アドバイスという名の自慢話~中野信子さんの『脳の闇』より

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「アドバイスという名の自慢話」・・・やりがちです。それも無意識に。新聞に出ていたこの項目を見て書店に走りました。昨日の日経新聞の記事下広告。中野信子さんの『脳の闇』です。
曰く「一人では解決できない感情に対して安易にアドバイスを与えるという行為がどれほどその人をがっかりさせてしまうことか。」「お勉強がよくできた人ほど、また、承認欲求が満たされていない人ほど」「自分が問題を解いてあげなければ、という課題に一直線に向かっていってしまう」
近く予定しているある研修に必須の戒めが書いてありました。その職場ではお客様を承認欲求の対象にしてはならないことをお伝えしようと思いますが、私自身心せねばと改めて思っています。

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『社員30名の壁超え3つのステップ』

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経営支援の場面では、個人の方の創業からある程度の規模の企業の経営改善や今後の成長課題に関するこtなど、様々な悩みや課題に直面します。この本は、社長のリーダーシップで成長してきた企業が、さらに大きくなろうとした場合に直面する「組織力」について書かれたものです。

極端な言い方になるかも知れませんが、社長が全社員を見ることができ、全社員と気持ちを通わせる規模であれば発生しなかったような問題が、一定人数を超えると発生してしまうということがあります。昔はこんなことに頭を悩ます必要はなかったんだけどなあという声を時々聞きます。専門用語で言えば「スパン・オブ・コントロール」ということと関係しているのかも知れません。

さて、そういった事象は、見方を変えれば成長痛のようなものかも知れません。それを克服するためには社長がいなくてもちゃんと仕事が回るように仕組みを整えていくというプロセスであり、この本にはそのような手順が書いてあります。

1stステップは「理念の浸透」、2ndステップは「中期経営計画の共有」、3rdステップは「HRMの仕組み構築」とあります。このプロセスを順に踏んでいくことで、中間管理者が育ち、個々の従業員の成長ももたらすことができ、組織が大きくなっても基盤がしっかりした状態で仕事をし続けられるというものです。

現在取り組んでいる伴走支援の仕事においても、活用できそうなヒントをいただきました。

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塩野七生さんの『海の都の物語』

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』の最終巻(文庫では42巻)にアッティラに攻められるイタリア北部の様子が描かれています。一部の人々は塔の上にのぼり、どこへ逃れれば助かるだろうかと考え、そこから遥か海の方に葦のはえている潟まで行けば、何もない所だから、奪われるような財物は何もないから助かるのではないか、と考え、移動した先が後のヴェネツィアになった、ということが書いてありました。『ローマ人』の次は『ヴェネツィア』だ、と決めていました。

学生時代に読んだ高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』という名著があります。私にとっては小室直樹さんの『危機の構造』や山本七平さんの『空気の研究』野中郁次郎さんたちの『失敗の本質』などと同じようなポジションの本です。塩野さんの『海の都の物語』は文庫上巻だけで521ページ、下巻はさらにボリュームがあって607ページ、両方合わせると1128ページという大作です。よって先に、もう一度『文明が衰亡するとき』を読んで肩慣らしをしてから、と思って(第二部 通商国家ヴェネツィアの栄光と挫折を)読み始めたところ、第一章の途中に「ヴェネツィアが海洋貿易にはっきり転換したのは、西暦1000年ごろアドリア海の海賊を退治してから後と言ってよいが、その遠征に至る外交過程はヴェネツィアの外交の巧みさを如実に示している。この過程は塩野七生氏の『海の都の物語』にあざやかに描かれているから、くわしくはそちらを読んで欲しい」とあり、さらにその章の脚注に「始めにヴェネツィアの歴史を知るために読むべき書物をあげておくと、日本では、塩野七生『海の都の物語』(中央公論社 昭五十五)、同続(昭五十六刊行予定)がある。ディティルの描写がすばらしく、それが全体像とつながっている。」という文章に遭遇してしまいました。本文中にも塩野さんの同著からの引用が何カ所かあり、こりゃ、なまくらしてはいけない、高坂さんが引用した本を先に読めということだなと思い、改めて、塩野さんの本から取り組もうと決意しました。

『ローマ人の物語』の二十五年前に書かれたのがこの『海の都の物語』です。私自身は文庫になって、1989年=平成元年にこの上下本を買っていましたが、なにせ分厚いので手にとっては挫折、の繰り返しでしたが、ローマの終焉を終え、ようやくそれに連なるものとして読み終えることができました。

第四次十字軍に関する記述の中にこんな一節がありました。文庫上巻のp198です。「神はわれらとともにある、という確信は、往々にして、自分たちと同じように考えない者は悪魔とともにある、だから敵である、という狂信につながりやすい。私には、それが物欲をともなわない高貴なものであろうとも、絶対に同意するわけにはいかない。」最近また世情を騒がせている新興宗教(?)の協議にも似たような考え方があるように聞いています。塩野さんは「絶対に同意するわけにはいかない」と強い口調で述べておられます。歴史を学び、そこから得られる智恵を活かしていこう(自分勝手ではなく、お互いを尊重し合って、人の自由を侵害しない限りにおいて自由であるというルールが共有できる社会を作っていく)と考えるからこそ、ほとばしり出てきた言葉ではないかなと感じます。私たちが歴史を学ぶ意義の一つが、そういうことではないかなと思います。

さてその記述に続いて、第五次十字軍のことについても少し書いてあります。そこでの主人公はフリードリッヒ二世という人物です。塩野さんの著作にも何年か前に文庫化されたものがあります。

高坂さんの『文明が衰亡するとき』のヴェネツィアの部は、選書で70ページあまりですが、ヴェネツィアの歴史、興隆から衰退に至る経緯をコンパクトに、しかし決して単純な因果論ではない書き方をしてある点がとても考えさせられます。ヴェネツィアは印刷術を商業化し、商業演劇を始め、海洋貿易で財をなし、簿記を取り入れて複式にし、商業銀行を創始した、など、今に通じる様々なものの始まりをなしていることが書かれていました。そして改めて塩野さんの著作を引き、個人の野心と大衆の専横とが結びつく危険を避けるため、個人に権力が集中しすぎないようにしつつ、安定したリーダーシップが発揮できる政治体制を作ったという主旨のことも書かれていました。もちろん、それを単純に礼賛しておられるわけではなく、叙述的な記載に徹しておられます。何か一方向に偏り過ぎないことが大事なことなのではないかということを高坂さんの記述からも感じます。

