いい年をこいて。
先日散髪に行ったら、終わりの時にそこのマスターが「何か頭につけましょう」と言って、ムースをつけてくれた。
そして整えてくれた髪形が、先っぽをちょっと立てた感じで若者っぽく、それなりに気に入ってしまった。
帰ってきてから妻にその話をしたところ、彼女も私の髪型が良いと言ってくれた。
じゃあムース買おうか、と相談したところ「子どもが買って使っていないWAXがあるから、それを使いなさい」と来た。
ムースとWAXって・・・ずいぶん違うんじゃないか?と反論を試みたものの、「お金は大事よ、無駄な買い物はしないで」の一言で封殺。
ま、しゃあないかと、早速今日息子のWAXを使ってみた。
使い方もよくわからず、なんとなくぬじりとって頭に塗ってみたのだが、何か変。
とても硬いので、ほとんど塗れない。
のみならず、ほとんどが手に残ってしまっている。
夜、上の子に聞いたところ、どうやら硬すぎて使い物にならないものだったようだ。
他にもいくつかあるので、軟らかいものを明日改めて使ってみることに。
オヤジが、慣れもしないWAXなどを扱うからなのだが、うまく塗れれば「ちょいワルおやじ」っぽくなれるかも知れない。
「随想」カテゴリーアーカイブ
音楽の楽しみ
iPhoneを手に入れてから、昔の音楽なども含めて、次から次へとiPhoneに音楽を入れている。
今日は、ハーブ・アルパートのペットの曲をいくつか入れた。
ライズやらローテーションやらルート101やら。
高校生の時にAという友人の家に泊まった時に初めて聞いたものだったが、あの時は「かっこいい曲だなあ、大人っぽいなあ」と思ったものである。
今探しているのは、石川セリさんの「遠い海の記憶」である。
YOU TUBEに誰かが海の映像と重ね合わせて編集して提供してくれており、感激したものだが、あいにくレコードもCDも見当たらない。
この曲は私が中学生のときに「つぶやき岩の秘密」という少年ドラマシリーズの主題歌になった歌だが、それほどヒットはしなかったものかも知れない。
言うならば、三木聖子さんの「まちぶせ」と共通したようなマイナーさがあるのかも知れない。
マイナーと言えば、こちらもややマイナーな松原みきさん。
数年前に亡くなってしまったが、この人の歌は何曲も持っていて、今でもMDで時々聞く。
松原みきさんの歌に「CUPID」というのがある。
手塚治虫さんのマンガ「百物語」にスダマという悪魔?が出てくるが、「CUPID」という歌を聞いていると、スダマを思い起こす。
何か、キュートで小悪魔的なところが似通っているのかも知れない。
春の夜長に、つれづれと書いてしまった。
ぼちぼち、昨年落第した「財務3級」の勉強を始めなくてはならない・・・。
噴水にかかった虹を見た
5月14日(木)。
なぜか少し時間があるような気がして、いつもと違う道を通って出勤した。
道を勘違いして、結局大回り=遠回りしてしまった。
しかしおかげで、滅多に見ることのできないものに遭遇した。
朝から日差しが強く、今日はいい天気になるぞおという感じの日だった。
たまたま県庁前公園、いわゆる噴水公園に来た。
こんな遠回りするつもりではなかったのだが、公園に足を踏み入れた途端、ざあーっと噴水が立ち上がった。
私は子どもの頃からこの富山県庁前の噴水公園が大好きである。
小学校の遠足でも来たような気がする。
幼い頃の幸せなひと時の思いが詰まっているのであろうか、ここを通るとほのぼのとした気持ちになる。
なんとはなしにその噴水の方を見ると、なんと虹がかかっていた。
うれしくて携帯電話のシャッターを切った。
いいサラリーマンが何をしているのか、と近くを通った人は思ったかも知れない。
う~ん、やはり携帯電話のデジカメじゃあ虹まではうまく見えないか。
一応、下部、水がたくさんある辺りに、かすかに色のついている部分があり、そこが虹だ。
念のためもう一枚の写真も掲載しておこう。
健康で、生きて行こう
昨日、会社で初めての健康診断を受診した。
以前より労働時間は減っており、その分睡眠時間が少し増えている。
そういうこともあって、体調は徐々に良くなっていっていると感じている。
