗の経営を貫いているのであろう。もちろん、時代の新しいニーズにはちゃんと応えつつ、であろうと思う。
今日は、中学時代からの友人に再会した。
渋谷である。
岡本太郎氏の絵があったので、思わずシャッターを切った。

直後、友人と再会した。
彼は奥さんと一緒に来てくれた。
うれしかったしありがたかった。
彼の家族とは家族ぐるみで付き合い続けている。
お互い転勤してもなぜか近くになり、合流して旅行に行ったりしたものだが、最近は少し離れ方が大きくなり、本人とは2年ぶり、奥さんとは7年ぶりの再会だ。
二人とも元気で若々しく、相変わらずいいおしどり夫婦ぶりであった。
しかし来月北海道に異動だという。
全国規模の会社だから、やむをえないが、奥さんと子どもたちを異郷である東京に残しての単身赴任である。
しばらくは北海道の人となるが、立ち向かう人生は、自分のこやしだと思って、迷わずに頑張って欲しい。
別れ際、並んで歩いている私と彼の後姿を見て、奥さんが「二人とも企業戦士ね!」って言ってくれた一言が、私にはとても心強い励ましに聞こえた。
江戸の町の火消しに向かうめ組の棟梁に、おかみさんが火打石で「かちっかちっ」ってやってくれるような感じだ。(もちろん私に言ったわけではないのだが、そういう言葉を旦那と一緒にかけてくれることがうれしかった)
さ、明日と明後日、残す研修期間はあと二日。
しっかり洗濯して、きっちり習得できるよう頑張ろう。
東京二日目
東京出張二日目。
朝晩の通勤列車は・・・電車は、さすがにサラリーマンの皆さんはクールビズが多い。
これでちょっと安心した。
ところで、研修に使わせてもらっている「M銀行(元興銀)」の研修所は、さすがにM銀行だなと思わせる点がいくつかあった。
その1。
休憩コーナーに置いてある新聞雑誌の類。
5大紙と言われている新聞は全部置いてある。それも、日経は2部も。
さらにアメリカのフィナンシャルタイムズやニューヨークタイム、フランスのナントカという雑誌など、欧米の主だった新聞雑誌は全部置いてある。
その2。
電話。ゼロ発信でどこでもかけ放題。これもさすがという感じだ。
その3。
昼食のメニュー。
AランチとBランチの2種類しかないのだが、そのどちらにもデザートがついている。
しかもAランチのトンカツの肉の厚いこと厚いこと。
普通の食堂の2倍の肉厚だ。すごい。食べ応えがあった。
そんなことに感心してないで、ちゃんと学ばにゃ!
東京で気がついたこと
少し先入観を持っていた。
新型インフルエンザで休校になった学校があると聞いていたので、東京の人々はマスクなどしているのかなあ、と。
自分もそのため予防用にいくつかマスクをカバンに入れてきた。
意外や意外。
ほとんどマスク着用の人はいない。
それともうひとつ。
JRの車両などにも「青山でクールビズ」などという広告が沢山打たれているが、クールビズスタイルのサラリーマンがとても少ない。
というより、ほとんどいない。
商談に出かける人たちは、相手への敬意を示そうと、きちんとネクタイをしていくのが礼儀だという考え方からだろうか。それとも社内でもネクタイしてるんかなあ。
東京に来たら、さぞかしほとんどのビジネスマンがクールビズかな、と思っていたので、これも意外だった。
百聞は一見に如かず。
偏見と先入観でものを見てはいけない。
ということがよくわかった。
久しぶりの東京で迷子に・・・
前に東京に来たのは、平成16年だったと思う。
某企業の大阪支店に勤務していたときに、その支店の東京事務所というのがあって、そこへ仕事の相談に来たとき以来だ。
してみると、今日東京に来たのは、公私共に5年ぶりということになる。
富山暮らしなどを長いことしていると、視界というものは、随分遠くまであるものだという感覚が当たり前になる。
それが東京に来ると、途端に高層のビルが林立していて、筋ひとつがわからない。
今日も現在の会社の東京支店に行ったのだが、行ったまでは良かったのだが、帰りが普通に逆方向に歩けば良かったのに、かっこつけてぐるっとビルを回ってしまったところ、全然違うところに行ってしまった。
10分もかからない神田駅まで20分もかかった・・・。
研修所もそうだ。
某巨大金融機関の、その研修所は、おしゃれな町の代名詞とも言える、代官山というところにある。
恵比寿から歩いても良かったのだが、ちょっと遠いような気がして、「徒歩3分」と書いてあった代官山駅まで行き、地図どおりに北口で降りたのだが、道がない。
空中歩道なのである。
地図と違う感じだなあと思いながらもとりあえず地図の方向に。