塩野さんの著作で読んでいないものもまだ沢山あります。楽しみは尽きません。

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司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』

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 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読みました。
 そして、10年ほど前にNHKのテレビでやっていたドラマもようやく“追い見”しています。

 4年前にある先輩から経営戦略の参考になるので是非読んだら良いと言われており、チャレンジしたのですが、文庫版3冊目の途中で挫折してしまいました。その後昨年から再度挑戦しましたが、やはり3冊目の途中から読むペースが遅くなりました。何が原因か。一つは、正岡子規の命が燃え尽きるのを見たくないという気持ちが働いたのと、もう一つは、そこを越えた次に出てきた戦闘シーンの多さ、人が砲撃にあって沢山亡くなる、これでもかこれでもかというくらいに「突撃」と「殲滅(される)」の繰り返しに、この小説はいったいなんなんだろう? 司馬さんはなんのためにこのように人が次々と勝算のない突撃で意味もなく亡くなり続けるシーンを描いているのだろう? という疑問がわいてきたこと、だったのではなかろうかと思います。(指揮官たちは「意味もなく」とは考えていなかったと思いますが)
 司馬文学の金字塔と言われているくらいの『坂の上の雲』は日本が明治維新を経て、さらに瑞々しく希望あふれた豊かな国になっていく道程を描いたものだろうと勝手な想像をしていました。もちろん日露戦争を描いたものであることは承知していました。実は私の誕生日は、戦前は陸軍記念日と言われていたそうです。日本陸軍の生みの親たる大村益次郎さんの誕生日だったと聞いたことがあり、それに因んでかと思っていましたが、どうやら日露戦争・奉天会戦における戦勝記念日だったことから来ているようです。そのため、どんな戦争だったのかという関心もありました。経営戦略の勉強という観点とは別の意味でも読書欲をかきたてられた次第です。
 しかしタイトルにある「坂の上の雲」など私の眼には一向に見えてきませんでした。そして、日本という国を俯瞰するのみならず、戦いの相手だったロシアについてもじっくりと丁寧に、特にバルチック艦隊が母港を出て喜望峰を回り、マダガスカルで無為な時間を過ごし、東南アジア付近では疑心暗鬼になり、といったことを実に丁寧に読む者がその情景が目に浮かぶような丁寧さで書いてくれています。組織の統率、指揮官はいかにあるべきかということを、彼我の対比も含め、描いています。単に日本がどう、ロシアがどうという単純比較ではなく、日本の軍隊における(組織の意思決定の仕方・データの扱い方などの)良い点、だめな点、ロシア側の良い点、だめな点もかなり客観的に描かれていたと思います。組織論といっても、人それぞれに着目した、だれそれはこの時こういう発言をした、といった感じですが、一方で民族的な習性といったような、やや曖昧なことに原因を求めるような記述もありましたが。
 私の勝手な想像とは裏腹に、司馬さんの『坂の上の雲」は、決して希望あふれた豊かな国になっていく道程というよりは、太平洋戦争での滅亡の原因がこの成功体験の中にあった、ということを説明しようとしたものではなかったか、という気もします。特に陸軍に対しては「滅亡」という言い回しを何度か使っています。そして、司馬さんがこの小説の連載を始めた1968年といえば、太平洋戦争終結からまだ23年しか経っておらず、当事者も大勢生存していた時期であり、日露戦争の従軍者もおられたとのことであり、色々書きにくいこともあったのではないかと想像します。
 いったいなにが楽しくてこんなこと(突撃と殲滅の延々たる繰り返し)を書き連ねているのだろう?と思っていました。しかし司馬さんは相当つらい思いをしながら書いていたんではなかろうか、と最終巻のあとがきを読んで思いました。司馬さんは「あとがき」の最後にこんなことをさらりと書いています。「私の四十代はこの作品の世界を調べたり書いたりすることで消えてしまった。この十年間、なるべく人に会わない生活をした。友人知己や世間に生活人として欠礼することが多かった。古い仲間の何人かが、その欠礼について私に皮肉をいった。これはこたえた。(p358)」
 ただ司馬さんの作品の年譜を見ると、この十年ほどの時期に『竜馬がゆく』『『燃えよ剣』『尻啖え孫市』『功名が辻』『城をとる話』『国盗り物語』『俄 浪華遊侠伝』『関ヶ原』『北斗の人』『十一番目の志士』『最後の将軍』『殉死』『夏草の賦』『新史太閤記』『義経』『峠』『宮本武蔵』など、幕末や戦国時代のものを中心に、その後の大河ドラマの原作になった大作も沢山書いておられ、とてもエネルギッシュに作品群を世に出しておられ、四十代を日露戦争のあとなぜだけで浪費したわけではないということも事実としては押さえておきたいと思います。 

 さて、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』から自戒としての抜き書きです。

・人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ(秋山真之)(文庫版二 p230~231)
・大海図に点々と軍艦のピンがおされている。軍艦が移動するごとにそれがうごく。たれの目にも状況把握が一目瞭然であり、状況さえあきらかであれば、つぎにうつべき手-たとえば艦船の集散、攻撃の目標、燃料弾薬の補給など-がどういう凡庸な、たとえば素人のような参謀でも気がつく。作戦室の全員が、書記ですら、刻々の状況をあたまに入れてそれぞれの分担を処理している。(文庫版二 p252)
⇒見える化の重要性と有効性
・マカロフの統率法は、水兵のはしばしに至るまで自分がなにをしているかを知らしめ、なにをすべきかを悟らしめ、全員に戦略目標を理解させたうえで戦意を盛りあげるというやりかたであった。(文庫版三 p326)
・命令があいまいであることは軍隊指揮において最大の禁物(文庫版四 p261)
⇒軍隊を企業に置き換えて読む
戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるように絶対の原理もしくは方法とし、反復してすこしもふしぎとしない。(文庫版五 p50)
・日本軍の師団参謀たちの頭は開戦一年余ですでに老化し、作戦の「型」ができ、その戦闘形式はつねに「型」をくりかえすだけという運動律がうまれていまっていた。「型」の犠牲はむろん兵士たちであった。(文庫版七 p42)
⇒日本軍を大企業に置き換えて読む
・戦術家が、自由であるべき想像力を一個の固定概念でみずからしばりつづけるということはもっとも警戒すべきこと。情報軽視という日本陸軍のその後の遺伝的欠陥。(文庫版五 p355)
⇒これも陸軍を企業に置き換えて読む
一行動が一目的のみをもたねば戦いには勝てないというのがマハンの戦略理論であった。東郷がこの「目的の単一性」という原則に忠実であったのに対し、ロジェストウェンスキーが二兎を追うためにその行動原理がきわめてあいまいになっていることをマハンは指摘している。(文庫版七 p331)

