熊と自然の話

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 このブログのテーマである「夢」とは全く関係がないが、富山県富山市の岩瀬という海岸で、釣り人が熊に襲われたというニュースがかけめぐった。
 山近くではなく、川づたいに、熊が海まで出てきたのである。
 これは大変ショッキングなことだ。
 今年は熊被害の当たり年である。
 当たり年なんていうのは、実際に被害に合われて、怪我をなさった方がおられるわけだから、かなり不謹慎だが、そういう言い方しかないと思うくらいに、あちこちで沢山熊が出ている。
 奥山と里山の境界がなくなり、人里と奥山が直結してしまっている現実、奥山の熊のエサが、環境変化のため乏しくなっているという現実、そういうものがあいまって、熊が冬眠前の食糧確保のためにさまよい歩いているらしいとのこと。
 熊にとっても人にとってもきついことだ。
 環境変化が動物と人間の境界を破壊しているのか、それとも本来の状態に戻されつつあるのか。
 どちらかはわからないが、少なくとも我々人間にとっては、安全についての意識を変えなくてはならないような状態になりつつあるのではないかなと思う。

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真野響子さん話の続編

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 真野響子さんの話の中で、「おくりびと」の第二弾の映画を撮影しているとかいう話があった。
 青木新門氏ともお会いになったそうだ。
 富山の人として、「おくりびと」は観ておかなきゃだめよっ、と言われた。
 観なきゃいけない。と思う。

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森のゆめ市民大学10月10日・・・真野響子さんの講演

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 なぜか魚津で開かれている「森のゆめ市民大学」。
 故筑紫哲也氏の始められた取組みである。
 友人のI氏の配慮で昨年から聴講させてもらっている。
 今日は30年来のあこがれの女優 真野響子さんの講演だ。
 今年最大の楽しみの一つである。
 ということを一昨日まで忘れていて、今日は猛然と仕事の準備をするつもりだったが、これを思い出し、もちろん真野さん優先とした。
 もっとも、色々ある課題を少しでも前進させねばと思い、午前中は通信教育を仕上げた。
 さて、真野さんの講演の前、少し時間があったので国道8号線を車で走った。
 今日は妙な天気で、どしゃぶりがあったり、晴天となったり。
 雲も、なんだか夏と秋のせめぎあいのような雲の具合で、さらにそれらとは全く異なる形の雲があった。
不思議な雲20101010
 馬頭星雲というとちょっと違うかも知れないが、一瞬何かの形のような気がした。地面から屹立しているような妙な雲だったので、思わず車からシャッターを切った。(カメラ持ってて良かった)
 さて真野響子さん。
 私の印象は30年ほど前に「魔女伝説」という半村良さん原作のテレビで、河原崎建三さんの奥さん役、というか主人公なのだが、この時の印章が強烈で、すっかりファンになった。
 ということで「御宿かわせみ」は見ていないので、気丈な、という印章は全くないのだが、でも芯のしっかりしたしとやかな女性というイメージが強かったのだ。
 話を聞いてびっくり。
 いきなり「こんにちわ!」という大きな声の挨拶で、しかもステージ中央に向かって歩きながら、の講演スタートで、即座にイメージが変わった。
 話の中身は、縦横無尽、好きなことをくっちゃべっているという感じで、とにかくテンポがよく、脱線しっぱなし、会場は仕切りまくり、まるで男のような、というと悪口に聞こえるかも知れないが、歯切れの良いサバサバした話し方でとても楽しいひと時となった。
 特に印章深かったのは、旦那さんと「食生活の一致で結婚した」ということ。これは大事だ。私も妻の味付けがうちの味とよく似ていたので「大丈夫だ」と思ったし。また、石川県立美術館に所蔵されている野々村仁清作の「キジ」が大変ないわれのあるものだという話も興味深く聞かせてもらった。また白洲正子さんのお話も良かった。
 この人が、美術に造詣が深いということも始めて知った。
 しかし良いなあと思ったのは、あくまで自分流で、自分の価値観で「好き」とか「いい」とかを決めているという点であり、芸術品を愛でるというのはそういうのでいいんじゃなかろうか、と思う。

