やり方は習得したが、一気にフォトリーダーと呼ばれるようなレベルにはなかなか行かないものだなあと思っている。
毎日練習できるわけでもない。
なぜなら、フォトリーディングは単なる速読ではなく、関連する前後の技術と組み合わせた、総合的な情報処理技術だからである。
前後の技術と合わせてやることでしっかりした効果が得られるのだと思うので、単に机に向かって本をペラペラめくればいいというものではない。
ということで、勢い、多少なりともまとまった落ち着いた時間がないと、なかなか取り組めないというちょっと言い訳めいたことになる。
今日は、朝から家の外回りの片付けやら枝の伐採やら買い物やら仕事やら自分の机の周辺の整理整頓で相当時間を食ってしまったので、夜、少し時間をとって一冊ぐらいはちゃんとやろうと思う。
易経の言葉から
昨日、会社内の同じ大学出身者の集まりがあった。
そこで、つい先ごろまで監査役を勤めておられた方が易経のお話をされた。
曰く。
天行(てんこう)は健なり。
君子、もって自強して息(や)まず。
意味は、
天の運行というものはすこやかなものである。その中にあって君子は身を慎まなければならない。
というようなことだそうである。
満つればやがて欠ける、という。
運気が強く何をやっても許されるというような驕り高ぶった気持ちになっては行けない。
確かに時機が到来したときは、前進しても咎を免れるようであり、行けるところまでどんどん進むがよろしかろう。
しかし、そうであっても驕り高ぶりはいけない。
身を謹んで、静かに省察する時間を持たねばならない。
それが心身を健やかに保つ秘訣であるぞよ・・・。
そんなようなことを仰りたかったのであろうか。
会社の大先輩にこのような、中国古典のお話をされる方がいらっしゃるとは思いもよらなかった。
正直言って大変驚いた。
もう少しこの方と早くお目にかかっておれば、さらに薫陶をいただけただろうに、と残念な気持ちだが、今からでも遅くはない。
機会を作って、是非これからも色々教わろうと思う。
目から鱗、のひと時であった。
VISTAという新たな経済勢力のこと
podcastという情報配信サービスがある。
ipodやiphoneユーザだけに提供されているものかどうかは知らないが、私の場合はiphoneで聞くため、時々「iTunes」というパソコン用のソフトで英語のニュースや日経系のラジオのような番組配信を受け、通勤電車の中などで見たり聞いたりしている。
その中で、日経ヴェリタスの配信番組を聞いていたら、「ヴィスタ」という単語が出てきた。
ヴィスタといえば、最近ならWindowsOSのバージョンの種類だし、少し前ならトヨタの車の名前だ。
しかしここで言われているのは、そのどちらでもなく、新たな新興工業国群のことを指すらしい。
VISTA。
それぞれの国の頭文字をとったもので、BRICs経済研究所のエコノミストである門倉貴史という人が、BRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語らしい。
2006年からある言葉なんだあ、へえーっと思ってしまった。
具体的な国としては、
V:ベトナム
I:インドネシア
S:南アフリカ共和国
T:トルコ
A:アルゼンチン
の5カ国らしい。
いずれも、BRICsに次ぐ成長が期待され、現にそのように勃興しているようであるが、まだ政治的に不安定であるとか、宗教の問題や流行病を退治できないなど、色々な懸案事項があるので、そう簡単にはテイクオフできないかも知れないが、今後動向をよく見ていくべき国々のようである。
ヴィスタ・・・知らなかった。
我が家の守り主
フォトリーディングの格言その1
フォトリーディングの講座で聞いた色々なアイディアや知識について少し触れる。
今日はこれ。
我々の脳は、目的を明確にするとフルスピードで働く。
う~ん、そうか。
凄い!
フォトリーディングの研修を受講した
名古屋で2日間のフォトリーディングのセミナーを受講してきた。
脳ミソが興奮しているような感じがする。
フォトリーディングをスキルの体系としてまとめる点や、脳をシステムとして捉える見方が、いかにも西洋人らしく、面白いと思った。
スキル、すなわち技術であれば、使いこなそうとするのが自然であり、そうすべきだと思う。
やり方、手順をきちんと学んで、基本に忠実におさらいしていくことが大切だ。
それが習熟への一番の近道である。
また、脳科学というシステム的な捉え方も面白い。
ハードディスクへどんどん取り込んでいくという考え方だ。
とりあえず今日はそこまでにしておく。
詳しくはまた書く。
言いたかないが・・・新型インフルエンザ続報(厚生労働省の怠慢?を問う)
国立感染症研究所 感染症情報センターというところがあるらしい。
そこのHP(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)を開くと、
「パンデミック(H1N1 2009)」とあり、
<日本国内の報告数(厚生労働省確認分)>として<4986人>という人数が掲載されている。
但し、(2009年7月24日 6時現在)となっている。
えっ?と思う。
今日は8月18日です。
・・・ここしばらく全然期日が変わっていない。
厚生労働省のHPを見ればもうちょっと新しいデータがあるかな、と思い、
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/19.htmlを見てみたが、
書いてある数字も集計時期も同じ。
ちょっと、厚生労働省のお役人さん、仕事してないんじゃないの?と思えて仕方がない。
というのも、今日のニュースで、
・8月になってから9日間で、日本国内で新たに4600人の感染者が確認された
と言っていた。
本当なら、上記の4900人余りと足して、1万人ぐらいになっているということだ。
目くじらを立てて騒ぎ立てる、パニックになるようなことではないかも知れないが、インターネットで開示しているデータの二倍の感染者がいるにも関わらず、そのデータが更新されていないというのは怠慢以外のなにものでもないと思う。
おかしい!
ローマ人の物語から五賢帝を読む
久しぶりに塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んだ。
というか、数ヶ月の通勤電車の中で、ちょぼちょぼと読み継ぎ、ようやく文庫本一冊読み終えた、ちうのが正しい言い方だ。
今回読み終えたのは『ローマ人の物語 文庫24 賢帝の世紀(上)』である。
ローマの五賢帝といえば、高校生の時に世界史で教わった、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの五人である。
特に今回読んだ24巻はトラヤヌスの巻であり、ローマ史上最大版図を達成した人物として覚えさせられたものだ。
ローマの皇帝はホンマに色々な人がいるものだと、この人の本を読んでいてつくづく思うが、トラヤヌスという人は、大変謹厳実直な人のようだ。
イタリア半島出身ではなく、属州出身としては初めての皇帝だった、からかどうかはわからないが、そういうことが影響したのか、頑張らなくっちゃ!という心の声を塩野さんは聞いたのか、「なんでそんなに頑張ったの? そうよね、属州出身の初めての皇帝だものね」というような投げかけをしておられる。
自慢ったらしいことは言えないが、私も結構(無理すんなよ、と思いつつ)頑張り抜くきらいがあるので、この人の姿勢には共感するところがある。
但し、トラヤヌスはなぜか男色で、女性を避けたらしい。(この点は私とは大いに違う)
妻はいたようだが、子どもはおらず、そのため、皇位継承者には他人のハドリアヌスを選んだということだ。
次のハドリアヌスも男色で、そのため子どもがおらず、そのため皇位継承におけるゴタゴタが起こらなかった、という妙な話である。
そんなことで、次は「文庫の巻の25 ハドリアヌス」の巻である。
次も楽しみだ。(ちょっと読書スピードがゆっくり過ぎるかな)
京都奈良大右回りその7(新薬師寺)
8月5日の朝は、茶粥を食べた。
私の年齢では、まだバーベキューみたいな、色々食べられます、というのがいいのだが、ここ奈良ホテルではなんでも選べるというメニューではなく、洋食か和食か茶粥か、の三択である。

