久しぶりの手料理<飛鳥鍋>を作って食べた、うまかった!

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 たぶん10年ぶりぐらいの料理。飛鳥鍋を作った。(10年前は焼きうどん)
 奈良県は飛鳥地方に伝わる郷土料理だ。
 以前家族で飛鳥の民宿で一泊した際にリクエストして食べさせてもらったもの。
 あの味が忘れられず、レシピを調べて自分で作った。もちろんかみさんの協力の下ではあるが。
 観光ガイドには「聖徳太子も食べていた」というようなことが書いてあり、真実かどうかは別として「聖徳太子」の名前を目にしてしまうと、無碍にはできない。シーズンオフに近かったが、無理を言って作ってもらった。
 インターネットのおかげでレシピも多数検索できた。
 鳥ガラスープ600ccに牛乳約1ℓを加え、味噌、醤油、塩、生姜のおろし汁を加えたものがスープ。
 具は、鶏のもも肉、小芋、白菜、エノキ、椎茸、春菊、ネギ、焼豆腐、といったところか。
飛鳥鍋
 ま、ほとんどが「牛乳鍋」である。
 当時小学校低学年だった下の子供は牛乳がきらいだったが、「おいしい」と言ってしっかり食べてくれた。
 今日もそのことを覚えていて、「これはオレも食べられる」と沢山食べた。
 思わぬ誤算もあった。
 午後8時から始まった鍋料理。
 母、妻、下の子、私の4人で食べたのだが、終盤になって上の子供も帰ってきて参加。学校の部活やボランティアの話など会話が弾み、結局10時半まで話していた。普段子供たちと一緒にご飯を食べる時間もなく、ましてや会話も少ないが、たまたまの鍋料理で2時間半も話していたというのは、なんともうれしい限りだった。
 でも、何よりうれしかったのは、自分がやりたいことをやりたいようにやらせてもらえたことかな。もうビールが進む進む・・・。
 というわけで、すっかり酔った。
 いい晩餐だった。
 ありがとう。(家族のみんな、レシピを提供してくださった方)

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49歳の誕生日に寄せて

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 今日で満49歳になった。
 何人かの方からFacebookで祝いの言葉をいただいた。
 大変ありがとうございます!!
 来年からは益々充実の50代になる。
 気持ちがノリノリ、ワクワクしている。
 ところで、日本に同じ生年月日の人が何人ぐらいいるだろうか。
 人口1億2千万人、平均年齢80歳として各年同数存在し、一年の中で毎日均等に人が生まれるとすると。
 12000万÷80÷365≒4100
 ということで、私と同じ生年月日の人は日本中に4千人ほどいるということになる。
 今日同時に4千人の人が49歳になったということだ。
 同性だけでも2千人。
 富山県は人口やら経済規模やら色々な指標が大体日本の1%なので、
 4千の100分の1だから、40人が私と同じ生年月日という計算になる。
 あくまで概数であるが。
 前の会社でも同じ生年月日の人がいた。
 お~い、Iさん、元気か~い。
 芸能人の松田聖子さんも我々4千人の中の一人。
 私と同じ生年月日だ。
 特段ファンではないけれど、同じ生年月日なので、なんとなく親近感はある。
 「私、聖子ちゃんとおんなじ生年月日なのよ!」と言う人が日本中に4千人(女性だけなら2千人)もいるという計算になる。
 ちょっとキモいかも。
 同じ誕生日、というだけだと、故渥美清さんも同じ誕生日だったようだ。
 同じ日、というだけで見れば、
 12000万÷365≒320万
 毎日320万人の日本人が誕生日を迎えている計算になる。
 自分だけの特別な日、ではあるが、320万人の人が同時に同じ日にその「特別な日」を迎えている。
 そういえば、昨年「私の誕生日」というような文庫サイズの本が書店に並んだ。
 365冊置いてあるのである。
 これは大変なマイクロマーケティングだな、と思ったが、よく考えると、1冊の本が実は潜在需要として320万あるわけである。
 あなただけの特別の本、と銘打っていても、市場は320万。
 これは面白いマーケティング手法だなと思う。
 (感心しているような話ではないかも知れないが)
 占いの本にしても同様かも知れない。
 あなただけの、と言いながら、その実、市場性はとてつもなく大きい誕生日ビジネス。
 毎日が誕生日なのだから、工夫次第でまだまだ面白いことができるかも知れない。 

