NHKの新しい大河ドラマ「べらぼう」が始まりました。初回は明和九年の江戸の大火のシーンでした。今までの大河ドラマでは、主人公の子ども時代から始まるのが通例でしたが、今回はいきなり大人としての登場だったため、はて?この時蔦屋重三郎は一体何歳だったのだろう?と疑問を持ち、また天下御免では山口崇さんが平賀源内を、坂本九さんが杉田玄白を演じていましたが、平賀源内が初回から出てきており、既に有名人になっていたようなので、一体何歳ぐらいなんだろう?と思ったのがことの起こりです。関連する人たちが、いつ、何歳で各時代の場面にいたのかということがわかるようにしたいと考え、同時代人の年表を作りました。
去年は、ほとんど藤原さんばかりだったので、縁戚関係がわかれば良かったので、系図と年表があれば理解の助けになりましたが、今年は色々な人が登場するので、同時代人がわかるものがあればと思った次第です。下記にアップしておきますので、必要な方はダウンロードしてテレビを観られる際などに傍らに置いてお楽しみいただければと思います。ダウンロードの際、拡張子が変わってしまうようですので、ダウンロード後に改めて拡張子を「xls」に変換した上で開く必要がありそうです。また、印刷の際はA3版をお勧めします。
なおいくつかの年表を見て作成したものではありますが、名前や生没年その他誤りがある可能性はありますので、その点をお含みおきの上で個人の責任にてお使いいただき、ウイルス感染等を含め使用に際して何らかのトラブルが生じても責任は持てませんのでご承知下さいますようお願い致します。
「随想」カテゴリーアーカイブ
正しいことは爽やかである(本田百合子さんの言葉)
TKC&D CREAREという会報誌が送られてきました。2025winter Vol.83とあります。
中に、日頃お世話になっているアシステム税理士法人の本田百合子代表のインタビュー記事が掲載されていました。
自分への戒めと備忘のため、感謝の念を持って、(私が感銘を受けた部分はご本人のお考えの中のどういう位置づけのものかはわかりませんが)一部抜き書きさせていただきます。
・メインの人をサブの人が必ずダブルチェックするきちんとした仕事
・正しいことがいかに爽やかであるか、明日ポックリ逝ってもいいようにと退路を断って本気でお話しする
・経営計画を作りましょう、ちゃんとした利益を出し続けましょうと、口酸っぱく言い続けている
・(関与先事業者の)利益にもこだわっていきたい
・先延ばししている場合ではない
・スタッフが幸せになるように頑張っている
ある事業者さんが、資金繰りが厳しくなって廃業の決意を伝えに本田先生の所へ挨拶に行かれた時、本田先生から「本当にできることをすべてやった上での判断なのか」と強く尋ねられ、まだできることがあることに気づき、その後業績が回復した方がいらっしゃいます。上記の「明日ポックリ逝ってもいいように」「本気で話をする」というお考えが根底にあってのご指導だったのだなとこのインタビュー記事を拝読して感じました。当然、ハッキリ言わなければならないくらいに切羽詰まった状態であったと思われ、またそれまでの信頼関係が作られていてのことだろうと思います。
そうした助言は、正しいことは爽やかであるという言葉ともつながっているのではないか感じます。
私の地元の魚津市を中心に県内全域でご活躍の本田先生は、大学の先輩でもあり、これからも(間接的ではありますが)ご指導を賜りたいと思っています。
脳と心について
心というものがあるのかないのか・・・心理学という学問がありますし、私たちは子どものころから霊魂というものの存在を聞かされており、地獄という世界があって死んだらそこに行かないように善行を積んでいかなければならないという教えに接していましたから、死んで肉体から分離していくものがあるのだろう、それが心もしくは霊魂というものなのだろうと、無条件で思っていました。
しかし、最近『心は存在しない』(毛内拡氏著)https://amzn.to/4gSgQM7という本を知り、これは仮説だとの見解で書かれたものではありますが、もしかすると吉本隆明さんの言っていた「国や社会は人間が作った共同幻想」というようなことと同じように、心や魂も脳が作った幻想ということかも知れないなあ、という仮説を立てて考えてみるのも面白そうだと感じています。
