塩野七生さんの『ローマ人の物語29(文庫)』

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 塩野七生さんの『ローマ人の物語』、文庫版の第27巻、28巻を読んだのがもう4~5年前のことになります。
 第29巻からはローマ帝国の晩年に入っていきます。サブタイトルが「終わりの始まり」。
 物語は上を向いて進んでいく最中は書き手も楽しそうな言葉が躍っているし、それを読む私たち読み手もワクワク感があります(秀吉や信長などに関する書き物に対する個人的な印象です)。
 この『ローマ人の物語」もカエサルやアウグストゥス辺りの筆致はとても明るい感じなのですが、ティベリウス以降はちょっと事実を丹念に記述することにエネルギーが費やされているような少し下り調子な印象を受けます。
 そのためか前半とは著しく読書テンポが落ちてしまっています。
 今回の主人公はマルクス・アウレリウスです。
 この人は哲人皇帝と言われ『自省録』というストイックな哲学の本を書いており、第29巻においてもあちこちにその内容に触れられています。こりゃあ『自省録』を読まないと先に進みづらいなと感じてしまい、『自省録』を買うまでに数年かかってしまいました。先だって読み終え、ようやく第29巻再開となりました。

 さて。
 世界史では「ゲルマン民族の大移動」の時期を西暦375年( み な ご そっと移動)というふうに覚え、それが長期的なトリガーとなってローマ帝国が滅びた、と教わった記憶があります。
 塩野さんのこの本にはこういう記述があります。
 「番族の首長たちが首都を訪れ、彼らから皇帝に、帝国の支配下に入って他の属州民と同じ立場になりたいという申し出がなされた。しかし、皇帝は、ローマ帝国に何の効用ももたらさない人々を受け入れるわけにはいかない、と答えて、この人々の申し出を断った。」「これこそが、時代の変化の予兆であったのだ。紀元160年といえば、アントニス・ピウスの治世の最期の年で、この「慈悲深き人」は翌年に死去し、紀元161年からの皇帝はマルクス・アウレリウスに代わる。」「マルクス・アウレリウスも、この一事が時代の変化の予兆であったことに、気づかなかったということになってしまう。」(P197~198)
 「紀元170年の春を期して、ローマ軍はドナウを渡りダキアを北上し、大規模な攻勢に打って出た。」(P215)
 「ローマ軍の攻勢がダキアの北に集中しているスキを突いて、ちょうどその両脇にあたり地点からドナウ河を渡ったゲルマンの二部族が、実に大胆な行動に出ていたのだった。」「ウィーンの軍団基地を避けてそのはるか上流からドナウを越えたマルコマンニ族は、ローマ領内に入った後もひたすら南下してアクィレイアを襲撃した。」(P216)
 「リメス(防壁)破らる!の報が、帝国の西方に波のように広がっていった。」(p218)

 塩野さんがこの先どういうふうな話しの展開をなさるのかは読んでみないとわかりません。
 私の推測では、これらの記述が次のようなことの伏線になっているのではないかと感じています。
 カエサル以降、ローマは統制の取れた強い軍隊を持ちつつも、恭順してくる他部族に対しては、生存を認め、部族長にはカエサルという名前を与えることすら行い、農耕を進め定着を促し、闘う必要性をなくしてローマ化していったという平和維持のやり方を採っていたのに、このアントヌス・ピウス、そしてマルクス・アウレリウスは「ローマ帝国に何の効用ももたらさない」「撃退すればよい」という考え方で時代の変化にあった判断をせず、排外的で内向的な政策を取ってしまった・・・。
 つまりこれまでローマを発展させ安定させてきた価値観の一つである「寛容」と反することを時の皇帝が行ってしまったことが、近隣諸国の態度を硬化させ、それがゲリラ戦を招き、長い国境線を維持することによる疲弊と国力の低下をもたらしたのがローマの崩壊の遠因だ。

