「価値観」の力

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ある仕事で、企業の経営者の相談相手として伴走的に関わるということをしています。「経営力再構築の支援」というような言い方がなされている業務です。「経営力再構築」とはどういう状態からどういう状態になることを指すのか、あまり明確な定義があるわけではないようですが、経営者がこれまで気づかなかった会社内の問題やなるべく考えないようにしていた問題などに、経営者が目を向け主体的に解決に取り組むことを目指しているようです。

その仕事を始めて約一年が経過しますが、いくつかの企業と取り組んでいる中で、「価値観教育」と「組織力強化」がとても大事であり、かつこれらの企業に共通した課題だなと最近感じています。そのうち「組織力強化」は組織の中間にいる人たちのマネジメント行動(もちろん「考え方」が前提として必要です)ができるようになることです。「価値観教育」については、社員が10名ぐらいの間は、大抵の場合は社長と社員がいつも同じ釜の飯を食べるといった、物理的にも心理的にも近い間柄のため、ことあらためて価値観を合わせるようなことは必要ないのですが、規模が大きくなって行ったり、中途入社の人が増えて行ったりすると、徐々に社長の思いや大事にしていることや行動基準のようなものが伝わりにくくなっていきます。そのうち組織の崩壊、なんてことにもなりかねません。

成長を志向し、組織力を強化していこうという企業にとっては、価値観をどうしていくかということが大きな課題になるようです。そんなことを感じながら、ハーバードビジネスレビューの2023年4月号「価値観」特集を読みました。

価値観という言葉の定義や、パーパス、企業理念、ミッション、ビジョン、バリュー、経営方針、行動指針など、企業の方針的なことを表す言葉は沢山あり、何が上位概念で何が下位概念かといったことも、言う人によって一様ではありません。この本では、コーポレートバリューという考え方を提唱しています。コーポレートバリューは、①企業が最終的な到達を目指す地点と、②企業および企業の構成員の心構え、の2つの要素で構成される、とのことです。①をパーパス或いはミッションと呼び、②をバリューと呼んでいます。パーパスは社会課題などを背景として自社が社会で果たすべき役割や社会に提供したい価値であり、企業が存続する限り追い求める高邁な理想、内発的に形成されるもの(但し、経営者の独りよがりの「やりたいこと」とは少し違う)であり、多様な人材が一つの組織に集まって協働する理由であり、バリューは、目指す地点(①)にどのように向かうかを規定するものであり、「心構え」だとあります。

目指す方向がずれている人、企業が望むような行動様式が取れない人、をどうするか、といった問題も発生しています。価値観の合わない人、というのが従来の言い方になるかも知れません。ここでは価値観=目標=ゴール(=パーパスやミッション+バリュー)という言い方なので、「目指す方向」というのがが近いように思いますが。そこを目指そうとせず、そのための「心構え」(お客様からの様々な刺激に対してどう反応・行動するかといった従業員に共通的に心得ておいてもらいたい行動の基準みたいなもの)が他の人と異なる場合は、どうするのか。価値観の合わない人は出て行ってもらう、というような簡単なわけにはいきにくい時代になっています。人手不足の問題もありますが、多様性がイノベーションを生む土壌であるということを考えると、そのような人をどうやって包摂していくのか、という難しい課題にも対応していくことがこれからは必要かも知れません。見ないふりをするのではなく、かといって退場してもらうのでもなく、しかし社内での他の従業員との軋轢を放置せず、いかに包摂して自社のパワーを高めていくか。難儀ですがこれからの企業にとって取り組む必要のある課題ではないかなと感じています。

さて、この冊子には、コーポレートバリューを組織内にうまく浸透させることがとても大事であるということや、そのための方法論なども書いてあり、ここでは省略しますが、実務の中でも参考にしていきたいと思っています。

