『魔の山』DVD、筒井康隆さんの『聖痕』、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』

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トーマス・マンの『魔の山』を読み終え、その勢いでDVDを観ました。この映画は原作の味を忠実に映像化した優れた作品だと感じました。一部相違していたやに感じたのは、主人公のハンス・カストルプが思い人であるショーシャ夫人に対する思いを遂げるシーンがあったことで、小説の文脈からはそこまでは読み取れなかったため、映像作品としてのファンサービスなのか、それとも小説から読み取る力のなかった単なる私の読解力不足なのかはわかりません。また、小説の結末はなんとも悲しい(従兄のヨアヒムも含め)ものでしたが、映画ではそこまでの悲劇的な終わり方ではなかった(小説を読んでいる人はどうせこの後の次第はわかるでしょ、ということかも知れませんが)のがせめてもの救いだったと言えるのかどうか。

筒井康隆さんの『聖痕」を読みました。https://amzn.to/3IK3XrL
十年前に文庫本が出た時すぐに購入したものの、読もうとしては挫折、数年後再びチャレンジしてまた挫折を繰り返し、このままこのおぞましい物語は死ぬまで読めないのかも知れないなあといつも書棚を見ては思いながら過ごしてきましたが、意を決してとうとう読み通しました。最初はやはり目を覆いたくなるような描写があり、つらくて悲しくて痛々しくてとても読むに堪えられず、筒井さんのえぐい描写は今に始まったことではないものの、大抵は尊大ぶった権威者を嗤い飛ばすパロティ的なものであり、こちらがつらくなることはなかったので、この時(東日本大震災の翌年の夏から新聞連載)なぜこんな暗い描写ではじまる物語を書かれたのか、不思議でなりませんでした。
この小説の主人公が聖人のようになるのは、ちょっとだけ、絶望からスタートしたこの物語が(途中も暗くはないのですが)、とにかく前を向いて、歩いていきませんか?ということを訴えているようにも感じました。もしかすると多少ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャを重ねているのかも知れません。
1970年代から2010年代初頭までを、途中から同時代小説みたいに描かれており、経済学者の野口悠紀雄さんを実名で登場させたり、阪神淡路大震災、オウム真理教事件、薬害エイズ、賃金削減と正社員減少、さらにはリーマン・ショックから東日本大震災(津波に吞み込まれる児童たちの意識の断片が主人公に聞こえという描写は体験者でない私ごときが言えることではないものの、目頭が熱くなりました)までを描いておられ、この40年間の日本の変容をなぞり、これからどう過ごしていくのだろうか?という問いを投げかけておられるようにも感じました。
下に一部だけ引用しますが、P330~331(文庫)の「金杉君」の「長広舌」はもしかすると筒井さんの言いたいことだったのかも知れません。文学者としての遺言であり預言であり最後の希望のようなものかも。

ネットフリックスで「夏への扉」が配信される、と聞いたと同じような時期に小説の『夏への扉』を購入しました。主人公の山崎賢人さん、面影がどことなく我が次男坊に、面影が、あくまでぼやっとした面影が(しつこいですね)ちょっとだけ似ているような気がして、他人のように思えないのです。これはただの、超・親バカ発言です。https://amzn.to/4nY9ISG
しばらくトーマス・マンの『魔の山」と格闘していたため、他の小説などを手に取る余裕がなく、また、筒井さんの『聖痕』をなんとか超えないとという思いがあり、後回しになっていましたので、その間映画も我慢していましたが、ようやく、戒律から解かれ読むことができましたが、並行して映画も観ました。内容には触れませんが、小説も映画も良い作品でした。「タイムトラベル不朽の名作」とうたわれているだけあって、単なる時間旅行ではなく奥行きの深い作品でした。今、生成AIやロボットなどが何かと話題になっています。そんな未来(小説が書かれた1950年代からすると)を予想してのことかどうかわかりませんが、小説の終盤にこのような記述がありました。
「人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、かん(勘)で、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いていくのだ」
筒井さんの『聖痕』は「人類の絶滅する時期がずっと早まって近づいてきたように思う」としつつ「残り少ない食べ物を分けあいながら、幸福に、そして穏やかに滅亡していける」と「金杉君」に言わせていました。科学技術は使い方次第ではディストピアが訪れる(チョムスキー氏の『誰が世界を支配しているのか?』にはこれまで何度もすんでのところで核が発射されそうになったことが書かれています)。そういう未来もありますが、この本では、そういう新しい技術を、人類の知恵で適切にコントロールしていけるのではないか、ということを示唆しているように感じました。

