podcastという情報配信サービスがある。
ipodやiphoneユーザだけに提供されているものかどうかは知らないが、私の場合はiphoneで聞くため、時々「iTunes」というパソコン用のソフトで英語のニュースや日経系のラジオのような番組配信を受け、通勤電車の中などで見たり聞いたりしている。
その中で、日経ヴェリタスの配信番組を聞いていたら、「ヴィスタ」という単語が出てきた。
ヴィスタといえば、最近ならWindowsOSのバージョンの種類だし、少し前ならトヨタの車の名前だ。
しかしここで言われているのは、そのどちらでもなく、新たな新興工業国群のことを指すらしい。
VISTA。
それぞれの国の頭文字をとったもので、BRICs経済研究所のエコノミストである門倉貴史という人が、BRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語らしい。
2006年からある言葉なんだあ、へえーっと思ってしまった。
具体的な国としては、
V:ベトナム
I:インドネシア
S:南アフリカ共和国
T:トルコ
A:アルゼンチン
の5カ国らしい。
いずれも、BRICsに次ぐ成長が期待され、現にそのように勃興しているようであるが、まだ政治的に不安定であるとか、宗教の問題や流行病を退治できないなど、色々な懸案事項があるので、そう簡単にはテイクオフできないかも知れないが、今後動向をよく見ていくべき国々のようである。
ヴィスタ・・・知らなかった。
我が家の守り主
フォトリーディングの格言その1
フォトリーディングの講座で聞いた色々なアイディアや知識について少し触れる。
今日はこれ。
我々の脳は、目的を明確にするとフルスピードで働く。
う~ん、そうか。
凄い!
フォトリーディングの研修を受講した
名古屋で2日間のフォトリーディングのセミナーを受講してきた。
脳ミソが興奮しているような感じがする。
フォトリーディングをスキルの体系としてまとめる点や、脳をシステムとして捉える見方が、いかにも西洋人らしく、面白いと思った。
スキル、すなわち技術であれば、使いこなそうとするのが自然であり、そうすべきだと思う。
やり方、手順をきちんと学んで、基本に忠実におさらいしていくことが大切だ。
それが習熟への一番の近道である。
また、脳科学というシステム的な捉え方も面白い。
ハードディスクへどんどん取り込んでいくという考え方だ。
とりあえず今日はそこまでにしておく。
詳しくはまた書く。
言いたかないが・・・新型インフルエンザ続報(厚生労働省の怠慢?を問う)
国立感染症研究所 感染症情報センターというところがあるらしい。
そこのHP(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)を開くと、
「パンデミック(H1N1 2009)」とあり、
<日本国内の報告数(厚生労働省確認分)>として<4986人>という人数が掲載されている。
但し、(2009年7月24日 6時現在)となっている。
えっ?と思う。
今日は8月18日です。
・・・ここしばらく全然期日が変わっていない。
厚生労働省のHPを見ればもうちょっと新しいデータがあるかな、と思い、
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/19.htmlを見てみたが、
書いてある数字も集計時期も同じ。
ちょっと、厚生労働省のお役人さん、仕事してないんじゃないの?と思えて仕方がない。
というのも、今日のニュースで、
・8月になってから9日間で、日本国内で新たに4600人の感染者が確認された
と言っていた。
本当なら、上記の4900人余りと足して、1万人ぐらいになっているということだ。
目くじらを立てて騒ぎ立てる、パニックになるようなことではないかも知れないが、インターネットで開示しているデータの二倍の感染者がいるにも関わらず、そのデータが更新されていないというのは怠慢以外のなにものでもないと思う。
おかしい!
ローマ人の物語から五賢帝を読む
久しぶりに塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んだ。
というか、数ヶ月の通勤電車の中で、ちょぼちょぼと読み継ぎ、ようやく文庫本一冊読み終えた、ちうのが正しい言い方だ。
今回読み終えたのは『ローマ人の物語 文庫24 賢帝の世紀(上)』である。
ローマの五賢帝といえば、高校生の時に世界史で教わった、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの五人である。
特に今回読んだ24巻はトラヤヌスの巻であり、ローマ史上最大版図を達成した人物として覚えさせられたものだ。
ローマの皇帝はホンマに色々な人がいるものだと、この人の本を読んでいてつくづく思うが、トラヤヌスという人は、大変謹厳実直な人のようだ。
イタリア半島出身ではなく、属州出身としては初めての皇帝だった、からかどうかはわからないが、そういうことが影響したのか、頑張らなくっちゃ!という心の声を塩野さんは聞いたのか、「なんでそんなに頑張ったの? そうよね、属州出身の初めての皇帝だものね」というような投げかけをしておられる。
自慢ったらしいことは言えないが、私も結構(無理すんなよ、と思いつつ)頑張り抜くきらいがあるので、この人の姿勢には共感するところがある。
但し、トラヤヌスはなぜか男色で、女性を避けたらしい。(この点は私とは大いに違う)
妻はいたようだが、子どもはおらず、そのため、皇位継承者には他人のハドリアヌスを選んだということだ。
次のハドリアヌスも男色で、そのため子どもがおらず、そのため皇位継承におけるゴタゴタが起こらなかった、という妙な話である。
そんなことで、次は「文庫の巻の25 ハドリアヌス」の巻である。
次も楽しみだ。(ちょっと読書スピードがゆっくり過ぎるかな)
京都奈良大右回りその7(新薬師寺)
8月5日の朝は、茶粥を食べた。
私の年齢では、まだバーベキューみたいな、色々食べられます、というのがいいのだが、ここ奈良ホテルではなんでも選べるというメニューではなく、洋食か和食か茶粥か、の三択である。

