書棚を整理していたら11年前の夏休みに書いていたノートが見つかった。
そのノートの存在は知っていたが、まっさらのノートだと長い間思っていた。
中に、1997年の7月に書いたメモが残っていた。
自己実現メモである。
時間をどう使おうかということが事細かに書いてある。
ウイークデイの夜8時に帰宅して以降、12時に寝るまでの30分刻みの、その日の仕事の振り返りやラジオ講座などの自己啓発。
金曜夜のゆったりとした読書の時間。
土日の日中は子供や妻などとの行動に充て、夜は自己啓発の時間。
それら自己啓発を通じて得るスキル。
そのスキルを活用して実施したいこと。
今の仕事内容ではとてもできないことの数々。
ちょうどそのメモを書いたあたりから私の時間は異様なスピードで回転を始めたようだ。
全然時間がとれなくなった。
あれから11年。
時間は戻ってはこないが、実現できたことも色々ある。
自己実現メモを作った時点では思いもよらなかった中小企業診断士という資格も取った。
マネージャーの経験もさせていただいた。
今回の転職を機に、あの時描いていて今も実現したいことを再確認して、新たな取組にかかろうと思う。
「実現したいことリスト」は自分を奮い立たせてくれるいいものだ。
書く、という行為、その文字を目にする、ということが自分の潜在意識への働きかけにつながり、その結果、実現に向けた何らかの行動に結びついていっているような気がする。
「足取り」カテゴリーアーカイブ
転職から2週間
新しい会社では取引先である中小企業の再生支援に携わっている。
携わってみてつくづく感じるのは、自分で何かができるわけではなく、お客様が自身でなんとか浮上しなくてはならないため、とてももどかしい。
こちらは金融機関であるので、数字でものを見るのが中心になる。
いつ健全になるのですか? というのが我々からの唯一最大の質問である。
そのために何ができるのか。
中小企業診断士として、またITコーディネータという資格を持つ金融マンとして、何ができるのか。
まだやるべきことがつかめない。
もちろん、お客様ごとによって対応すべき内容は異なるのであり、たとえば経営破綻の危険性のある企業に対しては、SWOTだの3Cだのということを言うよりも、一刻も早く、コスト構造を見直して計数管理をちゃんとやってその結果を報告して下さい、と言うのが最優先事項である。これについては診断士がどうのこうのと言っている場合ではなさそうだ。
ちょっと危ないかも、という企業にどう対応すべきか。
できる支援を行いたい。
当然その結果として早期に健全になっていただき、我が社にちゃんとしたリターンがある、というのが金融マンとしての目的だ。
勉強しなければならないことが山ほどある。
一気にできるはずがないが、一歩ずつ着実に自分のものとして、まずはこの組織で有用な人間にならなくてはならない。中途採用して良かったと思っていただける以上のリターンを返さなくてはならない。と思って頑張ろう。
新たな世界へ初出勤
今日から新しい会社に出勤。
午前中は社内のえらい人たちに挨拶、午後は取引先に挨拶。
ワクワクドキドキで迎えた初出勤だったが、ことのほか思いのほか疲れた。
知らない業界に来ているためもあり、単語から何からわからないことだらけだ。
しかし、先輩が親切に教えてくれるため、呆然と佇むということはない。
また、大変厳しい業界で、オフィスの中ではピリピリのし通しだが、会議のための資料作りに汲々とする必要がない。
しかも午後8時前には会社を出ることができた。(前の職場はいつも22時30分退社だった)
仕事の詳しい内容や取引先に関する具体的な話などは、当然のことながらここには書かない。
ということでとにかく初日が無事終わった。
明日以降また新たな「夢」の実現に向かった話題を沢山書き連ねていくことだろう。
夢に終わりはない。
新たな旅立ちに向けて
いよいよ転職。
今日はこれまでの会社の最後の日。
先週は一週間丸まる送別会続きで、毎日毎晩多くの人に挨拶をして回ったが、今日がけじめの挨拶である。
社内の人すべてに色んな意味でお世話になったが、全員に再度の挨拶はし切れない。
申し訳ないが、最低限、同じビル内の管理者全員と各職場の主な人々への挨拶が精一杯である。
皆さん、暖かく見送ってくれた。
ありがたいことだ。
しかし、これが喧嘩別れの退職だとどうなるだろうか。
