久しぶりにNHK総合TVの「ためしてガッテン」を見た。
今日のテーマは<バテない山登り>に関すること。
山は大好きだが、なかなか登りに行く機会がない。
たまに行くと息切れして同行の士に迷惑をかけてしまう。
そのため、また機会が減る。
ということになりがちだ。
今日の「ためしてガッテン」では、山登りをラクにできる秘術をやっていた。
まず登り。
筋肉には、瞬発力があってすごい力を発揮する代わりに持久性のない「速筋」と、力強さには欠けるが持久性があって疲れない「遅筋」があるらしい。
その遅筋を使うことで、どれだけ登っても疲れないらしい。
遅筋などというと、チキン=鶏肉を思い出してしまうのだが、ま、それはいい。
その遅筋を使うためには、あまり速くないリズムをとる必要があり、それに適した行動は、演歌を口ずさみながら登るのがいいそうだ。
演歌のゆったりしたテンポで登ることで、もしも息が上がるようだったら、速筋が使われ始めており、アラームとして利用できるということだ。
さらに、遅筋を使う運動を続けると、筋肉の毛細血管が増え働きが良くなるので、歌いながら歩くことで、やがてはスタスタ速く歩ける健脚を手に入れることもできるそうだ。こりゃあいいことを聞いた。
また、山の上で疲れを取る食べ物・飲み物として、コーヒーなどの温かいものがいいらしいが、中でも我々日本人には、暖かい味噌汁がいいらしい。疲労で失われる塩分やミネラルなどが摂取でき、大変いいらしい。
さて下山。
足が笑う(膝が笑う)のは下山の時である。
ホンマにもう、ガクガクになってしまう。
その理由は、下山の時はついつい歩きやすいため大股になる。
下り勾配では、筋肉が収縮せず伸びたままで体重を支えてしまうため、筋肉に過度な負担がかかるらしい。
そのため負荷に耐えられず、断裂してしまう。
これが膝が笑い、またなかなか痛みが取れないことの原因らしい。
大股になって、筋肉が伸びたままになって体重を支える、ということを避けるためには、小股で歩け、ということだ。
下山の時に疲れないように小股で歩くためには、足が地面の感覚を探りながら歩くようにした方がいいらしい。
そのためには一番いいのは、マタギの方々が使っている地下足袋を履くのがいいという。
これはいいことを聞いた。
早速次の週末に地下足袋買ってこよう。
とはいえ、山登りをする時に、あのゴツゴツした立山山頂付近の岩山を地下足袋で、というのはもしかすると痛くて歩けないかも知れず、そういう場合は、下りる前に一旦登山靴を脱いで、靴下状態で、付近を歩き、足の触感を思い出させることで、おのずと小股になるらしい。
それもためしてみてもいいかも知れない。
実際、演歌を口ずさみながら山に登ったグループの疲労度を測定したら、7~8人の被験者のうち、2人を除いて登る前よりも元気になっていたというデータまで示された。
これにはビックリである。
そういえば、マタギの方々も一日中山中を歩いていても全然疲れないらしい。
筋肉の使い方、足の裏の感覚の使い方、などでこんなにも違うものかと思うが、事実なのだろう。
ああ、今日は沢山いいことを聞いた。
大変ためになった。
ありがとう、NHK。
「随想」カテゴリーアーカイブ
知の巨人逝く・・・梅棹忠夫氏死去
『文明の生態史観』や『知的生産の技術』で有名な、梅棹忠夫氏が亡くなった。
90歳だったらしい。
我々など、大学生の頃は、この人の『知的生産の技術』を読み、ある者などは「知的生産の技術研究会」なんていう勉強会(サークル?)に入って、梅棹さんの提唱した色々な技法の実践研究などをしていた。日経新聞の記者さんと仲良くなってその活動をしていたように思う。
私が大阪に勤務していた頃は、万博跡地に作られた国立民族学博物館の館長を勤めておられたということを聞き及び、是非一度訪ねなくては!と思ってもいたが、遂に機会は訪れず仕舞だった。(ひとえに私の心得不足が原因だが)
そんな梅棹さんが長生きし、第一線で活躍し続けておられたのは、とても心強いことだったが、遂に、お亡くなりになった。
日本の学問の巨星であったと思う。
こういう、幅広い領域で知を展開できる人はそうそういないと思う。
ご冥福を祈りたい。
JRの車中で芸能人の柴田理恵さんを見た
これはセレンディピティではないが・・・。
珍しく19時11分富山駅発のJRで帰ることができた。
車中、芸能人の柴田理恵さんがいた。
声でわかった。
というか、一緒に乗っていた人に教えてもらった。
ごく普通に仲間の皆さんと会話していた。
魚津で下りられた。
マンテンホテルにでも行ったのだろうか。
