塩野七生さんの『ギリシア人の物語Ⅱ』

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 書店で帯を見て思わず買ってしまいました。
 塩野さんの『ローマ人の物語』文庫版の30巻で止まっているのですが、この人のライフワークだったはずの『ローマ人の物語』が結了し、後は悠々自適にエッセイなど書いてお過ごしになってもいいはずなのに、なぜまだ旺盛な著作活動を続けるのか、それもローマよりも古い時代のギリシアにスポットを当てて大部の作品を手がけておられるのか、『ローマ人の物語』の第1巻でギリシアのことを結構なページを使って書いたのになぜまた稿を新たに書いておられるのか、日本のことが気になって仕方がない(と思われる)塩野さんがなぜ今ギリシアの民主制を書くのか、そんなことが一気に頭の中を駆け巡り、即レジに行きました。
 塩野七生節というと失礼かも知れませんが、この人の語り口には相変わらず独特の趣きがありグイグイ引き込まれます。

 前半は毎年民主的に選ばれ、30年もの長きにわたりアテネの平和と繁栄を先導した政治家ペリクレスについての記述です。現状をしっかり説明し、自分の考えを伝え、可否判断はきみたちだと明言する。塩野さん曰く「真の意味での政治家であった」。
 ペリクレス時代の最晩年に始まったペロポネソス戦役。アテネの首相ペリクレスも相手国スパルタの王アルキダモスも(この二人は友情と信頼で結ばれていたらしい)どちらも戦争になることを望んではいなかった。にもかかわらず27年間もだらだらと、直接の戦いもないままに続いてしまい、最後はアテネの劣化、さらにはギリシア世界の衰亡に至ってしまったということです。
 159ページからのペリクレスの開戦1年後の演説は現代ヨーロッパの高校の教科書にも載っている見事な民主的なマニュフェストだと塩野さんは評しています。
 「われわれの国アテネの政体は、われわれ自身が創り出したものであって、他国を模倣したものではない。名づけるとすれば、民主制(デモクラツィア)と言えるだろう。国の方向を決めるのは、少数の者ではなく多数であるからだ。・・・(中略)・・・アテネ市民が享受している、言論を始めとして各方面にわたって保証されている自由は、政府の政策に対する反対意見はもとよりのこと、政策担当者個人に対する嫉妬や中傷や羨望が渦巻くことさえも自由というほどの、完成度に達している。・・・(中略)・・・アテネでは外から来る人々に対して門戸を開放している。他国人にも機会を与えることで、われらが国のより以上の繁栄につながると確信しているからだ。」
 これほどの賢い人々だったはずのアテネが、ペリクレスの晩年以降、衆愚政治と言われるような状態になってしまいます。
 塩野さん曰く「デモクラシー(民主制)のコインの裏面がデマゴジー(衆愚制)なのだ。」
 この違いは、ペリクレスがいなくなったらアテネ市民がバカになったわけではなく、リーダーの性質が変わっただけだと書いておられます。
 「民主制のリーダー:民衆に自信を持たせることができる人、衆愚制のリーダー:民衆が心の奥底に持っている漠とした将来への不安を、煽るのが実に巧みな人。前者が「誘導する人」ならば後者は「扇動する人」になる。前者は、プラス面に光を当てながらリードしていくタイプだが、後者となると、マイナス面をあばき出すことで不安を煽る。」
 そんなこんなの紆余曲折を経た後、ペロポネソス戦役は徐々にアテネの敗色が募り、最後は完膚なきまでに打ちのめされてアテネは衰亡の道を辿っていきます。途中、ペリクレスの甥でペリクレスの後継者的な位置づけになるアルキビアデスという政治家が現れたりしますが、この人はアテネから追放され、敵方のスパルタの指導者になり、次いでペルシアの軍を率い、またアテネに戻るという不屈の人ですが、最後には暗殺されてしまったようです。
 歴史にifは禁物とはいうものの、後になって振り返ると、先見の明のある優れたリーダーを、民の選択で潰してしまい、自ら滅びの道を辿ってしまうこともありうる・・・上から法律で道徳感や公益への奉仕を強制するのではなく、一人ひとりが自発的に共助に向かうような心の豊かさがあれば、衆愚などと言われるような状態にならないような気もしますが、不満が募るとついアジる人についていってしまう弱さを持っているのかも知れない、そんなことを塩野さんの本を読むと感じます。

