40代後半で今勤めている会社を離れ、別の仕事に就こうかというのは、いざ現実味を帯びてくると大きな不安がある。
色んな意味で今がタイミングだとは思うが、生活水準を維持できるだろうかとか、わからない世界でちゃんと仕事ができるだろうかとか、頭の中を不安が駆け巡っている。
もちろん訪問先の企業から「来て下さい」という意思表示をいただいたわけではないし、仮に「来て下さい」と言われたとしても、希望する条件と合わなければこちらから辞退しなくてはならない可能性もあり、今の段階ではまだ先のことを不安視する必要はないのかも知れない。
とは言え、明日以降、近いうちに連絡が来ることが想定されるため、はっきりと心の準備をしておく必要があり、不安をぬぐう意味からも再度何人かの人に相談した。
診断士の大先輩Fさんには、金融機関で企業の再生を支援する業務が、サラリーマン診断士のスキル向上や将来にとって役に立つのだろうか、という点について相談した。
回答は、今の診断士業務とは全然関係ない仕事をし続けるよりも、企業を良くする仕事に携わっておけば、それは診断士の仕事そのものなので、将来、県の再生支援協議会の仕事など色々あるから断然有利である、独立しても実績がないと2,3年は仕事がほとんどないので、将来のためにも今からやっておいた方がいいだろう、と力強い励ましの言葉をいただき、勇気づけられた。
それにしても色々悩むものだ。
しかし、自分の人生なので自分で切り開いていくしかない。
今の会社に留まって自社の改善はできるとしても、企業を良くする仕事を幅広く経験できないままに自分の時間も持てずに定年まで行ってしまうか、新しい世界に飛び出してわからない業務や新しい人間関係などの苦労はしつつも時間も多少は持て、診断士としてのキャリアを磨いていくか、今が判断のしどころだ。
留まれば給与は読めるものの時間とスキルの面では期待できずたぶん今まで以上の地獄、進めば所得は多少下がるが時間もでき健康や今までできなかったことができるしスキルと経験の面でも可能性が広がる。
上記の確認結果次第だが、今日の時点では、自分の将来展望を考えて進もうかと思っている。
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会社訪問
今日ある会社を訪問し、そこの人事の方と会ってきた。
企業の再生や事業継承・新規事業展開の際の融資などを審査するために中小企業診断士を増員したいが、社内での育成がなかなかできない。
そのため中途採用を募集しているということである。
中小企業金融を円滑化し、弱った中小企業を倒れるがままにしておくのではなく正常化・活性化するための支援を行うことが、地域の活性化・経済の安定化にもつながるという考え方に基づくものである。
弱った企業は淘汰されるべきだというのが自由主義かも知れないが、それが行き過ぎると経済が不安定になり失業も増えて社会不安が増大してしまう。
再建しうる企業は再生してもらおうというのが最近の中小企業支援の主流の考え方なのだろう。
人事の方は、私に対してなぜ今の会社を離れることを考え、転職先としてウチに関心を持ったのかと聞かれた。
自分の持っているスキルや強みを役に立てたいが、今の会社ではどうも役に立ちそうにないからだということと、中小企業診断士のスキルを活かして我が県の産業の発展・中小企業の経営改善に役立ちたいからだということを答えた。
事実そう思っている。
会社を離れるというのは大変なことで、愛着もありまた新しい世界へ行く不安は大きい。
しかし今のままでは変化できないことがわかっている以上、どこかで自分で自分のダイヤルを回さなくてはならない。回すのは自分自身だ。やろうと思った時がやるべき時なのだと思う。
幸運の女神には後ろ髪はない。
と言っても、今日訪れた会社に行くことが幸運の女神かどうか、それは行ってみないとわからない。
もう一回先方の方と会うことになるだろうと思う。
あまり逡巡している時間はない。
給与面では、キャリアアップとまでは行かないまでもキャリアダウンは避けられそうだ。
但しそのためにはちゃんとまじめに働き、試用期間後正式社員に変更されるよう努めねばならない。
そんなこんなで、自分のやりたいことと先方の社のニーズ、大体合っていそうである。
その業界の知識は皆無であるが、勉強すればなんとかなると思っている。
生来鈍感というか楽天的な人間なので、やりゃあなんとかなるさと思う。
ダイヤルを回すのは自分、幸運の女神に後ろ髪はない、やろうと思った時がやるべき時。
5月後半には遅くても答を出していることだろう。
Go Ahead!