行けども行けども、住所表示板には、研修所の地名とは異なる文字が・・・。
結局神田と同じように、ぐるっと回って、それらしき地名にたどりつき、それでもまたしても小道を一本間違えて「ここはどこ? 私は誰?」状態になりつつ、なんとか研修所を発見し、受付を済ませた頃には、集合時間の30分前。
昼食まだなのだ!!!!ということを思い出し、近くのこじゃれたレストランへ。(一杯飯屋に入りたかったのだが、そういう下町風の店は、どうもこのあたりはなさそうで、探しているうちに時間切れというものたまらないので、自分のおっさんぶりを省みず、飛び込んだのである)
やはり、おしゃれなOLさんたちばっかしの店で、一人ものの私に対して投げかけられた目線は、「おっさん、ここはあんたの来るところじゃねえよ、席に座らずにかえんな」ってな感じだったが、そこは大阪のおばさんのノリで、どかどかと店内に入り込み、「Aランチ!」と声高らかにオーダーし、しっかり時間に間に合うように食事をした。
なんの話かわからなくなったが、久しぶりの東京は、相変わらずにぎやかで人もビルも多く、迷いやすい町だ。
映画「剣岳 点の記」
映画「剣岳 点の記」を観た。
大変素晴らしい映画である。
涙が溢れ出て止まらなかった。
そして、よくぞここまで監督はじめ役者の皆さん、スタッフの皆さん、山岳ガイドの方々、しんどい作業をやり遂げて下さったと、心から感心し感謝している。
特に主役の二人、浅野忠信さんと香川照之さん。
かっこよかった。
彼らは間違いなく、これからの日本映画を背負って立つ人になるだろう。仲代達也と緒形拳の後継者ができた。
さて今日は、元々全然別の用事があったのだが、突如その予定が空き、時間ができた。
となると「富山県人が初日から観ないでどうするんだ!?」と矢も盾もたまらず、初日の一番目に観ようと、朝7時すぎには家を出発していた。
今日は全国ロードショーに先がけて、富山県内のみ1週間前倒しで先行ロードショーである。
初回は午前9時から上映だった。
元々この映画は新田次郎さんの原作『剣岳<点の記>』(文春文庫ほか)に基づいている。
私は、大阪で働いていた今から6年ほど前に、某通信大手の西日本本社総務部のOさんという人からこの本を紹介された。
Oさんは地元が九州の人であるが、山登りが好きで、私が富山出身だと言うと、「ああ、それなら新田次郎の「剣岳 点の記」というのが面白かったけど、知ってる?」と聞いてきた。
私が知らないと答えると、「面白いから是非読んでみたらいい」と勧められた。
その週末に早速買いに行き、むさぼるように読み進んだ。
淡々とした、ノンフィクションといった感じの小説だったが、大変重いものを感じた。
ところどころを折り曲げたし、あちこちに線を引いた。
ここではその感想は書かないが、五木寛之さんの『風の王国』ともやや通じるものを感じた。が、それはそれでまた別の話である。
立山近辺の色々な山の標高を測り、地図を作るためにこんなに大変なことをしていたのか、と彼らの偉業に深く敬意を感じた。
千年前の行者が剣岳の山頂に置いていったとおぼしき「錫杖」と「剣先」の記述のところでは、ずっと前に立山博物館で「錫杖」の頭部を見た記憶が蘇って来た。
その時にはなんとはなしに眺めていたはずだが、あれがそれか!と強いショックを受けた。
帰省時に立山博物館にもう一度見に行ったことは言うまでもない。
人間の営みのすごさ、である。
そういえば、映画の中でも柴崎測量官が「山に生かされている」という独言があったが、まさしくそうで、生かされているからこそ、行けるのである。
それと、「自然の美しさは自然の厳しさの中にこそあるのだ」というような独言もあった。
いずれも、役者が吐くセリフであるのだが、これらの言葉は、単にセリフとして発せられたのではなく、柴崎役を演じた浅野忠信さんそのものの心から出たほとばしりではなかったか、と思う。
映像のところどころで松本清張の「砂の器」のシーンがいくつか重なって見えた。
刑事役の仲代達也さんが自費で捜査に行こうとする時に、奥さんがへそくっていたお金を、旅費の足しに、と黙って差し出すシーンが、柴崎測量官と奥さんが出発に向けた仕度をしていたシーンとかぶさったり、犯人親子が逃避行のために嵐の中を歩いているシーンが、測量隊のメンバーが雪山を歩くシーンと何度も重なって見えた。
映画が終わり、木村大作監督と柴崎測量官役の浅野忠信さん、宇治長次郎役の香川照之さんが舞台挨拶に出てこられた。
いやあ、感激だった。
私の席は舞台から50メートルぐらい離れていて、人が米粒ほどにしか見えなかったが、確かに間違いなくそこに浅野忠信さんや香川照之さんがいるんだ、同じ空気をこの会場で吸っているんだ、あの大変な難行をこなして映画に結実させた二人の名優が。ここに。
