俳優の緒形拳さんが亡くなった。
人は皆死ぬものであるが、また1人素晴らしい俳優を日本は亡くした、と思う。
何がしかの影響を人々に与える人の死というものはそれなりにインパクトを与え、そして何かを失わせてしまうものではないかと思う。
昭和の終わり、昭和天皇が崩御したときとほぼ時を同じくして、手塚治虫さんや美空ひばりさんら昭和日本の文化を代表する巨人たちが何人も相次いで亡くなった。
あの時は、昭和天皇が同時代人を道ずれにしていってしまったような、時代が大きく変わる地殻変動のようなものを感じた。(そんなオカルトチックなことはありえないのだが)
有名人の死ということでいえば、あの時以来のショックだ。
緒形拳といえば、復讐するは我にありやNHK大河ドラマでの数々の主役脇役、藤枝梅安役を含む必殺シリーズでの殺し屋稼業の役など、数え上げればきりがないくらいに、色んな役を演じている。
この人の特徴は、人の心の奥底の狂気を演じることができるという点ではないだろうか。
太閤記での秀吉の演技も(竹中直人もすごかったが)、それ以外の色々な個性的な役も、どれも狂気、鬼気というものを演じきるという力があり、それが観る者を惹きつけるのではないかという気がしてならない。
狂気や鬼気を演じきれる役者はそう多くはないと思う。
怒りをあらわにする怒気ではなく、静かに、心の深いところに流れている暗い情念・・これは我々誰もが心の奥底に抱えているブラックな側面であり、人には皆一様にそういうものがあるのではないだろうかと思うのだが、そういう、内奥の暗い情念を深く静かに表すことのできる役者。
それが緒形拳さんではなかったろうか。
緒形拳さんのそういう演技が観る者を惹きつけ、見入ってしまうのではないかと思う。
日本では、仲代達也さん、山崎努さん、海外ではクリストファー・ウォーケンとゲイリー・オールドマン。ほかにも怪優と言われる役者は何人もいるにはいるが、この人たちは図抜けていると思う。
そういう中の数少ない1人である緒形拳さんを失ったことは大きい。
黙してご冥福を祈りたい。
ありがとうございました。
「随想」カテゴリーアーカイブ
松原みきさんのことについて
昔、松原みきという歌手がいた。
アメリカ軍のキャンプなどで歌っていたのを世良譲というジャズピアニストが発見し、メジャーデビューしたということだったと思う。
デビュー曲は「真夜中のドア」。
当時私は大学1年だったか、2年だったか。
最大のヒットは「ニートな午後3時」という曲かも知れない。
資生堂の口紅か何かのCMソングに起用され、街頭でもよく流れていたものだ。
大学4年の春に、当時在学していた中央大学の学祭にお越しになり、受験勉強そっちのけで歌を聴きに行った覚えがある。屋外ステージで1時間も歌ってくれたろうか。実物も素敵な歌手だった。
それから幾星霜が流れ、テレビで昔のヒット歌手などが出て最近のヒット曲を歌う番組があり、杏里や麻倉未稀などが出ており、ほぼ同じ時期に「三人娘」ではないがそれぞれ結構売れていたという記憶があるので、そろそろ次は松原みきさんが出るかなと心待ちにして毎週見ていたことがあったが、私の知る限りではついに出場されることはなかった。
今年になって、もう4年も前に亡くなっていたことを知り、愕然としたものだが、10月7日の命日を前に、最近YouTubeでも松原みきさんの映像(http://www.youtube.com/watch?v=O9LFEgd04Jk&feature=related)を投稿されている人があり、それに対するお礼の投稿や「初めて聞いたけど上手だ」といった書き込みなども沢山あり、数十年前の歌手で、しかも杏里などと違って際立ったビッグヒットもなかったが、自分と同じように今でもファンだという人が沢山いることに、また驚いている。
最も活躍しておられた1980年代は、レンタルレコードを聞くのがせいぜいであったが、当時は全部のレコードを聞いた覚えがある。
彼女の歌は、今聞いても全然新鮮で今風で、妻なども「少しも古くないね」と言う。
これからもずっと元気で活躍してあのグルーヴィーでスインギーな歌声を聞かせ続けて欲しいが、それは叶わぬ夢だ。
作詞者、作曲者たちのセンスの良さ、松原みき自身の歌唱力、どれも時代を超えて生きているし、これからも私の記憶には残していきたいと思う。
(アマゾンで検索したら驚いた、復刻版か何かわからないが、十数種類出ていた。どれもいいアルバムばかりだが、一つ紹介)