梶本修身さんという方が『すべての疲労は脳が原因』https://amzn.to/4a3B3wbという本をお書きになっていますが、先日ラジオでこの方の話を聴いていたところ、脳の真ん中あたりに自律神経の中枢があって、人間が色々な判断をすればするほどここが疲れて来るそうです。人間は一日に35000回もの意思決定・判断をしているそうなので、それは例えば単に走っているというだけでも(つまり、いわゆる仕事をしているわけではない時でも)周りの状況を見たり、足元の道の状態を感じて安全性を判断したり、ということらしく、尿意を催してトイレに行くのも自律神経が排泄を命じており、身体がその指示に従って動いているのでありそこにも自律神経による意思決定があり、それらの連続で脳の中枢が疲れてしまうのだそうです。沢山肉体を使って「疲れた」と感じることがあり、今日はよく肉体を駆使したからなあと思っていますが、それは肉体が疲れたのではなく、肉体に酸素を供給する前提の状況判断や送るという判断をして送り続ける自律神経の働きが疲れたということらしいのです。確かに言われてみれば、身体が疲れた、と感じても、そのあと事態が急を要するような時には、「動ける、あれ?動けるぞ」ということも実際にありますから、もしかして肉体が疲れたというのも錯覚(脳が、自分が休みたいので、身体を横たえさせようとしていることを勘付かれないように隠れて指示しているために起こる錯覚)なのかも知れません。
優秀な方は、意思決定の量を少なくすることを心がけており、日々の生活の中になるべくルーチンを多く取り入れていると聞いたことがあります。具体的には例えば故スティーブ・ジョブズ氏は、いつも黒のタートルネックとジーンズという風に衣類を選ぶために脳を使わないといった話がありますが、こうした事例も沢山あるようです。してみると、いかに脳を活力あふれる状態で使い続けられるかということは、一つには判断しなくても良いようなことの判断をしなくても良いような生活習慣を取り入れることのようです。
と同時に、睡眠が極めて重要だということも梶本修身さんは仰っていました。
睡眠と言えば上田泰己さんという方が『脳は眠りで大進化する』https://amzn.to/3DNy6Unという本を書いておられ、こちらも注目しています。日本人の睡眠が短いということは以前から指摘されており、この本の中でもOECD33か国中日本人は男女とも最も短いということが書いてあります。日本人の平均睡眠時間は7時間22分とのことですが、個人的にはそんなには寝ていないなあと感じます。それでも40代の激務時代から比べれば伸びてはいます。そういえば大谷翔平さんが睡眠をとても重視しているという話はよくインタビューでも言っておられますし、スケートの浅田真央さんも良い睡眠のためのマットを持参して遠征に行っておられたという話も聞いたことがあります。
論理性に著しく欠ける話ではありますが、脳科学の最新研究成果だと言われている上記の色々な話を総合すると、どうも、脳の真ん中にあって色々な命令をつかさどる機能が生命の本質なのではなかろうか?という仮説を持っています。その機能≒自律神経を司っている部分は、生れて来たからには生き続けるということがプログラムされているように思います。例えば他の人から危害を加えられそうになったら、人は一般的には防衛や反撃をします。肉体的な危害もあれば精神的な侮辱などのことも危害と捉えると、防衛や反撃は、自己の生存を守るための反応ですので、脳の中枢にある自律神経を司るものがそれを命じているのだなと考えます。
スピノザは『エチカ』https://amzn.to/41P9sNkという書物の中で人間の基本的感情を3つに限定して、それ以外の感情はその3つの基本的感情から派生しているものだといったことを述べています。3つの基本的感情は「喜び」「悲しみ」「欲望」(文庫(上)181ページ)ということで、(ここからは交流分析からの学びに関係していますが)それらはいずれも人間の生命を維持することを目的にしたもののようです。怒りやすい人も泣きやすい人も呵々大笑しやすい人も、恐らく子どもの頃にそういう反応をした際に「生命」を維持できた、という成功体験が積み重なって大人になってもそういう感情が表出しやすくなっているのではないかと思います。
そこで改めてアリストテレスがどのようにそこら辺りを見ていたのか?ということを調べてみようと思い立ちました。彼の『心とは何か』https://amzn.to/4hf3fyPという本が岩波文庫から出版されています。邦題は他にもいくつかのタイトルがあるようですが。この本の解説に「アリストテレスは、プシュケーが身体から独立した存在であることを否定」とあり、「心とは身体がある一定の能力をもった状態である」「一種の能力」とあります。さらに「心は、生きていることの原因であり、その原因とは、栄養摂取能力、感覚能力、運動能力、思考能力」ともあります。ちょっとだけ脱線しますが、アリストテレスはこの本の中で「睡眠と覚醒については別のところで考察する」と述べており、この別の考察について書かれたものはなんと『アリストテレス全集第6巻』という大部の著書に当たらなければならず、すぐには手が出ませんが、上記の「眠り」の本や「すべての疲労は脳」の本などとも関係があるかも知れないと考えると興味が尽きません。アリストテレスを絶対視するつもりはありませんが、今の色々な科学の多くが遡れば彼の思惟に行きつくことを考えると一旦彼が何を語っていたのかということに触れ、改めて考えるのも意味があるのではないかと思います。改めて同書の解説ですが、この本は「難しい著作のなかにあって、内容の深さの点から言っても、頂点に位置する」のだそうで「他の著作で論じた論点の上に築かれており」「この講義で用いる重要な概念に受講者があらかじめ通じていることを前提にしている」のだそうです。「睡眠と覚醒」などにしても別の所に書いたからそっちを先に読んでからこっちに来なさいね、ということなのだろうなという気もします。