考えるだにぞっとするし、自分自身、この2年間の激務を思うと、そういう退社の仕方をしても不思議ではなかったと思う。
後任の人事もままならなかったかも知れないし、二度と会社に足を運べないかも知れない。
そうならずに済んだのは、妻をはじめ色んな人のアドバイスがあったからであるし、また本などからもあるべき振る舞いについて学ぶことができていたからだと思う。
【参考書籍 『会社を辞める時刻表』吉田浩、中本千晶著 TBSブリタニカ】
24年と3ヶ月のこの会社での生活。
果たして、感極まるかな?と思ったが、意外にあっさりと皆さんに別れを告げることができたし、社を後にすることもできた。
自分は案外冷たい人間なのかも知れない。
いずれにせよ、明日からは新しい会社でまた新たな激動の日々が始まるわけである。
期待と不安、というよりも、どちらかと言うとわくわくしている。
そんなんで大丈夫なのか? うかうかしているとどこかで足をすくわれるぞ、という警告をもう一人の自分が発している。
でもあまり大きな不安はない。
不思議なくらい泰然自若としている。
なぜかはよくわからないが、これまでもまったく知り合いのいない職場へ3度4度と転勤しており、知らない人ばかりのところへ行くのには慣れている。
なんとかならぁ、ってな感じで捉えることができているのが、見知らぬ職場への転勤を繰り返させられたサラリーマンの強みだろう。
やりたいことが色々ある。
それへ向けての第一歩である。
しかしまずは、新しい会社での新しい仕事、新しい上司、新しい要求事項、新しい職場環境、新しい社外のお客様方などなど、新しいものづくめだが、それらに一刻も早く慣れ、自分らしさを打ち出していけるように環境をコントロールすることだ。
梅雨ではあるが、天気晴朗前途洋洋、と信じて、前へ、進む。
妻の助言
会社を移ったら、まったく新しい人間関係、業務内容その他、新たな苦労が発生するであろう。
自宅に帰ってからの勉強なども当然必要になると思う。
しかし、労働条件としては、今までの職場よりはかなりまともになると思われるし、そのように聞いている。
それほど、これまでの職場は異常であった。
毎朝8時にはデスクにいて仕事を開始して夜は終電で帰宅し、食事と風呂を終わったら深夜の一時、土日もどちらか一日分は丸々潰れてしまうという状態であり、自分の時間はまったくとれなかった。
やりたいことは沢山あるのに、全然できない悶々が続いていた。
ということなので、これまでよりは時間ができるという期待がある。
親のケア、妻子との会話、自分の趣味やスキルアップや実益など、時間ができたらやりたいことが山ほどある。
やりたいことリストを作らなければ!と語ったら、妻から「あんまりあれもこれもって考えない方がいいよ」とたしなめられた。
ふっと我に返った。
始める前からあれもこれもと考えていると、結局どれもできず仕舞に時間が過ぎていく可能性がある。
妻はそういうことを伝えてくれたのだ。
感謝。
まずは、新しい職場で人間関係を含む環境に慣れること、仕事を早く覚え戦力として立ち上がること、自分の生活のリズムを作ること。
やりたいことリストを作っておくのはいいが、実際にやりたいことをやるのはそれからじっくりと、というふうに少し長い目で捉えるのがいいだろう。
あせらぬこと、だ。
夫婦円満の秘訣
尊敬している夫婦がある。
妻とも、結婚前から、あんな夫婦になれたらいいね、と理想像として描いていた夫婦である。
もちろん、内実はわからない。
色んなことがあると思う。
当然切った張ったの夫婦げんかもあろう。
別れ話だってあったかも知れない。
しかし、夫唱婦随というか、お互いのいいところを認め合って、役割分担をきっちりなさっていて、でも柔軟にそのときの状況に応じて、やっておられる。
しかもそのベースはお互いの揺るぎない信頼感なのだと思う。
その夫婦のご家庭に、10年ぶりぐらいで訪問した。
夫は65歳、妻は60歳である。
もちろん、まだお二人とも全然ボケなどとは無縁に見えるが、忘れるということはあるようだ。
そのために、若い頃は「言っただろ」「聞いてない」というケンカが結構あったようだが、最近はそういうことによるケンカの愚を避けるため、「言った」「言わない」ということが元での言い争いはやらないことに夫婦で決めているんだそうだ。
ものすごく賢明なことだと思う。
知恵だな、と思う。