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もうすぐ春、ランニングの季節だ

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 今年も4月最後の日曜日に行われる「しんきろうロードマラソン」に産科するつもりだ。
 いや、産科してどないすんねん!?
 参加です。
 ということで、今日もルームランナーで走った。
 いつもなら午後6時か7時頃に走るのだが、今日はちょっと知人から頼まれごとがあり、時間割が変更となった。
 元々明日の夜、依頼が来る予定だったが、知人の工程が早まり、今日の夕方に依頼が来た。
 それの対応をしていたら、午後8時過ぎになってしまった。
 いやあ、寒いし、遅いし、今日は走るのやめようか、と思ったが、週に一回も走らないとなると、さすがに体がだらけてしまうので、10分だけ走ることにした。
 走り始めて5分、6分、7分と来て、ま、そんなにしんどくない。
 8分。
 このままだと、10分走っても2kmにもならない。
 う~ん、せめて2kmぐらいは走ろう。
 10分超えてもいいや。
 と思って走っていたら、2kmをいつの間にか過ぎ、じゃあ15分まで走ろう、となった。
 15分のところまで来たら、今度は2.5kmまで行こう、と欲が出た。
 そのまま結局30分30秒、4km走った。
 今日はマッサージで久しぶりの吸玉を受けたため、湯船には入れないので、体は疲れたが、シャワーのみ。
 アルコールは飲まず、牛乳で水分補給。
 春に向けて、健康的な休日を過ごした。
(明日はまた試験勉強だ・・・頑張らなくっちゃ!)

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尊敬すべき日本人 中村哲氏のこと

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 さっき、テレビ朝日のニュース番組で、中村哲さんという日本人医師の話をしていた。
 アフガニスタンで水路を開き、農地を作る活動をしておられる方だ。
 もう長いことその活動をされているようだ。
 あの戦火のアフガンで、身を賭して、用水を作り、水を引き、荒れた砂漠を緑に変え、米や作物を植え、人々を就業させ、仕事を作っている。食糧も作っている。
 大変な仕事である。
 洪水が起きた。
 水の中に自ら入って行って、川下が洪水被害に逢わないように水を違う方向へ流し、人命を守った。
 まるで江戸時代の奉行のような活躍ぶりだ。
 それも、あの戦火のアフガンで、である。
 素晴らしい日本人がいる。

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チーズトーストをめぐる摩訶不思議な人のえにし

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 大学2年生の時に、1年下の高校の後輩から、チーズトーストの作り方を教わった。
 爾来30年、学生時代はもとより、単身赴任時代など、ずっとお世話になってきた、私にとってはとても大切な食事メニューの一つだ。
 その後輩と、たぶん20年以上ぶりぐらいに、偶然駅でばったり会った。
 久しぶりに日本に帰ってきたという。
 メルアドを交換して、チーズトーストのお礼などもメールで送った。
 すると、意外な返答。
 「あのチーズトーストの作り方は、自分のオリジナルではなく、学生時代に、今先輩がいる会社のTさんから教わったんですよ」
 とのこと。
 Tさんならよく知っている。
 魚津の人だ。
 最近は、通勤経路も同じなので、比較的よく話すこともある。
 そのTさんが原案者だったなんて・・・。
 世の中の人のつながりの奇妙さ、帰命無量寿量来といおうか、なんとも摩訶不思議な人の因縁である。
 私が転職しなければ、まず知り合うこともなかった人である。
 その人と偶然出会い、しかも30年前に教わったチーズトーストの原案者だったなんて。
 面白いもんだなあと思う。
 今日の出会いにまた感謝。