生きんかな、というのが生命の本質だとすれば、そのために色々な外からの刺激にどう反応すれば最も生命維持にとって有効かを経験や知識から選択して判断している、ということが私たちの日常生活なのでしょうか。しかし中には『心配事の9割は起こらない』https://amzn.to/3W1LZ7Uとか『反応しない練習』https://amzn.to/49XM0zmといった、実際にそうだなあということもあり、ちょっと見渡せば、自律神経を酷使して「つっかれたあ」と感じなくても良いような知恵が周囲には沢山あることにも気づきます。
脳と心について、感情の起伏、睡眠による疲労回復、元気溌剌で過ごすために工夫できることなど、調べ始めたところですので、今後もっと勉強し2025年はこういう知恵も使いながら楽しく心地よく過ごしていけるようにしたいものです。
松岡正剛さんを悼む
その昔「遊」という雑誌がありました。何冊か購入したような覚えもありますが、今手元に残っているのは1981年秋の臨時増刊号一冊のみです。発行は工作舎、編集者は松岡正剛さんという方です。エディトリアル・ディレクターという聞いたことのない職業でした。カタカナの職業名に、なんだか変な、というのが第一印象でした。
数日前松岡正剛さんの訃報に接しました。新聞の片隅の著名人の死亡欄に載っていただけだったのであやうく見過ごすところでした。享年80歳とのこと。
「遊」で見ていた頃は、「日本はすごい」という論調が前面に出ていたこと、お名前が戦前のある政治家と同じであったことなどから、勝手な印象として、少し偏った思想の持ち主ではなかろうかと感じていました。そのため、超のつくようなこの人の博学ぶりに驚きと憧れを持ちつつも、その該博ぶりは本当であろうか、といぶかしがり、深入りすまいと距離を置いて眺めていました。
但し、この「遊」については、第一級の著名人が、それも大勢寄稿しており、これらの人が皆変な思想の持ち主だとはどうしても思えず、松岡さんに対する私自身の見方も妙な偏見やも知れぬと定まらぬ立場でしばらくはいたような気がします。
平成2年、「電話100年記念出版」として、NTTのグループ会社であったNTT出版から『情報の歴史』という分厚い書物が発行されました(非売品)。世界史年表の体をとった情報の歴史を扱った大部のもので、7000万年前から、人類の脳容量が1600立方センチになる時期を経て1989年(平成元年)に至るまでの歴史(地球の歴史を含む)を情報という切り口で編集されたものです(今年の大河ドラマの源氏物語についても記載されています)。企画監修・年代構成・本文執筆・作図構成を松岡正剛さん、構成編集を松岡正剛さんが主宰する編集工学研究所が担っており(当時の松岡正剛さんの活躍の舞台は主にこの編集工学研究所であったと思われます)、企画進行にはその数十年後に私の上司になった西山等さんが担っておられたことが巻末に記載されています。
これによって松岡正剛さんの印象が随分変わり、ああ、こういう仕事をしている人なのか、ちょっと偏見を持って敬遠し過ぎていたなあと見方を変えました。
その後の松岡正剛さんの活動を振り返って見ると、とにかく知が好きで、知を編集することが大好きなひとだったのではないかと感じます。最近は角川ソフィア文庫から「千夜千冊」のシリーズを刊行されており、この本自体は元々随分以前からネットで書き連ねておられたものだと思いますが、その他の著書や雑誌などにも登場しておられたため、てっきりまだまだ元気で知の啓発活動を進めて行かれるものだと思っていたので、急な訃報で本当に驚きました。松岡正剛さんの読書術なる本なども読み、この知の巨人がどのように読んでいるのか、読み方の一端に触れたような気もしますが、既に記憶からは抜け落ちてしまっています。
そういうわけで松岡正剛さんという人物に対しては、最初のちょっと斜に構えてしまった印象が尾を引いてしまって、あまり深く関わろうとしないこの40年間でしたが、そうはいっても色々と影響を受けてきたことには変わりなく、改めて感謝するとともに追悼の意を表したいと思います。そしてまた、彼と彼のお仲間が著わした『知の編集工学』や『探求型読書』なども読んでみようかと思っている次第です。
コンサルの仕事と働く人が本を読めなくなるという題材とダ・ヴィンチの手記
