故・小室直樹氏について

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先月亡くなった小室直樹氏のことについて書く。
私が始めてこの希代の大学者のことを知ったのは、高校3年生のときであった。
偶然、NHKのテレビで、山本七平氏と対談をしておられた。
その時に、紹介のテロップが流れ、京大、東大、ハーバード、数学、社会学、経済学、法学・・・というおよそ1人の人間の中に共存しにくいような学問を名門大学を渡り歩いて修得してこられたすごい人、ということを知った。
衝撃が走った。
なんだかすごい人が日本にはいるんだなあと思った。
翌年、大学に進学したら『ソビエト帝国の崩壊』が上梓された。
NHKテレビでの強烈な印象が残っていたため、私がこの人の著書にすぐに飛びついたのは言うまでもない。
内容は、興味のある方は是非お手に取って直接読んでいただければ良いが(本書の他に、シリーズものが合計3冊出版されている)、小室直樹氏の凄いところは、現地に行ったわけでもなく、世の中に出ている一般の情報(本やニュースなど)から、社会学の分析手法(と言っても誰にもまねできないものかも知れないが)を使って、ソ連の問題点をあぶり出し、その結果、早晩崩壊する、と断じた点である。
それから9年後の1989年にはベルリンの壁が崩壊し、その翌々年の1991年に、小室直樹氏の予言どおり、ソビエト連邦は崩壊した。
文字通り、国、体制が崩壊したのである。
一方、その後小室直樹氏は『アメリカの逆襲』シリーズや『資本主義中国の朝鮮』『アラブの逆襲』などを立て続けに光文社から出版された。
どれも、法や宗教なども含めた社会構造から根本的に社会の行く末を考える本で、大変勉強になった。
小室氏の筆致はやがて日本社会の根源的な問題点に戻る。
戻るというのは、実はこれら、ややお手軽な感じの本の前に、『危機の構造』という本を出版されており、ここには日本社会の構造的な問題点があますところなく記されている。
小室氏の本には、よく「アキュートアノミー」という言葉が出てくる。
社会の法や規範、宗教など、人の行動を左右する共通的なものの考え方、これが根本から覆されるとき、一人ひとりの人、それらで構成されている地域や国家などの社会全般が、皆、パニックになって、価値観・倫理観・人生観が根源から崩壊する、というようなことである。
ソ連の崩壊に向けての兆候としては、アル中が多い、というようなこともその傍証として書かれていた。
我が日本の場合は、第二次世界大戦が終わった時に、それまでの価値観が全否定され、国民全体がやる気を喪失し、自暴自棄になった。しかし国民の精神的な支柱であった昭和天皇が処罰されなかったために、かろうじて暴動やパニックは抑えられたのかも知れない。(これは私の印象)
もう一つの重要なキーワードは「ノブレス・オブリッジ」である。
高貴なる使命感、というものらしい。
例えて言えば、大英帝国にはいまも貴族がいて、彼らは戦争になれば真っ先に出陣する、国のために命を張る立場であり、実際、王家の人々も必ず一度は軍役に就いている。
つまり、立場が上の人々には権威や権力があるが、それに見合うだけの責任や義務について、大変高いレベルのものを求められ、それらが一体となってこそ、人々も彼らを尊敬し、集団としての規範が保たれる、というものである。
権威と責任のバランスが崩れ、立場が上の人々が当然果たすべき義務を怠ったり、権威や権力を私用して不正や犯罪を働いてしまい、それに対するおとがめがなかったりすると、一般の人々はやる気を失い、法や秩序が保たれなくなり、犯罪が横行し、社会は崩壊に向かう。お前らの権威は俺たちが付託したものなんだぞ、というのが崩れてしまい、皆が権威者になってしまう。これは暴力社会=万民の万民に対する闘争である。そうなってはいけない。
しかるに我が日本はどうか。
役人や公務員による犯罪が横行している。
最も権威があり、威厳をもっていなければならない人々が、自分の権力を使って、公の利益ではなく、自分だけの利益を図っている(人々がいる)。それがさらに組織化して、自分たちの収入を増やす行為や第二の就職先を集団で世話することなどが自己目的化してしまっている。それも国民から吸い上げた税金を使って、である。
ここまで来るとどうしようもない。
今回の大阪地検の事件もそうではないか。