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年齢と仕事

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先日、手塚治虫さんが60歳で亡くなったということが、ある新聞に書いてありました。亡くなった時のニュースには接していたので、何歳で亡くなったかはその時に知っていたはずであり、本来驚くことではないはずなのですが、自分の年齢が亡くなった時の手塚治虫さんの年齢を超えてしまっていること、また年齢が超えているにもかかわらず今も子どものような気持ちで手塚治虫さんが描いたマンガを面白いと感じて読むことがあること、さらには漫画家とコンサルタントの仕事は比ぶべくもないはずなのですが手塚治虫さんがなされた仕事の万分の一もなしていないまま手塚治虫さんの年齢を超えてしまっているという事実に愕然としてしまいました。

手塚治虫さんはわずか60年の人生でいかに多くの作品を作り多くの人に影響を与えたことか。人間60年あれば凄いことができる、と思うとともに、60年を超えて過ごしてきた自分自身は、さてこれからどうしていくべきかという思いになりました。

考えてみれば、昭和から平成に移る時期に、手塚治虫さんだけでなく、美空ひばりさん(享年52歳)、西堀栄三郎さん(享年86歳)、松下幸之助さん(享年94歳)、松田優作さん(享年40歳)、開高健さん(享年58歳)、田川水泡さん(享年90歳)などです。石原裕次郎さんはもう少し早くに昭和62年に52歳で亡くなっていますが、昭和を彩る方々が相次いで亡くなったなあと当時は感じていました。

それはさておき、人の年齢と仕事ということを考えると、伊能忠敬さんのことに思いが至ります。伊能忠敬さんは49歳で隠居し50歳で自分よりも随分若い天文学者に弟子入りし55歳頃から70歳頃に至る15年間をかけて日本国中を歩き回って日本地図を作り上げた方ですが、この方のことを思うと、仕事するのに年齢がどうのこうのということはあまり関係ないのだろうなあと感じます。他にも高齢になってから世の中の役に立つ仕事をした人は大勢います。そんなことを思うと、改めて、今生きていることに感謝しつつ、大きなことか小さなことかには関係なく、組織とチームとそこで働く人たちの活力が高まるよう支援していこうと思うこの頃です。

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今年の目標の整理

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例年年明け早々に目標設定などの一連の作業をしていますが、今年はかなり遅れてこの時期になりました。目標設定においては、これまで読んだ色々な本や会社員時代に学んだことなどを総合していくつかのシートを使ってやっています。

その一つが「マンダラ目標設定&時間管理シート」です。目標はマンダラ状の9マスの真ん中のマスに「今年の目標」を10個程度書けるようにしてあり、それを取り囲む8つのマスには自分が大切だと思う分野を書き、その8つそれぞれにおいても目標を10個程度ずつ書けるようにしてあります。

私の場合は「仕事」「勉強」「家庭」「外部交流・社会貢献」「健康」「余暇」「経済」「スキルアップ(付加価値)」の8つを配しています。「仕事」と「勉強」と「スキルアップ」は同じように感じるかも知れません。たぶん同じカテゴリーでしょうね。人によっては「外部交流(友人や知人との交流)」と「社会貢献」を分けた方が納得感があると思いますし、目標を分類する場合にはそのようにするやり方を勧めている本もあります。

まあ要は自分が書きやすいように分類すれば良いのではないかと思いますが、社会との関りに関することはあった方が良いのではないかと考えています。マンダラマトリックスの右側は一日の標準的な時間割りを書き、その下にはコメントを簡記できる欄を作ってあります。右端1/3程度の所は、縦軸に日を入れ、横軸はマンダラで分類した各項目が配してあります。例えば4月1日に仕事に何時間使い、勉強を何時間やって、家族に関する時間をどれだけ使ったかを書き込むための欄があります。エクセルで作っているので、月の途中でも各分類項目のためにどれだけの時間を使っているか、仕事ばかりに偏っていないか家族のための時間がほぼゼロではないか、などの点検もできます。自分が目標とする理想的な時間配分を表の最下部に入れておくことで、目標と現状がいつでも比較できるようにしてあります。(実際にはこの表はほとんど使っていませんが)

今年は「週1回以上ブログを書く」ことや「よろず支援拠点で行っているノウハウを整理する」こと、「1日1万歩以上を週1回以上実施」などの新しい目標もお目見えしました。4月も中盤に差し掛かって来ましたので、活動的に取り組んでいきます。

