人間ドックの空き時間を利用して

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 昨日から今日にかけて人間ドックを受けてきた。
 人間ドックの前の日というのは、一番うれしい。
 まるでピクニックにでも出かける前の日みたいなウキウキ気分である。
 大して時間があるわけでもないのに、日頃読めない本を大量にカバンに詰め込み、さあ、読むぞ!と勢い込んでいる。
 とりあえずの目標は三つあった。
 ①通信教育の最終回分を全部やりきること
 ②「記帳適時性証明書」について学習すること
 ③仕事関係の考察をすること
 この中でも①の通信教育はなんとか昨夜中に仕上げてしまいたかった。
 15日が締め切りだからである。
 なんとかできた。
 しかしやはり1、2時間でできる代物ではなかった。
 十分9時近くまでかかった。
 一服、と思い、事前に仕込んであったワインを飲んだ。
 ゆっくり一時間かけて飲んだ。
 バッターアウツ!である。
 その後の学習は、パラパラ読み程度となり、②はアウトラインはつかめたものの、自分の言葉で整理し直すまでには至らず、③の仕事の考察は頭からそもそも抜けてしまい、代わりに『心がスーッとなるブッダの呼吸法』(高田明和氏著)という本を読んでしまった。この本は以前にも一度読んだのだが、再読である。いい本だと思う。

 という次第で、やはり、意気込んだわりには大したことはできなかったが、それでも4時間ぐらいかけて懸案の通信教育最終回分をしっかりやり終えることができたことは大きい。
 おかげで今週の土曜日は別のことにあてがうことができる。(たぶん仕事関連にならざるを得ないと思うが)
 人間ドックの結果は、γ-GTPが176。去年よりも50程度数値が悪化した。アルコール。確かにここのところ会社の帰りによく飲んでいるし、量もちょっと多い。
 週末、いつも疲れて寝てばっかりいたのは、そこらあたりに原因があったのかも知れない。
 アルコールを少し控えて、やはり運動を週に一回はやらなきゃ。
 胃カメラを3年ぶりに飲んだ。
 以前よりも飲みやすくなったような気がする。ドクターの腕だろうか?それとも病院が違うからか?
 理由はわからないが、ポリープが1個、胃炎が1箇所あり、それぞれ生体を摘出され精密検査に回すとのこと。
 大腸。これも内視鏡を入れてもらったが、異常なし。
 ということで、1年ぶりのワクワク人間ドック。
 一つの目的は達成し、しっかり健康度のチェックもしてもらい、無事終了。
 妻にもそろそろ受けさせねば。

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知的ワクワク「とやまキトキトBIZねっと」33回目の例会