検挙率を維持することが目的化してしまって、そのためにストーリーを作り上げ、ストーリーに合うような証拠をでっち上げ、それで無実の人を罪に陥れる。
ここまで来るともはや法治国家ではなく、放置国家である。
というようなことになるよ、と小室直樹氏は田中角栄裁判などを通じて警鐘を鳴らしていた。
もう一つ、忘れてならないこの人の重要な指摘。
日本は社会主義国である、という話。
詳しくは書かないが、日本は戦後超平等社会を実現し、累進税率も高く、多く稼いだ人から沢山の税金を取って富の再分配をし、しかもそれほど不満を生まずに社会秩序を維持してきた、これはまさしくマルクスが唱えていた社会主義国そのものである、と。
これは、ある意味、日本という国だけでなく、我々の勤務する会社(どちらかと言うと大会社)の構造もそうである。
良い、悪い、は別にして、そういう観点で日本の社会や会社を見ると、確かに「ああ、そうか、だからか」と納得できる点が多い。
これらは『社会主義大国日本の崩壊』をご参照願いたい。
日本社会の問題点として、さらに、重要な指摘がある。
日本は「魔女狩り」の性質を持っているという点である。
みんなで「この人は悪い」と決め(あるいは想定し)、その人をみんなで袋叩きにする、という悪弊である。
いや、確かに本当に悪いことをしたのかも知れないが、本当に私たちはその人が悪事を為したと知っているのだろうか?
たとえば、先ほどの田中角栄元首相。ロス疑惑の三浦和義氏。戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏。テレビのワイドショーがその被疑者を犯人だ、悪人だといわんばかりに報道し、テレビを見た視聴者は「ああ、この人、悪い人なんだ」と思い込んでしまい、結果、国民大合唱で「こいつを処罰しろ、ハングアップだ」と叫び、その人の裁きが終わると、今度は別の犠牲者を見つけ出し、引きずり出し、またみんなでバッシングする・・・。
そうやって鬱憤を晴らすようになってしまった。
どうも我が日本人は、みんなで一緒に同じ方向を向いて、ということが好きな国民らしい。
だからみんなで一斉に誰かをバッシングするし、みんなで万歳して貴重な働き手を戦地に送り出すし、ちょっと反対の方向のことを言ったら「あいつは変わり者だ」と差別したり仲間はずれにしてしまう。これは何も第二次世界大戦までのことではなく、今も日本の構造に横たわっている、変わらぬ精神性である。
(このことをビートたけしは「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とものの見事に一言で切って捨てた。実際に赤信号をみんなで渡ればこわくはないかも知れないが、間違いなく何人かは事故にあう、その危険を「一億総・・」という美名でわからなくなってしまうのだ。
これはまずいよ、と小室直樹氏はしきりに警鐘を鳴らしていた。
そういう冷静な目で事件を見られる人が一体今の日本にどれだけいるだろうか。
いや、物言わぬ大多数の国民は冷静に見ているのかも知れない。
しかし芸能マスコミ化した新聞やテレビは、センセーショナルな報道=売れ行きを求め、静かに報道すれbそれでいいことも、タイトルを強調したり、「識者」と言われる人のコメントを効果的に活用したりして、いやがうえにもヒートアップしてしまうようになってしまっている。
それを読んだ一般の人々は、マスコミの論調が自分の意見だという感覚になってしまい、たとえば街頭でインタビューを受けた時には、その論調が自分のコメントとして口から出てしまっている。
その結果、それが大多数の世論だ、ということになる。
小室直樹氏は、そういう「空気の支配」に警鐘を鳴らし続けていた。(「空気の支配は」山本七平氏の著作、又はこの両者の共著などをご参照願いたい)
今さらながら、小室直樹氏の慧眼には驚くばかりであり、また、1976年に書かれた『危機の構造』以下、どの著作を見ても今も新しく、深いことにあらためて驚いている。
我々は小室直樹氏の重要な指摘の数々をもう一度しっかり学んで、それを腑に落とし込んで、これからの世の中に対していかなければならないと思う。
表層の変化だけではなく、本質的な現実をしっかり見て、本質的に問題に対応していかなくてはならない。
こういう人物を持てたことは日本の僥倖である。
心からご冥福を祈りたい。
そして、その考えを学ぶ機会を与えていただいたことに感謝したい。






