今日は敷居の低い異業種交流&勉強会「とやまキトキトBIZねっと」の第15回の例会だった。
「カラーユニバーサルデザイン」という、色に関して、なるべく多くの人にきちんと情報が伝わるようにしようという動きに関する講演だった。
色の情報が正しく伝わらない人・・・いわゆる色弱と言われている人が、男性の場合20人に1人いるらしい。
と、いうことは・・・。
それらの人に正しく情報が伝わるように、たとえば商品のパッケージの背景色と文字色を工夫することで、最大5%の売上増加が見込める余地があるということだ。
いや、なんでも商売のネタにする発想はね、とたしなめられるかも知れないが、ビジネスマンとしてはそういう目で色んなことを考えることも必要だと思う。
さらに、某清涼飲料水メーカーの商品は、黒い飲み物を透明のケースに入れ、赤い文字で商品名を表しており、色弱の方々にとってはとても見にくい、というより、ほとんど読めないようである。
わかっていてそうしているのか、気づかずにしているのかはわからないが、逆に、カップ麺でもケースの色を工夫して、文字がしっかり読めるように配慮しているものもあるようだ。
赤の背景色に黒の文字、などほとんど見えないそうだ。
どうしても赤が好きなら、せめて朱色かオレンジ色にしなさい、と講師は言っていた。
微妙な違いだが、それで随分見えるようだ。
ビジネスの現実の世界では、しっかりそういうことを考えながらパッケージングしているものもある、ということをしっかり認識して、これからは色んなものを見ていきたいと思う。
と感じた今日この頃である。
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「随想」カテゴリーアーカイブ
トイレにボチャン
今日、久しぶりに、トイレに携帯電話を落とした。
ぼちゃん。
ではない。
がちゃん、と言った方が正確だ。
トイレと言っても大便器ではなく、小便器だからだ。
従って、6年ほど前に京都の鞍馬寺の前の売店の公衆便所(大便器)に落としたときほどの汚れはなく、きったねえ、といったショックもない。
すぐに水洗いして、オッケー!と思っていた。
ところが、帰りがけ。
電車からかみさんに帰るメールをしようとしたら、キーを打っても字が出ない。
あちゃー。
しっかり水が中に入り込んでしまったみたいだ。
トホホ。
仕方なく、帰ってすぐに、バッテリーやメモリーカードを外して冷蔵庫へ。
丸一日も入れておけば乾燥するだろう。
だめなら保険に入っているし、と思ってはみるもののやはり愛着があるし、これまでのデータは消えてしまうものもあるだろうから、やはりちょっと困る。
なんとか復活して欲しいものだ、一晩で。
仕事ができる幸せ
仕事は結構大変である。
上司は鬼のように厳しく、せっかちでコロコロ優先順位が変わる。
ありえないくらいに方針がわかりにくい。
そういう人の下にいるのでさぞかし大変だろうと思う。
実際大変だ。
しかし、ふと思う。
まがりなりにも健康で、普通に仕事ができるというのは有り難いことだ、と。
今日外出した折、国道脇の石の囲いに入った仏さまに手を合わせている人がいた。
近くには県立富山中央病院がある。
自分は健康で、普通に仕事ができている。
仕事がしたくても、体の自由がきかず、できない人も大勢いる。
仕事がしたくて、体の自由がきいても、働く場所のない人も最近は多い。
そういう中にあって、自分は普通に仕事をさせていただいている。
なんと幸せなことか。
鬼の上司がどうしても気に入らなければ、企業倫理ヘルプラインに電話すれば良い。
数日以内に自分の首が飛ぶか、上司への注意のどちらかがあり、いずれにしろ状況は変わるだろう。
とりあえず首が飛ぶことの覚悟さえできておれば、恐いものはない。
そう肚を据えてから仕事に臨めば、全てこれ経験として楽しむことができる。
いけないのは、過度なスピード、過度なプレッシャー、過度な量。
こういうものを要求する上司はだめだ。
でも多くの日本のサラリーマンは、そういう状況にあっても、客観的にものを捉えられないかも知れない。
なんてったって、日本の社会は「ムラ社会」であり、自分のいる共同体のルールが全ての規範に優先すると錯覚しているからであり、しかもそれはほとんど錯覚ではなく、自分をもまた周囲の人をも縛りつけ、現実になってしまっており、そこを出たら死んでしまうというふうに思ってしまっているのだから。
う~ん、狭いニッポン、せせこましいことだ!