夜の少女
残業をして帰る。
桜木町という繁華街の真ん中を突っ切って、市役所の裏へ出る。
市役所の手前には松川という川が流れている。
その川にかかっている華明橋という橋のたもとに幾人かの少女がいる。
全て銅像なので、動くことはない。
中の一人(一体)に、今年「日展100年」で見た、戦後間もない頃に作られた銅像によく似た姿の少女がいる。
ワイシャツを肩から羽織ってスツールか何かに腰かけている少女だ。
誰のワイシャツかわからないが、男物のようにも感じる。父のものか。

正面から見たことはない。
いつも彼女の右斜め後ろから、ほとんど駆け足状態で、目のはなに入るか入らないうちに通り過ぎているのだが、その刹那、前後に少し体を揺らすように動いているような、躍動感というと言い過ぎだが、生き生きとした感じを受けて、一瞬そちらに目を凝らす。
今にも立ち上がりそうな感じがして、ますます目を凝らす。
しかし彼女は立ち上がらない。
作者が誰か、どういう名前の作品かもいまだに知らないし、日展100年の出品作と関係があるのかどうかも調べていないが、伸び盛りの娘の今にも動き出しそうなた感じを形にした作者の力量を感じながら、今日も駅への帰り道を急ぐ。(写真は昼間撮影のもの)
休日は 二度寝ができる 幸せか
季語のない句になってしまったが、今朝は休日であるにも関わらず6時半に起きた。
そもそも昨夜の就寝が1時なので、それでも早いというか睡眠時間が短い。
今日の「越中富山ふるさとチャレンジ」の検定試験を受けるための最後の追い込み・・・などというほどのものではないかも知れないが、絶対に受かっておきたい試験なので、万全を期したかった。
そのため、夕べも遅くまで仕事をせざるを得なかったのだが、少しでも早く起きて、公式問題集などの復習をすることが必要だった。
しかし起きてからしばらく勉強しているうちに、やはり眠気が襲ってきた。
少し休んだ方がいいな、と判断し、30分ほど軽く眠った。
起きたときのすっきりさわやかなこと、ああ、休みの日でないとこんな快楽はないなあ、と思えた。
二度寝のできる快楽。
休みの日ならではである。
さて、今日の午後は、上記の「越中富山ふるさとチャレンジ」の検定試験。
私の住む魚津では、魚津市川縁にある「北陸職業能力開発大学校」という学校が試験会場となった。

初めて見る問題も一つ二つあったが、それ以外は、これまで出されている問題集の書籍や北日本新聞のホームページの問題又は解説を読んでいれば答えられるものばかりであった。
しっかり勉強して臨めば大丈夫、ということがわかった。(自分の狭い知識だけで勝負しなくて良かった・・・まだ合否がわかったわけではないけれど)
試験などというものを受けるのは久しぶりだったが、心地よい緊張感の中、楽しく受験させていただいた。
さあ、次は損害保険販売のための試験。
こちらは「ふるさとチャレンジ」以上に、しっかり体系的に、用語なども含めて勉強していかなければならない。
試験まで時間もないことだし、また集中して頑張ろう。
ひっさしぶりのアラキ
富山市北部にある手打ちうどん専門店のアラキ。
今日久しぶりに行ってみた。
着いたのが午後一時半。お昼しかやってない店で、12時頃に行こうものなら店の外の長蛇の列で、一時間待ちは覚悟しなければならない。
久しぶりなので、ラッシュは避けようと思ってベストなタイミングを狙って行ったつもりが、着いてビックリ。相変わらず店の外には長蛇の列。(30人ぐらいは外に並んでいただろうか・・・もちろん店の中でも席の空くのを待っている人たちが10人以上いる)
ここは、用意した麺が全部なくなると、営業時間であってもその日の商売は終わってしまう店であり、この列は、もしかすると並んでも自分まで回ってこないリスクがある。
さあ、どないしよ?と一瞬躊躇したが、意を決して車を停めた。

それから並ぶこと30分。(行列の写真は控えます)
新しい店になってからは初めて、自身は10年ぶりに訪れた。
人によって好き嫌いはあろうが、私はみそホルモンの、今日はうどんにした。
やっぱりうまかった。量は多いが、たまにはいい。
さて10年ぶりに訪れて変化のあったこと。
バリエーションに「小」というのができたこと。「並」と比べて値段はそれほど安いわけではないが、元々がボリュームが多いため、女性などはまともに食べきれないのではないかな、というのがこれまでだった。
