加藤ミリヤという歌手がいる。らしい。(会ったこともないのでよくわからん)
ラジオで偶然この人の「Love Forever」という歌を聞いて、一発で気に入った。
友人の人事異動などがあったら歌って感謝の意を示そうと思っていた。
軽く歌えるものと思っていた。
偶然今日その日が突然やってきた。
歌った。
あれ?
音程が合わん。
そりゃそうだ。
考えてみたら彼女は女性で、私は男。
音楽プレイヤーで聴きながら鼻歌を歌っている分には「おれ、いけるじゃん」なんて思っていたが、いざ歌うとなるとすごい低い音程か、またはがなりたてるようなハイトーンじゃなきゃいかん。
しかもラップっぽい歌ときている。
ということで、皆さんは一応手拍子をしてくれたが、かなり「こいつ、何歌うてんねん」という気になったに違いない。
それくらいひどい音程でがなりたててしまった。
もうちょっとしっかり音程のコントロールも含め、練習とコントローラ操作などの事前準備が必要だ。
よりによってご栄転される皆さんの送別会という場で・・・。(主旨は合っていたと思うが)
ということで、カラオケ大失敗の巻であった。
「随想」カテゴリーアーカイブ
気負いの週末
さあああああ、読書するぞおおおおお
っと臨んだこの週末だったが、土曜は家の庭の木の伐採作業で半日以上費やし、午後は会社の同僚と電話で長い打ち合わせをし、その後は元々予定していた買い物やら吸玉マッサージやら。
夜も元から予定していた従弟との打ち合わせがあり、ザッツオール。
今日は、突如下の子が富山の呉羽まで連れて行ってくれとのたまわり、早朝起床で眠い目をこすりながら往復2時間のドライブ。さすがにしんどくて帰宅後即次男のベッドへ。
ようやく10時過ぎに本格的に起床し、研修のレポート作成。
午後の後半再び次男を迎えに行くため、はるばる呉羽までドライブ。
終わりの時間が流動的だったため、帰宅したのは午後6時。
夕食をはさんで、昨日同僚にさんざん注文いただいた週間スケジュール作りに頭を悩ませているところへ、今度は長男が、パソコンのネットワークがおかしいだのなんだのとSOSを求めてきて、一緒に検討。
あっという間に午後10時。
風呂に入って再度スケジューリングの詰め。
ま、あまり考えすぎても相手もあることなので、この辺にして、いざ明日からの戦陣へ再び臨もうか。
1週間東京へ行ってきて、色々あったが、明日からまた気持ちも新たに頑張ろう。
レジの紙袋復活
クスリのA木という薬局、じゃない、ドラッグストアに行ってきた。
男性用化粧品をいくつか買わなければならないことを思い出し、外出の途中に寄ったのだ。
4点ばかし買い物をして、レジへ。
レジの人「マイバッグはありますか?」
私(ありゃ!、なんも考えてへんわ)「いや、・・・抱えて行きますから、いいです」
レジの人「では・・・無料の紙袋がありますけど、それにお入れしますか?」
私(そりゃあ願ったり叶ったり、助かる)「あ、それでお願いします」
レジの人「かしこまりました」と、おもむろに小ぶりの紙袋に入れ、商品の上の部分できっちり折り曲げてレジのテープを貼る。
といった次第で、久しぶりに紙袋というものを見たのだが、折り曲げのところがぴっちりしすぎていて、持った瞬間に、折り曲げ部分にピシッと破けてしまった。
紙袋、とってもいいものだが、折り曲げる場所に気をつけないと、商品の角で破けてしまう。
昔の人はその辺の機微を心得ていて、少し余裕を持たせて折り曲げたものだが、最近の人は慣れないせいか、そういうのはまだわからないだろう。
でも、徐々に慣れていき、どの辺で折り曲げるのがベターかということもわかっていくのだろうな。
う~ん、それにしても、意外なことで紙袋が復活していたとは・・・。
東京五日目(最終日)
東京には随分長いこと行っていなかったので、本当に久しぶりだった。
しばらく会えなかった従弟や友人にも会うことができた。
研修の中身はなかなかレベルが高かったが・・・。
よく考えてみると、東京に行く道中のこと、手持ち無沙汰にならないように、というようなことを出発前はさんざん心配していたが、魚津から、わずか3時間で着いてしまうのだ。
そんなに色んな本やら何やら持って行かなくていいのである。
私が学生の頃は上野までですら6時間かかった。
その印象がいまだにぬぐえない。
だから遠いと思ってしまう。
そして本やら電車の中で履くスリッパやらまでカバンに入れてしまう。
その結果カバンが重くなる。
今じゃ昔の半分、3時間で着いてしまうのだ。
大阪から行くのと変わらない。
近くなったものだ。
朝7時に魚津を出発したら、午前10時には東京駅に着いている。
午後6時に東京を出たら、夜の10時前には家に着いている。
十分日帰りが可能な距離だ。
もちろん遊びに行くとしたら、1箇所か2箇所ぐらいしか逗留できないが。