ともかく、自分は今、このしんどい状態を楽しめているし、仕事を普通にさせていただけていることに心から感謝している。
ありがたいことだ。
夜桜満開
最近、退社時間が午後9時を過ぎることが多い。
ということをまともに書くと、サービス時間外の問題となるので、あまりおおっぴらには書くわけにはいかないのだが・・・。
今日も、退社したのは午後9時20分過ぎ。
富山市の中心部を流れる松川。
その川沿いには多くの銅像が立ち並ぶ。
その銅像たちのたもとで、そこかしこで、今宵は人々が写真を撮ったり、夜桜を楽しんだりしていた。
おお、そうか、桜が満開になったのだ。
と、一人感懐にふけりながら、駅への道のりを急いで帰ってきた。
今年はいつもより早いのかな、桜。
生きて行く上で力になること
なぜ勉強ということが必要なのか。
子どもたちの将来に思いを馳せ、考えてみた。
生きて行くためには、色々実行しなければならないことがある。
食事をしたり、寝たり運動したり、という本能的なことはもとより、それ以外にも、人として学んでいかなければならないことや守るべきことなどがある。
実行すべきこととしては、
学生時代は学校の勉強
社会人になってからは学校の勉強をベースとした専門知識
新しいことを学び続ける意欲と吸収力
健康であり続けるために必要な体力
人として生きていくための人間性
ルールを守る当たり前の常識 などであろうか。
そして、それらの行動を下支えする態度としては、
日常的な不断の努力
挨拶・態度
執着心 といったものが大切なのではあるまいか。
できないことは努力で克服できる。努力し続けないことがいけない。
頑張ってもできないことはある。しかしできるはずなのに努力しないことを、私は最も憎む。
態度の背後には、持つべき「心」や「生きて行く上での姿勢」といったものがあるのではなかろうか。
前向きな気持ち
明るさ
いい意味での欲望
こういったものが、様子ににじみ出てくるし、それが行動にも表れ、結果にもつながるというのが、これまで私が生きてきて感じることである。
そしてそういういことを、ここ数年間子どもたちに伝えてこなかったことを反省している。
反省を踏まえ、これらを文字にして子どもたちに語って、書いたものを渡した。
少しでも父の経験や失敗や反省が子どもたちに伝わればと思う。
親戚の皆様への感謝と子らへの激励
子どもたちがともかく進学することとなって、妻の実家や親戚からお祝いをいただいた。
ありがたいことだ。
先週から今週にかけて、一通りお礼の挨拶に妻と子どもたちともども行って来た。
最近は親戚といえども、それほど日頃行き来があるわけではない。
そのため数年ぶりという疎遠状態であったが、皆さん喜んでいただいた。
ありがたいことだ。
さ、明日からいよいよ上の子は大学生。
当面は家からの通学ということでほっとしている。今日は新しいベッドを一緒に組み立てた。
下の子は水曜から高校生。
二人とも今までのように、家から5分、ではなく、電車に乗って30キロぐらい離れた学校への通学だが、心新たに取り組んでくれることと思う。
二人の新たな門出に祝福とエールを。
がんばれ。がんばれ。
北陸の古刹「千光寺」
子どもたちの進学先が曲がりなりにも決まり、妻の休みと私の休みが久しぶりに一致し、今日は花見だ、とばかりに富山の向こうまで出かけた。
どこがいいかなあと思っていたが、最近ちょくちょく砺波方面へ出かけることがあり、その際に通る359号線という国道沿いの「千光寺」という鬱蒼とした境内が気になっていたこともあって、そこまで足を伸ばした。
大阪に住んでいた頃は、一月に一回は必ず奈良か京都のお寺に出かけていた。
