吉田満梨さんと 中村龍太さんの『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』

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起業や事業化に当たっての進め方として、目標を設定しそこに至る道筋や必要な資源などを考えて取り組む「コーゼーション」型と、今何ができるかということを手持ちの資源から考えて取り組んでいく「エフェクチュエーション」型の、2つのアプローチ方法があり、それらを市場での自社のポジションや市場の成熟状況などに応じてうまく使い分けて行くことが大切だとありました。
私はこれら2つの言葉を初めて知りましたし、うまく発音できるかもおぼつかないのですが、現実の世界では、後者のような走りながら考えるということが往々にしてあるような気がします。重要なのは、走りながら考える場合であっても、予め損失許容範囲を定めておくということのようです。これにしても、多くの人は意識してか無意識のうちでかは別として、そのようにしておられるようにも思います。子どもの頃の「小遣いの範囲内で遊ぶ」という習慣みたいなものかも知れませんが(例えが卑近すぎるかも知れません)。
もしかすると、旧日本軍の「失敗の本質」に見られるような戦力の逐次投入や現代の日本企業にも見られる損失回避のための追加投資によってさらなる損失をもたらす、いわゆるサンクコストのようなもの、或いは賭け事に依存して負けても負けても借金を増やしてまた賭け事をしてしまう・・・結果的に、そのうち取り返すことができるのかも知れませんが、多くの場合取り返すことができない結果になるのは、この損失許容範囲を決めていないことが原因かも知れません。
他にも、「目から鱗」といって良い知見をいくつも得られました。機会があればまた投稿したいと思います。

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志賀直哉さんの『和解』

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奈良の東大寺は二月堂の裏参道がとても良い風情です。大阪で7年半勤務をし、東大寺にも何度も足を運びましたが長らくそのことを知らず、確か司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のいずれかの回のものを読んだ際、それも大阪滞在中の晩期にようやく知った次第です。
二月堂の裏参道から大仏さんの方には行かず二月堂から三月堂を抜け、若草山の麓の茶屋街を通っていくと、やがて春日大社に出ます。春日大社を左に見つつ境内の終わりまで行くと、目の前に急に鬱蒼とした森が現れます。春日山原始林の一角です。奥に足を踏み入れず、人が歩けるように整備された道があるので、そこを進んで行きます。「下の禰宜道」又は「ささやきの小道」と言われる遊歩道です。そこを200~300mも歩くと、森を抜け、民家の立ち並ぶ町に出るのですが、そこからすぐの所に「志賀直哉旧居」という看板のあるモダンな家があります。場所は奈良市高畑町という所になります。

へえーっ、ここがあの有名な志賀直哉さんが・・・このような場所で暮らしていたのか・・・春日大社まで徒歩10分、東大寺や興福寺や猿沢池が散歩コースなんて、なんて優雅な場所に住んで小説を書いていたのだろうか・・・ととてもうらやましく感じたものです。この方の小説はその頃はまあ読んだことがなく、どんな人物なのかもさっぱり知りませんでした。(写真は2009年8月に現地で撮影したものです)
とりあえず中に入らせていただいたのですが、部屋のしつらえを見てびっくり。子どもたちの教育にとても熱心なことがわかるような子ども部屋になっていました。いわゆる教育パパといった感じではなく、子どもたちの自発性を重んじる、自分たちで学んでいこうと思わせるような環境作りをしておられるなあという印象を持ちました。なんと庭にはプールまであったようで、その跡が残っていました。
奈良市高畑に住む前は、奈良市幸町という所に住まわれていたようで、通算奈良には13年住んでいたことになります。しかしその後、男の子の教育のためには東京が良いということで、東京に移住してしまいました。そんなこんなでこの人は生涯(幼児期も含め)23回も引越ししておられるようです。88年の生涯ですので、なんともせわしない感じがしますが、それでもこの高畑には丸7年住んでいたようなので、それなりに居心地が良かったものと思います。私も2階の部屋に上がらせてもらって窓外の風景を眺めていたら、とても気分が落ち着き、いつまでもここの空気を吸うていたいものだと思いました。家を作るならこういう家だなあとも。