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ANAビジネスソリューションによる『ANAの教え方』

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ANAの・・・というシリーズが既に2冊出ており、これは確か3冊目になると思います。
『ANAの口ぐせ』という本を以前読みましたが、この本もとても平易で読みやすかったです。

日本の企業の中でも特に優秀な人たちの集まりであるANA。
そういう優秀な人たちの集まりだからこそできる、うちのような会社には無理だ、という考えもあるかも知れません。

やってみなければわからない。いいと感じたら愚直にやってみれば良い。と私は考えます。コンサル先の企業にもお勧めしています。もちろん、企業規模や許容度合などを考えながら、ではありますが。

たとえば「注意されるのは、当りまえのことばかり」という箇所があります。ベテランと中堅と新人で構成されるチームの中で、ベテランが新人にレベルの高いことを教えるのかと新人は期待したがさにあらず。誰でも知っている当りまえのことばかり教えられるということです。基本の大切さをベテランから口酸っぱく刷り込まれることで、基本がいかに大切か、本当に大切なことは基本動作なんだということに気づかされるということです。
 NTTでも民営化されてしばらくすると、新しいことをやらなければという雰囲気が蔓延していたことがあります。基本をおろそかにすると、事務ミスやお客様からのクレーム多発につながります。その時の社長が「基本動作の徹底」ということをずっと言い続けておられたことを覚えています。当時は何を今さら、と思ったものですが、基本なくして応用も発展もないということだと後々色々な場面で感じます。

その他「今日のことは今日のうちに振り返る」「リーダーは方針を明確に伝えること、方針が明確であれば各現場段階でも判断に迷わない(言わずもがなかも知れませんが、ANAの最優先方針は安全)」「後輩へのフィードバックは書いて残す。記録するのは自分の思いや評価ではなく、事実」「目標は必ず個人レベルに」「PDCA+S(Share=共有)」「絶対ダメなことは気づかいゼロで叱る(厳しく叱る、すぐにやめさせるのは安全に影響を及ぼす行為」など、改めて参考になることが色々ありました。人によって感応するポイントはまちまちでしょうが、企業内教育に関する平易な良書だと思います。

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リンダ・グラットンさんの『LIFE SHIFT』

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 「100年時代の人生戦略」という副題がついています。
 重厚な本ですが、示唆に富んだ良書だと思います。これからの長寿社会という人類がまだ経験したことのない新たな地平に立ち向かっていく上での勇気を持たせてくれる挑戦的かつ実験的な本だと感じました。
 既に私たちの身の回りでも80歳を超えて元気な方が大勢おられます。
 これからはさらに平均寿命が延びるだろうとの予測のもとに、何歳まで働くべきか、金融資産はいかにすべきか、働く者と企業の関係はどうなっていくか、企業はその変化にどう対応していくべきかなど様々な観点から考察が加えられています。
 著者は「教育⇒仕事⇒引退」という従来の一直線かつ一斉行進型のモデルである「3ステージの人生」から、仕事をいくつか変わる人もあるし、途中でしばらく仕事を離れて自分に再教育して改めて登場する人もあるため、エイジ(年齢)とステージ(立場や役割)が分離する「マルチステージの人生」へと変化していくだろうとみています。
 しかしこの変化は急激ではなく「ゆっくり進む」とも言っています。

 このような変化を踏まえ、私たちに必要な資産が4種類あるということです。
1.生産性資産:評判、職業上の人脈、知識
2.活力資産:自己再生の友人関係、健康、人生のバランス
3.変身資産:自己理解、新しい人的ネットワーク、行動力
4.有形資産:マイホームや貯蓄