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福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』

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2007年5月に一刷、10月に十一刷ということですから、ちょうど14年前に購入した本ですが、今頃、ようやく読了しました。PCR検査のことが書いてあるという話をどこかで目にし、その部分だけは昨年読んでいたのですが、そこだけ読んでもよくわからない状態でした。最近ある本で「動的平衡」のことが書いてあったことと、『生物はなぜ死ぬのか』という同じ講談社現代新書(小林武彦氏著)という類似書籍を手に取ったこともあり、関係づけながら読むと複眼・多面的に理解できるかも、と思い、慌てて書架から引っ張り出して一気に読みました。

この本の一番のテーマは「動的平衡」ということのようです。そして、生命においては、「動的平衡」を「乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける」ので、生命科学をつかさどる医学者といえども「なすすべはない」といった慨嘆のようなことも書いてはありますが、それでも生命はとても力強い仕組みになっていることは巻を置いても強い印象となって残っています。

エントロピー増大の法則に沿えば、秩序は崩壊していく。しかし、その秩序を守るために、生物の内部に必然的に発生するエントロピー(様々な刺激で細胞などが変容・破壊されていく過程)を排出する機能を担っている、とのことで、エントロピーの法則によって生命体が壊れる前に一部を壊して自己複製でまた同じものを作ることが、強固な建築物を作るよりも維持しやすい、ということのようです。

ある意味、伊勢神宮が二十年ごとに建て替えられていることをも想起させられるような気がしました。

人の組織でも、同じようなことが言えるように感じます。組織文化というものがあり、長い年月その組織内で醸成される文化・風土・空気というものが、動的平衡を作っていき、それが組織の価値観として、成員の無言の前提となり、経営者もマネージャーも社員すらもその前提を当たり前のものとして判断・行動する。それが結果的に、何度でも検査不正を働いてしまう某自動車会社であったり、あるいは、どれだけ改善しようとしても赤字から抜け出せない企業体質であったり(潰したら銀行も困るからお金はなんとかなるという期待?)、動的平衡にはそのような良くない状態の維持もあるのではないかと思います。ソニーやリクルートのように、前例主義ではない、異質な人材を取り込む、といったことが企業活動の中に埋め込まれている企業はそうではなく、また高度成長時代の日本企業のように、作れば売れる時代であれば、悪しき動的平衡が問題になることはなかったのだろうと思いますが、これからは悪しき動的平衡を持つ企業はなんとかしなければならないのではないかと思います。

そうした動的平衡を崩すのは、内部の力ではなかなか困難であろうと思います。例えば中小企業診断士のような外部の経営に関する専門知識と高い志を持つ人が真剣に経営者と向き合い、誠心誠意変化を説くことで変化をもたらすきっかけが提供できるのかも知れません。その際よって立つ根拠は、まずは、その会社の創業の理念であったり、今の時代に改めて考え直すパーパス(企業の存在意義・存在目的)であったりするのかと考えています。

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ヴェネツィア共和国の一千年 塩野七生さんの『海の都の物語(上)』

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 購入したのは平成の初めころ。かれこれ30年以上塩漬けにしていた本ですが、今年の初めころに塩野七生さんがNHKのインタビューに応えてロックダウンしなかったヴェネツィアの話をしておられ、さらにほぼ同じ内容で文芸春秋の3月号に寄稿しておられたのを読んで、ヴェネツィア、勉強しなくてはと感じ、ようやく「上巻」を読みました。この本は文庫版の上巻だけで500ページ、下巻はさらにページ数が増え600ページという上下1100ページの大作です(今の新潮文庫は確か4分冊だったと思いますが)。しかも上巻の解説はかの『文明が衰亡するとき』をお書きになった高坂正堯さん。書かれた順番からすると、恐らく『海の都の物語(上)』⇒『文明が衰亡するとき』⇒『海の都の物語(下)』という時間軸になるのだろうと思います。さてその中からいくつか文章をピックアップさせていただきます。

p81 マキャベリの言葉にこういうのがある。「ある事業が成功するかしないかは、いつに、その事業に人々を駆り立てるなにかが、あるかないかにかかっている」つまり、感性に訴えることが重要なのである。・・・ヴェネツィアは、共和国である。民衆の支持が、絶対に欠かせない。民衆は、目先の必要性がないかぎり、感性に訴えられなければ、動かない。(筆者コメント(以下同)確かに、人は理屈では動かない、とよく言われますね)

p121 現実主義とは、現実と妥協することではなく、現実と闘うことによってそれを切り開く生き方を意味していた。・・・「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動することによって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、その人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからなのです。」(言ってることとやってることに矛盾がある人・・・にはならないように自戒自戒)

p198 神はわれらとともにある、という確信は、往々にして、自分たちと同じように考えない者は悪魔とともにある、だから敵である、という狂信につながりやすい。私には、それが物欲をともなわない高貴なものであろうとも、絶対に同意するわけにはいかない。I教徒が始め、そしてK教徒に受け継がれた聖戦思想・・・」(ヴェネツィアが進路を変えたと言われている第四次十字軍に関する記述で。ジハードは十字軍に姿を変えて受け継がれたという見方。この「受け継ぎ」はなんとも悲しい。歴史は繰り返すということでしょうか。江戸の敵を長崎で討つ、みたいな話でしょうか)

p198 十字軍史の中で、もう一つ評判の悪い十字軍がある。フリードリヒ二世の率いた第五次十字軍である。この、完全に客観的に判断することのできた皇帝は、一戦も交えずにイェルサレムに入城し、外交交渉で、キリスト教徒たちの聖地巡礼の権利を、イスラム教徒側に認めさせた。だが、イスラム教徒を一人も殺さなかったがために、西欧ではひどく非難され、法王は彼を破門にし、キリスト協会の敵との烙印を押したのであった。この後に十字軍を率い、イスラム教徒に戦いを挑んで敗れ、イェルサレムに近づくこともできずに死んだフランスのルイ王は、聖人に列せられる。(塩野さんの目線ではなんとも不条理に映る、ということなのでしょう。私もそう感じますが、立場が違えばこういうことも正当化されるのかという典型的な事例かも知れません。詳しくは塩野七生さん著『皇帝フリードリヒ二世の生涯』でまた勉強しましょう)

p249 ヴェネツィアほど、中小の商人の保護育成に細心の配慮をした国はない。大企業による独占が、結局は国全体の経済の硬化につながり、それを防止するうえで最も効力あるのが、中小企業の健全な活動であることを知っていたのである。これを知り、実際に行ったのが、政府を握っていた大商人たちであったのが面白い。

