利賀村で水野和夫さんと大澤真幸さんのお話しを聞きました。

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2年ぶりに利賀に行ってきました。鈴木忠志さん主宰・劇団SCOTのお芝居を観るためです。しかし今回はもう一つ大きな楽しみがありました。経済学者の水野和夫さんと社会学者の大澤真幸さんのシンポジウムがあったのです。水野和夫さんは名著『資本主義の終焉と歴史の危機』他「資本主義の終焉」シリーズや対談本を多数出版されています。他方大澤真幸さんは小室直樹さんの高弟のお一人であり、NHKeテレ100分de名著『メディアと私たち』で山本七平さんの『「空気」の研究』を取り上げたり『世界史の哲学』シリーズや平易に社会学の流れを解きほぐした『社会学史』や最近では『新世紀のコミュニズムへ』の出版の他、橋爪大三郎さんや国分功一郎、木村草太さんなど色々な方との共著も多い、ともに現代の碩学、と私は思って日頃から発信されるものを注視してきました。

今まで知らなかったことが恥ずかしいくらい、このお二人は随分長い間、毎年この利賀村にお越しになり、SCOTのお芝居を観て、勇気をもらい、また都会に戻って精力的に著述や発言をなさってきたということでした。私自身、一昨年久しぶりに利賀へ行こうと思ったきっかけは、水野和夫さんの『資本主義の終焉』シリーズを三冊読んで、そこに書かれていた、水野さんが毎年通って観ている利賀での芝居の話に魅了されたからというのが大きな理由の一つです。(残念ながらまだその肝心の「世界の果てからこんにちは」は観ることができていないのですが)

さて、お二人の碩学のシンポジウムでのご発言など、勝手に抄録。尊敬する碩学お二人の時代認識などを生で聴くことができ、感激の2時間弱でした。

左から、司会進行の山村武善さん、水野和夫先生、大澤真幸先生
(肖像権を考慮しお顔の一部にマスキングをしました)

・1995年に米国の疾病センターの医師がこれから感染症が増えると警告していた。しかし日本では1990年代から保健所の数を減らし公立病院のベッドを減らし続けてきた。そして今回の新型コロナウイルス感染症の事態となり、国家は国民の生命の安全保障をしなくなったことがわかった。同時に資本の暴力性が顔を出した。

・コロナ危機は終わらない。大きな地球規模の気候変動の一部であり、終わりなき非日常を我々は生きていかなければならない時代になった。この一年半の間に、私たちは資本主義は死ぬかも知れないと一瞬思ったし、それがどんな状態になるかを垣間見たのだが、知らなかったことにしよう、というのが今の異様な株高の背景にある。

・資本主義と近代オリンピックには共通点がある。例えば近代資本主義社会の原理は「より早く、より遠くに、より合理的に」であり、オリンピックは「より早く、より高く、より強く」である。より強くをより合理的にに置き換えれば近代社会の特徴そのものである。近代社会は不確実性を減らすこと、予測可能性を高めることで成長してきた。しかしニクソンショック(ドル-金本位制の廃止)で、今日の1円が明日も同じ価値を持つ1円とは限らない状態になってしまい、確実性が消滅した。それと同時に近代オリンピックmその役割を終えた。特に顕著になったのは1984年のロス五輪からであり、神々に人間の身体を見せる・人間の身体を神々に近づけるという崇高なはずのオリンピア精神ではなく、コマーシャリズム・資本の一部に呑み込まれてしまった。もちろん競技者たちは純粋に取り組んでいると思われるが、競技自体は資本の一部にならないと存続できない状態になっている。

・グローバル資本主義・・・人・物・金の移動の自由が標榜されていたが、実際にその恩恵に浴することができているのは、ほんの一握りである。そして、私たちは本当はもう死んだことを知っているのに、究極まで手放せないでいる。トムとジェリーのトムがブルドッグに追いかけられて崖を飛び出して走り続けているのに、ある瞬間それに気づいてそのまま地上に落ちるようなものである。私たちはこの一年半の間に、ほんのわずかな時間、資本主義を手放した。ヨーロッパでは贈与経済の復活があり、日本でも私的所有の否定につながるベーシックインカムに近いこと(全国民に一律10万円配布)が行われた。本当の危機になれば資本主義も「不要不急」になる。

・2100人のビリオネアが10超ドルの資産を保有している。下位6割の46億人の資産は8兆ドルである。資本主義では努力した人・能力の高い人が成功し、そうでない人が貧困となるというような言説があるが、GAFAのトップが数億人・数十億人の人よりも能力が高いという証明はない。昨年の特別定額給付金は全部で12兆円配布されたが、その一方で個人資産が20兆円増えている。一体どういうことか。お金持ちの資産がさらに増殖したことを意味する。日本の個人金融資産は1950兆円だが、2割の家庭では資産がゼロである。この現在の状況が今後30年続くと、日本の「無産階級」は4割になる。大変な格差社会となる。既に東京23区内で見ると、所得の高い区は子どもの学力が高いという相関関係があり、それも一直線となっている。子どもには責任がないのに望む教育を受けられない状況になっている。

・資本主義の原理は自己利益の追求である。自己利益を追求した結果公益に寄与するということを整理したのがアダム・スミスである。自己利益を追求するためには私的所有権が前提になる。しかし、私的所有権を一部制約し、コモンズ(共有)の領域を少し増やすべきではないか。例えばインターネットなどは本来コモンズであるべきだが、一部の企業がプラットフォームとして私的所有していることが問題。所有権の上には生存権や知的財産権があるはずだが、イギリスのサッチャー首相は国が個人の生存権を保護しなくなった。新自由主義・自助努力主義である。この考え方が今日のビリオネアを生み出した。2030年には、大きく資産を増やした企業や個人への課税が強化される可能性がある。ドレイクという海賊ですら得た利益の半分を国家に寄付した。

・東インド会社に先立つスパイサー保証組合という組織に初めて「法人」という人格を認めた。これが永遠の命を認めた最初である。個人の相続も同じである。しかし法人格というあり方は役目が終わっているのではないか。一事業限りで解散し、また次の事業で集まるというあり方もあるのではないか。土地の利回り以上に稼いだ分は内部留保ではなく課税するというやり方もある。475兆円の内部留保は国民の生活向上に役立っていない。100%自己所有じゃなくてもうまくいく方法がある。

・今の状態は氷山にぶつかったタイタニック号である。このままでは沈むことはわかっているがみんな見ないふりをしている。その理由は、飛び出せば氷のような冷たい海に落ちてしまい、どのみち死ぬと思っているから、今の船の中にしがみついているのである。しかし、タイタニックを手放しても大丈夫という自信を持って多くの人が飛び出せば、そこに新しい船が作られる。利賀でやっていることも資本主義に対するアンチテーゼの一つである。ダニエル・ベルが『資本主義の文化的矛盾』という本で「元々資本とは関係ないと思われてきたものすら、資本に呑み込まれてきており、例えば芸術すら資本から独立できなくなっている」と言っており、もちろん、芸術家もお金が必要だし、売れることと成功することと能力が高いことや努力などが関係ないわけではないものの、芸術の独立的価値という側面も重要である。自信と勇気をもって資本主義の枠外へ飛び出す。

勝手に抄録は以上、ここまでです。世の中を見る見方に、また新しい視座をいただいたような気がします。まだまだ精進が必要です。

夏の雲と秋の雲が交差しそうな利賀大山房(旧中村体育館)

さて、シンポジウムの後は、昼食休憩を挟んで昨年から上演されている、鈴木忠志さんの新作「世界の果てからこんにちはⅡ」を観ました。内容は・・・今回は言及しないでおきます。というよりも、言及できるだけの頭の中の整理がまったくできていません。とりあえずここでは、来年こそ「世界の果てからこんにちはⅠ」を観させていただくべく決意しました、と言うに留めておきたいと思います。