 この中で「自己再生の友人関係」はとても大事なものだと私も思いますが、子どもの頃から築かれてきた親友関係は、会社の中で仕事をしていくにつれ関係が希薄になっていき、定年退職する頃には友だちが全然いない(仕事関係の“友人”はいても仕事から離れると関係なくなってしまう)という場合もあるようです。
 今はSNSをうまく使えば、昔からの友人とも気軽に連絡を取り合ったり消息をお互いに確認しあったりすることができるようになりました。
 しかし密度の濃い間柄を維持することは容易ではありません。しかし時々そのコミュニティの中に戻って自己再生をすることはとても大事なことだとこの本を読んで改めて感じました。

 仕事をする集団である企業においても様々な課題があると著者は言っています。
 以下は「企業が今後直面し対応を求められる課題」の例です。
1.無形資産形成の後押し(生産性資産、活力資産、変身資産)
2.変身資産構築・維持の支援
3.キャリア制度・仕組みの見直し
4.仕事と家庭の関係の変化への理解(家庭それぞれ家族の役割が異なるし、子どもなどの構成状況によっても一律ではないことへの理解とその事情に応じた対応)
5.年齢を基準にしない(70歳、80歳の人の方が40歳、50歳の人よりも高スキルというケースもあるといったようなこと)
6.実験的な働き方・評価の仕方の容認(人類が経験したことのない取り組みをすることに対する寛容性)

 前著『ワーク・シフト』から寿命が延びていく社会における生き方・立ち向かい方に特に焦点を当てて書かれた著書というふうに私は捉えました。
 『ワーク・シフト』にも想像しうる世の中の変化と、その変化にどう立ち向かっていくべきかなどについての知恵が色々書かれているようなので、この勢いで読んでみようかと思っています。

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塩野七生さんの『ローマ人の物語29(文庫)』

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 塩野七生さんの『ローマ人の物語』、文庫版の第27巻、28巻を読んだのがもう4~5年前のことになります。
 第29巻からはローマ帝国の晩年に入っていきます。サブタイトルが「終わりの始まり」。
 物語は上を向いて進んでいく最中は書き手も楽しそうな言葉が躍っているし、それを読む私たち読み手もワクワク感があります(秀吉や信長などに関する書き物に対する個人的な印象です)。
 この『ローマ人の物語」もカエサルやアウグストゥス辺りの筆致はとても明るい感じなのですが、ティベリウス以降はちょっと事実を丹念に記述することにエネルギーが費やされているような少し下り調子な印象を受けます。
 そのためか前半とは著しく読書テンポが落ちてしまっています。
 今回の主人公はマルクス・アウレリウスです。
 この人は哲人皇帝と言われ『自省録』というストイックな哲学の本を書いており、第29巻においてもあちこちにその内容に触れられています。こりゃあ『自省録』を読まないと先に進みづらいなと感じてしまい、『自省録』を買うまでに数年かかってしまいました。先だって読み終え、ようやく第29巻再開となりました。

 さて。
 世界史では「ゲルマン民族の大移動」の時期を西暦375年( み な ご そっと移動)というふうに覚え、それが長期的なトリガーとなってローマ帝国が滅びた、と教わった記憶があります。
 塩野さんのこの本にはこういう記述があります。
 「番族の首長たちが首都を訪れ、彼らから皇帝に、帝国の支配下に入って他の属州民と同じ立場になりたいという申し出がなされた。しかし、皇帝は、ローマ帝国に何の効用ももたらさない人々を受け入れるわけにはいかない、と答えて、この人々の申し出を断った。」「これこそが、時代の変化の予兆であったのだ。紀元160年といえば、アントニス・ピウスの治世の最期の年で、この「慈悲深き人」は翌年に死去し、紀元161年からの皇帝はマルクス・アウレリウスに代わる。」「マルクス・アウレリウスも、この一事が時代の変化の予兆であったことに、気づかなかったということになってしまう。」(P197~198)
 「紀元170年の春を期して、ローマ軍はドナウを渡りダキアを北上し、大規模な攻勢に打って出た。」(P215)
 「ローマ軍の攻勢がダキアの北に集中しているスキを突いて、ちょうどその両脇にあたり地点からドナウ河を渡ったゲルマンの二部族が、実に大胆な行動に出ていたのだった。」「ウィーンの軍団基地を避けてそのはるか上流からドナウを越えたマルコマンニ族は、ローマ領内に入った後もひたすら南下してアクィレイアを襲撃した。」(P216)
 「リメス(防壁)破らる!の報が、帝国の西方に波のように広がっていった。」(p218)