ではあるが、年のせいか、血圧が高止まりしている。
上が135、下がなんと89もあった。
あちゃー!である。
ちょっと真剣に血圧降下を考えなければ。
ということで、久しぶりに中国マッサージに行き、足つぼと吸玉をやってきた。
院長曰く、日本は「湿気」が多く、毛穴から「湿気」とともに「邪気」が中国などよりも多く入ってくるらしい。「邪気」というのはつまりはばい菌、微生物、空気感染するような何物かのこと、であろう。
壜で毛穴を開き、そこから「邪気」を吸い出す。
というのがこの療法だ。
今日もすっきり、体が軽くなった、ような気がする。
気分が良くなったところで、次男の幼い頃の写真を3枚拡大プリントして額に入れ、壁に飾った。
実は長年居間には長男の小さい頃の写真が何枚かあって(我々若家族が大阪に行っていた間に母が写真の拡大をして額に入れていたため)、次男のが七五三のときのもの一枚しかない。しかも全員で写っているので、彼をクローズアップしたものがなかった。
これは完全に父である私の責任だ。
・・・ま、別に写真を飾ってないことが悪いことではないのだが、長男ばっかりで次男がおらんということは、なんとなく、本人からしてみると、自分の存在を認めてもらっていないのではないかという深層心理にそんなものが芽生えてもおかしくはない。
ここ数ヶ月、そんなことを考え、なんとかしなくてはと思っていた。
しかし高校生の写真を、今さら撮るのも変だし、結局、彼の幼稚園ぐらいの時のサイコーにかわいい写真を厳選して、A4サイズでプリントし、額に入れた。
我ながら気に入っている。
ようやく次男の落ち着きどころができた、という感じがする。
ところで、世の中は色々だ。
諸行無常。
一国の大統領まで務め上げ、引退後62歳で自ら命を絶ってしまうようなことになる人もある。
何があったか知らないが、お気の毒なことだ。
そうせざるを得ない何かがあったのだろう。
体の健康、心の健康。
ともに大事だ。
初めてライトレールに乗りました
おととい5月21日(木)、生まれて初めて富山ライトレールに乗車した。
たまたま会社の車が車検で出ており、市北部のお客様のところへ伺う必要があった。
支店まで行けば、支店の車に乗せてもらえるであろうと思い、JR富山駅までは歩いて行き、その後はライトレールで移動した。
結構くねくねとややこしいところを通って行ったが、3駅目の下奥井に無事に着き、仕事もこなすことができた。
乗る距離に限らず200円(その他、割引サービスもある)というのがわかりやすくていい。
富山ライトレールは2006年4月開業だということなので、かれこれ3年、私はこの富山の宝に乗らなかったことになる。
というほど大袈裟なものではないが。
とにかく、快適な乗り心地で、市民がこれを結構利用しているというのはわかる気がする。
お年寄りや高校生、ビジネスマンなど、年代層に関わりなく乗っていたのが新鮮だった。
黒点がやや復活
ここのところ、太陽の黒点活動が復活の兆しを見せてきている。
5月13日 12個
5月14日 18個
5月15日 12個
5月16日 15個
5月17日 13個
昨年の後半以降、これだけ連続して二桁の黒点が観測されるのは初めてではなかろうか。
この調子できっちり活動してくれたらいいのになあと、なんの根拠もなく、なんとなく思う。
カムイについて
田中優子教授の著書に『カムイ伝講義』(小学館)というのがある。
まだ読んではいないが、白土三平の「カムイ伝」を大学の授業で使った際の講義録らしい。
カムイと言えば、私にとっては「カムイ外伝」である。
子どもの頃、テレビで見た。
「外伝」は忍者ものであり、サスケなどと同じように、子ども向けであったが、それでも「サスケ」よりは少し難易度が高く、難しいなあと思ったものだが、「カムイ伝」は「外伝」よりもさらに政治的な意味合いが濃く、江戸時代の穢多非人を扱ったものらしい。
確かに、子どもにまで広くポピュラーになる内容ではなかったかも知れない。
ところで、カムイというのは、どこかで聞いたが、カミのことらしい。
カミ、すなわち、神である。
カムイ族(?)は神の子孫だということのようだ。
