GWの記録5月3日

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 GW2日目。
 今日の出来事。
 朝8時に家を出発し、富山市は八ケ山にある旧富山城主前田家代々のお墓がある長岡墓地を守っておられる御廟真国寺へ。
 偶然知ったことだが、ここで毎月第一日曜日に写経会を催しておられる。
 ご住職はN先生である。
 N先生は十五年ほど前から、富山県の肝煎りで始まった、普通の県民がお互いに教え、教えあうというコンセプトの「自遊塾」の講師をなさっていた。初代の塾長もされていたらしい。
 私が教わった時は「創造的問題解決の技法」というようなテーマで、起こった問題をマイナスとして捉えず、それを機会として捉え、いかに自分に有用なものに転化できるように相対していくか、その心の持ち様や問題への接し方などについてゲームなどを交えながら教わった。
 知的で刺激的なひと時だった。
 こんにち、自分が困難を多少なりともプラスに捉えることができるのも、その時に教わったことが素地として自分の中にあるからではないだろうか、と思ったりもする。
 今日は十数年ぶりにお目にかかったのであったが、会う早々「全然変わってないですね」というのが先生の最初の一言だった。
 まあ、そんなはずはもちろんないのであり、やがて五十に手の届く身であり、当時は三十そこそこ。頭は薄くなり、顔の表情はくたびれ感が出ていると思うが、たぶん、毎年の年賀状に顔写真をのっけているからだろうなあと思う。
 こちらも、最近の先生のホームページでお顔を拝見しているので、違和感なくすっと入って行けた。
 情報機器と通信環境の高度化のおかげであろう。
 写経は1時間半。
 慣れている人はたぶん1時間ぐらいで終わるのだろうけど、5年に一回ぐらいしかやっていないし、姿勢は悪いし字は汚いしで、とにかく、やることそのものを念頭に置いてじっくりきっちり写させていただいた。
 雑念を追い払おうとは思わず、出てくる雑念とはそのまま向き合い、相対し、書き続け、また雑念とつきあい、いつの間にかその雑念はどこかへ行き、さらにまた別の雑念が出てきてそれと付き合い、ということを繰り返しているうちに、やがて最後の行になる。
 先生とは久しぶりにひざ詰めでゆっくり話をさせていただいた。
 マザーテレサやヘレン・ケラーにはじまり、野口英雄に飛んだり河合隼雄が出てきたり山折哲雄が出てきたり、さらにはユングやフロイトが登場して元型論や共時性の話になり、動詞より目的語が実は決定的に重要なのだという話があったり、映画の「マトリックス」の話があったり、般若心経の色即是空空即是色の意味を教えていただいたり、と、既に私の記憶は順不同状態で混沌としているが、とにかく、そういう感じで話題は汲めどもくめども尽きることなく、古今東西縦横無尽であり、大変楽しい時間を過ごさせていただいた。
 魚津に戻ってからは、先生の話に触発され、新刊書店とBOOK OFFを回り、BOOK OFFで十数冊の本を購入した。
 買った本は『引き寄せの法則』『ザ・キー』『リスク』『ビジョナリー・カンパニー』『仮説思考』などである。締めて中古本ながら12200円のところ、なんと半額で入手できた。GW特別セールでもやっていたんかいな? それに、これらの中には、半年以上前から探していたものもあり、これも何かの縁、セレンディピティかな?と思う。
 帰宅してからは、子どもたちともいつもよりはあったかい、普通の会話ができたようにも思う。 
 ということで、十数年ぶりの邂逅と、自分を再度見つめなおすことができた日であった。
 合掌