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アドバイスという名の自慢話~中野信子さんの『脳の闇』より

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「アドバイスという名の自慢話」・・・やりがちです。それも無意識に。新聞に出ていたこの項目を見て書店に走りました。昨日の日経新聞の記事下広告。中野信子さんの『脳の闇』です。
曰く「一人では解決できない感情に対して安易にアドバイスを与えるという行為がどれほどその人をがっかりさせてしまうことか。」「お勉強がよくできた人ほど、また、承認欲求が満たされていない人ほど」「自分が問題を解いてあげなければ、という課題に一直線に向かっていってしまう」
近く予定しているある研修に必須の戒めが書いてありました。その職場ではお客様を承認欲求の対象にしてはならないことをお伝えしようと思いますが、私自身心せねばと改めて思っています。

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『社員30名の壁超え3つのステップ』

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経営支援の場面では、個人の方の創業からある程度の規模の企業の経営改善や今後の成長課題に関するこtなど、様々な悩みや課題に直面します。この本は、社長のリーダーシップで成長してきた企業が、さらに大きくなろうとした場合に直面する「組織力」について書かれたものです。

極端な言い方になるかも知れませんが、社長が全社員を見ることができ、全社員と気持ちを通わせる規模であれば発生しなかったような問題が、一定人数を超えると発生してしまうということがあります。昔はこんなことに頭を悩ます必要はなかったんだけどなあという声を時々聞きます。専門用語で言えば「スパン・オブ・コントロール」ということと関係しているのかも知れません。

さて、そういった事象は、見方を変えれば成長痛のようなものかも知れません。それを克服するためには社長がいなくてもちゃんと仕事が回るように仕組みを整えていくというプロセスであり、この本にはそのような手順が書いてあります。

1stステップは「理念の浸透」、2ndステップは「中期経営計画の共有」、3rdステップは「HRMの仕組み構築」とあります。このプロセスを順に踏んでいくことで、中間管理者が育ち、個々の従業員の成長ももたらすことができ、組織が大きくなっても基盤がしっかりした状態で仕事をし続けられるというものです。

現在取り組んでいる伴走支援の仕事においても、活用できそうなヒントをいただきました。

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久しぶりに「1/fゆらぎ」を体験してきました~

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桐朋アカデミー・オーケストラ特別演奏会~

富山のオーバードホールで開かれた「桐朋アカデミー・オーケストラ」の特別演奏会を聴きに行ってきました。いい演奏会でした。正味2時間で3曲の演奏。リストの交響詩「オルフェウス」指揮はジョセフ・ウォルフさん。続いてクラリネット奏者の亀井良信さんを加えての、フランセ作曲「クラリネット協奏曲」。譜面台がない。という状態での演奏は、ビックリ仰天ものでした。しかも音域の広いこと広いこと。高音から重低音まで自由自在に吹きまくる、いや、自由自在ではなく決められたとおりに演奏されているのでしょうけど、こちらには全く自由にかつオケとうまい具合にかみあって、という風に聞こえてしまいます。彼の演奏ぶりはとにかくすごいもので、とても説明できません。休憩をはさんで3曲目はベルリオーズの「幻想交響曲 作品14」というもので、休憩中にパンフに書かれていた解説を読んだのですが、なんと失恋の曲。しかも未練たらしく第五楽章まであるというおまけつき。(未練たらしく、というのは私の勝手な解釈です) ベートーヴェンの「月光」は愛する人に思いを馳せて、だったような、曲の背景を映画で知ったような記憶がありますが(「威風堂々」はナポレオンに贈った曲でしたでしょうか?)、これまでほとんどの場合そのような背景を知らずに聴いていました。背景を読んだ上で曲を聴くと、入り込み方が俄然違いました。なんとなく、作曲者の心の映えまで見えるような感覚に陥り、最後は涙腺が緩んでしまいました。素晴らしい演奏でした。指揮のジョセフ・ウォルフさんのダイナミックな動きも大変見応えがありました。