そういえば、役小角=役行者は、役公(えだちのきみ)と言う山の民族のリーダーであり、彼らも神の子孫だと言っていたような気がする。(黒須紀一郎氏の著作だったか)
してみると、日本には色んな神があり、それら神の末裔たちの争いが行われていく中で、敗れて行ったグループたちが、その力を発揮できないように、時の権力者たちからおとしめられてきたのかも知れない。
大人の目で「カムイ伝」を見てみないといけないかも。
森のゆめ市民大学受講
友人からの突然の誘いで「森のゆめ市民大学」というところへ行ってきた。
場所は魚津市天神山付近。
元の洗足学園短大があったところである。
今は「新川学びの森 天神山交流館」という施設になっている。
高台の、大変学習には良い立地なのだが、洗足学園が撤退してからは、生涯学習向けの施設としてなんとか建物やいくばくかの設備が残っていることが救いか。
それはさておき、魚津市の山の中の施設の「市民大学」とはいえ、そんなに人も集まらないだろうし、地域の文化人の講演的なものかなと思っていったがさにあらず。
田中優子という方の講演だったのだが、紫綬褒章までもらわれている、法政大学の教授である。
江戸学の研究者だという。
驚いたのはもう一つ。
この「市民大学」は、故筑紫哲也氏が学長をしておられ、福岡政行氏と稲本正氏という方が副学長をされている。
いや、魚津駅の掲示板で見ていたような気もするが、どうせ名誉職、名前を借りているだけだろう、ぐらいに思っていたのだが、全然そうではなく、かなり熱い思いでこの「市民大学」に関わっておられたのではないかと感じた。
筑紫氏は亡くなって既に半年が過ぎるので、当然この場には来られないが、どうも、毎度来ておられたような感じだ。
挨拶に立たれた福岡政行氏が、大変熱のこもったスピーチをしておられた。
今の政治情勢に関して真剣にかつ滔滔と、まるで政治演説のようにすら思えるくらい熱い語り口であった。
えっ?文化講演会じゃないの?
と思ったが、考えてみたら筑紫氏自体、文化人というよりも政治に深く関わってきたマスコミ人だし、その筑紫氏が熱い思いで携わってきたこの「市民大学」も、当然単なる文化講演会であるはずがない、と気づいた。
これまでの講師の顔ぶれを見ても、中坊公平氏、江川紹子氏、塩川正十郎氏、大宅映子氏、増田寛也氏、野中広務氏などなど、政治に関係のある人が結構いる。もちろん芸能・文化の人も大勢いるが。
ということで、今年が8年目になるようであり、会場には老若男女200人以上が参加しており、その人数の多さにも大変驚いた。
私の友人など、はるばる富山市から、車で50分ぐらいかけて来ているのである。
さて本日の田中優子氏。
江戸時代は循環型経済であった、とするお話だった。
そしてそのためには、農村があることが前提条件であった、ということである。
確かに現代よりも文明レベルは低いが、人や動物の排泄物、衣類の最終処理、魚介類の最終処理、などなど、あらゆるものが最後は土へ肥料として使われていたらしい。
しかも人々の生活必需品の多くは農家で生産されており、農民は農民というよりも衣類や紙などの製造業者であり、家屋の建設業者であり、屋根などの修理業者であり、栽培家でもあり、すなわち農業だけに留まらず、百姓というのが、その仕事のバリエーションの広さ、技術レベルの高さからみてふさわしいのではないか、ということであった。
田中氏は、バリバリの市場経済主義者であり循環経済論者の田中氏とは立場を逆にしてきた、中谷巌氏と最近講演を一緒にすることが多いと言っておられた。中谷教授は『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』という本を出し、小泉行革の旗振りをやった自らの立場について、懺悔のためにこの本を書いたらしい。
本の売れ行きは好調で、既に20万部も売れたとか。
反省して20万冊もの本が売れるというのはやはりネームバリューであろうか。
それにしても、こんな片田舎の魚津の山で、これほど格調の高い勉強会が行われていたとは知らなかった。
それも8年もずっと継続されて。
世の中にはまだまだ知らないことが多い。
連絡をくれた友人に感謝!