雑記です。支離滅裂な文章になっているものと思います。
先日ラジオで三宅香帆さんのベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』についての解説がなされていました。
聞くと、すぐに求めているものにありつける即効性のあるもの=スマホのゲームや検索結果やSNS投稿への反応、などと異なって「本にはノイズがある」ために、求めるものがすぐに得られずタイムパフォーマンスが悪く、自然とすぐに答が得られるスマホなどを見てしまうのだ、と語られていました。
「ノイズ」という表現が新鮮で、「本が雑音?」とちょっと抵抗感はありましたが、なるほど、という納得感もありました。例えば推理小説などはその最たるものの一つで、一番最後まで読まないと犯人=答がわからないのが普通です。最近の若い人は、ネタバレOKや映画の早送り・倍速鑑賞などでいち早く答にたどり着くことを求めがちだという話も聞きます。
さて、それらが悪いということを一方的に述べることがこの稿の目的ではありません。
私たちコンサルタントの仕事は、一つには事業者の方から相談を受け、それに対する答を提供しなければならないこともありますが、もう一つは事業者の方が自分で方針を立てる=答を導き出す、ための考え方の枠組みを提供したり、他の事例を紹介するなどの「補助線」を提供したりということもあります。後者は、最近の流行でいえばエドガー・シャイン教授などが提唱している「プロセスコンサルテーション」という関わり方かと思います。すなわち「ノイズ」を提供し、ご自身が考えるための「雑音」「余白」を提供することであり、これは言い換えれば「問いを提供すること」ということではなかろうかと感じました。
「本にはノイズがある」ということに加えてもう一つ解説者が仰っていたのが「本を読むということは他者の文脈と向き合うことだ」というものでした。自分の文脈で本を読むとなると、調べたい内容だけを探して見つけてそれで良し、というような読み方ならば主体的に読めるのでしょうけど、それでは著者の主張は関係なく自分の文脈での読み方となるでしょう。それはそれで良い、フォトリーディングなどはそういう読み方を推奨しているような気もします。が、著者の主張を汲み取ろうとすると「他者(著者)の文脈」との向き合いという姿勢が必要になって来ます。自分の求める答ではないものとの向き合いとは、自分に対しては「問い」をいただくことになるのではないか。「これ、知ってる?」とか「これについて私(著者)はこう考えているがあなた(私自身)はどう考える?」などの問いを私に対して発せられ、それに対して自分で考えざるを得ない読み方、これが「他者の文脈」で読むこと=「他者の文脈と向き合うこと」で、自身に対して「問いを与える」読み方、ということではなかろうか・・・と思いました。
コンサルティングの仕事の中にも、このように、事業者さんに対して「問い」を提供する、それも事業者さんが自分の事業の問題点を深掘りすることや将来像や課題を考え、対応していこうと考えることにつながるような問いを提供すること、時間がかかりタイムパフォーマンスは悪く、そのため日頃はなかなか向き合わない(忙しい、考えたくない、など原因は様々でしょうけど)こと、と向き合うきっかけになることも私たちの大切な役割ではなかろうか、と考える次第です。私たちがそのように事業者さんと向き合うということはまさしく事業者さん=他者の文脈と向き合い、こちらの先入観を持たずにフラットな姿勢で、言われることをそのまま受け止める「傾聴」の姿勢に徹し、しかるのち「問い」を発する。「問い」に対して事業者さんが考えている間は口を挟まずに待つ。「間」を恐れずにひたすら待つ。必要があれば例え話などをして事業者さんの考えの整理を促したり言葉を引き出したりする。事業者さんの話の内容に共感できれば一緒に考える。こちらの考えもお伝えする。あくまで事業者さん側のレディネス(こちらの話を受け止める準備)ができてからであり、それまではひたすら待つ。観察する。そして一緒に考える。これこそが「傾聴と対話」ということではなかろうかと思う次第です。・・・というようなことを上記のラジオからあれこれ派生的に考えた次第です。
閑話休題。
山口周さんの『外資系コンサルの知的生産術』という本があります。これは山口さんの事例や手法などを惜しげもなく開陳してくれており、加えて、古今東西の名言などを添えてあるのですが、この本の後ろの方に『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』からの以下の抜粋が掲載されていました。
<<食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない>>
