就寝前の十数分間の読書タイムだった。
ここのところほぼ毎晩読んできた。
映画化ということもあってベストセラーの上位にずっと名を連ねている。
万城目学氏の『プリンセス・トヨトミ』だ。
私が過去読んだ2冊は奈良と京都を舞台にしたものであり、伝記風な色彩を帯びた青春小説であったが、今回の作品は、歴史を背景に持ちながらも、大阪の下町を描いた青春小説であり、青春小説という点以外は随分異なった趣があった。
それにしても万城目氏は博学だ。
やや司馬遼太郎さんのエッセイ小説を彷彿させるような、説明調が多かったような感じもするが、それはそれでテンポは良かったと思う。
オチ、があるようでないような、最後はやはり日常に戻るという点も安心感がある。
明日も明後日も、この登場人物たちは、同じような日々を繰り返し、いつか結婚したり子孫を残したりしていくんだろうけど、自分の大切にすべきものを大切にしながら懸命に生きていくんだろうと思う。
発想が実に豊かで、とんでもない舞台装置が用意されている面白さが、やはり、ある。
楽しい小説だった。
「読んだ本」カテゴリーアーカイブ
ロンダ・バーンさんの『ザ・パワー』
数日前、ロンダ・バーンさんの『ザ・パワー』という本を購入した。
父の部屋を改修させてもらい、私の仕事部屋にさせてもらったのだが、家具類の移転などが終わったのを記念しての、第1号の書籍購入である。
改修した部屋は主に仕事や思索や読書などに使うので、「思考と創造の基地」と位置づけている。
完成したこと自体が大変な僥倖であり、父はじめ家族のみんなや工事に携わって下さった方々、本や机などに対しても、ありがたいことだと感謝している。
さて書籍の中身だが、人が接する色々な出来事は、全てその人が引き寄せている、という話がベースにある。
これはすでに前著『ザ・シークレット』で十分に語られていることである。
ではその引き寄せについて、何がそれをもたらしているか。
良いことも悪いことも、全ては「愛」の力がその根源にあるという。
良いことが起これば、愛のパワーがしっかり作用したことであるし、悪いことが起これば愛のパワーが欠如していたということらしい。
良いことを求めるなら、良いことを望み、良いことを自分にも他人にも与えなさい、という。
心の底から望むこと。
嫌なことから離れようとすると、離れようという意識が嫌なことをずっと引き寄せ続けるので、良いことに意識を集中させるのが良い。
楽しいこと、愛すべきもの、自分が気分が良くなることに思いを集中させる。
これが人生好循環の秘訣だという。
ただ、〝引き寄せ〟系の本を読んでいつも思うことだが、では、戦争や事故や天災や食中毒に遭遇して命を落としてしまった人たちも、同じようにそれ(災難)を望んで引き寄せてしまったのか、という疑問が沸いてくる。ある人曰く「そのとおり、それもその人が引き寄せた結果なのだよ」と言う。しかし何千、何万人もの人たちがいちどきに襲われる災害までもが彼らが一斉に望んだことだというのは納得できない。
そういう疑問が解消できたわけではないが、生きて、生き続けている現時点の私としては、この先どう生きていくかというのが大切であり、そのことに焦点を絞って色々な物事に接していくしかないと思うので、疑問にこだわり過ぎず、かといって忘れてしまうわけでもなく、読み進み、取り組んでいこうと思う。
大切なことは、自分を愛し、自分の周りの心地よいことを愛し、他人の成功に共感してそれを愛し・・・とやっていると、宇宙のパワーが自分のそういう思いに共鳴して願いが叶う、という。
これまでの歴史で、偉人たちはそういう仕組みがわかっていたようだ。