と思うと、うれしくてしょうがなかった。
今回はひたすら「静」の浅野忠信さんあっての「動」の香川照之さんだったのかも知れない。
主役であるはずの(なぜなら柴崎測量官が測量したのだから)浅野忠信さん以上に、私にとっては香川照之さんが強く印象に残った。
宇治長次郎が富山県人だからだろうか。
それとも、もしかすると、実は、ひそかに、香川照之さんが主人公の映画なのかも知れない。
宇治長次郎の妻佐和の役を演じた鈴木砂羽さんも、登場時間はほんのわずかだったが、強く印象に残った。染み入るような感じで私の心に残っている。
明治時代の富山の健気な女。控え目でキリリとしていて優しさに溢れている女性。
宇治長次郎と佐和。
銀幕の中のこの二人って、真面目で謙虚で、でもどこかに進取の気性を持った明治の良き富山人の典型なのではなかろうか。
富山県人の美徳がこの二人に収斂されているような気がする。
私たちはそういう美しさをすっかり失ってしまったのかも知れない。
この映画を県民みんなが観て、私たちが失ったものを少しでも思い出し、少しでも県民の本来持っていた美徳を取り戻すことにつながれば、と思う。

【平成19年8月15日 立山登山路から撮影した剣岳】
バランスについて
次男の写真をでかでかと掲示したら、長男の影が薄くなってしまった。
そのため妻から、長男の写真も飾ってよ、と言われている。
う~ん。
もう飾るスペースが・・・。
それと、長男の幼い頃の写真はSONYのデジタルマビカで撮っていたから、35万画素しかない。
つまり、伸ばしたらじゃみじゃみになってしまうのではないかという心配がある。
とはいえ、ま、やってみないとな、と思っている。
今度の週末あたり、少しプリントアウトしてみるか。
ところで、来週、会社の命令による出張で東京へ1週間行くことになった。
企業分析の研修である。
東京は随分久しぶりだ。
旧友や従弟がいるので、夜、時間があれば会ってこよう。
主催が、みずほFG。
昔で言うと、興銀調査部に教わるということになる。
泣く子も黙る興銀調査部、と言ったかどうかは知らないが。
(中山素平氏の興銀である。ワクワクする)
金融機関の人間としても、望んでもなかなか受講できないものらしい。
そんなの、私ごときが受けさせてもらっていいのだろうか。
と思うが、チャンスは生かすに限る。
十分学び、楽しんでこよう。
ひと段落、ちょっとくつろごう
昨日は会社のセミナーで15分間のスピーチ。
プチ研修講師といったところか。
準備はそれなりに大変で、帰宅後は少し疲れて午後いっぱい寝た。
今日は朝から銀行業務検定。
前回無残にも敗れた「財務3級」のリベンジ。
前回よりもやや難易度が高まったと感じたが、手ごたえはあり。
60点取れればいいのであり、つまり50問中30問が正解であれば良い。
難しかったが、なんとか30問はできたのではないか、と期待している。
午後は従妹の家のパソコンの設定。
インターネットへのアクセスがうまくできないとの連絡を受け、支援に行ったもの。
前のダイヤルアップの設定が邪魔していたようだ。
通信会社のマニュアルどおりにやっても、元から入っているダイヤルアップ接続をやめるためのやり方が書いてないのがやや不親切だなあと感じた。
なんとか1時間程度で、元から入っていたダイヤルアップ接続からルータ接続へ切り替え、ウイルスバスターの設定とメールの設定まで終え、ITコーディネータの面目をとりあえず保ち、自分へのご褒美としてスーパー銭湯へ。
スーパー銭湯では、人工炭酸泉の浴室に、途中の休みをはさんで2回入り、なんとなく血流が良くなったような気分になりつつ、元々午後いっぱいいる予定だったが、結局1時間ちょっとで上がった。
人工炭酸泉に最初に入ってしまうと、後がなくなるので、これからは、ゆっくりするときは最後にしようと思った次第。
それでも時間があったので、足つぼのマッサージ機に少し世話になり、風呂を後にした。
それから、近くのマックへ行き、前からの懸案だった、YAHOO-bbの公衆無線LAN使い放題の設定を実施。
帰宅後はバッハの曲をダウンロード。
“大人のおもちゃ”であるiPhoneに入れて、音楽バリエーションをさらに増やしてくつろぎタイムを充実して過ごそう、と思う。
バロックはいい。
大変緊張感のあふれる忙しい日々が続いた。
明日からはまた新たな緊張の下、新たな戦闘が始まるが、今宵ぐらいはちょっとくつろげるかな、と思う。
そう思うときにゆったりすることが大事だ、と思う。