先週の土曜日に仲間と一緒に開催した「とやまキトキトBIZねっと」での成岡秀夫氏の講演内容を整理したので、少し詳しめに紹介したい。(講義の順番ではなく、筆者が内容を編集したので、一部意訳も入っている)
まずは講師紹介。(後ろの写真はたぶんビル・エバンスです。講演の最中の写真にはあまりいいのがなかったので、懇親会の写真を持ってきました。少しアルコール入ってます)
京都府在住の中小企業診断士で、大学卒業後、三菱レーヨンを経、親族の経営する出版社の経営に携わり、そこで大成功と倒産という大きな挫折を経験し、さらに色々な経験を積んで中小企業診断士として独立し、今は自分の会社を持ちながら、再生支援協議会でのアドバイザーなどをしながら幅広く企業の指導に携わっておられる方である。
著書に『デキル社長のスピード仕事術』(同友館)という、タイトルはとても軽いが、中身はずっしり重いものを著されている。
さて内容。
1.再生支援協議会の仕事をして
(1)まず経営者に対して「どうして経営が傾いたのか」を問う。
⇒客観的に見た根本的な原因を語れる経営者はほとんどいない。
皆、うまくいっていた頃の話からしか始めない。
「銀行のせいで」とか「環境が変わったから」とか自分以外に責任を求める経営者が多い。
自分の会社を客観的に見ることができないことが、そもそもの転落の始まりである。
うまく行っていた時の「成功体験」に固執している。同じことが何度でも、どういう環境下においてもうまく行くと思っている。
うまく行ったのは、その時の環境下でのことであり、いつも成功するわけではない。
成功した次の瞬間からその成功は忘れなければならないのに、それに固執すると失敗する。
(2)次に「あなたの会社は一体どういう会社なのか」と尋ねる。
⇒ほとんどの経営者は、事業の内容や売上(PL)を語ることはできる。
しかし、再生対象の企業の経営者の多くは、その事業を通して<そもそも>何をしたかったのか、会社の存在価値は何なのか、ということについてはあまり語れない。
(3)再生に向けた検討において「今の資産はどれだけあるのか」を聞く。
⇒やはりPLは語れるが、資産がなんぼあるのか、は把握されていない。
有効な在庫がどれだけあるのか(どれだけが不良資産、不良在庫なのか)も把握していない。
(4)経営者にとって一番大事なことは何か。
⇒自分が経営していく上において、一番大事な価値観はなんなのか、<そもそも>この事業をなんでやっているのか、それを語れることが大事だが、その<そもそも>の価値観がぶれている。
経営者は、立ち返ることのできる原点を持っていることが大事。
迷ったらその原点に立ち戻って自問自答する。それが企業理念、経営哲学。それがぶれている経営者は再生も困難。しかし、それを思い出させることができれば、その経営者自身による再生も不可能ではない。
2.今の厳しい経済情勢の中、経営者は何をすべきか
(1)固定資産より、社員教育など人的投資を重視してほしい。
(自身が経営に参画していた出版社は、儲かった時期に京都のど真ん中に自社ビルを購入し、その借入の返済ができず、かつ同じ柳の下の二匹目、三匹目のどじょうを求めて失敗し、資金繰りに行き詰って倒産した。人の頭とペンさえあれば良い出版社が不動産を手に入れたところが転落の始まりだった)
(2)花が咲かない時期は、植物は根を張る。不景気のときこそ、今までできなかった大事なこと(社員教育など)、当たり前のことをきっちりやるべきである。
(3)一番大事なことは継続すること。継続は能力である。
3.暴走するトップを取締役会が追認機関とならないための方策
(1)堂々と正論を言うこと(私利私欲からではなく)。
(2)もののわかったNo2を置くべき(少し年上の家老が社内にいるか、その人の話を社長が聞くか)。
(3)親子であろうと兄弟であろうと空気や雰囲気で決めず、会社をどうするかの観点で行動すること。
(4)私心ではなく、役員の責任とは何か、を基準に考え行動すること。
4.社内のコミュニケーションを円滑にするための上司のやるべきこと