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地区運動会での子どもたちのリレーに感動

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 昨年に続き、地区の運動会に参加。
 今年は仕事もあり、午前中だけの参加とさせていただいた。
 しかし、自分の都合ということもあり、午前中、可能な限り出場した。
 私が出たのは借物競走、まめ台風、障害物競走の3種である。
 障害物競走が一番緊張したが、5人中なんと2位であった。
 後から気づいたが、1位の人は私の高校の同級生のU氏であった。
 高校時代はスポーツ万能のスーパーヒーローだった。
 その彼と、体育万年2の私がいい勝負をしたのだから、これはこれで自分を褒めてやりたい。
 さて午前中最後の競技は小学生のリレーであった。
 子どもたちが必死の形相で前を走るライバルを抜こうと懸命に走っている。
 前を走る子どもは後ろから来る子に抜かれまいとして、これまた懸命に走っている。
 人生。
 他人との比較、というのは良くない、それぞれの個性を大事に、と言う。
 ゆとり教育の考え方もそういうところから出てきたものと思うが、個性を大切にということは一面真理だと思うし、私も自分の子どもたちの個性を大切にと日頃思っている。
 しかし、生きていく以上、他人との競争なしではいられない。
 そう考えると、今日の子どもたちのリレーでの競争は、人生そのものではないか。
 懸命に前を向いて走っている子どもたちの姿に、思わず涙が出た。
 一所懸命は美しい。
 一所懸命に生きていこう、これからも、と思った。
 他人様のお子さん方であるが、勇気をもらった。
 ありがとう。

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DVD「鴨川ホルモー」を観た

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 万城目学氏原作の「鴨川ホルモー」。
 映像になっていることを知り、どうしても観たかった。
 昨夜、仕事の忙しさもそっちのけで、レンタルして観てしまった。
 ご覧になろうという方には、原作を読んでから観ることをお薦めする。
 その理由は、ほぼ原作を踏襲した映像作りにはなっていたのだが、原作では色々説明がついていたが、映画ではそこまで細かく説明できないため、映画だけを観たのでは、よくわからない点が沢山あるような気がするからである。
 
 特に面白かったのは、「レナウン娘」の踊りのシーンである。
 どういう踊りなのか、是非見てみたかった。
 見てもわからなかった。
 原作者と私の青春時代の違いによるものか、それとも京都大阪と富山という地理的な違いからか。
 しかし、とても面白い踊りであったことは間違いない。
 もう一回見てみたい。
 それともう一つ印象深かったのは、栗山千明さんの「攻撃!」という命令を下す時のポーズである。
 そもそもわざと可愛くない女性の扮装をしての登場だったのだが、その落差が面白く、かつなんとも珍妙なポーズで命令を下す。
 美人女優の珍妙なポーズという点がなんとも面白かった。
 これも映像ならではの楽しみだ。
 というわけで、原作を読み、映画を観るというのが私のお薦めだ。

