数年前に友人から紹介された本、小出宗昭氏の『カリスマ支援家「小出宗昭」が教える100戦100勝の事業サポート術』をようやく読んだ。
この人は静岡銀行の出身で経営支援の仕事に携わった末に公的支援機関に出向し、4年ほど前に独立されて企業支援の仕事をしつつ、最近は政府の中小企業施策を担うナントカ委員とかいうのも務めておられる。
そういう人なので、公的機関におけるコンサル手法の本かと思っていた。そういう要素もあるにはあるが、この本の底流にあるのはご自分の後輩たちである、現役の金融機関職員に対する熱いメッセージだと感じた。
つまり金融機関が地域の経済を時間をかけてでも活性化していくためには(それが長期的な経営基盤の強化にもつながるのだが)、これまでのような「融資可能可否」を決算書から判断するという単眼的なものの見方ではなく、経営者や企業としっかり向き合ってその光るポイントを見出し、お金以外も含めた支援ができるようになって欲しい、というメッセージである。そのことを繰り返し巻き返し、本の中で何度も訴えている。とはいえ現実の金融機関は営利企業であり、長期的な取組みだけやるわけにもいかず、企業支援というものは現実的にはやはり公的機関に恃むところ大であろう。
コンサルの進め方や心構え、日ごろの勉強方法や経営者との接し方など、学ぶべき点も多い良書であった。
「読んだ本」カテゴリーアーカイブ
冲方丁さんの『天地明察』
小説というのは、読み始めとか途中の展開や転換、クライマックス辺りまではいいんだが、エンディング近くになると、離れがたい気持ちに、往々にしてなる。
この『天地明察』がまさにそういう小説であった。
この小説は大阪の友人から薦められて読んだものだが、初めの頃は出てくる言葉が難解この上なく、さてどうなることか、と心配もしたが、ストーリーが面白く、ついつい引き込まれ上巻は一気呵成に読んだ感じだった。
渋川春海の純朴さとひたむきな向学心。作成した問題の誤りに気づいたときの潔さ、それを暗にほのめかした関孝和の深い配慮。素晴らしい江戸人の誇りと気高さに涙が出た。
さらに北極星を見ながら日本各地の測量をしていく際の、先輩学者たちの純粋さ。想定が当たったときの子どものようなはしゃぎよう。
まるで映像を見ているような、冲方丁という作家の筆さばき。
映画化されたがゆえに余計にかも知れないが、岡田准一さんがこんなふうにボケてるんだろうな、とか、宮崎あおいさん演じる「えん」のにらみ顔など、容易に頭に浮かぶので、小説を読んでいるというより、映画を観ているような気にさせてくれる小説だ。
幕末維新の折、日本が砲艦に脅かされつつも、結局は欧米列強に植民地化されずに済んだのは、この時期(江戸時代初期)に、既に高度な算術の知識・技術を持っていたこと、に象徴されるように、日本の学術・技能のレベルが極めて高かったことが大きいのではなかろうか。
私たちにはそういう学術能力が伝承されているはず。
もちろんそれらは、他人の知識の受け売りのみでなく、自分たちで工夫したり新しいものを生み出すオリジナリティも大いにあるはずである。
苦難の続く日本の政治経済情勢ではあるが、こういう爽やかな生き様をしなきゃ、と心から敬意を表しつつ、この素晴らしい人物たちが織り成す日本のDNAを背負って、みんな頑張りまっしょい。
和田秀樹さんの『テレビの大罪』
和田秀樹さんの『テレビの大罪』(新潮新書)を読んだ。
<<(元不良がテレビに出て)「子どもがグレても、ほっといたほうがいいっすよ」などという言葉を信用してしまった親は、一体どうなるでしょうか。それで子どもが人を殺してしまったり、親が家庭内暴力で殺されたりしてしまったら、テレビはどう責任を取るというのでしょうか。>>(本書より引用)
という一文がある。極端なたとえかも知れないが、テレビにはそれだけの影響力と責任があるはずだ。この本を書いて、著者の和田秀樹さんは、その後マスコミからオミットされている由。
しかし書いてあることは正しい。
テレビは「二分割思考(白か黒しかない、と断定する考え方)」を助長し、正常な判断ができる大人が持っている「認知的複雑性(中間にグレーがあり、濃いグレーから薄いグレーまで様々あるという、可能性の多様性を理解する力)」を弱めている、と主張される。
最近のテレビには見るに耐えない下劣な番組が多すぎて、とても見られたもんじゃない、という話をよく聞く。その感覚は健全なことだと思う。もちろん、全てのテレビ番組がそうだとは言わないが、お笑い・社会・政治・経済・健康ものに対する注意が必要なこと言うに及ばず、情報番組や歴史検証ものなど、比較的、偏見で作られる可能性が低いものでも、盲信してはいけないぞ、という感性は必要だと思う。
若い人たちにも一読を勧めたい本だ。
高田崇史さんの『カンナ 飛鳥の光臨』
