うがい、手洗いの励行を:豚インフルエンザが人に感染・流行の恐れ

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 メキシコとアメリカで豚インフルエンザが流行しつつあるらしい。
 豚インフルエンザなんて、初めて聞く名前だ。
 これまでずっと鳥インフルエンザまたは新型インフルエンザによるパンデミックへの警告はなされていたが、「豚」というのは聞き初めだ。
 いや、「鳥」以外のインフルエンザの名前が、その筋では言われていたのかも知れない。
 既にメキシコ国内で豚インフルエンザの感染者は1004人、死者は68人とのことであり、かつ死者の年代層は20代から40代だとのこと。
 決して免疫力の弱い層ではなく、むしろ頑健な年代層の人たちが亡くなっているようであり、とすると、我々がまだ抗体を持たない種類のウイルスなのかも知れない。
 我が国でパンデミックが発生すると、60万人だかの死者が出るとの予測があるらしい。
 実際にはそんなものでは済まないかも知れない。
 小松左京氏の『復活の日』を思わず思い出してしまうが、まだどうともこうともわからないものなので、ともかくは、当面、うがいと手洗いの励行を怠らずに、家族にもよく言っておかなければならないと思う。
 気をつけましょう。

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アグネス・チャンが大学を開設

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 以前、アグネス・チャンのブログを紹介したが、今日はアグネスが開設した「アグネス大学」についての記事。
 彼女がやっている「サニーサイドアップ」というラジオ番組がある。
 我が富山では、KNBラジオで日曜朝の9時45分ぐらいから入っている。
 その中で、今日おっしゃっていたのが「アグネス大学開設」についての話だった。
 大学と言ってもどこかの建物でやっているわけではなく、インターネット上の動画を見る形式だし、卒業して学士号をもらっても、それは世間で通用する学位ではない。ということを前提として理解した上で、しっかり学べばそれはそれで楽しく、かつ自分の人生観を高められる学問の場だと思う。
 人生大学だ、とのことのようである。
 アグネス大学のURL:
 http://sub.recordchina.co.jp/agnes_chan/
 ということで早速先ほどいくつかの動画を見させていただいた。
 コミュニケーション論についての話の中で、コミュニケーションを構成する要素として8つの要素があるとのこと。コミュニケーションの8つの要素は以下のとおり。
①送り手
②内容
③受け手
④共通の記号(日本語、英語、etc)
⑤媒介(喉、文字、手話、etc)・・・相手の立場に立つ
⑥到達度
⑦理解度
⑧反応
 アグネスの言うコミュニケーションは、あくまでツーウェイコミュニケーションなので、送り手だけでは成り立たない。相手がいてちゃんと伝わって反応があって、ということである。当たり前のことだが、ちゃんと伝えるのは送り手の「相手の立場に立つ」ということであり、それが基本。そして、それ以前の大前提として「自分の価値を認める」ことが大事だと言っておられる。自分の価値を認めずして相手とのコミュニケーションなどできないよ、まず自分をしっかり認めてあげてね、と言っている。
 毎週火曜と金曜に更新(講座の追加登録)がなされるらしいので、なるべく見ていこうと思っている。

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ちょっと気になっています、太陽黒点ゼロ

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 去年の秋、太陽の黒点活動がゼロだということが一部で騒がれていた。
 ちょうどリーマンショックの後ぐらいだったろうか。
 それからずっと私も太陽の黒点活動の状況をウォッチしているが、一向に増える気配がない。
 多いときは100を超えるときもあるようだが、ゼロがずっと続くというのは、異常事態らしい。
 太陽の黒点は、周囲の他の部分よりも温度が低いらしいのだが、黒点の数が多いということは活動が活発だということらしい。この辺の理屈がよくわからないが、太陽活動の活発化=黒点数の多さ=人間の興奮度合いの強さ=経済活動の活性化や戦争の多発など人間活動の活発化、ということをかの栗本慎一郎氏が言っていた。
 それが本当なら、今はまだ経済活動が上向きにはならない時期だと言える。
 過去のデータを少し調べてみたが、すっきりとした相関関係は今のところ見当たらない。
 他の人が書いているブログなどを見ると、相関関係があるのだよ、という記事もあるのだが、私の調べではまだそういう根拠には当れていない。
 しかし、あちこち見ていると「太陽黒点の数のゼロ更新状態は100年に一度の異常事態」ということであり、グリーンスパン氏の言う「100年に一度の金融危機(経済危機)」と符合する。(誰かが意図的にそういうことを流布して不安を掻き立てているのかも知れないが)
 そんなことで、しばらくは黒点活動と経済の動きから目が離せないなあと思っている。
20090418太陽黒点ゼロ
 写真はここから転載:http://swc.nict.go.jp/sunspot/

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仏像窃盗について考える(収まり悪いんちゃう?)