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トオマス・マン『ヴェニスに死す』

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 今まで、難しそうな文学書を読む時には、その前に同じ著者の薄い本やエッセイなどに一旦目を通して、その著者の言葉遣いや書きぶりに多少「土地勘」をつけてから取り組むようにしていました。
 ドストエフスキーの『罪と罰』を読む前には『貧しき人々』を、塩野七生さんの『ローマ人の物語』に挑戦する前には『サイレント・マイノリティ』や『ルネサンスの女たち』で先に肩慣らしをしました。
 今回のトーマス・マンの『魔の山』にしても、相当難儀な読書体験になることが容易に想像できたので、それに取り組む前に入門書みたいなものがあれば、そこから手をつけようと、一旦は思いました。そこで有名な『ヴェニスに死す』を購入して読み始めたのですが、どうにもこうにもこれも難解。最初のページから「意志の透徹と細密とを要する労作で」とか「自分の内部にある生産的な機関の不断の振動を」とか「キケロによれば、雄弁の本体にほかならぬ」などという文言が私に襲い掛かってきて、いきなりお手上げになりました。
 そういう次第で、薄い文庫本を「入門書」と勝手に思い込んだ私が間違っていたのですが、『ヴェニスに死す』で倒れてしまいそうでとても『魔の山』には進めないと感じたため、もう入門書は通り越して、いきなり『魔の山』に取り掛かりました。『魔の山』の読書メモは先のブログの通りですが、『魔の山』を終わった勢いでそのまま『ヴェニスに死す』に取り組みました。

 しかしやはりこの本もよくわからないものでした。不条理文学というものなのか、『魔の山』の、ある種ドタバタとも言えるような雰囲気がこの物語にもありました。こちらはドタバタというより、おじさんの倒錯、最後は何がなんやらわからぬあっけない終わり方。おじさんの秘かな、しかし大っぴらな公然ストーカーの如き追尾行動の結果としての欲望は果たされず、病弱と形容されていたおじさんの恋慕の相手はやがて故郷へ帰っていくというなんとも不条理な結末でした。『葉隠』にも相通ずるような解説(同性間は、異性間の愛情よりも精神的な要素がつよい)がありましたが、そのまんまでは私には受け止めにくいのがこの本を読む際の抵抗感だったのかも知れません。
 訳者の実吉捷郎さんの訳は名訳だということのようです。
 文章の意味をしかと理解するためにはもう少し思索を深めなければならないと思いますが、気になった箇所をいくつか抽出しておきます。
・p46「自分がもし腹を立てていないとしたら、ともかくどんなにかゆったりと休むことができるだろうに」「物事をなりゆきにまかせるのが、最も賢明なのだ」・・・最近の経験から、なりゆきに任せることも必要だと感じました。たまたまそういう経験をしている最中にこの一文に出会えたのはラッキーでした。
・p90「彼の精神は陣痛の苦しみを味わった」・・・陣痛できない男に陣痛の苦しみを感じさせるくらいに大変な苦しみをということを言いたいのだろうなと思いましたが、それであっているかはわかりません。
・p98「彼の心臓は彼の冒険を思い起こす」・・・心臓がものを覚えているのだろうか?この意味を理解できるにはまだしばらくかかるだろうと思います。いや、永遠に理解できないかも。

読後、U-Nextの配信動画の中に「ベニスに死す」(1971年、ヴィスコンティ監督)があることを知り、観てみました。全編無声映画と言っても良いくらいにセリフが少ない。原作も会話はほとんどなく、ひたすらに主人公の心情や情景の描写に徹しているため、映画もそれに忠実に従ったものと思われます。これを『魔の山』の先に、読み、または観ていたら、やはり『魔の山』に挑戦しようという気にはならなかっただろなあと感じました。

ところで、筒井康隆さんがどこかで『魔の山」について書いておられたことが、私が『魔の山』を読むきっかけになったと前回のブログで書きましたが、どこに書いておられたのかを失念していました。が、見つけました。『本の森の狩人』という岩波新書の中で述べておられました。出版が1993年ですから、今から32年も前のことです。筒井さんは高校三年生の時に初めて挑戦し、第一章で中断し、その後三十代半ばまで何度か挑戦し、その都度「いや気がさして投げ出した」そうです。「上巻の三分の二あたりから急に面白く」なり、下巻に至るやその面白さがさらに面白くなり、初めの頃の「私たち」という一人称複数の語りがいやだったのが、「意味がわかった」となります。
筒井さんもこの小説は「不条理」を描いていると説明しておられますが、この稿の末尾には「教訓。名作といわれる作品はいくら面白くなくても、一応は最後まで読んでみないとえらい損をします。」と結ばれていました。ああ、そうか、これを読んだことが自分の脳裏に焼き付いていて、挑戦しなければと思ったのだったなあと随分時間が経ってから思い出した次第です。疑問が解消しました。

ところで別の岩波新書である『短編小説講義』の中で、筒井康隆さんは、ここでもまたトオマス・マンの『幻滅』という、これも同じく実吉捷郎さん訳の小説について、なんと17ページも割いて論評しており、『ブッデンブロオク家の人びと』についても絶賛しています。いつかこれらの小説についても取り組んでみようかと思っています。

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トーマス・マン『魔の山』を読み終えて

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年明けから挑戦していたトーマス・マンの『魔の山』をようやく読み終えました。1912年に書き始めて1924年まで12年間、1200ページの大作となったものです。私も意を決してから読了するまで5カ月かかりました。理解できたかというと文字を追うのが精いっぱいでほぼ理解できていないと思います。