この本が小室直樹氏の考え方・ものの見方の勉強になる基本参考書だと思う。
(・・・それにしても、バナーを横に並べられないものだろうか・・・)

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社会学の泰斗 小室直樹氏逝く

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 ん~!!!!!
 残念だ!
 小室直樹氏が亡くなってしまった。
 惜しい。
 とても残念だ。
 77歳。
 大変な高齢だったのだなあと思う。
 日本の宝であった。
 これほどの学者は恐らく100年に一度出るか出ないか。
 たぶん100年ぐらいでは出ない。
 明治大正昭和平成を通じて、これほどの社会学者はこの人を於いて他にはいないと思う。
 「潜水艦」の中ではなく、ちゃんとした東大病院というところで亡くなったのがせめてもの救いか。
 色々手を尽くされた結果の死であろうと思う。
 (もしかすると石神井の「潜水艦」の中で亡くなった方が、在野のこの学者としては似つかわしかったのかも知れないが)
 この方の業績について語りたいことは山ほどあるが、今日はやめておく。
 稿をあらためて述べさせていただく。
 ともかく、日本の構造的な問題点をえぐりだし、白日の下に曝した功績は古今東西類を見ない。
 日本の問題点に常々警鐘を鳴らし続けてこられた。
 日本の構造的な問題点、の観点から警鐘を鳴らした人は、小室直樹氏と山本七平氏ぐらいではなかろうか。
 (ちょっと言い過ぎか)
 いずれにしろ、両者を失った我が国に、今後きちんと学問をして、それをベースにした根本的な部分から警鐘を鳴らせる人がいるのだろうか。
 それがなければ、我が国はまたぞろ第二次世界大戦と同じような愚を犯すであろう。
 それが日本の構造的な問題点なのだから。(ということを論理立てて説明される人だった)
 後進の方々、有名な方では橋爪大三郎氏や副島隆彦氏らに、是非警鐘を鳴らすお立場を取っていただきたいと思う。奇をてらうことにあまり時間を割いて欲しくない。
 また稿を改めて・・・と言いながら長くなった。
 とにかく惜しい方を亡くした。