(参考)最近のお二方のご著書

水野和夫先生と大澤真幸先生の近著
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福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』

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2007年5月に一刷、10月に十一刷ということですから、ちょうど14年前に購入した本ですが、今頃、ようやく読了しました。PCR検査のことが書いてあるという話をどこかで目にし、その部分だけは昨年読んでいたのですが、そこだけ読んでもよくわからない状態でした。最近ある本で「動的平衡」のことが書いてあったことと、『生物はなぜ死ぬのか』という同じ講談社現代新書(小林武彦氏著)という類似書籍を手に取ったこともあり、関係づけながら読むと複眼・多面的に理解できるかも、と思い、慌てて書架から引っ張り出して一気に読みました。

この本の一番のテーマは「動的平衡」ということのようです。そして、生命においては、「動的平衡」を「乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける」ので、生命科学をつかさどる医学者といえども「なすすべはない」といった慨嘆のようなことも書いてはありますが、それでも生命はとても力強い仕組みになっていることは巻を置いても強い印象となって残っています。

エントロピー増大の法則に沿えば、秩序は崩壊していく。しかし、その秩序を守るために、生物の内部に必然的に発生するエントロピー(様々な刺激で細胞などが変容・破壊されていく過程)を排出する機能を担っている、とのことで、エントロピーの法則によって生命体が壊れる前に一部を壊して自己複製でまた同じものを作ることが、強固な建築物を作るよりも維持しやすい、ということのようです。

ある意味、伊勢神宮が二十年ごとに建て替えられていることをも想起させられるような気がしました。

人の組織でも、同じようなことが言えるように感じます。組織文化というものがあり、長い年月その組織内で醸成される文化・風土・空気というものが、動的平衡を作っていき、それが組織の価値観として、成員の無言の前提となり、経営者もマネージャーも社員すらもその前提を当たり前のものとして判断・行動する。それが結果的に、何度でも検査不正を働いてしまう某自動車会社であったり、あるいは、どれだけ改善しようとしても赤字から抜け出せない企業体質であったり(潰したら銀行も困るからお金はなんとかなるという期待?)、動的平衡にはそのような良くない状態の維持もあるのではないかと思います。ソニーやリクルートのように、前例主義ではない、異質な人材を取り込む、といったことが企業活動の中に埋め込まれている企業はそうではなく、また高度成長時代の日本企業のように、作れば売れる時代であれば、悪しき動的平衡が問題になることはなかったのだろうと思いますが、これからは悪しき動的平衡を持つ企業はなんとかしなければならないのではないかと思います。

そうした動的平衡を崩すのは、内部の力ではなかなか困難であろうと思います。例えば中小企業診断士のような外部の経営に関する専門知識と高い志を持つ人が真剣に経営者と向き合い、誠心誠意変化を説くことで変化をもたらすきっかけが提供できるのかも知れません。その際よって立つ根拠は、まずは、その会社の創業の理念であったり、今の時代に改めて考え直すパーパス(企業の存在意義・存在目的)であったりするのかと考えています。

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ヴェネツィア共和国の一千年 塩野七生さんの『海の都の物語(上)』

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 購入したのは平成の初めころ。かれこれ30年以上塩漬けにしていた本ですが、今年の初めころに塩野七生さんがNHKのインタビューに応えてロックダウンしなかったヴェネツィアの話をしておられ、さらにほぼ同じ内容で文芸春秋の3月号に寄稿しておられたのを読んで、ヴェネツィア、勉強しなくてはと感じ、ようやく「上巻」を読みました。この本は文庫版の上巻だけで500ページ、下巻はさらにページ数が増え600ページという上下1100ページの大作です(今の新潮文庫は確か4分冊だったと思いますが)。しかも上巻の解説はかの『文明が衰亡するとき』をお書きになった高坂正堯さん。書かれた順番からすると、恐らく『海の都の物語(上)』⇒『文明が衰亡するとき』⇒『海の都の物語(下)』という時間軸になるのだろうと思います。さてその中からいくつか文章をピックアップさせていただきます。

p81 マキャベリの言葉にこういうのがある。「ある事業が成功するかしないかは、いつに、その事業に人々を駆り立てるなにかが、あるかないかにかかっている」つまり、感性に訴えることが重要なのである。・・・ヴェネツィアは、共和国である。民衆の支持が、絶対に欠かせない。民衆は、目先の必要性がないかぎり、感性に訴えられなければ、動かない。(筆者コメント(以下同)確かに、人は理屈では動かない、とよく言われますね)

p121 現実主義とは、現実と妥協することではなく、現実と闘うことによってそれを切り開く生き方を意味していた。・・・「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動することによって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、その人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからなのです。」(言ってることとやってることに矛盾がある人・・・にはならないように自戒自戒)

p198 神はわれらとともにある、という確信は、往々にして、自分たちと同じように考えない者は悪魔とともにある、だから敵である、という狂信につながりやすい。私には、それが物欲をともなわない高貴なものであろうとも、絶対に同意するわけにはいかない。I教徒が始め、そしてK教徒に受け継がれた聖戦思想・・・」(ヴェネツィアが進路を変えたと言われている第四次十字軍に関する記述で。ジハードは十字軍に姿を変えて受け継がれたという見方。この「受け継ぎ」はなんとも悲しい。歴史は繰り返すということでしょうか。江戸の敵を長崎で討つ、みたいな話でしょうか)

p198 十字軍史の中で、もう一つ評判の悪い十字軍がある。フリードリヒ二世の率いた第五次十字軍である。この、完全に客観的に判断することのできた皇帝は、一戦も交えずにイェルサレムに入城し、外交交渉で、キリスト教徒たちの聖地巡礼の権利を、イスラム教徒側に認めさせた。だが、イスラム教徒を一人も殺さなかったがために、西欧ではひどく非難され、法王は彼を破門にし、キリスト協会の敵との烙印を押したのであった。この後に十字軍を率い、イスラム教徒に戦いを挑んで敗れ、イェルサレムに近づくこともできずに死んだフランスのルイ王は、聖人に列せられる。(塩野さんの目線ではなんとも不条理に映る、ということなのでしょう。私もそう感じますが、立場が違えばこういうことも正当化されるのかという典型的な事例かも知れません。詳しくは塩野七生さん著『皇帝フリードリヒ二世の生涯』でまた勉強しましょう)

p249 ヴェネツィアほど、中小の商人の保護育成に細心の配慮をした国はない。大企業による独占が、結局は国全体の経済の硬化につながり、それを防止するうえで最も効力あるのが、中小企業の健全な活動であることを知っていたのである。これを知り、実際に行ったのが、政府を握っていた大商人たちであったのが面白い。

以下は、高坂正堯さんの解説「ヴェネツィア、あるいは歴史の魅力」と題された一文からの抜粋です。

p503 欧米の優れた学者が現代の諸問題を考えるとき、彼の試行の背景には長い歴史に関する知識がある。彼らの使う概念には過去の現実に関する知識という肉がついている。だからこそ独創的な考えや深慮も生ずるのであろう。

p504 数百年あまりの蓄積と百年余りのそれとでは、そもそも勝負にならないと思って、時々ため息が出る。そこでまた気を取り直して、雑多なものの宝庫である歴史をひもとくことの重要性を一層強調しなくてはならない。・・・現在の日本の活力をなんとか二、三十年間、持ち続けることができたら、より本格的な文明も、優れた政治・外交も現れるかも知れない。(この文章が書かれたのは昭和55年頃、つまり、今から40年ほど前のことです。高坂さんが言っている「なんとか二、三十年間」という言葉からは、まさに現在の様子を見通していたかのような(もしかすると半ば観念したかのような)透徹したまなざしを感じます。)

p505 国家の文書を体系的に整理し、残すのは、今ではまともな国なら当然のこと。(え?これも前段と同じように予言のような言葉では・・・唖然)