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そもそもどういういきさつでこの本を読むことにしたのか、記憶が定かではありません。大方、筒井康隆さんがお勧めしていたから、というような理由ではないかと思いますが。
最初は岩波文庫で上巻を買って読み始めようとしたのですが、全く歯が立たず、新潮文庫であればもう少し平易な言葉で書いてあるかも知れないと思い込み、新潮文庫で上下巻を買い、取り組みました。しかし新潮文庫の方も難解であることは変わりなく、これは原書がそもそも回りくどく難しい単語を並べ立てているからかも知れないなと観念して、そのまま続けました。
訳した高橋義孝さんが解説で「ユーモア小説」だと書いておられますが、どう読んでも面白おかしいという感じではありません。むしろ本当に難解で、書いてあることの1割も理解できていないような気がします。シーツ・オブ・サウンドばりの文字が敷き詰められている書面、観念的な言葉の羅列、しかも突然場面が変わったり、行間を読まないといけないような意味深な文脈。
ではありましたが、最後まで読んで「ユーモア小説」だと言われれば、そう思えなくもありません。むしろ、壮大なドタバタだったのではないかとすら思えてきました。小説であることを考えると、登場人物の死すら「出来事」として傍観的なものとして扱われているのかも知れず、私の中では筒井康隆さんの『俗物図鑑』が思い起こされてきました。
そうは言いつつ、箴言的な、「あっ」と気づくような文章もあちこちにあり、小説でありながら沢山のページの角を折り曲げ、線を引くというようなこともしました。
箴言ではありませんが、20世紀の前半に書かれたこの本で、こういうことを書いていたのだ、と感じた部分を一つだけ紹介しておきます。『魔の山』上巻p570に「だから意識なるものは、結局のところ、生命を構成している物質の一機能」という言い回しがあり、これは最新科学の一つかも知れませんが、毛内拡さんの『心は存在しない』(本は読中)という著書に関連してラジオで「結局肉体と別に魂というものがあるわけではない」というようなことをおっしゃっていたことに通じるような気がします。もちろん学説の一つであって、解明されたものではないのかも知れませんが。
わからないことが多いため、生成AIに色々尋ねてみました。得られた回答らしきものをnoteに投稿しましたので、ご関心がありましたら覗いてみて下さい。https://note.com/light_quokka2104/n/n1daf7d493f51

さ、次へ。

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読書について(備忘メモ)

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ショーペンハウエルではありませんが、読書について、今後の計画などを書いておきます。個人的なメモです。
先日このブログに書いた通り、今、トーマス・マンの『魔の山』と取っ組み合いを演じています。相手のトーマス・マンは既にこの世の人ではなく、そもそも書物との取っ組み合いなど相手のあるものではないので、独り相撲を取っているようなものです。
上巻が約700ページで、どのページも空間がなく、ページ全部を文字がひたすら埋め尽くしており、しかも書いてあることが日常的な会話からだんだん思想や哲学の難解な対話になっていき、とても理解ができません。ようやく上巻が終わったと思ったら下巻はなんと上巻よりも100ページも多い約800ページのボリュームです。

どのページもこのように、ほぼ文字で埋まっています。しかも難解。


本をまとめて読む時間が取れないこともあって、就寝前の10分20分がせいぜいですが、ようやくその下巻の600ページ辺りまで来ました。あと200ページほどです。ここまで来ると、色々な登場人物の特徴やそれぞれの人が何を象徴しているのか、或いは、この小説が書かれた二十年後に起こったドイツの悲劇を暗示するかのような登場人物のセリフなど、疑問に感じていたことを生成AIに尋ねてみる心の余裕も出てきました。

これが終わったら次は、ということを考えるゆとりも出てきました。これだけの重いものを読んだ後、すぐにまた大作に挑む気持ちはありませんが、今後読む予定の、ちょっと重めの本について自身の備忘としてリストアップしておきます。
生きているうちにあとこれだけは読んでおきたい、できれば現役で仕事をしている間に、と思っている本たちです。
・レ・ミゼラブル
・白鯨
・戦争と平和
・罪と罰、未成年、カラマーゾフ、白夜を除くドストエフスキーの残りの全著作(邦訳のあるもの)
・収容所群島
・ユリシーズ
・ローマ人の物語、海の都の物語を除く塩野さんの全著作
・知の果て至上の時、ほか中上健次さんの未読の書
・ほかに、孟子と正法眼蔵も、できれば読み切りたいと思っています。

学んで考えて動く。必ずしもこの順番でということではありませんが、学びと行動と思考をバランスよくやっていくことが必要で、そのためには、古典文学みたいなものも、なるべく現役中に読んでおきたいと考えています。確認し、学び直し、修正し、また動く。上の本を読み切るのに何十年かかるかわかりませんし、現役中には難しいかも知れませんが、仕事を退いても生きている限り、この姿勢でいきたいと、今は思っています。

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平岡正明さんの『昭和ジャズ喫茶伝説』

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平岡正明さんが亡くなったのは2009年のことだということです。この本は今年の2月に出版されているので、亡くなってから15年以上も経過しています。しかも本の内容は昭和のジャズ喫茶をテーマにしたもの。単行本として出版されたのは2005年。
中をパラパラとめくると、安保闘争や発禁本やジャズメン、演劇、出版、劇場、雀荘、スピーカーなど、1960年代の東京の猥雑な断片をある時は当事者としてある時は傍観者として脈絡もなく書きまくられているような印象を持ち、一体こんな古典とも言えぬような、特定趣味人しか読まないような本を誰が読むと思って筑摩書房は出版したのだろう?と思いながらレジに真っすぐに向かう私がいました。
しかし買って帰って読みだすと、とにかく面白い。1960年代、日本がたぎっていた時代、ジャズもどんどん進化していった熱い時代、平岡正明さんは中上健次さんよりも生年では5歳年上になるので、恐らくこの本の中に書かれている様々なエピソードは中上健次さんも同時代に経験しているのではなかろうか、などと空想しつつページをめくり続けています。