 少し遡ったところにこのような記述があります。これはアントニヌス・ピウス治世5年目に行われたアリスティデスという学者による演説からの引用です。
 「ローマは、すべての人間に門戸を開放した。それゆえに、多民族、多文化、多宗教が共生するローマ世界は、そこに住む全員が、各々の分野での仕事に安心して専念できる社会をつくりあげたのである。・・・中略・・・ローマ人は、誰にでも通ずる法律を整備することで、人種や民族を別にし文化や宗教を共有しなくても、法を中心にしての共存と共栄は可能であることを教えた。・・・中略・・・かつての敗者に対しても数多くの権利の享受までも保証してきたのである。」(P25)
 ピウスの晩年の判断は、果たしてこのローマの価値観からしてどうだったのだろうかと考えてしまします。

 塩野さんはこの巻でもカエサルを高く評価しています。
 「カエサルは天才だ。そして、天才とは、他の多くの人には見えないことまで見ることのできる人ではなく、見えていてもその重要性に気づかない人が多い中で、それに気づく人のことなのであった。」と。
 このような記述によって、五賢帝最後の2人が国境線の向こう側で起きている変化に気づかなかったことを問題視しています。

 彼らがカエサルのような天才ではなかったからだ、と言ってしまえばそれまでですが、この2人の皇帝はともに首都ローマからほとんど出ることなく過ごしていたようです。その前のハドリアヌスが皇帝時代の大半を前線の点検・対策・点検(PDCAで言うところのC⇒A⇒Cの繰り返し)に費やしていたのとは大違いです。
 つまり、問題は現場で発生している、又は発生し得るということを感覚的に知っていてそれへの対応をしっかり行っていた前帝とは異なり、これら2人の皇帝は残念ながら現場を見ずに過ごしていたがために、現場の問題に気づけなかったのではないか、という仮説が考えられます。

 「現場を見ず現場の問題に気づかなかったこと」そして「伝統的な寛容の精神と反する力技だけに頼ってしまったこと」これらがローマ帝国を崩壊に導く序曲となったということをこの先塩野さんが書いてくれていそうな気がします。・・・第30巻へ続く。

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アン・マンスフィールド・サリバン『愛とまごころの指』、ヘレン・ケラー『わたしの生涯』

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 ある介護事業所のコンサルをさせていただいています。
 最近は介護保険料の切り下げなどの影響もあり、経営環境が厳しくなっており、当該の事業所は高齢者福祉の仕事だけでなく、障がい者福祉の仕事へ乗り出しておられます。

 そんな縁もあって、障がい者福祉事業の参考にと思い、三重苦を乗り越えて活躍したヘレン・ケラーとサリバン先生の本を手に取りました。

ヘレンケラー本写真

 2歳で視覚と聴覚を失い、わがままに育ったヘレンの心の闇をサリバン先生が徐々に取り除いていく物語です。
 出会いの当時、サリバン先生は若干20歳、ヘレンは7歳になる直前だったといいます。
 サリバン先生っていうとおばさんのイメージがありましたが、この若さにびっくりしました。

 さらに驚いたのは、サリバン先生自身が一時期視力を失っており、家族の死などもあって精神病院で極度の引きこもり状態になっていたということです。幸い病院の看護婦さんがサリバン少女のことをとても気にかけてくれ、ようやく心を開き立ち直っていき、目の手術をして視力を回復させ、ついには20歳で教師になったという凄まじい前半生を送った人だということです。
 ヘレンはサリバン先生に指に文字を書いてもらうことを通じて、全てのものには名前があることを理解し、やがて言葉を発するようになり、さらにはタイプライターで文章も綴ることができるようになり、人前での講演などもできるようになります。とてつもない苦労の末ハーバード大学の女子学部を24歳で卒業します。
 この間サリバン先生はほとんどつきっきりで本を指話で翻訳し、授業で行われる講義も指話で伝えていたそうで、サリバン先生にも学位を与えるべきではないかという話も合ったくらいだそうです。
 と言ってもサリバン先生が初めから成人君主だったということではなく、本人が手紙の中で語っていますが、最初は生活の糧を得るため、母校の指示で勤務先(ヘレンの家)に赴任したというような、ごく日常的な関わり方から始まったようです。