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どうにかしてませんか、JRさん

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 JRが大好きだ。
 「線路は続くよ、どこまでも」という歌とともに育った世代であるせいかも知れない。
 車よりJR。
 JRは瞬時にして、私たちを富山や金沢や大阪や博多や名古屋や東京へ連れて行ってくれる。
 瞬時は大袈裟かも知れないが、昔と比べると、格段の速さだ。
 映画を一本観て、ちょっと一眠りしているうちに、大阪などへはじきに着く。
 しかも強い。
 雪が降ろうがなんだろうが、ガシガシ走ってくれる。
 そういう頼りがいがあった。
 あった、と過去形で書いたのは、今のJRの運行があまりにもひ弱な感じだからだ。
 悲しいくらいである。
 今日の北陸線に乗った方は皆さんわかると思うが、まず、朝、泊だかどこだかでポイントの切替がうまくいかずに、ダイヤが乱れ、私の乗る魚津では、7時3分に来るはずの列車が来ず、その次の列車が少し遅れて入ってきた。しかも前の列車に乗るはずの乗客も連れてきているので、もうすし詰め状態だ。
 何が原因でそういうことになったのか。
 雪?
 ではなさそうだ。
 いや、寒さで凍り付いて、ということかも知れないが、昔なら、お湯をかけるとかの対処をして自然に立ち向かっていたはずだ。(凍り付いて、という仮説のもとの話なので、違っていたら対応策も当然違うのだが)
 それがどうだ。
 民営化この方、人が少なくなり、ほとんど機械化、遠隔操作、というやり方をせざるを得なくなり、ちょっと遠方で故障があったり自然の威力でトラブルが発生すると、もうなすすべもない。
 帰路。
 今度は直江津~糸魚川間で「架線トラブル」発生とのこと。
 それも午後2時ぐらいの「トラブル」らしいのだが、iモードで「JR西日本運行情報」を見てびっくり。
 その時間以降の特急がほとんど運休。
 各駅停車も運休が続出。
 私は午後9時4分発の富山駅からの下りに乗ろうとしていたのだが、午後8時ぐらいの折り返し列車がまだ来ておらず、それを代替するという。
 午後2時の故障の影響で、午後9時にまだまともになっていないJRのダイヤとは一体なんなのか。
 しかも途中の駅で、急病人が発生して、その駅でずっと止まっているという。
 ホームで寒い中、待っている大勢の人たち。
 なぜ止まっているのか、どう対処しようとしているのか(たとえば、救急車が到着するのを待っているので、というアナウンスをするのも手だが)、まったくわからない。
 そのうち、9時44分発の列車が入ってきた。
 件の列車はまだ途中の駅を出発していない。
 ええっ?って感じである。
 このままでは、向こうの方が先に出発しそうな按配だ。
 慌ててその列車に乗り込む人も出てくる。
 どっちの列車が先に出るのか、まったく情報が来ない。
 ホームの人たちはみんな不安な表情で戸惑っている。
 不親切この上ない。
 雪に弱いJR。
 客に適切な情報提供をしないJR。
 インターネットでも中途半端な情報提供しかしないJR。
 「危険ですから黄色の線の内側までお下がり下さい」を自動アナウンスで連呼する、責任逃れ体質を感じさせるJR。(こんな自動アナウンスを連呼するシステムはおかしい! 人が大勢いればずっと鳴りっぱなしになる。うるさくてかなわない)
 と、本当に脆弱さを感じる組織になってしまった。
 旧国鉄は組合が強く、元々顧客志向があまりない内向きの組織だと言われていたが、それでも雪を掻き分け、力強く走った。
 スピードではない。
 やたら早く走ろうとして事故を起こした尼崎のようなことを言っているのではない。
 あれはスピード競争というモラル欠落が引き起こしたものだ。
 過去のJR(旧国鉄)は、もっとノブレスオブリッジがあった(と思う)。
 乗客をちゃんと目的地まで、きちっとした無理のないダイヤを組んで、きっちり運ぶ。
 これが国鉄のポリシーだったはずだ。
 今は、形ばかりの安全重視。
 とても本当に客の利便を追及しているようには思えず、実態が伴っていないように思う。
 どうにかしてる。
 もっと力強さを取り戻して欲しい。
 しっかりして下さい、JRさん!

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渡部昇一=大島淳一という驚愕の事実

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 ジョセフ・マーフィーという、いわゆる成功哲学の著作者がいる。
 有名な本では『マーフィー100の成功法則』というのがある。
 他にも多数出版されている。
 これら一連の著作の日本語訳を<大島 淳一>という人がやっている。
 翻訳者だと思っていた。
 ところが。
 翻訳者であることは間違いないのだが、この人、実は<渡部昇一氏>だったらしい。(ペンネームとのこと)
 ということを今日初めて知った。
 最近の文庫本には、よく見ると「本名 渡部昇一」と書いてある。
 うっかり見落としていた。
 いやあ、びっくりした。
 あの渡部昇一氏がマーフィーの成功法則の日本語訳をやっていたなんて。
 私が学生の頃、『知的生活の方法』なんていう、なんとなく、優雅というか、ちょっと貧乏学生からしたら反発を覚えるようなタイトルの本がベストセラーになり、その後は知的生活のオーソリティとしてであったり、日本論を語る英文学の先生であったり、と論壇に結構登場されていた。
 私の敬愛する小室直樹氏と中学か高校の同級生だったという事実も少しは親近感を覚える材料となっていた。
 しかしマーフィーの成功法則と上智大学の英文学教授の渡部昇一氏とはどうしても結びつかない。
 コリコリの学者先生、と思っていた渡部昇一氏と、潜在意識を活用して眠りながら成功しよう、という「成功哲学」の翻訳者が同一人物だったなんて、不思議でならない。
 でも事実は事実。
 渡部昇一氏は、それらのおかげもあって(本で稼いだこと、その翻訳書の中身を実践したことともに)、立派な家の大きな書斎に、イギリスの学者に「これほどの蔵書はイギリスのどこにもない」と言われるほどの夥しい数の蔵書を持ち、庭には池まであるという素晴らしい生活をしておられる。
 その事実を聞けば、普通の大学教授ではとてもなしえない富を獲得したことがわかる。
 ということで、大変意外なことであったが、「知的生活」の渡部昇一氏が実は<マーフィー>の翻訳者「大島淳一」だったという事実を知り、びっくりしたという話でした。