数々の事例や箴言が紹介されている。
欧米の歴史上の人物はもとより、釈迦や孔子や老子まで出てくる。
そういえば、我が日本にもこういう話がある。
「私の名は、悪しきことにも一言、善きことにも一言、言い放つ神、葛城の一言主の大神であるぞ」
という葛城の一言主の神。
悪しきことも一言、善きことも一言・・・これが「愛」ということではなかろうか。
もちろん雄略天皇の時代に「愛」という単語はなかったかも知れないので、具体的にどう「一言」で言ったのかはわからないが、ロンダ・バーンさんの「良いことも悪いことも愛の力」という語りとつながっているような気がする。
「人生の贈り物の一つとして、あなたは色々な種類の人々に出会います。そしてあなたは自分が好きな人を選び、好きではない人を避けることができます。(P227)」という下りがあった。
これは目から鱗であった。
嫌な人との出会いも「人生の贈り物」なのだという捉え方。
しかもそういう種類の人(その人も含め)とは、嫌なら避ければ良い、という選択肢があるということ。
もちろん嫌だから明日から会わなくて済むかというと、そう簡単なわけにはいかない。
しかし、心にその人に対するこだわりを持っていなければ、早晩その人との関わりは徐々に薄れていく、という経験を私自身もしたことがある。
嫌な人との接触も、選択するための「贈り物」と捉えれば、大概のことは肯定的に対応できる。
いいことを教わった。
さて、これも『ザ・シークレット』はじめ色々な書物で語られていることだが、想像が創造につながるためのプロセスについての下り。
1.想像する:欲しいものが手に入り、やりたいことが実現できているところを想像する
2.感じる:想像したものに対して愛を感じる
3.受け取る:愛の力が自分に望みのものを与えてくれるのを受け取り、届いたら心の底から感謝する
大切なことは、感謝と愛と信念である。
JR車中にて『日本人のためのフェイスブック入門』及び02/09のツイートまとめ
kazuto_nakajin
-
そういえば、朝思っていたJR車内での試験勉強は10ページぐらいしかできなかった。ま、やり方はだいたい見えてきたので週末頑張ろう。今から研修のおさらいをパソコンで整理。
02-09 22:22 -
俳優の渡辺謙さんがテレビのインタビューで、日本が元気になるには、空元気でもいいからもっと笑顔が必要だ、というようなことを言っておられた。全く同感だ。世の中、きれいごとでは済まないけれど、今の日本は、政治の世界も経済の世界も怒りやうらみや足の引っ張り合いだらけだ。もっと笑顔を。
02-09 20:26 -
フェイスブックの肝は「いいね!」ボタンらしい。『日本人のためのフェイスブック入門』より。
02-09 19:05 -
東京地下鉄。丸ノ内線はM、東西線はTが、それぞれ赤と青の丸の中に書かれている。外国人への利便性を意識したものか。進化しているな、と感じた。
02-09 13:05 -
帰りは時間があまりないので、40分ほどの空時間を利用して八重洲ブックセンターへ。ここへ来ると、世の中の現在と近未来が見えるような気がする。田舎者にはいい刺激だ。本二冊買い、気になった本はとりあえずメモして今日の目的地へ移動。
02-09 13:03 -
東京は春だ。富山では3月末ぐらいの陽気。東京には冬がないのかも。
02-09 12:56 -
東京は青空が出てる。なんとなあ…。
02-09 11:30 -
十日町駅。さすがに新潟は雪が多い。尋常じゃない積雪量だ。車両間の壊れたドアのすき間から冷たい風がビュンビュン入ってくる。駅のホームより寒い車内。これもまた楽し、ではあるが、風邪だけは引かないようにしなくては。…ホントに寒い。