 全ての人かどうかは私にはわかりませんが、「今より良くなりたい」「色んなことを知りたい」「愛をもって人と接したい」という気持ちをヘレンも心の深いところに持っていたようです。その気持ちをサリバン先生は言葉を教えることと躾を通じて呼び覚ましたようです。
サリバン先生の手紙より(サリバン先生の手紙より)

 可能性があればやってみようというのがサリバン先生の基本スタンスだったうようです。生きている限り前へ進め、という意思の大きな力をこれらの本から教わりました。

 私の仕事である企業との関わりにおいても、良い所を見つけ、前へ進める勇気を奮い立たせられるようなお手伝いができるよう心がけたいと思います。

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小山昇さんの『1日36万円のかばん持ち』

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 株式会社武蔵野の社長ということで本を何冊も上梓されている小山昇さんの最新刊です。
 忙しい社長業の傍ら、よくこんなに沢山本を出せるもんだと感心します。
 それでも毎週日曜日はきっちり休暇を取っておられるようだし、睡眠時間もきっちり7時間以上とっておられるとのこと。よほど高効率で仕事をなさっている。それこそ秒単位のスケジュールだし、電車に乗る時も降りた後の移動行程と移動時間を考えながら乗るという徹底ぶりです。

 さてこの本は、小山さんの思考・行動をそばでかばん持ちをしながらつぶさに体感し、その経験を自分自身の経営に活かすために、1日36万円×3日=108万円の授業料を払ってかばん持ちを名乗り出た色々な会社の経営者の感想などを基に、小山さん自身が編集した実践的経営指南書です。
 副題には「三流が一流に変わる40の心得」とあり、このプロセスから出てきた小山流経営哲学が40項目にわたって実例とともに書いてあります。

 私自身は人材育成に関心があるため、<心得16 離職率を下げたければ、「1日1時間以上」社員をほめなさい>や<心得22 ストレスに負けない社員をつくるたった「2つ」のこと>などを特に興味深く読ませていただきました。
 その他にも、キャッシュフロー経営の重要性について書かれた部分や金融機関との効果的な付き合い方、幹部社員のうまい使い方、など、熟練の経営者ならではの智慧がふんだんに盛り込まれていました。

href=”http://teamwakuwaku.com/blogdb/wp-content/uploads/2016/05/小山昇.jpg”>小山昇

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樋口陽一さんと小林節さんの『「憲法改正」の真実』

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昨日は憲法記念日ということもあって、新刊の本書を紐解きました。
憲法っていうのは色々な法律の親玉のようなものだと漠然と思っていました。
しかし、確かにその側面はあるものの(あらゆる法律は憲法に反してはならないので)、それ以上に大事なことは、憲法と法律は相当異なった役割を持っているということでした。(憲法は国民の権利を守るために権力が暴走しないように権力を縛る、法律は憲法の範囲内で国民を縛る)
そういう憲法の基本的な役割を本書を読んで初めて理解できたような気がします。
中でも、個人が生まれながらにして基本的な人権を持っているという、私たちの憲法に書かれている人類の普遍的な価値観は、これからも大事にしていきたいものです。
この価値観は、交流分析の哲学で言うところの、①人は誰でもOKである。②人は誰もが考える能力を持っている。③人は誰でも自分の運命を自分で決め、そしてその決定はいつでも変えることができる。という個人の尊厳を大事にする考え方と極めて共通しているようにも感じます。

憲法改正の真実

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黒田邦雄さんの『裸のマハ』(映画脚本より)

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 以前どこかで<面白い映画だ>と聞いたような記憶がかすかに残っていました。たまたま手に入ったので読んでみました。
 映画の脚本を基にして黒田邦雄さんという人が著した本です。

