gビズID申請やり直しの巻

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令和元年度(2019年度)補正予算が国会で成立し、現在補正予算で執り行われる様々な補助金の準備が進められているものと思います。今回は「中小企業生産性革命推進事業」と銘打って、いわゆる「ものづくり補助金」「小規模事業者持続化補助金」「IT導入補助金」などがラインナップされています。

従来と大きく異なる点が、これらの補助金の申請に当たって「GビズID(アカウント)」の取得が必要であるという点です。 https://gbiz-id.go.jp/top/ ID取得には2~3週間程度を要するとのことで、経産省・中小企業庁・中小企業基盤整備機構では、申請を予定している中小企業に対して早めの手続きを呼びかけています。「GビズID」「gBizID」などいくつかの表記があり若干ややこしいですが、経産省が開発した補助金の申請を電子的に行うためのシステム(「Jグランツ」)で使われるものであり、特に「ものづくり補助金」の申請においては必須のものだとパンフレットに書いてあります。

https://www.meti.go.jp/press/2019/12/20191224003/20191224003-2.pdf

当面、経済産業省の補助金では、2019年度補正、2020年度当初予算で27補助金が対象となるようですが、今後他省庁、自治体の補助金も含めて随時拡大予定とのことであり、個人事業者である私もいずれ利用することもあろうし、その時になって慌てない方が良いと考え、早速申請しました。しかし、ちょっとしたミスで大きく時間がかかることがわかり、単純ミスで失敗されないように注意喚起の意味をこめてここに私の失敗談を掲載しておきます。

①2月13日、gビズIDプライムの申請書発送(郵便にて)。
②2月19日、gBizIDプライム登録申請の受付のお知らせメール到着。(記載事項に従い、指定のURLにアクセスすることで、申請時の登録携帯電話番号にSMSでワンタイムパスワードが届き、そのパスワードを入力すれば登録完了という流れのはずが、SMSが届きません。何度クリックしてもSMSが届かないため、同日support@gbiz-id.go.jp宛て、メールで問合せを実施)
③2月19日~21日まで、数度にわたるサポート担当とのメールのやりとりで、自分が申請時に書いた携帯電話の番号がそもそも誤っていた可能性があるためにSMSが届かないのではないか、との可能性が濃厚になってきました。(申請書には連絡先の電話番号は載るものの、SMS受信用の電話番号は印刷されませんので、ネット上で申請書を作成する際に記入した携帯電話番号がわからない仕組みになっています)指定されたヘルプデスクに電話することが必要というのがサポート担当からの最後のメールでした。(GビズIDヘルプデスク 06-6225-7877(平日9時から17時))
④2月21日、ヘルプデスクに電話で連絡。ヘルプデスク自体は受付のみで、本人性確認は、事務局から翌営業日に電話がかかってくるとのことでした。しかしその後1週間以上待っても連絡なし。
⑤3月2日、再度ヘルプデスクに同内容で電話にて問合せをしました。その際、また「折り返しは翌営業日以降」と言われたのですが、前回のいきさつも踏まえ、なるべく早くに連絡いただけませんか?とお願いしたところ、同日、事務局から電話がありました。結局は私が登録した携帯電話の番号の中に一つ誤った数字があったことが原因だと判明しましたが、ちょっとのミスで2週間以上ロスしてしまいました。改めて申請書作成用サイトで申請書を作成の上必要書類を用意し、新規の申請(郵送)を行ったのですが、皆様はこのような単純ミスで時間の浪費をなさらないようにお気をつけ下さい。

なお、「電子申請」は、インターネットを利用して申請・届出をする方法で、ネットへの接続環境があれば、いつでも・どこでも 手続きができるというものです。電子申請により郵送が不要となるため、書面で行う申請に比べて、移動や 郵送等のコストが掛からない 、法人情報や過去の申請情報を自動転記することにより、入力の手間の削減(ワンスオンリー) 、ログイン時の認証機能により、書類の押印が不要等のメリットがあるということです。(経産省ニュースリリースより  https://www.meti.go.jp/press/2019/12/20191224003/20191224003.html

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横断歩道では一時停止をしっかりと

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昨年何度か長野市で仕事をする機会がありました。行く都度目についたのは、横断歩道で人が渡ろうかとしていると、そこに差し掛かった車の7、8割が一時停止をしているということです。初めはさほど気にもならなかったのですが、タクシーもバスも一般乗用車も関係なく皆さん一旦停止をなさる。しかもその道路は長野駅から善光寺へ伸びる、片側一車線ではあるもののメインストリートの一つで、路線バスや観光客を乗せたタクシーなどがビュンビュン通る道路です。私も何度も車が止まってくれました。これ、富山ではまず見られない光景です。


善光寺のお膝元だからだろうか、歩行者に優しい人たちだなあと長野市のドライバーの「マナー」の良さに感動していた矢先、先だって自動車運転免許センターで講習を受ける機会があり、そこで驚くべき調査結果を聞きました。