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映画「告発」について

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 ゲイリー・オールドマンという俳優がいる。
 怪優と言ってもいいと思う。
 私にとっては、クリストファー・ウォーケンと並ぶ、外国人二大怪優の一人だ。
 この人の出演している映画はほとんど観たつもりでいた。
 が、観ていないものがあった。
 知人に勧められ「告発」というDVDを観た。
 かの有名な「アルカトラズ」という牢獄に関する映画である。
 「アルカトラズからの脱出」というのはちょっとかっこいい映画だったが、この「告発」は全然違う。
 そもそもアルカトラズには、軽犯罪で逮捕された人も含めて収監されていたようだ。
 主人公のケビン・ベーコン演ずる受刑者は、わずか5ドルの盗難罪でアルカトラズに収監されてしまった。
 その後、誰かの脱獄企図(脱獄は失敗)を手伝ったとして、3年間地下牢に閉じ込められ、真っ裸で日光も当らずまともな食糧も与えられず、時々殴る蹴るの暴行を加えられ、という獄中暴行死寸前の状態まで行って、3年後一般獄舎に移されたのもつかの間、ある囚人を食堂で殺害してしまったことから物語りは別の展開を始める。
 色々あって遂にアルカトラズは閉鎖されることになるのだが、そのきっかけになった<実話>であるというところが、この映画のインパクトを強めている点だ。
 2時間、目が釘付けになった。
 結局、ケビン・ベーコン演ずる受刑者は、無罪を勝ち取りながら、殺人を犯した事実は否めず、そのため再びアルカトラズに戻り、恐らくゲイリー・オールドマン演ずる刑務所の副所長に再びいびられ、今度は全く容赦なくいびられ、結局地下牢で死体となって発見されるに及ぶ。
 なんとも納得のいかない終わり方なのだが(そのシーンは出てこないが)、事実に基づいて作られた映画である以上、事実を歪曲してはいけないのであり、それは事実である以上、目をそむけられないことだ。
 カエサルが言っているらしい。
 「人間は自分の見たいと思う現実しか見ようとしない。」
 しかし見たいと思わない現実の方がいかに多いことか・・・。
 それを冷徹に見て、自分の目に焼きつけ、腹に落とし、咀嚼し、現実に立ち向かうというふうにしていかないと、本当の解決策は出てこないものだろうと思う。
 そんなことを考えさせられる映画だった。
 異常人格者を演じさせたらピカイチのゲイリー・オールドマン。
 ゲイリー・オールドマンの怪演を超える重厚な映画だった。

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中国経済圏に飲み込まれる日本の進む道は?