何をしに魚津に来られたのかはわからないが、まあ、仲間が大勢一緒に魚津で下りていたので、仕事だろう。
いやあ、珍しいこともあるものだ。
サッカーワールドカップの日本戦の結果について
サッカーワルドカップ。
決勝トーナメントに進んだ日本チーム。
残念ながら、引き分け、延長、PK戦で3対5で敗れてしまった。
ではあるが、試合結果を受けてインタビューを受けていた人々の反応が良かった。
以前は、「何してんだ、バカヤロー!」とか「監督がだめだからどーのこーの」といったとにかく頭から非難するような声もあった。
しかし今朝テレビで見た応援者のコメントは、ほぼ一様に「ありがとう」とか「勇気をもらった」とか「こんなにスポーツの試合を観て熱くなったことはなかった」など、肯定的なものばかりだった。
まあ、時間が経てば、あのときのあの選手のあの行動が悪かった、とか、監督の采配がだめだったとかいったような批判も出てくるのかも知れないが、少なくとも、夜通しで応援していた国民のいくばくかの人々が、試合の結果や取組やプロセスを肯定的に捉え、監督や選手に感謝していたこの一瞬は間違いない事実だと思う。
たとえ、マスコミがあえてそういうコメントだけを選んだのだとしても、そういうコメントがあったのは事実であり、そういうふうに考えると、我が国民も随分成熟したなあと思う。
えらそうなことを言える立場ではないが、他人を批判するばかりが能ではない。
と思いませんか。
いっちょまえの顔をして評論家か何か知らないが、また、サッカーに詳しく、プロ並の力があるのかどうか知らないが、監督として選抜チームを率いた経験があるのか、そして数々の国際試合で勝ってきた実績があるのか知らないが(そんな人、どこにもおりまへん!)、したり顔して、あれが悪いこれがあかん、など、言えた義理か!と思うような好き勝手なコメントをするのが、今までの我が国民の慣性であったように思う。
みんなで批判するのである。
小室直樹氏は、それを「魔女裁判」と呼んでいた。
そういう国民性(みんなで弱者をバッシングする習性)が、少し変わったのかな?と今回のワールドカップの結果を見て思った。
であれば良いのだか。
変貌する富山駅の片鱗を見た
普段JR富山駅を利用しているが、人ごみの中をただひたすら前を向いて歩いているため、外の景色など見たことがない。
帰りは帰りで夜なので、外など見ても何も見えないし、そもそも見ている余裕もなくホームに向かって、やはりひたすら歩くだけである。
今日は夕方5時頃、とくにせくわけでもなく、ゆるゆると歩いていたら、ふと外が見えたので、窓から写真を撮ってみた。
元々何があったところかよくわからないが(たぶん線路だった場所だろうけど)、すっかり更地になって今まさに新しい何かが建設されようとしている、といった雰囲気がある。

新幹線の開通まであと4年。
いいのか悪いのかわからないが、富山にも新幹線がやってくる。
その息吹を少し感じた。
頑張れJR!
頑張れニッポン!
頑張ろう、富山!!
陽明学の言葉より
王陽明、四十代後半の言葉。
山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。
のぼせ上がり
最近、続けて「年齢より若く見える」と言われた。
それも30代に見える、的な言い方だった。
これでも48歳なのだが、アホということか・・・。
アホということかも知れないが、老けて見える、とか疲れてる感じだね、と言われるよりはまし。
それにしても30代に見られたというのは、本心ではないにせよ、とってもうれしい。
有頂天になりそうなくらいうれしい。
気持ちは30代です、って返答しながら、実際は中3の頃から一つも進歩していない自分がいる。
これでは、若い、というより、成長していないだけじゃん!と思う。
実際そうだ。
14歳の中3のときと気持ちはなんにも変わっちゃいない。
多少世間ずれした分だけ、たとえば感情をむき出しにしないとか、ちょっと控えて人と接するとか、大人の行動めいたものが少しは身についているが、ちょっと油断するとすぐに子どものままの私が姿を現す。
と同時に、何事も新鮮に、新しいものが好き、など好奇心の固まりのような私がいる。
人間、11ヶ月で全ての細胞が生まれ変わるらしい。
とするなら、去年の6月の私と今の私は別人である。
伝承はしているだろうけど、同じ人物ではない。
常に新しくなっているのだから、新しいもの、新鮮なものを追い求めたっていいだろう。
そんなわけで、若く見られてうれしかったよ、というお話。
(こういうのを、のぼせ上がりとも言う)
裸眼で見られる3Dテレビってすごい!