それは、信号機のない横断歩道を歩行者が横断しようとしている場合に一時停止する車がどれだけあるかを調べたJAFの調査結果です。もちろん全車ではなくサンプルではありますが。ちなみに、信号機のない横断歩道を歩行者が横断しようとしている場合、クルマは一時停止しなければならないというのは、交通法規であり、違反した場合、それが「横断歩行者等妨害等」の認定をされると2点減点となります。そうです、「マナー」ではなく「交通法規」なのです。

調査結果では、我が富山県は全都道府県中44位という情けない結果。5.3%しか止まってくれないということでした。実際体感的にはそのくらいだろうと思います。私の家族が、ある時横断歩道を渡ろうとしていた人がいたため、停止線で一時停止をしたところ、後続車に追突され車が大破、全損(幸い家人にはケガなし)という事故に巻き込まれたことがあります。後続車のドライバーはハンドルを握りアクセルを踏んだ状態で、スマホとにらめっこをしており、横断歩道の手前で車が止まるなんて想像しておらず、そのままのスピードで進行した、まさか先行車がそこで止まるなんて、ということでした。(当然ブレーキランプは・・・ドライバーが前を見ていれば目に入ったはずですが)

誠に情けない我が富山県に対して、くだんの長野は、なんと68.6%。堂々の一位です。それでも7割ということで、法律違反をしている車が3割あることはあるのですが。しかし、歩行者が横断歩道を渡ろうという時にそれほど恐れを抱かずに横断歩道に足を踏み入れることができるし、ドライバーも横断歩道に差し掛かる際には、そこを渡ろうとする人がいるかも、という前提で若干スピードダウンして通ろうとします。実際長野市で見た多くの車両がそうでした。この違い、一体なんなんでしょう。

ちなみに、この調査は2016年から毎年JAFが行っているもの(2019年調査結果はここに掲載されています⇒
https://jaf.or.jp/common/safety-drive/library/survey-report/2019-crosswalk )だそうで、当然毎年パーセンテージも順位も異なりますが、私たち富山の人はもう少しちゃんと交通法規を守らなくてはならないのではないだろうかと真剣に考えさせられました。家族でもよく話し合いをしようと思います。

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ロボットプログラミングの授業(小学生向け)のこと

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ご縁のご縁のご縁で、ITマスターという役割をいただき、時々お仕事をいただいています。もちろんジェダイの騎士のようなことはできません。小学生から高校生までを対象に、将来の職業としてIT関連の仕事を選んでもらえたら良いなあという厚労省系の施策の一環です。

2017年度から取組が始まり、初めの頃は職業体験イベントでのお披露目が中心でした。本来は小学校高学年向けに作られたカリキュラムということで、担当の職員さんが各小学校などを回り、出張授業を受けてみませんかと提案しておられた甲斐があり、2年目からはあちこちの小学校で出張授業を実施してきました。

いよいよ来年度2020年度からは小学校でプログラミングが授業で必修化となるということもあり、この一年は随分多くの小学校から引き合いがあり、私たち講師陣も大忙しでした。珍しいということからか、テレビ、新聞などマスコミの取材も結構ありました。ありがとうございました。

毎回20~30人の生徒を対象に実施するということで、実機を使うため、操作指導をする必要があります。かつ受講者全員がある程度は触って実感できるようにするという目標があるため、一人の講師で対応することは極めて厳しいものがあります。
おかげさまで私と同じITマスターの登録者が増え、小学校からの引き合いの増加とともに、一回の授業で同時に数人のITマスターが携わって授業を作ることができました。その都度メイン講師も持ち回りでできるようになり、他の講師の語りや進行の仕方など、毎回とても勉強になりました。 自分でもインストラクションプランは作りましたが、講師によってはA3数枚にわたる進行表(すごい!) を作っていた方もおられました。

今日が今年度の最終回でした。富山県西部の某小学校で5年生総勢61人が参加し、人数が多いので1、2限目と3、4限目の2回に分けての実施でした。基本的な進め方はカリキュラムに沿って同じやり方なのですが、子どもたちの発想は実にユニークで、毎回楽しく授業を進めさせてもらいました。来年度は正規の授業としてプログラミング(ロボットということではないのでしょうけど)が導入されるため、恐らくこの授業に対するニーズは大きく減るような気がしますが、一般的なプログラミングとロボットを使ったプログラミングは必ずしも同じではないので、案外またニーズが続くかも知れません。

ITマスターとしての役割はまだ他のメニューもありますので、今後も精進が必要なようです。がんばらなくっちゃ。

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久しぶりのチーム・コンサル

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過日、ある先輩診断士から声をかけていただきました。長い付き合いの、ある中小企業の経営者から「後継者のことで、複数の候補者がいるが、誰にすべきか悩んでいる」という相談を受けた。ついては、それら複数の候補者から絞り込むための知恵を一緒に考え、提案したい、とのことでした。先輩は私ともう一人の診断士に声をかけられ、チーム・コンサルがスタートしました。

初回は社長へのヒアリングです。進め方については腹案をリーダーに示してはいたものの、実際に経営者の思いを直接伺うことが大事だとの判断で、進め方の案を事前に出すことはしませんでした。ヒアリングの結果、複雑な事情も教えていただき、その辺りも考慮しつつ、進めることが必要であるとわかりました。
とは言え、誰を後継者にするか決めるのは現・社長である、ということはチーム一同共有認識として、以下のように進めました。