ちょっと最近脳が疲れ気味だったこともあり、2時間たっぷりと1/fゆらぎを浴びまくり、おかげさまで脳の中がスッキリしました。たぶん今脳波を図ると「うれしーい!」という声が聞こえるかも知れません。このコロナ禍のもと、楽団の皆さんは集まって人前で演奏できる機会が少なかったことと思いますが、今日久しぶりにこういう機会を得て、自身脳がすっきりした体験をしたことで、音楽はなくてはならないものなのではなかろうか(不要不急というものではなく)、と結構強く感じました。と同時に、欧米の責任ある方々が日頃からこういうものに触れる習慣を持っているということは、いい音楽を聴いて脳を休め、リセット・リフレッシュさせることで的確な判断をするために必要なことだと知っているのではなかろうか、という気がしました。気のせいかも知れませんが。

ところで、今日の演奏者の方々の顔と名前を一致させたくて何人かのお名前をネットで見ていたら、チェロ奏者でめっちゃ存在感のある渡部玄一さんという方が、実は渡部昇一さんのご子息ということがわかりました。本も著しておられるようなので拝読しようと思っています。

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塩野七生さんの『海の都の物語』

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』の最終巻(文庫では42巻)にアッティラに攻められるイタリア北部の様子が描かれています。一部の人々は塔の上にのぼり、どこへ逃れれば助かるだろうかと考え、そこから遥か海の方に葦のはえている潟まで行けば、何もない所だから、奪われるような財物は何もないから助かるのではないか、と考え、移動した先が後のヴェネツィアになった、ということが書いてありました。『ローマ人』の次は『ヴェネツィア』だ、と決めていました。

学生時代に読んだ高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』という名著があります。私にとっては小室直樹さんの『危機の構造』や山本七平さんの『空気の研究』野中郁次郎さんたちの『失敗の本質』などと同じようなポジションの本です。塩野さんの『海の都の物語』は文庫上巻だけで521ページ、下巻はさらにボリュームがあって607ページ、両方合わせると1128ページという大作です。よって先に、もう一度『文明が衰亡するとき』を読んで肩慣らしをしてから、と思って(第二部 通商国家ヴェネツィアの栄光と挫折を)読み始めたところ、第一章の途中に「ヴェネツィアが海洋貿易にはっきり転換したのは、西暦1000年ごろアドリア海の海賊を退治してから後と言ってよいが、その遠征に至る外交過程はヴェネツィアの外交の巧みさを如実に示している。この過程は塩野七生氏の『海の都の物語』にあざやかに描かれているから、くわしくはそちらを読んで欲しい」とあり、さらにその章の脚注に「始めにヴェネツィアの歴史を知るために読むべき書物をあげておくと、日本では、塩野七生『海の都の物語』(中央公論社 昭五十五)、同続(昭五十六刊行予定)がある。ディティルの描写がすばらしく、それが全体像とつながっている。」という文章に遭遇してしまいました。本文中にも塩野さんの同著からの引用が何カ所かあり、こりゃ、なまくらしてはいけない、高坂さんが引用した本を先に読めということだなと思い、改めて、塩野さんの本から取り組もうと決意しました。

『ローマ人の物語』の二十五年前に書かれたのがこの『海の都の物語』です。私自身は文庫になって、1989年=平成元年にこの上下本を買っていましたが、なにせ分厚いので手にとっては挫折、の繰り返しでしたが、ローマの終焉を終え、ようやくそれに連なるものとして読み終えることができました。

第四次十字軍に関する記述の中にこんな一節がありました。文庫上巻のp198です。「神はわれらとともにある、という確信は、往々にして、自分たちと同じように考えない者は悪魔とともにある、だから敵である、という狂信につながりやすい。私には、それが物欲をともなわない高貴なものであろうとも、絶対に同意するわけにはいかない。」最近また世情を騒がせている新興宗教(?)の協議にも似たような考え方があるように聞いています。塩野さんは「絶対に同意するわけにはいかない」と強い口調で述べておられます。歴史を学び、そこから得られる智恵を活かしていこう(自分勝手ではなく、お互いを尊重し合って、人の自由を侵害しない限りにおいて自由であるというルールが共有できる社会を作っていく)と考えるからこそ、ほとばしり出てきた言葉ではないかなと感じます。私たちが歴史を学ぶ意義の一つが、そういうことではないかなと思います。