これらの他にも塩野さん、高坂さんともに、横線を引いた箇所は沢山あるのですが、後は割愛とします。この勢いで高坂さんの『文明が衰亡するとき』のヴェネツィア編を読もうかどうかという段になっています。いや、それよか先に『海の都の物語』の下巻600ページに進むべきか。学び、先人の経験を知識として得、企業経営者や創業希望者などの役に立てるように知恵として活用する、そんなサイクルを目指してまたページをめくります。

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事業再構築補助金と『官僚たちの夏』の深い?関係

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(この投稿は、中陳個人の感想であり、歴史上の事実について誤った認識があるかも知れません)

令和2年度第3次補正予算により、経産省から新たに「事業再構築補助金」という補助金が出されました。この事業再構築補助金の申請を考えている事業者さんからの相談に備え、城山三郎さんの『官僚たちの夏」を初めて読みました。

というのは、1960年代、1970年代の頃、日本株式会社と揶揄されるくらいに、日本の官と民とが協力して、軽工業から重化学工業に脱皮し国際競争力を高めていったという歴史があり、今回の事業再構築補助金は、まさにそのような大きな産業構造の転換を目指しているのではないかと感じ、では、当時はちなみにそのような動きがどのように作られていったのかということを小説を通じて知ることができないだろうかと思ったのです。

当時は日米繊維交渉や鉄鋼交渉、自動車交渉など、様々な貿易摩擦が発生し、都度、官民一体となって交渉に当たり、量的な制限を課されつつも、より良いものをより安く提供できるよう技術革新などにも取り組んでいたのであろうと認識しています。そのような様々な動きの中で、経済人でもスター経営者が生まれたり、当時の通産省からはこの小説のモデルと言われる佐橋滋さんや少し下って天谷直弘さん、堺屋太一さんなどスター官僚を輩出していました。

目指すべき産業モデルも米国などに存在していた時代でした。しかし、今は、目指すべき産業モデルがなかなか見当たらず、みんなでGAFAMになれというわけにもいかず、しかし日本の産業構造を変えて、より生産性を向上させていく必要があると、現在の経産省の方々は考えているのではないかと思います。あくまで想像です。60年代70年代は産構審という会議体を通じて官民が協力していたと教わったことがあります。通産省、学者、民間がそうした場を通じて、文字通日本の産業構造をどうするかといったテーマで喧々諤々の議論が交わされていたものと思います。今も産構審は存在し、議論はなさっているようですが、当時とは位置づけが変わっているのか、あまり表に出てきていないような気がします。目指すべき産業構造や産業モデルが見当たらないからなのかも知れません。勝手な想像ですが。

事業再構築補助金では、まず「概要」に「日本経済の構造転換を促す」ことを目的とすると書いてありますが、この重要ポイント、案外見落とされているかも知れません。つまり「経済の構造を変える」ことに寄与しそうな事業に補助金を出す、と冒頭で明言してあるのです。また「公募要領」の審査項目には「リスクの高い、思い切った大胆な事業の再構築を行うものであるか」とあります。これらを総合して考えると、今の経産省が50年前の通産省のように、この1兆円を超える予算を活用して、新たな産業を興し、日本の産業構造をより生産性の高いものにシフトさせたいと考えているように思えてなりません。

さて、件の『官僚たちの夏』、主人公の思いとは裏腹に、肝いりで提案した法律案(特定産業振興臨時措置法案)はロクに審議もされずに廃案となったということでした。企業が自らリスクをとって世界と勝負していくべきとい自由経済論とのせめぎあいで負けたとか、もう官が一緒になってやっていかなければならないほど日本企業はひ弱ではなくなったとか、様々な考え方に敗れたというようなことで、官民一体となって産業構造の転換に取り組んでいたと思っていた私からすれば「あれ?」という感じでした。しかし、どうも、その法律は廃案になったものの、一方で「構造改善を図る企業に政府融資をとりつける体制融資で振興法の精神をある程度具体化した」(本書p316)とあることやIBMに対するコンピュータ業界の合従連衡が功を奏したといったことなど、その後の官民連携のいくばくかの部分は佐橋さんが描いたような道筋を法律とは別のところで進んでいたようです。

法律案の原案には次のようにあったそうです。「経済の変革期に当り、対外競争力を急速に強化するためには、産業再編成により、生産規模の適正化をはかることが必要である。この産業振興のための基準は、政府・産業界・金融界の協調によって定める。政令によって指定された産業は、この振興基準に従って、集中・合併・生産の専門化などの努力をする。金融機関は、この振興基準にそって資金の供給を行う。政府も、政府関係金融機関を通じて資金を補給するとともに、課税について減免措置をとり、また、振興基準による合併などについては、独占禁止法の適用除外とする。」

今回の事業再構築補助金についても、合併などによって新製品等を新市場に売っていくというものも含まれています。中小企業の企業規模を大きくして生産性を上げよという主張は、デービッド・アトキンソンさんの主張にも表れているところであり、今回の補助金にもそういう考え方が反映しているのかも知れません。当時の法案(とその後の動き)と今の補助金、狙いが似ているような気がします。『官僚たちの夏』を読んで、益々その意を強く持ちました。

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チャールズ・オライリー他『両利きの経営』コロナ下で・・・。

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日本で出版されたのは2019年2月、ということで既に2年前になりますが、今も読み続けられているベストセラーとのことで、仲間内での課題図書に取り上げました。内容は富士フイルムやアマゾンなどの大企業の成功事例・失敗事例を中心に分析し、理論化したものですが、聞けば中小企業の経営者の方々も読んでおられる由。私たちの事業領域である中小企業の経営者に何か助言できるとすれば、どのような洞察が得られるだろうかと思いながら読み進めました。

『両利きの経営』チャールズ・A. オライリー、マイケル・L. タッシュマン (著)、東洋経済新報社

一般に経営資源に乏しい中小企業は事業領域を絞り込み、絞り込んだ領域でナンバーワンとなるよう経営資源を集中することで、大企業に入り込めないニッチで勝負すべし、というようなことを言います。ランチェスターの第一法則がまさにそれで、一点集中主義、局地戦、一騎打ち戦、などと言われています。しかし世の中はどんどん変化しており、顧客も変化し続けていることを考えると、今の顧客に今の組織能力で商品・サービスを多少改善しながら提供しているだけでは、いずれ他社に巻き取られてしまうという危険性がつきものです。どこからどうやって破壊的イノベーションがやってくるか予測することは難しいですが、市場環境の変化を注意深く見、顧客の声に注意深く耳を傾けていれば、ある程度は対応できるはずです。

しかしそれでもある日突然売上が激減するということもあり得ます。それに備えて日頃から、自分たちがわかっていること以外の市場や技術にも目を向けて、テストマーケティング的に「探索」をしていく必要があるのではないか、というのがこの本を読んでの私なりの見え方です。中小企業の場合、お金や人などの経営資源の使い道を決めることができるのは、ほぼ社長だけといっても過言ではないと思います。しかも、誰がその新規事業に取り組むのか、取り組めるのか、については、ほぼ社長だけ、といった中小企業が多いのではないかと思います。社長の肝煎りで後継者が、とか、特別に採用した人が、ということはあると思いますが。