まずは後継候補者へのインタビューです。この時の留意事項は、「あなた方は後継候補者です。これから選抜面接をします。」といったようなことは言わないことです。もちろんケースバイケースで、そのように伝えてインタビューをした方がいい場合もあるでしょうが、今回はそれについては触れずに、皆さん幹部であり今後会社がさらに良くなっていくために現在の問題点や課題についてお聞かせいただき、後日幹部でその解決策等の話し合いをする、という説明にしました。

インタビューの結果を整理し、次に、後継候補者である幹部たちに同席してもらい、グループディスカッションを行いました。インタビューで出された問題点や課題については、あらかじめコンサルチームでその背景にあると想定される一般的な原因について仮説を立て、マップにしておきました。マップはあくまで仮説ですので、「参考になさっても結構です」という言い方でマップを見ていただきながら、多数出された問題点や課題の中から、幹部の皆さんに緊急度と重要度の高いものを選んでいただき、それらについて付箋紙を使って原因の深掘りをしてもらい、さらに付箋紙を使って対策案を検討していただきました。

その間、私はファシリテーションの真似事のようなことをして進行のお手伝いをし、もう一人の診断士は観察役(及び記録役)を担いました。誰が次の経営者に相応しいか、など、一回や二回の面談やミーティング観察で赤の他人が判断できるものではありませんが、少なくとも気心の知れた間柄で交わすディスカッションの様子を見ていれば、誰がどんな時にどんな言動をするかの普段の癖(やその背景にある考えの深さ・浅さなど)が知らずに表れてきます。それを観察し、記録し、経営者に提示することで、経営者にとってもっとも望ましいと思われる言動をしている人が誰なのか、についておのずと経営者が判断できる材料を提供することができるのではなかろうか、と考え、上記のような進め方をしました。虚心坦懐の観察がとても重要です。

後継者にはどなたがなってもおかしくはないのでしょうが、誰かに決めなくてはならない。いずれ経営者にも引き時がありますので、後継者をしっかり決め、内外にそのことを示し、自身は後見役として支援&指南を行う。そうした承継ができれば、事業はしっかり次世代につないでいくことができるのではないかと感じます。しかしもちろん問題はこの先も山積しています。誰かに決まったとして、他の幹部はどう出るか。場合によっては会社を後にする人が出てくるかも知れず、しかしそれが損失であると経営者が判断するならばしっかり引き止めねばならず、そのためには待遇をどうするか、どういう期待役割をその人に伝えるか、なぜ他の人なのかをどう伝えるか、など、やらなくてはならないことはまだまだ沢山あります。

色々と勉強にもなった久ぶりのチーム・コンサルでした。

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コンタクトセンターのマネジメントと交流分析

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経営コンサルタントの仕事をしている中で、時々「交流分析」(米国のエリック・バーンが創始した心理学)の知識を活用する場面があります。

今回は、ある企業のコンタクトセンターにおけるマネジメント力向上のお手伝いでの事例です。そのコンタクトセンターには、業績のさらなる向上、従業員が明るく元気に働けるような環境改善、などの課題がありました。

組織の長である店長さんたちと個別に話をしていたところ、それぞれ店長さんも係長さんたちも、毎日忙しく業績向上に向けて数字の管理やオペレータさんたちの後処理やクレーム対応などで働きまわっていることがわかりました。しかしなんとなく職場のムードが沈滞していたり、業績がなかなか上向かない、やる気のなさそうな人もいる、ということでした。

よくよく聞いてみると、店長さんがみんなに「おはよう」といった挨拶をしていない、店長(男性)によっては女性が多い職場での勤務経験があまりなく、どう対応して良いのかわからない。下手に声をかけるとセクハラだと言われるのではないかと恐れ、結果として誰にも挨拶の声すらかけられなくなってしまっている、そんな状況が見えてきました。

これでは仕事をする以前だ、と感じました。各店長さんの個別の課題はそれぞれまちまちですが、コミュニケーションレスの問題はかなり多くの職場に共通していそうだということが見えてきました。朝起きて挨拶しない家族はない(ちょっと極論ですが)、ということを引き合いにお示ししました。

その上で、まず、係長さんたちに所掌のオペレーターに対して朝必ず自分から声をかけるように伝えて下さい、とお願いしました。そして、マネージャー自身が身をもってそれを示すことが大事なので、店長さんは少なくとも係長さんには必ず声をかけ、できれば何か褒めてあげて欲しい、なんでもいいから、と伝えました。その上で「交流分析」のストロークの話をしました。

・人はストロークを得るために生きている。ストロークを得ることがなければ生きていられない。ストロークには肯定的なものと否定的なものがある。それらを決めるのはストロークの発信者ではなく受け手である。叱りつけるのもストロークだが、できれば人は自分にとって心地よいストロークを得たいと思っている。否定的に感じるストロークも条件をつけて「〇〇だから良くない」という風に伝えれば、教育的な効果があるので、否定=だめというものではない。しかし、最もやっていけないのは「無視」である。