私の興味をそそっている部分を書き出したらきりがありませんが、p22にオーネット・コールマンの「淋しい女」という曲が、セロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」の焼き直しではないか・・・というくだりがあり、早速聴いてみたところ、ははあ、なるほど、そういう風に聴くのか、と感心しきりです。これは、発表された当時だからこそ感じるものであり、ずっと後の時代になってから何十年も前に録音されたものをバラバラと聴いているような聴き方では気づかないことだなあと思いました。
その勢いで、続く「ガレスピーが1963年に1945年を回想した消灯ラッパつき『ラウンド・ミッドナイト』を聴いて」という記述を読んで思わず、ディジー・ガレスピーが演奏している同曲は聴いたことがなかったと、検索して幾通りもの同曲を聴きました。中にはモンクがピアノを弾いてガレスピーがあの折れ曲がったトランペットを吹いているコンサート映像もあり、貴重な映像が残っていることに感激しました。

この本は私にとっては長らく楽しめそうです。

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トーマス・マン『魔の山(上)』

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24歳のドイツ人青年ハンス・カストルプがいとこが入院しているスイスの高原のダヴォスにあるサナトリウム(療養所)を訪れるところから始まる物語です。
こういうものを読もうという動機はなかったのですが、たまたまなんとなく気になって、昨年秋頃に買い求めました。はじめは岩波文庫で読み始めたのですが、さっぱりわからず、途中で断念し、新潮文庫ならもう少しやさしいかもとなんの根拠もなく切り替えました。しかしながら手に負えず、結局10月に読み始めた上巻が半年近くかかってようやく読了にこぎつけました。NHKの「100分de名著」でも扱っており、とても興味深く視聴しましたが、本はなかなか手強く、テレビでうんうんと眺めていたような感じではありませんでした。

「魔」の山というくらいなので、普通の健常者がそこで治療を受けている人たちと一緒に過ごしているだけで、日に日に体調がおかしくなっていくという不思議な、ある種ホラーめいたところも感じる小説です。そういう筋書きなのかなと予想はしていたものの、実際に読んでいくと難渋です。この人はなんでこんな面倒な難解なものを書いたのだろうと疑問を持ちつつ読み進めています。言い回しが面倒。見開きの2ページがほぼ文字で埋まっていて余白がない。ジョン・コルトレーンのシーツ・オブ・サウンズを小説で表現するとこのようになるのだろうなという感じです。コルトレーンの演奏でも、あまりにもソロのアドリブが長いので観客が全員帰ってしまったことがあるというエピソードを聞いたことがありますが、この小説も「退席」したいと思うことしばしばです。


20世紀ドイツ文学の最高傑作だと言われているそうです。しかもこの作品をはじめとする色々な作品群で、トーマス・マンはノーベル文学賞を受賞しているとか。下巻の裏表紙にも「ファウスト、ツァラストラと並ぶ二十世紀屈指の名作である」なんてことまで書かれていました。そんなことも知らずに私はこの本の巨大な迷宮にほとんど準備をせずに入り込んでしまっています。読んでいて、確かに「観念的」だなあと感じます。ドイツ観念論なんて言葉は知っていても意味は知りませんので、安易なことは言えませんが、なるほど、そういうことなのかな?と思ったりもします。登場人物の言葉からとても観念的な印象を受けます。

もしかすると、本当の病気になったわけではなく、偶然見初めた年上の女性に対する恋心が発熱となって出ただけなのかも知れません。ということが上巻の一番最後まで来て感じられました。私の気のせいかも知れませんが。

読んでいて、とても興味をそそられる記述がありました。p570「だから意識なるものは、結局のところ、生命を構成している物質の一機能」であるというくだりです。
あれ? 毛内拡さんの『心は存在しない』やレイ・カーツワイルさんの『シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき』などに「意識は体と別のところにあるものではなく、脳の働きなのだ」というような主張と同じことがこんなところに書いてある、と思い、びっくりしました。(これも気のせいかも知れませんが)
またこんな記述もありました。p586「原子はエネルギーの充満した一宇宙を構成しており、その体系内では、太陽にも似た中心体の周囲を多くの天体が自転公転し、たくさんの彗星が、中心体の引力によって外心的軌道内に引きとめられながら、光年的速度でその天空を飛びちがっている」・・・という感じで、小説の中に、生命論やら物理学的なものやらなんやらかんやらをごった煮の如く詰め込まれたもので、難儀してます。

しかし上巻の最後に来て急転直下、これまでの長い道のりはここにつながっているんだ、という感じで話が進み、それまでの悪路難路が一気に報われた感じがしました。孤独のグルメで松重豊さんがいつも言っている「ああ、そう来たか」というつぶやきを私も思わず漏らしてしまいました。
さてこの先、下巻が待っており、上巻ですら文字が敷き詰めて700ページもあったのに、それよりさらに100ページ分パワーアップの800ページも待っているということで、どういう展開になるか、期待ワクワク、腕が鳴ります。