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 朝からむかっ腹の立つニュースをやっていた。
 どこぞのお寺(普段は無人らしい)で、仏像が盗まれたというニュースである。
 仏像は私も大好きだ。
 いつも眺めていたいという気持ちがある。
 心安らげさせてくれたり、自分の内面を振り返らせてくれたり、もっといかれ(いかって魔を断ち切れ)と呼びかけてくれたり、色々な声を私の心に呼びかけてくれる。ような気がする。
 それと同じ気持ちが窃盗の動機かどうかはわからない。
 金目当てかも知れない。
 しかし、自分の住まいの一角に置いて眺めるにせよ、他の誰かに渡してその人の家かどこかで眺められるにせよ、いずれにしても凡俗の人間のありかに置かれるわけである。
 仏像はなぜ拝まれるのか。
 仏像が置かれている場所=お寺は、我々庶民が信仰しようとして純粋な気持ちで訪れる場所である。
 訪れる人々が崇高な気持ちで訪れる場所。
 これは神聖な場所と言えるのではないか。
 お寺が作られた動機は、人の不満を宗教で吸収(救済ではなく吸収)しようという、たとえば統治目的であったり、人々を救済するという名目での金集め目的であるかも知れない。
 僧侶とて、必ずしも神聖とは限らない。むしろ、なまぐさナントカと言われるくらいだ。
 でもそこを訪れ、そこにいます仏さまを拝もうという人々、我々庶民は、そういう、建立目的とは無関係な次元にいて、かなりピュアな気持ちで訪れているのである。
 そういう場所は人々の気持ちを反映して、おのずと神聖な場所になるはずだ。
 そういう神聖な場所にあるからこそ、俗人が作ったモノでありながら、仏像は崇高な面持ちを湛えているのであり、拝みの対象となりうるのである。
 盗人さんへ。
 あんたの家の仏間に飾っても、ちっとも崇高さはないし、ありがたみも感じられないはずだよ。
 逆に、こんなすすけた人形に、なんでみんなお寺へ拝みに行くんだろう?って違和感すら覚えるのではなかろうか、と思う。きっとどんな立派な仏壇や飾り棚に収めても、収まりが悪いはずである。
 そう感じられたら、それはあんたがまだまともな感覚を少しは持っていたことの証拠になると思う。
 なぜって、あんたの家には誰も頭を下げやしないから、神聖な場所にはなりえない場所なのだから。
 普通の人間が普通に暮らしている、俗なところに安置されている仏像は仏像ではなくただの人形でしかないのだから。
 そのことに早く気づいて、元の場所にお返しすべきだと思う。(当然、世間を騒がした責任は負わねばならないが)
 まったく。

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BIZねっと勉強会の感想

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 今日は敷居の低い異業種交流&勉強会「とやまキトキトBIZねっと」の第15回の例会だった。
 「カラーユニバーサルデザイン」という、色に関して、なるべく多くの人にきちんと情報が伝わるようにしようという動きに関する講演だった。
 色の情報が正しく伝わらない人・・・いわゆる色弱と言われている人が、男性の場合20人に1人いるらしい。
 と、いうことは・・・。
 それらの人に正しく情報が伝わるように、たとえば商品のパッケージの背景色と文字色を工夫することで、最大5%の売上増加が見込める余地があるということだ。
 いや、なんでも商売のネタにする発想はね、とたしなめられるかも知れないが、ビジネスマンとしてはそういう目で色んなことを考えることも必要だと思う。
 さらに、某清涼飲料水メーカーの商品は、黒い飲み物を透明のケースに入れ、赤い文字で商品名を表しており、色弱の方々にとってはとても見にくい、というより、ほとんど読めないようである。
 わかっていてそうしているのか、気づかずにしているのかはわからないが、逆に、カップ麺でもケースの色を工夫して、文字がしっかり読めるように配慮しているものもあるようだ。
 赤の背景色に黒の文字、などほとんど見えないそうだ。
 どうしても赤が好きなら、せめて朱色かオレンジ色にしなさい、と講師は言っていた。
 微妙な違いだが、それで随分見えるようだ。
 ビジネスの現実の世界では、しっかりそういうことを考えながらパッケージングしているものもある、ということをしっかり認識して、これからは色んなものを見ていきたいと思う。
 と感じた今日この頃である。
とやまキトキトBIZねっとのHPはこちら。

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トイレにボチャン

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 今日、久しぶりに、トイレに携帯電話を落とした。
 ぼちゃん。
 ではない。
 がちゃん、と言った方が正確だ。
 トイレと言っても大便器ではなく、小便器だからだ。
 従って、6年ほど前に京都の鞍馬寺の前の売店の公衆便所(大便器)に落としたときほどの汚れはなく、きったねえ、といったショックもない。
 すぐに水洗いして、オッケー!と思っていた。
 ところが、帰りがけ。
 電車からかみさんに帰るメールをしようとしたら、キーを打っても字が出ない。
 あちゃー。
 しっかり水が中に入り込んでしまったみたいだ。
 トホホ。
 仕方なく、帰ってすぐに、バッテリーやメモリーカードを外して冷蔵庫へ。
 丸一日も入れておけば乾燥するだろう。
 だめなら保険に入っているし、と思ってはみるもののやはり愛着があるし、これまでのデータは消えてしまうものもあるだろうから、やはりちょっと困る。
 なんとか復活して欲しいものだ、一晩で。