(1)話し合い、本音でフランクにものが言えるコミュニケーションを心がけること。
(2)そのためには、形式ばらず、日常的に誰にでも声をかけ話をすること(会議は形式)。
※盆栽すら育てるためには声をかける(まして人においておや)(土光敏夫)。
以上である。
ちなみにその講演は、富山商工会議所という以前は富山市で一番高い建物だったところで行われた。
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七瀬ふたたび
昨年11月頃にNHKのBS-HIでやっていた「七瀬ふたたび」というテレビ(10回シリーズ、各45分程度)を録画して徐々に見ていて、昨夜最終回を見終わった。
ご存知筒井康隆さん原作の人気SF小説が原作であるが、古くは多岐川裕美さん、水野真紀さんが主演するなど、何度かテレビ化されている。(私の知らないドラマ化もあると思う)
高校生の頃は筒井康隆フリークで、当時出版されていた全ての文庫本を読んだ覚えがある。
何が面白かったか、と書き出すと切がないのでやめるが、「七瀬ふたたび」は「家族八景」に始まり、「エディプスの恋人」で終わる七瀬三部作の真ん中の作品である。
今回のドラマ化は蓮佛美沙子という人が七瀬役を演じていたが、 紺野美沙子さんや原田知世さん、小西真奈美さんなどにも共通する透明感のある女優だと思った。
ドラマの最後は、原作と同じで、主人公も含め、仲間が全員(ほぼ全員)死んでしまうという結末で、原作を知らない人は「ええっ? なんで主人公まで死んじゃうの?」と、ドラマの制作者を恨んでいるかも知れない。
私も原作を読んだ時には、以外な結末に悲しい思いをした覚えがある。
しかし、不思議ではあるが、その後の「エディプスの恋人」では確か全員が復活していて、元気に生きていたように思う。
当然主人公の七瀬も普通に暮らしている。でなければ第三作は成り立たないのだが。
ということで、ネットを見ると色んな人が今回のドラマ化で書いているようだが、私も久しぶりに連続ドラマを見たので、ついコメントしたくなった次第。
で、普通「三部作」などというと、前後の作品をドラマ化して不思議はないのだが、これまでの「七瀬」の経験から言うと、続編はなぜか作られない。
関心のある方は、新潮文庫か筒井康隆全集をご覧下さい。面白いですよ。(ものによってはハチャメチャですが)
2ヶ月ぶりのジム
デブ状態を脱し、4月のしんきろうマラソンでとりあえず5㎞走るため(初出場)、2週に1回はジムに行くぞと決めてだいぶん時間が経つ。
昨年は色々資格試験の勉強があり、時間がとれなかったのが実情だ。
今年は、行くぞ、と新たな気持ちで臨もうとしている。
今日は午前中子供の用事やら諸手続きやらで朝からバタバタしていたが、昼頃ようやく時間が空いたので、2ヶ月ぶりにジムに行ってきた。ありそドームという魚津市の運営している体育館である。
ランを20分とエアロバイクを10分。
たっぷり気持ちのいい汗をかいた。
日頃運動している世間の人から見ると、笑うしかないくらいの運動量の少なさではあるが、2ヶ月ぶりだし、しばらく運動らしい運動もしていなかったので、こんなものだろう。
今後、なるべく2週に1回は通おうと思っている。
ま、ボチボチやっていこう。
オバマ新大統領の演説
昨日立ち寄った書店で偶然『オバマ演説集』が目に止まり、買ってしまった。
人を魅了するすごい演説だと聞いていた。
同じ韻を何度も踏むとか、声の質がバリトンで心地よいとか、色々言われている。
テレビでちょっとだけ見ていてもよくわからない。
ということで聞いてみた。
明らかに違うのは、2004年の少しアルト調の声質と、2008年の低音が響く声質の違いである。
別人の声かと思うくらいに違って聞こえる。
まあそういうことはいいが、途中泣けてきた。
英語などわからないが、なんだか魂を震わすような響きがあり、自分でも驚いている。
CDを聞きながら、訳文を見ながら、ということをしてはいたのだが、英語がそのままわかるわけではもちろんない。
なんだろう?