皆さんの職場の方々の多くは、この「無視」の状態に置かれていたのではないでしょうか。それでは仕事にしっかり取り組もう、この会社で頑張ろうという意欲など生まれません。従って、可能な限り、オペレーターも含め全員に挨拶ぐらいはやって下さい、というお願いをしました。

店長さんによっては「受注したらその瞬間に褒めます」と宣言をしてご自身のマネジメントのあり方の変革を始めた方もおられます。有言実行。その結果、自分から「売りましたよ」と店長席まで報告に来るオペレーターさんも登場したそうです。これまでオペレーターが店長席に来ることなどなかったのに、と仰っていました。ストロークの効果絶大です。

またある店長さんはオペレーター全員と面談をしたそうです。これまではオペレーターと面談などしたことがなかったようです。こちらから直接働きかけて会話をするということ自体、はばかりがあったようです。

その結果、職場の様々な問題点や自身のマネジメントに関する要望も沢山聞けたようです。中には個人的な悩みの相談も・・・。

次の課題はそこです。職場のトップとの直接のコミュニケーションができるという安心感、話を聞いてもらえるんだという信頼感が醸成されると、次に出てくる課題は「交流分析」でいうところの「心理ゲーム」です。もちろん、このコンサルティングは「交流分析」の授業ではないのて、心理ゲームや時間の構造化という専門的な言葉を多用するわけにはいきませんので、「コミュニケーションの段階が深まっていくと、人によっては無意識に相手を自分の心の闇に引きずり込もうとする人が出てきます」という警告を発しています。既にそういう場面に出くわした店長さんもあったようです。今後さらにそういう人が増える可能性があります。しかしそれは悪いことではなく、それだけあなたが信頼された証しです。ではありますが、あくまで会社でありビジネスの世界なので、ある程度は話を聞いても途中で仕事そのものの話に戻すことが必要です、と助言しています。さすがに「交差交流をしてみて下さい」とは言えません。

そんな風に経営コンサルティングにおいても「交流分析」の知識が役に立つ場面が色々あります。

ところで、コンタクトセンターの経営に関して何か参考になるものがないかと探してみたら、良さそうな参考図書があり2冊購入し、ひもときながら仕事をしています。たまたま2冊とも同じ方の著書でした。

『コールセンターの経営学』『戦略的コールセンターのすすめ』(谷口修氏著)

随所にいいことが書いてあります。「オペレータは、業務時間中、電話や画面越しに顧客と向き合い続けている。(中略)休憩時間を除いて、社内のメンバーとコミュニケーションを取る時間はない。一日の業務を振り返って、「対話をした相手は顧客だけ」という状態では、企業への帰属意識もチームワークも生まれない。(中略)家庭や友人関係についても話し合うことのできる仲間の存在が長時間の仕事に耐える拠り所になるはずだ。(中略)交換日記を行っているセンターも数多い。」「センターは、業務自体が単純ではなく、複雑化、高度化していく顧客対応に追随する専門能力を持たざるを得ない組織だ。(中略)そのような組織に、経営陣が直接日頃の努力を労うことや、献身を感謝する言葉をかけるということでセンターのメンバーは、大いにモチベーションを上げることにつながる。<経営陣の理解が必須>」「執務環境のベースとなるのが『職場の明るさ』だ。皆と達成感を共有して喜びあい、わくわくするような楽しい雰囲気が職場を活性化させる源となる。そこにはリーダーのスマイルが不可欠だ。」などなど。

まるでこの本に書いてあることを自分が読んでいたのかなと思うくらい、共感するところが多いです。交流分析の知恵を生かしながら、個別業界のことも勉強してコンサルティングのレベルを高めていかなければと思います。

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陳舜臣さんの『小説 十八史略』再び

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雑誌「財界」の副主幹だった伊藤肇さんが著書の中で、日産コンツェルン総帥の鮎川義介氏から「十八史略の中に4517人の人物が登場している。しかもその登場人物の性格が全部違うんだ。したがってこれを徹底的に研究すれば、おのずから人間学とか人物学とかが身についてくるのだ。読めば読むほど味わいが出てくるし、人生が深くなる。何しろ無数の人間が気の遠くなるような長い時間をかけて織りなした壮大な社会劇が『十八史略』なんじゃかなら」と言われ、その足で神田の古本屋にとんでいった、と書いておられます。さらに、買ってはみたが『十八史略』の読み方がわからず、再度鮎川義介氏に教えを乞うたところ、安岡正篤氏について学びなさい、と言われ、爾来安岡正篤氏を師と仰いで学びを深めた、というエピソードがあります。

安岡正篤氏につこうと思っても既にこの世になく、伊藤肇さんもずっと前に鬼籍に入られましたが、幸い私のような庶民にも手の届くところに、陳舜臣さんが「小説」という形で全六巻ものの文庫本を残してくれています。

四巻目に入ってから、よく知っている(つもりの)三国志になり、興味が途切れてしまい、途中で放置した状態でかれこれ10年ぐらい経ってしまいました。久しぶりに書棚から取り出して、続きを読んでみると、やれ面白い、やはり面白い。孔明が亡くなり、生ける仲達が走り、とそこまでは悲報五丈原という感じですが、その後の晋建国から八王の乱に至る歴史がまた凄いことになっています。