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友人O氏の病気

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 福岡の友人から2年ぶりに年賀状が届いた。
 ところが、文面を見ると奥様の言葉であろう「主人は秋から休職となりました」と書いてある。
 びっくりして電話した。
 2年前の秋、意識を失ってしまったらしい。
 脳に炎症ができたという話だった。
 2008年の8月最後の日曜日だったと思う。
 8月のお盆過ぎにようやく出した私の転職案内ハガキを見て、すぐに電話をくれたO氏。
 倒れられたのはそれから間もなくのことのようだ。
 倒れてから2年が経ち、病気休暇の期限が過ぎて、休職となってしまった。
 休職が1年続くと退職扱いとなる。
 私と同じ年齢。
 平成2年に東京で行われた会社のチャリティイベントでご一緒になり、意気投合した。
 1歳になったばかりの上の子どもを連れて、飛行機で壱岐まで遊びに行った。(当時O氏は壱岐勤務だった)
 働いている場所はまったく別だったが、彼が九州で明るく頑張って仕事に燃えているということが私にとって大きな励みだった。
 そのO氏が倒れたというのは、まことに他人事ではない。
 まだ49歳。
 子どもたちは23歳と20歳。
 きっと元気になる。
 会社は退職になってしまうだろうけど、生きていれば、また花は開く。
 きっと元気になる。
 祈りを捧げたい。
 頑張れ、Oさん!

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2011年の年賀状

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 2011年。
 今年も色々年賀状をいただいた。
 ありがとうございます。
 さて、今年の年賀状を見ていて気のついたことだが、年賀状の文面に「感謝」という文字が書かれているのが結構あった。
 感謝という言葉は良い言葉だと思う。
 不平不満ではなく、安住でもなく、感謝。
 今の境遇、今の家族、今の仕事、今の自分。
 色んなものに感謝し、そして前へ進む。
 欧米の人々は食事の前に神に感謝の祈りを捧げるらしい。
 私たち日本人も、つい数十年前まではそうではなかったか。
 いつのころからか、日本人は感謝を忘れてしまっているような気がしてならない。
 それがせちがらい世情になってしまっているのではないか。
 いや逆にせちがらい世情だから感謝を忘れたのか。
 どちらかわからないが、ともかく、感謝するという気持ち、姿勢はとても大切だ。
 日本人の謙虚な姿もまた感謝から生まれるものだと思う。
 ということで、またまた村上龍さんの『五分後の世界』を思い出してしまった。
 質実剛健。
 日本人の持つ美徳を思い起こしてまた明日もしっかり地に足をつけて生きていこう。
 年賀状に「感謝」という文字を書いて送っていただいた多くの友人の皆さん、そういうことを思い起こさせていただき、大変ありがとうございます。
 感謝します。

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大岩不動尊(日石寺)への初詣

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 今年の恵方は南の方らしい。
 南は南でもやや東寄りなのだが、我が家からピッタリの方向の神社仏閣が近くにはないため、概ね南の方にある「大岩不動」を訪れた。
 現地に到着してから車をとめるまでに30分以上かかった。
 とても大勢の人が訪れていた。
 無料サービスのうどんの振る舞いもされていた。(これは7日までやっているらしい)
 妻は「無料のうどんがあるからみんな来るのかなあ?」なんて言っていたが、篤い信仰心で参詣に来られるのであって、無料うどん目当てで来るような人はいないでしょ!と思う。
 しっかり護摩を焚いて無病息災、延命長寿、所願成就などの祈願がなされていた。
 本当は、立春を越えてからでいいらしいので、もしかするとあらためて参詣に行くかも知れない。
 気持ちのいい初詣であった。

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