東京二日目

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 東京出張二日目。
 朝晩の通勤列車は・・・電車は、さすがにサラリーマンの皆さんはクールビズが多い。
 これでちょっと安心した。
 ところで、研修に使わせてもらっている「M銀行(元興銀)」の研修所は、さすがにM銀行だなと思わせる点がいくつかあった。
 その1。
 休憩コーナーに置いてある新聞雑誌の類。
 5大紙と言われている新聞は全部置いてある。それも、日経は2部も。
 さらにアメリカのフィナンシャルタイムズやニューヨークタイム、フランスのナントカという雑誌など、欧米の主だった新聞雑誌は全部置いてある。
 その2。
 電話。ゼロ発信でどこでもかけ放題。これもさすがという感じだ。
 その3。
 昼食のメニュー。
 AランチとBランチの2種類しかないのだが、そのどちらにもデザートがついている。
 しかもAランチのトンカツの肉の厚いこと厚いこと。
 普通の食堂の2倍の肉厚だ。すごい。食べ応えがあった。
 そんなことに感心してないで、ちゃんと学ばにゃ!

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東京で気がついたこと

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 少し先入観を持っていた。
 新型インフルエンザで休校になった学校があると聞いていたので、東京の人々はマスクなどしているのかなあ、と。
 自分もそのため予防用にいくつかマスクをカバンに入れてきた。
 意外や意外。
 ほとんどマスク着用の人はいない。
 それともうひとつ。
 JRの車両などにも「青山でクールビズ」などという広告が沢山打たれているが、クールビズスタイルのサラリーマンがとても少ない。
 というより、ほとんどいない。
 商談に出かける人たちは、相手への敬意を示そうと、きちんとネクタイをしていくのが礼儀だという考え方からだろうか。それとも社内でもネクタイしてるんかなあ。
 東京に来たら、さぞかしほとんどのビジネスマンがクールビズかな、と思っていたので、これも意外だった。
 百聞は一見に如かず。
 偏見と先入観でものを見てはいけない。
 ということがよくわかった。

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久しぶりの東京で迷子に・・・

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 前に東京に来たのは、平成16年だったと思う。
 某企業の大阪支店に勤務していたときに、その支店の東京事務所というのがあって、そこへ仕事の相談に来たとき以来だ。
 してみると、今日東京に来たのは、公私共に5年ぶりということになる。
 富山暮らしなどを長いことしていると、視界というものは、随分遠くまであるものだという感覚が当たり前になる。
 それが東京に来ると、途端に高層のビルが林立していて、筋ひとつがわからない。
 今日も現在の会社の東京支店に行ったのだが、行ったまでは良かったのだが、帰りが普通に逆方向に歩けば良かったのに、かっこつけてぐるっとビルを回ってしまったところ、全然違うところに行ってしまった。
 10分もかからない神田駅まで20分もかかった・・・。
 研修所もそうだ。
 某巨大金融機関の、その研修所は、おしゃれな町の代名詞とも言える、代官山というところにある。
 恵比寿から歩いても良かったのだが、ちょっと遠いような気がして、「徒歩3分」と書いてあった代官山駅まで行き、地図どおりに北口で降りたのだが、道がない。
 空中歩道なのである。
 地図と違う感じだなあと思いながらもとりあえず地図の方向に。
 行けども行けども、住所表示板には、研修所の地名とは異なる文字が・・・。
 結局神田と同じように、ぐるっと回って、それらしき地名にたどりつき、それでもまたしても小道を一本間違えて「ここはどこ? 私は誰?」状態になりつつ、なんとか研修所を発見し、受付を済ませた頃には、集合時間の30分前。
 昼食まだなのだ!!!!ということを思い出し、近くのこじゃれたレストランへ。(一杯飯屋に入りたかったのだが、そういう下町風の店は、どうもこのあたりはなさそうで、探しているうちに時間切れというものたまらないので、自分のおっさんぶりを省みず、飛び込んだのである)
 やはり、おしゃれなOLさんたちばっかしの店で、一人ものの私に対して投げかけられた目線は、「おっさん、ここはあんたの来るところじゃねえよ、席に座らずにかえんな」ってな感じだったが、そこは大阪のおばさんのノリで、どかどかと店内に入り込み、「Aランチ!」と声高らかにオーダーし、しっかり時間に間に合うように食事をした。
 なんの話かわからなくなったが、久しぶりの東京は、相変わらずにぎやかで人もビルも多く、迷いやすい町だ。