その後『暗夜行路』に挑戦しましたが、なかなか進まぬうちに、遂に15年も経過してしまいました。この人は若い頃に父親と不和になり、わだかまりを長いこと抱えて過ごし、三十代初めには取り返しのつかないくらいの険悪な間柄になっていた、しかしその後34歳頃に不和が解消された、ということを見聞きしており、『暗夜行路』もそういうことをテーマにしたものだということです。一小説家がその父親と喧嘩しようが何しようが構わないし、そのことを長編小説で書き連ねられても、私にとってほとんど意味がない、そもそも私小説とは他人様のプライベートを読まされるものであり、共感できるものであれば有益かも知れないが、場合によっては作家さんと傷をなめあうだけのなぐさみにしかならないのではないかという心持ちが私にはあり、あまり私小説を読んで来なかったということが、途中で投げ出してしまう原因かも知れません。
何かの拍子で志賀直哉さんが父と和解したことそのものをテーマにした短編小説に書いているということを知り、そんなことが小説になるんだ、という思いと、どういういきさつで和解したのだろうということに関心がわき、読んでみました。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は「父殺し」がテーマだと言われています。男の子が父親を憎いと思うエディプスコンプレックスも「男子が最初に出会う女性の性愛の相手である父に対する怒り・憎しみ」だと言われます。男の子とその父親というのは根本的にライバル関係(なんて生易しいものではなく、果ては殺し合いにまで発展することもあるくらいに恐ろしいものかも知れません)にあるというのは、頭で考えてどうこうなるものではないような生物としての宿命かも知れません。或いは、自分の中の嫌な部分が父の中に見出され、自分は父の嫌なところを受け継いでいるという事実を直視したくない無意識の抵抗みたいなものもあるのかも知れません。しかし志賀直哉さんの物語は、父親をうざい存在だと思う息子の無意識で無自覚な感覚が、やがて、自分は一体何に抵抗していたのだろうか、何と「無意味」で「馬鹿げている」ことをしていたんだろうか、と気づく瞬間があります。ここに至る経緯には、志賀直哉さんの最初のお子さんが生後数十日で亡くなってしまったことや、その翌年に二人目のお子さんを授かったこと、気丈だった祖母が随分弱ってしまったこと、などがあり、なぜか卒然と父を赦す気持ちが芽生え、母(志賀直哉さんの実の母は既に亡くなっており、継母に当たる方)の仲介を得て父との長年の確執を終えることになったようです。この時父親も「これまでのような関係を続けて行く事は実に苦しかった」と吐露してくれます。今の私は息子である志賀直哉さんの立場も、父親の立場もわかるせいか、このセリフを読んだ瞬間に、熱いものがどっと溢れ出しました。良い小説だと思います。

この和解に至るまでの行程は随分長く、この人の日常風景が延々と語られます。しかし所々に志賀直哉さんの心情の変化をもたらす伏線のようなものが描かれています。
例えば新潮文庫のp68には「前々夜から前日の朝までジリジリとせまってきた不自然な死、それにあるだけの力で抵抗しつつ遂に死んでしまった赤児の様子を凝視していた自分にはそれは中々思い返す事の出来ない不愉快だった。総ては麻布の家との関係の不徹底から来ていると思った」とあり、自分の周囲で起こる不幸な出来事、それと向き合えない自分、すべてを父のせい、又は父との間柄が不仲である現状のせい、という風に、自分以外のなにかに責任を転嫁している様子が描かれています。
そして父に詫びを入れ、父からも赦しの言葉をもらったあとは「非常に身体も心も疲れて来た。そしてそれは不愉快な疲れ方ではなかった。濃い霧に包まれた山奥の小さい湖水のような、少し気が遠くなるような静かさを持った疲労だった。長い長い不愉快な旅の後、漸く自家に帰って来た旅人の疲れにも似た疲れだった。」(P131)とあり、爽快な感じではないものの、重荷を下ろしたという感じが伝わってきます。
実はあまり目立った扱いにはされていないものの、志賀直哉さんの奥様(康子(さだこ)さん)の、この短気者(志賀直哉さんのことです。意外に短気だったようです)に対する気遣い・支えがあったればこそ、今日に至ったのではないかと思います。
それにしてもこの「濃い霧に包まれた山奥の小さな湖水のような」という自分の心持ちを表す表現は、なかなか思いつかないような表現だと思いましたが、私にとってはしっくり来るものでした。世の中には悲しい結末の物語もあり、エンディングを知ることは恐怖であることも往々にしてありますが、この『和解』は実話に沿っているということも含め、久しぶりにカタルシスを味わうことができました。