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仕事ができる幸せ

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 仕事は結構大変である。
 上司は鬼のように厳しく、せっかちでコロコロ優先順位が変わる。
 ありえないくらいに方針がわかりにくい。
 そういう人の下にいるのでさぞかし大変だろうと思う。
 実際大変だ。
 しかし、ふと思う。
 まがりなりにも健康で、普通に仕事ができるというのは有り難いことだ、と。
 今日外出した折、国道脇の石の囲いに入った仏さまに手を合わせている人がいた。
 近くには県立富山中央病院がある。
 自分は健康で、普通に仕事ができている。
 仕事がしたくても、体の自由がきかず、できない人も大勢いる。
 仕事がしたくて、体の自由がきいても、働く場所のない人も最近は多い。
 そういう中にあって、自分は普通に仕事をさせていただいている。
 なんと幸せなことか。
 鬼の上司がどうしても気に入らなければ、企業倫理ヘルプラインに電話すれば良い。
 数日以内に自分の首が飛ぶか、上司への注意のどちらかがあり、いずれにしろ状況は変わるだろう。
 とりあえず首が飛ぶことの覚悟さえできておれば、恐いものはない。
 そう肚を据えてから仕事に臨めば、全てこれ経験として楽しむことができる。
 いけないのは、過度なスピード、過度なプレッシャー、過度な量。
 こういうものを要求する上司はだめだ。
 でも多くの日本のサラリーマンは、そういう状況にあっても、客観的にものを捉えられないかも知れない。
 なんてったって、日本の社会は「ムラ社会」であり、自分のいる共同体のルールが全ての規範に優先すると錯覚しているからであり、しかもそれはほとんど錯覚ではなく、自分をもまた周囲の人をも縛りつけ、現実になってしまっており、そこを出たら死んでしまうというふうに思ってしまっているのだから。
 う~ん、狭いニッポン、せせこましいことだ!
 ともかく、自分は今、このしんどい状態を楽しめているし、仕事を普通にさせていただけていることに心から感謝している。
 ありがたいことだ。

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夜桜満開

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 最近、退社時間が午後9時を過ぎることが多い。
 ということをまともに書くと、サービス時間外の問題となるので、あまりおおっぴらには書くわけにはいかないのだが・・・。
 今日も、退社したのは午後9時20分過ぎ。
 富山市の中心部を流れる松川。
 その川沿いには多くの銅像が立ち並ぶ。
 その銅像たちのたもとで、そこかしこで、今宵は人々が写真を撮ったり、夜桜を楽しんだりしていた。
 おお、そうか、桜が満開になったのだ。
 と、一人感懐にふけりながら、駅への道のりを急いで帰ってきた。
 今年はいつもより早いのかな、桜。

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生きて行く上で力になること

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 なぜ勉強ということが必要なのか。
 子どもたちの将来に思いを馳せ、考えてみた。
 生きて行くためには、色々実行しなければならないことがある。
 食事をしたり、寝たり運動したり、という本能的なことはもとより、それ以外にも、人として学んでいかなければならないことや守るべきことなどがある。 
 実行すべきこととしては、
  学生時代は学校の勉強
  社会人になってからは学校の勉強をベースとした専門知識
  新しいことを学び続ける意欲と吸収力
  健康であり続けるために必要な体力
  人として生きていくための人間性
  ルールを守る当たり前の常識  などであろうか。
 そして、それらの行動を下支えする態度としては、
  日常的な不断の努力
  挨拶・態度
  執着心 といったものが大切なのではあるまいか。
 できないことは努力で克服できる。努力し続けないことがいけない。
 頑張ってもできないことはある。しかしできるはずなのに努力しないことを、私は最も憎む。
 態度の背後には、持つべき「心」や「生きて行く上での姿勢」といったものがあるのではなかろうか。
  前向きな気持ち
  明るさ
  いい意味での欲望
 こういったものが、様子ににじみ出てくるし、それが行動にも表れ、結果にもつながるというのが、これまで私が生きてきて感じることである。
 そしてそういういことを、ここ数年間子どもたちに伝えてこなかったことを反省している。
 反省を踏まえ、これらを文字にして子どもたちに語って、書いたものを渡した。
 少しでも父の経験や失敗や反省が子どもたちに伝わればと思う。

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親戚の皆様への感謝と子らへの激励

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 子どもたちがともかく進学することとなって、妻の実家や親戚からお祝いをいただいた。
 ありがたいことだ。
 先週から今週にかけて、一通りお礼の挨拶に妻と子どもたちともども行って来た。
 最近は親戚といえども、それほど日頃行き来があるわけではない。
 そのため数年ぶりという疎遠状態であったが、皆さん喜んでいただいた。
 ありがたいことだ。
 さ、明日からいよいよ上の子は大学生。
 当面は家からの通学ということでほっとしている。今日は新しいベッドを一緒に組み立てた。
 下の子は水曜から高校生。
 二人とも今までのように、家から5分、ではなく、電車に乗って30キロぐらい離れた学校への通学だが、心新たに取り組んでくれることと思う。
 二人の新たな門出に祝福とエールを。
 がんばれ。がんばれ。

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