とは言え、使える経営資源は極めて少ないわけで、例えば本体事業までをも毀損するくらいの資金をつぎこむようなことは避けなければなりません。ドラッカーが言うように「すべての失敗は経営者の責任」です。となるとどうするか。ユニクロがかつて野菜販売を行ってうまくいかないと判断して撤退した際には、あらかじめ撤退ラインを決めていたそうです。経常利益の何パーセント、とか、上限いくらまで、という風に決めておくことが大事です。しかし人間、特に叱責を受けることのない立場の人は、自分は間違っていない、もう少しこのままやればなんとかなるんではないか、といった「正常性バイアス」の罠に陥る危険性があります。正常性バイアスの有名な例は第二次世界大戦の時のインパール作戦だと言われています。(『失敗の本質』などに詳しく書かれています)

中小企業の経営者に注意する人はあまりいません。取締役会メンバーも株主も家族・親族であることが多く、ガバナンスが利きにくいと言います。頭でわかっていても、始めた以上やめられないし、経営者としての沽券にかかわる、ということでしょうか。そうした場合、第三者が冷徹な目で「社長、ちょっと行き過ぎていますよ」と言ってお止めすることも必要です。そういう役割として中小企業診断士などの外部専門家と顧問契約をする企業もあるようです。

中小企業の利点は、大企業のように、「戦略的な重要性が高いか低いか」「本業の資産の活用度が高いか低いか」といったような判断基準を用いて、幹部間で合意をして「探索ユニット」に色々なことをやらせるとか、「内部に矛盾をはらんだ探索ユニットと深化ユニットを共存させるために抱負や価値観や結束力のためにトップリーダーがリーダーシップを発揮しなければならない」といった苦労をそれほどしなくても、自分の判断で意思決定できることではないかと思います。

他方で活用できる経営資源がほとんどないため、自分自身が中心になって、本業もやりつつ新しいこともやらなければならないという物理的制約が大きい点が弱点ではあります。論理的な分析や理由づけに時間をかけなくて良い分、また、何が結果的にうまく行くかわからないということもあり、思いつきに近いことでのチャレンジも許容されるかも知れません。思いつきに近い取組みでも効果を早いサイクルで確認していくため、OODAループと言われる試行錯誤の手法や、そのためにMVPと呼ばれる必要最小限の試作品を市場に出して市場の反応を見ながら並行して商品のレベルアップを図っていくといったやり方も必要なのだろうと思います。そのためには、世の中のトレンド、これから世の中が進む方向性、などについて外部専門家の知見に耳を傾けることも必要だと思います。

また、業況の厳しい赤字企業の場合はどうすべきか、といった難題もあります。もし資金を一時的であれ調達できる見込みがあるのであれば、補助金を活用して資金リスクを軽くして新しいことに挑戦するという方法もあります。折しも今、新型コロナウイルスが猛威を振るっている中で、国がものづくり補助金や小規模事業者持続化補助金を通年で募集していますし、また、この3月には「事業再構築補助金」という新しいメニューも出されるとのことです。いずれも厳しい審査があるため、応募すればお金がもらえるというものではありませんが、厳しい状況にある中小企業も、そういう支援メニューも活用して、自ら変化することにチャレンジしていただきたいですし、そういう経営者の方々を応援していきたいと思っています。

中小企業診断士 中陳和人のホームページはこちら⇒ https://www.nakajinkazuto.com/

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2020年に実現できたこと(企業での交流分析研修)

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今年の春に先輩の中小企業診断士からコミュニケーションに関する研修を希望している企業がある、と打診がありました。
 以前から企業単位で交流分析の知恵をお伝えしたいと思っており、是非取り組ませていただきたいという風に逆提案しました。
 私に与えられた日程は4日間(各半日)でした。
 いわゆる2級講座を実施するには時間が短く、かつ初級編を経由せずにいきなり会社まるごと2級講座を学んでいただくのは適切ではないと考え、次のようなプログラムを組みました。

 1回目:社内コミュニケーションの現状を確認する(講師である私の現状把握という目的もあり、また何よりも参加者である社員の皆さんが日ごろ感じている息苦しさや伝わらなさを表に出して問題の認識を共有できるようにするという意味あいがあります)

 2回目:交流分析初級講座その①。1回目であぶりだした職場のコミュニケーション上の問題を念頭に置きながら、相手を変えなければと力む前に、まず自分の心の状態を知ろうということで、交流分析の7つのジャンルのうち「自我状態」を中心に実施。

 3回目:交流分析初級講座その②。この回が全体のヤマ場です。交流分析という心理学の中で私が最も中心的な知恵だと感じている「ストローク」を中心に実施。

 4回目:交流分析初級講座その③。「人生態度」や「心理ゲーム」などについてワークをしていただきながら自分を深く知るというプロセスを踏んでいただくことで、他者とのコミュニケーションのより良いやり方をそれぞれに考えていただく。

主要教材

 経営者の意向により、なるべく全社員に共通認識を持ってもらいたいということで、外国人技能実習生の方々も参加されました。これは驚きでしたが、参加者の1/3以上が外国人技能実習生だったことで、インストラクションプランよりも、この方々に果たして伝わるだろうかという不安が大きく、事務局の方にお願いして、日本人だけ、外国人実習生だけでグループになることがないように、また、私の説明でわかりにくい日本語があった場合は、外国人の方々に解説していただくようお願いしました。
 1回目は模造紙と付箋紙を使った全員参加型のグループワークでした。お客様情報のためその模様を掲載することはできませんが、後から役員さんからこんなに活発に意見が出てくるとは思っていなかったと驚きの声を伺いました。
 当然コロナ下での研修でしたので、全員マスク着用、ソーシャルディスタンスをある程度保ってということでの実施となりました。
 1回目のグループワークは通常行うような大部屋で講師が各グループの間を歩き回るというようにはできず、複数の部屋に分散して取り組んでいただいたので、オペレーション的にも大変ではありましたが、なんとかファシリテーターの役を務めることができました。

 縷々お伝えしてきて、最終日には次のようなまとめをしました。
 ①自分らしく気持ち良く過ごせる時間をより長くしていきましょう。
 ②会社で一緒に学んだ意味は、より心地よい有意義で価値あるコミュニケーションになるよう、コミュニケーションの質を向上させることです。
 ③職場でも家庭でも、意図的に、肯定的ストロークを出すように心がけてみて下さい。

 大きく感謝しているのは、私の依頼を受け止めていただき、幹部の皆さんもしっかり参加していただいたこと、幹部の中でも中心的な方が心理学や職場のコミュニケーションの重要性を感じておられ、交流分析の研修という提案を的確に受け止めて下さったことです。おかげで研修の準備から当日の運営、各日の研修終了時には毎回こういう事象があってどうすべきかといったご相談にもお越しいただき、有意義な取り組みになったと感じています。
 時間の関係で、最終回に参加者の方々から1回目にあぶりだしたコミュニケーション上の問題に対して、それぞれの立場でどのように向かっていくかといったことをお尋ねすることができなかったのが反省点ではありますが、それぞれにおいて学びを深めていただき、またお目にかかれる機会があれば、ともに考えさせていただきたいと思っています。

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『フランクリン自伝』からの抜き書き

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正岡子規の『病床六尺』を見ていたら子規が死の二週間程前にフランクリンの自叙伝について、文字が小さいことと体力が相当落ちている状態のために「三枚読んではやめ、五枚読んではやめ、苦しみながら」読んだにもかかわらず、「得たところの愉快は非常に大なるもの」で「何とも言はれぬ面白さであった」と書き記していました。子規が死の直前まで前を向いて生きていたことに感銘するとともに、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)という人と真面目に向き合ってみようと思ってこの本を求めました。本をひもとく中でごく最初のあたりのページにこれまで出会ったことのない考え方に触れ、これは面白いと思い、全体的に抜き書きをしてみました。あくまで個人の感想ですが、FBとTwitterで投稿した内容を再録しておきます。なお1902年の今日9月19日は子規の命日とのことです。