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ドストエフスキー『貧しき人々』

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大学一年生の冬、『罪と罰』を読もうと買いましたところ、あまりの難解さに(特に人の名前の複雑さと同じ人なのにいくつも呼び方が出てくるややこしさ)面食らってしまい、いきなりは無理だ、もう少しとっつきやすいのを先に読んで「肩慣らし」をしてからでないととても歯が立たないやと慌てて買ったのが『貧しき人々』でした。あれから四十数年が経ち、もう一回読んでみようかと探したところ、まだ書棚にあったので久しぶりに読みました。古い岩波文庫なので、星三つ、すなわち当時の価格で300円。著者はドストエフスキーではなくドストイェフスキィ、になってました。実はこの小説がドストエフスキーの処女作だったということも改めて知りました。長文の「ワルワーラの覚え書き」を読んで、後から既視感が漂いました。小説の中に別の物語が盛り込んである作りは、他の小説でも珍しくはありませんが、ドストエフスキーで言えば、『カラマーゾフの兄弟』の中に挿入してある、次兄のイワンが語る「大審問官」の立ち位置とよく似ているような気がして、ああそうか、ドストエフスキーは処女作でもうそういう作りをやっていたんだなあと感じた次第です。

訳者の原 久一郎さんの「あとがき」は1959年11月に書かれたことになっています。これは初版が1931年なのですが、その後ソヴェト国立出版局の1956年版によって新訳されたものが私の手元にあり、よって1959年のあとがきがあるわけですが、そこにはドストエフスキーの理解者であったネクラーソフという詩人がロシア思想界の大立者であったベリンスキイを訪れて「新しいゴーゴリが出ましたよ。新しいゴーゴリが」と伝えたということが書かれています。その時、ドストエフスキー25歳。

ブイコフという地主が出て来ます。最後にワルワーラを妻に迎える人物ですが、前回読んだ時にはちゃんと読めていなかったのですが、実は結構最初の頃に登場し、ちゃんと伏線が張ってありました。さてこの先彼女はどうなるのでしょうか。また彼女を実の娘のように慈しみ愛情を注いでいた貧しき下級官吏のマカールはどのように老いていくのでしょうか。マカールからワルワーラに送られたうように見える最後の手紙はワルワーラに届いたのか或いは書いただけなのか。

辛い小説ですが、全体を通して色んな場面が想像力を掻き立てられ、読後もしばらくは余韻があるような気がします。貧しき人々

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小阪裕司さんの『「価格上昇」時代のマーケティング』

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ワクワク系マーケティングの小阪裕司さんの著書です。昨年購入していたのですが、ようやく読むことができました。

私たちの国では、30年続いたデフレの下なかなか値上げができませんでした。思うに、色んなものが100円で売られており、例えば文具店に行くと150~200円ぐらいするポストイットとそれほど品質に差を感じないものが百均では100円。あれも100円。とにかく安いのが良い、安くないと売れない、という感覚になりきってしまっていたような気がします。

しかしここ1~2年、コロナ禍での事業者の疲弊、北洋材の品薄による木材の値上げ、ウクライナでの戦争の影響による小麦価格の値上げ、なんだか理由がよくわからない原油価格の値上げによる電力料金の値上げ、などボディブローのようにじわりじわりと色々な「原価」が値上がりをしてきました。その結果、多くの企業で「利幅が薄くなってきた」「コロナが明けてようやく黒字が見えてきたと思ったらまた赤字だ」という状況になり、しかもそれがこれまでの「安いのが良い」という感覚麻痺によって「値上げ」という選択肢が出てこず、包装を簡易にして価格を維持しようとか銀行は封筒をATMコーナーから撤去してコストを切り詰めようとか、そういう弥縫策に走り、結局自身で首を絞めているような感じになっているように私は感じています。

そんな中、顧客にとって価値のある商品・サービスを作り、その価値を伝えることも含めて提供していけば、それに見合った価格にすれば良い、そのためには日頃から顧客との関係をしっかり構築しておき、顧客が気づいていないニーズへの訴求や顧客が知らない価値を教えることでお客から対価を得る、といったことが書かれているこの本は目から鱗でした。

工場でものづくりをしている人たちは日頃顧客と接することがありません。自分たちが作っているものがその後どういう経路を経て何と組み合わされてどういう人がどんな恩恵を得ているのかということもなかなか知る機会がありません。そうした場合でも、経営者が顧客(発注元企業)の喜びの声(ポジティブなリアクション)を聞いてきて、社内に伝えることで、働く人々も「喜ばれている」「役に立っている」「私の仕事には意味がある」と感じることができ、それが明日へのエネルギーになる、ということです。