02-09 09:41
新田義治氏の『成功本はムチャを言う!?』
偶然書店で見つけた。
新田義治氏の『成功本はムチャを言う!?』(青春出版社)という本である。
実は内田樹さんの『日本辺境論』(新潮新書)を探していたのだが、見つからず、たまたまこの本に行き当たった。
成功本というジャンルがある。
但し、成功するには色々ハードルがある。
この著者は、その心理的なハードルは人それぞれで、それを、気持ちの切替だけで乗り越えるなんてことはそう簡単に誰もができることではないのだよ、と説いている。
そして、次のようなことを語っている。
・願望や夢や目標を設定しても心の底で「うまくいくはずがないじゃん」と思っているとしたら、それを素直に認めてそこから再出発すればいい。
・「成功」の種類は一つではない。大金持ちになることだけが成功ではなく、自分の本当の喜びになることは人によって違うのであり、判で押したように他人の成功パターンに囚われる必要はない。
・三日坊主になっても、三日続いた自分を認め、そこからもう一回やればいい。三歩進んで二歩下がる、の繰り返しは確実に一歩ずつ前へ進んでいるのだ。
さすが、教員を20年以上やって実業の世界でも活躍され、現在はライフ&ビジネスコーチングをして人の心の障壁を取り除く仕事をしておられる方である。
成功をパターン化して「自分にはできない」と負のサイクルに落ち込まないように、人それぞれの行き方がある、ということを真剣に説いておられる。
自分流ということが大切だと改めて思った。
またまた一気読み『鴨川ホルモー』by万城目学
マンジョーメさんではなく、マキメ・マナブさんの『鴨川ホルモー』
書かれたのは『鹿男あをによし』よりも前らしいが、私は「鹿男」の次に読んだ。
今日、小矢部の、否、津幡町の倶利伽羅不動寺から帰って来てから、3連休であることの味わいを楽しもうと、娯楽小説を読むことにして、手に取った。
既に3分の1程度は読んでいたのdが、休日であることの喜びを噛み締めるために、最後まで一気に読もうと心に決め、読み終えた。
相変わらずマキメワールド全開である。
奇想天外、奇妙奇天烈、抱腹絶倒、荒唐無稽。
青春の悩みあり、恋あり、友情あり、鬼あり、寺あり、神社あり、京都あり、歴史あり、伝奇あり。
しかも読者に後味の悪さを残さない爽快なストーリー展開。
とにかく面白い。
疲れた脳みそをリフレッシュするにはこれほど良いエンターテインメントはない。
あまりに面白いので、はまりそうだが、仕事に差し支えるので、ちょっと次の一冊に手をだすのはしばらく時間を置こうと思うが、あまり長い間次作を求めないでいると、禁断症状が出そうなくらい面白い。
この人の作品は、これらの他に『ホルモー六景』『プリンセストヨトミ』などがあるが、まだまだたっくさん面白い物語をつむぎだして欲しいものだ。
現代ニッポン最高の癒し系ストーリーテラーであると思う。
昨日今日の出来事と読んだ本
夏休みをいただいている。
今の担当業務では現実的に1週間も職場を空けることは困難だろうと思っていた。
ま、自宅でできることは自宅で、もちろん情報の持ち出しなどは厳禁であるが。
会社にいなくてもできることはある。
研修会に向けた事前の公的情報収集とかそれに基づいた資料作成とか、出社後のアクションに向けた検討とか。
ということで、なんとか、とにかく1週間の公称休みをいただいた。
と言いつつ、昨日はどうしてもある現場には行かなくては後への「差し障り」が大きいため出かけてきた。
そこへ行く前に県立図書館に行き、医籍総覧という書物を見てきた。