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映画「剣岳 点の記」

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 映画「剣岳 点の記」を観た。
 大変素晴らしい映画である。
 涙が溢れ出て止まらなかった。
 そして、よくぞここまで監督はじめ役者の皆さん、スタッフの皆さん、山岳ガイドの方々、しんどい作業をやり遂げて下さったと、心から感心し感謝している。
 特に主役の二人、浅野忠信さんと香川照之さん。
 かっこよかった。
 彼らは間違いなく、これからの日本映画を背負って立つ人になるだろう。仲代達也と緒形拳の後継者ができた。
 さて今日は、元々全然別の用事があったのだが、突如その予定が空き、時間ができた。
 となると「富山県人が初日から観ないでどうするんだ!?」と矢も盾もたまらず、初日の一番目に観ようと、朝7時すぎには家を出発していた。
 今日は全国ロードショーに先がけて、富山県内のみ1週間前倒しで先行ロードショーである。
 初回は午前9時から上映だった。
 元々この映画は新田次郎さんの原作『剣岳<点の記>』(文春文庫ほか)に基づいている。
 私は、大阪で働いていた今から6年ほど前に、某通信大手の西日本本社総務部のOさんという人からこの本を紹介された。
 Oさんは地元が九州の人であるが、山登りが好きで、私が富山出身だと言うと、「ああ、それなら新田次郎の「剣岳 点の記」というのが面白かったけど、知ってる?」と聞いてきた。
 私が知らないと答えると、「面白いから是非読んでみたらいい」と勧められた。
 その週末に早速買いに行き、むさぼるように読み進んだ。
 淡々とした、ノンフィクションといった感じの小説だったが、大変重いものを感じた。
 ところどころを折り曲げたし、あちこちに線を引いた。
 ここではその感想は書かないが、五木寛之さんの『風の王国』ともやや通じるものを感じた。が、それはそれでまた別の話である。
 立山近辺の色々な山の標高を測り、地図を作るためにこんなに大変なことをしていたのか、と彼らの偉業に深く敬意を感じた。
 千年前の行者が剣岳の山頂に置いていったとおぼしき「錫杖」と「剣先」の記述のところでは、ずっと前に立山博物館で「錫杖」の頭部を見た記憶が蘇って来た。
 その時にはなんとはなしに眺めていたはずだが、あれがそれか!と強いショックを受けた。
 帰省時に立山博物館にもう一度見に行ったことは言うまでもない。
 人間の営みのすごさ、である。
 そういえば、映画の中でも柴崎測量官が「山に生かされている」という独言があったが、まさしくそうで、生かされているからこそ、行けるのである。
 それと、「自然の美しさは自然の厳しさの中にこそあるのだ」というような独言もあった。
 いずれも、役者が吐くセリフであるのだが、これらの言葉は、単にセリフとして発せられたのではなく、柴崎役を演じた浅野忠信さんそのものの心から出たほとばしりではなかったか、と思う。
 映像のところどころで松本清張の「砂の器」のシーンがいくつか重なって見えた。
 刑事役の仲代達也さんが自費で捜査に行こうとする時に、奥さんがへそくっていたお金を、旅費の足しに、と黙って差し出すシーンが、柴崎測量官と奥さんが出発に向けた仕度をしていたシーンとかぶさったり、犯人親子が逃避行のために嵐の中を歩いているシーンが、測量隊のメンバーが雪山を歩くシーンと何度も重なって見えた。
 映画が終わり、木村大作監督と柴崎測量官役の浅野忠信さん、宇治長次郎役の香川照之さんが舞台挨拶に出てこられた。
 いやあ、感激だった。
 私の席は舞台から50メートルぐらい離れていて、人が米粒ほどにしか見えなかったが、確かに間違いなくそこに浅野忠信さんや香川照之さんがいるんだ、同じ空気をこの会場で吸っているんだ、あの大変な難行をこなして映画に結実させた二人の名優が。ここに。
 と思うと、うれしくてしょうがなかった。
 今回はひたすら「静」の浅野忠信さんあっての「動」の香川照之さんだったのかも知れない。
 主役であるはずの(なぜなら柴崎測量官が測量したのだから)浅野忠信さん以上に、私にとっては香川照之さんが強く印象に残った。
 宇治長次郎が富山県人だからだろうか。
 それとも、もしかすると、実は、ひそかに、香川照之さんが主人公の映画なのかも知れない。
 宇治長次郎の妻佐和の役を演じた鈴木砂羽さんも、登場時間はほんのわずかだったが、強く印象に残った。染み入るような感じで私の心に残っている。
 明治時代の富山の健気な女。控え目でキリリとしていて優しさに溢れている女性。
 宇治長次郎と佐和。
 銀幕の中のこの二人って、真面目で謙虚で、でもどこかに進取の気性を持った明治の良き富山人の典型なのではなかろうか。
 富山県人の美徳がこの二人に収斂されているような気がする。
 私たちはそういう美しさをすっかり失ってしまったのかも知れない。
 この映画を県民みんなが観て、私たちが失ったものを少しでも思い出し、少しでも県民の本来持っていた美徳を取り戻すことにつながれば、と思う。
剣岳20070815
   【平成19年8月15日 立山登山路から撮影した剣岳】

