ここ数ヶ月大変忙しかった。
そういうこともあり、ここの所、長い間映画を観ていない。
大阪にいた頃はまだそれでも2週間に1回以上はレンタルビデオで映画を観ていた。
今日は仕事を休み、大腸内視鏡検査を受け、何もないという奇跡的な結果に終わった。
少し時間もできた。
久しぶりにDVDのレンタルをした。
ちゃんとシリアスな映画を、と思ったが、気分転換ということもあり、ローワン・アトキンソン(Mr.BEAN)の「ジョニー・イングリッシュ」というおちゃらけスパイものを観た。
相変わらずMr.BEANがふんだんで面白かった。
今後とも、またこういう時間を持てたらいいなと思う。
いずれにしろ、ここのところ、精神的には色々疲れることが多かったので、今日の「検査問題なし」を転機に良い方向に持って行きたい。
まずは、少し時間にゆとりを持つことから、だ。
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命拾い
「命拾い」って、私のこと?父のこと?どっち?と聞かれるかも知れない。
両方である。
父は、昨日点滴が取れた。
奇跡的な回復である。
5週間に亘って38度以上の熱が続いていた。
しかも合併症をいくつも併発していた。
点滴が取れ、栄養分は鼻から胃まで流す細い管で送っている。
その量も日増しに増え、今日は1500ccの流動食を送るまでになった。
残念ながら意識はまだほとんどない。
目も開けたりはするが、ほとんど見えていない。
血圧が低いため、朦朧としているようだ。
目が見えないのは脳の問題かも知れない。
しかし今日は「ありがとう」とかなりはっきりした声を出した。
どこまで回復してくれるかはまったくわからないが、希望を持ち続けることができそうだ。
一方、私。
検便2回のうち、潜血が1回だったら大腸がんの可能性60%、2回だったら80%。
と言われた。
私は1回潜血があった。
「痔でしょう」と言ったが、痔なら尻に痛みがもっとあるはずだと言われた。
となると、少なくとも前歴があるポリープぐらいはいくつか出来ているかも知れない。
前回の切除から12年も経っているし・・・。
で、今日会社をやっとのことで休んで、予約していた大腸内視鏡検査を受けた。
肛門のところを管が通るのはそれほど痛くはなかった。上手な医師らしい。
が、大腸の中でごちゃごちゃと管が動き回るのが痛くてしょうがない。
医師が「ちゃんとできない」というくらいに痛がった。
結果、何もなかった。
<何も>である。
12年前に大腸ポリープを切除した。
同じように内視鏡を入れての施術である。
その時は過形性が4個、線腫性が1個の合計5個を切除された。
線腫性というのはがんに変異する可能性のあるやつである。
そのため、その後何年かおきに、人間ドックなどの際、入り口付近の内視鏡は受けていた。
そんなこともあったので、最低ポリープぐらいはあるだろうと思っていた。
以外にも何もなかった。
ではどうして血が混じったのか?
看護師曰く、肛門付近に弱い痔があるので、それが時々大きくなったりするのでしょう、とのこと。
(痔じゃないって言っていたのに!)
ま、いずれにしろ何事もなくて良かった。
昨年末からずっとここのところ、精神的にもタフなことが色々あったので、これで少し気持ちを切り替えて超大忙しの仕事や色々な事柄にも集中して取り組むことができそうだ。
まずはビールだ。
(親父よ、一人で飲んですまんけど)
父の闘病生活
先月の21日に父が脳梗塞で倒れ、病院にかつぎこまれてから今日で30日になる。
この間、熱は38度から39度が続き、意識はほとんどない。
脳梗塞だけでなく脳内出血、糖尿病、不整脈、睡眠時無呼吸症候群、腎臓病、肺炎などを併発した。
元から持っている病気もあり、それらが一気に暴れだした感じだ。
今朝、病院から呼び出しがあり、家族が集められた。
心拍数がいっとき30にまで下がったためだ。
もうだめかと思ったが、到着した時には多少正常な値に戻っていた。
結局ほぼ一日病床に付き添った。
何ができるわけでもないが、ベッドサイドの枕元に座って、時々声をかけたりした。
ふと思う。
ここにいてオレは一体何を待っているのだろう?