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故・小室直樹氏について

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先月亡くなった小室直樹氏のことについて書く。
私が始めてこの希代の大学者のことを知ったのは、高校3年生のときであった。
偶然、NHKのテレビで、山本七平氏と対談をしておられた。
その時に、紹介のテロップが流れ、京大、東大、ハーバード、数学、社会学、経済学、法学・・・というおよそ1人の人間の中に共存しにくいような学問を名門大学を渡り歩いて修得してこられたすごい人、ということを知った。
衝撃が走った。
なんだかすごい人が日本にはいるんだなあと思った。
翌年、大学に進学したら『ソビエト帝国の崩壊』が上梓された。
NHKテレビでの強烈な印象が残っていたため、私がこの人の著書にすぐに飛びついたのは言うまでもない。
内容は、興味のある方は是非お手に取って直接読んでいただければ良いが(本書の他に、シリーズものが合計3冊出版されている)、小室直樹氏の凄いところは、現地に行ったわけでもなく、世の中に出ている一般の情報(本やニュースなど)から、社会学の分析手法(と言っても誰にもまねできないものかも知れないが)を使って、ソ連の問題点をあぶり出し、その結果、早晩崩壊する、と断じた点である。
それから9年後の1989年にはベルリンの壁が崩壊し、その翌々年の1991年に、小室直樹氏の予言どおり、ソビエト連邦は崩壊した。
文字通り、国、体制が崩壊したのである。
一方、その後小室直樹氏は『アメリカの逆襲』シリーズや『資本主義中国の朝鮮』『アラブの逆襲』などを立て続けに光文社から出版された。
どれも、法や宗教なども含めた社会構造から根本的に社会の行く末を考える本で、大変勉強になった。
小室氏の筆致はやがて日本社会の根源的な問題点に戻る。
戻るというのは、実はこれら、ややお手軽な感じの本の前に、『危機の構造』という本を出版されており、ここには日本社会の構造的な問題点があますところなく記されている。
小室氏の本には、よく「アキュートアノミー」という言葉が出てくる。
社会の法や規範、宗教など、人の行動を左右する共通的なものの考え方、これが根本から覆されるとき、一人ひとりの人、それらで構成されている地域や国家などの社会全般が、皆、パニックになって、価値観・倫理観・人生観が根源から崩壊する、というようなことである。
ソ連の崩壊に向けての兆候としては、アル中が多い、というようなこともその傍証として書かれていた。
我が日本の場合は、第二次世界大戦が終わった時に、それまでの価値観が全否定され、国民全体がやる気を喪失し、自暴自棄になった。しかし国民の精神的な支柱であった昭和天皇が処罰されなかったために、かろうじて暴動やパニックは抑えられたのかも知れない。(これは私の印象)
もう一つの重要なキーワードは「ノブレス・オブリッジ」である。
高貴なる使命感、というものらしい。
例えて言えば、大英帝国にはいまも貴族がいて、彼らは戦争になれば真っ先に出陣する、国のために命を張る立場であり、実際、王家の人々も必ず一度は軍役に就いている。
つまり、立場が上の人々には権威や権力があるが、それに見合うだけの責任や義務について、大変高いレベルのものを求められ、それらが一体となってこそ、人々も彼らを尊敬し、集団としての規範が保たれる、というものである。
権威と責任のバランスが崩れ、立場が上の人々が当然果たすべき義務を怠ったり、権威や権力を私用して不正や犯罪を働いてしまい、それに対するおとがめがなかったりすると、一般の人々はやる気を失い、法や秩序が保たれなくなり、犯罪が横行し、社会は崩壊に向かう。お前らの権威は俺たちが付託したものなんだぞ、というのが崩れてしまい、皆が権威者になってしまう。これは暴力社会=万民の万民に対する闘争である。そうなってはいけない。
しかるに我が日本はどうか。
役人や公務員による犯罪が横行している。
最も権威があり、威厳をもっていなければならない人々が、自分の権力を使って、公の利益ではなく、自分だけの利益を図っている(人々がいる)。それがさらに組織化して、自分たちの収入を増やす行為や第二の就職先を集団で世話することなどが自己目的化してしまっている。それも国民から吸い上げた税金を使って、である。
ここまで来るとどうしようもない。