晋の建国者は司馬炎ということになっています。しかし実質は祖父の̪司馬懿仲達が魏で実権者になっており、その子の 司馬昭も魏の重臣となり、そこから司馬炎に至るまでは紆余曲折がありつつ、魏の皇帝から禅譲を受けるという形で晋を建国します。司馬仲達や司馬昭が魏を奪わなかったのは、魏の禄をはみながら王位を簒奪した悪者、と後世言われないように慎重にことを進めた、と書かれていました。これは多分に前漢から王位を簒奪した王莽の言われようが当時もひどい悪者として扱われていたからであろうと思います。

さてこの晋の初代皇帝の司馬炎。三代目ともなると相当なボンボンだったようです。口を開けて天を仰いでいたら棚から牡丹餅よろしく天下が転がり込んできたような塩梅ですから、仕方のないことかも知れませんが、親の教育がなってなかったのかも知れません。呉を滅ぼし、天下統一を成し遂げた直後、天下安寧のために徳政をしたわけでもなく、司馬氏の安寧のために行政制度をしっかり整えたわけでもなく、「呉の国には美女が多いそうだから5千人ほど美女を連れてきて皇宮に入れろ」と命じたとか。

そんなこんなで彼の皇宮には1万人もの女性がいたそうで、毎晩その女性たちとの時間を過ごすのですが、彼女たちはそれぞれ自分の部屋を持っており、件の皇帝さんは選ぶのが面倒で羊のひく車に乗って部屋の前をめぐり、羊が止まった部屋に入っていったとか。女性たちもさるもので、羊に止まってもらうために羊の好きな「竹の葉」を部屋の前にさし、羊の好きな「塩」を地面にまいていたとか。飲酒店が店前に「塩」をまく習慣はここから来ている、と陳舜臣さんは書いています。へええーっという歴史のエピソード。

司馬炎は26人の王子を残し、行政体制をしっかり整えぬまま55歳でこの世を去ってしまい、その後残された奥様たちや子どもたちで天下大乱が続き、後の世に「八王の乱」という内戦がもたらされ、結果晋の疲弊と再びの不安定な三百年(五胡十六国時代と南北朝時代)につながってしまいます。じいさんの司馬仲達や父の司馬昭の慎重なことはこびが雲散霧消してしまうことになってしまいます。

私たち経営コンサルタントの仕事でも、人との関わりがとても多く、歴史に学ぶべきことも沢山ありそうです。十八史略、またおいおい読んでいこうと思います。(鮎川さんは何度も何度も繰り返し読め、と言っているようですが、まだ一回目の途中。道は長い・・・)

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アナログコミュニケーション実践編

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倉益幸弘さん率いる「株式会社インパクト・コンサルティング」の支援現場に同席させていただいてから4年半になります。機会を見ては付箋紙を使ったアナログコミュニケーションの真似事をさせていただくようにしています。

先日は、ある組織のある部門で「新しい事業の提案があったが、具体的にいつ誰が何をするのかがまったく考えられておらず、このままでは始まらない」という相談をいただき、すかさず「付箋紙会議」の提案をしました。

現場の責任者・実務者など最低3人、できれば5~6人くらい集めて下さい、とお願いし、大きめの付箋紙とマジックと模造紙の用意をしていただきました。あいにく模造紙は伝わっておらず、使っていないカレンダーの裏面を張り合わせて模造紙もどきを作って行いました。

今回のテーマのポイントは、提案されている新規事業を実施するために、具体的に何をしなければならないかが、関係者の間で共通の認識になり、それを誰がいつやるか、についても関係者が共有することです。実施すべきことと実施すべき人が決まれば、あとはやるだけです。

先に発想するためのガイドを提案しました。「許認可」「ハードの整備」「人のスキルや雰囲気などソフトの準備」「集客」などです。これにこだわる必要はなく、これ以外のアイディアが出てきてもどんどん出していただきます。ガイドはあくまで発想のための呼び水のようなもので、「人」「モノ」「金」「情報」といった枠の提示でもなんでも良いと思います。

参加されたメンバーにそれぞれ何をしなければならないかを考えてもらい、考えたことからどんどん付箋紙1枚に1件記入してもらいます。この「1枚に1件」が大事で、極力キーワードだけを書いてもらうようにします。

書いていただいた付箋紙を模造紙もどき(もちろん白い面)に貼っていきます。今回は時間軸を最初から横軸に取るようにしました。書いていただいたものをどんどんいただきます。ある程度貼ってから、少しずつ整理していきます。一枚一枚について、意味や内容を確認します。同じ内容のものがあれば隣に貼ります。一枚も「これは無関係だ」と言ってはずしたりすることはありません。こうすることによって、皆さん自分の出した考えが大切に扱われているという誇りが芽生えます。とまあそれほどおことはないにしても、少なくとも悲しい気持ち・失望・挫折感を味わうことはありません。一枚一枚を丁寧に扱うことも大事です。どうしても今回のテーマと関係なく欄外にずらす場合でも、書いた人の同意をもって確認してからずらすことが望ましいです。

付箋紙会議のやり方(一部)

