高橋政史さんの『必要な知識を15分でインプットできる速読術』

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 書店にふらりと入って、なんとなく虫が騒いで、自己啓発本のコーナーに足が向いた。
 買う予定はなかったにも拘わらず、どうも気になり、平積みでもなく、本の表が向けてあるわけでもなく、書棚の隅の方に普通に差し込んであった本になぜか目が止まった。
 やたら長いタイトル。
 そして、なんの変哲もない静かな装丁。
 なぜこの本を手に取ったのか、いまだにわからないが、中も見ないで買ってしまった。

 速読については、フォトリーディングの研修を名古屋まで受講しに行くくらい、そのスキルを高めたいと思っているわりに、なかなか実行することができないできた。(ポール・シーリィ氏の本を買ったのはもう10年も前なのに・・・)
 たぶん、仕事で読み物が多く、家に帰ってきてまでものを読むという気力が沸いてこなかったせいかも知れないが、それは言い訳だ。
 というわけで、先日から、少しずつ、フォトリーディングに取り掛かっている。
 キーポイントは、ぼやっとした目の焦点の合わせ方と、左手でいかにリズミカルにつっかえずにページをめくることができるか、であろうと気づいてきた。
 そんな矢先だったからかも知れない。
 この本が電磁波のようなものを発して、私を呼び寄せたのだろうか、と思う。
 本の中身は、この著者のオリジナルの方法論が色々書かれてある。
 しかし、これまでの速読法の本と共通している点がいくつかある。
 1.目的を持って取りかかるべし。
 2.アウトプットを意識して読むべし。
 3.キーワードを拾い上げるようにして、パラパラと検索すべし。
 4.紙に書くべし。
 5.時間をかけないこと。直感で、心の声に従って、キーワードを拾うのが良い。
 6.自分の言葉に置き換えて理解すること。
 そんなところであろうか。
 この著者の素晴らしいところは、22歳まで野口英世さんの伝記ぐらいしか読んだことがなく、本を読めと言われた時に、最初の1冊を読むのに30日間かかった・・・というところから始まり、速読のために1千万円ぐらいの費用をかけたが、結局仕事の必要に迫られ、3日で60冊の本を読む力がつき、その結晶としてオリジナルでこの本に書かれてあるようなノウハウを編み出した、という点ではなかろうか。
 もちろんオリジナルと言っても、それまでに受講した研修で学んだ色々なノウハウが下地にあったからこそ、ということかも知れないが、そういう人のノウハウだから、真剣に取り組めばできそうな気がする。
 是非取り入れてみたいと思っている。いい本に出合えた。著者にも感謝したい。

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南雲吉則さんの『50歳を超えても30代に見える生き方 「人生100年計画」の行程表 』

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 最近我が家では「ゴボウ茶」が旬である。
 悪くない味なので飲んでいたが、著者の南雲吉則氏が提唱者らしい。
 56歳ということだが、どう見ても40歳前後にしか見えない。
 本の表に写真が出ている。
 今時の若者、って感じだ。

 しかしこの人は「今時の若者」ではない。
 医者であり科学者だ。そして理屈ではなくしっかり実践し、自らの若さを保っておられる。
 小食にしてゴボウ茶を飲み、よく歩く。
 早寝早起き、小さな魚や果物を皮ごと食べる。
 これを実践して100歳まで生きる。
 私も少しでもこの人に近づいて、目標である100歳まで生きることとしよう。
 100歳のある老人の言。
 「100歳まで生きるためには、死なないようにすること」
 けだし、名言。

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オダギリ展子さん『最強の文具活用術』

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 文具好きにはたまらない一冊。
 中身も見ないで買ってしまった。

 中で紹介されていた、キングジムのデジタル名刺ホルダー「ピットレック」。
 名刺整理については長いことずぼらで来たが、そろそろこういうものできちんと整理&スピーディーに検索できるようにしなければ、と思い始めている。