おいしかった。
それからホテル内の探検や庭園内の散策をしてチェックアウト。

庭園内には鹿たちが悠然と歩いたり、小鹿は母鹿の乳を呑んだりして、彼らの時間と空間を楽しんでいるようだった。
さて我々はそこから約20分、徒歩で新薬師寺を訪れた。

これは新薬師寺の角にいた「埴輪」もどきの像である。
新薬師寺の本堂。

新薬師寺は、聖武天皇の目の病気の平癒を祈願するために、藤原不比等の娘である光明皇后が建立したものらしい。
私は長いこと、「新」だからそれほど霊験あらたかではないだろうと高をくくり、近くを通っても行くことはしていなかった。
しかし今回参詣したのは、「新」というのが「新しい」ではなく「あらたかな」という意味だと聞いたからであり、またこのお寺の薬師如来と十二神将がとても立派な仏様だということを知ったからである。
まず薬師如来は、病気を平癒する絶大なパワーを持つとされている。本尊にそれを持たせるために、通常は横木で作る腕の木材を、この仏様については縦木を使い、像全体が縦木で作られているように見せているとのことである。
この本を見て、新薬師寺は何が何でも行かなければならないと思った。
薬師如来様も良かったが、それを守る十二神将も千年以上も変わらぬその気迫に圧倒された。
なんと言ってもバサラが凄い。
写真が撮れないのが残念だがしょうがない。
代わりにというわけではないが、御堂の前にちょこんと安置されていた石仏の写真を掲載しておく。

手にスコップのようなものを抱えておられるが、これはなんだろう。
少し心配なこと(新型インフルエンザと太陽黒点数とお天気)
新型インフルエンザが静かに広まっている。
日本では発症者が1,000人になってからすぐに2,000人になり、7月下旬時点では5,000人に近くなっている。
夏になったら治まるであろうと言われていたが、なんのこっちゃない、相変わらず増えており、8月も日々増加し続けているということだ。
国立感染症研究所の感染症情報センター(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)によると、
・日本の感染者数:4,986人(但し、なんと7月24日時点のデータ)
・世界の感染者数:177,457人(内、死者1.462人・・・死亡確率8%・・・8月6日時点)
ということである。
幸い我が国では死に至る状況は発生していないが、熱への耐性があるのだろうなと思う。
それにしても、国立感染症研究所のデータが、世界の分(WHOからのネタらしいが)が8月6日のデータで、我が国の分が7月24日時点のものというのはなんたるお粗末なことかと思う。
一方、太陽黒点活動だが、ここ30日はまたゼロ行進である。
今年になって2~3個というのが平均であり、多少上向きになってきていたのだが、また低下している。
そのせいか、日本は初秋のような涼しさだ。
我が富山でも、夏はじめじめしているので、夏はエアコンが欠かせない。
我が家はたいてい「ドライ」にしているのだが、今年はほとんどエアコンなしで夜を過ごしている。
<寝苦しい>という感覚がほとんどないのである。
冷夏ということが騒がれている。
米はイモチ病の恐れがあるし、野菜類も軒並み不作だという。
雇用情勢は相変わらず悪化しているし、農作物は不作が広がっている。
太陽は元気がなく、嵐や地震は好き放題にやってくれている。
静かにインフルエンザが広がり、そのうち大変な騒動にならなければいいが・・・。
日本人の謙譲さ、質実剛健さ、礼節などの美徳が失われていないことを祈り、また自分は、世の中が冷静さを失いかけてもラスコーリニコフにはならないぞ、と誓う
今日は64年前に、日本の美徳も失われるスタートとなってしまった、終戦記念日(敗戦記念日)である。(これは村上龍氏の『5分後の世界』を読んでの感想だ。)
京都奈良大右回りその6(奈良ホテル)
8月4日の極めつけは、奈良ホテルである。
午後6時20分。
JR奈良駅に到着。
さあバスで今夜の宿へ行こう、と思った途端、突然の豪雨。
京都に続き、奈良でも雨。
それも大雨だ。
とてもバスで移動できる状況ではない。
仕方なくタクシーで宿へ。
去年も行きたいと思っていた奈良ホテル。
予約を入れようとしても週末はずっと満杯。
今年は7月下旬に予約を取ろうとしたら難なく予約できた。
不況の影響か、そもそも季節が違うから予約できたのかはわからないが、いずれにしろ、奈良ホテル、である。
一人一泊10万円という部屋もあるらしい。(もちろん我々はそんな高額な部屋には手が出ないが)