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GWの記録5月2日

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 今日はGW初日。
 巷では高速ラッシュやらインフルエンザやら、にぎにぎしいことである。
 いつまで続くかわからないが、GWの日々について記録していこうと思う。
 ただし、ゆるゆると行くので、肩の力は抜きっぱなしになると思う。
 今日の出来事。
1.新しいおもちゃ「iPhone」とそのプラットフォームソフトである「iTunes」の音楽データの整理、約700曲。HDの中の重複も整理した。・・・これは一昨日の夜の続き作業。一応完了したのでほっとした。それでもまだ4.5Gぐらいしか使われておらず、10Gぐらいあいていたので、大阪時代のデジタル写真をコンバートしてきて、一気に「iPhone」に入れた。およそ3000枚で目方は約2G。子どもたちがかわいい!
2.㈱ライフサービスの人と納屋の改修に向けた打合せ。親とのすり合わせも含め、結構時間がかかり、ほぼ半日を費やした。同社の人にも2度ご足労をいただいたが、だいたいまとまってきた。
3.夕方、庭の木の枝の伐採。どかしゃばと切った。
4.買い物。夕方後半から夜にかけておよそ2時間買いまわった。百均で雑貨色々、ヤマ電で「iPhone」の保護ケース、明文堂でDVDレンタル、アップルヒルで小筆と本少々。
5.夜・・・今からDVDを観る。「おくりびと」を妻とゆっくり観ようか、おちゃらけたものにしようか。
 さ、明日は写経だ。
 N先生主宰の、富山市は八ケ山にある御廟真国寺へ。

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連休をどう過ごそうか

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 明日(今日)から5連休だ。
 まだ納屋の整理や衣類の整理、本の整理などが残ってはいるが、昨年の7月に勤め先を変わってから初めてのゆっくりした連続休暇である。
 仕事も多少はしなくてはならないが、日頃できない自己啓発にも時間を使いたい。
 最近ほとんど観ることのできない映画(DVD)も観たいと思っている。
 妻がほとんど仕事なので、一緒に行動できる日は一日しかない。
 その日は善光寺あたりへ、と思っている。
 ほかの4日間は、仕事、金融の勉強、読書、本の片付け(不用品の処分含む)、穴の谷の水汲み、写経、日展、石山寺展、大学の先輩たちとの懇親会、子どもたちとの食事、ゆっくり銭湯、スポーツジムでのトレーニング、映画鑑賞、知的生産技術の学習、などにあてたい。
 しかし、あまり多くは望まず、このうち、何か一つぐらい、しっかりやったぞと思えるような過ごし方ができればいいなと思う。
 ちょっとスローライフチックに。

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おもちゃを買った(iPhone)

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 下の子どもの携帯音楽プレイヤーが、あわれ洗濯機のえじきになってしまい、修理に出そうと電機店に行った。
 概算で見積を聞いたところ、買うほどの値段を言われた。
 まあ2年前のものだから、今から直すのなら、新しいものを買ってもいいかと思い、息子と話をして、彼にも少し負担をさせるということで、新しいものを購入した。
 そのついで、というわけでもないのだが、2年前から欲しいと思っていたiPodの通信機能のあるやつ、つまりiPhoneを購入した。
 番ポして今の携帯から携帯電話も換えるという手もあったが、ドコモの親会社への長年の義理のある身として、魂まで譲り渡すわけにはいかない(というほど大袈裟なものではないかも知れないが)。
 従って、新規ということで購入した。
 帰ってきて半日iPhoneで遊んだ。
 大変楽しい。
 操作性がバツグンにいい。
 今までの携帯電話はなんと固いことか。
 使う人の使いやすさを主眼に置いた機械である。
 大人のおもちゃだ。
 やはりドコモはアップルと組むべきだった。
 大きな戦略誤りではないか。
 これだけ完成度の高い大人のおもちゃは、日本人のアイディアではなかなか開発できないように思う。
 ドコモは国粋技術でずっとやってきたが、それでは立ち行かぬほどに国際化が進んでいる。
 この機械一台で、メール、インターネット、ゲーム、音楽、写真、映画、と色んなことができる。
 のみならず、使う人の利便性(コスト)を考え、家庭では、無線LANのルーターがあれば、そこと直接アクセスしてくれ、いわゆる携帯電話としての利用料はかからない仕組みにしてくれている。
 そうなれば、家の中では料金のことは何も心配せずにブラウジングできる。
 簡単な調べものなら、ノートパソコンを開かなくてもいい。
 外へ出たら携帯電話としてのインターネット接続にならざるをえないが、これはこれまでの携帯電話と同じである。
 しかし、外は外でも、最初から公衆無線LANのアクセス用ソフトが入っている。つまり、NTT等の戦略では、ノートパソコンに無線LANアダプタをつけたり、公衆無線LAN用のアダプタで無線アクセスをさせる仕組みだが、iPhoneはそういう機能が全部、オールインワンで入っているのである。
 だから、マック(全国のマックにソフトバンクの公衆無線LAN設備があるとのこと・・・全部の、ではないが)に行けば、通信料金(パケット料金)を意識せずにインターネットができる、というわけである。
 つまりつまり、iPhoneとソフトバンクは、無線と有線の垣根をこの機械でやすやすと越えてしまった(いわゆる「FMC」)のである。
 まいったたまげたとはこのことだ。