高田崇史さんの『カンナ 飛鳥の光臨』。
蘇我馬子と蝦夷と入鹿の三人分の仕事を、聖徳太子という仮設(仮に設定)の人物の業績にしたのでは?という仮説(仮の説)を下敷きにした推理小説である。
既に聖徳太子=推古天皇=蘇我馬子という説は人口に膾炙されており、特段奇矯な説ではないものの、そこに至る推理の展開の仕方や、法隆寺金堂の釈迦三尊像が蘇我氏三代(三人)の崇りを鎮める目的で“三体”なのでは?という考え方などは面白い着眼点だと思った。
一話完結ではなく、犯人やその目的や背景などいろいろなものが次回以降に引き継がれてしまっているので、ありゃりゃ、また続きを読まなきゃいけないのか、と面食らったが、面白い小説であった。
東川仁さんの『仕事につながる人脈術』
正しくは『依頼の絶えないコンサル・士業の 仕事につながる人脈術』という書名である。
東川仁さんという士業で独立をする人たちのためのコンサルをすることを生業とされている方の著作だ。
たまたま「企業診断」という雑誌でセルフブランディングというテーマの特集を読んだ勢いで、会社勤め=組織人といえども自己のブランディングは大切だと思いながら、その勢いで、先日購入したこの本を読んだ。
自分を売る、ということは、およそ客商売をする仕事である以上、欠かせないものである。
もちろん、組織に属している以上は、その組織の価値観を共有し、それをお客様や仕入先に対しても伝えている使命があるし、それに共感していただいた人や組織と一緒に仕事をしていくべきものである。
ではあるが、組織の一員としながらも、お客様は単にコーポレイトブランドだけを買うわけではない。
店頭売りの商品ならいざ知らず、金融サービスや耐久消費財、生産財などは、対面販売であり、セールス担当者から買うことが多い。つまり、「人」が購買を決定する要素の一つであるこおてゃ間違いない。
といったような文脈を踏まえ、この本は、とても具体的で実践的で刺激に満ちた内容満載であった。
例をいくつか。
・オリジナルのポストカードを作る。
・事務所便り=自分ニュースを作る。
・きどにたてかけし衣食住(これは世間話の常套手段)
・自分のほめられた経験=それが自分の強みであり、それらをしっかり意識することが大切
・ナナメ人脈の活用、ナナメ人脈とは、業種も年齢も違う層の人々である
・人脈つくりとは、畢竟、周りの人を大切にすることである
などなど、ためになることが大変多い本であった。
モレスキン 「伝説のノート」活用術~記録・発想・個性を刺激する75の使い方
ずっとシステム手帳を使ってきた。
学生時代から就職してしばらくは「能率手帳」だった。
が、普通に忙しくなってからはシステム手帳の愛用者となった。
途中、野口悠紀雄さんの「超」整理手帳を手に取ったり、A5ノートの利便性にはまったりしてきたが、手帳本来の携帯性と柔軟性の両方を兼ね備えたシステム手帳(リフィルの入替で、たとえば1ページに1日分しか書けないスケジューラを使うこともできれば、それほど分刻みのスケジュールでなければ1週間分が1ページに入ったスケジューラでもいい、という柔軟性がある)に最後は軍配が上がった。
しかし2年ほど前から気になっていたのが、この「モレスキンノート」である。
まず本を買った。
この本も、出版されて間もなく、書店で立ち読みをし、その後もずっと気になっていた本だ。
気になる気になるがどんどん昂じて、やっぱりあの本を買わなきゃ、と思い、先週購入。
内容は、モレスキンに限らず、およそ手帳の使い方として考えられる色々な活用方法が書いてある。
手帳好きにとっては大変面白い活用方法満載の本である。
で、先週末、遂に文具店に行き、モレスキンノート(という名の手帳)を買い求めた次第。
最初に買ったのは方眼状のタイプである。
これに「ローディア」のメモを貼ったり、普通に書き込みをしたりしている。
最近の朝の日課は、日経新聞に載っている気になる単語をさらりと書き付けるという営みである。
立ったままでメモ帳に書き込みができるのがこのモレスキンノートの大きな強みだ。
しかしスケジュール管理については、従来のシステム手帳を相変わらず持っている。
私は元来仕事もプライベートも一つのスケジューラ・一つの手帳で管理してきた。
となると、現在のシステム手帳+モレスキンノートというのはやりにくくてしょうがない。
というわけで、最近発売になったらしいモレスキンの18ヶ月ダイアリータイプのものを注文した。
さて、今回のモレスキントライアルは、これまで時折やっていた「浮気」に終わるか、それとも本格的にシステム手帳からの卒業となるか、1年半後が楽しみである。
決算書分析の入門書『 「俯瞰」でわかる決算書』
著者は中村亨という方で、どうやら富山県出身らしい。
私より随分若いのだが、とてもわかりやすい本である。
