井波町にある瑞泉寺に行ってきた。
元々は郡上八幡へ涼みに行こうかと妻と言っていたものだが、2週間前に奥飛騨に行ってきたばかりだし、岐阜はこのところ暑いので、ということで、昨夜急遽行き先を変更して、井波になった。
なぜ井波かについての深い意味はない。
ただ、今年の1月頃に瑞泉寺や木彫りの町を散策して風呂にでも浸かってという行程を考えていたので、代替案とした次第。
行き先は、まずは井波の「道の駅」。
駐車場内に巨大な七福神の彫り物があり、目を引いた。
そしてその隣にある井波彫刻総合会館。
数十万の彫り物から百万単位の欄間などどれも目を見張る素晴らしい技術品ばかりだった。
中でも1千万円近くもする聖徳太子の馬上像はすごいものだった。
(金額でいい悪いを決めているわけではないが)
そして瑞泉寺。

井波彫刻の粋を集めた素晴らしい寺だ。
宗派のことでもめごとがあるのかどうか知らないが、こういう芸術的なお寺が富山の片田舎にあることは奇跡的なことかも知れない。
南北朝時代に、京都本願寺五世の綽如上人(しゃくにょしょうにん)という人が来たから開山されたものらしいが、その後前田利長公が彫師を招聘したことが今日の井波=彫刻の町へとつながったというから、歴史というものはふとしたことで何かが作られていくものなのだなあと感ずる。
池波正太郎氏の父祖もこの地の出身らしい。

明日の午後から聖徳太子の偉業を偲ぶ「太子伝会」というのが開かれるらしい。
毎年同じ日程なのだろうか。
今年はその前日に訪れ、偶然太子2歳の像を拝むことができた。(ような気がする)
後光松天皇が下賜されたものらしい。
ほんの一瞬だけ、本尊の正面に据えられたときに、たまたま正面から拝んだ。
本物なら、目前で拝むことができたことはなかなかない行幸だろう。
偶然いいこともあるものだ。
帰りは福光の華山(はなやま)温泉の砂風呂に入ってきた。(温泉と合わせて一人1600円也)
汗がたっぷり出て、すっきりした。
良い休日を過ごすことができた。
「随想」カテゴリーアーカイブ
飛騨への思い
今年実現したいことが色々ある。
これまでの生活では、会社がすべてであり、仕事以外のやりたいことは一切手をつけられなかったため、たまのスーパー銭湯などが関の山だった。
本当は一昨年のうちに行きたかったところが、奥飛騨である。
22年前、職場の人たちと一緒に行った新穂高温泉の「深山荘」という宿のそばに川が流れており、そこが温泉となっていた。
あまりに気持ちよく、最年少社員であったにも関わらず、先輩たちの世話もせずにじっくりと川風呂に浸かりも浸かったり、1泊2日の旅行で、都合8時間もその風呂に入っていた。
思い出深い旅行であり、そこへもう一度是非行きたいと常々思っていた。

当然行くときは1泊のつもりだったが、今回奥飛騨方面へ車が向かい、偶然その宿の看板を見つけたため、そのまま吸い込まれるように行ってしまった。
残念ながら湯には浸からなかったが、私の家から、ゆっくり行って3時間で着くということがわかった。
十分日帰りで湯だけ浸かって帰ることができる距離だ。
近いうちにまた来ようと考えている。(写真の「川」が温泉になるのです、但し季節によってらしい)
深山荘の場所をしっかりカーナビに覚えさせて、その足で新穂高ロープウェイに乗って一番上まで行った。バカとアホウは高いとこ好きよ、よいやさのよいやさ、という歌があるが、私などはすぐに高いところへ行きたがる、典型的なアホウかも知れない。
さらにそれから国道158号線を西にとり、高山ICから、この日全線が開通した「東海北陸自動車道」の飛騨清見インターに乗り入れ、10710メートルという日本で二番目に長いトンネルを含む新道を通って魚津の我が家に戻った。