 塩野さんがこの先どういうふうな話しの展開をなさるのかは読んでみないとわかりません。
 私の推測では、これらの記述が次のようなことの伏線になっているのではないかと感じています。
 カエサル以降、ローマは統制の取れた強い軍隊を持ちつつも、恭順してくる他部族に対しては、生存を認め、部族長にはカエサルという名前を与えることすら行い、農耕を進め定着を促し、闘う必要性をなくしてローマ化していったという平和維持のやり方を採っていたのに、このアントヌス・ピウス、そしてマルクス・アウレリウスは「ローマ帝国に何の効用ももたらさない」「撃退すればよい」という考え方で時代の変化にあった判断をせず、排外的で内向的な政策を取ってしまった・・・。
 つまりこれまでローマを発展させ安定させてきた価値観の一つである「寛容」と反することを時の皇帝が行ってしまったことが、近隣諸国の態度を硬化させ、それがゲリラ戦を招き、長い国境線を維持することによる疲弊と国力の低下をもたらしたのがローマの崩壊の遠因だ。

 少し遡ったところにこのような記述があります。これはアントニヌス・ピウス治世5年目に行われたアリスティデスという学者による演説からの引用です。
 「ローマは、すべての人間に門戸を開放した。それゆえに、多民族、多文化、多宗教が共生するローマ世界は、そこに住む全員が、各々の分野での仕事に安心して専念できる社会をつくりあげたのである。・・・中略・・・ローマ人は、誰にでも通ずる法律を整備することで、人種や民族を別にし文化や宗教を共有しなくても、法を中心にしての共存と共栄は可能であることを教えた。・・・中略・・・かつての敗者に対しても数多くの権利の享受までも保証してきたのである。」(P25)
 ピウスの晩年の判断は、果たしてこのローマの価値観からしてどうだったのだろうかと考えてしまします。

 塩野さんはこの巻でもカエサルを高く評価しています。
 「カエサルは天才だ。そして、天才とは、他の多くの人には見えないことまで見ることのできる人ではなく、見えていてもその重要性に気づかない人が多い中で、それに気づく人のことなのであった。」と。
 このような記述によって、五賢帝最後の2人が国境線の向こう側で起きている変化に気づかなかったことを問題視しています。

 彼らがカエサルのような天才ではなかったからだ、と言ってしまえばそれまでですが、この2人の皇帝はともに首都ローマからほとんど出ることなく過ごしていたようです。その前のハドリアヌスが皇帝時代の大半を前線の点検・対策・点検(PDCAで言うところのC⇒A⇒Cの繰り返し)に費やしていたのとは大違いです。
 つまり、問題は現場で発生している、又は発生し得るということを感覚的に知っていてそれへの対応をしっかり行っていた前帝とは異なり、これら2人の皇帝は残念ながら現場を見ずに過ごしていたがために、現場の問題に気づけなかったのではないか、という仮説が考えられます。

 「現場を見ず現場の問題に気づかなかったこと」そして「伝統的な寛容の精神と反する力技だけに頼ってしまったこと」これらがローマ帝国を崩壊に導く序曲となったということをこの先塩野さんが書いてくれていそうな気がします。・・・第30巻へ続く。

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アン・マンスフィールド・サリバン『愛とまごころの指』、ヘレン・ケラー『わたしの生涯』

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 ある介護事業所のコンサルをさせていただいています。
 最近は介護保険料の切り下げなどの影響もあり、経営環境が厳しくなっており、当該の事業所は高齢者福祉の仕事だけでなく、障がい者福祉の仕事へ乗り出しておられます。