今回の大阪地検の事件もそうではないか。
検挙率を維持することが目的化してしまって、そのためにストーリーを作り上げ、ストーリーに合うような証拠をでっち上げ、それで無実の人を罪に陥れる。
ここまで来るともはや法治国家ではなく、放置国家である。
というようなことになるよ、と小室直樹氏は田中角栄裁判などを通じて警鐘を鳴らしていた。
もう一つ、忘れてならないこの人の重要な指摘。
日本は社会主義国である、という話。
詳しくは書かないが、日本は戦後超平等社会を実現し、累進税率も高く、多く稼いだ人から沢山の税金を取って富の再分配をし、しかもそれほど不満を生まずに社会秩序を維持してきた、これはまさしくマルクスが唱えていた社会主義国そのものである、と。
これは、ある意味、日本という国だけでなく、我々の勤務する会社(どちらかと言うと大会社)の構造もそうである。
良い、悪い、は別にして、そういう観点で日本の社会や会社を見ると、確かに「ああ、そうか、だからか」と納得できる点が多い。
これらは『社会主義大国日本の崩壊』をご参照願いたい。
日本社会の問題点として、さらに、重要な指摘がある。
日本は「魔女狩り」の性質を持っているという点である。
みんなで「この人は悪い」と決め(あるいは想定し)、その人をみんなで袋叩きにする、という悪弊である。
いや、確かに本当に悪いことをしたのかも知れないが、本当に私たちはその人が悪事を為したと知っているのだろうか?
たとえば、先ほどの田中角栄元首相。ロス疑惑の三浦和義氏。戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏。テレビのワイドショーがその被疑者を犯人だ、悪人だといわんばかりに報道し、テレビを見た視聴者は「ああ、この人、悪い人なんだ」と思い込んでしまい、結果、国民大合唱で「こいつを処罰しろ、ハングアップだ」と叫び、その人の裁きが終わると、今度は別の犠牲者を見つけ出し、引きずり出し、またみんなでバッシングする・・・。
そうやって鬱憤を晴らすようになってしまった。
どうも我が日本人は、みんなで一緒に同じ方向を向いて、ということが好きな国民らしい。
だからみんなで一斉に誰かをバッシングするし、みんなで万歳して貴重な働き手を戦地に送り出すし、ちょっと反対の方向のことを言ったら「あいつは変わり者だ」と差別したり仲間はずれにしてしまう。これは何も第二次世界大戦までのことではなく、今も日本の構造に横たわっている、変わらぬ精神性である。
(このことをビートたけしは「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とものの見事に一言で切って捨てた。実際に赤信号をみんなで渡ればこわくはないかも知れないが、間違いなく何人かは事故にあう、その危険を「一億総・・」という美名でわからなくなってしまうのだ。
これはまずいよ、と小室直樹氏はしきりに警鐘を鳴らしていた。
そういう冷静な目で事件を見られる人が一体今の日本にどれだけいるだろうか。
いや、物言わぬ大多数の国民は冷静に見ているのかも知れない。
しかし芸能マスコミ化した新聞やテレビは、センセーショナルな報道=売れ行きを求め、静かに報道すれbそれでいいことも、タイトルを強調したり、「識者」と言われる人のコメントを効果的に活用したりして、いやがうえにもヒートアップしてしまうようになってしまっている。
それを読んだ一般の人々は、マスコミの論調が自分の意見だという感覚になってしまい、たとえば街頭でインタビューを受けた時には、その論調が自分のコメントとして口から出てしまっている。
その結果、それが大多数の世論だ、ということになる。
小室直樹氏は、そういう「空気の支配」に警鐘を鳴らし続けていた。(「空気の支配は」山本七平氏の著作、又はこの両者の共著などをご参照願いたい)
今さらながら、小室直樹氏の慧眼には驚くばかりであり、また、1976年に書かれた『危機の構造』以下、どの著作を見ても今も新しく、深いことにあらためて驚いている。
我々は小室直樹氏の重要な指摘の数々をもう一度しっかり学んで、それを腑に落とし込んで、これからの世の中に対していかなければならないと思う。
表層の変化だけではなく、本質的な現実をしっかり見て、本質的に問題に対応していかなくてはならない。
こういう人物を持てたことは日本の僥倖である。
心からご冥福を祈りたい。
そして、その考えを学ぶ機会を与えていただいたことに感謝したい。