このトンネルを通り抜けるのに30分かかった。
グルリと回った一日であった。
ガソリン高騰の折、ではあるが、22年ぶりに夢にまで見た「深山荘」を訪れて場所の確認をきっちりできたし、こちらを通ると遠回りだということが実地で確認できた新道の通行など、収穫大、であった。
何よりも、職場を変わって、これまで頑張ってきた自分へのねぎらいができたことがうれしい。
また来るぞ。
日展100年
日展100年という展覧会に行ってきた。
図画工作から美術といわれる科目に至るまで、学校の成績は悪かったが、大人になってから何かをさかい絵が好きになった。
これまで訪れた個人の美術展では、下保昭、鴨居玲、ダリ、篁牛人、東山魁夷、平山郁夫などが素晴らしく良かった。
子供が生まれた後、彼らが大きくなるまではなかなかこういうものに触れる機会がなかったし、最近は単身赴任やらなんやらで、仕事と生活以外のことはあまりできなかったので、たまにはいいものだ。
さて、件の「日展100年」だが、会場は富山県立近代美術館というところで4月からやっていたもので、5月18日が最終日だった。
富山県内で開催される美術展は、これまでの最高動員数が、東山魁夷展の時の4万人だったらしいが、今回の「日展100年」はそれをはるかに超える人数が訪れたということだ。
さすがに最終日とあって、朝一番で出かけたが、大勢の人で賑わっていた。
元々は明治末頃に始まった文展というのがその起こりであり、戦時中は帝展といい、終戦後は新文展となり、さらにその後民間が運営するようになって日展となって今日に至っているらしい。
私のお気に入りは山元春挙という人の「富士二題」という一幅の絵のうち「秋晴れ」という、富士山を背景にした農家の絵である。
その他に、第1回文展に出品された新海竹太郎という人の「ゆあみ」というブロンズ像。天平的ヘアスタイルのとても美しい女性の像で、かみさんを横にしてしばらく見惚れてしまった。本来の所蔵場所は山口県立美術館らしい。
書では、村上三島という人の「知命者不怨天」(命(めい)を知る者は、天を怨まず)というのが良かった。文字、というより、その言葉が気に入った。
この展覧会は昨年の東京を皮切りに、仙台、広島と来て、ここ富山会場の計4会場でしか開催しないらしい。まれな機会に恵まれて幸せだ。
しばらく美術作品とは縁がなかったが、これを機にまた色々見て行きたいものだ。
納骨道中記
昨秋亡くなった祖母の納骨のため、京都の東本願寺へ詣でてきた。
我々は納骨と呼んでいるが、寺側の呼び方は「収骨」というそうだ。
仏教にも色々な宗派があるため、それはそれでよくわからないが。
その帰路、京都を出てしばらく走ったところ、急に車の「オイル警告ランプ」(赤色)がつき出した。
慌ててスタンドを探し、オイルを調べてもらったが、まだ油量は十分あるとの見立て。
それでも満タンまで入れてもらい、あらためてエンジンをかけたが、警告ランプは消えず、スタンドの係員も首をかしげていた。
走り出して間もなく、今度は「エンジンの警告ランプ」(黄色)までつき出し、こりゃあかなわんなとなった。
しかし山道のため近くに修理工場らしきものもディーラーらしきものもなく、結局次の町まで走り抜けなければならなくなった。
峠を越えて町の入り口まで入ったところで、ローソンの大きな駐車場に車を停め、JAFに来てもらった。
見立ては、デイーラーの持っている検査装置で解析しなければわからない、というもの。
すでに夜7時を過ぎていたが、まだ自宅までは300キロ以上走らなくてはならず、ここで無駄に時間を過ごしているわけにはいかないため、JAFの人に教えてもらってすぐにその町のディーラーに連絡をとったところ、いますぐなら見てあげるとの回答。
JAFに先導してもらい、ディーラーへ。
そこでの見立ては結構深刻なもので、エンジンのポンプ部分にオイルのかすがつまり、うまく機能しなくなっている可能性があり、原因除去のためにはエンジンごとはずして修理しなくてはならないと思われる、というもの。
強い負荷をかけずに走る分にはしばらくはもつかも知れないが(つまり、高速走行は危険だ、という意味)・・・との付け足し。
明日はディーラーは休みだということもあり、ましてや預けて行くにしても、自宅から300キロも離れたディーラーに預けていくのもちょっとしんどい。
結局、下道でごまかしごまかし転がしていくことにした。
どんな手当てをしてくれたのかはわからなかったが、ディーラーを出たときには警告ランプは二つとも消えていた。
しかし、下道といえども結構夜間は大型トラックがところ狭しと走り回り、おまけに海沿いの道なものだから、くねくね曲がっていて始終対向車があって危険極まりない。
しかも70キロぐらいのスピードを出しても、警告ランプはつかない。
「今度ランプがついたら、すぐに路肩に停めてJAFを呼んで避難して下さい」と結構強い調子でディーラーに言われていたことが耳に残っている。
そんなわけで、ランプがつくような運転はしないよう、なるべく負荷をかけずに静かにアクセルを踏んでいたが、70キロぐらいは夜の国道ではすぐに出るスピードである。
このまま国道をちんたら走っていたら今夜中どころか、明日の朝までかかるとのしんどさを感じ、再度高速に挑戦することにした。
(70キロで高速で行った方がよっぽど安全だ。)
というような経緯があって、武生から高速に乗って富山まで帰ってきた。
無事帰ってこられたことは、ラッキーだったと思う。
長距離の前にはもう少し慎重に事前の検査などをした方がいいなと感じた今回の小旅行であった。