岩波文庫『フランクリン自伝』表紙

私は他人の自惚れに出逢うといつもなるべくこれを寛大な目で見ることにしている。自惚れというものは、その当人にもまたその関係者にも、しばしば利益をもたらすと信ずるからである。(フランクリン自伝p9 2020.8.15)

議論好きという性質はともすると非常に悪い癖になりやすいもので、この性質を実地に生かすとなると、どうしても人の言うことに反対せねばならず(中略)談話を不快なものにしたり、ぶちこわしたりしたしまうほかに、あるいは友情がえられるかも知れない場合にも不愉快な気持ちを起させ、恐らく敵意をさえ起させる(フランクリン自伝p27 2020.8.16)

私はトライオン式の料理法を習い覚え、馬鈴薯や米を煮たり、早作りプディンをこしらえたり、その他二、三種類の料理ができるようになったので、私の食費として毎週払っている金の半分をくれるなら、自分は自炊をしたいがと兄に申し出た。兄は早速承知した。そこでやってみると、まもなく兄のくれる金が半分は残ることが分かった。この残った金は本を買う足しにした。(フランクリン自伝p30 2020.8.17)

飲食を節するとたいてい頭がはっきりして理解が早くなるもので、そのため私の勉強は大いに進んだ。(フランクリン自伝p31 2020.8.18)

クセノフォンの『ソクラテス追想録』を求めたところ、その中にこの論争法の例が沢山出ていた。私はすっかり感心して、いきなり人の説に反対したり、頑固に自説を主張したりする今までのやり方を止め、この方法に従って謙虚な態度で物を尋ね、物を疑うといった風を装うことにきめた。(フランクリン自伝p32 2020.8.19)

談話の主要な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることにあるのだから、ほとんどきまって人を不快にさせ、反感を惹き起こし、言葉というものがわれわれに与えられた目的、つまり知識なり楽しみなりを与えたり受けたりすることを片端から駄目にしてしまうような、押しの強い高飛車な言い方をして、せっかくの善を為す力を減らしてしまうことがないよう(後略 フランクリン自伝p33 2020.8.20)

人に物を教えようとする時に、押しの強い独断的な言い方で自分の考えを述べたのでは、人は反対しにくい気持になって素直には聞いてくれないだろう。また他人の知識から教えを受けて賢くなりたいというのに、しかも現在の考えを固執するようなことを言っては、議論を好まぬ謙遜で思慮のある人なら、おそらく間違っていてもそのままにしておいて直してはくれないだろう。(フランクリン自伝p33 2020.8.21)

人は金を沢山持っている時よりも少ししか持っていない時のほうが、気前のよいことがあるものだ。多分文なしだと思われるのがいやだからであろう。(フランクリン自伝p47 2020.8.22)

理性のある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理窟をつけることもできるのだから。(フランクリン自伝p67 2020.8.23)

私は鋳型を考案し、手もとにある活字を打印器に使って鉛に字を打ちこみ、こうしてかなり上手に足りない活字を揃えたものだ。また時にはいろいろなものを彫りもしたし、インキも作れば、店番もしたし、その他何でもやった。つまり、万屋だった(フランクリン自伝p101 2020.8.24)

私は人と人との交渉が真実と誠実と廉直とをもってなされることが、人間生活の幸福にとってもっとも大切だと信じるようになった。(フランクリン自伝p108 2020.8.25)

私は有能な知人の大部分を集めて相互の向上を計る目的でクラブを作り、これをジャントーと名づけて、金曜日の晩を集まりの日にしていた。(中略)会員はすべて順番に倫理・政治ないしは自然科学に関するなんらかの点について少なくとも一つの問題を提出し、仲間の討論にかけることになっていた。(フランクリン自伝p112 2020.8.26)

議論のために議論するとか、相手を言い負かすために議論するとかではなしに、真理探究という真面目な精神で行うことになっており、(中略)議論が喧嘩腰になるのを避けるために、独断的な言い方や真向から反対するといったことは一切禁制となり、それを破る者には小額の罰金を課することにした。(フランクリン自伝p112 2020.8.27)

自分の勤勉ぶりを事こまかに、また無遠慮に述べたてるのは、自慢話をしているように聞こえもしようが、そうではなくて、私の子孫でこれを読む者に、この物語全体を通して勤勉の徳がどのように私に幸いしたかを見て、この徳の効用を悟ってもらいたいからである。(フランクリン自伝p116 2020.8.28)

何かある計画をなしとげるのに周囲の人々の助力を必要とする場合、有益ではあるが、自分たちよりほんのわずかでも有名になりそうだと人が考えやすい計画であったら、自分がその発起人だという風に話を持ち出しては、事はうまく運ばない。(フランクリン自伝p150 2020.8.29)

何かある過ちに陥らぬように用心していると、思いもよらず、他の過ちを犯すことがよくあったし、うっかりしていると習慣がつけこんで来るし、性癖のほうが強くて理性では抑えつけられないこともちょくちょくある始末だった。(フランクリン自伝p156 2020.8.30)

第一 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。

第二 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。

第三 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。

(フランクリン自伝p157 2020.8.31)

第四 決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。

第五 節約 自他に益なきことに金銭を費すなかれ。すなわち、浪費するなかれ。

第六 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。

(フランクリン自伝p158 2020.9.1)

第七 誠実 詐(いつわ)りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。

第八 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。

第九 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

(フランクリン自伝p158 2020.9.2)

第十 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。

第十一 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。

第十二 純潔 (前略)これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。

(フランクリン自伝p158 2020.9.3)

第十三 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし

私はこれらの徳がみな習慣になるようにしたいと思ったので、同時に全部を狙って注意を散漫にさせるようなことはしないで、一定の期間どれか一つに注意を集中させ、その徳が修得できたら、その時初めて他の徳に移り、こうして十三の徳を次々に身につけるようにして行ったほうがよいと考えた。(フランクリン自伝p159 2020.9.4)

古くからの習慣のたえまない誘引や、不断の誘惑の力に対してつねに警戒を怠らず、用心をつづけるには、頭脳の冷静と明晰とが必要であるが、それをうるにはこの徳が役立つ。(フランクリン自伝p159 2020.9.5)

知識は、人と談話する場合でも、舌の力よりはむしろ耳の力によってえられると考えたので、下らない仲間に好かれるようになるにすぎない無駄口や地口や冗談などに耽る習慣(それが私の癖になりかけていた)を直したいと願った。そこで沈黙の徳を第二においた。(フランクリン自伝p159 2020.9.6)

多くの人の場合、(中略)私が用いたような方法を知らないために、このほかの徳不徳の点でよい習慣を身につけ、悪い習慣を破ることの困難に出会うと、これと戦うことを断念し、「所々しか光っていない斧が一番いい」と結論を下してしまう。(フランクリン自伝p168 2020.9.7)

私が作った徳目の表は最初は十二項目しかなかった。ところが、クェーカー教徒の友人が親切に言ってくれたのだが、私は一般に高慢だと思われていて、その高慢なところが談話のさいにもたびたび出て来る。何か議論するとなると、自分のほうが正しいというだけでは気がすまないで、おっかぶせるような、むしろ不遜と言ってもいい態度があるとのことで(中略)、できればこれを直したいものだと考え、謙譲の徳を表に加え、その語に広い意味を持たせた。(フランクリン自伝p172 2020.9.8)

会計の知識があれば、悪賢い男に欺されて損をすることもなくてすみ、子供が一人前になってその後をついでやれるようになるまで、従来の取引関係をつづけて恐らく利益のある商売を営むこともでき、けっきょくいつまでも一家の利益、繁昌のもとになる。(フランクリン自伝p183 2020.9.9)