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レイ・カーツワイル氏『シンギュラリティはより近く:人類がAIと融合するとき』

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レイ・カーツワイル氏は、ご存じ「シンギュラリティ」という言葉を、AIの進化によって人類全体の知能をコンピュータが上回る時が2045年には到来するという意味で人口に膾炙した方です。
このカーツワイル氏の新刊『シンギュラリティはより近く』を読みました。

以下、私の関心を惹いた箇所などを抜き書きしておきます。
・p8。シンギュラリティ(特異点)は、数学と物理学で使われる言葉で、他と同じようなルールが適用できなくなる点を意味する。(これは隠喩であり)私がシンギュラリティの隠喩を使ったのは、現在の人間の知能ではこの急激な変化を理解できないことを示すためだ。だが、変化が進むにつれ人間の認知能力は増強されるので、対応できるようになる。
・・・という記述からすると、シンギュラリティとは、人類にとって次のステージに移行する進化のことを意味しているのかも。と考える理由は、次の第1章で六つのステージ論とも言うべきものが展開されており、現在の人類はその4番目のステージだということを示唆しているからである。
・p15~。(六つのステージについての記述)
第一のエポックは物理法則の誕生と化学プロセスの誕生である。今から数十億年前に第二のエポックが始まった。自己複製能力、原始生命。第三のエポックでは、DNAによって記述された動物が生まれ、情報を処理し蓄える脳が形成された。第四のエポックでは、認知能力を利用するとともに、親指を使うことで思ったことを複雑な行動に移すことができるようになった。それが人類である。第五のエポックでは、生物学的な人間の認知能力とデジタルテクノロジーの速度と能力が直接に融合するブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)が実現する。第六のエポックは、私たちの知性があまねく宇宙に広がっていく。
・p19。2030年代で鍵となる達成レベルは、六層構造(上の「六つのステージ」とは別の「六」であると思われます)となっている私たちの大脳新皮質の表面に近い部分とクラウドコンピュータを接続し、直接に私たちの思考を拡張する。これによってAIは人間の競争相手ではなく、人間を拡張するものになる。・・・攻殻機動隊の世界の出現。
・p68。Googleの「Talk to Books」というアプリ。10万冊以上の本のすべての文を調べて、あなたの質問に最適な答えをくれる。極めて優れものだが2023年に閉鎖された模様。
・p82。現在、AIに足りないものは文脈記憶、常識、社会的相互作用。(ここで言う「文脈記憶」は、最近の生成AIで前のプロンプトの内容を踏まえた回答をしてくれているが、そのような短期のレベルではなく、もっと長期的な文脈を意味しているのかも知れません)
・p93。今から約20年以内に、人間の脳の機能すべてをコンピュータはシミュレートできるようになるだろう。
・p100。(チューリングテストに)成功するAIは自分が人間を超えているところを見せないようにする。・・・なぜ?これは意味がよくわかりませんでした。
・p137。信じられないほど低い可能性のなかで人類は誕生した。男性が一生のうちに作る精子の数は2兆、女性の卵子の数は約100万個。受精は1を2兆×100万で割った確率。(さらに言えば、地球に生命が出現したこと自体が大変な偶然の産物との詳しい説明あり)
・p164~。私たちは選択バイアスが働いて、迫りくる危機に関するニュースを選ぶ。社会はものごとを悲観的にとらえる3つのバイアスを持っている。
 ①私たちが悪い知らせに引きつけられるのは、進化的適応である。進化の歴史において、生存のためには危険かもしれないものに注意するほうが重要なのだ。
過去を美化して覚えている心理的バイアスは、それも進化的適応のひとつだ。心痛や苦悩の記憶はよい記憶よりも早く消える。ノスタルジア(ノストス:帰郷、アルゴス:心の痛み)は、過去を変えることで、過去のストレスに対処するメカニズムなのだ。
 ②悪いニュースは広まりやすい、という認知バイアス。世界は初期の状態から崩れて、悪くなっていくと考える。失敗への備えをし、行動に出る動機を与える建設的なてきおうかもしれないが、人々の生活における向上点を見えなくする強力なバイアスになる。
 ③利用可能性ヒューリスティック。私たちは悪い状況をすぐに思いつけるようになっている。(できないことの言い訳、に近いもの?)このバイアスを正すためには、楽観的になる強い論理的根拠、人間の創造力と努力が必要。
・p183(私たちの生活は今後指数関数的に良くなっていくが、障害がある。)。第一の障害はテクノロジーではなく政治にある。ダロン・アセモグル教授は、人類の発展において政治制度が大きな役割を果たしていることをあきらかにした重要な研究をしている。多くの人々が自由に政治に参加することを認める国や、未来のためのイノベーションや投資が保証されている国では、繁栄のフィードバックループが根づくことが可能になる。

宗教的なことに関するような記述もありましたが、あまりに難解でしたのでここでは触れません。
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また、同時並行で3年半ほど前に出た小林雅一さんという方の『ブレインテックの衝撃』という本を読みました。この領域は3年半も経つと古い感じがしましたが、ここでも「心」や「意識」についての記述がありましたので引用しておきます。
・p69。今では私たちの「意識」や「心」は、それら無数のニューロンの電気・化学的な活動の総体と考えられている。
これが本当ならば、将来的にはロボットに自分を完全に移植することで、意識をもった自分が永遠に生きるということも可能になるかも知れません。シンギュラリティというのはそういうこと・・・かも知れないと思った晩冬の宵でした。
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ガブリエル・ガルシア=マルケス氏の『百年の孤独』