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 とやまキトキトBIZねっとという異業種交流会&勉強会がある。
 今日はその33回目の例会であった。
 今日のテーマは「私の人生に影響を与えた一冊」ということで、運営委員4人がそれぞれ自分の人生に影響を与えた本を紹介するというものだった。
 初めの講師は、某公的機関に勤務するIさん。
 紹介本は沢木耕太郎氏の『深夜特急1~6』(新潮文庫)。
 私も「1」は持っているが、まだ最初の数ページを読んだだけで止まっている。(こういうのは読んだとは言わない)
 彼は大学時代にこれを読んで、卒業直前にインド旅行をしたらしい。
 そこでまさしくインドらしい大変な体験をしたということだが、思わず藤原新也氏の『印度放浪』を思い出した。
 <人間は犬に食われるほど自由だ>というコピーと犬に食われている人の死体が衝撃だった。
 二人目。
 某金融期間勤務のH氏。
 渡邉美樹氏の『渡邉美樹の夢に日付を!夢実現の手帳術』(あさ出版)である。
 ご存知、今をときめくワタミフーズのCEOであり、テレビなどにもよく出演されている。
(この本は私も読んだ)
 人は皆色々な願望や夢や目標を持っているが、おざなりになっていないだろうか。
 いつ実現・達成したいのか。
 具体的な達成目標時期がなければ、ただの願望でしかない。
 実現したい時期をはっきりさせれば、そこまでのステップやプロセスが見える。
 具体的なプロセスが見えれば、実現可能性はぐっと高まる。
 そうやって日付を入れていくことで、自分の願望を引き寄せることができる、という話。
 この本が凄いところは、著者の渡邉美樹さん自身が、それを実践し、かつ実現している最中の人物だということである。
 事実は何よりインパクトがある。
 三人目は独立コンサルタントの成川友仁氏。
 本は中根千枝さんの『タテ社会の力学』(講談社学術文庫)他の三部作である。
 中根千枝さんは、私も大学生の時に、日本の文化人類学の先駆者の一人として知り、本も何冊か買った覚えがあるが、残念ながら数ページめくって断念してしまった。
 中根さんの言う<タテ社会>というのは、もちろん日本の社会構造を分析したものであるが、いわゆる上下関係がしっかりしている社会、という意味ではなく「ムラ社会」であり、ある共通の属性を持つ人々がすぐに群れたがり、コミュニティを作り、その中で上下関係を構築し、その中のルールで部内者部外者を分け、規範ができてしまう、ということを指しているらしい。そのため、たとえば「いじめはいけない」というような常識的なルールがあっても、そのコミュニティの中にもう一つ別のルールがあると、いわゆる二重規範ができ、構成員はその規範のギャップに苦しむ人、平気な人が出てくる。苦しむ人は本来的には正常な人なのだが、コミュニティ内部の規範に従わないと、異常な人として排斥される。
 これが中根千枝さんが分析した「タテ社会」だろうと思う。(すみません、私の解釈も入っています)
 この本は大変読みやすいということであったので、早速買ってみようと思う。
 しんがりは今年独立開業を果たした中野英一郎氏である。
 本は色川武大氏の『うらおもて人生論』(新潮文庫)である。
 いやっ。これは知らなかった。
 <プロはフォーム>
 <フォームを崩してはいけない>
 <得るものがあれば失うものもある>
 <何かを失ってこそ、得ることができる(拘泥してはいけない)>
 <中途半端な反省はしない方がいい。(角が取れて丸くなって特長がなくなるから)>
 最後の箴言は「角を矯めて牛を殺す」という中国の格言にも共通する。
 自分らしさを大切に、ということだろうか。
 <プロは6勝って4負ける、それを維持すれば負けることを恐れなくて良い>
 含蓄だ。
 この本も買っておこう。
 ということで、大変刺激に満ちた1時間であった。
 本を紹介し、さらにそれにまつわる思いを語るということは、自分の人生の一部をさらけだすことでもあり、大変勇気のいることだと思うが、そういうのをものともせず、開陳して下さったのはありがたいことだ。
  講師の皆さん、お疲れ様でした。そして、大変ありがとうございました。

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熊続報

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 魚津でも熊が出たらしい。
 という言い方は少し変だ。
 魚津は熊の歩行者天国のようなところで、毎年出ている。
 今回の異様な点は、海岸沿い<しんきろうロード>に出たというところである。
 昨日の富山市の海岸通りで出たのと同じようなシチュエーションだ。
 昨日の熊とは別物であろうとのことだが、恐らく、山から川沿いに伝ってきて海まで出てしまったという点は同じである。
 私の家よりも下手である。
 なんせ海沿いなのだから。
 もうどこへ行っても熊だらけなのではないか。
 ある調査では、今年9月末で日本全国で2366頭の熊が出現しているとのことだ。
 今月に入ってから「熊出現」という情報が頻出していることを考えると、年内で4000~5000頭にのぼるのではないか。
 彼らは、100メートルを7~8秒で走るのだそうだ。
 ベン・ジョンソンやカール・ルイスよりも早いのである。
 追っかけられたら、逃げ切れないのだ。
 なんちゅうこっちゃ!
 いずれにせよ、どこへ行っても熊、というのは、やはりあまりいい感じはしない。
 プーさんみたいなくまばっかりだったらいいのだが・・・。

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熊と自然の話

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 このブログのテーマである「夢」とは全く関係がないが、富山県富山市の岩瀬という海岸で、釣り人が熊に襲われたというニュースがかけめぐった。
 山近くではなく、川づたいに、熊が海まで出てきたのである。
 これは大変ショッキングなことだ。
 今年は熊被害の当たり年である。
 当たり年なんていうのは、実際に被害に合われて、怪我をなさった方がおられるわけだから、かなり不謹慎だが、そういう言い方しかないと思うくらいに、あちこちで沢山熊が出ている。
 奥山と里山の境界がなくなり、人里と奥山が直結してしまっている現実、奥山の熊のエサが、環境変化のため乏しくなっているという現実、そういうものがあいまって、熊が冬眠前の食糧確保のためにさまよい歩いているらしいとのこと。
 熊にとっても人にとってもきついことだ。
 環境変化が動物と人間の境界を破壊しているのか、それとも本来の状態に戻されつつあるのか。
 どちらかはわからないが、少なくとも我々人間にとっては、安全についての意識を変えなくてはならないような状態になりつつあるのではないかなと思う。