もしかして、父が死ぬことを待っているのではなかろうか。
ずっと意識も戻らず、何本もの管につながれてかろうじて生命を保ち、苦しみ続けるくらいなら、すっきりと楽になった方がいいのではなかろうか、と不謹慎なことを思ってしまう。
何日か何週間か後に、諸機能の障害が進み止まったとしても、76歳の高齢でどこまで回復するものだろうか。
回復を信じなければならないよ、とアドバイスをくれる友人がいる。
ありがたい。
しかし現実に今の状態を見ると、日常生活に戻れるとは考えにくい。
しかも30日間の高熱続きである。
と、よからぬことに思考がいってしまうが、死魔必死にと闘っているのは父自身である。
何もできないが、声をかけ、死地から引き戻すことを我々家族は、やはり続けなければならないと思う。
降りも降ったり70センチ
初詣のしっぱい
元日に初詣に行って来た。
魚津神社というお宮さんである。
今年は父が入院中のため、残りの家族5人で行って来た。
大雪の朝で、しかも午前中だったこともあってか、比較的参拝客が少なく、すぐに本殿の中に入れた。
歩きながら家族にお賽銭を100円ずつ手渡した。
今日、妻から聞かれた。
「初詣のお賽銭、私にいくらくれた?」
「うん? 100円」
「1円だったよ」
「え?」
「私、あなたがくれたお賽銭だったので、仕方がないから1円で願い事してきたわよ」
「うっそだろ? ちゃんと100円玉4枚確認しながら1枚ずつみんなに渡したはずだよ」
(と、当日の自分の行動を思い出す・・・まさか、シルバーの色だけで大きさや重さは・・・そういえば、あまりyくは吟味せずに渡したかなあ????)
「本当に1円。だって、受け取ってからそのまま賽銭箱の所まで行ったもの」
というわけで、自分では100円ずつ配布したつもりが、とんでもない間違いであった。
お金はよく確認せねば。(金融マンのくせして!)
息子へのエール
大学1年生の長男がいる。
教師を目指している。
夢に向かって具体的に行動せよ、が今年の我が家の方針の一つである。
今日、彼が塾講師の面接に行ってきた。
無事合格したらしい。
高校時代の不勉強がたたって、大学選択では相当苦労したが、今後に期待しエールを送りたい。
夢に向かって、ひたすら前を向いて進め。
チャンスはそんなに待ってはくれない。
「今」を着実に掴んで行け。
2010年の計画その1・・・ランニング
夢を実現するためには、まず何よりも生きていくことが前提である。
しかも健康に、ということが極めて重要だ。
十何年か前から脚力とか心肺能力とか持久力とか柔軟性を高めなければならないと思っていた。
なかなか実行に移せなかった。
去年の最後の日から突如エアロバイクを始めた。
『7つの習慣』に「一日おきに30分の運動をすべし」ということが書いてあったからだ。
ジムに通う方法では、ちゃんとしたトレーナーが指導してくれるという利点はあるものの、行こうとしても、結局土日のどちかしか行けないことが既にわかっている。
では一日おきに30分の運動など、どうしようもない。
と思っていたが、家で、エアロバイクならできる。
ところが。
父が購入したエアロバイクでは、なかなか心拍数が上がらない。
有酸素運動となる10xまで持ち上がらないのである。
負荷を最大にして30分こいでもやっと90ぐらいにしかなってこない。
というわけで、そもそも「しんきろうマラソン」の「10km」を完走することを数年後の目標に定めており、その手前に、まずは「5㎞」を完走(完歩ではない)することができなければならないわけで、それが当面の目標なのだから、その目標に向かってトレーニングするとなると、やはり<走る>という行動が必要だ。
そんなこともあり、妻とじっくり話し合って、79800円也のルームランナーを購入することにした。
1週間ぐらいで届くようなので、せめて、家で、一日おきに30分走るということぐらいはきっちり習慣づけてやっていきたい。
高い買い物である。
無駄にはしたくない。
強い決意の下、購入を決めた。
走りながらポッドキャストも聞ける。
新しい楽しみが増えた。
ドカ雪で迎えた2010年の元日に思う。今年の我が家の基本方針。
夕べから今日にかけて日本海側は大雪となった。
特にここ富山県の魚津・・・の私の家の近くは30センチ以上の雪が積もった。
気象庁の発表では25センチぐらいと言っているが、私の家の付近は吹き溜まりのため量が多い。
(ちなみにこれは私の家ではないが)
子どもたちが除雪を手伝ってくれたものの、車を出すために1時間かかった。近年にしては珍しい元日の大雪であった。しかしこれだけ降れば、スキー場には客が来るし、建設業者は仕事料をもらえるし、田んぼの虫も死んで秋には健康な稲穂がようけ実るはずである。
閑話休題。
今年はさらに良い年にしたいとの願いをこめて、年末に富士山の写真ばかりが載ったカレンダーを購入。