さてその記述に続いて、第五次十字軍のことについても少し書いてあります。そこでの主人公はフリードリッヒ二世という人物です。塩野さんの著作にも何年か前に文庫化されたものがあります。

高坂さんの『文明が衰亡するとき』のヴェネツィアの部は、選書で70ページあまりですが、ヴェネツィアの歴史、興隆から衰退に至る経緯をコンパクトに、しかし決して単純な因果論ではない書き方をしてある点がとても考えさせられます。ヴェネツィアは印刷術を商業化し、商業演劇を始め、海洋貿易で財をなし、簿記を取り入れて複式にし、商業銀行を創始した、など、今に通じる様々なものの始まりをなしていることが書かれていました。そして改めて塩野さんの著作を引き、個人の野心と大衆の専横とが結びつく危険を避けるため、個人に権力が集中しすぎないようにしつつ、安定したリーダーシップが発揮できる政治体制を作ったという主旨のことも書かれていました。もちろん、それを単純に礼賛しておられるわけではなく、叙述的な記載に徹しておられます。何か一方向に偏り過ぎないことが大事なことなのではないかということを高坂さんの記述からも感じます。

塩野さんの著作で読んでいないものもまだ沢山あります。楽しみは尽きません。

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氷見の“父”の思い出

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敬愛していた氷見の“父”が亡くなりました。コロナ禍での葬儀ということもあり、一般弔問客に許されるのは喪主・ご遺族への挨拶と焼香のみでしたが、最後のご挨拶ができました。思えば私が初めて社会人になって氷見の職場で働き始めた時、“父”はもうその地域の顔役であり、どこへ行っても「かっちゃん」「かっちゃん」と親しく呼ばれていました。

私からすれば、実の父よりも3歳ほど上だったため、大叔父って感じでその方を見ていた気がします。確か社会人になって2年目の春、少し仕事(とっても狭い領域でしかないのですが)がわかったような気になったのか、なんだか回りが遅いように思えて、イライラしていた時期がありました。無性に腹が立つ、って感じです。

その時、私は不遜にも時の上司である課長(当時49歳)とこの“父”(当時55歳)に「最近なんだか腹が立つんですが」などという暴挙とも言える相談をしました。ぶっきらぼうにそれだけを伝え、とても相談の体をなしてはいなかったと思います。言葉に出せなかった部分をあえて書くと「腹が立つようなことがあるとどう対処されていますか、お知恵を聞かせて下さい」という表面的な質問だったのでしょうが、その下にある隠れた本心は「私は仕事がとてもできるんです。でも周りは遅くてなんだかイライラします。私は優秀な人材なので私のことを高く評価して下さい。ほめて下さい」という図々しく尊大な気持ちがあったように思います。

課長はその時「仕事せんこっちゃ(しなきゃいいんじゃないの)」と一言。この言葉には「お前の仕事はそんなに大した仕事じゃないよ。お前がいなくても仕事は回る。作業速度がちょっと速くなっただけなのに、できてる気になってんじゃないよ。少し頭を冷やしたらどうだ」という意味を優しく易しくやさしーく仰ったのだと、実は次の“父”の言葉との合わせ技で気がつきました。(ちなみにこの課長は私にとって石動の“父”です。もう16年も前に69歳の若さで鬼籍に入ってしまわれました)

課長に相談した数時間後、自分の求める反応が得られずに、“父”にも同じ問いをしました。そして“父”は私にこう仰いました。「俺は、ダラやから、腹が立つことはないなあ。むしろ周りのみんなにいつも迷惑ばかりかけているから、ごめんなさい、ごめんなさい、と言ってるばっかりやねえ」(ダラ:関東で言う「バカ」、関西で言う「アホ」に近い語感です)