以下は、高坂正堯さんの解説「ヴェネツィア、あるいは歴史の魅力」と題された一文からの抜粋です。

p503 欧米の優れた学者が現代の諸問題を考えるとき、彼の試行の背景には長い歴史に関する知識がある。彼らの使う概念には過去の現実に関する知識という肉がついている。だからこそ独創的な考えや深慮も生ずるのであろう。

p504 数百年あまりの蓄積と百年余りのそれとでは、そもそも勝負にならないと思って、時々ため息が出る。そこでまた気を取り直して、雑多なものの宝庫である歴史をひもとくことの重要性を一層強調しなくてはならない。・・・現在の日本の活力をなんとか二、三十年間、持ち続けることができたら、より本格的な文明も、優れた政治・外交も現れるかも知れない。(この文章が書かれたのは昭和55年頃、つまり、今から40年ほど前のことです。高坂さんが言っている「なんとか二、三十年間」という言葉からは、まさに現在の様子を見通していたかのような(もしかすると半ば観念したかのような)透徹したまなざしを感じます。)

p505 国家の文書を体系的に整理し、残すのは、今ではまともな国なら当然のこと。(え?これも前段と同じように予言のような言葉では・・・唖然)

これらの他にも塩野さん、高坂さんともに、横線を引いた箇所は沢山あるのですが、後は割愛とします。この勢いで高坂さんの『文明が衰亡するとき』のヴェネツィア編を読もうかどうかという段になっています。いや、それよか先に『海の都の物語』の下巻600ページに進むべきか。学び、先人の経験を知識として得、企業経営者や創業希望者などの役に立てるように知恵として活用する、そんなサイクルを目指してまたページをめくります。

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事業再構築補助金と『官僚たちの夏』の深い?関係

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(この投稿は、中陳個人の感想であり、歴史上の事実について誤った認識があるかも知れません)

令和2年度第3次補正予算により、経産省から新たに「事業再構築補助金」という補助金が出されました。この事業再構築補助金の申請を考えている事業者さんからの相談に備え、城山三郎さんの『官僚たちの夏」を初めて読みました。

というのは、1960年代、1970年代の頃、日本株式会社と揶揄されるくらいに、日本の官と民とが協力して、軽工業から重化学工業に脱皮し国際競争力を高めていったという歴史があり、今回の事業再構築補助金は、まさにそのような大きな産業構造の転換を目指しているのではないかと感じ、では、当時はちなみにそのような動きがどのように作られていったのかということを小説を通じて知ることができないだろうかと思ったのです。

当時は日米繊維交渉や鉄鋼交渉、自動車交渉など、様々な貿易摩擦が発生し、都度、官民一体となって交渉に当たり、量的な制限を課されつつも、より良いものをより安く提供できるよう技術革新などにも取り組んでいたのであろうと認識しています。そのような様々な動きの中で、経済人でもスター経営者が生まれたり、当時の通産省からはこの小説のモデルと言われる佐橋滋さんや少し下って天谷直弘さん、堺屋太一さんなどスター官僚を輩出していました。

目指すべき産業モデルも米国などに存在していた時代でした。しかし、今は、目指すべき産業モデルがなかなか見当たらず、みんなでGAFAMになれというわけにもいかず、しかし日本の産業構造を変えて、より生産性を向上させていく必要があると、現在の経産省の方々は考えているのではないかと思います。あくまで想像です。60年代70年代は産構審という会議体を通じて官民が協力していたと教わったことがあります。通産省、学者、民間がそうした場を通じて、文字通日本の産業構造をどうするかといったテーマで喧々諤々の議論が交わされていたものと思います。今も産構審は存在し、議論はなさっているようですが、当時とは位置づけが変わっているのか、あまり表に出てきていないような気がします。目指すべき産業構造や産業モデルが見当たらないからなのかも知れません。勝手な想像ですが。

事業再構築補助金では、まず「概要」に「日本経済の構造転換を促す」ことを目的とすると書いてありますが、この重要ポイント、案外見落とされているかも知れません。つまり「経済の構造を変える」ことに寄与しそうな事業に補助金を出す、と冒頭で明言してあるのです。また「公募要領」の審査項目には「リスクの高い、思い切った大胆な事業の再構築を行うものであるか」とあります。これらを総合して考えると、今の経産省が50年前の通産省のように、この1兆円を超える予算を活用して、新たな産業を興し、日本の産業構造をより生産性の高いものにシフトさせたいと考えているように思えてなりません。

さて、件の『官僚たちの夏』、主人公の思いとは裏腹に、肝いりで提案した法律案(特定産業振興臨時措置法案)はロクに審議もされずに廃案となったということでした。企業が自らリスクをとって世界と勝負していくべきとい自由経済論とのせめぎあいで負けたとか、もう官が一緒になってやっていかなければならないほど日本企業はひ弱ではなくなったとか、様々な考え方に敗れたというようなことで、官民一体となって産業構造の転換に取り組んでいたと思っていた私からすれば「あれ?」という感じでした。しかし、どうも、その法律は廃案になったものの、一方で「構造改善を図る企業に政府融資をとりつける体制融資で振興法の精神をある程度具体化した」(本書p316)とあることやIBMに対するコンピュータ業界の合従連衡が功を奏したといったことなど、その後の官民連携のいくばくかの部分は佐橋さんが描いたような道筋を法律とは別のところで進んでいたようです。

法律案の原案には次のようにあったそうです。「経済の変革期に当り、対外競争力を急速に強化するためには、産業再編成により、生産規模の適正化をはかることが必要である。この産業振興のための基準は、政府・産業界・金融界の協調によって定める。政令によって指定された産業は、この振興基準に従って、集中・合併・生産の専門化などの努力をする。金融機関は、この振興基準にそって資金の供給を行う。政府も、政府関係金融機関を通じて資金を補給するとともに、課税について減免措置をとり、また、振興基準による合併などについては、独占禁止法の適用除外とする。」

今回の事業再構築補助金についても、合併などによって新製品等を新市場に売っていくというものも含まれています。中小企業の企業規模を大きくして生産性を上げよという主張は、デービッド・アトキンソンさんの主張にも表れているところであり、今回の補助金にもそういう考え方が反映しているのかも知れません。当時の法案(とその後の動き)と今の補助金、狙いが似ているような気がします。『官僚たちの夏』を読んで、益々その意を強く持ちました。

