アメリカの住宅価格

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 先日のネットニュースで、2月のアメリカの住宅販売件数が7ヶ月ぶりに増加(対前月比4.7%増)したということが報じられていた。(米商務省発表による)
 今回の景気悪化は、最終的にはアメリカの住宅価格が下げ止まらないと、本格的な景気の底にはならないと思っていた。
 それが、アメリカの消費者の購買動向、コマツなどが生産している中小型建設機械の受注量、自動車販売など、色々なものの下支えをしており、ひいては日本の輸出産業及びその関連産業全般にも影響していると考えられるからである。
 建設機械については、そろそろ中国向けが回復してきているようであるが、アメリカの経済回復に負うところはまだまだ多いだろうと思う。
 そんなところへの「住宅販売件数増加」のニュースである。
 私の言う「下げ止まり」ではないが、ニアリイコールと思ってもいいのではないか。
 そろそろじんわりと景気回復の下支えになる指標が見えてきたということであろう。
 もちろん、我が国の各企業は、資金繰り難などで倒れるところがまだ出てくるとは思うが、全体的には少しずつ良くなりつつあるのではないか。
(但し、この動きは財政出動などの支援措置のおかげかも知れないので、雇用対策や財政支援や金融緩和などの行政による対策はまだまだ必要ではあるが)
 ということで、かすかに光が見えてきたと感じたニュースであった。

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中国四千年の秘術「吸玉」

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 4月26日は、魚津しんきろうマラソンである。
 とりあえず初めての参加なので、5キロメートルという「マラソン」の名にはあまりふさわしくないコースを選ばせてもらった。(55歳までにはハーフを走れるように徐々に高めていきたい)
 昨年出場しようと思い立ち、一昨年の暮れからジムに通い始めたが、月に一回通ってグループエクソサイズをちょこっとやって息切れするのが関の山、しかも仕事も忙しく、とても休日がある状態ではなかったため、昨年は断念。
 今年も暇はわけではないが、ともかく滑り込みセーフで申込をした。
 というわけで、ジムで走る機会があるのは相変わらず一月に一回である。
 今日も一ヶ月ぶりに行って来た。
 少しまじめにやらねば、と思い、ランニングマシンの使用制限時間30分を目いっぱい使わせてもらった。
 中学生の頃に、部活で「2.5キロ」というトレーニングメニューがあった。
 学校の周り約2.5キロメートルを走るものである。
 虚弱体質・運動音痴の私にとっては過酷なメニューでありいつもビリだったし、大変だった。
 今日は走りながらそれを思い出した。
 2キロぐらいのところまでがきつかった。
 2.5キロを過ぎた。
 あ、意外に楽に走れるものだなと思った。
 あまり色んなことを考えずに、8.5というペースで一貫して走ったのが良かったのか。
 今までは、ペースを早くしたり、遅くしたり、自分のペースがわからないものだから、機材をあれこれいじってやっており、3キロメートルが最高だった。
 今日は、テクテク走るという感じでペースを守って走り続けたところ、制限時間の30分で、4キロメートルまで走りぬいた。
 時間の許しさえあれば、5キロは行けたのではないかという感触がつかめた。
 当日までの間にもう一回ぐらい練習に行けるだろう。
 さて今日の午後は、中国マッサージに行って来た。
 日頃の疲れを癒すのが目的だが、今日はジョギングの疲労回復の意味もあった。
 待合中に壁のメニューを見ていて、久しぶりに「吸玉」をやってもらいたいなと思った。
 時間を聞いたら、私の後はすぐには入っていないので、OKだということだった。
 「吸玉(すいたま、と呼ぶようだ)」は、握りこぶしぐらいの大きさのガラス玉(たこつぼのような形で一方のみ穴が空いている)を患部に吸い付けて、体の中の毒素を吸い出す施術である。
 中国四千年の秘術であろうか。
 うつ伏せに寝て、背中に油らしきものを塗り、その上を「吸玉」を滑らせつつ、悪いところを探し出す。
 探し出した悪いところに、十数個の「吸玉」を次々に付けて行く。
 火を使っているようなのだが、うつ伏せに寝ているため、どんな準備作業がなされているのかよくわからない。
 そういうよくわからないところも、いかにも中国四千年の秘術である(単に見えないだけだが)。
 吸い終ったら、その跡は直径5センチぐらいの丸い跡がつく。色は紫色である。
 病の度合いが強いほど、色は濃くなるようである。
 但し、自分には見えない。背中だから。
 そして、気孔がすっかり開いているので、湯船には入らない方がいいということである。風呂の中の微細なばい菌が開いた気孔から入る危険があるからだという。
 そういうところも中国四千年らしく面白い。
 今日は、首と背中が一番ひどかったらしい。
 特に首は、帰ってきて子どもに見てもらったら、見るもすさまじいことになっていたようだ。
 確かに、ここのところ神経を病むような仕事が多く、首も凝っていた。
 1、2日するとだいぶ楽になる。
 終わって外へ出たら、目もすっきり見えるようになっていた。
 いい施術だと思う。
 と満足感に浸っていたら、帰ってきた妻から「走って疲れて、お金かけてマッサージ受けるなんて、ばっかじゃないの」と笑われた。
 しかし、こういういいところは当分人には教えられないなあ。