p49にヴィクトール・フランクル博士の『夜と霧』に関する記載がありました。曰く「より生き延びる確率が高い人は生きる“意味”を持っている人であることがわかった。」 企業の場合でも、一人ひとりの社員が「ここで働くのは自分にとってどういう意味があるのか」ということに思いを致し、何らかの答を得ることができた社員は元気が出、継続する力が湧いてくるものと思います。そういう機会を作ることも経営の仕事でしょうし、その問いに対してポジティブな答が見つかるような会社であれば永続性は高まっていくものと思います。「ここで働く意味」とはなんでしょうか。「成長」「共感」「仲間」「(もちろん)給与や休暇などの処遇」といった人としての当たり前のことが組織として提供できているかどうか、人を単なる労働力としてしか見ていない企業、人を企業の目的を一緒に実現していくための仲間として見ている企業、同じように給料を払い働いてもらっているだけかも知れませんが、その両者には大きな違いがあるのではないかと思います。経営に携わる人々は、自身で、或いは職場の仲間とともに、時にはそんなことを考えることも必要ではないか、ということもこの本を読んで感じました。「価格上昇」時代のマーケティング

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公式伝記『イーロン・マスク』

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まだ52歳の若さで伝記が出る人物。父のエキセントリックな子育て、南アフリカの過酷な環境など子ども時代の体験がその後のこの人の人格を形成しているのだろうということは想像できますが、この人の天才的な発想や同時にいくつもの事業を経営し続け、新たなことにも挑戦していく頭脳がどこから出て来るものか、はこれとはまた別の理由や背景があるようにも感じます。ただ、一攫千金を得た父を乗り越えたいという思いはあったのだろうなと感じます。子どもの頃、昼から夜の9時までぶっ通しで本を読み続ける集中力、授業中に先生が呼びかけると窓外の景色のことを返事してしまう、これも集中力、何かに没頭するとまさに寝食を忘れてのめり込む集中力、仕事の合間の休憩にやるゲームでも集中してしまう(休憩になっているんだろうか?なっているんでしょうね、きっと)集中力。天才と言われますが、天賦の才は頭脳そのものではなく頭脳を集中して使い続けられる集中力のことを言っているのかなという気にすらさせるのがイーロン・マスク氏の本を見た感想の一つです。

家族では、まず弟のキンバル・マスク氏。私自身は初めてそういう人の存在を知りましたが、イーロン氏の事業において欠かすことのない貴重な存在であることが、本からはにじみ出てきます。母のメイさん。父は恐らく厳父だったのでしょうけど、母は慈母といって良いような印象を受けました。人生の多くの場面でお母さんが出て来ます。とっても仲が良さそうです。また、最初の奥さんとの間に5人の子をもうけ、その後3回か4回、結婚または非婚の状態で子どもをもうけており、数えていませんが、たぶん10人ぐらいのお子さんがいるようです(亡くなったお子さんもいるようです)。

イーロン・マスク

物理法則以外は規則とは言わない物理法則以外は勧告である・・・本人の抱えている病気のせいか、人の心への配慮があまりできない人のようで、心理学などはこの人の中では下位に属しているようです。しかし組織運営においては学ぶべき点もありそうな感じです。曰く
・技術系管理職は実戦経験を積まなければならない。たとえばソフトウェアチームの管理職なら仕事時間の20%以上は実際にコーディングをしていなければならない。ソーラールーフの管理職なら、自分も屋根に上って設置作業をしなければならない。そうしなければ、馬に乗れない騎兵隊調、剣の使えない将軍になってしまう。
・まちがうのはかまわない。ただし、自信を持った状態でまちがうのだけはやめにしよう。
・自分がやりたくないことを部下にやらせてはならない。
・解決しなければならない課題に直面したら、管理職に伝えて終わりにしないこと。階級を飛ばし、管理職の下の人間と直接会うこと。
・採用では心構えを重視すべし。スキルは教えられる。
・失敗して学べ。
・第1戒:要件はすべて疑え。頭のいい人が決めた要件ほど危ない。私が定めたものであっても、要件は必ず疑え。そして、おかしなところを少しでも減らせ。第2戒:部品や工程はできる限り減らせ。第3戒:シンプルに、最適にしろ。(必要のないものを最適化するのではなく必要のないものをなくした上での最適化であること。)第4戒:サイクルタイムを短くしろ。工程は必ずスピードアップが可能だ。第5戒:自動化しろ。これは最終段階だ。自動化から始めるのは間違い。要件をすべて洗い直し、部品や工程を減らせるだけ減らし、バグをつぶし切るまで自動化は待たなければならない。(これらはこの順序のとおり行うこと)