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 二十年ほど前に、故井上ひさし氏が「日本はこれからの国際社会に対応していくため、他の国々と同じように軍備を増強するのではなく、外国から頼りにされる日本にしかないものを持っていたらいいのではないか、たとえば超高度な医療技術のようなもので、外国の要人が日本に来なければその病気が治らない、となれば、誰も日本を軍事的に攻めようなどとは思わないはずであるから」という主旨の国防論を語っておられた。
 あれから二十年近く経つが、果たして日本は外国が攻めようという気持ちを萎えさせるようなものがるだろうか。(長谷川慶太郎氏によれば、アメリカの軍事衛星にも精密機器にもほとんど日本の精密部品が入っているので、アメリカは日本なしでは生きられないということではあるが)
 さて、中国経済の躍進が著しい。
 政治的にもますます発言力が増している。
 我が日本にも色々な影響が出てきている。
 半年ほど前に、金型メーカー第一位のオギハラという会社の工場の一つを中国の自動車メーカーBYD(かの世界的投資家ウォーレン・バフェット氏の会社が巨額の投資をしたことで一躍有名になった)が、買収するという驚愕のニュースが走った。
 日本の手わざ、ミクロン単位まで調整できる日本人技術者の持つ金型技術が中国資本によって買収されるということが、日本がそのアイデンティティを喪失していく第一歩と移ったからである。(と私は捉えている)
 これに対応して、経済産業省が仕掛け、企業再生支援機構の支援の下、自動車用金型の国内2位の富士テクニカ(静岡県清水町)と、同3位の宮津製作所(群馬県大泉町)が経営統合するというニュースが数日前に新聞紙上を賑わした。
 オギハラの件を含め、中国資本による日本企業の買収が急激に増加している。
 買収だけでなく、中国製品の日本への輸出も激増している。
 もちろん周知のとおり、中国経済は年率10%の高度成長を維持している。(統計の信憑性に対する疑念も多いが)
 中国から日本に来ている人の話を聞くと、いわゆる銭湯など、日本人が行ったらビックリするくらい広く、子どもたちが遊ぶ浅いプールなどの設備も整っており、しかもそういう施設が地方都市などでもあちこちにあるという。またカラオケ店なども多く、一番狭い部屋でも畳10枚以上のスペースであり、日本の、数人しか入れないような部屋もある省スペース型のカラオケ店など、広大な中国では作る必要がない、という。日本にあるもので中国にないものなど、もはやない、と誇らしげに語るのである。う~ん、悔しいけど、事実なのだろう。
 それくらい、近年の中国は経済が発展し、さらに伸びつつあるし、内需も大きくなってきているという好循環となっているようだ。もちろん不動産バブルなど、ずっと言われてきており、いつバブルの崩壊が起こるかわからないし、上述のとおり経済統計が必ずしも正確ではないので、数字の信憑性も確信できるわけではない。
 とは言え、中国製品の輸入が年々増えており、事実として日本の金型メーカー第一位の工場が買収され、IBMのパソコンは中国製品になってしまい、アフリカの携帯電話は中国の通信会社が設備を構築しサービスを提供している、中国からの観光客が激増している、等々の現実を目の前にしては、その巨大な経済がいよいよ立ち上がったと認めざるを得ない。
 しかも彼らは誇りを持って経済に取り組んでいる。
 私は思う。
 この先10年間で、日本経済は中国経済圏に飲み込まれているであろう、と。
 なんてことは、既に色々な人が本でも書いているし、色々な会社が中国に進出して生き残りをかけて取り組んでいるので、目新しいことではない。
 でも私自信はそういう実感がなかった。
 中国経済圏に日本経済が取り込まれる、または飲み込まれる、ってどういうことだろう?
 私が務めている会社が中国企業に変わる、ということである。
 あるいは、中国企業が私の務めている会社の仕事に成り代わって務め、私の務めている会社は存在意義をなくす(廃業、倒産する)、ということである。
 中国企業に代替できる仕事は、日本には会社として残らない、ということである。
 日本の会社がその役割を持たなくなると、その税金で成り立っている公務員の仕事も維持できなくなる、ということである。
 会社に資金を供給する銀行も存在意義を失う、ということである。
 ・・・そんなことを考えていくと、日本の強み(中国の人たちが叶わない強み)とは何なのか、何を持って我々日本人は国家を維持し、日本人としての誇り、独立自尊を維持していけるだろうか、と思わずにいられない。
 これは大変難しい問題だ。
 低コスト、ある程度の製品品質、という武器があればいくらでも日本の既存産業は駆逐できる。
 具体的には、汎用品の製造、農業産品、林業、加工食品、建設、流通、介護、などなど。
 対して、多少高コストであっても日本にしか作れないもの、日本にしか提供のできないサービス、日本にしか作りえないインフラなどにはどういうものがあるだろうか。
 FF0000“>医療、製薬、特殊な鋼板、酒、iPS細胞、関の刃物、観光、再利用やビルメンテナンス、精密部品、金型、エネルギー制御技術、エンターテインメント(芸能)、薄板鉄鋼、新幹線敷設と運行・制御などの一連のインフラ技術・・・。
 などなど、あるのだろうが、ちょっとうまく思いつかない。
 とにかく、こういうものをしっかり考え、対抗軸として育て、守っていかなくてはならない。
 一方で、中国語の勉強もしていかねばならない。
 中国のやる気のある人たちは、3ヶ月で日本語をマスターし、ビジネスで訪中する人や観光で訪れる人たちの対応をしているらしい。
 この気迫。実践力。
 負けてはおれない。
 また、中国の人々とビジネスコミュニケーションを進めて行くためには、かの国の思想・信条の本となる考え方も学んでおくことがベターだと思う。
 具体的には、それは儒教でも道教でもなく、法学であろうということである。
 もっと具体的には韓非子の学問(法家思想)であり、マキャベリ以上に冷徹なリアリズムなのだそうだ。
 厳しい世界になりそうだが、この国に住む者として、誇りを持って、これからまだまだ訪れる激動の変化に対応していかなければ、と思う。