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バランスについて

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 次男の写真をでかでかと掲示したら、長男の影が薄くなってしまった。
 そのため妻から、長男の写真も飾ってよ、と言われている。
 う~ん。
 もう飾るスペースが・・・。
 それと、長男の幼い頃の写真はSONYのデジタルマビカで撮っていたから、35万画素しかない。
 つまり、伸ばしたらじゃみじゃみになってしまうのではないかという心配がある。
 とはいえ、ま、やってみないとな、と思っている。
 今度の週末あたり、少しプリントアウトしてみるか。
 ところで、来週、会社の命令による出張で東京へ1週間行くことになった。
 企業分析の研修である。
 東京は随分久しぶりだ。
 旧友や従弟がいるので、夜、時間があれば会ってこよう。
 主催が、みずほFG。
 昔で言うと、興銀調査部に教わるということになる。
 泣く子も黙る興銀調査部、と言ったかどうかは知らないが。
(中山素平氏の興銀である。ワクワクする)
 金融機関の人間としても、望んでもなかなか受講できないものらしい。
 そんなの、私ごときが受けさせてもらっていいのだろうか。
 と思うが、チャンスは生かすに限る。
 十分学び、楽しんでこよう。

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ひと段落、ちょっとくつろごう

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 昨日は会社のセミナーで15分間のスピーチ。
 プチ研修講師といったところか。
 準備はそれなりに大変で、帰宅後は少し疲れて午後いっぱい寝た。
 今日は朝から銀行業務検定。
 前回無残にも敗れた「財務3級」のリベンジ。
 前回よりもやや難易度が高まったと感じたが、手ごたえはあり。
 60点取れればいいのであり、つまり50問中30問が正解であれば良い。
 難しかったが、なんとか30問はできたのではないか、と期待している。
 午後は従妹の家のパソコンの設定。
 インターネットへのアクセスがうまくできないとの連絡を受け、支援に行ったもの。
 前のダイヤルアップの設定が邪魔していたようだ。
 通信会社のマニュアルどおりにやっても、元から入っているダイヤルアップ接続をやめるためのやり方が書いてないのがやや不親切だなあと感じた。
 なんとか1時間程度で、元から入っていたダイヤルアップ接続からルータ接続へ切り替え、ウイルスバスターの設定とメールの設定まで終え、ITコーディネータの面目をとりあえず保ち、自分へのご褒美としてスーパー銭湯へ。
 スーパー銭湯では、人工炭酸泉の浴室に、途中の休みをはさんで2回入り、なんとなく血流が良くなったような気分になりつつ、元々午後いっぱいいる予定だったが、結局1時間ちょっとで上がった。
 人工炭酸泉に最初に入ってしまうと、後がなくなるので、これからは、ゆっくりするときは最後にしようと思った次第。
 それでも時間があったので、足つぼのマッサージ機に少し世話になり、風呂を後にした。
 それから、近くのマックへ行き、前からの懸案だった、YAHOO-bbの公衆無線LAN使い放題の設定を実施。
 帰宅後はバッハの曲をダウンロード。
 “大人のおもちゃ”であるiPhoneに入れて、音楽バリエーションをさらに増やしてくつろぎタイムを充実して過ごそう、と思う。
 バロックはいい。
 大変緊張感のあふれる忙しい日々が続いた。
 明日からはまた新たな緊張の下、新たな戦闘が始まるが、今宵ぐらいはちょっとくつろげるかな、と思う。
 そう思うときにゆったりすることが大事だ、と思う。

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景気上向き!次男も元気!

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 しばらくゼロ行進だった太陽黒点。
 5月末から、また復活してきた。
 5月31日 15
 6月 1日 23
 6月 2日 19
 6月 3日 17 と、先月はまだ10前後のか弱い感じだったが、
20という数字が出てきている。
 人間の活動にとってはいい兆候ではなかろうかと勝手に思っている。
 次男の幼い頃の写真をA4で焼いて部屋の中に飾ってから二週間。
 それと直接関係はないが、元気に活動している。
 芝居の部活もうまくいっているようだし、少し勉強にも身が入ってきた
ような様子だ。
 電話で大阪時代の同僚の女性が結婚すると聞いた。
 良いニュースだ。
 
 さあ明日も頑張ろう。

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100年企業を吹き飛ばした“泡”