高岡のある会社。
裸眼で見ることのできる3Dテレビを開発している、という話をITコーディネータのOさんという方から聞き、案内してもらった。
テレビ自体は日本の家電メーカーが作っている普通のディスプレイ。
その表面に、左右の目へずらして映像を送れるように、格子の入ったシートが貼り付けてある。
大手印刷会社の作ったシートだ。
映像が始まった。
サッカーボールがいきなり飛び出してきた。
もちろん3D専用のメガネはかけていない。
普通に離れて見ていて、ボールが飛び出してくるのである。
これはすごいことだ。
普通に街を歩いていて、映像が飛び出してきたら、きっと立ち止まって見入ってしまうと思う。
戦後、街頭テレビが出てきて、力道山のプロレス中継に人だかりができた。
銭湯がその時間、ガラガラになった。
という話がある。
みんな、街頭テレビでヒーローの活躍ぶりを見るために、色んな用事を済ませて集まった。
この「裸眼で見られる3Dテレビ」にはそんな力があると思う。
もちろん、銭湯を済ませて、電器店の店先に集まるほどのことはないだろうけど、少なくとも、街行く人の足を止めるだけのインパクトはあると思う。
ニューメディアは、いつの世もエロとセットで爆発的な発展を遂げる。(外国の場合はどうか知らないが)
VHSしかり、インターネットしかり、DVDしかり・・・もしかするとパソコンというハードもそうなのかも。
裸眼3Dで女性が出てきたら、それこそバーチャルセッ・・になってしまう。
30年前に読んだ筒井康孝のSF小説の世界だ。
恐らく、十分ビジネスレベルでも成長は見込めると思うが、ビジネスホテルなどにこれが導入され、ソフトも色々なものが出てきたときが飛躍的に発展するときだろう。
ハードについては、既に東芝など大手メーカーが開発しているようであるし、撮影するカメラなども既に市場に出ているようだが、コンテンツを制作する能力や撮影した映像や制作した画像を加工するスキルとなると、ヒューマンなものであり、ソフトである。
人をいかに育て、確保し続けていけるか、富山で、日本で。
それがこれからの大きな課題ではないか。
今の行政にそういう意思を持ってもらえるような働きかけが大事だ。
技術についての理解、有用性に関する理解、科学的根拠についての理解、安全性・・・。
そういうものを行政に早く理解させ、支援を仰ぐことができれば、地元のベンチャー企業にもビジネスチャンスはあろうかと思う。
課題は多いが、ノウハウを蓄えて是非頑張って欲しい。
「学び」についての雑感・・・パネルディスカッション用のネタより
とやまキトキトBIZねっとのセミナーで実施したパネルディスカッション。
進行を担当したが、その際、いくつかの「埋め草」的なネタを用意した。
結局はパネラーの皆様が存分に語ってくれて、そんなものを使う必要がなかった。
ということで、そのまま埋めてしまうのももったいないので、ここで披露する。
と言っても他人様の本からの引用なのだが・・・。
『韓国最強企業サムスンの22の成功習慣』という本である。
著:チョン・オクピョウ氏(サムスンの元マーケティング責任者)
訳:蓮池薫氏
※韓国で100万部売れた大ベストセラー
てっきりビジネス書かと思って、あるときパラパラとめくっていたら、意外や「学び」について随所に書いてあってびっくりした。
ということで、そこからの引用。
・人生はそれ自体が学校だ。
我々は絶えず学び、成長していかなければならない学生だ。
どこにいようが、何をしようが、人生の一日一日が学びの連続。
成功した人はそれをよく知っていて熱心に学び、実践した人たちだ。(P85)
・人間は常に時間が足りないと愚痴をこぼしながら、まるで時間が無限にあるかのように行動している。【ローマの哲学者 セネカの言葉】(P34)
・人間は成長が止まったら、生きることの意味を失う。
成功ではなく、成長を目標にしてこそ、本当の成果が収められる。
日本の船井総合研究所は、人間が成功するための三つの条件の中でもっとも重要なものが「勉強が好きなこと」だと指摘している。
どの分野でも学ばなければならない。
学ぶということは、未知の世界に対する開拓であり、挑戦であり、経験を通した創造を意味する。
企業だろうが個人だろうが成長するためには学習することが好きになり、それを習慣にしなければならない。(P90)
といったあたりにしておこう。
韓国で成功したビジネスパーソンも、しっかり学びについて見解を持っておられるということだろう。
定年退職までのカウントダウンなんて!
時々「あと十何年だからなあ」というセリフを耳にする。
今の会社でも前の会社でも・・・。
なんのことか?とよく聞いてみると、定年退職までの時間のことだった。
60歳になったら悠々自適。
人生の表舞台からのリタイア。
それはそれでその人の価値観だ。
でも、リタイア。
・・・できるのか?
60歳になったら、挑戦する人生、前に向いて進んでいく人生から引退してしまうのか?
どうも私にはそういう感覚がわからない。
スローダウンはするだろうと思う。
20代、30代、40代のように無理がきかない体のはずだから、ペースは落とさなくては持たないと思う。
でも、あたかも60歳になったら人生の表舞台からおさらばよ、という感じで「あと十何年だからなあ」というのはいかがなものか。
人生一生勉強、一生フルマラソン、一生社会貢献だと思っている。
あと十何年、というセリフは吐きたくないものだ。
まるで自分の人生の終わりに向かってのカウントダウンみたくて、ヤだ。