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守りたいもの、変わらないもの

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 昨日は職場の同僚を残して、午後7時半に退社。
 年明けから約束していた友人との飲みに。
 2月には会おう、3月には会おう、4月には・・・と言って伸ばし伸ばしになっていたが、ようやく実現し、それでも遅刻40分。
 あかんなあ、と詫びを入れつつ、駅前の居酒屋で乾杯。
 共通の思い出がある
 三木聖子さんの「まちぶせ」に関わる思い出である。
 夕暮れの教室で、同級生がいる中で、突如三木聖子さんの「まちぶせ」を二人で手拍子しながら歌っていたことである。その後石川ひとみさんがリバイバルしたが、「断然三木聖子のまちぶせがいいっ!」と長いことお互い思ってきた。
 そしてその情景や「三木聖子のまちぶせがいいっ!」ていう思いは、あの秋の夕方、同じ教室で同じ時間を共有していたはずの、他の十数人の同級生にすら共有はできない感覚ではないかなと思う。
 昨年暮に仙台へ出張した彼は、三木聖子さんのやっているスナックに偶然行き、三木聖子さんに会い、三木聖子さんの生の「まちぶせ」を聞くことができ、三木聖子さんの写真を撮った、というセレンディピティそのものの体験をしている。
 その感動を分かち合える喜び。ちょっと誇らしい気持ちだ。
 私の頭の中で、また中2の秋の教室のシーンがまざまざとよみがえって来た。
 ありがたい。
 ところで、彼と二人で飲むのは、それぞれの結婚が決まったとき以来、21年ぶり。
 その後、お互いの子どもたちが小学校1年のときに立山山麓家族旅行村のバンガローで泊まって家族一緒に食事をしたときからしても、10年以上あいている。
 それでも会えば、一気に中学時代の心と状況に戻ってしまい、私はあけすけに全開放となってしまう。それこそ、全部さらけだしてしまう安心感というかやすらぎ感というか甘えというか・・・たぶん甘えなんだろうなと思う。
 仮面や飾りというようなものを人は年を経るに従い、知らず知らずに身にまとっていく。
 人によってはそれが過度になり、それで自分を守ろうとする。
 弱い人間ほど、まとうものが多く、そのうち自分でも何が飾りで何が自分の生身の姿かがわからなくなってしまうのではないか。
 世間の人は知らないが、自分は弱い人間だとつくづく思う。
 自分をあけすけにさらけだし、甘えられる(どんなアホなことを言っても、笑って見てくれている)間柄の友人がいる、ということは大変ありがたいことだ。
 そういえば、中学の頃も私のやっていることを見守ってくれていたような気がする。
 後ろで見守ってくれている羅針盤のような自立性を持っているのだ。
 しかし、こちらからの甘えだけの依存ではなく、大事にしていかなければならない。
 さて解散後、彼は1時間かけて富山市郊外の自宅へ歩いて帰って行った。
 相変わらず、静かだがきりっとしたポリシーの持ち主だ。