この本が小室直樹氏の考え方・ものの見方の勉強になる基本参考書だと思う。
(・・・それにしても、バナーを横に並べられないものだろうか・・・)

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社会学の泰斗 小室直樹氏逝く

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 ん~!!!!!
 残念だ!
 小室直樹氏が亡くなってしまった。
 惜しい。
 とても残念だ。
 77歳。
 大変な高齢だったのだなあと思う。
 日本の宝であった。
 これほどの学者は恐らく100年に一度出るか出ないか。
 たぶん100年ぐらいでは出ない。
 明治大正昭和平成を通じて、これほどの社会学者はこの人を於いて他にはいないと思う。
 「潜水艦」の中ではなく、ちゃんとした東大病院というところで亡くなったのがせめてもの救いか。
 色々手を尽くされた結果の死であろうと思う。
 (もしかすると石神井の「潜水艦」の中で亡くなった方が、在野のこの学者としては似つかわしかったのかも知れないが)
 この方の業績について語りたいことは山ほどあるが、今日はやめておく。
 稿をあらためて述べさせていただく。
 ともかく、日本の構造的な問題点をえぐりだし、白日の下に曝した功績は古今東西類を見ない。
 日本の問題点に常々警鐘を鳴らし続けてこられた。
 日本の構造的な問題点、の観点から警鐘を鳴らした人は、小室直樹氏と山本七平氏ぐらいではなかろうか。
 (ちょっと言い過ぎか)
 いずれにしろ、両者を失った我が国に、今後きちんと学問をして、それをベースにした根本的な部分から警鐘を鳴らせる人がいるのだろうか。
 それがなければ、我が国はまたぞろ第二次世界大戦と同じような愚を犯すであろう。
 それが日本の構造的な問題点なのだから。(ということを論理立てて説明される人だった)
 後進の方々、有名な方では橋爪大三郎氏や副島隆彦氏らに、是非警鐘を鳴らすお立場を取っていただきたいと思う。奇をてらうことにあまり時間を割いて欲しくない。
 また稿を改めて・・・と言いながら長くなった。
 とにかく惜しい方を亡くした。

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映画「告発」について

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 ゲイリー・オールドマンという俳優がいる。
 怪優と言ってもいいと思う。
 私にとっては、クリストファー・ウォーケンと並ぶ、外国人二大怪優の一人だ。
 この人の出演している映画はほとんど観たつもりでいた。
 が、観ていないものがあった。
 知人に勧められ「告発」というDVDを観た。
 かの有名な「アルカトラズ」という牢獄に関する映画である。
 「アルカトラズからの脱出」というのはちょっとかっこいい映画だったが、この「告発」は全然違う。
 そもそもアルカトラズには、軽犯罪で逮捕された人も含めて収監されていたようだ。
 主人公のケビン・ベーコン演ずる受刑者は、わずか5ドルの盗難罪でアルカトラズに収監されてしまった。
 その後、誰かの脱獄企図(脱獄は失敗)を手伝ったとして、3年間地下牢に閉じ込められ、真っ裸で日光も当らずまともな食糧も与えられず、時々殴る蹴るの暴行を加えられ、という獄中暴行死寸前の状態まで行って、3年後一般獄舎に移されたのもつかの間、ある囚人を食堂で殺害してしまったことから物語りは別の展開を始める。
 色々あって遂にアルカトラズは閉鎖されることになるのだが、そのきっかけになった<実話>であるというところが、この映画のインパクトを強めている点だ。
 2時間、目が釘付けになった。
 結局、ケビン・ベーコン演ずる受刑者は、無罪を勝ち取りながら、殺人を犯した事実は否めず、そのため再びアルカトラズに戻り、恐らくゲイリー・オールドマン演ずる刑務所の副所長に再びいびられ、今度は全く容赦なくいびられ、結局地下牢で死体となって発見されるに及ぶ。
 なんとも納得のいかない終わり方なのだが(そのシーンは出てこないが)、事実に基づいて作られた映画である以上、事実を歪曲してはいけないのであり、それは事実である以上、目をそむけられないことだ。
 カエサルが言っているらしい。
 「人間は自分の見たいと思う現実しか見ようとしない。」
 しかし見たいと思わない現実の方がいかに多いことか・・・。
 それを冷徹に見て、自分の目に焼きつけ、腹に落とし、咀嚼し、現実に立ち向かうというふうにしていかないと、本当の解決策は出てこないものだろうと思う。
 そんなことを考えさせられる映画だった。
 異常人格者を演じさせたらピカイチのゲイリー・オールドマン。
 ゲイリー・オールドマンの怪演を超える重厚な映画だった。