書いてある付箋紙が具体的ではない場合、「これを具体的にするにはどうしたらいいですか?」とか「これの前にすべきことはありますか?」などと聞いて、皆さんから声を出してもらいます。出てきた意見をまた誰かに付箋紙に書いてもらい、それを発問のきっかけになった付箋紙の下や左側や右側など、時間軸を意識して関連付けて貼ります。

メンバーが同じ方向を見ながら一緒に文字を見て、ずれがあれば合わせるための付箋紙を新たに追加し、それをまたみんなで見て、ということを繰り返していると、ファシリテーターが発言しなくても、メンバーの方から異論や疑問や建設的な新たな提案などが出てきます。・・・といったような議論の活性化と認識の共有が短い時間で形成できるのがアナログコミュニケーション、付箋紙会議のメリットではないかと思っています。

仕事の量やリミットが見えてくると、従来の担当決めだけに縛られない、自由な発想が出てきます。仕事の担当決めに従ってものごとを考えていくと、特定の人に負担がかかりすぎたり、組織の硬直化を招いてしまう恐れがありますが、やるべきことを洗い出してからやる人を考えると、ものごとの優先度にあった人のアサインがやりやすくなります。もし担当としてみんなで決めた人にその仕事をするためのスキルが足りない、となった場合はみんなでどうサポートするか、という議論もできます。

こんな感じで進めてみた結果、参加したリーダークラスの方からは、「一人で事前に考え、ある程度完成に近いものができていたと思っていたが、現場の人とこういう風に話し合うと、想像もしていなかった問題点が明らかになったし、吐き出すべきものを全部吐き出し、取組事項と役割分担もできてスッキリした」というコメントをいただきました。

このグループのミーティングの進め方を、近く、組織全体に紹介する予定です。紹介するのはこのグループのメンバーです。各グループで同様のミーティングを実施してもらい、組織の再活性化に活用していただくことができればと思っています。

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歴史の見方が変わっていくことについて

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先日ラジオを聴いていたら、私たちが小中学校で教わった江戸時代は「士農工商」という縦型の身分社会だったというのは、後の世に捏造されたものだったという話が出ていました。

そもそも「士農工商」というのは中国から来た概念であり、しかも「全ての職業の人たち」というような意味合いだということでした。「農」が「工」や「商」よりも上位に位置付けられていたということはなく、それらが4階層のピラミッド構造になっていたという事実もないという話でした。

教員を務めている親族に聞いたところ、確かにそのとおりで、階層は、武士の下に「町人」と「百姓」が並立していた、というふうに今の教科書はなっているそうです。この辺のことはネットにも既に沢山書いてありますね。

しかも百姓というのは農民だけのことを指すのではなく、色んな職業の総称だということです。当時差別されていた人たちはそのさらに下、ではなく、「外の人」という位置づけだったという話もありました。

網野善彦さんの歴史書にはヒーローが出てきません。多くの歴史書は人物中心で描かれており、その人物がどのような立派なことをなしたか、それによって日本という社会にどういう影響を与えたか、という観点で書かれており、読めば納得し感心し記憶に刻み込まれていきますし、そのような歴史書は読みやすいです(私の場合、ですが)。そんなわけで、ついつい敬遠しがちでした。

しかし今回上のような話を聞いて、そういえばそんなことを研究して世の中の日本の歴史観を見直させてくれたのが網野善彦さんの色々な著述ではなかったかと思い起こし、『日本の歴史をよみなおす』を紐解いてみました。

網野善彦氏の著『日本の歴史をよみなおす(全)』(ちくま学芸文庫)

書かれていたのは、縄文や弥生の時代には恐らく差別はなかったということ、13世紀頃までは文献を見る限り差別はなかったということ、13世紀後半頃から「人間と自然のかかわり方が大きく変化してきたこと」「自然がより明らかに人びとの目に見えてきたが故に、ケガレに対する畏れが消えていった」「それにともなって、ケガレを清める仕事に携わる人びとに対する忌避、差別感、賤視の方向が表に現れてくるようになった」。しかしそれだけではなく、「日本の社会において悪とは何か、・・・いかに考えるべきかについて、かなりきびしい思想的な緊張のあった時期だった」ともあります。その前は神仏の奴婢として「聖なる方向に区別された存在」であったり、「畏れられていたケガレを清める力を持つ聖別された職能民として社会の中に位置づけられていた」、「権威をもって威張っていた」「商売もしていた」「なんらかの事情で平民の共同体からは排除されていた」が、「裁判の訴状には自分たちはこれこれの仕事をしているとても重要な職業の者だということが書かれている」など、差別とは違う属性を持っていたことが文献から読み取れる。しかし徐々に自然への畏怖心の変化とともに、区別が差別に変わっていき、さらに江戸幕府でそれを固定化した、ということのようであり、決して昔からずっとそうだったわけではない、というようなことが書かれていました。一遍上人をテーマに描いた同時代の正反対の書物『一遍聖絵』と「天狗草子」に関する記述も面白かったです。

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アメリカの歴史

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アメリカは一つじゃない、ということは、アメリカに限らずどこの国でも同じことなのでしょうが、外と対峙する時のかの国の力強さを考えると、なんとなく一枚岩の国なのかなという錯覚に陥っています。