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チャールズ・オライリー他『両利きの経営』コロナ下で・・・。

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日本で出版されたのは2019年2月、ということで既に2年前になりますが、今も読み続けられているベストセラーとのことで、仲間内での課題図書に取り上げました。内容は富士フイルムやアマゾンなどの大企業の成功事例・失敗事例を中心に分析し、理論化したものですが、聞けば中小企業の経営者の方々も読んでおられる由。私たちの事業領域である中小企業の経営者に何か助言できるとすれば、どのような洞察が得られるだろうかと思いながら読み進めました。

『両利きの経営』チャールズ・A. オライリー、マイケル・L. タッシュマン (著)、東洋経済新報社

一般に経営資源に乏しい中小企業は事業領域を絞り込み、絞り込んだ領域でナンバーワンとなるよう経営資源を集中することで、大企業に入り込めないニッチで勝負すべし、というようなことを言います。ランチェスターの第一法則がまさにそれで、一点集中主義、局地戦、一騎打ち戦、などと言われています。しかし世の中はどんどん変化しており、顧客も変化し続けていることを考えると、今の顧客に今の組織能力で商品・サービスを多少改善しながら提供しているだけでは、いずれ他社に巻き取られてしまうという危険性がつきものです。どこからどうやって破壊的イノベーションがやってくるか予測することは難しいですが、市場環境の変化を注意深く見、顧客の声に注意深く耳を傾けていれば、ある程度は対応できるはずです。

しかしそれでもある日突然売上が激減するということもあり得ます。それに備えて日頃から、自分たちがわかっていること以外の市場や技術にも目を向けて、テストマーケティング的に「探索」をしていく必要があるのではないか、というのがこの本を読んでの私なりの見え方です。中小企業の場合、お金や人などの経営資源の使い道を決めることができるのは、ほぼ社長だけといっても過言ではないと思います。しかも、誰がその新規事業に取り組むのか、取り組めるのか、については、ほぼ社長だけ、といった中小企業が多いのではないかと思います。社長の肝煎りで後継者が、とか、特別に採用した人が、ということはあると思いますが。

とは言え、使える経営資源は極めて少ないわけで、例えば本体事業までをも毀損するくらいの資金をつぎこむようなことは避けなければなりません。ドラッカーが言うように「すべての失敗は経営者の責任」です。となるとどうするか。ユニクロがかつて野菜販売を行ってうまくいかないと判断して撤退した際には、あらかじめ撤退ラインを決めていたそうです。経常利益の何パーセント、とか、上限いくらまで、という風に決めておくことが大事です。しかし人間、特に叱責を受けることのない立場の人は、自分は間違っていない、もう少しこのままやればなんとかなるんではないか、といった「正常性バイアス」の罠に陥る危険性があります。正常性バイアスの有名な例は第二次世界大戦の時のインパール作戦だと言われています。(『失敗の本質』などに詳しく書かれています)

中小企業の経営者に注意する人はあまりいません。取締役会メンバーも株主も家族・親族であることが多く、ガバナンスが利きにくいと言います。頭でわかっていても、始めた以上やめられないし、経営者としての沽券にかかわる、ということでしょうか。そうした場合、第三者が冷徹な目で「社長、ちょっと行き過ぎていますよ」と言ってお止めすることも必要です。そういう役割として中小企業診断士などの外部専門家と顧問契約をする企業もあるようです。

中小企業の利点は、大企業のように、「戦略的な重要性が高いか低いか」「本業の資産の活用度が高いか低いか」といったような判断基準を用いて、幹部間で合意をして「探索ユニット」に色々なことをやらせるとか、「内部に矛盾をはらんだ探索ユニットと深化ユニットを共存させるために抱負や価値観や結束力のためにトップリーダーがリーダーシップを発揮しなければならない」といった苦労をそれほどしなくても、自分の判断で意思決定できることではないかと思います。

他方で活用できる経営資源がほとんどないため、自分自身が中心になって、本業もやりつつ新しいこともやらなければならないという物理的制約が大きい点が弱点ではあります。論理的な分析や理由づけに時間をかけなくて良い分、また、何が結果的にうまく行くかわからないということもあり、思いつきに近いことでのチャレンジも許容されるかも知れません。思いつきに近い取組みでも効果を早いサイクルで確認していくため、OODAループと言われる試行錯誤の手法や、そのためにMVPと呼ばれる必要最小限の試作品を市場に出して市場の反応を見ながら並行して商品のレベルアップを図っていくといったやり方も必要なのだろうと思います。そのためには、世の中のトレンド、これから世の中が進む方向性、などについて外部専門家の知見に耳を傾けることも必要だと思います。

また、業況の厳しい赤字企業の場合はどうすべきか、といった難題もあります。もし資金を一時的であれ調達できる見込みがあるのであれば、補助金を活用して資金リスクを軽くして新しいことに挑戦するという方法もあります。折しも今、新型コロナウイルスが猛威を振るっている中で、国がものづくり補助金や小規模事業者持続化補助金を通年で募集していますし、また、この3月には「事業再構築補助金」という新しいメニューも出されるとのことです。いずれも厳しい審査があるため、応募すればお金がもらえるというものではありませんが、厳しい状況にある中小企業も、そういう支援メニューも活用して、自ら変化することにチャレンジしていただきたいですし、そういう経営者の方々を応援していきたいと思っています。

中小企業診断士 中陳和人のホームページはこちら⇒ https://www.nakajinkazuto.com/

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『フランクリン自伝』からの抜き書き

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正岡子規の『病床六尺』を見ていたら子規が死の二週間程前にフランクリンの自叙伝について、文字が小さいことと体力が相当落ちている状態のために「三枚読んではやめ、五枚読んではやめ、苦しみながら」読んだにもかかわらず、「得たところの愉快は非常に大なるもの」で「何とも言はれぬ面白さであった」と書き記していました。子規が死の直前まで前を向いて生きていたことに感銘するとともに、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)という人と真面目に向き合ってみようと思ってこの本を求めました。本をひもとく中でごく最初のあたりのページにこれまで出会ったことのない考え方に触れ、これは面白いと思い、全体的に抜き書きをしてみました。あくまで個人の感想ですが、FBとTwitterで投稿した内容を再録しておきます。なお1902年の今日9月19日は子規の命日とのことです。