おいしかった。
それからホテル内の探検や庭園内の散策をしてチェックアウト。

庭園内には鹿たちが悠然と歩いたり、小鹿は母鹿の乳を呑んだりして、彼らの時間と空間を楽しんでいるようだった。
さて我々はそこから約20分、徒歩で新薬師寺を訪れた。

これは新薬師寺の角にいた「埴輪」もどきの像である。
新薬師寺の本堂。

新薬師寺は、聖武天皇の目の病気の平癒を祈願するために、藤原不比等の娘である光明皇后が建立したものらしい。
私は長いこと、「新」だからそれほど霊験あらたかではないだろうと高をくくり、近くを通っても行くことはしていなかった。
しかし今回参詣したのは、「新」というのが「新しい」ではなく「あらたかな」という意味だと聞いたからであり、またこのお寺の薬師如来と十二神将がとても立派な仏様だということを知ったからである。
まず薬師如来は、病気を平癒する絶大なパワーを持つとされている。本尊にそれを持たせるために、通常は横木で作る腕の木材を、この仏様については縦木を使い、像全体が縦木で作られているように見せているとのことである。
この本を見て、新薬師寺は何が何でも行かなければならないと思った。
薬師如来様も良かったが、それを守る十二神将も千年以上も変わらぬその気迫に圧倒された。
なんと言ってもバサラが凄い。
写真が撮れないのが残念だがしょうがない。
代わりにというわけではないが、御堂の前にちょこんと安置されていた石仏の写真を掲載しておく。

手にスコップのようなものを抱えておられるが、これはなんだろう。
少し心配なこと(新型インフルエンザと太陽黒点数とお天気)
新型インフルエンザが静かに広まっている。
日本では発症者が1,000人になってからすぐに2,000人になり、7月下旬時点では5,000人に近くなっている。
夏になったら治まるであろうと言われていたが、なんのこっちゃない、相変わらず増えており、8月も日々増加し続けているということだ。
国立感染症研究所の感染症情報センター(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)によると、
・日本の感染者数:4,986人(但し、なんと7月24日時点のデータ)
・世界の感染者数:177,457人(内、死者1.462人・・・死亡確率8%・・・8月6日時点)
ということである。
幸い我が国では死に至る状況は発生していないが、熱への耐性があるのだろうなと思う。
それにしても、国立感染症研究所のデータが、世界の分(WHOからのネタらしいが)が8月6日のデータで、我が国の分が7月24日時点のものというのはなんたるお粗末なことかと思う。
一方、太陽黒点活動だが、ここ30日はまたゼロ行進である。
今年になって2~3個というのが平均であり、多少上向きになってきていたのだが、また低下している。
そのせいか、日本は初秋のような涼しさだ。
我が富山でも、夏はじめじめしているので、夏はエアコンが欠かせない。
我が家はたいてい「ドライ」にしているのだが、今年はほとんどエアコンなしで夜を過ごしている。
<寝苦しい>という感覚がほとんどないのである。
冷夏ということが騒がれている。
米はイモチ病の恐れがあるし、野菜類も軒並み不作だという。
雇用情勢は相変わらず悪化しているし、農作物は不作が広がっている。
太陽は元気がなく、嵐や地震は好き放題にやってくれている。
静かにインフルエンザが広がり、そのうち大変な騒動にならなければいいが・・・。
日本人の謙譲さ、質実剛健さ、礼節などの美徳が失われていないことを祈り、また自分は、世の中が冷静さを失いかけてもラスコーリニコフにはならないぞ、と誓う
今日は64年前に、日本の美徳も失われるスタートとなってしまった、終戦記念日(敗戦記念日)である。(これは村上龍氏の『5分後の世界』を読んでの感想だ。)