大阪は暑かった
久しぶりに大阪へ行って来た。
相変わらず大阪は暑かった。
会議への出席が目的だったが、少し時間があったため、以前出向していた会社に行き、Nという元上司に会ってきた。
この人は元S銀行のシンクタンクにいたコンサルタントだったが、縁あって私の会社のグループ企業である研修会社に転職した人だ。
この人に転職について相談した。
いただいた助言は次のとおり。
・対象となる仕事の、その会社の中でのポジショニング・役割の確認(将来もその業務があるのか、一時的なものでいずれ配転・縮小される可能性があるのか)
・自分のやりたいこと・苦手なことをはっきり言って、先方の条件に合うかどうかを確認すること
・給与など待遇面をきっちり確認すること
・初回の面接以降のスケジュールの確認(もし今の会社を退社する場合のそれまでのスケジュール)
転職経験のある人には学ぶ点がある。
しかも純粋な我が社の人ではなくこの先も独立や別のシンクタンクへ移る危険な香りを持つ人なので、我が社の人には相談できない、自分の転職相談などを安心して相談できる数少ない人だ。
いかんせん、大阪という遠方にいらっしゃるのが難だが、その会社を離れて4年も経っても会ってくれるというのはありがたい。
結果はどうなるかはわからないが、貴重な助言をいただいた。相談して良かった。
管理者になった次の目標は?
管理者になれるかどうかもわからない30代の終わり頃、私のいる職場に外部から招聘した経営コンサルタントがいた。
その人が、中小企業診断士の資格をもっているのなら早めに会社を辞めてコンサルタントとして独立したらどうか、などと言って来た。
それも考えものではある。
しかし、自分の考えとしては、経営コンサルタントたるもの、経営の経験もなくできるものではない、しかし経営者にまでなってからコンサルタントになろうとしても、年齢が相当いってしまうか、又は若くして経営者もやりコンサルタントもやることができる人など、本当に一握りでしかなく、経営者まで行ってからというのはほとんど無理と言える。
だがせめて会社経営の一翼を担う管理者ぐらいにはなっておかないと、相手の企業の経営者と同じ又は近い目線でものを言い、こちらの意見を飲み込ませることは大変困難だ。
経営やマネジメントの経験もない一匹狼コンサルは、所詮組織になじめないから会社を辞め、コンサルとして一本立ちしただけだろう、と思われてもしょうがない。
事実、独立した経営コンサルタントと話をしていた時に感じたことは「この人は勝手なことばかり言っている。実際に我が社に管理者として入ったらそんな理屈どおりにはいかないことが山ほどあるのに、そういうのをわからずに理想論で語っても実現性はほとんどない。所詮組織人でない人の話だな」といったようなものであった。
どんなに良い提言をしても、組織マネジメントの経験がない人の理想論では相手の心に響かず、相手に伝わらなければ意味がない、と思い、であれば、いずれ独立したコンサルタントになるとしても、一旦は管理者経験が必要であろうと考えた。
それで、課長になった。
その課長職もかれこれ4年を経過した。
うまく、部下のモチベーションを上げて成果が上がったこともあった。
全然部下の心に響かず、空回りのこともあった。
マネジメントは面白いなと思う反面、最近は組織が文鎮型になりすぎて、自分が係長のような仕事をせざるを得ないことが多い。
考えて助言して確認してほめる(又は注意する)、といったマネジメント=PDCAのプロセスではなく、自分自身が実務をやらなくては回らない時代になっている。
いや、時代というのは大袈裟だが、自分の所属する会社はおおむねそんな状態だ。
これではあまりマネージャーとしての研鑽を積めるとは限らない。
そこで、24年間勤めた会社を離れようかと思っている。
しかし会社を離れるにはどうしても解決しなければならない2つの課題がある。
1つは収入である。今の所得水準を大幅に落すわけにはいかない。
生活がかかっている。
もう1つは次の新たな仕事は、その仕事を通じて喜びを感じられる仕事かどうか、自分の残りの人生を賭けるにふさわしい仕事かどうか、という点である。自分の生きてきた過程や人生観を反映させ、そして持てるスキルを生かして人の役に立って喜んでいただける仕事になるか、そういう仕事を見出せるか・・・。40代も半ばになると極めて重要なポイントだ。
その2つの課題をクリアできなければ軽々に離職を考えることはできない。
ただ、元々管理者になったら次のステップ(離職、転職、独立)へ、ということを考えていたので、ちょうどいい潮時かも知れない。
財務諸表を読みこなせ
4月の目標がいくつかある。
一つは、財務諸表を読みこなす力を養う、というものである。
中小企業診断士の資格を持っているのだから、そんなの当然朝飯前と言いたいところだが、受験した当時はある程度読みこなす力を持っていたが、取得から8年経過し、日常の仕事の中で全く財務と触れない状態では、そんな力は残っていない。