岩波文庫『フランクリン自伝』表紙

私は他人の自惚れに出逢うといつもなるべくこれを寛大な目で見ることにしている。自惚れというものは、その当人にもまたその関係者にも、しばしば利益をもたらすと信ずるからである。(フランクリン自伝p9 2020.8.15)

議論好きという性質はともすると非常に悪い癖になりやすいもので、この性質を実地に生かすとなると、どうしても人の言うことに反対せねばならず(中略)談話を不快なものにしたり、ぶちこわしたりしたしまうほかに、あるいは友情がえられるかも知れない場合にも不愉快な気持ちを起させ、恐らく敵意をさえ起させる(フランクリン自伝p27 2020.8.16)

私はトライオン式の料理法を習い覚え、馬鈴薯や米を煮たり、早作りプディンをこしらえたり、その他二、三種類の料理ができるようになったので、私の食費として毎週払っている金の半分をくれるなら、自分は自炊をしたいがと兄に申し出た。兄は早速承知した。そこでやってみると、まもなく兄のくれる金が半分は残ることが分かった。この残った金は本を買う足しにした。(フランクリン自伝p30 2020.8.17)

飲食を節するとたいてい頭がはっきりして理解が早くなるもので、そのため私の勉強は大いに進んだ。(フランクリン自伝p31 2020.8.18)

クセノフォンの『ソクラテス追想録』を求めたところ、その中にこの論争法の例が沢山出ていた。私はすっかり感心して、いきなり人の説に反対したり、頑固に自説を主張したりする今までのやり方を止め、この方法に従って謙虚な態度で物を尋ね、物を疑うといった風を装うことにきめた。(フランクリン自伝p32 2020.8.19)

談話の主要な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることにあるのだから、ほとんどきまって人を不快にさせ、反感を惹き起こし、言葉というものがわれわれに与えられた目的、つまり知識なり楽しみなりを与えたり受けたりすることを片端から駄目にしてしまうような、押しの強い高飛車な言い方をして、せっかくの善を為す力を減らしてしまうことがないよう(後略 フランクリン自伝p33 2020.8.20)

人に物を教えようとする時に、押しの強い独断的な言い方で自分の考えを述べたのでは、人は反対しにくい気持になって素直には聞いてくれないだろう。また他人の知識から教えを受けて賢くなりたいというのに、しかも現在の考えを固執するようなことを言っては、議論を好まぬ謙遜で思慮のある人なら、おそらく間違っていてもそのままにしておいて直してはくれないだろう。(フランクリン自伝p33 2020.8.21)

人は金を沢山持っている時よりも少ししか持っていない時のほうが、気前のよいことがあるものだ。多分文なしだと思われるのがいやだからであろう。(フランクリン自伝p47 2020.8.22)

理性のある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理窟をつけることもできるのだから。(フランクリン自伝p67 2020.8.23)

私は鋳型を考案し、手もとにある活字を打印器に使って鉛に字を打ちこみ、こうしてかなり上手に足りない活字を揃えたものだ。また時にはいろいろなものを彫りもしたし、インキも作れば、店番もしたし、その他何でもやった。つまり、万屋だった(フランクリン自伝p101 2020.8.24)

私は人と人との交渉が真実と誠実と廉直とをもってなされることが、人間生活の幸福にとってもっとも大切だと信じるようになった。(フランクリン自伝p108 2020.8.25)

私は有能な知人の大部分を集めて相互の向上を計る目的でクラブを作り、これをジャントーと名づけて、金曜日の晩を集まりの日にしていた。(中略)会員はすべて順番に倫理・政治ないしは自然科学に関するなんらかの点について少なくとも一つの問題を提出し、仲間の討論にかけることになっていた。(フランクリン自伝p112 2020.8.26)

議論のために議論するとか、相手を言い負かすために議論するとかではなしに、真理探究という真面目な精神で行うことになっており、(中略)議論が喧嘩腰になるのを避けるために、独断的な言い方や真向から反対するといったことは一切禁制となり、それを破る者には小額の罰金を課することにした。(フランクリン自伝p112 2020.8.27)

自分の勤勉ぶりを事こまかに、また無遠慮に述べたてるのは、自慢話をしているように聞こえもしようが、そうではなくて、私の子孫でこれを読む者に、この物語全体を通して勤勉の徳がどのように私に幸いしたかを見て、この徳の効用を悟ってもらいたいからである。(フランクリン自伝p116 2020.8.28)

何かある計画をなしとげるのに周囲の人々の助力を必要とする場合、有益ではあるが、自分たちよりほんのわずかでも有名になりそうだと人が考えやすい計画であったら、自分がその発起人だという風に話を持ち出しては、事はうまく運ばない。(フランクリン自伝p150 2020.8.29)

何かある過ちに陥らぬように用心していると、思いもよらず、他の過ちを犯すことがよくあったし、うっかりしていると習慣がつけこんで来るし、性癖のほうが強くて理性では抑えつけられないこともちょくちょくある始末だった。(フランクリン自伝p156 2020.8.30)

第一 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。

第二 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。

第三 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。

(フランクリン自伝p157 2020.8.31)

第四 決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。

第五 節約 自他に益なきことに金銭を費すなかれ。すなわち、浪費するなかれ。

第六 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。

(フランクリン自伝p158 2020.9.1)

第七 誠実 詐(いつわ)りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。

第八 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。

第九 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

(フランクリン自伝p158 2020.9.2)

第十 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。

第十一 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。

第十二 純潔 (前略)これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。

(フランクリン自伝p158 2020.9.3)

第十三 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし

私はこれらの徳がみな習慣になるようにしたいと思ったので、同時に全部を狙って注意を散漫にさせるようなことはしないで、一定の期間どれか一つに注意を集中させ、その徳が修得できたら、その時初めて他の徳に移り、こうして十三の徳を次々に身につけるようにして行ったほうがよいと考えた。(フランクリン自伝p159 2020.9.4)

古くからの習慣のたえまない誘引や、不断の誘惑の力に対してつねに警戒を怠らず、用心をつづけるには、頭脳の冷静と明晰とが必要であるが、それをうるにはこの徳が役立つ。(フランクリン自伝p159 2020.9.5)

知識は、人と談話する場合でも、舌の力よりはむしろ耳の力によってえられると考えたので、下らない仲間に好かれるようになるにすぎない無駄口や地口や冗談などに耽る習慣(それが私の癖になりかけていた)を直したいと願った。そこで沈黙の徳を第二においた。(フランクリン自伝p159 2020.9.6)