職場の先輩から、決算書の分析、資料作りはこんなふうにやって欲しい、ついては是非一読を、とのお薦めを受けてアマゾンで購入して読んだ。
とても読みやすく、わかりやすい本だ。
詳細な分析を好む人にとってはかなり物足りないかも知れないが、細かなところばかり見すぎて、「森」が見えなくなってきたあたりの私にとっては新鮮で良かった。
物事はまずは大掴みから入る、という原則が大切である。
PL(損益計算書)は、粗莉、営業利益、経常利益、これらを経年比較、同業種他社比較をして、特徴を掴み、そこから気になる大きな数字を深堀する。
情報技術の世界でいう「ドリルダウン」である。
BS(貸借対照表)は純資産、固定負債、流動負債と流動資産、固定資産をブロック(固まり)としてイメージし、返済がしやすい資産状況かどうかを判断する。
但し、資産の中には不良資産が混じっていることがあるので、棚卸資産の信憑性、貸付金の回収可能性や投資資産の本当の資産価値など、大きな数字などはしっかり中身を把握して実態を掴む必要がある。
CF(キャッシュフロー)は、営業CF、投資CF、財務CFの順に見ていく。
営業:+、投資:-、財務:-、という感じがいいのだが、企業の成長段階で必ずしもそうでなければならないということはなく、対象企業が、いわゆるライフサイクル上のどこに位置するかを考えながら、CFを見る、という視点が大切。
そんな基本を再認識させてくれる良書であった。
『インシテミル』を読み、映画も観た
速読の一環で、たまに小説もいいかなと思い、先日米澤穂信さんの『インシテミル』という小説を読んだ。
次男が映画を観たという話を聞いていたので(次男は藤原竜也さんのファンだったと思う)、共通の話題ができるかな?という思いもあった。
小説は、内容は書かないが、ぐいぐい引きつけるような迫力があり、早い速度で読んだけれど、なかなかスリリングで面白いものだった。
読んだ数日後に、以前録画しておいた映画の「インシテミル」を観た。
昔の角川ではないが、読んでから観るか、観てから読むか、である。
小説は飛ばし読みをした関係で、少し理解が不十分な点もあったが、映画を観てすっとわかった。
しかし、映画は2時間程度にストーリーを映像を交えて詰めなければならないせいか、小説の方が面白かったと思う。
よくあることで、小説のエンドと映画のそれも違っていたし、ストーリー展開も少し変えてあった。それは特に違和感はなかった。
映画の俳優はいずれも今の日本の主役級の人々で、豪華なキャスティングであった。
(藤原竜也さん、北大路欣也さん、綾瀬はるかさん、石原さとみさん、平山あやさん、石井正則さん、武田真治さん、片平なぎささんらである。)
米澤穂信さんの本はまた読んでみようかと思う。
小説、映画、どちらもお勧めである。
三上延さんの『ビブリア古書店の事件手帖2』
1冊目に続いて、2冊目も大変面白かった。
明るくリラックスできる推理小説だ。
疲れた時の癒し本、って言ったら著者に失礼だろうか。
主人公と店主の関係が少しずつ狭まってきているのだが、できればこのままプラトニックな関係が続けばいいなあと思っている。
3冊目、4冊目も楽しみにしている。
医学者・中田力氏の『日本古代史を科学する』
中田力という方(医学者・・・相当権威のある方らしい)の『日本古代史を科学する』という本を読んだ。
この方が医学者であるということと、本の内容は直接の因果関係はない。
しかし、これまでの歴史学者とはまったく異なるアプローチで、邪馬台国や出雲王朝の成り立ちを解き明かそうという試みであり、大変興味深く、面白く読ませていただいた。
日本古代史好きにとっては、たまらなくロマンを掻き立てるテーマである。
といってもこの著者のアプローチはロマンで行われているわけではない。
ま、能書きはともかく、魏志倭人伝にある「方三百里」とか「陸行何日」とかいうのを、たとえば、一理を何キロという今風の距離感ではなく、当時の色々な資料に当って、せいぜい60~70メートルだ、という比定をして、そこから、最終的には、邪馬台国は宮崎県の日向灘辺りだ、と推論づける。
また、染色体科学や中国の王朝の興亡をひもとき、「奴」国も、邪馬台国も、出雲も、いずれも中国南部の「呉」や「越」の戦争難民が逃れてきたという推論を行っている。この中で検討されているヒトの染色体、それと、米の染色体を連動させて、理論づけている考え方がとても面白く、推理小説を読み進むようなワクワク感がある。
ずっと「科学的」と言い続けておられるのだが、最後の方は、「検証が難しい」と言って、多分に思いで書いておられるようなところも多いが、それは日本古代史の霧の中のことを考えるためおのずと限界があろうと思う。
それでも十分頷けるところの多い、新たな日本古代史論であると思う。