「小」が出たおかげか、女性客も半分近くいらっしゃった。(う~ん、しっかりマーケティングやってるなあ)
それと、ざるそばやざるうどんなど、冷たいメニューも品揃えに加わっていた。これも作り手のエゴではなく、お客のニーズをカバーできるようになっており、良い取り組みだなあと思った。(私は愚直に熱い「みそホルモンうどん」にこだわってしまう方だが。
そんなこんなで、伝統の店でも進化してさらに強く生き残る工夫をしていることを感じた昼食の巻であった。
虫の声
今年はお盆明け頃から、こおろぎや鈴虫の鳴き声が聞こえるようになった。
いつもよりも早いような気がする。
いや、去年までは帰宅が深夜だったので虫も寝静まっていたために、鳴き出した時期がはっきりわからないだけかも知れない。
ま、それはともかくとして、とにかく、虫の声が聞こえる。
じっと耳を澄ましていると、結構大勢鳴いているような気がするし、あちこちで鳴いている。
うん、昆虫はまだまだ健在だ、と思う今日この頃。
秋の夜長、じっくりと虫の鳴き声に耳を傾けて夕涼みなんてのもいいなあとしみじみ思う。
新しい仕事に関して、試験やら検定やら沢山勉強しなくてはならないし、まだまだそういう時間のゆとりはないが、しかし昔は結構そういうほっとする時間というものがあったように思う。
というよりも、テレビだとかなんだとか、時間を費やすものがなかったがゆえに、虫の声とでもつきあっているしかなかったのかも知れないが。
そんなことを考えると、正岡子規の『筆まかせ』などをまた読んでみるか、という気になる。
本当は、こういう晩は縁側などに腰かけて、虫の声に耳を傾けながら、のんびりとかみさんと晩酌などできたらいいなあと思うのであるが・・・。
中国四千年のすごい技術
2週間ぐらい前から左の腕が時折ひどく痺れることがある。
今年の春先にも似たようなことがあった。
そのときは右腕で、頚椎の5番が出ているのが原因で神経に触っているからだということだった。
結局カイロやら色々行っているうちに夏ごろになって痛みがひいた。
今度は左かい!?といやあな感じがして、とある治療院に出かけた。
中国から来ている人がやっているところで、なかなか上手である。
今回、疲れがたまっていたことに加え、この左腕の痺れについて相談した。
すると、おもむろにヘラのようなものを出してきて、これでやろうということになった。
ヘラといっても、大きさは子どもの手のひらくらいのもので、象牙でできているのか
プラスチック製か竹のものなのか、見ただけではよくわからない。(めがねをかけて
いなかったせいもあるが)
ともかく、そのヘラを首や肩や背中にかけて、版画のバレンでこするように、上から
下に向けてゴシゴシこするわけである。
こする際には、タラーリと油のようなものをたらし、それを皮膚にすり込むように
しながらこする。
そうすると、あーら不思議。
悪いところが紫色に変色する。
同じように均等にゴシゴシやっているのだが、一部分だけが変色するのである。
(もちろん、私にはその様子は見えず、施術者の解説で理解するだけなのだが)
後で風呂に入って鏡でよく自分の肩を見てみてびっくり。
右と左の一部ずつ(場所は別)が見事に紫色に変色していた。
なんとなく、そこに悪い血が集まって、それを白血球たちが始末してくれれば
腕の痺れも治りそうな気がするではないか。
しごけば血が集まって充血するのは当然、という声も聞こえてきそうだが、普通
の充血とは全然違う色であり、しかもそこだけいまだに熱い。
なんだか、中国四千年の技を見たような気がする。
ちなみに日本ではその「ヘラ」みたいなものの名称は存在しないようだし、施術
者も、現物を日本で見たことは一度しかないと言っていた。
中国にはまだまだ色んな深いものが存在しそうだ。
個人的には、痺れがとれれば結果オーライである。
押入れ掃除後日談 古い官製はがきは交換しよう
先日押入れ掃除をしていたら、古い年賀状が随分出てきた。
それはそれでいいのだが、一方こちらから出す年賀状は、いつも少し多めに買うものだから、だいたい毎年10~20枚程度余ってしまう。
そういうものがここかしこから出てきた。
古いものでは平成10年ぐらいのものもあり、数えてみると百数十枚になっていた。
平日であったことを幸いに早速郵便局へ持っていった。
確か有償で普通はがきと交換してくれるはずだ。
ちょっと出費にはなるが、使えない「お年玉つき平成10年度の年賀はがき」を後生大事に持っていてもしょうがない。