たぶんその時の私は「お前、ようやっとるのお。さすがや。まあ、周りの人に腹立てずにお前が習得した新しいノウハウなんかがあれば教えてやってや」みたいな、労いやほめ言葉やプラスのストロークが返って来ることを期待していたのだと思うのですが、期待したのとは全く異なる反応であり、しかもご自身のことを無茶苦茶卑下してみんなのおかげでなんとか自分は生きている、だから腹が立つなんてありえない、と言われ、絶句して次の応答ができませんでした。

私は雷で打たれたような衝撃でした。自分はなんと増上慢になっていることか。実父よりも年上の人が私みたいな若造に対して、ここまでへりくだって謙虚な態度を、日頃の自然な振舞い方としてとれるのか、とショックでした。ちょっと一つ二つ事務作業を覚えた程度で自分はできぶつだと思いあがっていたことに、たった一文節で気づかされ、それからは多少は謙虚になれたような気がしています。

その後、私が金沢に転勤し、結婚、子どもが生まれ、実の父から氷見で海水浴をしようと提案があった時も、氷見の“父”に相談し、民宿を紹介してもらいましたし、それ以降も数年に一度程度はご自宅に顔を出しに伺っていました。直近では3年前の春。久しぶりに顔を出しに行きました。その当時で89歳です。しかし目も耳も口も胃も元気溌剌で、まだまだお元気だなあと意を強くしていました。ちょっと車に乗せてくれ、と仰り、ある観光施設まで同行したところ、そこで地域の特産品など数千円分を買い求められ、私に持ってけ、と仰いました。いやいや、土産代ぐらい自分で払いますよ、と申し上げたのですが、「子どもがっ!何を言うか!黙って持っていかっしゃい!」と一喝され、さらにその後、町まで下り喫茶店でおそばまでご馳走になってしまいました。確かに32歳も上で、ご本人のお子さんよりも年齢が下の私は、50歳を超えていようとなんだろうと「子ども」でしかないので、素直に従いました。40年近く経っても当時の学習が生きてない私でした。

3年前の春 氷見を訪れた時の“父”と私

またそろそろ顔を出さなければなあと思っていた今日この頃、朝刊に訃報が出ていました。祭壇の写真は在りし日の笑顔満面の“父”が写っていました。長いこと、本当にお世話になりました。心からお礼を申し上げて来ました。本心を言えば、もう一回お目にかかりたかったです。つくづく思いますね。悔い始めればきりがありません。ああもしたかった、こうもしたかった、こんな話をしたかった、もっとゆっくりそばにいたかった・・・人間は後悔の積み重ねを生きているのかも知れません。

とても個人的な思い出話のブログとなりましたが、この方のこの時の一言がなければ、その後の私の人生は大きく様変わりした(悪い方へ)ものと思い、想像するとぞっとします。今の私の元となった社会人一年目の経験、その経験をさせて下さった氷見の“父”Nさんへの感謝をこめて本日のブログとさせていただきました。

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司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』

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 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読みました。
 そして、10年ほど前にNHKのテレビでやっていたドラマもようやく“追い見”しています。