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倶利伽羅不動寺の法話より

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 一昨日、倶利伽羅不動寺で聞いた住職らしき人の法話の紹介。
 「佛」という文字がある。
 通常、我々は「仏」という文字を書く。
 「にんべん」にカタカナの「ム」である。
 しかし元々は「にんべん」に「非ず」という文字であったらしい。
 ほとけとは、「人に非ず」ということらしい。
 でも、いわゆる一神教の神とは違う。
 神と違う最大の点は、人はほとけになれる、ということらしい。
 人は「神=創造主」にはなれないが、「ほとけ」にはなれる、という。
 しかし、人がなった「ほとけ」は人ではない、人ではない状態なので、「人に非ず」ということらしい。
 これ(「非」の部分)はまた、糸がごちゃごちゃ絡まった状態の中に、二本の縦の棒を差し込んで、整えた状態をも表すという。
 人はみな色々な悩み・苦しみにのたうちまわり、心も体もボロボロになる。
 ほとほと混乱した状態になって日々過ごし煩悶の中によるを迎える。
 そういった混乱した状態をうまく整えた人が「覚者=目覚めた人=ブッダ」であり、「ほとけ」となるのだそうだ。
 さらに、ブッダは、自分だけ目覚めるのではなく、他人をも目覚めさせた人のことを言うらしい。
 ジコチューではブッダにはならないのである。らしい。
 ご住職の話はまだまだ続く。
 六波羅蜜という言葉がある。
 平清盛をまつった寺は六波羅蜜寺である。
 これはもともと「6つの」「パーラミータ」という意味だそうだ。
 パーラミータの意味は失念したが、次の6つがそれに当る。
 ・布施
 ・戒律
 ・忍辱
 ・禅定
 ・精進
 ・知恵
 ということらしい。(順不同&間違いあるかも)
 これらに共通するのが、言葉だという。
 たとえば、布施と言った場合、我々は「お布施=お金」というふうに連想しがちだが、ご住職曰くは「なにもものや金だけが布施ではない。優しい心のこもった<言葉>も布施である」という。
 「戒律」は「言葉を慎む」
 「忍辱」は「言葉(の暴力)に耐える」
 など、いずれも言葉と関連したことだという。
 人間は言葉を持ち、言葉を使えるという点が、他の全ての動植物と異なる点であり、言葉をしっかり、大事に使っていかなければならない、ということをしきりに仰っていた。
 最後に、言葉で願いを考える、そして人生を変えていくことすらできるよ、というお話があった。
 有名な「心を変えると行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という一節である。
 「心を変える」の心とは、誓願を立てるということで、これも言葉を持ってする必要がある。
 すべて、言葉の力、というわけである。
(TRICKで野際陽子さん演じる書道家=山田里美の「文字のちからっっ!!」ではないが)
 偶然「8」のつく日に訪れて、いい話を承った。
 ラッキー、である。

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久しぶりの倶利伽羅不動寺

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 倶利伽羅峠。
 その昔、源平合戦で源義仲が火牛の計で平氏軍を打ち破った古戦場。
 さらにその昔、インドの善無畏という高僧が元正天皇の要請で日本にやってきて、この地で倶利伽羅不動明王を感得し、その姿のままに彫刻し、その後かの空海がこの地を訪れた際、倶利伽羅不動明王の有難さに同じ像を彫刻した・・・との言い伝えのあるところでもある。
 であるが、そもそも善無畏は真言八祖の5番目の人であり、インドから中国には行ったと思われるが、日本には来ていないのではないか。
 しかし日本の色々な寺に善無畏がどうしたこうしたという言い伝えがあるのはどういうことだろう?
 不思議な気がするが、偶然倶利伽羅不動寺だけのことではないと思う。
 日本の各地に善無畏が感得して彫刻したとか、善無畏が開山したとかいう言い伝えがある。
 ということで、今日は久しぶりに小矢部、否、石川県津幡町の倶利伽羅不動寺へ参詣に行ってきた。
 ここは母の生まれた地の近くであり、母の名前の由来の地でもある。
 15年ほど前、母が乳がんから回復し、そのお礼参りに行ってきたのが、母としては参詣のきっかけであるらしい。
 当初から父と一緒に毎年今頃の季節に参詣してきたもののようだが、今年は父が病床の人であるため、私が同行した。
 魚津から下道で1時間半。
 今日は偶然8のつく日ということもあって、住職の法話があった。
 「言葉」が大事だよという大変良い法話だった。
 高台からの見晴らしは、まるで鞍馬寺から比叡山を望むような感覚があった。
倶利伽羅不動寺