アメリカは分断されようとしているが、実は一つのアメリカで、白人の国と黒人の国とヒスパニックの国とアジア系の国なんかがあるわけではない、一つの合衆国なんだ、自分たちアメリカ合衆国の国民はもっと色んなことができるんだ、と重ねて言っている。
しかしべき論だけを言っているわけではない。税金を何に使うかどれだけ使うかという具体的なことも言っている。
が、国が分断されている、という印象を持っているときの国民に必要なのは、一体感とか自信とか誇りといったものではないかと考えたとき、この人の主張は、その思いに渇望している人たちにとって大きな力になるのではないかと思った。
それは、アメリカだけではなく、我が日本にも必要なことではないか。
誇り・・・これはとても大事なことだ。
一人ひとりの人間にとっても、国民という大きな単位の人々の共通の価値観にしても、また企業で働く仲間にとっても。
オバマさんの演説がなぜこれほど大衆受けをし(ちょっと表現が下卑ているかな)、不利だと言われていた選挙戦を勝ち抜いてきたのか。
そのヒントは、失望しかかっている人々に、自信と誇りを持って生きていくことを思い出させたからではないか。
う~ん、我が国の政治家や経営者にこういう人が出てこないものか。
部下を言葉で叩きのめす上司や他党をこけおろす政治家ばかりでは、社員、国民は自信喪失、うつになるばかりで、誰も力を合わせてこの大変な状況を立て直していこうとはならず、自分の権利や主張や生活を守ることだけに汲々としてしまうのではないかなあ・・・。
モチベートということについて考えさせられたCDであった。
腹回りは今日も・・・
昨日、新年初日でズボンのベルトがきつかった。
ためになるべく歩くようにしたが、今朝も同様、きつーい朝だった。
幸い天気が悪くないので、駅から会社までの片道15分は行き帰りともに歩くようにしている。
明日も曇りということで、この季節にしては歩きやすいようなので、引き続き、極力体を動かすようにしよう。
とにかく21日の人間ドックで、「あんた! 前より不健康になったじゃない!」とだけは言われないようにしなくては・・・。
さあデブ2日目がふけてゆく。
油断!気づいたら、デブ・・・。
わずか5日ぶり、であるにもかかわらず、今朝ズボンをはいたら異変があった。
ベルトが大変きついのである。
たった5日、仕事に行かなかっただけである。
こんなこと久しぶりだ。
年末年始、たった5日しか休みがなかったのだが、よほど楽をさせていただいたのか、食べ過ぎたのか・・・。
思い当たるほどの楽はしていない。
そんなに酒を飲んだわけでもない。
現に3日の夜などは酒を飲まなかったのだし。
とすると、食べすぎか。
確かにもちは浴びるほど食べた。
2日の夜は妻の実家の家族と焼肉屋に行ってすき焼きをさんざんいただいた。
そして、昼寝はそこそこにした。
ああ、それが原因だな。
今月21日は一年ぶりの人間ドック(但し日帰り)だ。
メタボだ、と言われないように、ちゃんと体重戻して行こう。(反省!)
今年最初の遠出
急に少し遠出をしたくなり、妻を誘って高岡の瑞龍寺に行って来た。
魚津から国道で1時間あまりだが、瑞龍寺に行ったのは初めてである。
加賀藩二代藩主の前田利長の菩提をとむらうために、三代の利常が建立したもので、最近国宝になった曹洞宗の寺である。
寒い時期であり、いくつかある駐車場の、一番入り口に近いところに車を止めることができた。
来客はそんなに少なくはなかったが、たぶん、関西方面からの一個団体があったためであろう、JTBの観光バスツアーと一緒になった。
境内は、そんなに色んなものがあるわけではなかったが、私の関心を惹いたのは、石廟というところである。
回廊を左から回って中ほどに行ったところからさらに左のくぐり戸を通って入るところである。
中に5つの石の墓があった。
まつられているのは寺の主である「前田利長公」、建立者である「前田利常公」、そして「織田信長公」、「信長夫人」、「織田信忠公」ということであった。
不思議だったのは信長及びその妻子の墓であり、そばにあった説明板に「本能寺の変の後、信長公父子の分骨を得て・・・」と書いてあったことである。
織田信長の遺体は見つからなかったというのが定説であり、そうならば、分骨などありえないことだが、まあ、寺の言い伝えでそうだというのならそうなのだろう、と思って礼拝し、後の工程を回った。