あれ?どこかで見たかも・・・と思い、1987年に購入した岩波文庫を引っ張り出してきました。ありましたありました。なんと初めの方で、しかも自身で赤線まで引いていました。が、そうしたことすら覚えていませんでした。その前には<<老年の欠乏をおぎなうに足るものを青年時代に獲得しておけ>>という箇所に線が引いてあり、後ろには<<鉄が使用せずして錆び、水がくさりまたは寒中に凍るように、才能も用いずしてはそこなわれる>>という文章に線が引いてありました。線を引いてからの数十年間、私は果たしてどのような生き方をしてきただろうか?と後ろを振返りそうになりますが、幸いまだこの先も歩むべき道がありますので、いい機会だと捉え直し、今から再度、改めてこれらの言葉を胸に刻みつけて歩き続けようと思います。
ちなみに『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』のもう少し後ろの方には次のようなことも書いてあります。
<<十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ>>
<<「幸福」が来たら、ためらわず前髪をつかめ、うしろは禿げているからね>>
<<必要であればあるほど拒まれるものがある。それは忠告だ。それを余計に必要とする人々からいやがられる>>
「問い」を上手に使うことで、コンサルの仕事に取り組み続けていきたいと思います。
『徒然草』第百十七段の「よき友」を目指して
先日、ある会合で「よろず支援拠点の伴走支援」について仲間と情報共有を行いました。「よろず支援拠点の伴走支援」とわざわざ断りを入れる理由は、現在国の勧めで色々な中小企業支援機関(商工会、商工会議所、信用保証協会、金融機関、認定支援機関、中小企業活性化協議会などなど)が「伴走支援(中小企業、小規模事業者、個人事業者に対して寄り添った形での支援)」をやっており、それぞれ微妙にやっていることが異なるためです。異なること自体は問題ではなく、色々な伴走の仕方があってしかるべし、とされているようです。
それはそれとして、私の所属する富山県よろず支援拠点(勤務は週2日ほどですが)では、令和3年からエドガー・シャイン教授の唱える「レベル2」の関係でのコンサルティングを志向してきました。これはコンサルティングが「答を教える」という従来のスタイルでは通用しないことが発生する時代になり、これまでとは異なるやり方をしていかなければならなくなったという研究結果から出てきた一つのあり方を提示したものです。もちろん「答を教える」ことで解決する課題も相変わらずありますので、これまでのコンサルティングを全否定するものではありません。
クライアントとコンサルタントの「レベル2の間柄」とは何か。シャイン教授はこんな感じの説明をしてくれています。曰く、「固有の存在として認知」「たまに会う友人」「次の3点で通常より深い・・・①交わした約束を互いに守る、②相手を傷つけたり相手が努力を傾けたりしていることをけなしたりしないと合意する、③嘘をついたり仕事に関わる情報を隠したりしないことに合意する」・・・令和4年の春によろず支援拠点の全国本部から提示された伴走支援のガイドラインにも、このシャイン教授の考え方に基づいて仕事をするように、とされていました。
さてそこで改めてふと思い出したことが『徒然草』でした。第百十七段に以下のようなことが書いてあります。以前も投稿したかも知れませんが・・・「友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵、六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには、医師。三つには、知恵ある友。」
と、これだけの文章ですが、まず、自分自身「友とするに悪き者」に該当する要素がいくつかあり、この時点で汗顔の至りではありますが、それを踏み越えて、「よき友」に進ませていただきます。私たちコンサルタントは、エドガー・シャインの警句を待つまでもなく、この「よき友」を目指していかなければならないのではないかと思うわけです。ま、その中でも「物くるる友」はシャインの区分では恐らく「レベル3」の親友などに当たるような気がします。コンサルタントがここまでやると、不特定多数の相談者への対応が困難になります。また「医師」は「レベル1」の技術的課題を回答する専門家になるのではないかと思います。もちろん「医師」も「レベル2」の関係を構築することが望ましいと思いますし、ある意味コンサルタントは経営の「専門医」たるべし、とも言われていますので。そうしたことに加え、私たちが目指すべきは「知恵ある友」になれるよう、人間的な面、知識や経験の面など、日々研鑽を続けていくことが大事ではないかなと、2年ぶりによろず支援拠点の通常支援担当に戻って、改めて感じている今日この頃です。