 4年前にある先輩から経営戦略の参考になるので是非読んだら良いと言われており、チャレンジしたのですが、文庫版3冊目の途中で挫折してしまいました。その後昨年から再度挑戦しましたが、やはり3冊目の途中から読むペースが遅くなりました。何が原因か。一つは、正岡子規の命が燃え尽きるのを見たくないという気持ちが働いたのと、もう一つは、そこを越えた次に出てきた戦闘シーンの多さ、人が砲撃にあって沢山亡くなる、これでもかこれでもかというくらいに「突撃」と「殲滅(される)」の繰り返しに、この小説はいったいなんなんだろう? 司馬さんはなんのためにこのように人が次々と勝算のない突撃で意味もなく亡くなり続けるシーンを描いているのだろう? という疑問がわいてきたこと、だったのではなかろうかと思います。(指揮官たちは「意味もなく」とは考えていなかったと思いますが)
 司馬文学の金字塔と言われているくらいの『坂の上の雲』は日本が明治維新を経て、さらに瑞々しく希望あふれた豊かな国になっていく道程を描いたものだろうと勝手な想像をしていました。もちろん日露戦争を描いたものであることは承知していました。実は私の誕生日は、戦前は陸軍記念日と言われていたそうです。日本陸軍の生みの親たる大村益次郎さんの誕生日だったと聞いたことがあり、それに因んでかと思っていましたが、どうやら日露戦争・奉天会戦における戦勝記念日だったことから来ているようです。そのため、どんな戦争だったのかという関心もありました。経営戦略の勉強という観点とは別の意味でも読書欲をかきたてられた次第です。
 しかしタイトルにある「坂の上の雲」など私の眼には一向に見えてきませんでした。そして、日本という国を俯瞰するのみならず、戦いの相手だったロシアについてもじっくりと丁寧に、特にバルチック艦隊が母港を出て喜望峰を回り、マダガスカルで無為な時間を過ごし、東南アジア付近では疑心暗鬼になり、といったことを実に丁寧に読む者がその情景が目に浮かぶような丁寧さで書いてくれています。組織の統率、指揮官はいかにあるべきかということを、彼我の対比も含め、描いています。単に日本がどう、ロシアがどうという単純比較ではなく、日本の軍隊における(組織の意思決定の仕方・データの扱い方などの)良い点、だめな点、ロシア側の良い点、だめな点もかなり客観的に描かれていたと思います。組織論といっても、人それぞれに着目した、だれそれはこの時こういう発言をした、といった感じですが、一方で民族的な習性といったような、やや曖昧なことに原因を求めるような記述もありましたが。
 私の勝手な想像とは裏腹に、司馬さんの『坂の上の雲」は、決して希望あふれた豊かな国になっていく道程というよりは、太平洋戦争での滅亡の原因がこの成功体験の中にあった、ということを説明しようとしたものではなかったか、という気もします。特に陸軍に対しては「滅亡」という言い回しを何度か使っています。そして、司馬さんがこの小説の連載を始めた1968年といえば、太平洋戦争終結からまだ23年しか経っておらず、当事者も大勢生存していた時期であり、日露戦争の従軍者もおられたとのことであり、色々書きにくいこともあったのではないかと想像します。
 いったいなにが楽しくてこんなこと(突撃と殲滅の延々たる繰り返し)を書き連ねているのだろう?と思っていました。しかし司馬さんは相当つらい思いをしながら書いていたんではなかろうか、と最終巻のあとがきを読んで思いました。司馬さんは「あとがき」の最後にこんなことをさらりと書いています。「私の四十代はこの作品の世界を調べたり書いたりすることで消えてしまった。この十年間、なるべく人に会わない生活をした。友人知己や世間に生活人として欠礼することが多かった。古い仲間の何人かが、その欠礼について私に皮肉をいった。これはこたえた。(p358)」
 ただ司馬さんの作品の年譜を見ると、この十年ほどの時期に『竜馬がゆく』『『燃えよ剣』『尻啖え孫市』『功名が辻』『城をとる話』『国盗り物語』『俄 浪華遊侠伝』『関ヶ原』『北斗の人』『十一番目の志士』『最後の将軍』『殉死』『夏草の賦』『新史太閤記』『義経』『峠』『宮本武蔵』など、幕末や戦国時代のものを中心に、その後の大河ドラマの原作になった大作も沢山書いておられ、とてもエネルギッシュに作品群を世に出しておられ、四十代を日露戦争のあとなぜだけで浪費したわけではないということも事実としては押さえておきたいと思います。 