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津本陽さんの『胡蝶の剣』

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kazuto_nakajin

JRでの帰路。最近読んでいるのは、友人お薦めの作家の剣豪小説。津本陽さんの『胡蝶の剣』である。
舞台は幕末近い嘉永年間。薩摩から江戸へ。剣術修行中の若き侍たちの物語。
日本人はこういう質実剛健な生き方をしてきたのだと、今の軟弱な自分が恥ずかしくなるような清冽な物語だ。
とても面白い。
この作家は薩摩人?と思ったが、和歌山のご出身らしい。

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塩野七生さんの『ローマ人の物語26(文庫)』

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 お陰様で最近は帰りのJRの中で少しずつ本を読む時間ができている。
 しばらくストップしていた塩野七生さんの『ローマ人の物語(文庫版)26 賢帝の世紀(下)』を読み終えた。
 カエサルからアウグストゥス、ティベリウスら、ローマ帝国創業のダイナミックな歴史、その後のおごり高ぶりの混乱期や中興の祖らの活躍を経て、ようよう安定期に差し掛かってきたローマ帝国。
 安定が衰退への兆しでもあるのだが、今はまだそれは見えない。
 ばかりか、拡大したローマの版図をより強固なものとすべく、トラヤヌスやハドリアヌスなどがローマ中を駆け巡って石橋を叩いて固めるという作業を行っている。
 ハドリアヌスの後を次いだピウスはほとんど外征を行わず、しっかり内治を行っている。
 豊かなローマがさらに爛熟しようとする直前のような気がする。
 それにしても不思議なことは、この五賢帝の時代と言われるローマ安定期の100年ぐらいの間、中には晩年常軌を逸したような判断誤りを犯してしまった皇帝もいたものの、概ね賢明な判断をしてローマを安定ならしめた人たちが選抜され、次の皇帝に任じられ、しっかりとその機能を果たした=国民に安全と食をきちんと提供することができた、ということが奇跡のように思われる。
 もちろん歴史の表には残っていないトラブルや事件は色々あったろうが、人の引継ぎが大変うまくできたということは、先代の皇帝の人選眼が優れていたこと、それを支える人材育成機能が元老院辺りにもしっかりしていたということではなかろうか。
 さらに言えば、戦争で負けて奴隷の立場からスタートした先祖を持っていても、辺境の出身であっても、きちんと仕事をしていくことで、皇帝の地位に上り詰める人もいたというダイナミズムというのか、制度設計の素晴らしさが、この帝国を支えていたのではなかろうか。
 それが、カエサルの項によく出ていた「トーレランス=寛容」というこの時代のローマ人が持っていた徳性ではなかろうか。
 それと、国のためなら自分を差し出せるという高貴な使命感=ノブレス・オブリッジを連綿と伝えた国民性と言うような徳性、それらがこの国の発展、世界中から尊敬を集めた大本の力ではなかろうか。
 と、そんなことを、ここまで読み進めてきて思う。

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三橋貴明氏の『国民の教養』

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 新進気鋭のネット評論家、と言えばいいか、三橋貴明氏の『国民の教養』を読んだ。
 一読の価値あり、である。
 この人の方法論は、「言葉の定義」と「相対化」である。
 「言葉の定義」は文字通り、世の中で普通に(さも当たり前、常識、のように)扱われる、それらしい言葉を、本当はどういう意味合いで使うべきか、その言葉の通りになったらどうなるか、といったようなことを丹念に定義づけること。
 思い込みや通説で、定義づけられることなく、言葉が独り歩きしているケースが少なくない昨今にあって、これは基本的に重要なことだ。
 また「相対化」は、あるデータがあると、他の数値を比較対象のために引用したり、他国や他者や過去と比較することで、そのデータが本当にいいのか悪いのか、相対的に見てどうか、ということを、これも丹念に行っている。
 その結果、○○は世の中で言われているほどひどくない、とか、風評よりもはるかに深刻な問題を内包している、といったことが露わになってくる場合がある。
 科学に立脚する現代ニッポンでは、そういう手法を用いて私たち自らが判断して行動するのは、当然だと思うが、実際には人は思い込みやすり込みで結構動かされてしまうものだ。
 だからこそ、『経済は感情で動く』などという理論が当てはまったり、アダム・スミスの前提がありえない人間像・情報社会像をモデルにしたり、ということになっているのだろう。
 ということで、本の内容には言及しないが、この人の本、最近やたら沢山出版されている。
 方法論をあらためて学ぶ、その方法論で著者が導き出した結論を<一般的な常識とは異なる見方がある>という観点で学習する、という点から、どの本でもいいと思うが、一読する価値はあると思う。