久しぶりに妻と語らいながらのドライブと思ったが、日頃の疲れのせいか、彼女が起きていたのは瑞龍寺の中だけで、後はぐっすりおねむの人だった。
三木聖子さんの「まちぶせ」と底流でつながっている友人
中学2年の秋のある夕方、部活を終えてだったか、委員会活動の途中だったかは覚えていないが、教室に戻ったら、何人かのクラスメートが残っていた。10人ぐらいいたか。
そのときに突如、当時流行っていた、三木聖子さんの「まちぶせ」という歌を歌いだした。
友人のO君と私が一緒に、である。
O君が先だったか、私が先だったかははっきりとは覚えていない。
歌いだしたのは私だったと思っているが、O君だったかも知れない。
ま、そんなことはどうでもいい。
要は突然歌が始まって、二人の男子生徒がアイドル歌手の歌で手拍子をとりながらコラボレーションした、ということである。
そしてその歌を最後まで歌いきった。
それから三十年以上たつ。
その間、石川ひとみという人が「まちぶせ」をリバイバルで歌い、三木聖子さん以上の大ヒットを放った。
石川ひとみの歌が流行っていた頃、元祖は三木聖子という人なんだということを周囲の人に語っても、誰も知らないと言っていた。共感のできない寂しさと、O君とは共感どころがコラボまでできたということが今も誇りになっている。
そのO君から年賀状が届いた。
仙台に出張したときに入ったスナックのママさん(という言い方が適切かどうかはわからないが)が、なんと三木聖子さんだったという話しだ。
三木聖子さんが生で「まちぶせ」を歌ってくれたらしい。
「お前、覚えておるか」というコメントが書いてあった。
覚えておるかどころではない。
今も三木聖子さんと林寛子さんは永遠のアイドルだ。
先日もYouTubeで三木聖子さんを探して、「まちぶせ」を聞いたくらいだ。(レコードのジャケットだけで動画はないのだが)
離れて暮らし、三十数年を経てはいるが、心の友とは底流でつながっているんだなという感じがして嬉しかった。
今年は幸先いいぞ。
「変」の一年を振り返る
今年を漢字一文字で表すと「変」だ、ということだが、その「変」のは今日で終わり。
勤め先では「来年はchangeの年だ」「お前たちはどうchangeするのか」と言われている。
明日から来年であるが、今年の振り返りを少し。
1月 中小企業診断士の仲間と、異業種交流勉強会「とやまキトキトBIZねっと」を立ち上げ。
2月 勝間和代さんの『効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法』を読み、衝撃を受ける。(ある意味転職を考える動機となった)
3月 ある先輩管理者の送別会で、その先輩がなさった挨拶に心を動かされ、転職を決意。
4月 ブログを始める。
転職を希望する会社に願書を提出。
5月 前の会社で受けた健康診断で「いつ動脈硬化になってもおかしくない」と言われる。
転職希望先の会社で2回目の面接。今の上司となる部長から「金融機関の売り物は数字だ」と言われ、それをいつも意識して仕事をするようになる。
6月 24年間愛してやまなかった会社に別れを告げる。自分の夢に向かって、退路を断ち切る。
7月 新たな職場の金融機関で働き始める。
8月 20年ぶりに奥飛騨へ
9月 初めての経営相談会を開く。先輩社員の指導の下、ろれろれになりながら実施。
越中富山ふるさとチャレンジ検定を受験。合格。
10月 速読法の真似事をして損害保険販売人の試験と営業店管理Ⅰの試験を受験。ともに合格。
11月 リーマンショック以降の富山県の足元経済の状況について調査。
12月 本を買いまくる。速読法をちゃんとやらなければと机の上の本の山を見てあせっている。
転職先を決めるに当っては、昨年知り合った中小企業診断士仲間のX氏から私の希望に即した会社の情報をいただき、色々と教えていただいた。彼自身転職の経験を持っており、あまり不安を抱かずに決意することができたのはX氏に教えていただいたことが大である。
転職以降、多少本を読む時間もできたし、新しい知的ノウハウの習得にも少し着手し始めた。(勝間和代さんの著書の影響によるところ大である)
健康については、5月と年末では行って来るほど変わり、良好になった。
世の中は9月のリーマンショック以降、アメリカ経済が減退し、そのあおりを食らって世界の経済が減退してきた。