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製材所は大変ゴホンゴホン

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 今日(4月28日)、経営相談会ということで、某市の製材所にお邪魔した。
 日曜にひいた風邪は、葛根湯のドリンク剤とバファリンと「ぐったり夕睡」で当日中に直すことができた。最近のバファリンは本当によく効く。ありがたい薬だ。
 さて製材所の話に戻る。
 着いた途端に、駐車場までおかくずの粉末がブワーっと舞っていて、霧か黄砂かおがくずか、といった有様で、いやあな予感がしていた。
 お客様の会社の応接室に通され、社長と名刺交換。
 なんだか、喉がムズムズ。
 とりあえず景気の話だとかロシアの関税が一服している話などから入り、次第に当のお客様の業況に入り込んでいこうとした矢先。
 げほっ。ごほんごほん。
 と喉が詰まったような変な咳。
 えっ?
 風邪は完全に治り、昨日も元気に仕事をしていたはずだから、風邪じゃあねえだろう。
 もしかして、今はやりの××インフル?
 ・・・声が出ない。
 と、正面を見ると、当の社長「こいつ、もしかして××インフルではないか?」的な顔をして眼鏡の奥から金壺まなこでこっちを覗き込んでいる。
 さも「マスクせえ、マスクを!」とでも言いたげな顔である。
 こっちはこっちで、就職試験に訪れて、面接官との会話がかみあわず、ばつの悪い状態になっている大学生のような気持ちになり、あせってしょうがない。
 心の中では「誰が好き好んで喉を詰まらせるか。お宅のオガクズのせいだと思う。それに気づいて、なんか言えば?」と怒鳴りたい気分になりつつ、必死で会話をつなごう、そのために普通に発声しようともがいている。
 結局、出されたお茶をごくっと飲み干し、なんとか声は元に戻ったが、まあ、ばつの悪いことといったらありゃしない。
 その後訪れた別の企業でも、突如喉がごそごそして咳が出て喉がふさがるような感じになり、会話が出来なくなる事態が発生した。
 たぶん、あの材木挽き工場でのオガクズの空中散歩連中が私の喉にべたっと貼り付いて、悪さをしたのだろう。
 いがらいがら。
 製材所にはもう二度と行くもんか(仕事でさえなければ)、と心に決めた連休前のひと時であった。

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うがい、手洗いの励行を:豚インフルエンザが人に感染・流行の恐れ

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 メキシコとアメリカで豚インフルエンザが流行しつつあるらしい。
 豚インフルエンザなんて、初めて聞く名前だ。
 これまでずっと鳥インフルエンザまたは新型インフルエンザによるパンデミックへの警告はなされていたが、「豚」というのは聞き初めだ。
 いや、「鳥」以外のインフルエンザの名前が、その筋では言われていたのかも知れない。
 既にメキシコ国内で豚インフルエンザの感染者は1004人、死者は68人とのことであり、かつ死者の年代層は20代から40代だとのこと。
 決して免疫力の弱い層ではなく、むしろ頑健な年代層の人たちが亡くなっているようであり、とすると、我々がまだ抗体を持たない種類のウイルスなのかも知れない。
 我が国でパンデミックが発生すると、60万人だかの死者が出るとの予測があるらしい。
 実際にはそんなものでは済まないかも知れない。
 小松左京氏の『復活の日』を思わず思い出してしまうが、まだどうともこうともわからないものなので、ともかくは、当面、うがいと手洗いの励行を怠らずに、家族にもよく言っておかなければならないと思う。
 気をつけましょう。

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アグネス・チャンが大学を開設

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 以前、アグネス・チャンのブログを紹介したが、今日はアグネスが開設した「アグネス大学」についての記事。
 彼女がやっている「サニーサイドアップ」というラジオ番組がある。
 我が富山では、KNBラジオで日曜朝の9時45分ぐらいから入っている。
 その中で、今日おっしゃっていたのが「アグネス大学開設」についての話だった。
 大学と言ってもどこかの建物でやっているわけではなく、インターネット上の動画を見る形式だし、卒業して学士号をもらっても、それは世間で通用する学位ではない。ということを前提として理解した上で、しっかり学べばそれはそれで楽しく、かつ自分の人生観を高められる学問の場だと思う。
 人生大学だ、とのことのようである。
 アグネス大学のURL:
 http://sub.recordchina.co.jp/agnes_chan/
 ということで早速先ほどいくつかの動画を見させていただいた。
 コミュニケーション論についての話の中で、コミュニケーションを構成する要素として8つの要素があるとのこと。コミュニケーションの8つの要素は以下のとおり。
①送り手
②内容
③受け手
④共通の記号(日本語、英語、etc)
⑤媒介(喉、文字、手話、etc)・・・相手の立場に立つ
⑥到達度
⑦理解度
⑧反応
 アグネスの言うコミュニケーションは、あくまでツーウェイコミュニケーションなので、送り手だけでは成り立たない。相手がいてちゃんと伝わって反応があって、ということである。当たり前のことだが、ちゃんと伝えるのは送り手の「相手の立場に立つ」ということであり、それが基本。そして、それ以前の大前提として「自分の価値を認める」ことが大事だと言っておられる。自分の価値を認めずして相手とのコミュニケーションなどできないよ、まず自分をしっかり認めてあげてね、と言っている。
 毎週火曜と金曜に更新(講座の追加登録)がなされるらしいので、なるべく見ていこうと思っている。