家を出る際、小銭入れがないことに気づいて、実はそれから丸一日以上少し残念な気持ちが続いていた。
今、発見した。
一昨日の夜整理し始めた書類の山の中にひっそりと埋まっていた。
見つかって大変ありがたい気持ちになった。
感謝感謝。
昨夜はDVDで映画「HITMAN」というのを観た。
痛々しいシーンが沢山あったが、冷酷無比な殺人マシーンであるはずの主人公なのだが、たまに笑ったり、またこの主人公、誰にも負けない強さがあり、そういう点は痛快アクション映画であった。
久しぶりにスカッとする映画を観た。
書物は、わらし仙人という人が著した『わらし仙人の30倍読書術』と副島隆彦氏の『新たなる金融危機に向かう世界』を読んだ。
さて今日は次男と父の見舞い、長男と彼の車の運転練習への付き合い、夜は墓参り、家族で外食、とこの後から忙しくなる。
でも机の横の書類の山もなんとかせねば。
万城目学氏の『鹿男あをによし』
チャック・マンジョーネというミュージシャンがいる。
Feel so goodという曲で一世を風靡したトランペッターである。
オリンピックのテーマソングなどにも使われたのではなかったか。
万城目 学
という名前を見たときに、まず思ったのは、そのチャック・マンジョーネの名前であった。
マンジョーメ マナブ
だと思ったからである。
本の奥付を見て
マンジョーメ
ではないことがわかった。
マキメとお読みするらしい。
大変失礼した。
前から気になっていた。
それもタイトルが『鴨川』だとか『あをによし』だとか、京都・奈良に関係ありそうなものが多く、いやがうえにも私の関心を強く惹きつけて来た。
ハードカバーではちょっと手が出にくかったが、先週書店に行ったら文庫本が出ていたので、思わず買ってしまった。
週末の二日間で400ページのうちの250ページほどを読んだ。
はじめちょろちょろだったが、なんだかとても面白そうなので、一気にペラペラとページをめくるスピードが速くなった。
とにかく面白い。
奇想天外という点では筒井康隆に似ている?と思ったが、だいぶん違う。
神の使いである鹿がしゃべり、鹿島大明神とつながり、つまり藤原氏の流れが根底に流れていたり、関東と関西にわたって地下に大なまずがいるという話があったり、そいつが暴れるために富士山まで噴火するという話があったり、それを鎮めるために卑弥呼がおまじないをかけていたり、などなど、現代から瞬時に超古代に想像がふくらんだり・・・奈良ならではのストーリー展開である。
こんな面白い小説を書く人がいるんだなあと感心した。
それ以上に、私にとっては、奈良の中心部が全編を通じて織り込まれており、景色を思い浮かべながら読めたのが何より楽しかった。
東大寺の各所、大仏殿、猿沢池、平城旧跡などなど。
加えて、奈良に留まらず、京都・岡崎の京都動物園まで出してくれたのは、この人のサービス精神と言おうか。
堀田イトという女学生の存在感。
これがまた凄い。
ボーイッシュだが可憐さもあり、初々しく、しかも強い。
少女らしい悩み方も愛らしく、思春期の乙女がきっちり描きこまれていると思った。
読んでから知ったのだが、2年前にフジテレビでテレビ化までされているとのこと。
主人公が玉木宏さんで、件の堀田イトの役を多部未華子さん。
ピッタリだと思う。
誰がこんな配役を思いついたのかわからないが、うってつけの配役である。
機会があればDVDも見てみよう。
エックハルト・トール氏の『超シンプルなさとり方』
ドイツ人のエックハルト・トール氏。
見た目はやや優男だが、決してナンパ師ではなく、ちょっと不思議な人物だ。
(って言うか、顔見たことあったっけ?)