 一人の女性を描いた肖像画。
 「裸のマハ」というのは後世につけられた名前だとか。
 絵は裸体のものと衣服を着用したもので同じポーズのものが2種類あり、絵が描かれた18世紀末は女性の裸体の絵などは極めて不道徳であり、唯一ベラスケスが描いた「鏡のヴィーナス」という後ろから裸像を描いたものぐらいで、正面から描いたものなどなかったそうです。
 そのため絵の依頼主であるスペインの宰相マヌエル・デ・ゴドイは衣服を着た絵との2枚を制作させ、額縁の中に二重に入れておき、着衣のものを表側に、裸体のものをその後ろに配置し、自分が見たい時だけ着衣の絵をスライドさせて抜き取って見られるようにしていたとのことです。

 絵を描いたのは、かのゴヤ。
 ゴヤとゴドイは大変仲が良かったそうです。
 しかし「マハ」という人物が誰なのか、実際のところよくわからない。
 ゴドイという依頼主は当時の王妃マリア・ルイーサの寵愛を受けて25歳の若さで宰相になった元近衛兵。彼は王妃だけではなく貴族の公爵夫人とも深い間柄にあり、しかも奥さんがいて、さらには愛人までがいたという人物。王妃と公爵夫人の間を3日がかりで馬を駆けて往復していたというから相当タフな人ですが、一体いつ政治をしていたのか・・・。
 ゴドイが描かせた「マハ」はどの女性だったのか、そして権力と愛をめぐっての争いの最中で毒によって命を落とす女性、殺人か事故か自殺か。宮廷を舞台に幾人もの思惑やら愛憎やら事件やらが複雑に入り乱れ、謎が謎を呼ぶという展開です。

 史実を基にしたフィクションだと本の奥付には書いてありますが、史実も相当ややこしかったようです。
 この物語の後、スペイン国王の息子がクーデターを起こし、国王、王妃、宰相ゴドイらは1808年に追放されたとのことです。
 ゴドイは追放後紆余曲折を経ながらも1851年まで43年間84歳の年まで生きていたということなので、当時としてはなかなかの長寿だったのではないでしょうか。
 あっという間に斜め読みしましたが、面白い小説でした。宮廷のドタバタ劇、スクリーンで観ると楽しみが倍増するような気がします。

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池井戸潤さんの『空飛ぶタイヤ』

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 「池井戸潤さんの本は全部読んでいる」と言っている友人がいました。
 へえーっ、そんなに面白いのか、と当時思っていました。
 それからほどなく『半沢直樹』がテレビで放映され、あ、なるほど、こりゃあ痛快だ、と思ったものです。
 その後『花咲舞』や『ルーズヴェルト・ゲーム』『下町ロケット』などが次々とテレビドラマ化され好評を博していますが、ついになかなか本を読むには至らず、たまたま先週ある先輩が「某大手自動車メーカーのタイヤが外れた事件の小説が」という話をしておられ、その自動車メーカーが最近またもや燃費不正問題で騒がれていることもあり、ちょっと見てみようかなという気持ちでこの本を買いました。
 文庫本にしては超厚めの800ページでしたが、読み始めてから終わるまでわずか三日。
 私の人生の中でもこれだけの厚さの本をこれだけ短時間で読み終えたのはこれが初めてだと思います。それほどテンポよく、読みやすく、面白かったということだと思います。幸い、集中して読書する時間が取れたということもありますが。

 財閥系大企業、そのグループの一角を占めるメガバンク、ライバルのメガバンク、警察、弁護士、多くの中小企業の経営者、それぞれの家族、さらにはPTAまで登場してきて、主人公はそれらの渦にもみくちゃにされながら、家族と信頼する従業員(とその家族)の生活を守るため、筋を貫き通す。できることをできる限りやる。
 よくここまで精神状態を維持できるもんだなあと感心しますが、従業員とその家族の生活を背負っているという責任感があればこうなるのだろう、と中小企業経営者の方々に対してあらためて頭の下がる思いがしました。
 もちろんこの小説はフィクションであり、実際の事故に想を得たものではあるでしょうし、それぞれの登場人物の思考や行動のパターンが多分にデフォルメされていると感じるものの、それでも結構リアリティがありました。