著者のウォルター・アイザックソン氏によると、本の事前校閲のようなことをイーロン氏は一切行っていないそうです。イーロン・マスク氏にとって有限の時間の中で何を優先すべきかという、そのリストの中にすら自身について書かれた本の校閲などという項目はないのかも知れません。

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スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

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ここ最近アメリカの少し古い映画を観ています。先だってはスコット・アステアの「コンチネンタル」。びっくりしたのは、その当時(たぶん1930年代)のアメリカでは、左ハンドルの車と右ハンドルの車が共存していたことです。全編ダンスが多く、最近のインド映画かと思うところもありました。ま、あくまで私の個人的印象ですので、全然違うのでしょうけどね。

さて直近で観たのが「華麗なるギャツビー(グレート・ギャツビー)」です。スコット・フィッツジェラルドという人の原作です。

本はまだ途中ですが、色んな点が私にとっては不条理に感じられ、いわく言い難い後味が残っています。書かれたのが第一次世界大戦の七年ほど後。映画には何度もなっているようですが、私が観たロバート・レッドフォードのこれは1974年のものです。本の中に気になった文章があったので抜き書きしておきます。

「アメリカ人は、農奴たることはいやがらぬばかりか、進んでなりたがるくせに、貧農たることは昔からいつも頑固にこばもうとする人間なのである。」(新潮文庫p144)・・・意味不明。

「三十歳-今後に予想される孤独の十年間。独身の友の数はほそり、感激を蔵した袋もほそり、髪の毛もまたほそってゆくことだろう。」(同p225)・・・これはうまく韻を踏んだ気の利いた言葉のように感じましたので採録しました。

グレートギャツビー

映画の中では、男たちがいつも顔といわず首筋といわず汗をかいているのが気になりました。顔にあれだけ汗をかいているということは、シャツの背中も下着の中もびっしょり汗をかいているに違いないのですが、画面にはとにかく汗をかいている男たちの顔の大写しが多かったです。汗の意味は、真夏だという設定もあるのでしょうけど、それぞれがなにがしかの隠し事や後ろ暗いことがあり、緊張しているということを表現したのだ、というような説もあるようです。

現代アメリカを代表する作品だということなので、私の感じた不条理感、違和感はさておき、本の方も最後まで読み切って、何が「20世紀最高の文学の2位」なのか、考えてみたいと思います。日本語訳なので、米国の方々のような味わい方は難しいのでしょうけど。

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ドストエフスキー『未成年』

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数年前にドストエフスキーの『白夜』という短い小説を読みました。なんとも言えない幻想的な失恋小説でした。その時の個人的な印象を言えば、装丁の影響を受けたのか、どことなく日本の「雪女」を連想させられました。そこから改めてドストエフスキーに挑戦していこうと決意したのがこの投稿内容のきっかけになります。

ドストエフスキーは大学に入った年に、ちゃんとした小説を読まなければという思いで挑戦したものです。最初は肩慣らし(ロシア文学への心のハードルを下げるための練習)として『貧しき人々』を読み、人物の名称や表現に馴染んだ上で『罪と罰』に取り組みました。それからかれこれ40年近くを経て、7年前の2016年、一週間ばかし仕事からも世間からも離れられる機会がありこの機を逃してなるものかと思い『カラマーゾフの兄弟』を読みました。村上春樹さんの小説にはしばしばこの本のことが出てきていたので、随分前から気になっていたものです。さらにちょうどその頃亀山郁夫さんの新訳が話題になり、筒井康隆さんが亀山訳によってようやく読めたという主旨のことを仰っていたので、それでは、と私も挑戦しました。いわゆる五大長編の1と5だけを読んだことになります。

それで終わっても良かったのかも知れませんが、あと三作を読まないというのもどうかなと思い、『白痴』『悪霊』『未成年』のどれがいいかなあと検討。なんとなく『未成年』というのはあまり聞きませんし、他の二作の重そうなタイトル、巷間耳にするそれらの小説の重々しさに比べるとまだ軽いのではなかろうかという期待がありました。という安易な理由で『未成年』に取り組んだのが数年前。三、四十ページくらいのところであえなく挫折してしまいました。何が面白いんだろう?ということと、見開きに改行が一つもない文字びっしりのページの連続で、しかも言いたいことが伝わりにくい難解さ(ビジネス文書ではないという割り切りをすべきだったのでしょうけど)、ということで、ほうほうの体で逃げ出したという感じでした。