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ガブリエル・ガルシア=マルケス氏の『百年の孤独』読了です。
一言で言うと、面白かったあ、という感じ。
600ページを超える長い読み物。6代に及ぶ一族の物語。時にヒタヒタと時にハチャメチャに享楽ありバイオレンスあり突然死あり、ある時は筒井康隆さんの『脱走と追跡のサンバ』を思い出し、またある時はウルスラは中上健次さんの『千年の愉楽』のオリュウノオバでありマコンドは路地であろうなどと確信めいた思いを持ったりしながら読み進めました。オリュウノオバは、ああ見えて多分50代であり、映画では寺島しのぶさんが演じていたのですが、ウルスラは150歳まで生きていたようなので、単に印象だけの相似であり、全く違うのでしょう。中上健次さんも『百年の孤独』を知ったのは『千年の愉楽』を書いた後だと仰っているようなので、まあ類似性を感じたのは偶然であろうと思います。さて或いは、また筒井康隆さんですが『ダンシング・ヴァニティ』なども繰り返しが多用されており、同じ名前の人が繰り返し何度も出てきて似たような行為を繰り返す情景なども類似性を感じました。(感じ方は、多分人それぞれ、自由です)類似性だの相似だの、何を感じたかというのはそれほど重要なことではなく、この物語がとっても面白かったということを、とりあえず最後に述べさせて短い読後感想文とします。
『族長の秋』はずっと以前にザザザザザッと読んだだけだったので、いずれの時にか、今回の『百年の孤独』のように、もう一度しっかりと読んでみたいと思っています。

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「山田宗睦さん」のこと

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先日新聞に山田宗睦さんという方の死亡記事が載っていました。どなたかは全く存じ上げませんでしたが、なんとなく気になって著書を探し、古代史の解説ものその他色々なジャンルに及んでいることを知りました。たまたま地元の図書館を訪れた際に書庫にいくつかこの方の著書が蔵してあることを知り、借りてみました。
その中の一つ『旅のフォークロア』をパラパラとめくっていると、「能登」という紀行文に出会い、読んでみるととても興味深く引き込まれてしまいました。

「戸坂潤を百科全書的な思想家とみるのが、定説だ。厳格にエンサイクロペディストととるなら、わたしなどとても縁がないが、ややずらして、なにごとにも好奇心をもつというくらいにとるなら、わたしもまた戸板の徒だ。」(この謙虚な言い回しに引き込まれました)

「さいきん、能登半島への旅がクローズアップされてきたが、能登へ入るには、北陸本線の津端で七尾線に乗り換える。この七尾線が河北潟ぞいに海岸に出たところが、宇ノ気である。宇ノ気は、鳥取砂丘につく河北砂丘の北東の端にあたる。砂丘の南西の端は、清水幾太郎の名を高くした内灘だ。宇ノ気は西田幾多郎の生まれたところだ。(中略)敗戦の直後、軍隊から復員するとき、まずこの村によったのも、わたしに西田の生まれた村で今後の行き方を考えてみたいという気があったからだ。」

「戸板が西田を慕い、一高在学中に京都に訪ねたのは、1921年1月6日のことで、それは西田の日記に残っている。入学はその翌年。のちにマルクス主義者として戸板は西田哲学を批判するが、西田はその批判を『理解のある大変よい批評だ』と、戸板への手紙に書いた。」(ここで冒頭の戸板潤と西田幾多郎の関係が明かされます)

「その年(1936年)、小学生のわたしは、この海辺にきて、ようやく泳ぎをおぼえた。この辺り海はおどろくほど遠浅で(中略)十センチもある大きな蛤が、ごろごろ取れた。そう、今浜はわたしの父の古里だった。」(ここでまた驚きです。山口県下関生まれ、と奥付に書いてあったので、北陸はたまたま旅をしにきただけの紀行文かとおもいきや)

「1944年秋、わたしはこの村の神社で、村人の出征壮行会におくられ、金沢の連隊に入った。(中略)45年6月7日に、西田が死んだ。石川出のこの大哲学者が死ぬと、曹長はわたしのところまでやってきて、「元気をおとすな」と言った。戸板が獄死したのは-当時のわたしは知らなかったが-その二か月後、8月9日、敗戦の六日前である。」

「羽咋市から直線で20キロほど北、福浦から富来をへて関ノ鼻にいたすS字型の海岸33キロが昨今著名となった能登金剛である。戸板が幼年期をすごした里本江もこのなかにある。」

「雪のたたきつける内灘の砂上で、対戦車砲の演習をしながら眺めた、白い歯をむく海のこわさを、わたしは忘れがたい。松本清張『ゼロの焦点』が、原作でも映画でも、ともに、荒涼とした能登金剛の風物を、たくみに利用したのは、同じ印象からだろう。」

「能登の探訪は、美しいが疲れもする。その疲れをいやすのに、加賀温泉郷の一つ粟津温泉に泊まるのも一興だろう。なぜなら、戸板潤は四歳のとき、ここに移った。祖父が転勤したからだ。そそて五歳までいて東京の母のもとにかえる。この温泉のある小松市の東隣に根上町というのがある。わたしの母の古里だ。」