それが私にとっては疲れを癒す治療剤になっていたような気がする。
富山に帰ってきてから、地元なので住んでいること自体が癒しになるはずだが、なかなかビジネス社会の厳しさからか、精神的な疲れが取れずにいた。
今の職場に移ってからも、勤労時間は減ったものの、資本主義社会の最前線にいて、精神的に安らげることはそう多くはない。
そろそろ奈良か京都にでも出かけなければなあと思っているが、そんな時間もとれずに、ちょっと鬱屈がたまってきていた。
そんな折の千光寺である。
初めて行ったが、なかなか趣の深い、良いたたずまいであった。
聞くと、なんでも創建が大宝三年、西暦で言うと703年、北陸最古の古刹だという。
北陸28番札所との掲示があった。
入り口のところに、石仏が沢山並んでいた。
仏様のそれぞれの台座のところには、「第一番・・寺」などと彫られていて、岡寺や長谷寺、清水寺など、馴染み深い寺の名前があった。
朝日町の護国寺と同じである。
しかしその上の仏様方は、結構古く、顔が削り取られていたりして判別できないものも結構多い。
台座の寺の名前も全く読み取れないものも多い。
そんな中にあって、このお寺の石仏群は、千手観音らしき仏像が多いことに気づいた。
数えてくれば良かったが、33体あるうちの三分の一ぐらいが千手観音ではなかろうか、と思う。

案内表示順に従って境内に至る。

京都嵐山あたりの古寺を思わせるような参道である。
気持ちいい。

ここは比叡山か、と思わせるような木立のたたずまいである。
気持ちいい。
中にある様々な仏様は新しいものもあるが、古いものも相当沢山あるようだ。
観音堂から中に入り、閻魔堂で閻魔さまやらその他の仏たちの恐ろしい形相をひとしきり見て(実は皆すべて仏さまの別の姿らしいのだが・・・そういう意味では、金峯山寺の明王たちとその後ろの建物にいた三体の仏さまたちを思い出さした)、本堂へ至る。
本堂には、中央に大日如来、両袖の後ろの方に、弘法大師と地蔵菩薩が安置されていた。
地蔵菩薩は扉が閉まっていたが、右手後方の弘法大師のところは扉が開いていて、中が垣間見えた。無心に拝んでいたら、ふと目の前を光がよぎった。どういう意味かはわからない。一瞬の光芒であったが、一瞬の弘法だったのかも知れない。なんてだじゃれを言ってる場合じゃないか。
とにかく、久しぶりに癒されたひとときであった。
感謝感謝。
ブログ開始からまる一年
ここのところ四、五日続けてビールを飲んでいる。
やばいかも。
今日はエイプリルフールなのにまだ嘘をついていない。
やばい。
仕事が忙しくなってきた。
サービス超勤当たり前・・・前と一緒ではないか、と思う。
でも前の会社では恐らく得られないであろう力を毎日吸収している。
それも、ただで、いやお金をもらって、である。
財務だとか金融だとかの知識と色々な経営者との接触による、現場の生々しいお金と経営に関する実地体験である。
すごいパワーだ。
これはとにかく感謝、である。
ブログを始めてから、今日で丸一年だということに、今、書きながら気がついた。
早いものだ。
これからも「勝間和代精神」に則って、自分の意見を発信していこうと思う。
読者を意識しているようなしていないような、自己満足のような誰かに聞いてもらいたいと思ってやっているような、なんだかフワフワした感じではあるが、とにかく書き続ける。
次男坊との英語交換日記は今日も続けている。
2月22日から始めたので、もう1ヶ月以上続いている。
これもそれなりに凄いことだと思う。
時々書かない日があるが、そんなことは気にせず、とにかく続ける。
続けることが大事だ。
続けることがパワーになる。