他人の敵意のある行動を恨んでこれに返報し、敵対行動を続けるよりも、考え深くそれを取りのけるようにするほうがずっと得なのである。(フランクリン自伝p190 2020.9.10)

組合経営(※)というものは喧嘩別れになりがちのものであるが、私の場合は幸いなことにすべて円満に経営され、円満に終わったのである。これは私が予め用心して、喧嘩の種が一つもないように、各当事者がなさなければならぬこと、ないしはしてほしいことを残らず明瞭に契約書中で取り決めておいたのによるところが多いと思う。(中略)契約当時には当事者同士がお互にどんなに尊敬と信頼を持っていたにしても、仕事の上の心配や気苦労などが不公平だという考えが起ると、それにつれてちょっとした妬み心や嫌気が頭をもたげ、そんなことから友情にひびが入り、せっかくの組合関係もだめになって、訴訟沙汰やその他の面白くない結果に終わることがよくある。(フランクリン自伝p203 2020.9.11)※投稿者注:今日私たちが認識している「組合」と同義ではない可能性があります。(共同代表の株式会社みたいなものかも)

あらゆる他の宗派は、真理はすべて自分にあるものと考え、自分と異るものがあれば、異るほうが誤っていると考えている。それはちょうど霧の日に道を行く旅人に似ている。少し先を行く人々も、後から来る人々も、また左右の野原にいる人々も、すべて彼には霧に包まれているように見え、自分も他の人々と同様やはり霧に包まれているのに、ただ自分の周りだけが明るく見えると思いがちなものである。(フランクリン自伝p216 2020.9.12)

人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起って来る些細な便宜から生れるものである。(フランクリン自伝p237 2020.9.13)

私が見てきたところでは、理窟屋で反対好きで言葉争いに耽るような連中は、多くは仕事の方がうまく行かないようだ。彼らは勝つことはある。しかし、勝利よりも役に立つ、人の好意というものをうることは決してないのだ。(フランクリン自伝p244 2020.9.14)

怠けているところを自分自身に見つけられるのを恥じよ。(中略)なさねばならぬことが山ほどある以上、夜が明けるとともに起き出すことです。太陽に見下ろされて「恥知らず。ここに横たわる」と言われるな。(フランクリン自伝p323 2020.9.15)

あなたの力が足りないという場合も、あるいはおありのことでしょう。ですが、そうであったにしても、着実に仕事をおつづけになることです。そうなされば、きまって大きな効果が上るものなのです。(フランクリン自伝p324 2020.9.16)

力は勇気ある者に、至上の幸福は有徳の士に、学問は勉強家に、富は用心深い者に授かる。(フランクリン自伝p326 2020.9.17)

つねに注意深く、用意周到であれ、どのような些細な事柄についても。時に、わずかな怠りでも、大きな災いを招きかねない。釘が一本ぬけて蹄鉄がとれ、蹄鉄がとれて馬が倒れ、馬が倒れて乗っていた者が命を落とした。(フランクリン自伝p327 2020.9.18)

儲けはいっときのことで定めないものであるのに、出銭は生涯つきまとう変りないものですし、「かまど二つを築くは易く、かまど一つに火を絶やさぬは難し」です。(フランクリン自伝p336 2020.9.19)

経験の経営する学校は月謝が高い(フランクリン自伝p337 2020.9.19)

番外編①(『フランクリン自伝』の翻訳者・松本慎一氏による昭和12年5月の解説より)

フランクリン自伝は、明治中期以来わが国の青年の愛読書(フランクリン自伝p352 2020.9.19)

フランクリン自伝は世界自叙伝文学中の古典としてきわめて広く読まれ、刊行後約一世紀の間に、英米のみにても版を重ねること幾十百版に及び、今日においてもその需要を絶たない(フランクリン自伝p353 2020.9.19)

彼が書き終えたのは計画の半分ぐらいに止まり、その活動のもっとも花々しかった晩年の三十年間には及びことができなかった。(フランクリン自伝p354 2020.9.19)

カール・マルクスは新大陸における最初の偉大な経済学者としてフランクリンに敬意を払っている。(フランクリン自伝p355 2020.9.19)

フランクリンはワシントンよりもリンカンよりも、より多くアメリカ資本主義の育ての親である。アメリカを理解するためには、フランクリンを知ることが、少なくとも甚だ有益だと思われる。(フランクリン自伝p356 2020.9.19)

番外編②(『フランクリン自伝』の翻訳者・西川正身氏による昭和31年8月のあとがきより)

フランクリンの自伝は、単に「優れた人生教科書」であるだけでなく、「アメリカ資本主義の揺籃史」として、アメリカ研究者にとって必読の書なのである。(フランクリン自伝p363 2020.9.19)

フランクリンは「アメリカ資本主義の育ての親」であったが、フランクリンをその面から見て行こうとする者にとって、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は必読の書である。同書には、「若い商人に与える忠告」をはじめ、フランクリンからの引用、彼への言及がそこここに見当たる。(フランクリン自伝p367 2020.9.19)

なお、この本を読んで初めて、当時のアメリカがヨーロッパの植民地であり、植民地であったということは領主様がいてヨーロッパ本国から色々課税指示が来て、でも現地の人たちは議会を作って抵抗したり、その一方で先住民と戦争をしたり先住民の人たちに自分たちの代理戦争をさせたりという、アメリカ独立前の人々の営みを、知識として知ることができました。

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』文庫版全巻をようやく読み終えました。平成14年の刊行から丸18年をかけての通読となりました。元々ハードカバー版の第1巻が刊行されたのが1992年(平成4年)で最終の第15巻が2006年ですから、著作仕事自体も14年がかりでの大仕事です。

元々塩野さんの著作は学生時代に求めた『神の代理人』や『ルネサンスの女たち』『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』あたりから親しんでいたので、『ローマ人の物語』が出た時も書店で何度かページをめくりつつ、あまりに分厚いので購入には至らず、文庫版が出た時には躍り上がって喜んで買い求めたものです。

全編にわたり、過去の様々な記録や遺物をなぞって歴史の経緯・叙述を記しつつ、都度ご自身の推論も提示しながら読者に示す書き方となっており、何が記録で何が自身の考えかを区別しながら読み進めることができました。これは塩野さんの書き方の特徴であろうと思います。

ローマ皇帝というのは絶対君主のような印象を学生の頃は持っていましたが、この本を読んで初めてわかったのは、まったくそうではなく(歴代の皇帝にもよるようですが)、基本的には元老院という貴族(これも固定的ではなく新規参入貴族もあったようです)たちが承認するという手続きがあったこと、世襲とは限らず現皇帝の甥や信頼のおける部下に引き継いだこともあり、クーデターでの交代もあった(にもかかわらず皇帝という制度はそのまま)、というバラエティに富むあり方だったことです。ずっと後の時代にはローマ教皇が戴冠するという風に変わっていったようですが。

この本の私にとっての圧巻は、ハンニバル、カエサル、そして西ローマ帝国の滅亡のあたりです。

ハンニバルについては、文庫第4巻「ハンニバル戦記(中)」にある次の文章に、リーダーとはかくありたいと思わせる一文があります。「全軍を休ませるに足る宿営地の設営など、考えるだけでも無駄だった。山岳民が使う避難所や要塞に出あえば、神々の恵みとさえ思えた。多くの夜は陣幕を張る場所さえ見つけられず、それらを身体に巻きつけて風と寒さを防いだ。たき火は燃やしたが、暖をとるまでは不可能だった。総司令官のハンニバルも、一傭兵と同じく凍りついた食をのどに流しこみ、一傭兵と同じに崖下で仮眠をとった。だが、彼にだけは、一兵卒ならば考えなくてもよい種々のことを考え、情況に応じた判断を即座にくだす必要があった。」