我が富山県経済にその影響が目に見えて見え始めたのは10月後半頃からか。
11月には各企業の経営者、特に製造業の経営者が、受注減ということを言い始めていた。
その間自分は、通信会社から金融機関に移り、世の中の変化を身近に感じるようになり、新聞記事が記事ではなく出来事として感じるようになった。
これまでも経済社会の一員だったはずだが、これまではあまり世の中の動向を肌身で感じることがなかった。私の属する会社は、景気に影響されにくい業種、と言われていた。今もそう言われており、たとえば株価一つとっても、ここ2、3ヶ月の変動は世の中の動向と関係ない値動きをしている。
ところで今朝、NHKのテレビで今年の振り返りの番組をやっていて、勝間和代さんが出ていた。
通り魔殺人の激増、横行の話題があり、その中で勝間さんが「インターネットではだめなんですか?」と隣の石田衣良さん(作家)に少女のような聞き方で聞いていた。
なんのことかというと、秋葉原通り魔無差別殺人に代表される、今年多発した通り魔殺人を防止する社会の仕組みのようなものについて石田衣良さんが言及した際(「安全ネット」という言い方をしていた)、安全ネットをネットと言いつつ、インターネットではなく、というようなことを言ったことに関しての勝間さんの反応だった。
勝間さんはインターネットを使いこなしているし、それでのコミュニケーションも大変活発に行っておられ、インターネットで十分人と人とのつながりは維持できると思っているのかも知れない。
石田さんはその素朴な質問に対して「インターネットではだめなんです」と言下に否定していた。「直接の会話なら、すぐに反応が見える。インターネットではそれがないでしょ」と説明し、勝間さんも納得しておられた。
勝間さんも毎日ご家族と一緒に食事をするなど、身近にふれあう人々がいるので、わかられると思う。無差別殺人をする人たちはどうだろう。実家には優しい母親がいても一緒に住んでいないとか、身近にはそういう色んなバカ話や悩みを打ち明けたり、笑い飛ばしてくれる友人・家族・兄弟、そんな人々がいないなど、心のふれあいができる人が近くにいないのではないか。これは現代日本の抱える「核家族」のもたらした悲劇か・・・そんな社会論評のようなことを言ってもしょうがない。目の前の現実に対して、自分と自分の家族をどう守るか、被害者にならぬよう、加害者にならぬよう。
今年よりも来年が良くなるとは限らない。劇的に良くなるような要素があるわけではない。
しかし、悪くならないように、一人ひとりが努力することはできる。
どんな不可抗力があるかはわからないが、自分と家族の幸せは自分たちで切り拓き、守っていかなければならない。そのためには闘いも必要だ、というのはなんとも皮肉だが、生存は競争であり、その競争に負けてはならないと思う。
ある時期の日本は良かったなと思う。今ほど競争を意識しなくても良かったのではないか。
だが人々が幸せに暮らしていける社会というのは、本当にあるのかどうか。
古代ローマにその範はあるかも知れない。
昭和(戦後、高度成長期の少し後)の日本がそうだったかも知れない。
しかし今は平成の日本であり、これだけ国際化されている。
昭和の後期は、アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく、と言われていたが、今はもしかするともっとひどいかも知れない。アメリカがくしゃみをすれば日本が吹っ飛ぶ・・・。そういう時代になったのかも知れない。それだけ密接に色々なことが絡み合っている以上、アメリカの動きから目を離すことはできないし、それゆえに物申すことも必要かも知れない。
そんなことを感じることができるようになったのは、自分自身の「変」があったからかも知れない。
「変」は今年で終わりではない。
色即是空空即是色。
変化することは生きていること、生きているということは変化すること、という意味らしい。
古代の仏教に既に言われていることだ。
生き残ってきたものは環境の変化に合わせ自らも進化(変化)してきたものたちだ、とはダーウィンの言である。
俺は毎年バージョンアップしている、というのは私の以前の上司Fさん(福岡県大野城市の方)の言葉だ。
変えるべきでないことは変えず、という芯を持ちながら、でも、世の中の変化を読み、自らも変化していきたいと思う。(ああ、長くなった)
映画「大いなる陰謀」