結果は、一枚あたり5円の手数料で新品のはがきと交換してくれるので、100枚なら100×50-100×5=4500円分の現金ではがきを購入する計算になる。つまり90枚分の新品がこちらの手出しなく手に入るのである。
しかも驚いたことに(知らなかったのは私だけかも知れないが)、今では通常の官製はがきにも「インクジェット用」のものがあり、希望すればそれに代えてくれる。私の場合はパソコンではがきを作成することも時々あるので「インクジェット用」はがきにしてもらった。
まあ500円分損という見方もあるが、上記のとおり使えないものを持っていてもしょうがないと思う私のような人は是非交換されるといいと思う。
ちなみにはがきではなく、80円切手や50円切手との交換もOK(記念切手はだめ)らしいので、官製はがきは書かないけど手紙や絵はがきなら、という方は切手に交換されるという手もあるだろう。
押入れ掃除は気持ちいい
夏休み二日め。
ずっと前から思っていてなかなか実行できなかった「押入れ掃除」をやった。
妻も昨日、今日と二日連続でパートが休みだったこともあり、一緒に朝から取りかかった。
自分が大阪に単身で行っている間に家の色々なルールが形作られていって、それはそれできっちり機能していたのだが、私が帰ってきてスペースを使うようになり、一方妻は妻で押入れの大方を買い込んだ洗剤類や子どもの菓子類やなんやかやとどんどん、ものが増えていった。
そこへ私の工具類やら雑用品やら文具類やらがごちゃごちゃに混ざっていき、60Wの電球がそこかしこにありながら肝心のときには見つからず、また買い足したり、一番散逸していたのは乾電池で、一体どこにどういう種類のものがいくつあるのか・・・とにかくわずか畳2枚の押入れでありながら、収拾がつかなくなっていた。
とにかくまずは中のものを全部出す、というところから始めた。
上の段のものを全部出し終わったら、敷物があった。防虫の紙であるが、1998年10月に敷いた痕跡が残っていた。
なんと10年前である。有効期間は1年間と書いてある。ええっ?て感じだが、そんなもんかも知れない。
下の段。
こちらはまだ新しく、3年前の新聞が敷いてあり、そこらへんで一回何かをしたのだなあとわかる。
さて今度は再度収納の段階。
捨てるべきものを捨てたら、収納である。
これまで収拾がつかないくらいに乱雑だった原因は、どこに何を入れるかというルールがないままに二人でバラバラに収めていたことだと気づく。
そこで再収納する前に、どんなものがどれだけあり、どんなものがよく出入りするかということはこの数年の状況でわかる。
そこで、前からあった整理棚を用い、どこにどういうものを収納するかを決め、一気に収納していった。
朝8時から午後2時まで、結構かかったが、おかげでスッキリした。
どこに何があるかも瞬時にわかるようになったし、重複して無駄なものを買う恐れも少なくなった。
掃除をして幸せになる、というような表題の本が昨年暮れくらいからヒットしていたが、掃除や整理整頓は気分転換にいいし、健康にもいいというような気がする。
妻との会話もでき、良い一日だった。
さあ、この調子で明日は書類関係の整理だ。
海水浴について
珍しく今年は海水浴をしていない。
いつもは(大阪にいたときも含めて)両親、妻子と一緒に氷見に一泊海水浴旅行をしていたものだが、来春の子どもたちの受験ということもあり、今年は控えた。
もっとも私自身、7月に転職した一方で、妻との会話時間の確保のためのドライブや、前の職場の人と約束していた山登りなど行事も色々あり、海水浴というところまで気持ちが行っていなかったせいもある。
この後、お盆から1週間休みがあるが、墓参、妻の実家への挨拶、仕事の勉強と休み明けに向けた準備、押入れの整理など、やらなくてはならないことが目白押しだし、休み明けからは会社の重要なミッションであるお客様の経営相談という仕事が年末まで入っている。ボリュームも大変なものなので、よほどうまくやらないと業務量の多さでパンクしてしまう危険性がある。恐れることはしないが、準備はしておきたい。
そんなこんなで、今年は海水浴は我慢するが、来年はきっとまた行くぞ、と思っている。特に強く希望しているのは朝日海岸である。子どもたちもうまく進学しておれば、一泊ぐらい、コテージに泊まってというようなことをしたいものだ。
楽しみは先にとっておこう。