欧米諸国では「ハンニバルが来るぞ」というのは子どもを怖がらせるための親の脅し文句で、日本での「鬼さんが来るぞ」というのに近いようなニュアンスがあるそうです。食人鬼のような恐ろしさをこめられているように思いますが、実際のハンニバルは将兵とともに起居し、将兵と同じ苦労をし、将兵に混じって仕事をしていた(但し戦略は自身で練っていた)、というある種理想的なリーダーだったのではないかと思います。戦後のある時のローマの将軍スキピオとハンニバルの邂逅シーンも優れた叙述だと思います。

カエサルについては、絶対君主を目指した横柄な人物でエジプトで女王と結婚し挙句は側近に裏切られて衆人環視の中で殺害された、という印象がこの本を読む前の私のイメージでした。しかしこちらもとんでもない誤解だった・・・事実の一部はあっていたのでしょうけど・・・ということがわかりました。なにせハードカバー版で2冊にも及び、文庫版では6冊にもなる、全巻通じて最もページ数を多く割かれた、超痛快な人物です。(捕虜として捕らえられた時の態度が刮目に値します。ある意味「犬のディオゲネス」が奴隷として売られた時のような潔さに通じるような) のみならず、塩野さんはよほどカエサルが好きなのか、皇帝の失政が見られるたびに(と言っては大げさですが)「カエサルだったら」とか「カエサルがもしいたら」みたいなことを後々までずっと書いておられます。

最後の43巻は蹂躙される自分たちの街に住む人々の惨状に思いを致し涙なしでは読めませんでした。しかし、塩野さんのこの本を通じて学んだことは、ものごとは一方からだけ眺めるのではなく、相手の側の目線も必要であるということで、攻める側からはまったく異なる(悲劇ではない)風景が見えていたのだろうなあとも思います。現場で当事者としてその被害にあっていない立場だからこそ取りうるスタンスなのでしょうけど。ただ、現代ではとても直視できない光景です。フレデリック・ラルー氏の『ティール組織』にある「レッドのパラダイム」だということを前提に置かないととてもではないですが。(私たちは既にそのパラダイムは超克しているはずです)


476年に西ローマ帝国の皇帝が廃されて以降のイタリアは、故地回復という名の下に思いつきのように戦いを仕掛ける東ローマ帝国皇帝といわゆる蛮族の平和的支配と劫掠の中でボロボロに疲弊していく旧西ローマ帝国の人々。特にミラノの惨状は目を覆うばかり。食糧生産はできず水道網は市民を救済するという目的での戦闘のために破壊されるなど、戦争は文明と一般の人々の暮らしと心を崩壊させることは間違いないことはよくわかりました。
フレデリック・ラルー氏の『ティール組織』にある「レッド・パラダイム」がそれよりも上位概念であるはずの「アンバー・パラダイム」を打ち負かしたということなのか、はたまた。粗野が往々にして文明に勝ることもあるということの証拠なのでしょうか。
アッティラが東ヨーロッパに攻め入ってきて押し出される形でフランクやらゴートやらが東西ローマ帝国を襲うのですが、そもそもその背景にあったかもという気候変動については塩野さんは触れられておらず。「人の歴史」として描かれたので自然現象は思索の対象外ということだったのかも知れません。最後に泣きを見るのはいつも一般市民です。
長い月日の中で蛮族と言われた人々は少しずつローマ帝国に(軍隊を中心に)取り込まれ融合していき、その中でかの文明のもろさや弱さを学習し、攻めどころを理解し、中に入ったり外から攻めたりしながら、最後は砂の城が崩れるようにポロポロと崩壊していった感じがします。
とは言えキリスト教会は存続し蛮族と言われた人々もヨーロッパのあちこちに住まいし、また帝国を逃れて海辺に行きやがてヴェネツィアとして千年の栄光を誇る人たちもいたり、やがて元々同一国だったはずのヨーロッパの人々が東ローマ帝国を蹂躙しコンスタンチノープルを崩壊させたりと、歴史はまだまだ続きます。

塩野七生さんの著作の一部

ともかく、長い間一つのテーマで楽しい読書をさせていただきました。塩野七生さん、ありがとうございました。

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「アリストテレス」が東へ西へ

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2020年5月と6月はブログの投稿を怠ってしまいました。

仕事柄実務をするばかりではなく時折は経営理論についての仕込みも必要であり、入山章栄さんの『世界標準の経営理論』なる大部の書物をめくっていました。

そんな中、同書のp662に「アリストテレス、カント、ベンサムらが提示した哲学理論は、いまも規範的な企業倫理の基礎になっている。」との一文がありました。ちょうど企業倫理について人様の前で話さなくてはならないということもあり、調べておかなければならないなあと思い、アリストテレス関連の書物やアリストテレスを西欧に再導入してキリスト教学と親和性を持たせたトマス・アクィナス関連やしばらくの間ギリシア哲学を保存していたイスラムの知の歴史などを調べていました。アリストテレスはギリシアの哲学者であり、ローマ帝国のどこかのタイミングで「過去の人」になり、ローマ帝国崩壊後はなぜかイスラムで継承され、その後再び西欧哲学の支柱になった・・・・なぜ「過去の人」になったのか、なぜイスラムに移ったのか、なぜイスラムで維持されたのか、なぜ再び・どういう経緯で西欧に戻ったのか・・・疑問が山積噴出です。色々調べてもわからないことだらけですが、時系列でそれに関することだけでも世界史の年表から拾ってみようというのがこの投稿の主旨です。残念ながらそれ以上深みのある作業ではありません。悪しからず。

なお作業は上記の諸書物を渉猟したのち、結局高校時代の世界史年表とNTT出版が1990年頃に「電話100年」記念事業として出版した松岡正剛さん編集になる『情報の歴史』から抽出しました。

788年 第5代カリフのハルン・アル・ラシード「知恵の宝庫」と名付けられた図書館を設立。学者や書物を集め、知識の府とし、ここでギリシア語の文献を翻訳させた。(イスラムによる版図拡大⇒征服地には元アレクサンダー大王による占領地が多数含まれており、ギリシア語の文献も多く存在していたと思われる)           800年 カール大帝、教皇レオ3世から戴冠807年 ハルン・アル・ラシードがカール大帝に水時計を寄贈。(イスラムから西欧に贈り物!)820~830頃 「アリストテレスのイスラム化」との記述あり830年 第7代カリフのマームーン「知恵の宝庫」を拡充、「知恵の館」を設立836、920、931、941・・・この頃イスラム世界におけるアリストテレスの紹介活発950年頃 コルドバの人口50万人、図書館も充実、当時のヨーロッパの学問の中心地に。(イスラム勢力が8世紀以降スペイン、ポルトガル<当時はアンダルスと呼ばれていたとか>を支配していたが、イスラムによる征服前はキリスト教がかなり普及しており、イスラム文化を受け入れた現地の人たちがアラビア語で記されていた元ギリシア語の書物をラテン語に翻訳しており、やがてそれらがピレネー山脈を越えることで西欧のカトリックの世界に紹介されることで中世西欧の学問の基になったとか)1030年 イブン・シーナ『医学典範」『宇宙論』『形而上学』などを著す。(アリストテレスの諸学問の影響大と思われる)1088年頃 ボローニャ大学創設(ヨーロッパ最古の大学)1096年 第1回十字軍(『アラブが見た十字軍』という書物には、攻め手のすさまじい暴行略奪食人の様子が描かれています。聖地奪還という美名に隠された別の目的があったのではないかと思わせるような悪行ぶりです。それは「異人は怖い。だから何をしても良い」という非文明時代の人たちだったからなのかどうか・・・塩野さんの『十字軍物語』なども含め、双方の立場で見てみて、歴史に学ぶことが必要だと思います。)1113年 ヨハネ騎士団、テンプル騎士団など創設1120年代 イスラム哲学のラテン語訳始まる(アデラード、アベラールなどによる)・・・いわゆる12世紀ルネサンス?1187年 サラディン、エルサレム占領1200年頃~ アラビア語アリストテレスのラテン語訳、ヨーロッパに広がる1210年 パリの協会、アリストテレス学説の授業禁止。(なぜでしょう? アリストテレスの考え方にはキリスト教の神が存在しない・・・「人はロゴス(理性)に従って善、中庸の行いをすれば幸福になれる」と考えており、それは神の否定につながると思われたからでしょうか・・・)1228年 教皇グレゴリウス9世、アリストテレス哲学をキリスト教に導入することを禁止。(上記の理由で全面的に禁止になったのでしょうか?)1229年 フリードリヒ2世、エルサレムに入場(第5次十字軍)1231年 教皇グレゴリウス9世、アリストテレスの理論の中で協会の協議に合うものを審議(一旦は禁止したものの、多くの人がアリストテレスの何かを知るようになり止められなくなったのかも知れません)1255年 アリストテレス学説、パリ大学人文科の教授対象となる(ここまで来ましたか、という感じですね)1273年 トマス・アクィナス『神学大全』完成。アリストテレス哲学と神学の関係を整理。哲学を神学の下に位置づけて取り込み。