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真野響子さん話の続編

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 真野響子さんの話の中で、「おくりびと」の第二弾の映画を撮影しているとかいう話があった。
 青木新門氏ともお会いになったそうだ。
 富山の人として、「おくりびと」は観ておかなきゃだめよっ、と言われた。
 観なきゃいけない。と思う。

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森のゆめ市民大学10月10日・・・真野響子さんの講演

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 なぜか魚津で開かれている「森のゆめ市民大学」。
 故筑紫哲也氏の始められた取組みである。
 友人のI氏の配慮で昨年から聴講させてもらっている。
 今日は30年来のあこがれの女優 真野響子さんの講演だ。
 今年最大の楽しみの一つである。
 ということを一昨日まで忘れていて、今日は猛然と仕事の準備をするつもりだったが、これを思い出し、もちろん真野さん優先とした。
 もっとも、色々ある課題を少しでも前進させねばと思い、午前中は通信教育を仕上げた。
 さて、真野さんの講演の前、少し時間があったので国道8号線を車で走った。
 今日は妙な天気で、どしゃぶりがあったり、晴天となったり。
 雲も、なんだか夏と秋のせめぎあいのような雲の具合で、さらにそれらとは全く異なる形の雲があった。
不思議な雲20101010
 馬頭星雲というとちょっと違うかも知れないが、一瞬何かの形のような気がした。地面から屹立しているような妙な雲だったので、思わず車からシャッターを切った。(カメラ持ってて良かった)
 さて真野響子さん。
 私の印象は30年ほど前に「魔女伝説」という半村良さん原作のテレビで、河原崎建三さんの奥さん役、というか主人公なのだが、この時の印章が強烈で、すっかりファンになった。
 ということで「御宿かわせみ」は見ていないので、気丈な、という印章は全くないのだが、でも芯のしっかりしたしとやかな女性というイメージが強かったのだ。
 話を聞いてびっくり。
 いきなり「こんにちわ!」という大きな声の挨拶で、しかもステージ中央に向かって歩きながら、の講演スタートで、即座にイメージが変わった。
 話の中身は、縦横無尽、好きなことをくっちゃべっているという感じで、とにかくテンポがよく、脱線しっぱなし、会場は仕切りまくり、まるで男のような、というと悪口に聞こえるかも知れないが、歯切れの良いサバサバした話し方でとても楽しいひと時となった。
 特に印章深かったのは、旦那さんと「食生活の一致で結婚した」ということ。これは大事だ。私も妻の味付けがうちの味とよく似ていたので「大丈夫だ」と思ったし。また、石川県立美術館に所蔵されている野々村仁清作の「キジ」が大変ないわれのあるものだという話も興味深く聞かせてもらった。また白洲正子さんのお話も良かった。
 この人が、美術に造詣が深いということも始めて知った。
 しかし良いなあと思ったのは、あくまで自分流で、自分の価値観で「好き」とか「いい」とかを決めているという点であり、芸術品を愛でるというのはそういうのでいいんじゃなかろうか、と思う。