私の居室のメインの場所に飾った。
これを毎日眺めて、良い年にしたい。
さて次は今年の我が家の基本方針の話題。
我が家の基本方針。
①感謝する
②目的を持つ
③行動する
④確認する
⑤健康を保つ
⑥蓄財する
解説編。
①感謝は全ての営みの始まりに置かなくてはならない。一日のスタートで「今日も命をありがとう」と感謝し、一日の終わりに「今日も無事命を全うできた」と感謝する。感謝すればさらに素晴らしい喜びが得られる。そして、去年の方針の一つでもあった「思いやり」に通じる考え方である。感謝すれば家族への思いやりも生まれる。
②子どもたちが上の学校に進学して1年経過。今年はそれぞれ2年になる。夢や希望や目標を持ち続けることは当然必要であるが、それを本当に自分のものとして具現化するためには、「何のために?」ということが明確でなければならない。目的のない行動は、じきにぶれる可能性がある。ぶれたら目標には届かない。夢も希望もあったものではない。目的が明確であれば、もしも自分の思う結果が得られなくてもリカバーできる。次の手を打てば良いのである。目的が明確であれば、環境変化にも対応できる。柔軟な対応が可能になる。従って、1年生の時とは違い、目標や夢を具現化するために目的を明確にして行動につなげて欲しい、という願いがこめてある。
③目的が明確になったら、迷いが生じた時に自分が立ち戻るべき拠り所が明確になる。という安心感を持って行動すれば良い。目標(夢、希望)⇔目的⇒計画⇒行動⇒確認、である。
④確認は、自分のやってきたことが目標や計画とずれていないか、進捗はどうか、ということを確認し、必要に応じ軌道修正するためには不可欠なことである。のみならず、我々は家族なのであるがゆえに、案外ささいなことで相互誤解をし、くだらないことでいさかいやいがみあいや意地の張り合いをしてしまいがちである。そういうことを防ぐためには、細かいことでもお互いに意識して確認しあうことが大切だ。例えば「明日は何時に起きるの?」「7時」「それで何時の電車で行くの?」「7時50分」「ちょっと起きる時間、早いんじゃない?」「朝起きてから見たいテレビがあるから」「じゃあ、もう10分ぐらい早く起きた方がいいんじゃないの?」「あ、そうだね、そうする」といったような助言と改善が可能になったりする。それがないと、朝バタバタしてお互い言ったの言わないのそう思ったの思わなかったの、といったくだらない喧嘩が始まり、お互いいやーな気分のまま一日をスタートさせてしまうことになったりする。それを防ぐために、細かな確認が、家族だからこそ必要だと思う。
⑤父が倒れて早10日になる。相変わらずほとんど意識がない。上の息子は歯医者に莫大な貢献をしている。新型インフルエンザが相変わらず流行している。私も人間ドックで二つも精密検査行きを命じられた。健康は全ての源泉である。規則正しい食生活、適度な運動、しっかりした睡眠、これらが人生のベースである。自分で自分の健康を維持する努力をし、家族がお互いにお互いの健康を気遣い合う。これが大事だと思う。
⑥昨年は「倹約する」というマイナスイメージの言葉を使ってお金の大切さを説いた。しかし今年はもっと積極的に「財を成す」という意味合いで、蓄財=少しずつでもいいから貯金しよう、という表現に変えた。子どもたちには「1割貯金」を推奨している。(なかなか実行していないので、毎月の小遣いの時に予め1割差し引いて渡すというやり方を、やむなくしているが)
さあ、今年も明るく元気に健康に留意して好きなことを目一杯やるぞぉ!
2009年最後の日
2009年の大晦日。
朝は決して早くなかったが、子どもたちに協力してもらい、神棚の掃除、しめ飾りの取り付け、餅切り、カレンダーの付け替えなど、午前11時には一通りの正月の用意が済んだ。
いくつかの小さな家具を移動し、家の機動性を少し向上させた。
先日読んだ『七つの習慣』の「第七の習慣 刃を研ぐ」に「一日おきぐらいで、30分ずつの有酸素運動をすれば良い」ということが書いてあった。
有酸素運動が健康に良いことは10年以上前から知っていたが、こういう自己啓発本の「自分を磨け」というようなことが書いてあると思われたところにそんな話が書いてあったので少し驚き、やはり運動しなくては、と思った。
しかし最近はジムに行く時間もなかなか取れず、時間の工面が課題であった。
廊下の隅に置いてあった、父が買ったエアロバイクを父の起居していた部屋に移した。
心拍数を測定する機能がない低価格品のため、携帯型の心拍数測定器を買った。
この2つがあれば、平日の夜でも自宅で有酸素運動ができる。
30分手持ち無沙汰にならなくても良いように、iPhoneの中にはポッドキャスティングからダウンロードした色々な番組も入っている。
準備は万端。
早速今日から30分ずつこいでみよう。