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ちょっと気になっています、太陽黒点ゼロ

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 去年の秋、太陽の黒点活動がゼロだということが一部で騒がれていた。
 ちょうどリーマンショックの後ぐらいだったろうか。
 それからずっと私も太陽の黒点活動の状況をウォッチしているが、一向に増える気配がない。
 多いときは100を超えるときもあるようだが、ゼロがずっと続くというのは、異常事態らしい。
 太陽の黒点は、周囲の他の部分よりも温度が低いらしいのだが、黒点の数が多いということは活動が活発だということらしい。この辺の理屈がよくわからないが、太陽活動の活発化=黒点数の多さ=人間の興奮度合いの強さ=経済活動の活性化や戦争の多発など人間活動の活発化、ということをかの栗本慎一郎氏が言っていた。
 それが本当なら、今はまだ経済活動が上向きにはならない時期だと言える。
 過去のデータを少し調べてみたが、すっきりとした相関関係は今のところ見当たらない。
 他の人が書いているブログなどを見ると、相関関係があるのだよ、という記事もあるのだが、私の調べではまだそういう根拠には当れていない。
 しかし、あちこち見ていると「太陽黒点の数のゼロ更新状態は100年に一度の異常事態」ということであり、グリーンスパン氏の言う「100年に一度の金融危機(経済危機)」と符合する。(誰かが意図的にそういうことを流布して不安を掻き立てているのかも知れないが)
 そんなことで、しばらくは黒点活動と経済の動きから目が離せないなあと思っている。
20090418太陽黒点ゼロ
 写真はここから転載:http://swc.nict.go.jp/sunspot/

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仏像窃盗について考える(収まり悪いんちゃう?)

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 朝からむかっ腹の立つニュースをやっていた。
 どこぞのお寺(普段は無人らしい)で、仏像が盗まれたというニュースである。
 仏像は私も大好きだ。
 いつも眺めていたいという気持ちがある。
 心安らげさせてくれたり、自分の内面を振り返らせてくれたり、もっといかれ(いかって魔を断ち切れ)と呼びかけてくれたり、色々な声を私の心に呼びかけてくれる。ような気がする。
 それと同じ気持ちが窃盗の動機かどうかはわからない。
 金目当てかも知れない。
 しかし、自分の住まいの一角に置いて眺めるにせよ、他の誰かに渡してその人の家かどこかで眺められるにせよ、いずれにしても凡俗の人間のありかに置かれるわけである。
 仏像はなぜ拝まれるのか。
 仏像が置かれている場所=お寺は、我々庶民が信仰しようとして純粋な気持ちで訪れる場所である。
 訪れる人々が崇高な気持ちで訪れる場所。
 これは神聖な場所と言えるのではないか。
 お寺が作られた動機は、人の不満を宗教で吸収(救済ではなく吸収)しようという、たとえば統治目的であったり、人々を救済するという名目での金集め目的であるかも知れない。
 僧侶とて、必ずしも神聖とは限らない。むしろ、なまぐさナントカと言われるくらいだ。
 でもそこを訪れ、そこにいます仏さまを拝もうという人々、我々庶民は、そういう、建立目的とは無関係な次元にいて、かなりピュアな気持ちで訪れているのである。
 そういう場所は人々の気持ちを反映して、おのずと神聖な場所になるはずだ。
 そういう神聖な場所にあるからこそ、俗人が作ったモノでありながら、仏像は崇高な面持ちを湛えているのであり、拝みの対象となりうるのである。
 盗人さんへ。
 あんたの家の仏間に飾っても、ちっとも崇高さはないし、ありがたみも感じられないはずだよ。
 逆に、こんなすすけた人形に、なんでみんなお寺へ拝みに行くんだろう?って違和感すら覚えるのではなかろうか、と思う。きっとどんな立派な仏壇や飾り棚に収めても、収まりが悪いはずである。
 そう感じられたら、それはあんたがまだまともな感覚を少しは持っていたことの証拠になると思う。
 なぜって、あんたの家には誰も頭を下げやしないから、神聖な場所にはなりえない場所なのだから。
 普通の人間が普通に暮らしている、俗なところに安置されている仏像は仏像ではなくただの人形でしかないのだから。
 そのことに早く気づいて、元の場所にお返しすべきだと思う。(当然、世間を騒がした責任は負わねばならないが)
 まったく。

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