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地区運動会での子どもたちのリレーに感動

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 昨年に続き、地区の運動会に参加。
 今年は仕事もあり、午前中だけの参加とさせていただいた。
 しかし、自分の都合ということもあり、午前中、可能な限り出場した。
 私が出たのは借物競走、まめ台風、障害物競走の3種である。
 障害物競走が一番緊張したが、5人中なんと2位であった。
 後から気づいたが、1位の人は私の高校の同級生のU氏であった。
 高校時代はスポーツ万能のスーパーヒーローだった。
 その彼と、体育万年2の私がいい勝負をしたのだから、これはこれで自分を褒めてやりたい。
 さて午前中最後の競技は小学生のリレーであった。
 子どもたちが必死の形相で前を走るライバルを抜こうと懸命に走っている。
 前を走る子どもは後ろから来る子に抜かれまいとして、これまた懸命に走っている。
 人生。
 他人との比較、というのは良くない、それぞれの個性を大事に、と言う。
 ゆとり教育の考え方もそういうところから出てきたものと思うが、個性を大切にということは一面真理だと思うし、私も自分の子どもたちの個性を大切にと日頃思っている。
 しかし、生きていく以上、他人との競争なしではいられない。
 そう考えると、今日の子どもたちのリレーでの競争は、人生そのものではないか。
 懸命に前を向いて走っている子どもたちの姿に、思わず涙が出た。
 一所懸命は美しい。
 一所懸命に生きていこう、これからも、と思った。
 他人様のお子さん方であるが、勇気をもらった。
 ありがとう。

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DVD「鴨川ホルモー」を観た

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 万城目学氏原作の「鴨川ホルモー」。
 映像になっていることを知り、どうしても観たかった。
 昨夜、仕事の忙しさもそっちのけで、レンタルして観てしまった。
 ご覧になろうという方には、原作を読んでから観ることをお薦めする。
 その理由は、ほぼ原作を踏襲した映像作りにはなっていたのだが、原作では色々説明がついていたが、映画ではそこまで細かく説明できないため、映画だけを観たのでは、よくわからない点が沢山あるような気がするからである。
 
 特に面白かったのは、「レナウン娘」の踊りのシーンである。
 どういう踊りなのか、是非見てみたかった。
 見てもわからなかった。
 原作者と私の青春時代の違いによるものか、それとも京都大阪と富山という地理的な違いからか。
 しかし、とても面白い踊りであったことは間違いない。
 もう一回見てみたい。
 それともう一つ印象深かったのは、栗山千明さんの「攻撃!」という命令を下す時のポーズである。
 そもそもわざと可愛くない女性の扮装をしての登場だったのだが、その落差が面白く、かつなんとも珍妙なポーズで命令を下す。
 美人女優の珍妙なポーズという点がなんとも面白かった。
 これも映像ならではの楽しみだ。
 というわけで、原作を読み、映画を観るというのが私のお薦めだ。