今も新鮮な耳ざわりの「ララバイ・オブ・バードランド」(byクリフォード・ブラウン&サラ・ボーン)
ラジオ番組を聴いていたら、クリフォード・ブラウン(tp)とサラ・ボーン(vo)の「ララバイ・オブ・バードランド」をやっていました。1954年の録音だそうで、なんと今から70年前のものですがちっとも古びていない新鮮な印象で聴くことができました。初めて聴いたのが40年前だったのでその時点でも30年前だったことになります。
昨年ニューヨークのジャズクラブ「ブルーノート」を訪ねる機会がありました。ブルーノートと言えば、このクリフォード・ブラウンをはじめ、アート・ブレイキー、もホレス・シルヴァー、ハンク・モブレー、ジミー・スミス、リー・モーガン、ルー・ドナルドソン、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムス、オーネット・コールマンなどが演奏したことがあるということのため、そのような系統のものを期待していましたが、今はそういうのは流行っていないのか、ジャズそのものがどんどん進化しているためか、この夜の演奏はラップのようなそうでないような、あまりすんなりとは音が耳に入っては来ませんでした。
ジャズの良い演奏を聴くなら、かならずしも最新のものでなくても、こういう古い録音でも十分新鮮な感じを受け取ることができるなあと独り言ちています。これは別にジャズに限らず、クラシックでも落語でも通じることかも知れません。(単に古いものを懐かしむ私自身の高齢化の進行か、はたまた成長がストップしただけのことなのかも知れませんが)
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」に関連して
戦国時代や幕末の登場人物は大体相場が決まっていて、どの役者さんが誰を演じているかを理解すれば、そうそう混乱はしないのですが、今年の大河ドラマはあまりなじみのない平安中期。もちろん藤原道長や頼道、紫式部や清少納言・・・辺りまでは中学校で習うので心当たりのある名前ですが、道長の父親となった途端に「は?」となり、道長が三男で、上に二人の兄がいたなどと言われてもさらに「は?」となってしまっているのが今年の悩みです。
そこで以前購入した日本史年表の系図に当たって、登場人物の関係を洗っては今年の大河ドラマを見るようにしています。
まず主人公コンビの道長と紫式部。藤原家は枝分かれが沢山で探すのが大変でしたが、なんとか見つけました。道長と紫式部は6代前は同じ祖先の「冬嗣」だということろまで確認できました(この年表の系図の記載が真実ならばですが)。この写真には写っていませんが、左の上の方に冬嗣の名前があります。
秋山竜次さん演じる藤原実資は、この系図を見る限りでは段田安則さん演じる藤原兼家のいとこの子に当るようです。ということは、藤原道長にとっては、またいとこという間柄になりましょうか。wikipediaによると「藤原道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫き、権貴に阿らぬ人」とのことで、道長存命時から右大臣になり、道長死去の1027年以後も右大臣を勤め、亡くなる1046年までその地位にあったようです。享年90歳。この人が主人公ではないのでドラマはそこまではやらないでしょうけど。
それにしても段田安則さん、いい味だしてます。
何週目だったか忘れましたが、新たに、藤原公任と藤原斉信(ただのぶ、と読むようです)と藤原行成という次代を担う若手公卿たちが登場しました。いきなりなのでまたまたwikiで親、祖父、などと辿ってまた下るということを繰り返し、三人を発見。公任は道長からするとまたいとこ、斉信はいとこ、行成はいとこの子、どれも藤原冬嗣の系統で、間柄も近い人々のようでした。ロバート秋山竜次さんのやってる藤原実資もまたいとこのようですので、近侍していた兼家の子の道兼(段田安則さんちの次男にして道長の兄貴)も、またいとこの間柄、にもかかわらず天皇への近さ遠さで階級差が生じていたということでしょうか。ちなみに左大臣源源信の子孫には佐々木道誉や黒田如水が出て来るようです。
さらに、ここの所権勢を振るっている、花山天皇の側近の藤原義懐(よしちか)。この人は兼家さんの長兄の伊尹の五男らしく、上の系図には出ていませんが、やはり道長のいとこという間柄になります。これまで名前が出るごとに「よしちかごときが!(怒)」というような言い方をされています。また花山天皇が「くびったけ」になってるという忯子(よしこ)さんは、道長のいとこの妹、ということでこの奥様も道長のいとこということになりますが、夭逝されたようです。そのせいか、花山天皇は、わずか2年で退位あそばして出家されるみたいです。その後、いよいよ我らが兼家さんがじい様として新天皇の後見役を務め、権勢を振るわれたのでしょうけど、四年であっさり鬼籍に入ってしまわれるようです。