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奇しき因縁~人の人生ってものは・・・~

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 なぜだか、前の職場のある飲み会に誘われ、恥ずかしげもなく出かけて行った。
 個人的には時々飲んだりしているのだが、今日の飲み会はその担当チームのかなり公式的な「打ち上げ」であり、私などが本来顔を出すべき会ではないので、2次会から参加させていただいた。
 実際には、1次会も2次会もなく、同じ場所でずっとやっておられたので、1次会に参加したのとなんら変わりはなかったのだが。
 さてその席に、営業部長がおられた。
 私とは人事異動の入れ違いとなった方なので、引継ぎにお越しになった時に一度お目にかかったぐらいで、どんな方か全く知らない間柄だったのだが、その部長氏、なんと、私の大阪での出向時代の同僚のKさんと同期だということで、部長氏がこちらに異動される時に、K氏から「富山に○○(私)がいるからヨロシク」なんてメールをもらっていたらしい。
 いやあ、世間って狭いものだ。
 と思う。
 そのK氏。同志社大学の落研出身で、先輩には、「トリック」や「サラリーマンNEO」その他、舞台、テレビなどで大活躍中の生瀬勝久氏がいるんですよ、というような思い出話をした。
 会が終わってからK氏に電話したのは自然の流れだった。
 大阪の兎ヶ野にいるらしい。
 元気そうで何よりだった。
 そんな感じで、本来私などが参加すべきではない会に、当たり前そうな顔をして出させていただき、9ヶ月前まで一緒に仕事をしていた人たちとごく当たり前そうに話をさせていただく・・・。
 もっとも、私自身、その会社のOB会には入ったので、今後その職場仲間も、やがてOBになられた際は、そのOB会でお互い顔を合わせて昔話などするのだろうけど、まだお互い社会の現役でありながら、ある者は会社を去り、他の人たちはその会社に残って一生懸命に頑張って日本の電気通信基盤を支えている、というように道が分かれていってしまっている。
 でも、距離的にはすぐ近くで、それぞれの仕事をしている。
 でも、まったく別の人生、別の社会人になっている。
 たまに会えば、それはそれで会話になっている。
 人間の人生って珍妙なものだなあとつくづく思った。
 そして、感謝、である。
 ありがとうございます。

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社会に出てからの力

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 友人とメールをしながら思ったこと。
 人間が社会で生きていく力、社会に出てから役に立つ力の源泉というものは、学力や知識の量や体力などがベースであることは言うまでもないことだが、それらは数年も経てば陳腐化してしまい、それらを持っていること自体はすぐに役に立たなくなってしまう。
 社会に出てから本当に効くのは、「不断の努力」と「人間性」と「執着心」ではなかろうか。
 そしてそれらの要素の根底にあるものは、「前向きな気持ち」「明るさ」「いい意味での欲望」。
 そういうものを持ち続けている人は、社会に出てからも進化しているような気がする。
 もちろん、基礎知識がベースとして必要なのは言うまでもないが。
 ま、そういう目で自分の子どもたちについても、もう一度見つめ直してみたいと思う。
 人間、生きる力が最も大事だから。

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ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」