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中国経済圏に飲み込まれる日本の進む道は?

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 二十年ほど前に、故井上ひさし氏が「日本はこれからの国際社会に対応していくため、他の国々と同じように軍備を増強するのではなく、外国から頼りにされる日本にしかないものを持っていたらいいのではないか、たとえば超高度な医療技術のようなもので、外国の要人が日本に来なければその病気が治らない、となれば、誰も日本を軍事的に攻めようなどとは思わないはずであるから」という主旨の国防論を語っておられた。
 あれから二十年近く経つが、果たして日本は外国が攻めようという気持ちを萎えさせるようなものがるだろうか。(長谷川慶太郎氏によれば、アメリカの軍事衛星にも精密機器にもほとんど日本の精密部品が入っているので、アメリカは日本なしでは生きられないということではあるが)
 さて、中国経済の躍進が著しい。
 政治的にもますます発言力が増している。
 我が日本にも色々な影響が出てきている。
 半年ほど前に、金型メーカー第一位のオギハラという会社の工場の一つを中国の自動車メーカーBYD(かの世界的投資家ウォーレン・バフェット氏の会社が巨額の投資をしたことで一躍有名になった)が、買収するという驚愕のニュースが走った。
 日本の手わざ、ミクロン単位まで調整できる日本人技術者の持つ金型技術が中国資本によって買収されるということが、日本がそのアイデンティティを喪失していく第一歩と移ったからである。(と私は捉えている)
 これに対応して、経済産業省が仕掛け、企業再生支援機構の支援の下、自動車用金型の国内2位の富士テクニカ(静岡県清水町)と、同3位の宮津製作所(群馬県大泉町)が経営統合するというニュースが数日前に新聞紙上を賑わした。
 オギハラの件を含め、中国資本による日本企業の買収が急激に増加している。
 買収だけでなく、中国製品の日本への輸出も激増している。
 もちろん周知のとおり、中国経済は年率10%の高度成長を維持している。(統計の信憑性に対する疑念も多いが)
 中国から日本に来ている人の話を聞くと、いわゆる銭湯など、日本人が行ったらビックリするくらい広く、子どもたちが遊ぶ浅いプールなどの設備も整っており、しかもそういう施設が地方都市などでもあちこちにあるという。またカラオケ店なども多く、一番狭い部屋でも畳10枚以上のスペースであり、日本の、数人しか入れないような部屋もある省スペース型のカラオケ店など、広大な中国では作る必要がない、という。日本にあるもので中国にないものなど、もはやない、と誇らしげに語るのである。う~ん、悔しいけど、事実なのだろう。
 それくらい、近年の中国は経済が発展し、さらに伸びつつあるし、内需も大きくなってきているという好循環となっているようだ。もちろん不動産バブルなど、ずっと言われてきており、いつバブルの崩壊が起こるかわからないし、上述のとおり経済統計が必ずしも正確ではないので、数字の信憑性も確信できるわけではない。
 とは言え、中国製品の輸入が年々増えており、事実として日本の金型メーカー第一位の工場が買収され、IBMのパソコンは中国製品になってしまい、アフリカの携帯電話は中国の通信会社が設備を構築しサービスを提供している、中国からの観光客が激増している、等々の現実を目の前にしては、その巨大な経済がいよいよ立ち上がったと認めざるを得ない。
 しかも彼らは誇りを持って経済に取り組んでいる。
 私は思う。
 この先10年間で、日本経済は中国経済圏に飲み込まれているであろう、と。
 なんてことは、既に色々な人が本でも書いているし、色々な会社が中国に進出して生き残りをかけて取り組んでいるので、目新しいことではない。