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徒然草に見る「Time is Money」

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 時間は有限。
 放っておくとどんどんなくなっていく。
 過去は戻らない。 
 ただ頭の中に残っているだけである。
 どこにも存在しない。
 誰かと一緒に過ごした場合は、お互いの頭の中に残って、さも過去が共有されていて、今もあるような錯覚を覚える場合があるにはあるが、でも過去はもうどこにもない。
 そういうことをわかっている人はどれだけいるだろうか。
 徒然草に言う。
 寸陰惜しむ人なし。
 これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。
 されば、商人(あきびと)の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期(ご)、忽ちに至る。
 されば、道人(どうじん)は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来たりて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事かを頼み、何事かを営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食(おんじき)・便利・睡眠・言語・行(ぎょう)歩(ぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇(いとま)幾ばくならぬうちに、無益(むやく)の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消(しょう)し、月を亘りて、一生を送る、尤(もっと)も愚かなり。(徒然草 第108段)
 吉田兼好の時代も今も、意外と時間を無駄に過ごす人は多いのだと思う。
 ま、かく言う私も・・・。

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立山山麓家族旅行村へ久しぶりに行ってきた

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立山山麓2010082202
 なんの写真かわからないと思う。
 避暑のつもりで、立山山麓家族旅行村に行ってきた。
 知人の助言を受けてである。(但し、知人その人は、昨日の音楽イベントに来い、という意味で言っていたのかも知れないが・・・宇崎竜堂さん、来てたんだねえ)
 自分としては涼しい高原のケビンを時間借りして、小鳥のさえずりを聞きつつ、読書や昼寝や仕事の考察など、と考えていたんだが、妻から「車のお金かかるでしょ!」って言われて、断念した。
 しかし、ともかく、現地までは行こう、と無理やり妻を口説いて父の軽四で1時間のドライブ。
 行ったが、昼飯を食べるくらいでなにもできない。
 ケビンに入れぬ以上、どうしようもない。
 ふと見ると、コンドラが次から次へと山の斜面を登っていっているではないか。
 パンフを見ると、ゴンドラの山頂駅から瀬戸蔵山、大品山へとトレッキングするコースへの見取り図なども出ている。
 これしかない、とまた妻を口説き落として、ゴンドラに搭乗。(二人で2000円。ケビン借りるよりゃ安いだろ!って言いました)
 で、山頂駅でおりた後の、瀬戸蔵山へ行く道中の最初の小径が、上の写真である。
 次回、トレッキングをする。
 それまで楽しみはとっておく。
(今年は立山登山できなかったからなああああ)

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新入社員の時の上司の墓参り

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 5年前に亡くなった、私が新入社員の時の課長の墓参りに行って来た。
 先輩のMさんと一緒に行って来た。
 小矢部市である。
 突然だったが、奥様が暖かく明るく迎えて下さった。
 ありがたいことだ。
 仏壇を参らせていただいた後、お墓の場所まで一緒に案内していただき、お参りしてきた。
 穴の谷の水を捧げた。
 亡くなる少し前に、無邪気にも、回復するものだと信じて、病院に持っていったのだが、たぶんもう末期だったのだろう、恐らく水は飲まれないままに亡くなってしまったのではないかと思う。
 そんな残念な気持ちもあって、今日持参した。
 もちろん飲めはしないのだが、折角お参りに行くときぐらいは、お届けしたいという気持ちだ。
 上司の好きだった「ふなくち菊水」もお供えした。
 尽きせぬ思いがある。
 わずか69歳で亡くなったことが、本人は無念でしょうがないと思う。
 私も残念だ。
 しかし死んでしまった人が生き返るわけではない。
 今と明日を見つめて、生きているメンバーで頑張っていかなくてはならない。
 故・上司の思いを少しでも受け継ぐことができて、今生きている人たちのお役に立てたらなあと思う。
 ところで、富山駅での待合中に、なんとかいう本を読んだ。
 なんていう書名だったかは忘れたが、最近の成功本の批判をしていた。
 なかなか痛快であった。
 世の中、あんたの真似をしたらガッポリ稼げますよなんて、そううまくいくはずないじゃないか。
 あんただけが儲かってるんでしょ、といったような論調で、結局は松下幸之助氏や稲盛和夫氏などの自叙伝が一番インパクトがあって本当にためになるよ、というようなことが書いてあった。
 骨のある本だと感じた。
 残念ながら書名は忘れた。