・・・この間、モンゴル軍がポーランドまで侵攻したり(1241年)、第4回の十字軍が味方のはずのコンスタンチンープルを陥落させたり(1204年)、とややこしさ・複雑さが増していく感じがしますが、そこまでは追求しないでおきます。こんな風に歴史を読んでいくと、世界はお互いに影響し合ってなんとか辻褄を合わせながら生きてきたんだなあと感じます。イスラムの歴史、ローマ帝国後の西欧の動向などさらに学んでいこうと思います。

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世界的な感染症の流行とその後の世の中の変化について考える~映画「フェアゲーム」、書籍『株式会社の終焉』など~

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2020年初頭から新型コロナウイルス感染症「COVID-19」が猛威を振るっています。ワクチンの開発や治療薬の治験などが医学関係者の皆さんの間で懸命に取り組まれているものと思いますが、現時点ではまだこれといった具体的なものが見えていません。そのため、いつ収束又は終息するのかが見えず、私たちの生活は大幅に制約を余儀なくされています。

3年半ほど前に経済学者の水野和夫さんがお書きになった著書に『株式会社の終焉』という本があります。その中で著者はグローバル資本主義の限界を捉え「地球はいずれ閉じる」「21世紀の原理は『よりゆっくり』『より近く』『より寛容に』である」と主張しておられます。「20世紀の『技術の時代』は17世紀の『科学の時代』からの累積の上に築かれた」「今なすべきことは、21世紀はどんな時代化をまずは立ち止まって考えることです。走りながら考えると、過去4世紀間の慣性、すなわち『より速く、より遠く、より合理的に』が働いて、ITを切り札にした第4次産業革命にすがることになります。」と。

オンライン授業やオンライン会議、オンライン相談など、ネットを通じて会うというやり方が増えてきました。また、学校を9月入学に変更してはどうかという議論も再び始まりました。今まで4月生まれの人とと10月生まれの人が同じ学年だったものが、そういう風に大きく制度を変えると学年が別になってしまうかも知れず、また会社の入社時期はどうするのか、先生方の人事異動は、予算との関係は、私立学校の経営は、その他その他検討しなければならない課題が山ほどあります。しかし世界では米国をはじめ多くの国がそのようにやっているとなれば、ある意味業界標準みたいなものであり、合わせる不都合と合わせない不都合の比較みたいなことも考えてみる価値はあるのかも知れません。

先日一部の政治家の方々がColaboという団体を訪問した時のことが話題になっていました。後でその団体の方が抗議文を公開しておられ、一読しましたが、とても理路整然としてわかりやすく、どの行為やその背景となる思いのどこに問題があるのかが丁寧に記載してありました。私たちは勘違いしているのかも知れません。どちらが偉いのか。そういう問題ではなく役割なんだということを。例えば、極端な言い方をすれば、政治家は農家や工業生産者などと違って財を生み出しません。もちろん資本家の方もおられますが。財を生み出さないということはある意味「生産性がない」と言い換えても良いかも知れません。私たちが汗水たらして働いて稼いだお金の一部を税金として税務署に渡し、政治家はそのお金で生活をしておられるのですが、その自覚がどこまであるのか。私たちも彼らに投票して選んで税金を払って私たちの代弁者として雇っているという自覚がどの程度あるのか。選ばれし偉い人たちなのだと勘違いしているのではないでしょうか。

そのことが見えてきたのは、今回のコロナウイルス感染症で、傷ついた多くの人たちが求めている生活費や事業の固定費などのカバ-を国に求めているのに、あたかも「誰に与えてあげようか」という姿勢が一部に見られ、私たちがそのおかしさに気づき、誰かが「そもそも税金を納めたんだからこんな時ぐらい少し返して下さい」という言い方をして、それに対する共感が広がったということがあるのではないかと感じています。

国がおかしな動きをしたらちゃんとそれをおかしいと言えること。これは民主主義の大事な要素だと映画「フェアゲーム」は示唆しているように思います。ナオミ・ワッツさんとショーン・ペンさんが主役を演じており、ショーン・ペンさんが映画の終盤で講演している中で次のようなことを言っています。「ベンジャミン・フランクリンが独立宣言の草稿を書き、表へ出ると女性が近づき尋ねた。『フランクリンさん、どんな政体になりますか?』フランクリンは答えた『共和制です。守り通せるなら』・・・一人一人が国民としての義務を忘れない限り、道路の穴の報告も、一般教書の嘘を追求することも、声に出せ、質問するんだ。真実を要求しろ。民主主義は安易に与えらればしない。だが我々は民主主義に生きる。義務を果たせば、子どもたちもこの国で暮らせる。』実話に基づいた映画ですが、これがつい十数年前の出来事だと知り、驚くとともに、さすが民主主義の本家だなと感じました。

水野和夫さんと山口二郎さんの共著に『資本主義と民主主義の終焉』という本があります。この中で山口二郎さんが米国のハーバード大学教授のスティーブン・レベツキー氏とダニエル・ジブラット氏の共著『民主主義の死に方』の一節を紹介しており、「独裁の兆候として『審判を抱き込む』『対戦相手を欠場させる』『ルールを変える』の3つがあると指摘している」と書いておられます。今回のコロナウイルス感染症が収まったあと、人と人との接し方や社会の仕組み・当たり前が変わっているかも知れません。しかし、水野和夫さんはこの著書で最後に仰っています。「資本主義は終焉しても、民主主義は終わらせてはいけない」

私たちが「声に出さず」「質問しない」間に、大事なものを失ってしまわないよう、この大変な時にもしっかり意識をしていくことが大事なのではないだろうかと思います。外国の話ではありますが、フランクリンが「守り通せるなら」と言ったということを肝の銘じておきたいと思います。そしてこの世界中に猛威を振るっているウイルス禍の後、分断やヘイトで他人と自分を分かつのではなく、他の人に対してもう少し親切に穏やかに接することが多くなるような、あるいは、少しでも企業が利幅を大きくするために低コストで生産できるところから仕入れるというグローバルサプライチェーンが見直されて地産地消のような動きが高まるような、水野和夫さんが仰っている『よりゆっくり、より近くに、より寛容に』という価値観や体制の変化が少し増えていくのかも知れません。

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