多くの人の場合、(中略)私が用いたような方法を知らないために、このほかの徳不徳の点でよい習慣を身につけ、悪い習慣を破ることの困難に出会うと、これと戦うことを断念し、「所々しか光っていない斧が一番いい」と結論を下してしまう。(フランクリン自伝p168 2020.9.7)

私が作った徳目の表は最初は十二項目しかなかった。ところが、クェーカー教徒の友人が親切に言ってくれたのだが、私は一般に高慢だと思われていて、その高慢なところが談話のさいにもたびたび出て来る。何か議論するとなると、自分のほうが正しいというだけでは気がすまないで、おっかぶせるような、むしろ不遜と言ってもいい態度があるとのことで(中略)、できればこれを直したいものだと考え、謙譲の徳を表に加え、その語に広い意味を持たせた。(フランクリン自伝p172 2020.9.8)

会計の知識があれば、悪賢い男に欺されて損をすることもなくてすみ、子供が一人前になってその後をついでやれるようになるまで、従来の取引関係をつづけて恐らく利益のある商売を営むこともでき、けっきょくいつまでも一家の利益、繁昌のもとになる。(フランクリン自伝p183 2020.9.9)

他人の敵意のある行動を恨んでこれに返報し、敵対行動を続けるよりも、考え深くそれを取りのけるようにするほうがずっと得なのである。(フランクリン自伝p190 2020.9.10)

組合経営(※)というものは喧嘩別れになりがちのものであるが、私の場合は幸いなことにすべて円満に経営され、円満に終わったのである。これは私が予め用心して、喧嘩の種が一つもないように、各当事者がなさなければならぬこと、ないしはしてほしいことを残らず明瞭に契約書中で取り決めておいたのによるところが多いと思う。(中略)契約当時には当事者同士がお互にどんなに尊敬と信頼を持っていたにしても、仕事の上の心配や気苦労などが不公平だという考えが起ると、それにつれてちょっとした妬み心や嫌気が頭をもたげ、そんなことから友情にひびが入り、せっかくの組合関係もだめになって、訴訟沙汰やその他の面白くない結果に終わることがよくある。(フランクリン自伝p203 2020.9.11)※投稿者注:今日私たちが認識している「組合」と同義ではない可能性があります。(共同代表の株式会社みたいなものかも)

あらゆる他の宗派は、真理はすべて自分にあるものと考え、自分と異るものがあれば、異るほうが誤っていると考えている。それはちょうど霧の日に道を行く旅人に似ている。少し先を行く人々も、後から来る人々も、また左右の野原にいる人々も、すべて彼には霧に包まれているように見え、自分も他の人々と同様やはり霧に包まれているのに、ただ自分の周りだけが明るく見えると思いがちなものである。(フランクリン自伝p216 2020.9.12)

人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起って来る些細な便宜から生れるものである。(フランクリン自伝p237 2020.9.13)

私が見てきたところでは、理窟屋で反対好きで言葉争いに耽るような連中は、多くは仕事の方がうまく行かないようだ。彼らは勝つことはある。しかし、勝利よりも役に立つ、人の好意というものをうることは決してないのだ。(フランクリン自伝p244 2020.9.14)

怠けているところを自分自身に見つけられるのを恥じよ。(中略)なさねばならぬことが山ほどある以上、夜が明けるとともに起き出すことです。太陽に見下ろされて「恥知らず。ここに横たわる」と言われるな。(フランクリン自伝p323 2020.9.15)

あなたの力が足りないという場合も、あるいはおありのことでしょう。ですが、そうであったにしても、着実に仕事をおつづけになることです。そうなされば、きまって大きな効果が上るものなのです。(フランクリン自伝p324 2020.9.16)

力は勇気ある者に、至上の幸福は有徳の士に、学問は勉強家に、富は用心深い者に授かる。(フランクリン自伝p326 2020.9.17)

つねに注意深く、用意周到であれ、どのような些細な事柄についても。時に、わずかな怠りでも、大きな災いを招きかねない。釘が一本ぬけて蹄鉄がとれ、蹄鉄がとれて馬が倒れ、馬が倒れて乗っていた者が命を落とした。(フランクリン自伝p327 2020.9.18)

儲けはいっときのことで定めないものであるのに、出銭は生涯つきまとう変りないものですし、「かまど二つを築くは易く、かまど一つに火を絶やさぬは難し」です。(フランクリン自伝p336 2020.9.19)

経験の経営する学校は月謝が高い(フランクリン自伝p337 2020.9.19)

番外編①(『フランクリン自伝』の翻訳者・松本慎一氏による昭和12年5月の解説より)

フランクリン自伝は、明治中期以来わが国の青年の愛読書(フランクリン自伝p352 2020.9.19)

フランクリン自伝は世界自叙伝文学中の古典としてきわめて広く読まれ、刊行後約一世紀の間に、英米のみにても版を重ねること幾十百版に及び、今日においてもその需要を絶たない(フランクリン自伝p353 2020.9.19)

彼が書き終えたのは計画の半分ぐらいに止まり、その活動のもっとも花々しかった晩年の三十年間には及びことができなかった。(フランクリン自伝p354 2020.9.19)

カール・マルクスは新大陸における最初の偉大な経済学者としてフランクリンに敬意を払っている。(フランクリン自伝p355 2020.9.19)

フランクリンはワシントンよりもリンカンよりも、より多くアメリカ資本主義の育ての親である。アメリカを理解するためには、フランクリンを知ることが、少なくとも甚だ有益だと思われる。(フランクリン自伝p356 2020.9.19)

番外編②(『フランクリン自伝』の翻訳者・西川正身氏による昭和31年8月のあとがきより)

フランクリンの自伝は、単に「優れた人生教科書」であるだけでなく、「アメリカ資本主義の揺籃史」として、アメリカ研究者にとって必読の書なのである。(フランクリン自伝p363 2020.9.19)

フランクリンは「アメリカ資本主義の育ての親」であったが、フランクリンをその面から見て行こうとする者にとって、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は必読の書である。同書には、「若い商人に与える忠告」をはじめ、フランクリンからの引用、彼への言及がそこここに見当たる。(フランクリン自伝p367 2020.9.19)

なお、この本を読んで初めて、当時のアメリカがヨーロッパの植民地であり、植民地であったということは領主様がいてヨーロッパ本国から色々課税指示が来て、でも現地の人たちは議会を作って抵抗したり、その一方で先住民と戦争をしたり先住民の人たちに自分たちの代理戦争をさせたりという、アメリカ独立前の人々の営みを、知識として知ることができました。