そんなことで時間を潰し、お互いぎくしゃくするくらいなら、「あ、伝わってなかったっけ? じゃ、これ頼みたいんだけど」と、そこからリセットして再開すればいいのである。
聞いてなかった方も「うん、わかった」と素直にそこから始めれば良いのである。
争いをしようがしまいが、その時点では何もできていないのだから、ムタムタとケンカで時間を浪費するよりも余程良い。
仕事で「聞いてなかった」とか「そういうふうには理解していなかった」というのは許されないし、そんなことを言った瞬間に<社会人として失格>という烙印を押されかねない。
しかし、本当に「聞いていなかった」あるいは「そうは理解できなかった」ということがあるのが人間の社会の常であるので、相手に伝わらなかったのは相手がアホなのだ、相手が悪いのだ、と一方的に他者を責めるのではなく、自らの伝え方に問題がなかったか、と振り返る契機にすることはできるかも知れない。
それが人間関係を円滑に回す秘訣かも知れない。
もちろん夫婦ほどうまくは行かないかも知れないが、ちょっと引いて考えることはできるのではないか。
そんなことを考えさせられた先輩夫妻の一言であった。
帰路、車の中で、いいことを教わったねと妻と反芻した休日であった。
珍しい「健康十訓」
ある居酒屋での発見。
3週間ほど前に金沢で懇親会があり、そこのトイレにあまり見かけない「人生訓」めいた、でもちょっと毛色の違う少しおもろい文句が達筆で書いてあった。
店の人に、あのトイレの貼りもの、面白いねえ! 一枚分けてもらえない? とお願いしたが、トイレの分しかないので分けられませんとのつれない返事。
う~ん、残念、でも欲しいなあ、と思っていたら、それから3週間して、富山市内でのある懇親会の席上。
店に入ってふとテーブルの上を見たら、どこかで見たような文句があちらこちらにあるではないか。
なんと金沢で見たのと同じ「健康十訓」がコースターに印刷され、みんなの席に配ってある。
恋焦がれていた憧れの君に会ったようなうれしさを覚えた。
内容は次の十項目である。(括弧内は私の勝手なコメントです)
1.少肉多菜(よく言うベジタリアン、でしょうか)
2.少塩多酢(塩分よりも酢)
3.少糖多果(果物の糖分も結構怖い場合もありますが・・・)
4.少食多噛(なんて読むのか不明だが、死んだじいさんが晩年は一口分で36回噛んでいたと聞きました)
5.少衣多浴(薄着で風呂好きがいいのだとか)
6.少言多行(不言実行に近いか、最近は有言実行がいいとも言いますね)
7.少欲多施
8.少憂多眠(案ずるより生むが易し、眠って、ヤなこたあ忘れましょうや)
9.少車多歩(健康の第一歩ですね)
10.少憤多笑(怒らなアカンときは怒れ、でも怒りを持続する時間があったら北風にならず太陽を目指そう)
参考になる部分がありましたらご参考に。
マネージャーとしての責任のようなもの
今行っている会社では、販売推進という仕事をしている。
色んな商品の販売を、様々な流通チャネルを通じてどうやって販売していくか、について、計画から進捗管理、施策による支援など、色んなことをしている。
これまで、上司もその上の上司も、私がそういう全体を見る立場のために、流通チャネルのマネージャーに言うべきこと、各マネージャーの責任範囲のことまで私に指示することが多かった。
そのため、各マネージャーは自分の職掌であるにも関わらず、自分のことではないような受け止め方をしており、販売目標の数字に関しても、なんだか与えられたもので責任をもって数字に執着して取り組まなくても、また結果が伴わなくても別にかまわないと思っているとしか思えないような言動が感じられた。
この仕事を2年やってきて、各マネージャーが自分の責任範囲のことを自分の言葉で語らなかったことがもどかしかった。
部下への指導もあまり事細かに行っていたとは思えず、いい子ちゃん課長をやっているのが見えていた。
しかし上司の手前、彼らを非難するとこちらに全部倍返しで返ってきたので、それもできず悶々としていた。
ここへきて、彼らのマネジメントが手ぬるいのではないかということに、上の人たちが気づき始め、ものの言い方、接し方が厳しくなってきた。
私も辞める間際になって歯に衣着せず、はっきりと彼らに批判を加えるようになってきた。
今日の会議では、初めて彼らが自分の言葉で自分の職掌範囲を責任をもって取り組むというものの言い方になってきた。
それも、複数のマネージャーが一斉に、である。