ふたりの哲学の師に連なる自身の立ち位置をさりげなく示しつつ、能登のことを織り込みつつ、最後は母で締めくくるという、なんとも素敵なエッセイだと感じ入った次第です。この本が発行されたのは1978年、私がまだ高校2年生の時です。私にとってはなんのゆかりもない方ですが、感じ入った文章の一部なりとも残しておきたいと思い、書写させていただきました。もう少しだけ本書から抜粋させていただきます。次の一文は「山の辺の道」です。

「山の辺の道を、いくども歩いた。(中略)この道が有名になると、案内板もできたし、ガイド・ブックに道筋を示した地図ものこっている。現代人は教条主義だな、とおもう。(中略)しかし道はきままに歩くのがいい。これが山の辺の道と、まるで試験のように一歩も路をふみはずすまいと歩くのでは、あじけない。一つや二つ、上下に、それとも自由に、畦道をたどる方がいい。それと、この道を歩くまえに、『万葉集』や古代史をのぞいて、古代人の心でこの道を歩く用意をした方がいい。(中略)山の辺の道は、初瀬街道に面した三輪山南麓の金屋からはじまる。ここから歩きだすのがいちばんいい。」という感じで山の辺の道と古代王家にまつわる女性たちの悲哀がつづられていきます。私の大阪勤務時代に何度も訪れ、歩いた山の辺の道を、この見知らぬ哲学者もよく歩いておられたのだということをこの書を手に取って知り、なんとなく、上の能登の話とあいまって、余計に親しみをおぼえた次第です。
ちなみにかつて大阪勤務時代に山の辺の道を歩いた時は、私はいつも石上神宮からしか出発したことがなく、都側から見れば当然のルートだと思っていたのですが、どうもそうではないということを後年知ったところですし、山田宗睦さんもこっちから歩くのが良いと仰っていますので、次に訪れる機会があれば、三輪山側から歩いてみようかと思います。

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杉本貴司さんの『ユニクロ』

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中小企業診断士である私がユニクロのような大企業について勉強するのはあまり意味がないかも知れません。しかし私が社会人になった40年前にユニクロの1号店を広島で作った小郡商事は、当時は山口県の一中小企業だったということを考えると、柳井正さんという経営者が仮に不世出の天才だったとしても、今のユニクロではなく、これまでのユニクロの辿ってきた道を知ることで、他の中小企業にとってもヒントになることがあるかも知れない、と考え、時のベストセラーを手に取りました。著者の杉本貴司さんもp6で「私が見つけたのは「希望」である。この国に存在する名もなき企業や、そこで働く人たちにとって希望になるであろう物語である。」と述べておられます。

p38 なにかと言うと柳井が口にしたのが「それになんの意味があるんかね」だった。73歳になった柳井が母校の早稲田大学の新入生たちを前にこんなことを語りかけた。「人が生きていくうえで最も大切なことは使命感を持つこと。自分は何者なのか、そのことを深く考える必要がある」

p78 ノートに自分自身の性格について思うことを書き記していった。俺の長所はなんなのか。逆に短所はなんだ。
p79 ある思考法にたどり着いた。「できないことはしない」「できることを優先順位をつけてやる」悩みというものは、悩めば悩むほど出口が見えなくなってしまう。「いくら悩んでもできないこと」と「よく考えれば、悩むまでもなくできるかもしれないこと」に二分する。そして割り切る。エネルギーを割くのは後者だけ。そもそも解決できないようなことについて悩んでいる時間がもったいない。
p80 長所だけの人間になろうなんて考える必要はない。そもそも長所だからといって他人に誇るようなものでもないし、短所だからと劣等感にさいなまれる必要もない。
p80 仕事の内容を正確に伝えるために日々の仕事でやってもらいたいことをひとつずつ文章化してみた。この時の自筆の「仕事の流れ」がマニュアルの第一歩だった。口下手であることを認識しているが故の工夫だが。
p81 マニュアルの作成が終わると次に取り組んだのが、日々の商売の「見える化」だった。どの商品のどのサイズ、どの色が売れたのか。そんなことを毎日店を閉じてから自らノートに詳細に書き記していった。