そこまでやったら母と妻がそれぞれ買い物や用事で出かけた。
子どもたちはそれぞれ自分の部屋に戻り、自分の時間を過ごし始めた。
自分の部屋に戻り、先日購入した「サライ 1月号」の付録のジャズのCDを聴く。
部屋はストーブの熱でそれなりに暖まっている。
バド・パウエルの「クレオパトラの夢」
何度聴いても心に染み渡るいい曲だ。
この曲以降、精彩を放つことなく、42歳で亡くなってしまったらしい。
素晴らしいピアニストだが・・・。
マイルスの「ディア・オールド・ストックホルム」
元々は民謡らしいのだが、素晴らしいJAZZに仕上がっている。
グラント・グリーンという人の「ジェリコの戦い」
富山市に同名のJAZZ飲み屋がある。
曲を聴いたのは今日が初めてだ。
重い中に明るさを秘めた不思議な曲だ。
いい。
という感じで、年の瀬、ひと時の至福を味わっている。
激動の一週間
12月19日(土)家の周囲の除雪。12月の除雪は何十年ぶりだろう。
母の新しい車が到着。
ホンダのFIT。
ショップの人たちの人柄が気に入って買った。
もちろん燃費の良さも重要な購買決定理由の一つである。
同日、2010年の年賀状に、目標の一つとして「家族の健康増進」と書く。
20日(日)母がFITに初乗り。
今までの車が普通電車だとするとFITからの眺めはサンダーバードのようだ、
と感動。
21日(月)職場に新しい仲間が増える。中途採用の人である。
私にとっては旧知の間柄の人だが、まさか転職して我が職場に来られるとは。
大変驚いた。しかも同じ担当である。
午前10時過ぎ、妻から電話。
76歳の父が脳梗塞で倒れ、緊急入院。
(前の日に「家族の健康増進」なんて書いた年賀状を出したところなのに)
家に帰ると、私の車のエンジン部がガタガタと異音を発し、オイルランプ点灯。
JAF曰く、動かさない方がいい、いつ止まるかわからない状態です。
こんな日に限ってトヨタが休み。
父の車で父の入院している病院へ。
2週間は絶対安静に、どう転ぶかわからないとの医師の話。
22日(火)会社で人事異動の内示。
会社の心臓部とも言える業務であり、私にとっては全く経験のない仕事。
いずれその担当業務もあり、と言われてはいたものの、コンサル的な業務で
行きたいと考えていただけに少なからずショック。
サラリーマンとしての昇進・栄達は望んでいないのだが、結果的には可能性
を認められたのか、責任とともに権限も大変重い仕事に就くことになる。
企業の中身を融資先として見るわけで、大変勉強になり、チャンスではある。
23日(水)下の子が高校の演劇の中部大会で名古屋へ出発。4泊5日の旅行。
午後、父の病床に付き添いながら読書と仕事の資料読み。
読書は吉川英一氏の『低位株必勝ガイド』、園善博氏の『頭がよくなる魔法の
速習法』。読了。
新しい職場のマニュアル、途中まで読んだ。
父はひたすら「1,2,3,・・・100、1,2,・・」と数字を念仏のように唱えている。
25日(金)仕事の引継ぎ。
新しい仕事は、手続やルールだけでも大変ややこしい。
しかしそれ以上に仕事そのものがわかっていない。
実務をしたことがないのにジャッジせよというのだからしょうがない。
とにかくマニュアルを読み込まなければ・・・。
夜、修理に出していたトヨタのガイアが戻ってきた。
オイルのカスが相当沢山溜まっていたらしい。
前の持ち主がオイル交換をほとんどしていなかったのかも知れない。
というわけで、オイルの通り道を2回オーバーホールしエレメントを交換した由。
修理費4万円也。
この一週間というもの、父の急病、私の人事異動など、人生にとって大きな事件が立て続けに起こり、正直言って混乱している。
無意識に、多量のアルコールを四晩連続して飲んだ。
その間毎晩10時半頃に何もせずに寝た。
父がこの先どうなるか、不透明この上ない。
症状はかなり重く、回復はしないと医師から宣告を受けた。
しかし病院にはそんなに長くはおれないらしい。
どこでこの先の介護をして行くか。
仕事は後1日を残して新しい業務に就かなくてはならない。
できるのか?
全然自信がない。
この混乱を楽しめる?
そりゃ無理だ。
いつもなら混乱している自分を上から眺めて客観的に楽しんでいる私だが、今回は不安で一杯。
とても楽しめる余裕はない。
でも今の状態が現実であり、この現実は変えられない。
そこからがスタートだ。
新しい「落ち着き所」は、混沌・混乱の中からこそ生まれるものだと思う。
混沌とした状態から、新しい智恵や打開策を生み出すのは、私の最も得意とする作業であり、大好きな分野のはずだ。
何をしなくてはならないかを書き出して、できることから順番に、一つひとつ取り組んでいこう。
私は一人ではない。
家族もいるし、職場の先輩や仲間もおり、友人たちもいる。
なんとかなる。
前に進んで行こう。