 そんな縁もあって、障がい者福祉事業の参考にと思い、三重苦を乗り越えて活躍したヘレン・ケラーとサリバン先生の本を手に取りました。

ヘレンケラー本写真

 2歳で視覚と聴覚を失い、わがままに育ったヘレンの心の闇をサリバン先生が徐々に取り除いていく物語です。
 出会いの当時、サリバン先生は若干20歳、ヘレンは7歳になる直前だったといいます。
 サリバン先生っていうとおばさんのイメージがありましたが、この若さにびっくりしました。

 さらに驚いたのは、サリバン先生自身が一時期視力を失っており、家族の死などもあって精神病院で極度の引きこもり状態になっていたということです。幸い病院の看護婦さんがサリバン少女のことをとても気にかけてくれ、ようやく心を開き立ち直っていき、目の手術をして視力を回復させ、ついには20歳で教師になったという凄まじい前半生を送った人だということです。
 ヘレンはサリバン先生に指に文字を書いてもらうことを通じて、全てのものには名前があることを理解し、やがて言葉を発するようになり、さらにはタイプライターで文章も綴ることができるようになり、人前での講演などもできるようになります。とてつもない苦労の末ハーバード大学の女子学部を24歳で卒業します。
 この間サリバン先生はほとんどつきっきりで本を指話で翻訳し、授業で行われる講義も指話で伝えていたそうで、サリバン先生にも学位を与えるべきではないかという話も合ったくらいだそうです。
 と言ってもサリバン先生が初めから成人君主だったということではなく、本人が手紙の中で語っていますが、最初は生活の糧を得るため、母校の指示で勤務先(ヘレンの家)に赴任したというような、ごく日常的な関わり方から始まったようです。

 全ての人かどうかは私にはわかりませんが、「今より良くなりたい」「色んなことを知りたい」「愛をもって人と接したい」という気持ちをヘレンも心の深いところに持っていたようです。その気持ちをサリバン先生は言葉を教えることと躾を通じて呼び覚ましたようです。
サリバン先生の手紙より(サリバン先生の手紙より)

 可能性があればやってみようというのがサリバン先生の基本スタンスだったうようです。生きている限り前へ進め、という意思の大きな力をこれらの本から教わりました。

 私の仕事である企業との関わりにおいても、良い所を見つけ、前へ進める勇気を奮い立たせられるようなお手伝いができるよう心がけたいと思います。

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小山昇さんの『1日36万円のかばん持ち』

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 株式会社武蔵野の社長ということで本を何冊も上梓されている小山昇さんの最新刊です。
 忙しい社長業の傍ら、よくこんなに沢山本を出せるもんだと感心します。
 それでも毎週日曜日はきっちり休暇を取っておられるようだし、睡眠時間もきっちり7時間以上とっておられるとのこと。よほど高効率で仕事をなさっている。それこそ秒単位のスケジュールだし、電車に乗る時も降りた後の移動行程と移動時間を考えながら乗るという徹底ぶりです。

 さてこの本は、小山さんの思考・行動をそばでかばん持ちをしながらつぶさに体感し、その経験を自分自身の経営に活かすために、1日36万円×3日=108万円の授業料を払ってかばん持ちを名乗り出た色々な会社の経営者の感想などを基に、小山さん自身が編集した実践的経営指南書です。
 副題には「三流が一流に変わる40の心得」とあり、このプロセスから出てきた小山流経営哲学が40項目にわたって実例とともに書いてあります。

 私自身は人材育成に関心があるため、<心得16 離職率を下げたければ、「1日1時間以上」社員をほめなさい>や<心得22 ストレスに負けない社員をつくるたった「2つ」のこと>などを特に興味深く読ませていただきました。
 その他にも、キャッシュフロー経営の重要性について書かれた部分や金融機関との効果的な付き合い方、幹部社員のうまい使い方、など、熟練の経営者ならではの智慧がふんだんに盛り込まれていました。