そんなこんなで、帰りの新幹線とはくたかの乗り継ぎで本を1冊読んできた。
東京四日目
別に毎日東京での出張レポートを書くつもりではなかったが、結局毎日書いている。
今日は研修の4日目である。
毎日息もつかせぬM銀行調査部の精鋭によるしごきである。
優しい顔してソフトな語り口ゆえ、余計に真綿でクビ締められるようなきつい研修である。
今日は比較的早く、午後7時半頃に終わり、唯一飲み会も入っていなかった日であり、明日の最終日に向けて片付け等の準備もあるので、そのまま宿に直行。
途中食事をし、買い物などして午後9時頃には部屋に入った。
一人の夜の時間が1週間できたので、少しまとめて勉強しようと思い、仕事の参考資料やら小説やらを色々持参してきた。
現実には、初日のJRでは寝るか事前課題の残りをやるかしてきたし、東京に来てからは毎晩飲んでいたため、今日のこの時間まで何もしていない。
しかも飲み会がない日はない日で、さあしっかり学習するぞと勢い込んで部屋に入るのだが、たいがい寂しさが募ってテレビを見てだらだら時間を費やすのが私の出張時の常の姿である。
家にいて誰かがそばにいるときは割りとちゃんと勉強できるのだが、家族がいれば色々用事もあって集中して学習できる時間にはおのずと限度があり、いなければいないで寂しい・・・なんて勝手なことか、と思うが、寂しいという感覚は制御できないのでどうしようもない。
今日ぐらい、しっかり自分にストアをかけて(ストイックになって)、残された2時間を思索や勉強にあてがいたい。天から与えられた、瞑想でもなんでもできる貴重なひと時だから。(もうちょっと自分に強くならんけりゃあかんねん!)
さあ、とりあえずは洗濯だ。
最近のステイ型のホテルには乾燥機能付の全自動洗濯機があって大変助かる。
東京三日目
上京してきてあっという間に三日が過ぎた。
本当に久しぶりの東京なので、この短い間に、空白の時間を埋めようと色々やっている。
昨日は従弟に5年ぶりか6年ぶりぐらいで会った。
新宿のライオンで飲んだ。
ほんの1時間だったが、元気な様子を確認できたので良かった。
新宿ライオンなんて、ほんとに久しぶりだ。
約30年ぶりではないか。
相変わらずちゃんと営業しているところは時代が変わっても風俗が変わってもやっている。
堅実な老舗の経営を貫いているのであろう。もちろん、時代の新しいニーズにはちゃんと応えつつ、であろうと思う。
今日は、中学時代からの友人に再会した。
渋谷である。
岡本太郎氏の絵があったので、思わずシャッターを切った。

直後、友人と再会した。
彼は奥さんと一緒に来てくれた。
うれしかったしありがたかった。
彼の家族とは家族ぐるみで付き合い続けている。
お互い転勤してもなぜか近くになり、合流して旅行に行ったりしたものだが、最近は少し離れ方が大きくなり、本人とは2年ぶり、奥さんとは7年ぶりの再会だ。
二人とも元気で若々しく、相変わらずいいおしどり夫婦ぶりであった。
しかし来月北海道に異動だという。
全国規模の会社だから、やむをえないが、奥さんと子どもたちを異郷である東京に残しての単身赴任である。
しばらくは北海道の人となるが、立ち向かう人生は、自分のこやしだと思って、迷わずに頑張って欲しい。
別れ際、並んで歩いている私と彼の後姿を見て、奥さんが「二人とも企業戦士ね!」って言ってくれた一言が、私にはとても心強い励ましに聞こえた。
江戸の町の火消しに向かうめ組の棟梁に、おかみさんが火打石で「かちっかちっ」ってやってくれるような感じだ。(もちろん私に言ったわけではないのだが、そういう言葉を旦那と一緒にかけてくれることがうれしかった)
さ、明日と明後日、残す研修期間はあと二日。
しっかり洗濯して、きっちり習得できるよう頑張ろう。
東京二日目
東京出張二日目。
朝晩の通勤列車は・・・電車は、さすがにサラリーマンの皆さんはクールビズが多い。
これでちょっと安心した。
ところで、研修に使わせてもらっている「M銀行(元興銀)」の研修所は、さすがにM銀行だなと思わせる点がいくつかあった。
その1。
休憩コーナーに置いてある新聞雑誌の類。
5大紙と言われている新聞は全部置いてある。それも、日経は2部も。
さらにアメリカのフィナンシャルタイムズやニューヨークタイム、フランスのナントカという雑誌など、欧米の主だった新聞雑誌は全部置いてある。
その2。
電話。ゼロ発信でどこでもかけ放題。これもさすがという感じだ。
その3。
昼食のメニュー。
AランチとBランチの2種類しかないのだが、そのどちらにもデザートがついている。
しかもAランチのトンカツの肉の厚いこと厚いこと。
普通の食堂の2倍の肉厚だ。すごい。食べ応えがあった。
そんなことに感心してないで、ちゃんと学ばにゃ!