今年の初めだったと思いますが、丸谷才一さんが「読まれないドストエーフスキイ」と書いておられた『ステパンチコヴォ村とその住人たち』を偶然書店で見つけ、帯に「ドタバタ笑劇」とあったので、一気呵成に読みました。その勢いで5月に改めて『未成年』に挑戦し、約2カ月半かかって読み終えた次第です。

やはり前回同様何度も挫折しそうになりましたが、この間、他の小説には見向きもせずに取っ組み合いをしてきました。後になってわかったのですが、主人公には母の違う姉がいるのですが、その女性のことを「主人公が好意を持っている2人のうちの一人の女性」だと錯覚していました。確かに振り返って読み直してみると「姉」であるとはっきり書いてあるのですが、途中で忘れてしまっていました。そのくらい混乱する小説です。

しかし今回勉強になったことがあります。ロシアの名前のつけかたは、本人の名前・父の名前(少し変形)・苗字、という構成になっているようで、例えばこの小説の主人公であるアルカージー・マカローヴィチ・ドルゴルーキーは、苗字がドルゴルーキー、父の名前はマカール、本人の名前がアルカージー、となっています。姉のアンナ・アンドレーエブナ・ヴェルシーロワは、ベルシーロワが苗字の(たぶん)女性名詞、アンドレイが父の名前(父は、アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフ・・・実は主人公アルカージーの実父でもある)、アンナが本人の名前、という具合です。それがしっかり頭に入っていれば、アンナ・アンドレーエブナがヴェルシーロフの娘であり、すなわち主人公と同じ父を持つ姉弟であることもすぐに理解できたはずなのに・・・という思いに駆られます。しかも同じ人物でも、呼ぶ人によって言い方が異なるため、それらが同一人物であるとちゃんと認識しないままに話しが進んでしまうこともあり、複雑な物語が余計わかりにくくなってしまいます。読み手の力不足ではありますが。

しかし後半から亀山郁夫さんがお書きになった参考図書「ドストエフスキー五大長編を解読する」などを時々眺めたこと、全巻終了後に、他の参考図書にも目を通すことで、もやもやっとしていたことが多少は見通しが明るくなったような気がします。中でもフランスに亡命したロシア人作家アンリ・トロワイヤの『ドストエフスキー伝』は直截的で「目から鱗」状態でした。これら参考図書にはとても助けられました。

未成年

最後にいくつか抜き書きを。

新潮文庫上巻p519「われわれは韃靼(タタール)族の侵略にさらされ、その後二百年というもの奴隷状態におかれました」・・・参考図書 NHK出版『世界史のリテラシー 「ロシア」はいかにして生まれたか タタールのくびき』

新潮文庫上巻p568「自分が公正な者は、裁く権利がある」・・・ラスコーリニコフ?

新潮文庫上巻p575「アルカーシャ、キリストはすべてを許してくださいます。おまえの冒涜も許してくださるし、おまえよりももっとわるい者だって許してくださるんだよ」・・・親鸞聖人悪人正機説?

新潮文庫下巻p142「笑いがもっとも確実な試験紙だ・・・赤んぼうを見たまえ、あかんぼうたちだけが完全に美しく笑うことができる」

新潮文庫下巻p265・・・マカール・イワーノヴィチ(主人公の名義上の父)の最後の言葉「なにかよいことをしようと思ったら、神のためにすることだ、人によく見られようと思ってしてはいけない」

さて、しばらくはドストエフスキーから一旦離れ、いずれまた未読の小説集と長編二作に戻ってきます。

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森本真樹さん著『躍動するアフリカ』

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地元の図書館に行ったら<新刊>というコーナーで目に入りました。早速借りてきて一読しました。著者や外交官で3度のアフリカ勤務をなさった方で、現在はエチオピアにあるAUの事務局で働いておられるとか。この方が2008年に当時のエチオピアのメレス首相から、日本には日本にしかできないことをやって欲しい、働く人を指導する指導者の教育である、との依頼を受け、カイゼンを通じた労働教育のプロジェクトを提供したということが書いてありました。ちなみにメレス首相曰く「普通の道路、橋やダムの建設なら、欧州や中国に依頼すれば良い」「規範を書くのは、欧州の人が得意」という風に、日本に依頼することと、欧州や中国に依頼することを区別していたようです。「重要なのは労働倫理です。これは日本が最も得意とする分野であり、日本人にしかできないもの」と仰っていたそうです。