href=”http://teamwakuwaku.com/blogdb/wp-content/uploads/2016/05/小山昇.jpg”>小山昇

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樋口陽一さんと小林節さんの『「憲法改正」の真実』

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昨日は憲法記念日ということもあって、新刊の本書を紐解きました。
憲法っていうのは色々な法律の親玉のようなものだと漠然と思っていました。
しかし、確かにその側面はあるものの(あらゆる法律は憲法に反してはならないので)、それ以上に大事なことは、憲法と法律は相当異なった役割を持っているということでした。(憲法は国民の権利を守るために権力が暴走しないように権力を縛る、法律は憲法の範囲内で国民を縛る)
そういう憲法の基本的な役割を本書を読んで初めて理解できたような気がします。
中でも、個人が生まれながらにして基本的な人権を持っているという、私たちの憲法に書かれている人類の普遍的な価値観は、これからも大事にしていきたいものです。
この価値観は、交流分析の哲学で言うところの、①人は誰でもOKである。②人は誰もが考える能力を持っている。③人は誰でも自分の運命を自分で決め、そしてその決定はいつでも変えることができる。という個人の尊厳を大事にする考え方と極めて共通しているようにも感じます。

憲法改正の真実

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黒田邦雄さんの『裸のマハ』(映画脚本より)

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 以前どこかで<面白い映画だ>と聞いたような記憶がかすかに残っていました。たまたま手に入ったので読んでみました。
 映画の脚本を基にして黒田邦雄さんという人が著した本です。

 一人の女性を描いた肖像画。
 「裸のマハ」というのは後世につけられた名前だとか。
 絵は裸体のものと衣服を着用したもので同じポーズのものが2種類あり、絵が描かれた18世紀末は女性の裸体の絵などは極めて不道徳であり、唯一ベラスケスが描いた「鏡のヴィーナス」という後ろから裸像を描いたものぐらいで、正面から描いたものなどなかったそうです。
 そのため絵の依頼主であるスペインの宰相マヌエル・デ・ゴドイは衣服を着た絵との2枚を制作させ、額縁の中に二重に入れておき、着衣のものを表側に、裸体のものをその後ろに配置し、自分が見たい時だけ着衣の絵をスライドさせて抜き取って見られるようにしていたとのことです。

 絵を描いたのは、かのゴヤ。
 ゴヤとゴドイは大変仲が良かったそうです。
 しかし「マハ」という人物が誰なのか、実際のところよくわからない。
 ゴドイという依頼主は当時の王妃マリア・ルイーサの寵愛を受けて25歳の若さで宰相になった元近衛兵。彼は王妃だけではなく貴族の公爵夫人とも深い間柄にあり、しかも奥さんがいて、さらには愛人までがいたという人物。王妃と公爵夫人の間を3日がかりで馬を駆けて往復していたというから相当タフな人ですが、一体いつ政治をしていたのか・・・。
 ゴドイが描かせた「マハ」はどの女性だったのか、そして権力と愛をめぐっての争いの最中で毒によって命を落とす女性、殺人か事故か自殺か。宮廷を舞台に幾人もの思惑やら愛憎やら事件やらが複雑に入り乱れ、謎が謎を呼ぶという展開です。

 史実を基にしたフィクションだと本の奥付には書いてありますが、史実も相当ややこしかったようです。
 この物語の後、スペイン国王の息子がクーデターを起こし、国王、王妃、宰相ゴドイらは1808年に追放されたとのことです。
 ゴドイは追放後紆余曲折を経ながらも1851年まで43年間84歳の年まで生きていたということなので、当時としてはなかなかの長寿だったのではないでしょうか。
 あっという間に斜め読みしましたが、面白い小説でした。宮廷のドタバタ劇、スクリーンで観ると楽しみが倍増するような気がします。

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池井戸潤さんの『空飛ぶタイヤ』

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 「池井戸潤さんの本は全部読んでいる」と言っている友人がいました。
 へえーっ、そんなに面白いのか、と当時思っていました。
 それからほどなく『半沢直樹』がテレビで放映され、あ、なるほど、こりゃあ痛快だ、と思ったものです。
 その後『花咲舞』や『ルーズヴェルト・ゲーム』『下町ロケット』などが次々とテレビドラマ化され好評を博していますが、ついになかなか本を読むには至らず、たまたま先週ある先輩が「某大手自動車メーカーのタイヤが外れた事件の小説が」という話をしておられ、その自動車メーカーが最近またもや燃費不正問題で騒がれていることもあり、ちょっと見てみようかなという気持ちでこの本を買いました。
 文庫本にしては超厚めの800ページでしたが、読み始めてから終わるまでわずか三日。
 私の人生の中でもこれだけの厚さの本をこれだけ短時間で読み終えたのはこれが初めてだと思います。それほどテンポよく、読みやすく、面白かったということだと思います。幸い、集中して読書する時間が取れたということもありますが。