一年で一番心地よい季節
大人になってから5月が一年で一番好きな月になった。
田んぼに水が入り、新緑が生い茂り、花々も一斉に香りだす。
5月病なんて言葉は私には縁がない。
こんな明るく清々しい季節はない。
我が家の近くの田んぼにもこのGWに水が入った。
近くをJRと富山地方鉄道の線路が通っており、夜はその水面に電車が逆さになって映る。
とても幻想的でいい眺めだ。
それも稲の新芽が吹き出すまでのしばらくの間だけだが、その幻想的な水面が好きだ。
しばらくその光景を見ることすらできなかったが、最近は以前から見ると帰りが少し早くなったので、その光景を眺めながら食事を採ることができている。
朝は花の香りである。
富山へ出勤してちょうど富山市役所の裏通りを通っていると、どこからともなく良い香りがする。
たまたま前を女性が歩いていたりするので、もしかするとその人の香水の匂いかなと思ったりもするが、空気全体が香っているので、そうではなかろう(と思いたい)。
JRの富山駅の改札には藤の花が置いてあり、その横を通り過ぎるときも良い香りがして嬉しい。
5月は本当にいい季節だ。
長年のゴミ処分で気持ちがかる~くなった。
納屋を改修しなくてはならなくなった。
それに乗じて、2つある納屋の中身をきれいにしようと思い、4月の後半に2回の週末を使い、子どもたちにも手伝ってもらって整理した。
結果、出るわ出るわゴミの山。
いや、元々ゴミではなかったのだが、使わない状態が長く続くうちにゴミ状態になってしまったものたちである。
便利業を営む友人に相談したところ「ウチで引き取って処分することはできるが、数万円から十数万円かかるから、自分でちゃんと分別して処分した方が安くあがるよ」という助言を受けた。
それに従い、準備してようやく今日。
親戚の叔父に2トントラックを借りて、上の息子と二人で積み上げた。
1回では収まらず、結局2回。
黒部の宮沢清掃センターへ。
2回×2トン車(実際の目方はわからないが)で、結局4500円。
安いやすい。
随分くたびれたが、気持ちは大変軽くなった。
母の嫁入り道具らしきタンス、40年ほど使用した(途中から納屋のこやしになっていた)テーブル、買っただけでほとんど使わなかった生ゴミ処理機(肥料にする機械)、オフシーズンに片付け、また次のシーズンに新しいのを買って使っては片付け、を繰り返し、10枚ぐらい溜まったカーペットやらすだれやら、知らず知らずのうちに溜まってしまったスコップやスノーダンプの山(家族の数以上にあった!)、などなど、ずっと心に重しのようになっていたこれら「ゴミ」の類をそれこそ一気に処分したのである。
昨年末だったか、掃除をしてツキを呼ぶ、といったような類の本が沢山売れたことがあった。
今回の“4トン処分作業”は、言うならばそれの大規模版か。
処分風景の写真でも撮っておけば良かったが、時間の制約の中、1回で終わらず2往復ということで大変あせっており、記録はなんにもしていない。
ま、いいや、とにかく長年の澱がすっきり流されたのだから。
さ、次は本と衣類の整理だ。
(いつになることやら・・・)