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 昨年暮にNHKテレビで「名曲探偵アマデウス」とかいう番組をやっていた。
 てっきりモーツァルトを探偵に仕立てて何か中世ヨーロッパの事件を絡めるようなドラマかと思って、一回だけだったが録画しておいた。
 モーツァルトではなく、筧利夫氏が「天出臼夫」(アマデウス オ)という名の探偵役であった。
 ま、それはいいのだが、その回はドヴォルザークの偉大なるシンフォニー「新世界より」であった。
 高校2年の時だったか、FMラジオで偶然聞いたのが最初だった。
 カール・ベームというドイツ人が指揮するウィーン・フィルの演奏だったように思う。
 ベームという人は、モーツァルトを振らせたら当代随一と言われていた人だった。
 その時の演奏はモーツァルトではなく、ドヴォルザークであったわけだが、そんなことを知らない私にとっては、それが初めて大感動したクラシックであり、交響曲というものはすごいものだなあと思ったものだ。
 就職してからバロックなども聞いたが、ダイナミック、人の魂を震わすという点で「新世界より」以上にすさまじい曲は聴いたことがない。
 久しぶりに、録画したそのテレビで第4楽章を全部聞いたが、相変わらず大きな曲であった。
 感涙。

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我が家の「春」

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 春分の日を迎え、我が家では、4月からの子どもたちの進む道がようやく決まった。
 上の子は、富山市にある私立大学で、教員養成の学部に進む。新設学部だ。学力のレベルははっきり言って大変低いが、新しく作られた学部であり、学校としても力を入れて行くだろう。しかし何よりも本人がこれから真剣に自分のなりたい職業に向かって現実的な努力をすることが必要だ。親があれこれ心配して与えるのではなく、自ら必要なものを先取りして獲得していくようになってもらわなければならない。
 下の子も、富山市にある私立高校。県立の普通科に入る力がないと判定され、かといって職業科には行きたくないということで、県立の願書を出す少し前に意思決定(県立は受験しないと)した。蓋を開けると、定員に満たない県立普通科もあったため、ありゃあと思ったが、それはやむを得ない。大学に行きたい、と今頃言っているありさまではあるが、進学に関して熱心な学校だし、塾も続けて自分の不足点を補って行きたいと言っているので、塾の先生にも個別のプログラムをお願いしたところであり、親としてできる限りのバックアップをしていきたい。
 ピリピリしていた1年間が過ぎたわけだが、ピリピリしていたのは私と妻と双方の両親。
 子どもたちはどこ吹く風、であったように思う。
 親の立場からすれば満足の行く結果にはならなかったし、子どもたちも志望校を落とし続けなければならなかったので精神的にはしんどかっただろう。また、これからの彼らの人生を考えたらまだまだ不安で一杯だが、過ぎ去った時間はどうにもならない。
 前を向いて生きていくしかない。
 二人とも十代。
 一人立ちをした後に、どんな人生が待ち受けているかわからない。
 幸い、荒波にもまれていく手前の、まだモラトリアムの時間だ。
 少しでも荒波の手前で、波への対応力を持たせたい。
 そのために、本物の学力、生きる力をつけてもらいたいと思っているが、マンガとゲームではそれは覚束ない。
 そういうことに、上から押し付けずに気づかせることが、5年間仕事にかまけて子育てから逃げてきた私の責務ではないかと思う。
 しかし、すっかり自我も確立しているようなこの子らにどうやって気づかせたら良いものか。
 口やかましく言えば言うほど、心は遠のいてしまう。
 かと言って何も言わなければなかなか伝わらない。(背中で教える、というのはやってきたつもりだが効果があったとは思えず、そのため結局口やかましくなってしまった・・・)
 彼らと接触する時間を少しでも持ち、お互いに色々と話をしていくこととに尽きるのではないか。
 やれるだけやろうと思う。
 前を向いて進もう。
春の芽生え