時々知人たちと「日本人の良い所はどこだろうか?」という話題になることがあります。内省的? 思いやり? おだやか? 話し合いでものごとを決めようとする姿勢? どれも合ってるような感じはしますが、それらと逆の出来事にもしばしばお目にかかります。上の人の言うことに素直に従う従順さ・おとなしさ・・・悪く言えば隷従ということにもなりかねず、そういう労働者になるように仕立ててくれ、というのが本音の要請だったとしたら、それはそれで本質を突いていたのかも知れませんが、森本外交官たちが提案し導入したものがカイゼンであったということです。まず、仕事が終わったらきれいに片づける、ということから始めたということですし、カイゼンの本質は、自主性・自発性・チームワークといったボトムアップの取組のはずですから、自由の尊重や多様性重視や相互リスペクトといった価値観も5つのSなどと一緒に伝えられたのではないかと思います。

面白いなと思ったのは日本の蚊取り線香が現地の蚊にも結構効くので、そのおかげでマラリアの感染抑制にも効果があるとの記述でした。蚊取り線香の材料となっている除虫菊はケニアやタンザニア産らしいので、アフリカからすれば逆輸入なんでしょうか。現地で生産できればいいのかも知れません(日本にとっては加工賃が入らなくなるので良くないのかも知れませんが)。

また「アフリカでは、老人が一人亡くなることは、図書館が一つなくなるのとおなじことであると言われる」との記述もありました。老人=先輩は智恵の宝庫。ものの見方、経験、考えて来られたことなど、先輩たちから学ぶことは沢山あります。もうちょっと先輩たちを大事にしなきゃ、と反省。

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村上龍さん『希望の国のエクソダス』

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西暦2000年に刊行された村上龍さんの『希望の国のエクソダス』を読みました。
最近「日本を脱出せよ」といった言説がちらほら聞こえてきており、これがその嚆矢となるような小説だと誰かが言っていたことがきっかけです。
内容は日本そのものを脱出するものではないので上記のこととは全くのイコールではないものの、現在の体制から抜け出して自分たちの才覚で、ある種独立的な自治体を作り上げていくものであり、その意味では「脱出」に通ずるものがあるようにも思います。

村上さん曰く「人材の国外流出が本格的に始まってしまったら、たぶんこの国の繁栄の歴史が本当に終わるだろう」(文庫p101)。

村上龍『希望の国のエクソダス』

まだ仮装通貨の片鱗も見えてない時代に「イクス」という仮装通貨的なパワーを持つ「地域通貨」を登場させてみたり、坂本龍一さん(音楽家、2023年3月逝去)を風力発電所のブレードで音楽を奏でるための実験をさせたり(実際にそのようなことがあったかどうかは確認していませんが、唯一実在の人物が実名で登場しているくだりです。p385)、実験的な小説にしては今日の日本を見通したような、近未来社会経済小説と呼んでも良いような感じがします。

他にも「日本経済はまるでゆっくりと死んでいく患者のように力を失い続けてきたが、根本的な原因の究明は行われず、面倒な問題は先送りにされた」(p16)、「これまで通りのやり方で何とかなるだろうと思っていたのだ。メディアは、危機へのそういう曖昧な対処に加担していた。本質を見なくてもすむような有名人のゴシップや社会事件を(中略)興味本位に報道した。」(p17)、「過去の日本を歴史的に美化するような動きも目立った。」(p17)といった20年後の今のことかと思うような主人公の独白もありました。

冒頭登場するナマムギ君はパキスタンとアフガニスタンの国境付近で地雷処理をしながら、なぜ日本を離れてここにいるのかという記者の質問に対して「あの国には何もない、もはや死んだ国だ」と語り、さらに「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある、われわれには敵はいるが、いじめるものやいじめられるものがいない」(p12)と人と人との間で生きるとはどういうことなのか(敵と戦うことを是とする気持ちはありません)を端的に語っているように思います。

小松左京さんが『日本沈没』を書きましたが、科学的な知見(ウェゲナーの大陸移動説や日本海溝の深さとマントルの移動など)を下地にしつつ、小松左京さんが伝えたかったことは、戦後も戦前と日本人の閉鎖性は変わっていない、この辺で国際人にならなければ大変なことになる、そのためには一回日本がなくなったらどうなるかという思考実験をしてみることで、目を開くきっかけになりはしないか、といったようなことを考えてあの小説をお書きになったということをどこかで読みました。
実は村上龍さんも同じような思いを抱いてこの小説を書いたのではないかと感じたのがつぎのくだりです。「日本人みんなが、何か共通なイメージっていうか、お互いに、あらかじめ分かり合えることだけを、仲間内の言葉づかいでずっと話してきたってことなんじゃないかな。その国の社会的なシステムが機能しなくなるってことは、その国の言葉づかいも現実に対応できなくなる。」(p122)ということを主人公の交際相手の経済記者に語らせています。