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故・小室直樹氏について

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先月亡くなった小室直樹氏のことについて書く。
私が始めてこの希代の大学者のことを知ったのは、高校3年生のときであった。
偶然、NHKのテレビで、山本七平氏と対談をしておられた。
その時に、紹介のテロップが流れ、京大、東大、ハーバード、数学、社会学、経済学、法学・・・というおよそ1人の人間の中に共存しにくいような学問を名門大学を渡り歩いて修得してこられたすごい人、ということを知った。
衝撃が走った。
なんだかすごい人が日本にはいるんだなあと思った。
翌年、大学に進学したら『ソビエト帝国の崩壊』が上梓された。
NHKテレビでの強烈な印象が残っていたため、私がこの人の著書にすぐに飛びついたのは言うまでもない。
内容は、興味のある方は是非お手に取って直接読んでいただければ良いが(本書の他に、シリーズものが合計3冊出版されている)、小室直樹氏の凄いところは、現地に行ったわけでもなく、世の中に出ている一般の情報(本やニュースなど)から、社会学の分析手法(と言っても誰にもまねできないものかも知れないが)を使って、ソ連の問題点をあぶり出し、その結果、早晩崩壊する、と断じた点である。
それから9年後の1989年にはベルリンの壁が崩壊し、その翌々年の1991年に、小室直樹氏の予言どおり、ソビエト連邦は崩壊した。
文字通り、国、体制が崩壊したのである。
一方、その後小室直樹氏は『アメリカの逆襲』シリーズや『資本主義中国の朝鮮』『アラブの逆襲』などを立て続けに光文社から出版された。
どれも、法や宗教なども含めた社会構造から根本的に社会の行く末を考える本で、大変勉強になった。
小室氏の筆致はやがて日本社会の根源的な問題点に戻る。
戻るというのは、実はこれら、ややお手軽な感じの本の前に、『危機の構造』という本を出版されており、ここには日本社会の構造的な問題点があますところなく記されている。
小室氏の本には、よく「アキュートアノミー」という言葉が出てくる。
社会の法や規範、宗教など、人の行動を左右する共通的なものの考え方、これが根本から覆されるとき、一人ひとりの人、それらで構成されている地域や国家などの社会全般が、皆、パニックになって、価値観・倫理観・人生観が根源から崩壊する、というようなことである。
ソ連の崩壊に向けての兆候としては、アル中が多い、というようなこともその傍証として書かれていた。
我が日本の場合は、第二次世界大戦が終わった時に、それまでの価値観が全否定され、国民全体がやる気を喪失し、自暴自棄になった。しかし国民の精神的な支柱であった昭和天皇が処罰されなかったために、かろうじて暴動やパニックは抑えられたのかも知れない。(これは私の印象)
もう一つの重要なキーワードは「ノブレス・オブリッジ」である。
高貴なる使命感、というものらしい。
例えて言えば、大英帝国にはいまも貴族がいて、彼らは戦争になれば真っ先に出陣する、国のために命を張る立場であり、実際、王家の人々も必ず一度は軍役に就いている。
つまり、立場が上の人々には権威や権力があるが、それに見合うだけの責任や義務について、大変高いレベルのものを求められ、それらが一体となってこそ、人々も彼らを尊敬し、集団としての規範が保たれる、というものである。
権威と責任のバランスが崩れ、立場が上の人々が当然果たすべき義務を怠ったり、権威や権力を私用して不正や犯罪を働いてしまい、それに対するおとがめがなかったりすると、一般の人々はやる気を失い、法や秩序が保たれなくなり、犯罪が横行し、社会は崩壊に向かう。お前らの権威は俺たちが付託したものなんだぞ、というのが崩れてしまい、皆が権威者になってしまう。これは暴力社会=万民の万民に対する闘争である。そうなってはいけない。
しかるに我が日本はどうか。
役人や公務員による犯罪が横行している。
最も権威があり、威厳をもっていなければならない人々が、自分の権力を使って、公の利益ではなく、自分だけの利益を図っている(人々がいる)。それがさらに組織化して、自分たちの収入を増やす行為や第二の就職先を集団で世話することなどが自己目的化してしまっている。それも国民から吸い上げた税金を使って、である。
ここまで来るとどうしようもない。
今回の大阪地検の事件もそうではないか。
検挙率を維持することが目的化してしまって、そのためにストーリーを作り上げ、ストーリーに合うような証拠をでっち上げ、それで無実の人を罪に陥れる。
ここまで来るともはや法治国家ではなく、放置国家である。
というようなことになるよ、と小室直樹氏は田中角栄裁判などを通じて警鐘を鳴らしていた。
もう一つ、忘れてならないこの人の重要な指摘。
日本は社会主義国である、という話。
詳しくは書かないが、日本は戦後超平等社会を実現し、累進税率も高く、多く稼いだ人から沢山の税金を取って富の再分配をし、しかもそれほど不満を生まずに社会秩序を維持してきた、これはまさしくマルクスが唱えていた社会主義国そのものである、と。
これは、ある意味、日本という国だけでなく、我々の勤務する会社(どちらかと言うと大会社)の構造もそうである。
良い、悪い、は別にして、そういう観点で日本の社会や会社を見ると、確かに「ああ、そうか、だからか」と納得できる点が多い。
これらは『社会主義大国日本の崩壊』をご参照願いたい。
日本社会の問題点として、さらに、重要な指摘がある。
日本は「魔女狩り」の性質を持っているという点である。
みんなで「この人は悪い」と決め(あるいは想定し)、その人をみんなで袋叩きにする、という悪弊である。
いや、確かに本当に悪いことをしたのかも知れないが、本当に私たちはその人が悪事を為したと知っているのだろうか?
たとえば、先ほどの田中角栄元首相。ロス疑惑の三浦和義氏。戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏。テレビのワイドショーがその被疑者を犯人だ、悪人だといわんばかりに報道し、テレビを見た視聴者は「ああ、この人、悪い人なんだ」と思い込んでしまい、結果、国民大合唱で「こいつを処罰しろ、ハングアップだ」と叫び、その人の裁きが終わると、今度は別の犠牲者を見つけ出し、引きずり出し、またみんなでバッシングする・・・。
そうやって鬱憤を晴らすようになってしまった。
どうも我が日本人は、みんなで一緒に同じ方向を向いて、ということが好きな国民らしい。
だからみんなで一斉に誰かをバッシングするし、みんなで万歳して貴重な働き手を戦地に送り出すし、ちょっと反対の方向のことを言ったら「あいつは変わり者だ」と差別したり仲間はずれにしてしまう。これは何も第二次世界大戦までのことではなく、今も日本の構造に横たわっている、変わらぬ精神性である。
(このことをビートたけしは「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とものの見事に一言で切って捨てた。実際に赤信号をみんなで渡ればこわくはないかも知れないが、間違いなく何人かは事故にあう、その危険を「一億総・・」という美名でわからなくなってしまうのだ。
これはまずいよ、と小室直樹氏はしきりに警鐘を鳴らしていた。
そういう冷静な目で事件を見られる人が一体今の日本にどれだけいるだろうか。
いや、物言わぬ大多数の国民は冷静に見ているのかも知れない。
しかし芸能マスコミ化した新聞やテレビは、センセーショナルな報道=売れ行きを求め、静かに報道すれbそれでいいことも、タイトルを強調したり、「識者」と言われる人のコメントを効果的に活用したりして、いやがうえにもヒートアップしてしまうようになってしまっている。
それを読んだ一般の人々は、マスコミの論調が自分の意見だという感覚になってしまい、たとえば街頭でインタビューを受けた時には、その論調が自分のコメントとして口から出てしまっている。
その結果、それが大多数の世論だ、ということになる。
小室直樹氏は、そういう「空気の支配」に警鐘を鳴らし続けていた。(「空気の支配は」山本七平氏の著作、又はこの両者の共著などをご参照願いたい)
今さらながら、小室直樹氏の慧眼には驚くばかりであり、また、1976年に書かれた『危機の構造』以下、どの著作を見ても今も新しく、深いことにあらためて驚いている。
我々は小室直樹氏の重要な指摘の数々をもう一度しっかり学んで、それを腑に落とし込んで、これからの世の中に対していかなければならないと思う。
表層の変化だけではなく、本質的な現実をしっかり見て、本質的に問題に対応していかなくてはならない。
こういう人物を持てたことは日本の僥倖である。
心からご冥福を祈りたい。
そして、その考えを学ぶ機会を与えていただいたことに感謝したい。