DVDをレンタルして、久しぶりに映画を観た。
邦題が「大いなる陰謀」
原題はたぶん「Lion for Lambs」というようなタイトルだった。
ロバート・レッドフォードが作り、自らも出演している。
他の主なキャストはトム・クルーズとメリル・ストリープ。
観る前は、てっきりトム・クルーズが中心の役割なのだろうと思っていたが、どうもそうではない。
陸軍士官学校を主席で卒業した超エリート上院議員のトム・クルーズが、テロとの戦いを終わらせるために、新たな戦闘を起こし、その戦争を終結に向かわそうというものだ。
しかし実態はさにあらず。
厳しい気象状況の中、敵地に赴いた新兵(大学教授役であるロバート・レッドフォードの教え子たち)を含む十数人のヘリ部隊は敵高射砲に打ち落とされ、最後にはロバート・レッドフォードの教え子たちは「戦争の最前線に立って現場で役に立ちたい」と志願して行った最初の戦闘で、真冬のアフガニスタンの高地であえなく敵弾に倒れる。同じヘリに乗っていた他のメンバーも、恐らく全員戦死である。
その戦闘が行われているさなか、トム・クルーズは、ベテラン記者であるメリル・ストリープに、自らの戦略を滔々と語り、「敵は狂信的であり、絶対許さない、勝つためには手段を選ばない」とプロパガンダを行っている。そういうトム・クルーズの目が狂信的だったりする。
結局ヘリ部隊がいけにえとなって、その「エサ」に釣られて出てきた敵兵士たちを、空爆で一気に叩き潰すことによって、その一帯の高地を獲得し、トム・クルーズの作戦は成功したことになる。
それと同時進行で、ロバート・レッドフォードが自分の教授室に一人の学生を呼び、話をしている。
学生はとても優秀だったが、途中からしらけてしまい、授業に出てこなくなり、このままだと落第する恐れのある人物。
弁は立つが、何一つ現場の苦労を知らない。
「政治家なんてのは、みんな・・・」と評論家になってしまっている。
「何か現場に立って世間の役に立つことをしたらどうか、そうすればB評価を与えてあげる」と説得する教授に対して、ああでもないこうでもないと反論を繰り返し、結局何も動こうとしない学生。
物語のお終いは、ロバート・レッドフォードが件の学生に対して「君はもう大人だ、自分で判断し、行動しなさい、来週の火曜日に授業があるから、そこで結果がわかる」と言い(たぶん、落第とか退学とかいう判決が下されるのだろう)、学生は「とんでもない過ちをしてしまったかな」という顔をしながら、反論ばかりしてきた自分を反省するかのようなそぶりで部屋を出て行く。
彼がたむろしている学生会館ではテレビでニュースをやっており、トム・クルーズの企画した奇襲作戦が成功したというテロップが流れている・・・。
という、3つの場面が同時進行でかわるがわる流れていく映画だ。
淡々とした感じだが、なんだかメッセージ性の強い映画だ。
マイケル・ダグラスの「トラフィック」という麻薬をテーマにした映画も淡々とした語り口だが強烈なメッセージがあり、しかも後味があまりよくない(テーマが重いので後味が良い方がおかしいが)映画だった。
どうも、底流を流れるものは「トラフィック」と似たようなものであるような気がする。
一体ロバート・レッドフォードは何を言いたかったのか。
何かを言いたいがために、こういう映画を作ったのだろうと思うが、自らも三分の一ほど画面に登場し、穏やかな口調で、でも必死に若い学生を動かそうと説得し、最後はあきらめてしまう、という終わり方である。(学生の心には何か残ったような感じではあったが)
彼が説得しようと試み、しかし説得し切れず、約束の時間が過ぎてしまった、当の「学生」は、見ている私たち、あるいは、彼が見て欲しいと思っていた「アメリカ国民」そのものなのかも知れない。
とすると、アメリカ国民に対して、戦争に参加するのではなく、忌避するのでもなく、あおるのでもなく傍観するのでもなく、募金運動やボランティアなど、何か地道に人の役に立つことをすべきではないか、ということを訴えたかったのかも知れない。
ちなみに原題の「Lion for Lambs」は、普通「一頭のライオンがいれば、後は羊たちであっても戦争には勝てる」というようなことに反して、今のアメリカの戦争は、元気のいい「ライオンたち」が頭だけで私利私欲にかられた「羊たち」を守るために前線で死んでゆく、というようなことを言っているようだ。(全ては私の勝手な解釈である)