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 アメリカの自動車メーカー最大手のGMがついに破産法の申請をした。
 創業が1908年というから、ちょうど100年を経過しての破産だ。
 一応「新GM」として再生するということではあるが、100年企業が音を立てて崩壊したことは違いない。
 しかも単に業況悪化ではなく、数十年前から色々問題が噴出していたにも関わらず、売上規模が大きかったことから、なんとか、その欠陥を覆い隠しながら命脈を保ってきたというのが、ほんとのところだろう。その命脈も、巨大なバブル崩壊の影響で、一気に断ち切られたというのがサブプライム・バブル崩壊の決定打、ということだろう。
 昨年の11月の何日かの日経新聞に出ていた記事から「アメリカの自動車産業の労働者、つまりUAWの組合員は、日本のトヨタなどの労働者の1.3倍の給料をもらっている」ということが見て取れた。
 会社が赤字でヒーヒー言っているのに、そこで働く人たちが、なんと日本一の企業のまだ3割も余計に給料をもらっていて、しかもそれに手をつけて会社としてなんとか生き残っていこうという取り組みをしていないとは、いったいなんたることか、と感じた。
 自分勝手すぎる。
 日本の通信大手など、自由化の圧力を受けて、50歳以上の従業員の給料を一律3割カットして、なんとか会社の利益を創出しつつ従業員の雇用も守って頑張っているのに、一体全体この人たちはどういう了見か、こんな組織が果たして生き永らえていけるものか、と憤慨した覚えがある。
 あれから半年。
 やはり生き永らえることはできなかった。
 労働組合も甘んじて賃下げを受け入れたようだ。
 しかし、そこに至るには数度の投票をして、やっとだ。
 全然自分たちの置かれた状況が見えていない、のだ、と思う。
 ところで、今回のGMの破産法申請については、世の中の株価などはそれを受けてがくっと下がるといった動きをしていない。
 むしろアメリカの株価は急騰したと今朝のニュースで言っていた。
 つまりGMショックは既に市場には織り込み済みだったということのようだ。
 世界一の自動車メーカーの倒産という大きな事件であるのに、なぜ市場はこれほど冷静でいられるのか。
 GMはこれから3割程度縮小するらしい。
 となると、関連の下請や関連企業などにも大きな影響が出る。
 それでも株価は上昇。
 ということは、既にこうなることは、市場は予測していたということである。
 その背景にあるのは、クライスラーが先行して破産法の申請をしていたので、それが地ならしになった、というか、地ならし役を担わされたということなのかも知れない。わからないが。
 もしそうだとすると、今回のGMの破産法申請に至る道のりというのは、誰かが周到に準備して計画的に描かれたシナリオに基づいたものだったのかも知れない。
 それが証拠にかなんにか知らないが、ガイトナー財務長官が、今日と言うこの日に、中国を訪れ、金が足りないから(GMやAIGなどを支えるための国の金が必要なので)国債を買ってくれ、と頼みに行ったらしいではないか。
 ま、そんなことを色々考えていてもしょうがない。
 国有化は自由主義と相容れないとかなんとか理屈を並べるのではなく、現実の混乱をいかに回避し、安定的に経済を立ち直らせる「知恵」が大事なのであって、その観点から今行われていることが、世の中全体にとっていいかどうか、を私たちは見極めていかなくてはならないのではないか、と思う。