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』文庫版全巻をようやく読み終えました。平成14年の刊行から丸18年をかけての通読となりました。元々ハードカバー版の第1巻が刊行されたのが1992年(平成4年)で最終の第15巻が2006年ですから、著作仕事自体も14年がかりでの大仕事です。

元々塩野さんの著作は学生時代に求めた『神の代理人』や『ルネサンスの女たち』『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』あたりから親しんでいたので、『ローマ人の物語』が出た時も書店で何度かページをめくりつつ、あまりに分厚いので購入には至らず、文庫版が出た時には躍り上がって喜んで買い求めたものです。

全編にわたり、過去の様々な記録や遺物をなぞって歴史の経緯・叙述を記しつつ、都度ご自身の推論も提示しながら読者に示す書き方となっており、何が記録で何が自身の考えかを区別しながら読み進めることができました。これは塩野さんの書き方の特徴であろうと思います。

ローマ皇帝というのは絶対君主のような印象を学生の頃は持っていましたが、この本を読んで初めてわかったのは、まったくそうではなく(歴代の皇帝にもよるようですが)、基本的には元老院という貴族(これも固定的ではなく新規参入貴族もあったようです)たちが承認するという手続きがあったこと、世襲とは限らず現皇帝の甥や信頼のおける部下に引き継いだこともあり、クーデターでの交代もあった(にもかかわらず皇帝という制度はそのまま)、というバラエティに富むあり方だったことです。ずっと後の時代にはローマ教皇が戴冠するという風に変わっていったようですが。

この本の私にとっての圧巻は、ハンニバル、カエサル、そして西ローマ帝国の滅亡のあたりです。

ハンニバルについては、文庫第4巻「ハンニバル戦記(中)」にある次の文章に、リーダーとはかくありたいと思わせる一文があります。「全軍を休ませるに足る宿営地の設営など、考えるだけでも無駄だった。山岳民が使う避難所や要塞に出あえば、神々の恵みとさえ思えた。多くの夜は陣幕を張る場所さえ見つけられず、それらを身体に巻きつけて風と寒さを防いだ。たき火は燃やしたが、暖をとるまでは不可能だった。総司令官のハンニバルも、一傭兵と同じく凍りついた食をのどに流しこみ、一傭兵と同じに崖下で仮眠をとった。だが、彼にだけは、一兵卒ならば考えなくてもよい種々のことを考え、情況に応じた判断を即座にくだす必要があった。」

欧米諸国では「ハンニバルが来るぞ」というのは子どもを怖がらせるための親の脅し文句で、日本での「鬼さんが来るぞ」というのに近いようなニュアンスがあるそうです。食人鬼のような恐ろしさをこめられているように思いますが、実際のハンニバルは将兵とともに起居し、将兵と同じ苦労をし、将兵に混じって仕事をしていた(但し戦略は自身で練っていた)、というある種理想的なリーダーだったのではないかと思います。戦後のある時のローマの将軍スキピオとハンニバルの邂逅シーンも優れた叙述だと思います。

カエサルについては、絶対君主を目指した横柄な人物でエジプトで女王と結婚し挙句は側近に裏切られて衆人環視の中で殺害された、という印象がこの本を読む前の私のイメージでした。しかしこちらもとんでもない誤解だった・・・事実の一部はあっていたのでしょうけど・・・ということがわかりました。なにせハードカバー版で2冊にも及び、文庫版では6冊にもなる、全巻通じて最もページ数を多く割かれた、超痛快な人物です。(捕虜として捕らえられた時の態度が刮目に値します。ある意味「犬のディオゲネス」が奴隷として売られた時のような潔さに通じるような) のみならず、塩野さんはよほどカエサルが好きなのか、皇帝の失政が見られるたびに(と言っては大げさですが)「カエサルだったら」とか「カエサルがもしいたら」みたいなことを後々までずっと書いておられます。

最後の43巻は蹂躙される自分たちの街に住む人々の惨状に思いを致し涙なしでは読めませんでした。しかし、塩野さんのこの本を通じて学んだことは、ものごとは一方からだけ眺めるのではなく、相手の側の目線も必要であるということで、攻める側からはまったく異なる(悲劇ではない)風景が見えていたのだろうなあとも思います。現場で当事者としてその被害にあっていない立場だからこそ取りうるスタンスなのでしょうけど。ただ、現代ではとても直視できない光景です。フレデリック・ラルー氏の『ティール組織』にある「レッドのパラダイム」だということを前提に置かないととてもではないですが。(私たちは既にそのパラダイムは超克しているはずです)


476年に西ローマ帝国の皇帝が廃されて以降のイタリアは、故地回復という名の下に思いつきのように戦いを仕掛ける東ローマ帝国皇帝といわゆる蛮族の平和的支配と劫掠の中でボロボロに疲弊していく旧西ローマ帝国の人々。特にミラノの惨状は目を覆うばかり。食糧生産はできず水道網は市民を救済するという目的での戦闘のために破壊されるなど、戦争は文明と一般の人々の暮らしと心を崩壊させることは間違いないことはよくわかりました。
フレデリック・ラルー氏の『ティール組織』にある「レッド・パラダイム」がそれよりも上位概念であるはずの「アンバー・パラダイム」を打ち負かしたということなのか、はたまた。粗野が往々にして文明に勝ることもあるということの証拠なのでしょうか。
アッティラが東ヨーロッパに攻め入ってきて押し出される形でフランクやらゴートやらが東西ローマ帝国を襲うのですが、そもそもその背景にあったかもという気候変動については塩野さんは触れられておらず。「人の歴史」として描かれたので自然現象は思索の対象外ということだったのかも知れません。最後に泣きを見るのはいつも一般市民です。
長い月日の中で蛮族と言われた人々は少しずつローマ帝国に(軍隊を中心に)取り込まれ融合していき、その中でかの文明のもろさや弱さを学習し、攻めどころを理解し、中に入ったり外から攻めたりしながら、最後は砂の城が崩れるようにポロポロと崩壊していった感じがします。
とは言えキリスト教会は存続し蛮族と言われた人々もヨーロッパのあちこちに住まいし、また帝国を逃れて海辺に行きやがてヴェネツィアとして千年の栄光を誇る人たちもいたり、やがて元々同一国だったはずのヨーロッパの人々が東ローマ帝国を蹂躙しコンスタンチノープルを崩壊させたりと、歴史はまだまだ続きます。

塩野七生さんの著作の一部

ともかく、長い間一つのテーマで楽しい読書をさせていただきました。塩野七生さん、ありがとうございました。

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