ようやくマネージャーがちゃんとマネジメントする意思を見せてきた。
ここまでくるのになんと2年もかかった。
この職場での私の仕事がようやく終わった、という感じである。
これでこの職場は今までと変わり、少しはボトムアップができ、全体的に盛り上がっていくと思われる。マネージャーが自己責任を認識し、しっかりすれば、良い組織になるはずだ。
もっと手早く彼らを変革できなかったものか、という悔いはある。
自分の取組方が誤っていたのではないかという反省はしなくてはならない。
しかし過ぎたことは取り返しがつかない。
今後のために、自分のやり方、人への接し方の厳しさ・甘さ、色んなことを振り返り、今後の人生の糧にしたい。
採用決定
今日、志望先の会社から「役員会であなたを採用することが正式に承認された」との電話が入った。
いよいよ正式に退社と入社の手続に入っていくことになる。
妻から「後悔はしていないの?」と確認の声かけ。
「後悔はしていない。なんで聞くの?」
「後悔していたら良くないと思うから」
「だったら大丈夫。前に進むだけだ」
というような次第で、明日、今の会社に辞表を出し、明るく退社宣言をする。
(ここで大事なのは、決してうらみつらみを表に出さないこと、仮にあったとしても、だ)
ところで、転進までまだ1ヶ月ちょっとある。
使い切っていない有給休暇は山ほどあり、即休みに入ってもいいくらいだが、今の仕事を中途半端な状態で離れると部下や同僚に間違いなく迷惑がかかる。
立つ鳥として後を濁すのは本意ではない。
全部をやりきることなどは永遠にできないが、極力最後まできっちりやっていきたい。
1週間ぐらい休みをとってリフレッシュとか、切り替えに向けた勉強の時間とかに充てようかとも思ったが、今の会社もちょうど6月一杯で一つの切り替えがあるので、自分の楽しみのためにこれまで同じ釜のメシを食ってきた間柄の仲間に苦しい思いをさせるわけにはいかない。自分の品格・人生観の問題だ。
自らの尊厳のため、自分を誇りに思えるようきっちりやっていこう。
(と言いつつ、状況が許す限り、休みも取ろうとは思うが)
レーシック手術について
入浴や海水浴、プールでの泳ぎ、ジムでのトレーニングなど、生活の中の色々なシーンで眼鏡があると邪魔に思う場面が多い。
しかし近視のためにやむなく眼鏡に頼る生活を、かれこれ30年以上続けている。
できれば日常生活で眼鏡に頼らなくても良いようになりたい。
レーシックという近視治療手術の方法がある。
その手術を受けようと、富山県高岡市にあるOという眼科に行った。
実はこの手術、私の記憶では、既に20年以上前に、ある雑誌で「ソ連では20年以上やっている」と詳細な記事が載っているのを見て、日本で普及するのを心待ちにしていたものなのである。
つまり世界的には、もう40年以上実績のある手術方法なのだ。
理屈は簡単で、眼球の表皮をうすくむいて、その結果眼球全体を一回り大きくするのと同じ効果を出すことで、遠くまで焦点が結べるようにするというような感じのものだ。
そのためにレーザーメスで眼球に傷をつけ、皮をむく、というやり方をするらしい。
医院では、約1時間にわたって、十数種類の検査が行われ、その後結果の説明を含め、医師との面談が行われた。
しかし結果は、検査結果の説明もないまま「お勧めしません」と来た。
「あなたの年齢は、一番難しいんです。」という。
なんのことかというと「手術をした結果、遠くを見るときは眼鏡は使わなくても良くなりますが、手元の書類を見るときは逆に老眼鏡が要ります。あなたぐらいの年齢では、外回りの営業職で書類などの中の仕事がほとんどない人や、スノボやゴルフなど眼鏡をしていることで不利になるスポーツが人生の中心だという人の場合は効果があるが、あなたのように事務職の人にとっては、結局眼鏡が手放せません。老眼はこの手術ではカバーできません。そうなると、使い慣れた近視用のメガネがいいか、新たに老眼鏡にするか、の選択です。そういうわけでお勧めしませんが、よく考えて、どうしてもやりたいということであれば、また連絡下さい」
そういうわけで、結局この日は手術の予約は行わず、帰ったわけだが、一日経って、車の運転をしたり、銭湯に入ったりすると、やはり眼鏡の不自由さを感じる。
近く仕事を変わる予定だが、その内容等を見つつ、また老眼鏡を使う先輩諸氏の意見などを聞いて再考しようと思う。