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半村良さんの講演

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 語り部(かたりべ)という仕事がかつて我が国にはあったらしい。
 昔から伝わる説話や神話を語り伝えることをなりわいとしている人々のことであるらしい。
 さて今から30年ほど前、高校生のときに、この魚津という田舎町に流行作家の半村良さんがやってきた。
 文芸春秋主催の「文化講演会」というようなものではなかったか。
 講演者は、半村良さんのほかにもう一人いたが、覚えていない。
 話はすっかり忘れてしまったが、1時間ぐらいの講演で、ご自身のある体験談だったように思う。
 聞くほどにどんどん引き込まれて行き、話しておられる内容が目に浮かぶような感じだった。
 ところが、最後に、これらは全部夢の中の出来事だった、というオチで、一気に現実に引き戻されるような、目の覚めるような話の展開だったような気がする。
 その急転直下の展開があまりに鮮やかだったので、しばらくはぼうっとしていた。
 半村良さんが、冒頭に書いた「語り部(かたりべ)」にかこつけて、「嘘部(うそべ)」というようなキャッチフレーズで文壇におられ、その小説は語り部が語るが如く、虚構なのに現実世界を細部までこと細かく反映して嘘を構築する、ということはその時点では知っていたが、まさかご自身の講演でもそれ(虚構を巧妙にホントのようにつむぎだすこと)をされるとは、いやあ一本取られたなあという感じであった。
 それ以来半村良さんの小説にのめりこみ、『産霊山秘録』や『石の血脈』『魔女伝説』などの伝説シリーズなど、いわゆる伝奇ものを読み漁った時期があった。
 今日ラジオで「語り部」という言葉を耳にし、ふと、昔のそんなことを思い出した。
 半村作品はまだまだ読んでいない人情ものやSF作品なども沢山あるので、これからも読んでいきたいものだ。(時間があれば)

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ユニクロ社長 柳井宏氏の言葉から

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 何週間か前の週間ナントカに、ユニクロ社長の柳井宏氏のインタビューが載っていた。
 そこからのエキスの抜粋。
・夢、使命感・・・みんなに訴え協力者を募る
・リスクを量った上でチャレンジする(私は冒険経営者ではない)・・・失敗したら分析する
・変化に合わせて全社を変える決断をする
・変化については、前もって何をどう変えようかを考えておき、運が来たら予定していた行動を起こす(決断をする)・・・女神には前髪しかない
 以上、今日は備忘として。

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ゴルゴ13の生い立ちについて

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 マンガの主人公の生い立ちについて気にする必要などないのだが、たまたまラーメン屋に置いてあった昔の「ゴルゴ13」を見ていたら、生い立ちについて描かれたものがあり、珍しい話題なので、発見の喜びを表現したくて、書く。
 どうやら東郷平八郎の妾腹の娘が祖母に当るらしい。
 その娘が結婚相手とともに中国に行っていたときに、ロシア人のラスコリニコフ(コードネーム)というテロリストに襲われ、できた子が東郷宗介という人物だが、表向きは結婚相手との間の子だとしていたらしい。そのため、東郷宗介は純粋な日本人だと名乗っていた。彼は軍人になった。
 その後、優秀な東洋人を作るためという当時の日本軍の作戦で、優秀な軍人だった東郷宗介は選抜され、チンギスハンの血を引く中国人女性ツベルマとめあわせられ、できた子どもが東郷狂介という子である。
 1941年頃の話らしい。
 3歳の時に狂介は風邪か何かで床に臥せっている母ツベルマを、父宗介が薬か医者を探しに出かけている間に、銃で殺してしまう。
 これが狂介の最初の殺人行為である。
 なんと3歳で、銃殺である。
 父の宗介は怒り、殺人者ラスコリニコフの血がそうさせたと思い、その小屋に3歳の狂介を残してどこかへ去ってしまう。
 その後狂介は毛沢東に拾われ、殺人マシンとしての英才教育を受けるが、1年か2年で自分でその場を去ってしまう。
 これが後のゴルゴ13=デューク東郷だ、というような話である。
 本当かどうかはわからない。なぜならゴルゴ13自身がこの話に出てきて接触を試みた人たち全員を殺してしまうからである。
 ただ、この話が本当だとすると、ゴルゴ13の本名は「東郷狂介」で、1941年頃に生まれており、今は生きていたら67歳ぐらいだということだ。
 相変わらず30代後半から40歳ぐらいで活躍しているのが少し不思議な感じがするが、サザエさん一家も年をとらないし、マンガの話だし、ま、どうでもいいか。
 ちなみに、時々出かけては「ゴルゴ13」を見るラーメン屋は魚津市の「はじめ家」という家系のラーメン屋さんである。おいしいよ。

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今日も強風のためダイヤ大幅乱れ

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今、JRの魚津駅にいる。
昨日に引き続き、今日も強風のためにダイヤが乱れている。
上り下りとも、20~30分程度の遅れだ。
JRさん、一体どうなっちゃったんだろう。
ホームで待っているのだが、冬に逆戻りの天気のため、体の芯まで寒い。
しっかりしてくれ、我らが日本の元国策会社よ。

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