 この作家は、大企業やメガバンクの論理、そこで働く官僚的社員たちの保身や立身出世のための立ち回りの仕方を子細に描きながらも、目線は常に中小企業の経営者やその家族や従業員たちにしっかり注がれており、「頑張って下さい!」とエールを送っているように感じます。
 私も一人の中小企業診断士として、中小企業経営者やそこで働く従業員の方々に対する尊敬の念、歯を食いしばって頑張っておられることへの理解がまだまだだなあと反省。単に面白い小説だというだけでなく、自分自身まだまだ心の精進が必要だと感じました。

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これから起こる「マイナンバー犯罪」

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夏原武さん、紀藤正樹さんらの著による『これから起こる「マイナンバー犯罪」』というのを図書館で借りて読みました。
・犯罪に巻き込まれないためのマイナンバー制度の基礎知識
・これから起こり得る事態と対処法
・既に発生したマイナンバー詐欺の具体的な手口
などについて書かれています。
具体的な手口は、警察庁や国民生活センターなどが公開しているようです。私も以前総務省のホームページで事例調査をしました。結構生々しい事例が出ていましたので参考になると思います。但し、あくまで過去形です。新しい手口が日々発生していますので、ホームページに出ている手口しかないとは思わないよう注意することが必要です。
今後どんな手口のマイナンバー詐欺が発生しうるか、という話はないものの、誰かが電話やわざわざ訪問してきてマイナンバーを尋ねるとか、マイナンバーが漏れていてなんとかしなければならないからお金がかかる、などということはあり得ない、という基本的なことを理解するよう呼びかけています。
また残念ながら私たちの国では「オレオレ詐欺」に代表されるような特殊詐欺が少しずつ手口を変容させ、相変わらず横行しています。これら特殊詐欺のネタの三原則についても触れられています。
①旬であること、②誰もが興味を持っていること、③しかし詳しい内容はよくわからないこと
なまじ少し勉強して、ちょっと知っているという状況が結構危ないそうです。
「〇〇について知ってますよね?」って電話口で言われると、「知らない」というのが恥ずかしいため、ついつい「ああ、知ってるよ」と答えてしまう。ここからズルズルと相手の手練手管にはまって行ってしまうような人もいらっしゃるそうです。
電話を利用した詐欺に対する防衛手段として、NTTのナンバーディスプレイサービスに入って、知らない電話番号からかかってきた電話には出ない!などのシンプルだけど有効な対策が書かれています。それに対応していない電話機の場合は購入する必要はありますが、家電量販店なら1万円も出せば手に入ります。
マイナンバーが漏れたことだけですぐに犯罪に合う危険性は小さいとのことですから、根拠なく不安に陥ることのないよう、知らない人から脅かされても安易にそれに乗らないよう、冷静にかつ周囲の人に相談することで危険を防ぐようにしたいものです。

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ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