この人物のことを聞いたのは、曹洞宗真国寺ご住職のN師からである。
まだそれほど知られてはいないが、これから出てくる人だよ。
と教えられた。
調べてみると、「the Power of NOW」などという講演の音声などを聞くことができる。
<今に生きる>という主張だ。
<今に生きる>とは、過去を引きずって今の自分を左右されてもしょうがないだろう、未来に期待しても今ちゃんとやんなきゃ何にもならないだろう、というような生き方のようだ。
ちょっと私ごときが書くと、なんだか安直になってしまってこの人の本当の趣旨をうまく伝えられないが、要は自分の本質は、過去や未来という、現実には存在していないものに引きずられて、本当の自分を見失わないように、とか、実は本当の自分は過去や未来ではなく、今この瞬間にしか存在していない、とか、この瞬間は永遠にこの瞬間であり続ける、とか、この瞬間というのは自分の呼吸している今を見つめるとわかってくる、とか、自分の本質は大いなる永遠なる存在と根底でつながっている(潜在意識が宇宙意識とつながっている)、それは神と呼ばれたり仏と呼ばれたり宇宙と呼ばれたりする存在だ、とか、そんなようなことだ。
ここで大事なことは「呼吸」というキーワードである。
また出てきた。
先日読んだ別の本にも「呼吸」をゆっくりするといいということが書いてあった。
吐く息を45秒ぐらいかけてできるようになると、山岡鉄舟のように何物にも動じることがなくなる、というようなことも。
漢の張良なども、劉邦が国家を統一した後は、功臣ねたまれて斬殺、というようなことを避け、隠遁して呼吸の研究を(今で言う太極拳のようなことを)していたようであるし・・・。
呼吸は大切だ。自分を見つめるというのは、自分の呼吸と一体化するというようなことなのかも知れない。
というようなことを感じつつ、それ以外にも色々なことが書いてある本だ。
後半は少し難解だった。
五次元文庫っていうことなので、余計引いてしまうかも知れないが。
いい本はいい。
墨子
まだまだ途中もいいところだが、墨子を読んでいる。
ずっと以前に、酒見 賢一さんの『墨攻』という小説を読んだが、大変わくわくする素晴らしい小説だった。
それ以来、墨子が気になってしょうがない。
公輸盤という人物がいる。
この人が、ある国で「雲梯」という、はしご車のような攻城用の武器を開発した。
それで攻められると面倒なので、墨子がその人を説得に出かけた。
墨子は論を尽くして「お前は間違っている」ということをわからせた。
ところが、その上司(国王)がうんと言わない。
それでも墨子は説得し尽くして、理ではわからせるところまで話を詰めた。
にもかかわらず、国王は、攻めると言う。
墨子は仕方なく、机上で「雲梯」で攻められた場合の対応策を見せてみた。
何度も攻めるが、墨子の対応策にかなわない。
公輸盤は墨子を殺せば対応策ができないだろうと想定する。
墨子は、それがわかっていて、最後の手段は俺をこの場で殺すことだろう、と言う。
そうすれば、「雲梯」への対抗は水の泡となるだろう。
しかし墨子はさらにその上を行っている。
ここで墨子を殺しても、部下に対抗策をすべて伝授してあるので、何の意味もなさないことを伝える。
遂に公輸盤と国王はその国を攻めることを断念し、墨子も解放される。
これが、非攻、というものであるようだ。
紀元前400年の世界に、こういうすごいことが行われていた、ということが驚きだ。
いかなる知恵か。
もっと墨子のことを学ばねばと思う。
残念ながら、秦が中国を統一して以降は、この人たちの活躍する場がなくなってしまったようではあるが、なんとなく、五斗米道など道教的な集団には伝播していったのではないか・・・。
そう考えるとロマンが生まれる。
村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
長いことかかった。
たぶん、上下2冊を読み終わるのに4年ぐらいかかったのではないか。
原因はひとえに私の遅読でしかない。
夜寝る時に、時々開いては1ページか2ページ、多いときには1節ぐらいか。
そんなことで、ようやく、この本を読み終えた。
意外な結末だった。
「世界の終わり」の主人公と「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公は、たぶん、前者が眠りにつき、その夢の中の世界での出来事が後者なのだろうと思うが、いずれにしても、相当な物語である。
最後に夢の中から現実の世界に戻ろうという刹那、影だけが戻って、本人は結局夢の中に残ってしまう。
同じ一人の人間の、本体と影が別々に生き別れてしまうというのは、いったいどういうことだろうか。
物語だからいいのかな?とか色々思うが、ともかく、妙な終わり方の物語である。
しかもこれだけのページ数がありながら、登場人物がとても少ない。
実質、ほとんど4人か5人がメインで、あとの人物にしても数人しかおらず、それらの人の登場シーンはほどんどない。
深い感動・・・ではない。
でも何かが残る物語だった。
まあ、面白かった。(しかし4年かけて読むものではない。村上春樹さん、すみません)