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塩野七生さんの『ローマ人の物語25(文庫)』

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 随分長いこと離れていた『ローマ人の物語』久しぶりに通勤の帰り電車の中でひもとき始めた。
 今回は<No.25 賢帝の世紀(中)>である。
 今回の主人公は、ハドリアヌス帝。
 ハドリアヌスといえば、ローマ帝国で最大の版図を支配した皇帝ということで、確か世界史で習ったような気がする。いや、最大版図はその前のトラヤヌス帝の時であったろうか。
 五賢帝という言葉もよく耳にする。
 何がどう賢帝なのかわからなかったが、アウグストゥスのような哲人政治家がいたり、狂気の皇帝がいたり、はたまた周辺各国の反乱と戦ったりした動乱の百年を経て、安定かつ異国人を沢山抱えての治世において、駐留軍のモチベーションアップや法体系の整備など色々な仕組みをアップデイトした人たちだったようである。

 それにしても塩野さんはカエサル好きである。
 カエサルが亡くなってすでに100年も経っているにもかかわらず、いまだにカエサルの話題が出てくる。
 やれカエサルが作った制度が今も生きている、カエサルが作った町が活気だ、カエサルの創設した軍の仕組みがしっかり機能しているetc.
 しかもハドリアヌスがカエサルと似ているとまで。
 その演説のうまさ、発想の独創性などなど。
 かえすがえすもカエサルが好きなのだろうと思う。
 そういえば、塩野さんはマキャベリも大好きなようだ。
 現実をしっかり見つめ、やるべきことを鉄の意志を持ってやり抜く人が好きなのだろう。
 しかもそのやるべきことは、個人の好き勝手、ではなく、歴史の必然としてやらなければならないこと、なのであって、我儘を決して許しはしない。
 私は、毅然とした塩野さんの文章が好きだ。
 さ、次は<賢帝の世紀(下)>に入る。

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『コンサルタントになっていきなり年収650万円を稼ぐ法』

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 社会人としてある程度の経験を積んで、自分自身でも意識して何かのことに集中してトレーニングをしてくれば、必ず何事かの分野において他人に勝る部分が出てくる。
 そういうことを武器にすれば、どんな人でもコンサルタントになれる、と説くのが本書『コンサルタントになっていきなり年収650万円を稼ぐ法』(松尾昭仁著)である。

 独立したコンサルタントとして生きていくとしても、組織の中で生きていくとしても、自分の強みを伸ばすこと、アピールすること、普段から努力を続けていくこと、など共通する点は大いにあると思う。
 ただ、独立した人は、組織人と比べて、組織の要請に応じて自分のスキルセットを変えていかなくてはならないということがない。市場のニーズに対応して変化(又は先取り)していくということは必要であり、その点、組織人以上に大変な側面もある。
 しかし、今までの経験や知識が人事異動でゼロクリア、ということはそうそうないであろう。そういう意味で、独立した人がよく「自分の好きなことをして飯を食っています」という言い方をするが、そのとおりなのだろうと思う。
 書いてある内容は、全て独立したコンサルタントとして、最初から年収650万円を獲得するための具体的なノウハウ集であり、そのための事前準備、心構え、用意すべきもの・人脈・お金・技術などなど、文字通り著書名のとおりの内容である。
 しかし、個人事業主ではない立場でも、一人の社会人として、爪を研ぐ、という普段からの努力は重要であり、そういう視点からでも大変ためになった好書だと思う。