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 とても面白かった。まず言いたいことはそれです。
 最初に読んだドストエフスキーは『貧しい人々』(岩波文庫)でした。
 大学に入った年、時間もできたことだし、少ししっかりしたものを読むべきだろうと思い、世界の名作と言われるドストエフスキーの『罪と罰』を初回作品に選びました。
 しかしいきなり大作の『罪と罰』に挑戦するよりも、まずはロシアの文豪さんの文体や文化になじんでから、と思い選んだのが比較的ページ数の少ない『貧しい人々』でした。これで少し肩慣らしをしてから『罪と罰』に挑戦。
 あれから36年。ようやくドストエフスキー最大の作品と言われる『カラマーゾフの兄弟』に取り組みました。
 きっかけは、色んな媒体で、この作品が極めて特異で極めて壮大な人類文学で極めて重いテーマで極めて素晴らしい文学作品だ、というようなことをずっと目にしてきたこと、そしてとどのつまりは今年読んだ筒井康隆さんの『モナドの領域』でもカラマーゾフが扱われており、筒井さんがその関連のツイートで亀山郁夫さんの翻訳によってようやく読むことができた、という主旨のことを書いておられたことです。
 ということで、今年の1月13日に入手してから4月16日まで約3ヶ月かけ、全5巻約2000ページを読了しました。
 さて、読後の感想。
 物語の導入部分は、好色な男が複数の妻との間にできた子どもを自分で育てる能力も意思もなく、見かねた親戚などが子どもたちをそれぞれ引き取って養育した、というようなことが綴られています。
 そこからいきなり三男が修行している修道院での家族会議の場面になるため、バラバラになっていた兄弟と父がいつの間にどういう経緯で元の家族に戻ったのかがわからないまま会議の風景に入っていくため多少混乱はしますが、導入部分はともかく、修道院での会議を起点として読み進めれば、多分それほど違和感はなく読んでいくことができます。
 壮大な物語ではあるものの、2000ページで語られる時間はほんの数日の出来事です。極めて短い時間の中での濃密な親と子の確執や妄執、現生における神と悪魔の戦い、神聖なはずの宗教指導者の矛盾や混沌、しばしば出てくる「カラマーゾフ的」という強く憧れもあるがどちらかと言うと忌み嫌われる風な遺伝的形質、三兄弟と父を取り巻く多彩な脇役たち、と盛り沢山。しかも出てくる人々が軒並みよく喋る。語り出したら一晩でもかかりそうなくらいセリフが長いので、よくこれだけ多くのことを滔々と語ることができるものだと言葉の洪水に溺れそうになりながら、舟のへりに必死でしがみついているようにしてなんとか読み進めるって感じです。
 アリョーシャという三男坊がドストエフスキーにとっては「我が主人公」であり、私から見ても好感の持てる悩める青年なのですが、兄弟三人、それぞれ個性があり、味わい深い人々です。特に長男のドミートリー。この人は大変がらが悪い。粗野で乱暴で放蕩で猥雑。元軍人なのに規律めいた様子がさっぱり見えない。父フョードルによる「無関心」の一番最初の犠牲者だと思えば、彼の精神世界の寂しさには同情するものの、目の前にこういう人が現れると親しくなりたいなとは思わない人物です。にも拘わらず、とてもピュアな性格で可愛げがありなんだかほっておけない。次男のイワン。極めて理知的で心理分析にも長けていて、もしかするとサイコパスなのではないかなと思わせるような頭のいい人物です。しかし彼も最後の方では果てしない苦悩に落ち込む。
 三男のアリョーシャはこの物語の続編において、恐らく皇帝を殺めんとする者になるのではないかと訳者が書いています。宗教的にピュアなあまり行き過ぎて世の中を混乱させる人々は歴史上もいたわけだし、ロシアにおいてもそのような事件があったそうです。「肝心な二つ目の小説」にその辺のことが描かれる予定だったようで、その二つ目の小説を手がける前にドストエフスキーが世を去ったのはとても残念ですが、この2000ページだけでも文学の世界を十分に堪能できます。
 一人ひとりの人間同士の関係がとても濃密で、ついさっきまで赤の他人だった人同士も関係が生じると厚い交流が始まる。それはもしかすると現代から遥かに遠い、人間関係が濃密だった大昔の物語なのかも知れませんが、深さやじっとりとした時間感覚はともかく、人が人と接した時に、色々な感情が沸き起こってきてその感情がベースとなって何らかの反応が出てくることは間違いなく、怒ることも、腹を立てながら悲しい様子を見せることも、逆に腹の中で怒りに燃えながら悲しい表情になることも、人の態様という点では現代にも十分通用するものであり、典型的な思考・感情・行動などが描かれていて大変勉強にもなりました。
 これだけの物語が今から130年も前に書かれたということが驚きです。一回だけの読書ではとても味わいつくせず、まだまだ色んな気がついていないことがあると思いますが、こればっかりに耽溺はできません。一旦書を閉じることにします。
カラマーゾフ