その、時として一枚岩に見えるアメリカにおいて、国を二分する大戦争「南北戦争」が起こった理由や、どういう経緯で終結に至ったのか、戦後の国内の分断や国民相互の不信感は修復できたのか、など、知らないことだらけだと思い、アメリカの歴史、特に南北戦争のことを少し調べようと思い、図書館で『アメリカ史』(紀平英作編、山川出版社)という本を借りてきました。

日本は、古くから中国や朝鮮半島と交流があるため、歴史の学習において、中国の歴史も一緒に学ぶことが多いです。しかし編者の紀平さんも書いていますが、1853年にペリー提督が軍艦4隻を率いて浦賀にやってきた時を境に、アメリカは海を挟んだ隣の国として極めて近い関係にあり続けてきました。当時のアメリカの人口は、アメリカ統計局のデータから類推すると3,000万人に満たず、恐らく日本の人口よりも少なかったと思われます。(1850年 2,319万人、1860年 3,144万人 アフリカから連れてこられた人々がこの人数に含まれているかどうかまでは確認に至っておらず)http://ocw.nagoya-u.jp/files/221/lec10.pdf
そんなことも私は知りませんでした。考えたこともありませんでした。 しかし19世紀のアメリカは帝政ヨーロッパの動乱と産業革命後の需要をうまく取り込んで、めまぐるしい工業化と領土拡大と経済発展を成し遂げていたようです。

アメリカが国として太平洋岸の土地を自らの領土にしたのは1846年だということです。しかしそれは北部のオレゴンであり、その後メキシコ領だったカリフォルニアなどをメキシコとの戦争で1848年に獲得。日本にやってきたわずか5年前です。

この本を読んで初めて知ったことのもう一つ。今のアラスカ地方は、1763年頃はロシア領だったということ。アメリカがロシアだった・・・というと言いすぎですが、少なくとも北部の一部はロシアが占有していた時期があったということで、米ロ関係ということを考えると、近親者なのかなあと思わざるを得ません。ロシアからすると、お宅のこの辺は250年前はウチだったんだよ、という感じでしょうか。しかも当時はイギリス領とフランス領とスペイン領というものと同列にロシア領があり、アメリカという独立国が存在しない時期です。

上部(北部)左側がロシア領

さて、なぜ南北戦争という同国人での争いが行われたのか。1807年に奴隷貿易禁止法というものが制定されたとのことです。差別禁止という考え方もあったようですが、もっと大きな声はアメリカを白人だけの国にしようという意見であり、そのために黒人をアフリカに返そうという考え方だったようです。そのためにアメリカはアフリカの一角にリベリアという国を作り、そこへアメリカの黒人を引っ越しさせようとしていたようです。みんながみんな同じ考え方ではなく、色んな考え方があって、そのうちの一つではあったようですが。

法制定当時は、多くのアメリカ人が奴隷制は自然消滅するだろうと考えていたとのことです。しかしイギリス産業革命が進展して、アメリカ南部で栽培されていた綿花への需要が増大して、綿花栽培の担い手である奴隷が必須だったため、奴隷制が息を吹き返してしまったということのようです。一方北部は自国で工業化を進めればヨーロッパに高く売れるとばかりに紡績工場を作って木綿をどんどん製造した、ということです。外国から工業製品が安く入ってもらっては困る北部工業地域の人たちは関税を上げようとし、最高税率40%という時期があったそうです。他方南部の人たちは安く輸出したいがために、関税には反対。そんな南北の利害相反が相互の関係を悪化させていったようです。

長らく、南北の上院の人数は、色んな知恵を出しながらうまく妥協して同じ人数になっていたようです。しかし、徐々に北部が、人口では2.5対1、工業生産額では10対1、農場面積で3対1というふうに南部よりも圧倒的に力を持つようになり、国会議員の数も北部が多くなるという状況になり、南部にとって不利益を蒙るような関税率が維持されたようです。その結果、南部にとってこの合衆国にいると損する、という判断が働いたようで、合衆国から離脱し、南部の6州が「アメリカ連合国」という独立国を樹立した、ということです。それに対して時のリンカーン大統領は、アメリカ全土で選ばれたという正当性がゆらぎかねないと自分の立場を維持するために、彼らは反乱分子であり、討伐しなければならない、とばかりに戦争を始めた(戦端を開いたのは南部だったようですが)、というようなことがこの本には書いてありました。

私なりの解釈でつづめて言えば、関税をかけたい人とかけたくない人の意見の相違があり、関税をかけられ続けては困る人たちが「そもそも独立州が集まって連合しているだけなのだから離脱しても構わない」と考えて離脱し、オレの正当性はどうなる!と怒った行政トップがその動きを潰しにかかって始まったのが南北戦争だった、ということのようです。イギリスやフランスは、アメリカが一枚岩ではなく分裂してくれていた方が世界のパワーバランス上は良いとの考えで、南部を応援しようとの思いもあったようですし、南部もヨーロッパは自分たちに味方してくれると期待していたようです。そうこうするうちに、南部の奴隷を解放すれば、北部の戦闘員として使えるという打算もあり、南部地域に対する奴隷解放令を(最初は準備令だったようです)出し、その効果として南部から多くの奴隷が逃げ出して北部の軍に参加し、そんなこともあり、1861年に南部エリア内にある北部の砦を南部が陥落させて始まった南北戦争は丸四年、双方62万人の死者を出して1865年4月に終結したということでした。