この本が小室直樹氏の考え方・ものの見方の勉強になる基本参考書だと思う。
(・・・それにしても、バナーを横に並べられないものだろうか・・・)

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社会学の泰斗 小室直樹氏逝く

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 ん~!!!!!
 残念だ!
 小室直樹氏が亡くなってしまった。
 惜しい。
 とても残念だ。
 77歳。
 大変な高齢だったのだなあと思う。
 日本の宝であった。
 これほどの学者は恐らく100年に一度出るか出ないか。
 たぶん100年ぐらいでは出ない。
 明治大正昭和平成を通じて、これほどの社会学者はこの人を於いて他にはいないと思う。
 「潜水艦」の中ではなく、ちゃんとした東大病院というところで亡くなったのがせめてもの救いか。
 色々手を尽くされた結果の死であろうと思う。
 (もしかすると石神井の「潜水艦」の中で亡くなった方が、在野のこの学者としては似つかわしかったのかも知れないが)
 この方の業績について語りたいことは山ほどあるが、今日はやめておく。
 稿をあらためて述べさせていただく。
 ともかく、日本の構造的な問題点をえぐりだし、白日の下に曝した功績は古今東西類を見ない。
 日本の問題点に常々警鐘を鳴らし続けてこられた。
 日本の構造的な問題点、の観点から警鐘を鳴らした人は、小室直樹氏と山本七平氏ぐらいではなかろうか。
 (ちょっと言い過ぎか)
 いずれにしろ、両者を失った我が国に、今後きちんと学問をして、それをベースにした根本的な部分から警鐘を鳴らせる人がいるのだろうか。
 それがなければ、我が国はまたぞろ第二次世界大戦と同じような愚を犯すであろう。
 それが日本の構造的な問題点なのだから。(ということを論理立てて説明される人だった)
 後進の方々、有名な方では橋爪大三郎氏や副島隆彦氏らに、是非警鐘を鳴らすお立場を取っていただきたいと思う。奇をてらうことにあまり時間を割いて欲しくない。
 また稿を改めて・・・と言いながら長くなった。
 とにかく惜しい方を亡くした。

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