 財閥系大企業、そのグループの一角を占めるメガバンク、ライバルのメガバンク、警察、弁護士、多くの中小企業の経営者、それぞれの家族、さらにはPTAまで登場してきて、主人公はそれらの渦にもみくちゃにされながら、家族と信頼する従業員(とその家族)の生活を守るため、筋を貫き通す。できることをできる限りやる。
 よくここまで精神状態を維持できるもんだなあと感心しますが、従業員とその家族の生活を背負っているという責任感があればこうなるのだろう、と中小企業経営者の方々に対してあらためて頭の下がる思いがしました。
 もちろんこの小説はフィクションであり、実際の事故に想を得たものではあるでしょうし、それぞれの登場人物の思考や行動のパターンが多分にデフォルメされていると感じるものの、それでも結構リアリティがありました。

 この作家は、大企業やメガバンクの論理、そこで働く官僚的社員たちの保身や立身出世のための立ち回りの仕方を子細に描きながらも、目線は常に中小企業の経営者やその家族や従業員たちにしっかり注がれており、「頑張って下さい!」とエールを送っているように感じます。
 私も一人の中小企業診断士として、中小企業経営者やそこで働く従業員の方々に対する尊敬の念、歯を食いしばって頑張っておられることへの理解がまだまだだなあと反省。単に面白い小説だというだけでなく、自分自身まだまだ心の精進が必要だと感じました。

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これから起こる「マイナンバー犯罪」

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夏原武さん、紀藤正樹さんらの著による『これから起こる「マイナンバー犯罪」』というのを図書館で借りて読みました。
・犯罪に巻き込まれないためのマイナンバー制度の基礎知識
・これから起こり得る事態と対処法
・既に発生したマイナンバー詐欺の具体的な手口
などについて書かれています。
具体的な手口は、警察庁や国民生活センターなどが公開しているようです。私も以前総務省のホームページで事例調査をしました。結構生々しい事例が出ていましたので参考になると思います。但し、あくまで過去形です。新しい手口が日々発生していますので、ホームページに出ている手口しかないとは思わないよう注意することが必要です。
今後どんな手口のマイナンバー詐欺が発生しうるか、という話はないものの、誰かが電話やわざわざ訪問してきてマイナンバーを尋ねるとか、マイナンバーが漏れていてなんとかしなければならないからお金がかかる、などということはあり得ない、という基本的なことを理解するよう呼びかけています。
また残念ながら私たちの国では「オレオレ詐欺」に代表されるような特殊詐欺が少しずつ手口を変容させ、相変わらず横行しています。これら特殊詐欺のネタの三原則についても触れられています。
①旬であること、②誰もが興味を持っていること、③しかし詳しい内容はよくわからないこと
なまじ少し勉強して、ちょっと知っているという状況が結構危ないそうです。
「〇〇について知ってますよね?」って電話口で言われると、「知らない」というのが恥ずかしいため、ついつい「ああ、知ってるよ」と答えてしまう。ここからズルズルと相手の手練手管にはまって行ってしまうような人もいらっしゃるそうです。
電話を利用した詐欺に対する防衛手段として、NTTのナンバーディスプレイサービスに入って、知らない電話番号からかかってきた電話には出ない!などのシンプルだけど有効な対策が書かれています。それに対応していない電話機の場合は購入する必要はありますが、家電量販店なら1万円も出せば手に入ります。
マイナンバーが漏れたことだけですぐに犯罪に合う危険性は小さいとのことですから、根拠なく不安に陥ることのないよう、知らない人から脅かされても安易にそれに乗らないよう、冷静にかつ周囲の人に相談することで危険を防ぐようにしたいものです。

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