そこで『決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法』(國貞克則著、朝日新書)というのを買って読み始めている。
毎日7時前に家を出発し、帰宅が深夜の11時半、それから食事と風呂のため睡眠時間が5時間程度、土日の1日は仕事、という生活を続けているため、読書などに充てる時間はほとんど取れないが、少しでも読書の時間がとれるようにと願いつつ、読み始めた。
わかりやすい良い本だと思う。
今月中には読み終え、実戦で使っていきたいと思っている。
短時間で成果に結びつけよう。
管理者になる年齢を想定し、実際になる
今の会社には「地方採用」で入社した。
当時は私の会社には「地方採用」と「本社採用」の2本立てがあった。
もう少し正確に言うと、学歴で3本立てぐらいに分かれていた。
その中で「地方採用」の大学卒の人が課長になるには、採用から20年、つまり42歳というのが最も早い出世だ、と聞かされていた。
一方「本社採用」というのは文字通りエリートで、30代で課長、40歳前に部長、最終的には50歳前に本社の部長になり、そのまま天下りとなるか、取締役レベルまで上がっていくか、という存在であった。
そんな人たちだから、異動は全国区。本社を中心にしつつ北海道から九州・沖縄まであちこちを転々としなければならない。
まるで国家公務員の上級職である。
こちらは一地方採用の平凡な身一人っ子でもあり、地元を離れるわけにはいかない。そんな立場でもあったので、入社当時は、じゃあ自分は地方採用としては早い「42歳で課長になる」というのを目指して頑張ってみようと思った。
それから幾星霜。
途中色んなことがあった。
出世が他の人より遅れた、と感じたこともあったし、あれ、急に進んだなあと感じたこともあった。
しかし、本社勤務がなかったため、結局はそんなに出世のスピードは上がらず、自分よりもずんずん上へ行く地方採用者も何人もいた。
気がつくと課長になっていた。
それも42歳で、である。
しばらく忘れていたが、そういえば入社当時42歳で課長になるぞと思っていたことを思い出した。
願いは叶う、である。
さてこれからだ。
入社当時は、42歳で課長になったとしたら、その後、まだ50歳くらいまでは上に上がる、つまり部長になるという道があった。
地方の中での異動でも、そこらへんまでは行ける道があった。
しかし、あれから随分環境が変化し、今では課長になるにしても、またその上の部長になるにしても、本社やそれ以外の地域の現場に行くなどの広域配転をさらに何度か経験しなくてはならないし、二度と地元に戻れないかも知れない。地域にはそれだけ上の方の管理者ポストが少なくなっているからだ。
この先の選択肢としては、
①さらに上へ上がるために本社や他の地域へ異動する。この場合家族を犠牲にすることになる可能性が大きい。
②このまま今の地方で上へ上がっていく優秀(で身軽)な後輩や同僚を横目で見ながら今の地位に留まり続ける。この場合、自分のプライドのようなものがどれだけ耐えられるか、しかも自分のスキルを十分に発揮できるとは考えにくい。
③(会社に残ってやっていくときの現実解は②だが、それでは働き甲斐や所得も頭打ちになるため)いっそのこと今の会社を飛び出し、違う世界でキャリアアップを狙う。所得が一時的に下がるのは当たり前だが、それを受け止めるだけの心の落ち着きとストックがあれば、やってやれないことはなさそうだ。
の3つぐらいがあるのかな、と思う。
いずれにしろ強く願うことで、瓢箪から駒、というか、思わぬ方向から幸運の女神がやってくることがあったりするから人生は不思議で面白い。
この人生を大切にしていきたい。
ありがとうございました。
願いはかなうぞ、という話
大学一年生の最初の頃は東京世田谷の叔父の家に下宿させてもらっていた。
ひょんなことで、夏休みの一週間ほど前に、突如叔父から、夏休みになったら出ていってくれ、と言われた。
晴天の霹靂ではあったが、それから昼も夜もどこかいい所がないか、大学の掲示板を見たり、寝入りばなに一心に祈ったりしていた。
必死の祈りが天に通じたのか、それから数日して、調布に流しと水洗トイレのついた六畳の二階建てアパートが見つかった。
家賃は希望していたより三千円ほど高く、貧乏学生にとっては厳しかったが、命に関わるほどではないため、現地を見て即決した。
鈍重な自分にしては驚くほどの手際良さですぐに運送屋に連絡し、夏休みの初日に、叔父宅を後足で砂をかけるようにして引き払った。新居に荷物を放り込んでから帰省した。
今にして思うと、必死の祈り、願いが天に通じたのだろうなあと思う、不思議な体験である。
こんな体験があるため、底の底のどん底まで行ったら、ふっと道は開けるものだという信念がある。
皆さんにはそんな経験はありますか?