夜なので何の写真かわからないかも知れないが、奈良ホテルなのである。
ということで、ドアは重厚。
ホテルマンは丁寧。
机は巨大なオークか何か。
パソコンのディスプレイの背面には茶色のどっしりとした感じのシールが施してあって、けばけばしさがない。フロントの雰囲気を壊さないような配慮が行き届いている。
食事はゆったりとした懐石。
食後、軽くアルコールをと妻を誘ってバーへ。
なんたって奈良ホテルのバーですよ。
ピアノトリオのジャズが流れ、心地よい時間が流れる。
風呂は、小ぶりではあるが檜風呂。
香りがいい。
(但し、後日、自宅の近くの温泉に入ったところ、檜風呂は所詮温泉ではないことをカバーするためのごまかしなのかも知れないなあと感じ、田舎の良さを改めて感じ入った次第。だが、この時はそんなことは露ほども思わず、檜風呂を堪能したわけである。)
正直言って風呂から上がろうと思わなかった。
翌朝は、折角だから「茶粥定食」をいただいた。

庭には鹿がいて、のんびり過ごしていた。
たまにはこんな贅沢もいいだろう。
しかし8月5日は、一転修行の一日となる。
京都奈良大右回りその5(あじき路地)
8月4日の旅の続き。
NHKの衛星放送「丸竹夷にない小路」で見た「あじき路地」へ。
色々小路はあるものの、わけのわからないところへ紛れ込んでしまうと後がしんどいので、目当てを決めての今回の旅行である。
「あじき路地」はお店もあるようなので、そこの住人の皆さんの生活空間であると同時に、外部の人が訪れてもいいかな?と思い、選定した。
さて我々は清水坂を西へ下って東大路通へ。
東大路通をそのまま横断し、斜め前方の東山消防署のわき道をさらに西へ。
六波羅密寺の看板を見ながら、そのまま道なりに直進。
やがて右の角に「サウナ」と書いた「大黒湯」という銭湯の看板が。

そこまで来た途端に驟雨来襲。
突然の雨で、逃げ込むところもなく、まさか今回は雨は降らないだろうと思っていたので傘の持ち合わせもない。
とりあえず「大黒湯」の軒下へ走り込む。
10分以上雨宿りしていただろうか。
西洋人らしき英語使いの外国人が「この辺にONSENはないか?」と聞いてきた。
久しぶりの英語でのコミュニケーション。
目の前にあるこれがONSENだ、と言ったもののやってんのかなあ、と思い、すぐそばで家に入ろうとしていたおばあさんに「このお風呂やってます?」と聞いたところ、今日は休みだよ、とのこと。
ついでに「近くにお風呂ありますか?」と聞いたら、数分先にあるやのこと。
わからないなり「Go Straight、and turn right」と言ってみた。
どれくらいか?と聞いてきたので「for 4or5 minutes」とわからないなりに答えた。
さあ、この人は無事にONSENに辿り着けたでしょうか。
と気にしつつ、雨も小降りになったので地図に従って「大黒湯」から右へ折れ、さあ「あじき路地」を探そうと歩き出したらすぐに見つかった。
数メートル先に「あじき路地」の入り口があった。
地図では山城町というところになる。
実は「あじき路地」とは書いてない。
テレビで入り口の映像が映っていたからわかったのだが、ごく普通の黒っぽい壁が続く路地である。

ところで「あじき」とはなんだろう?
大家さんの苗字だろうか?
だとすると「安食さん」というのかな? それとも違う字かな? などと考えつつ路地の中をふらふら歩いて、路地の中の延命地蔵さんに手を合わせ、あじき路地を後にした。

大変あじのある路地だった。
こういうところで風情を感じながら日暮しするのも悪くないなあと思った。
まだ雨がちらついていて、妻のご機嫌もすこ~しずつ斜めを向きそうになってきたので、タクシーを広い、JR京都駅へ。
さて次は今夜の宿のある奈良へ向けて移動。