明日も頑張ろう。
樹木の生命力
ホンダが、島津製作所と協同で、人間の思考を読み取って体を動かす仕組みを開発した。
受け手は、あのAsimoロボットである。
右手、などと考えると、脳の微弱な電波を解析し、それをAsimoに伝えてAsimoが「受け取りました、右手ですね」などと喋って右手を動かすという流れである。
今日のニュースで報じていた。
いよいよ思考がものを動かす時代の幕開けだ。
凄い時代となったものだ。
ところで先日近くの学校に出かけた時に、街路に一本の伐採された木があった。
胴の辺りでバッサリやられているのだが、その胴から二本の小枝が出ている。

小枝を生やして、そこからまた復活している。
すごい生命力だ。
さて、今日発表された我が国の2月の有効求人倍率は0.59。
100人の求職者に対して仕事が59しかない。
しかし現実には、(わがままかも知れないが)就きたくない仕事や就こうにも条件を満たすことができずに就けない仕事もあるわけで、59が埋まるわけではない。
私の皮膚感覚から言えば、本当の求人倍率(仮に「有用求人倍率」と呼ぶ)は、その半分の0.3ぐらいではなかろうか。
と考えつつ、我が富山県内の有効求人倍率を調べると、全国平均よりさらに低い0.53である。
しかも、分母となる求人数は、富山県内での求人とは限らず、富山県内のハローワークの管轄エリアの会社が募集した人数なので、もしかすると、勤務地は他県である可能性がある。とすると、本当の有効求人倍率はさらに低くなる。
これはもう絶望的に仕事が見つからない状態である。
いや、農業分野では担い手不足でもあり、人手を求めているところもあろうかと思うが、今まで経験のない人たちが、仕事がないからと言って農業に進むような簡単なわけにはいかないだろう。技術的にも、心理的にも。
雇用調整助成金で、186万人の雇用が維持されているらしい。
それがなかったら、今現在の失業者よりも186万人の失業者が街にあふれることになるという。
大変なことだ。
企業は、わが身を守るために人件費などの固定費を削らざるを得ない(ところが多い)。
雇用調整助成金で、なんとかしのいでいる間に、さっさと仕事を創出しなければならない。
古代エジプトの例に倣って「ピラミッド建設」のような大規模土木事業がいいかどうかわからないが、それができるのは政府であり、大型の未来につながる公共事業であるべきだろうと思う。
明日から新年度だ。
樹木の生命力にあやかって新たな年度を、力強く前進して行こう。
不景気に負けてたまるか。
早咲きの桜
我が住まいの近くに、魚津高校と魚津市立東部中学校がある。
それらは、車1台分ぐらいの細い道を隔てて隣り合っている。
その道路には桜並木があり、毎年桜の季節になると美しい春爛漫の並木道を装ってくれる。
その季節がとても嬉しい。
うららかな春の日差しの下、桜並木をゆったりとしてペースで歩くのが好きだ。
今年ももうすぐその季節がやってくる。
沖縄では既に海開きだというこの時期に、北陸の富山では、そろそろ桜かな、と言っている。
日本は広い。
というわけで、普段の年ならたいてい入学式ぐらいが桜の開花時期であるが、今年は早いのかなんなのかわからないが、その桜並木の端っこの方に、二本だけ、早咲きの桜があるのを見つけ、写真を撮った。

二本は、色が違う。
片方は薄い桜色、もう片方はピンク色だ。
無粋な電柱やら電線やらがあってなかなかいい写真は取れないのだが、この角度で見ると、二本が寄り添う夫婦桜といった感じにも見える。
なかなか乙なもんだ。

たった二本の早咲きの桜。
二人だけでちょっと寂しいが、他の桜よりも先に満開を楽しんでいるようだ。