時には停滞、後戻りもあるさ
水前寺清子の「365歩のマーチ」という歌に「三歩進んで二歩下がる」というのがある。
順風満帆なんてなかなかないよということを表しているのだと思う。
夢に向ってGO!GO!と行きたいところだが、人生そうは問屋が卸さない。
逆風にあってあえぎまくることもしばしばである。
しかしそんなときでも、向かう方向だけは忘れず、でも目の前の現実から目をそむけず、しっかり対処していくことも大切である。
いや、あまりにその逆風が強すぎて、一歩も歩けず、その場でじっと雨風を耐えしのがなければならない時も、人生にはしばしばあるなあ、というのが私の体験から来る印象だ。
さてかくいう私もこの2ヵ月ぐらい、右肩の痛みに苦しめられている。
根っこは首の骨の異常だという医者の見立てだ。
リハビリか何かで治るものかと思っていたら、大病院に行ってMRIを7000円以上かけて撮らせられて、その結果が「生まれつきのもんだからどうもならないねえ、大病院で診てもらったらどうだろうか」という、およそ責任ある医師の発言とは思えないような無責任な物言いである。しかも「手術するかどうかも含めて、大病院に行って相談したらどうですか」と来た。こんなことを言われた患者は、見放されたと思うのが普通ではなかろうか。「私はここ(T医院)に来ているんだよ!」と大声が出そうになるくらいに憤慨した。
しかし、捨てる神あらば拾う神あり、で、私の落胆ぶりを見た妻がカイロプラクティクに行くことを勧めてくれ、翌日早速行って来た。
医師の見立てのメモも持参して。
その結果、単に首の骨が異常をきたしているだけではなく、腰の骨も背中の骨も一部へがんでいるという見立てである。
カイロの先生の説明は大変わかりやすく、納得のいくものであった。
医師が「生まれつきだからしょうがない」と言っていた症状も、よく聞くと「生活習慣で悪くなっている」と言い、さらにその具体的な原因まで分析してくれ、しかも他にも体調の悪いところがあるでしょう、と言って、それらも骨の状況と絡めて当ててくれた。
医師の処方した薬が途中で代えたのも含め、2種類服用したが、服んでも服まなくっても痛みの状態に変化が見られなかったのが、おかげでこのカイロの先生の言うとおり「コンドロイチン」なるものを服んだところ、少し痛みが和らいでいる。
マクラについても、私が使用してきたマクラでは、疲れが取れず、首の悪い緊張状態を余計に助長してしまうものだったようだ。(高いマクラを売りつける意図は今のところなさそうだ) その日の夜からマクラを換えてみた。
そんなこんなのカイロ先生のアドバイスを実行したら、かなり痛みが減った。
まだ完全に治ったわけではないが、徐々に快方に向っている。
こんなことも、願望が実現したことの一つとして記録しておいて良いだろう。
「夢ブログ」スタート!
ワタミ社長の渡邉美樹さんが「夢を叶える手帳術」というようなことを言っておられる。
その方法を応用し、昨年から自分の夢や願いを手帳に整理して書いておいてある。
仕事や家庭、健康などの7つのカテゴリーごとに、年間の柱となる目標、そして月ごとの途中段階での細かな到達目標、というふうな書き方をしている。
それらを実現していくことで、長期的には自分の方向性や夢の実現につながる。
これからこのブログでは、それらの夢の数々を現実化していくプロセスを書き綴って行きたい。
うまくいくかどうかは書いてみて生きてみての自分自身もお楽しみだ。(おおむねうまくいく!という信念は持っている)
まず今日は4月1日。
年度替わりであり、新しいものごとを始めるには大変良い日だ。
ブログの初めでもあるので、スモールスタートで4月の細かな夢をいくつか書いておく。
1.財務諸表を読みこなす力をつける
これまで24年間ある企業に勤めてきたが、いずれ独立したいと思っている。
その時に備え、少しずつ勉強しているが、どうにも財務系が弱いので、4月は財務諸表を読みこなす力をつけていく取組を開始したいと思っている。
2.ITC資格の更新手続をきっちりやる
ITC(ITコーディネータ)という資格を持っているのだが、更新のためのポイント取得がなかなか面倒である。それらを年度内にきっちりやり、それを踏まえて年度初めにITC協会のHPにて更新申請を行わなくてはならない。これを早めにきっちりやること。
⇒本日申請登録実施。OK。
3.ブログの再開
実は別のところで、京都や奈良の古寺を訪ねた探訪記のブログをやっていたが、大阪を離れて2年が経ち、写真は残っているが記憶がだんだんぼやけてきている。過去の訪問記憶をよみがえらせて書き連ねていこうと思っていた。自分の大阪生活7年半の足跡でもあり、実現させたいのはやまやまだが、いかんせん、過去のことであり、なかなか書けない。ということで、急遽このブログをやっていくことにした。
⇒一応、曲がりなりにもこのブログを立ち上げたぞ。OK。
ということで、今後、色々夢の実現に向けた話や、その他のよしなしごとを書き綴っていこうと思う。