 今回のサブプライム・バブルの崩壊で、その欠陥を覆い隠しながら(つまり、粉飾と一緒だ!)、たどたどしく生き永らえてきた、問題のあった100年企業が、遂に息の根を止められた、ということであり、バブル破裂の影響の大きさを感じずにはいられない。
 しかし、最終的には、消費経済がいつ、どこまで回復するかだ。
 アメリカの住宅価格はまだ下げ止まっておらず、これはつまり、市民の所得がまだ下がり続けているか何かで、安定していないために、住宅を買おうという動きに至っていないことを示す。
 むしろ、貯蓄に向かい始めているということすら言われている。まるで十年以上前の日本人の気質のような動きではないか。ほんとかな?
 いずれにしろ、ということは、消費経済は、まだ回復していないということだ。
 ということは、景気回復の道のりにはまだまだ遠いということであろう。
 もう少し、この状態の中で頑張らなくっちゃ、ということだ。
 へこたれずに、前を向いて行こう。

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中学校時代の友人に感謝とエールを

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 以前いた会社の富山支店に、大阪から私が異動してきた時、中学時代の同級生がいた。
 えっ?と思って聞いたら、派遣社員として来ているということだった。
 派遣社員と言っても、正社員と同じ仕事をしており、その職場ではかなり高い業績を上げていたので、我がことのように誇らしい気持ちだった。
 しかもその人がいたので、私自身は会社なのに家にいるような感覚を覚えることがあった。
 と言っても、別に昔の彼女でもなく、もちろん今の彼女でもないので変な意味ではなく、また担当はまったく別だったので、たまにその人の顔を見たときに、ふっと安心できる瞬間があった、ほっと一呼吸できる瞬間を得られた、と言う方が正しい。
 しかしそれにしても、会社の中にいて、家庭の居心地を一瞬味わえるというのはありがたいことだった。
 そのくらい、中学時代の同級生とは何か共通して安らげる心の基盤があるような気がする。
 今でもそう感じるのだから相当なものだ。
 その人が、夫君の人事異動に伴い、我が古巣を今月末で退職されることになった。
 日本中に営業拠点のある会社らしいので、やむを得ないことだ。
 居心地のいい状態というのはそんなに長くそのままの状態で続くものではない。
 もちろん私自身、今やその会社にいないのだから、自分勝手なことは言えない。
 世の中は常に動いているなあ、とあらためて思った。
 どんどん変化している。
 自分だけが止まっているわけにはいかない。
 誰かに止まっていて、と言うわけにもいかない。
 松原みきさんの歌に「ハロー、トゥデイ」というのがある。
 「仲の良い友達がどんどん変化していっている、止まっていて変化のないのは私だけ。
  じっとしているわけにはいかない。私も変わらなくっちゃ。さあ行動しよう」というような主旨の歌で、聞いていてとっても元気が出る歌だ。
 これから上記の友人の新しい人生が始まる。
 同じ会社にいた日々に感謝しつつ、これからもよろしく。
 そして、これからの日々を素晴らしい日々にしていただきたい。
 ありがとう。
 お世話になりました。
 これからも明るく、お元気で。