東京で気がついたこと
少し先入観を持っていた。
新型インフルエンザで休校になった学校があると聞いていたので、東京の人々はマスクなどしているのかなあ、と。
自分もそのため予防用にいくつかマスクをカバンに入れてきた。
意外や意外。
ほとんどマスク着用の人はいない。
それともうひとつ。
JRの車両などにも「青山でクールビズ」などという広告が沢山打たれているが、クールビズスタイルのサラリーマンがとても少ない。
というより、ほとんどいない。
商談に出かける人たちは、相手への敬意を示そうと、きちんとネクタイをしていくのが礼儀だという考え方からだろうか。それとも社内でもネクタイしてるんかなあ。
東京に来たら、さぞかしほとんどのビジネスマンがクールビズかな、と思っていたので、これも意外だった。
百聞は一見に如かず。
偏見と先入観でものを見てはいけない。
ということがよくわかった。
久しぶりの東京で迷子に・・・
前に東京に来たのは、平成16年だったと思う。
某企業の大阪支店に勤務していたときに、その支店の東京事務所というのがあって、そこへ仕事の相談に来たとき以来だ。
してみると、今日東京に来たのは、公私共に5年ぶりということになる。
富山暮らしなどを長いことしていると、視界というものは、随分遠くまであるものだという感覚が当たり前になる。
それが東京に来ると、途端に高層のビルが林立していて、筋ひとつがわからない。
今日も現在の会社の東京支店に行ったのだが、行ったまでは良かったのだが、帰りが普通に逆方向に歩けば良かったのに、かっこつけてぐるっとビルを回ってしまったところ、全然違うところに行ってしまった。
10分もかからない神田駅まで20分もかかった・・・。
研修所もそうだ。
某巨大金融機関の、その研修所は、おしゃれな町の代名詞とも言える、代官山というところにある。
恵比寿から歩いても良かったのだが、ちょっと遠いような気がして、「徒歩3分」と書いてあった代官山駅まで行き、地図どおりに北口で降りたのだが、道がない。
空中歩道なのである。
地図と違う感じだなあと思いながらもとりあえず地図の方向に。
行けども行けども、住所表示板には、研修所の地名とは異なる文字が・・・。
結局神田と同じように、ぐるっと回って、それらしき地名にたどりつき、それでもまたしても小道を一本間違えて「ここはどこ? 私は誰?」状態になりつつ、なんとか研修所を発見し、受付を済ませた頃には、集合時間の30分前。
昼食まだなのだ!!!!ということを思い出し、近くのこじゃれたレストランへ。(一杯飯屋に入りたかったのだが、そういう下町風の店は、どうもこのあたりはなさそうで、探しているうちに時間切れというものたまらないので、自分のおっさんぶりを省みず、飛び込んだのである)
やはり、おしゃれなOLさんたちばっかしの店で、一人ものの私に対して投げかけられた目線は、「おっさん、ここはあんたの来るところじゃねえよ、席に座らずにかえんな」ってな感じだったが、そこは大阪のおばさんのノリで、どかどかと店内に入り込み、「Aランチ!」と声高らかにオーダーし、しっかり時間に間に合うように食事をした。
なんの話かわからなくなったが、久しぶりの東京は、相変わらずにぎやかで人もビルも多く、迷いやすい町だ。
映画「剣岳 点の記」
映画「剣岳 点の記」を観た。
大変素晴らしい映画である。
涙が溢れ出て止まらなかった。
そして、よくぞここまで監督はじめ役者の皆さん、スタッフの皆さん、山岳ガイドの方々、しんどい作業をやり遂げて下さったと、心から感心し感謝している。
特に主役の二人、浅野忠信さんと香川照之さん。
かっこよかった。
彼らは間違いなく、これからの日本映画を背負って立つ人になるだろう。仲代達也と緒形拳の後継者ができた。
さて今日は、元々全然別の用事があったのだが、突如その予定が空き、時間ができた。
となると「富山県人が初日から観ないでどうするんだ!?」と矢も盾もたまらず、初日の一番目に観ようと、朝7時すぎには家を出発していた。
今日は全国ロードショーに先がけて、富山県内のみ1週間前倒しで先行ロードショーである。