 さて、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』から自戒としての抜き書きです。

・人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ(秋山真之)(文庫版二 p230~231)
・大海図に点々と軍艦のピンがおされている。軍艦が移動するごとにそれがうごく。たれの目にも状況把握が一目瞭然であり、状況さえあきらかであれば、つぎにうつべき手-たとえば艦船の集散、攻撃の目標、燃料弾薬の補給など-がどういう凡庸な、たとえば素人のような参謀でも気がつく。作戦室の全員が、書記ですら、刻々の状況をあたまに入れてそれぞれの分担を処理している。(文庫版二 p252)
⇒見える化の重要性と有効性
・マカロフの統率法は、水兵のはしばしに至るまで自分がなにをしているかを知らしめ、なにをすべきかを悟らしめ、全員に戦略目標を理解させたうえで戦意を盛りあげるというやりかたであった。(文庫版三 p326)
・命令があいまいであることは軍隊指揮において最大の禁物(文庫版四 p261)
⇒軍隊を企業に置き換えて読む
戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるように絶対の原理もしくは方法とし、反復してすこしもふしぎとしない。(文庫版五 p50)
・日本軍の師団参謀たちの頭は開戦一年余ですでに老化し、作戦の「型」ができ、その戦闘形式はつねに「型」をくりかえすだけという運動律がうまれていまっていた。「型」の犠牲はむろん兵士たちであった。(文庫版七 p42)
⇒日本軍を大企業に置き換えて読む
・戦術家が、自由であるべき想像力を一個の固定概念でみずからしばりつづけるということはもっとも警戒すべきこと。情報軽視という日本陸軍のその後の遺伝的欠陥。(文庫版五 p355)
⇒これも陸軍を企業に置き換えて読む
一行動が一目的のみをもたねば戦いには勝てないというのがマハンの戦略理論であった。東郷がこの「目的の単一性」という原則に忠実であったのに対し、ロジェストウェンスキーが二兎を追うためにその行動原理がきわめてあいまいになっていることをマハンは指摘している。(文庫版七 p331)

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もうすぐ新年度

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もうすぐ4月、新年度ですね。北陸は雪もほぼ解けて日増しに空気も暖かくなってきました。早い所では桜も咲いています。定期人事異動も多く行われる時期になりました。友人知人の異動も色々あったようです。同級生の多くは定年退職という時期を迎え、さあ自分も一巡終えて再出発、と気持ちの切り替えが必要かななどと思っている今日この頃です。

しかし気持ちの切り替えをしようにも、令和4年、2022年に入ってから、従来に増して慌ただしい日々を過ごして来ました。この先もゆるやかになるわけではないので、いつ切り替えられるかなあと思いつつ、一瞬仕事が一段落してきたため、この1月から3月までの仕事を改めて列挙してみました。書き並べてみると、あくせくしていたわりには大した仕事量でもなかったなあと感じますが。

・ある団体からの依頼による取材2件                        ・ある団体からの依頼によるzoomの使い方説明                         ・企業の経営計画策定3件                                  ・国の支援策利用のためのお手伝い4件                                  ・DXに関するセミナー                                      ・補助金に関するセミナー                                             ・従来からのよろず支援拠点の経営相談業務                                    ・従来からの経済2団体の経営相談業務                                 ・心理学の勉強会                                       ・ある団体からの依頼事項                                ・よろず支援拠点の新規事業着手の準備と従来事業の後任への引継ぎ

よろず支援拠点は、平成26年6月にスタートした国の単年度事業で、私は平成27年から相談員として参画してきましたので、丸7年になります。前職の金融機関での仕事が7年弱でしたので、いつの間にかその期間よりも長く(但し、勤務は週2回程度ですが)携わってきたことになります。そのよろず支援拠点の事業が転換点を迎えているようで、従来の比較的小規模な事業者さんへの対応というメイン業務は引き続き行われるのですが、私はそれとは少し異なる内容の事業に携わることになりました。詳しくはまだよくわかりませんが、「今・ここ」で精一杯取り組むというスタンスは変わりません。お客様の幸せに貢献することができればと思います。

新型コロナウイルスが流行し始めてからかれこれ2年が経過します。この間、外に出たり、公共交通機関を利用したり、人と積極的に会ったりすることを控えてきました。しかしそろそろまた外での活動にも取り組んでいきたいところですし、3カ月も休んだこのブログでの情報発信ももう少し頻度を上げてやっていきたいと思っています。

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