これからの時代、若い人が地方から東京へ、東京からオーストラリアなどの海外へ、集団脱出するような日本にならないよう「希望」が持てる国であり続けるにはどうしたら良いか。まずは私たち大人が楽しく、誠実に、正直に(嘘をつかず)、明日に希望を持って生きていくことが必須だと思います。ポンちゃん(主要登場人物の一人、中学生)が国会の証人喚問で語るセリフ「この国には難でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」・・・こんなことを若い人に言わせない社会にしなければ。外国から日本を訪れる人たちが、日本は観光だけでなく働いてスキルを身につける上でもとても良い国だ、と言われるような国にしていかなければと思います。

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「価値観」の力

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ある仕事で、企業の経営者の相談相手として伴走的に関わるということをしています。「経営力再構築の支援」というような言い方がなされている業務です。「経営力再構築」とはどういう状態からどういう状態になることを指すのか、あまり明確な定義があるわけではないようですが、経営者がこれまで気づかなかった会社内の問題やなるべく考えないようにしていた問題などに、経営者が目を向け主体的に解決に取り組むことを目指しているようです。

その仕事を始めて約一年が経過しますが、いくつかの企業と取り組んでいる中で、「価値観教育」と「組織力強化」がとても大事であり、かつこれらの企業に共通した課題だなと最近感じています。そのうち「組織力強化」は組織の中間にいる人たちのマネジメント行動(もちろん「考え方」が前提として必要です)ができるようになることです。「価値観教育」については、社員が10名ぐらいの間は、大抵の場合は社長と社員がいつも同じ釜の飯を食べるといった、物理的にも心理的にも近い間柄のため、ことあらためて価値観を合わせるようなことは必要ないのですが、規模が大きくなって行ったり、中途入社の人が増えて行ったりすると、徐々に社長の思いや大事にしていることや行動基準のようなものが伝わりにくくなっていきます。そのうち組織の崩壊、なんてことにもなりかねません。

成長を志向し、組織力を強化していこうという企業にとっては、価値観をどうしていくかということが大きな課題になるようです。そんなことを感じながら、ハーバードビジネスレビューの2023年4月号「価値観」特集を読みました。

価値観という言葉の定義や、パーパス、企業理念、ミッション、ビジョン、バリュー、経営方針、行動指針など、企業の方針的なことを表す言葉は沢山あり、何が上位概念で何が下位概念かといったことも、言う人によって一様ではありません。この本では、コーポレートバリューという考え方を提唱しています。コーポレートバリューは、①企業が最終的な到達を目指す地点と、②企業および企業の構成員の心構え、の2つの要素で構成される、とのことです。①をパーパス或いはミッションと呼び、②をバリューと呼んでいます。パーパスは社会課題などを背景として自社が社会で果たすべき役割や社会に提供したい価値であり、企業が存続する限り追い求める高邁な理想、内発的に形成されるもの(但し、経営者の独りよがりの「やりたいこと」とは少し違う)であり、多様な人材が一つの組織に集まって協働する理由であり、バリューは、目指す地点(①)にどのように向かうかを規定するものであり、「心構え」だとあります。

目指す方向がずれている人、企業が望むような行動様式が取れない人、をどうするか、といった問題も発生しています。価値観の合わない人、というのが従来の言い方になるかも知れません。ここでは価値観=目標=ゴール(=パーパスやミッション+バリュー)という言い方なので、「目指す方向」というのがが近いように思いますが。そこを目指そうとせず、そのための「心構え」(お客様からの様々な刺激に対してどう反応・行動するかといった従業員に共通的に心得ておいてもらいたい行動の基準みたいなもの)が他の人と異なる場合は、どうするのか。価値観の合わない人は出て行ってもらう、というような簡単なわけにはいきにくい時代になっています。人手不足の問題もありますが、多様性がイノベーションを生む土壌であるということを考えると、そのような人をどうやって包摂していくのか、という難しい課題にも対応していくことがこれからは必要かも知れません。見ないふりをするのではなく、かといって退場してもらうのでもなく、しかし社内での他の従業員との軋轢を放置せず、いかに包摂して自社のパワーを高めていくか。難儀ですがこれからの企業にとって取り組む必要のある課題ではないかなと感じています。

さて、この冊子には、コーポレートバリューを組織内にうまく浸透させることがとても大事であるということや、そのための方法論なども書いてあり、ここでは省略しますが、実務の中でも参考にしていきたいと思っています。

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