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横溝正史さんの『本陣殺人事件』

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 今頃ではありますが、横溝正史さんの名作『本陣殺人事件』(1948年第1回探偵作家クラブ賞受賞作)を読みました。
 私が高校生の頃、角川映画が花盛りで横溝さん原作の映画「犬上家の一族」「八つ墓村」が大ヒットした覚えがあります。
 当時書店に行くと、角川文庫の棚には横溝正史さんの著書がずらっと並んでいて大層興味を惹かれたものですが、表紙が結構おどろおどろしくて(著者ご自身は私生活では「釣り針に指をひっかけて血が出た」という話すら嫌がる方らしいですが)、絵を見ているだけでも陰鬱な気分になりそうだったのでこの年になるまで遂に実際に読んでみる機会がありませんでした。
 それでも「名作」と言われるものに手を出さずにいるのもなんだと思い、ようやく一冊。
 戦後の早い時期に本格的な推理小説の扉を開いた作品だということで、この本の後、色んな推理作家が意欲的な作品をどんどん世に出したそうです。
 かの金田一耕助の来歴や探偵業を始めるきっかけなども書いてあって、金田一シリーズをこれから読もうかと考えている人にとってはお薦めの一冊です。
 私自身は、この後『獄門島』『悪魔の手毬唄』『仮面舞踏会』『病院坂の首縊りの家』なども読んでみたいと思うくらいに横溝ワールドに入り込みそうですが、それは後日のお楽しみ。

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岩崎夏海さんの『もしイノ』(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのイノベーションと企業家精神を読んだら)

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 「もしドラ」に続く第二弾。
 不覚にもドラッカーの『イノベーションと企業家精神』という本があることすら知りませんでした。
 ドラッカーの本はとにかく示唆に溢れていて、しかし、書いてあることをそのまま現場に適用しようと思っても私ごときはうまく使えないことが往々にしてあります。
 そういう観点からすると、経営の現場にどう使うかというストレートなやり方でなく、もっとレベルを平たくして高校野球の現場を改革するという落とし込み方はとても平易で入りやすいものでした。

 恐らく原本のエキスをしっかり入れ、かつ岩崎さんの持っている色々な知識も織り交ぜることで、一つの完結したマネジメント本になっていると思います。

 私が参考になった点をいくつか列挙しておきます。

1.企業家は7つの変化=機会をうまく捉え、変化に乗る必要がある。
 ①予期せぬことの生起
 ②ギャップの存在
 ③ニーズの存在
 ④産業構造の変化
 ⑤人口構造の変化
 ⑥認識の変化
 ⑦新しい知識の出現

2.説得とは相手の得を説くこと。
3.トム・ソーヤーのペンキ塗りの逸話(人を動かす秘訣)。
4.古くなったものやことを廃棄することをシステム化していくことの重要性。(イノベーションを魅力的なものとするための第一段階・・・しかし人を同じように扱ってはいけない。他人をモチベートするのは困難だが、居場所をうまく提供できればやる気と自信がわいてくる場合が多い。それをマネジメントがうまくできるかどうか。)
5.企業家的な企業では、トップマネジメント自ら開発研究、エンジニアリング、製造、マーケティング、会計などの部門の若手と定期的に会う。(良い会社はトップとのコミュニケーションをしっかりとっている)
6.型の重要性(坂本龍馬は剣術を知らない人たちを戦力化するために「とにかく振り下ろす練習をしっかりしなさい」と指導した)

 その他その他、示唆に富む本で、ドラッカーにインスパイアされてこういう本が書けるというのは素晴らしいことだと感じ入りました。

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