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ドコモとNTT東西

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 地元のマスコミに勤めているMという友人がいる。
 彼と月一回ぐらいは昼飯でも食べよう、と約束したのが先月だったか。
 今日うまく時間がとれ、今月のノルマ達成。
 ってな話ではないが、その友人がこういうことを言っていた。
 「最近はネットの前に携帯電話がある。携帯電話の選定が先にあって、それからそれに合わせて有線通信をどのキャリアにするか、という順序だ」と。
 それを聞いて思った。
 もしかしたら数年以内にドコモがNTT東西を吸収するようになるんじゃなかろうか、と。
 考えてもみればわかることだ。
 ドコモの営業利益が7000億円。
 NTTグループ全体の営業利益の7割を稼いでいるのだ。
 その利益を労務費にあてがうとすると、仮に一人1000万円としても、7万人の社員を雇える計算になる。
 もちろん合理化合理化で社員を最小限度で維持しているドコモがもろ手を挙げてそういう選択をするとは考えられないが、青息吐息のNTT東西を救済しようとすると、それしかないのではないか。
 7万人雇う力があれば、東西の財務は救うことができる。
 そもそもVI&Pという概念をNTTが提唱したのは、青木さんという人が研究開発本部長の時だったろうか。(大いに勘違いかも知れないが)
 1991年か92年のことだったと思う。
 VはVisual。見える通信。
 IはInteligense。知的な、という意味。今で言えば、コンピュータの機能を通信が備えるということ。
 PはPersonal。個人で使えるというイメージ。昔は電話は一家に一台だったが、一人ひとりがそれぞれ通信機能を占有できる状態を指す。
 それから幾星霜。
 結局、ドコモを始めとする携帯電話会社がその概念を達成した。
 単なる携帯電話の時代から、携帯メールができ、インターネットサイトにアクセスできるようになり、さらに今やスマートフォンの時代になってからは、携帯電話が電話であり手帳でありインターネット端末でありゲーム機でありICレコーダでありエクセルやワードなども扱えるコンピュータですらある。
 完全にVI&Pの概念を携帯電話が実現してしまった。
 ついこの間まではスマートフォンの最先端はヤフーのiPhoneだったが、来月になればドコモもGoogle搭載のスマートフォンを発売する。日進月歩だ。(やっとかいな、という気もするが)
 となると、主役は携帯電話であり、携帯を補完するものとして有線電話会社がある、というのが現実ではなかろうか。
 その現実から目をそらしてはいけない。(カエサルが言うように「人は自分の見たい現実しか見ようとしない、ではなく、本当の動いている現実を冷徹に見よ、だ)
 その現実を現実として認識するならば、NTT東西の戦略、仕事の進め方、商品の売り方も変わってくるのではなかろうか。
 有線が第一義、ではなく、パーソナル通信が第一義で、それを補完する手段として有線通信サービスがある、と定義しなおすと、違った世界が見えてくるような気がする。
 さてNTT東西はこれからどういう戦略で事業を展開していくのだろうか。
 テレビが見られる、だけではCATVのちょっと早い版としか捉えられず、そんなやり方をしていては、進化論ではないが、生き残ってはいけないかも知れない。
 子が親を凌駕したならば、親は甘んじて子の扶養家族になり、世の中からの「役割期待」を正確に受け止めて、現在の力量にあった役割を果たす、という道もあるのではなかろうか。

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