初回は午前9時から上映だった。
元々この映画は新田次郎さんの原作『剣岳<点の記>』(文春文庫ほか)に基づいている。
私は、大阪で働いていた今から6年ほど前に、某通信大手の西日本本社総務部のOさんという人からこの本を紹介された。
Oさんは地元が九州の人であるが、山登りが好きで、私が富山出身だと言うと、「ああ、それなら新田次郎の「剣岳 点の記」というのが面白かったけど、知ってる?」と聞いてきた。
私が知らないと答えると、「面白いから是非読んでみたらいい」と勧められた。
その週末に早速買いに行き、むさぼるように読み進んだ。
淡々とした、ノンフィクションといった感じの小説だったが、大変重いものを感じた。
ところどころを折り曲げたし、あちこちに線を引いた。
ここではその感想は書かないが、五木寛之さんの『風の王国』ともやや通じるものを感じた。が、それはそれでまた別の話である。
立山近辺の色々な山の標高を測り、地図を作るためにこんなに大変なことをしていたのか、と彼らの偉業に深く敬意を感じた。
千年前の行者が剣岳の山頂に置いていったとおぼしき「錫杖」と「剣先」の記述のところでは、ずっと前に立山博物館で「錫杖」の頭部を見た記憶が蘇って来た。
その時にはなんとはなしに眺めていたはずだが、あれがそれか!と強いショックを受けた。
帰省時に立山博物館にもう一度見に行ったことは言うまでもない。
人間の営みのすごさ、である。
そういえば、映画の中でも柴崎測量官が「山に生かされている」という独言があったが、まさしくそうで、生かされているからこそ、行けるのである。
それと、「自然の美しさは自然の厳しさの中にこそあるのだ」というような独言もあった。
いずれも、役者が吐くセリフであるのだが、これらの言葉は、単にセリフとして発せられたのではなく、柴崎役を演じた浅野忠信さんそのものの心から出たほとばしりではなかったか、と思う。
映像のところどころで松本清張の「砂の器」のシーンがいくつか重なって見えた。
刑事役の仲代達也さんが自費で捜査に行こうとする時に、奥さんがへそくっていたお金を、旅費の足しに、と黙って差し出すシーンが、柴崎測量官と奥さんが出発に向けた仕度をしていたシーンとかぶさったり、犯人親子が逃避行のために嵐の中を歩いているシーンが、測量隊のメンバーが雪山を歩くシーンと何度も重なって見えた。
映画が終わり、木村大作監督と柴崎測量官役の浅野忠信さん、宇治長次郎役の香川照之さんが舞台挨拶に出てこられた。
いやあ、感激だった。
私の席は舞台から50メートルぐらい離れていて、人が米粒ほどにしか見えなかったが、確かに間違いなくそこに浅野忠信さんや香川照之さんがいるんだ、同じ空気をこの会場で吸っているんだ、あの大変な難行をこなして映画に結実させた二人の名優が。ここに。
と思うと、うれしくてしょうがなかった。
今回はひたすら「静」の浅野忠信さんあっての「動」の香川照之さんだったのかも知れない。
主役であるはずの(なぜなら柴崎測量官が測量したのだから)浅野忠信さん以上に、私にとっては香川照之さんが強く印象に残った。
宇治長次郎が富山県人だからだろうか。
それとも、もしかすると、実は、ひそかに、香川照之さんが主人公の映画なのかも知れない。
宇治長次郎の妻佐和の役を演じた鈴木砂羽さんも、登場時間はほんのわずかだったが、強く印象に残った。染み入るような感じで私の心に残っている。
明治時代の富山の健気な女。控え目でキリリとしていて優しさに溢れている女性。
宇治長次郎と佐和。
銀幕の中のこの二人って、真面目で謙虚で、でもどこかに進取の気性を持った明治の良き富山人の典型なのではなかろうか。
富山県人の美徳がこの二人に収斂されているような気がする。
私たちはそういう美しさをすっかり失ってしまったのかも知れない。
この映画を県民みんなが観て、私たちが失ったものを少しでも思い出し、少しでも県民の本来持っていた美徳を取り戻すことにつながれば、と思う。

【平成19年8月15日 立山登山路から撮影した剣岳】