しかし驚くべきは、戦死者の3倍の人が戦争中の野戦病院、便所などの不備や不衛生など戦闘以外が原因で死亡したということ。日本が第二次世界大戦でインパールや南洋の島々で戦闘以外で大勢の死者を出したことと同じようなことを、その100年前に彼らは経験していたということ。アメリカは合理的な国だと思っていましたが、合理的になる前に、そういう非人道的な失敗を沢山やってそれを乗り越えてきたということ。その一方で、リンカーンは偉人かも知れないが、黒人を白人と平等だとはまったく考えておらず、差別の対象として見ており、国から出て行ってもらいたいと考えていたこと、つまり奴隷解放は差別撤廃ではなく自分たちだけでこの国を運営していくためにいらない人に出て行ってもらうための前段階の政策であり戦争に勝つための一時しのぎの策だったこと、など知らなったことが沢山ありました。

隣の国なのに知らないことが多すぎます。また勉強しなければ。

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キャッシュレス決済失敗の記(メルカリ/セブンイレブン編)

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年の初めから、今年10月に予定されている消費税率引き上げに伴うキャッシュレス決済・QR決済の普及促進のためのポイント還元やキャッシュレス端末導入補助など、世間ではキャッシュレス決済に関する話題にことかきません。あちこちで事業者向けのセミナーも行われ、経済誌なども特集記事を組んでいます。

私もご多分に漏れず、いくつかの「pay」サービスのアプリをスマホに入れ、銀行口座やクレジットカードとの括り付けを行ったり、現金情報をチャージしたりしたものの、支払の際に「なんとかペイで」というのがなんだか面倒でこれまで使っていませんでした。

しかし先日ある先輩診断士のブログ記事を拝見し、この連休中、メルペイというメルカリの決済手段を使うと50%のポイント還元が行われることを知りました。しかもセブンイレブンでは70%のポイント還元という(還元の上限は2,500ポイント=2,500円相当)大きな還元率とのこと。これは早速やってみなければとメルペイをはじめ、またいくつかの「pay」サービスのアプリをスマホに入れて各種の設定を行いました。

そして今日、勢い込んでセブンイレブンに行き、あれこれ買物をして「支払はメルペイで」と店員さんに告げました。店員さんは慣れたものでバーコードリーダーを私のスマホ画面にかざし、ピッという音はなったのですが、首をかしげて疑念顔。「少々お待ちください」と別の店員さんに相談して帰ってきて仰るには「セブンイレブンではメルペイはまだ利用できません。」との答え。えええっ?と思い、レジカウンターに貼ってある「メルペイ利用できます。70%ポイント還元」という内容のステッカーを指し、「ここに書いてありますが」と言ったところ、「iDの登録をしていただかなければ利用できません」とのお返事。

折角ここまで来て現金払いはしたくないなあと思い、それ以外の「pay」サービスを模索したのですが、私の持っているいくつかの「pay」サービスはセブンイレブンではどれも使えず(交通系ICカードはあるのですが、それを使う新鮮味はないので使用せず)、結局現金払いとしました。

一旦帰宅して調べてみると、今回のメルカリさんのポイント還元施策には、①チャージした現金情報(=メルペイ)またはメルカリで何かを販売して得たポイントを、バーコードを提示して支払する方法と、②スマホのおサイフケータイ機能(iD)を使って上記メルペイまたはポイントの支払いをする方法との2種類があり、セブンイレブンは②のみということのようです。背景には、セブンイレブンが今年(7月頃?)自社の独自仮想通貨を出す予定のため、新しい決済手段に対応するための設備投資や教育などをしないという判断があるのかも知れません。

私のスマホは残念ながらiD機能を持たない古い機種のため、セブンイレブンでのメルペイ支払はできないことがわかりました。しかしバーコード支払は他のコンビニや松屋さんなどでできるということだったので、気を取り直してローソンへ。店員さんに「メルペイで払います」と伝えると最初は戸惑ったような反応でしたが、少しゆっくり説明するとご理解いただけ、「あ、ペイね」とバーコードリーダーを取り出し、決済は無事完了。明日には支払額の50%203ポイントが還元されることでしょう。

 後日譚。支払った金額の50%(端数切捨て)に当たる203ポイントが、今日の午前1:40に還元されていました。早速使おうと思いましたが、今日5月5日はローソンには行かず、ファミマだったため、LINEpayで支払をしました。654円の決済でついたポイントは22ポイント。3%分程度はリターンがあったということになりますね。しかもその後、くじ引きとかいうのがあり(もちろんスマホ上で、ですが)1円当たり喜んでいる有様です。こういうのは当然全て販促費としてLINE会社の収支で見た上でそれでも儲かるようなビジネスモデルなのだろうなあと同社の決算書に思いを馳せているような次第です。

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