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トイレにまつわる変な夢

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 朝からマッサージの予約ができたので、通信教育の取り組みはちょっと置いておいて(朝から一気にやるつもりだったが)、マッサージを受けてきた。
 肩の内側の筋肉が疲弊していて、痛みも治まらないし、揉んでもらっても良くならない。
 挙句、何か特別の器具を出してくれ、灸のような治療をしてもらった。
 午後、マッサージの効果が出たのか、とてもけだるくなって、またまた通信教育には手をつけぬまま不覚にも寝てしまった。
 妙な夢を見た。
 夕涼みにドライブしていたら、銭湯のようなハンバーガー屋のような建物に行き当たり、車を止めて中に入った。
 銭湯のような部分は瞬時に真っ暗になり、ファーストフード店だけになった。
 そのファーストフード店も夜遅いせいかメニューの表示板の電気は消えてしまって、何も食べられない。
 カウンターの中の店員らしき人が、「今からなら素泊まりの部屋を用意できますよ」と言う。
 「但し、便所ですけどね」
 俺はその言葉の意味するところを理解できないまま、腕時計に目をやると既に夜の11時少し前であり、今から帰るのもなんだし、泊まるしかなかろうと決意する。
 店員の案内に従って2階だか3階だかに向かう。
 階段を上がっていく。
 途中、公衆浴場のような部屋があり、廊下から入浴している人々が見える。
 「ああ、これは広くていいや、後で入りに来よう」と思う。
 受付では「2階の213号室」といったように聞こえたような気がしていたが、それらしい部屋はなく、結局3階に上がる。
 昔の大きな家のような民宿のような建てつけになっており、廊下をずんずん進む。
 私の部屋はどこだろう?と思いながらなかなか部屋にたどり着けない。
 302号室だった。
 その部屋がないまま、廊下の突き当たりまで行ってしまう。
 突き当たりは301号室と表示されている。
 その部屋の入り口の右を見ると、ドアがあり、302号室と書かれてある。
 「ああ、やっとあったぞ」と思い、ドアを開けると・・・狭い!
 畳半分ぐらいしかない。
 「ええっ?これが部屋?こんなんじゃ横にもなれない」
 さらによく見ると畳の真ん中が円形にへこんでいる。
 畳の下に穴があって、そこに吸い込まれているような感じだ。
 瞬時にしてわかった。
 便つぼだ。
 昔の便所なのだ、ここは。
 そこへ、いや、そこを部屋にするために、便つぼとその周囲の板張りのところに無理に畳を半畳分置いて、部屋にしつらえたのだ。
 ということがわかり、受付に部屋を換えてくれと言いに行く。
 カウンターは既に真っ暗。
 時計を見ると午後7時。
 あれっ?まだそんな時間か、と思い、今から帰れば1時間ぐらいで家に着くな、と考え、さて帰ろうか、それともこのままあの狭い<便所部屋>で飯も食わず、風呂にも入らず(どうせ入っても<便所部屋>で泊まるのであればあまりきれいな状態で朝を迎えられないのだから)、一晩座り寝で過ごそうか、と迷う。
 そこで目が覚めた。
 変な夢だった。
 時々便所の夢は見るが、今回は珍しく元便所というシチュエーションだった。
 マッサージを受け、全身の血流が良くなってそんな夢を見たのかな?

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