さて、友人からの情報で、佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝が紫式部と結婚するとのことで、系図を確認しました。共通の先祖の良門という人からみて、紫式部は5代目、宣孝も5代目。だいぶん離れて見えますが、Wikipediaによると、二人はまたいとことのこと。系図に現れていない曾祖母が共通の近い人みたいです。
・結婚3年後の1001年、夫の宣孝死去
・1005年、安倍晴明死去
・1016年(又は1019年以降)紫式部死去、但し、今回の時代考証をしている倉本一宏さんの説では、1020年代半ば頃まで存命だったのではないかとのこと。
・1027年、道長死去
さてこの物語ではどこまで描かれるのでしょうか。
なお、橋爪淳さん演じる関白頼忠も、段田安則さん演じる右大臣兼家からすると、いとこ、の間柄のようです。
偶然書庫で古い岩波新書の北山茂夫氏著『藤原道長』を発見し中を紐解くと、紫式部と道長の最初の奥さんになった源雅信の娘の倫子さまの関係が出ていました。5代遡ると共通のご先祖藤原良門という人に行き当たるようです。「またいとこの孫」同志という関係のようです。お互い赤の他人だったかのような顔をしていますが。
この岩波新書は良書だと思います。著者の個人的な思い入れも相当入っているようですが、道長が政権を担うかなり前から説き起こしてあり、大河ドラマで描かれているまさに同時代が詳しくわかりやすく書いてあります。
「鎌倉殿の13人」に鳥羽上皇の側近として出ていた慈円僧正という方がおられ、この方も藤原一族なのですが、この方の書いた『愚管抄』という本に最近はまっています。というのも、この本の中に、200年ほど前に当たる道長時代の前後を含めた事柄がとても沢山詳しく書いてあるからです。
鴨長明『方丈記』より
又同じころ(元暦2年(西暦1185年)7月9日)かとよ、おびただしく大地震振ることはべりき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋づみ、海はかたぶきて陸地をひたせり。土さけて水わきいでて、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にただよい、道行く馬は足のたちどを惑わす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、ひとつとして全からず。あるいは崩れ、あるいは倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛るなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷にことならず。家のうちにをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出れば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にものらむ。
若しせばき地にをれば、近く炎上ある時、その災をのがるることなし。若し辺地にあれば、往反わづらい多く、盗賊の難はなはだし。
世にしたがへば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身を宿し、たまゆらも心をやすむべき。
(令和6年能登半島地震から14日目)
ここに転載したのは、岩波文庫の『新訂 方丈記』p22~26に書いてあった839年前の地震の様子とそれについての鴨長明さんの叙述からの抜粋です。今回の能登半島地震と比較しようとか世は無常とか、このことに関連付けて何かを述べようという意図はありません。そのような意図はないものの、何かにすがらなければこの気持ちを落ち着かせるすべがなく、永井荷風の『断腸亭日乗』の関東大震災のくだりを読み直したり、徒然草を紐解いたり、方丈記をめくってみたりしているうちに、方丈記の中に地震に関する記事を見出し、平安末期のこの頃にもこのようなことがあり、それを記述している人がいたのだなあと感じ、心を落ち着かせようとあとなぜをしてみたものです。転載していない部分には、本震の後の一日ニ三十回の余震、その後の数日おきの余震などについても記載されており、また地震本部の「主要活断層の長期評価」には能登半島の大部分には活断層が描かれていないにもかかわらず大きな地震があったように(専門家の間では危険であるとの認識があったような記事も目にしましたが)、日本はそもそもいつどこで地震があるかわからない不安定な陸地であることを今更ながら思い知らされたことです。
(令和6年能登半島地震から19日目 追記)
久しぶりに開いた塩野七生さんの『マキャヴェッリ語録』と最近のこと
若い頃に買った本です。塩野七生さんの『マキャヴェッリ語録』を久しぶりに開いてみたところ、いきなり目に飛び込んできたのが以下の文章です。