こういう基本をしっかり大事に経営者自らコツコツとやっていったということが一つ。この頃のスタッフは一人か二人だったようです。

p82 カネ儲けは一枚一枚、お札を積むこと。信用の源泉は銀行預金を積み上げること。
p84 父から25歳の時に銀行通帳と印鑑を渡され、経営者となった。この時は山口県宇部市の商店街にふたつの小さな店を持つだけの存在だった。ここから10年ほど暗く長いトンネルの中でもがき続ける日々だった。
p90~101 柳井は経営者としての決意を一枚の紙に記した。・・・柳井の目標を大きく持ち上げてくれたのが・・・本を通じての偉人たちとの対話という静かな時間だった。・・・自宅に戻り食事を終えると、書物を通じて世界の英知と向き合う時間を大切にする。・・・松下幸之助と本田宗一郎。ユニクロの足跡は現実の延長線を越える足し算を描き実行に移す。ハロルド・ジェニーン(『プロフェッショナルマネジャー』)という事物の著書から学び取り、実行に移したこと。米マクドナルド創業者のレイ・クロック(『成功はゴミ箱の中に』)。ピーター・ドラッカー『マネジメント』『現代の経営』『イノベーションと企業家精神』『プロフェッショナルの条件』などは何度も読み返してきた。・・・クロック曰く「勇敢に、誰よりも先に、人と違ったことを」・・・柳井流の読書法は「もし自分だったらどうするか」と考え、筆者と対話するよう点にその妙がある。
p118 失敗を次の成功への気づきに変えてしまえばいい。
p121 まずはひょっとしたら大成功するんはないかと考えることがすごく大事。
p133 経営者のオヤジだけが元気でしきりに売り込んでくる。ところが現場を見ると社員を大切にしていないことがすぐに分かった。若い人たちが暗い顔で働いている。こんなところに未来はない。
p137 消費者はその商品について一番よく知っている人から買いたい。中内さんは小売業の革新者でありイノベーターだった。しかし商品について一番よく知っている人になろうという発想の転換がなかったことが、ダイエー凋落の原因だ。
p139 ゴールを定めていなかった。だから、たいして成長しなかった。


p140 柳井がレイ・クロックの『プロフェッショナルマネジャー』から学んだ二つのこと。
①現実の延長線上にゴールを置いてはいけない
②本を読む時は、初めから終わりへと読む ビジネスの経営はそれとは逆だ 終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ・・・三行の経営論であり、逆算思考だ。

p155~160 商店街の個人経営店から「企業」へと脱皮するためのおおまかな見取り図。安本(安本隆晴公認会計士。小郡商事が上場企業になるための参謀となった人物)が最初に手がけたのが、組織図の作成だった。組織図とは、経営戦略を機能別に解き明かした説明書である。社長の下に書かれた各部門名の下に、誰が何を担当し、どんな責任を負う売上高や集客数、生産性、商品ロス率などの目標数値を書き記していく。組織を縦割りに分解するだけでなく具体的な機能と責任を明記していく。組織を動かすにはルールが必要。仕事のカタマリごとに誰が何をやるのかを割り当てる必要がある。安本が持ち込んだもう一つの概念が「会計思考」だった。簡単に言えば収益構造とキャッシュフロー構造のふたつを常にモノサシにせよということ。

p224 そもそも新しいことをやると失敗する。でも失敗することは問題じゃない。失敗から何を得るか。失敗の原因を考えて次に失敗しないために何をすればいいのかを考えるのが経営者。だから、失敗しないと始まらない。
もちろん無謀をよしとするのではない。柳井は「失敗しないためにとことん考え抜け」とも話す。最善を尽くしたつもりでも、経営に失敗は避けられない。失敗から何かを学び、より大きく成長するためには、つまずいてもまた這い上がってやるという覚悟が最初からなければ始まらない。
本田宗一郎も『俺の考え』の中でこんな言葉を残している。「研究所なんていうのは、99パーセントが失敗で、それが研究の成果である。人は座ったり寝たりしている分には倒れることはないが、何かをやろうとして立って歩いたり、駆け出したりすれば、石につまずいてひっくり返ったり、並木に頭をぶつけることもある。だが、たとえ頭にコブを作っても、膝小僧をすりむいても、座ったり寝転んだりしている連中よりも少なくとも前進がある」
p228 「どこが去年と違うんですか」「どこが他社と違うんですか」それが尋問のように続く。つまり、売れる理由です。売れる理由を一つずつ積み上げていく。
p241 待てど暮らせどお客は来ない。このままじゃ倒産する。胃がキリキリと痛む。経営者はそれでも考え続ける。そういう経験をしないと絶対に経営者にはなれません。(柳井さんが玉塚元一氏に語った言葉)

これ以降は、ユニクロが海外にも進出しつつ異文化とのコミュニケーションの齟齬や大企業病をいかに克服していったかという件になっていくので割愛しますが、最後に一つだけ。私がセミナーでよくお話をするユニクロの野菜販売の失敗(撤退ラインの事例として紹介しています)に絡んだエピソードを記しておきます。
p363~370 柚木治氏は2002年9月に野菜を扱うSKIPを立ち上げた。「野菜のロールスロイスをカローラの価格で販売します」・・・しかし結果は大失敗だった。2年もしないうちに26億円の赤字を出して撤退に追い込まれた。(柚木氏の奥さんは何度も警告を発しておられたとのこと)・・・その後「僕は失敗していない柚木君より、失敗したことがある柚木君の方が良いと思うな。失敗を生かして10倍返してください」という柳井さんの言葉でGUの立て直しに送り込まれた。柚木には野菜の失敗で得た3つの教訓がある。「顧客を知る努力は永遠に続けなければならない」「新しいことを始める時は、今ある常識を誰よりも勉強しなければならない」「社内外を味方に付けて、その力を使い尽くさなければならない」・・・柚木氏がGUの立て直しを図る歳にも、奥さんから言われた言葉がとてもためになったようですし、店舗スタッフの「ホントは私、GUの服は嫌いなんですよ」という言葉に、改めて顧客のこと、今ある常識を虚心坦懐に学ばなければいけないと思ったそうです。

ということで『ユニクロ』を読んだ直後に私が走った先は、5年ぶりの「GU」でした。

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