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『1冊10分で本が読める! NLP速読術』

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 速読の講習を受けたことがある。
 曰く、フォトリーディング。
 ポール・シーリィ氏の『あなたもいままでの10倍早く本が読める』というテキストをベースにした、大変科学的な手法である。
 ちょっと精神世界が入っている部分もあるにはあるが、技法は誰にでもできるように組み立てられているので、欧米の人は合理的なやり方で展開するなあと感じた。
 これを取っ掛かりとして、何冊か速読に関する本を読んだ。
 有名どころとしては、石井貴士さんの『本当に頭がよくなる1分間勉強法』がある。
 それらに共通する技術は、とにかく本をパラパラめくる、という点である。
 そして、文字を追わないこと。
 何回も繰り返しそれをやること。
 1ページあたり、1秒から3秒ぐらいの間で、テンポよく、景色を眺めるような感じで次々とめくっていく。
 右脳と潜在意識に見た情報を処理させる。
 ページをめくるのは左手で(右脳活性化のためには左の手を使うのがいい!)

 この『1冊10分で本が読める! NLP速読術』にも同様のことが書いてあった。
 あたかも、車でドライブして、景色を眺めながら道順が自然と頭に入り、大切な曲がり角の看板などはしっかり詳細に刻み込まれるような、そんな感じかも知れない。
 私はまだその技術を完全に習得したわけではないが、「スキル」なので、繰り返しトライすること、正しい方法で取り組んでいくことで、徐々にスキルアップが図れるものと思う。
 さ、読書法の読書はこのくらいにして、実際にどんどん本を読み、知識を蓄えつつ活用して世の中のお役に立てて行こう。

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ガルシア・マルケス『族長の秋』

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 憧れの生活に少し近づいたかも知れない。
 帰りのJRの車中で本を読む。
 そういう時空が少しできた。
 チャンス、とばかりに本を選んだ。
 どれだけ時間が確保できるかわからないし、毎日安定的に読書できるという保障もない。
 そのため、まずは肩の凝らない本、いつそういう生活が停止してもダメージが少なくて済む本、ということで、小説を選んだ。
 と言っても、あまり軽い本でもどうかなと思い、前からチャレンジしてみようと思っていた、ガブリエル・ガルシア・マルケスというコロンビアのノーベル賞作家の書いた『族長の秋』を選んだ。
 ノーベル賞はたしか『百年の孤独』だったと思う。
 筒井康隆さんが絶賛している。(随分前のことだが)
 それ以来、気になっていた作家だ。
 あいにく『百年の孤独』はまだ文庫化されていないので、持ち歩きには向いていないため、文庫になっている『族長の秋』にした。

 牛の絵が表紙になっているように、牛があちこち出てくる。
 ただし、牛小説ではない。
 ある種、権力者の権威の崩壊を象徴するような現れ方である。
 しかもその登場場面は、前の大統領の死のときであり、また今の大統領が崩れ行くときでもある。
 文章は、とても重い。
 改行やカッコつきのセリフというものがほとんどない。
 司馬遼太郎さんの小説や随筆を読みなれた人にとってはとてもとても読みづらい文章である。
 しかし、重い。
 ここで「しかし」と言ったのは、読みづらいが、読むものにぐいぐい迫ってくるので、息もつけないが、目が離せないという意味である。
 ある中南米の国でクーデターが起こり、その軍の一将軍が、周囲から押し上げられて、大統領になってしまう。
 その大統領が、大統領であった日々、臨終の間際の日々、国を混乱させ、自身もわけがわからず孤独の中でのたうちまわり、かすれ果てて死んでしまうという、青春とも言えるし、たそがれ時とも言えるような、暑い日々を、大統領の周囲にいたであろう誰かが回想するという物語だ。
 大統領は独裁者であり、国内にどんな布告をしても誰も逆らわないし逆らえない。
 あげくの果てに腹心の将軍すらディナーのメインディッシュにされてしまう。
 母親と二人の妻らしき人だけが大統領の心のすき間を埋めるが、それらの人々もいなくなってしまう。
 大統領はたぶん100歳以上生きる。
 そして独りぼっちになって死んでしまう。
 ・・・一体なんだったのだろうかこの小説は、と思わずにいられない。
 しかし、中南米という暑いところからこそ、こういう暑い物語が語られるのかも知れない。
 満腹した。
 ある種、中上健二さんの小説のような、芳醇でいて力強い、男の文学、という感じがした。

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