「国家にとって、法律をつくっておきながらその法律を守らないことほど有害なことはない。とくに法律をつくった当の人々がそれを守らない場合は、文句なく最悪だ。」
「国家にとってもう一つ有害なことは、様々な人物を次々と糾弾し攻撃することによって、国民の間にとげとげしい雰囲気をかもしだすことである。」
企業などで言えば、ルールを作って周知しておきながら、社長自らがそのルールを逸脱して平気でいると、当然社員・スタッフはしらけてしまって誰もルールを守らず、真面目にやったものが損をするという気持ちが蔓延した統制の取れない集団になってしまいます。これは組織やチームというべき状態ではなく、たまたま今だけここにいる、お金のためにここにいる、同じ会社で働いている同僚かもしれないが所詮他人であり他人がどうなろうと知ったこっちゃない、というのが本音の人々の集団だと言っても過言ではない状態だと言えるのではないかと思います。そういう中小企業は厳に存在しており、加えて、社長に対して誰も何も言えないということが往々にしてあるため、不満は表出せずに内部でくすぶり続けます。そういう企業に入って従業員インタビューをすると「上の人の言っていることとやっていることが矛盾している」という声がよく聞かれます。それを経営者に伝えると大抵は怒りの矛先が当の従業員に向かってしまうのでインタビュー結果の取扱は要注意です。しかしいずれかのタイミングでそれをしっかり経営者にお伝えし、結果として経営者がその振る舞い方を見直さないと、面従腹背・今だけ金だけ自分だけの面従腹背状態からは脱却できず、業績は改善せず、退職者は後を絶たずテキトー社員だけが残り、社長は「こんなにいい施策をやっているのになぜ我が社は良くならないんだ?」という疑問を持ち続ける裸の王様のまま、ということになりかねません。内省力の高い経営者の場合は、一旦怒りの矛先が従業員に向かっても、自らを批判的に見て、「あ、悪いのは自分だったんだ」となって、改めて虚心坦懐にインタビュー結果と向き合い、改善に取り組むために従業員の話に改めて耳を傾け、自分が何をすべきか、従業員には何を求めるべきかというところからやり直す方もいらっしゃいます。(これができる経営者は強い組織を作ることができるようです)
さて、今年は「甲辰」の年とのことで、十干は「甲」、十二支は「辰」だそうです。甲というのは「新芽が出る」「難しいことを突き破る」という意味があるそうです。その前年の十二支の「卯」が「地中でうごめいていたものが地上に現れる」ということとつなげて考えると、新しい良いことの顕在化ということもあるのでしょうけど、昨年の後半頃から、それまで分厚い蓋で覆われていた「やっちゃいけない偉い人の良くない行い」が徐々にあらわになってきて、今年はさらにそれらがより明確に見えてくる年になるのかも知れません。新しい良いことの顕在化という点では新産業が現れたり、ということもあるかも知れませんし、また良くないことについては狎れあいでテキトーなところで曖昧にされることもあるかも知れません。
最初のマキャヴェッリ語録に戻ると「国家にとってもう一つ有害なことは、様々な人物を次々と糾弾し攻撃することによって、国民の間にとげとげしい雰囲気をかもしだすこと」という言葉がありますが、1月9日の日経新聞にはユーラシアグループが発表した「2024年の世界の10大リスク」が載っており、その筆頭が「米国の分断」でした。自分の考えと合わない人を、口を極めて罵る、罵って溜飲を下げる、罵ったことを同じ考えを持つ人から褒められてつかの間の承認欲求を満たす、交流分析的に言うと「Aが働いていない」状態で「You not OK」という価値観の自己への刷り込みがさらに強化されていく、その結果分断は埋まらない、という良くない状態が続く恐れがあります。ちなみにリスクの2位は「瀬戸際の中東」とあり、同じ日の日経新聞には「ブリンケン米国務長官が、ガザでの戦闘が中東の周辺地域に転移する恐れがある」と述べたとの記事もありました。なぜ使われている言葉は「飛び火」ではなく「転移」なのでしょう?戦争は治らない人類の病弊だということでしょうか。
分断は米国だけの傾向ではなく、残念ながらわが国でもネット空間を震源地としてそれが常態化し、現実世界にまで相当及んできているような気がします。私たちの住む北陸では能登半島を中心に大きな地震が元日に発生し、今も住まいを失った方々、日々の食事・排泄・睡眠・風呂など健康を維持することすらままならない人々、事業所や工場などが被災して仕事が出来ない状態の企業、予約のキャンセルなどで収入が激減したサービス業など、大変な困難の中にあります。人を誹謗中傷している暇があったら・・・と言いたくもなりますが、人のことを言う前に自分はなすべきことをしているのだろうかと自問自答する日々です。マキャヴェッリ語録