 でも私自信はそういう実感がなかった。
 中国経済圏に日本経済が取り込まれる、または飲み込まれる、ってどういうことだろう?
 私が務めている会社が中国企業に変わる、ということである。
 あるいは、中国企業が私の務めている会社の仕事に成り代わって務め、私の務めている会社は存在意義をなくす(廃業、倒産する)、ということである。
 中国企業に代替できる仕事は、日本には会社として残らない、ということである。
 日本の会社がその役割を持たなくなると、その税金で成り立っている公務員の仕事も維持できなくなる、ということである。
 会社に資金を供給する銀行も存在意義を失う、ということである。
 ・・・そんなことを考えていくと、日本の強み(中国の人たちが叶わない強み)とは何なのか、何を持って我々日本人は国家を維持し、日本人としての誇り、独立自尊を維持していけるだろうか、と思わずにいられない。
 これは大変難しい問題だ。
 低コスト、ある程度の製品品質、という武器があればいくらでも日本の既存産業は駆逐できる。
 具体的には、汎用品の製造、農業産品、林業、加工食品、建設、流通、介護、などなど。
 対して、多少高コストであっても日本にしか作れないもの、日本にしか提供のできないサービス、日本にしか作りえないインフラなどにはどういうものがあるだろうか。
 FF0000“>医療、製薬、特殊な鋼板、酒、iPS細胞、関の刃物、観光、再利用やビルメンテナンス、精密部品、金型、エネルギー制御技術、エンターテインメント(芸能)、薄板鉄鋼、新幹線敷設と運行・制御などの一連のインフラ技術・・・。
 などなど、あるのだろうが、ちょっとうまく思いつかない。
 とにかく、こういうものをしっかり考え、対抗軸として育て、守っていかなくてはならない。
 一方で、中国語の勉強もしていかねばならない。
 中国のやる気のある人たちは、3ヶ月で日本語をマスターし、ビジネスで訪中する人や観光で訪れる人たちの対応をしているらしい。
 この気迫。実践力。
 負けてはおれない。
 また、中国の人々とビジネスコミュニケーションを進めて行くためには、かの国の思想・信条の本となる考え方も学んでおくことがベターだと思う。
 具体的には、それは儒教でも道教でもなく、法学であろうということである。
 もっと具体的には韓非子の学問(法家思想)であり、マキャベリ以上に冷徹なリアリズムなのだそうだ。
 厳しい世界になりそうだが、この国に住む者として、誇りを持って、これからまだまだ訪れる激動の変化に対応していかなければ、と思う。

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倶利伽羅不動寺の法話より

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 一昨日、倶利伽羅不動寺で聞いた住職らしき人の法話の紹介。
 「佛」という文字がある。
 通常、我々は「仏」という文字を書く。
 「にんべん」にカタカナの「ム」である。
 しかし元々は「にんべん」に「非ず」という文字であったらしい。
 ほとけとは、「人に非ず」ということらしい。
 でも、いわゆる一神教の神とは違う。
 神と違う最大の点は、人はほとけになれる、ということらしい。
 人は「神=創造主」にはなれないが、「ほとけ」にはなれる、という。
 しかし、人がなった「ほとけ」は人ではない、人ではない状態なので、「人に非ず」ということらしい。
 これ(「非」の部分)はまた、糸がごちゃごちゃ絡まった状態の中に、二本の縦の棒を差し込んで、整えた状態をも表すという。
 人はみな色々な悩み・苦しみにのたうちまわり、心も体もボロボロになる。
 ほとほと混乱した状態になって日々過ごし煩悶の中によるを迎える。
 そういった混乱した状態をうまく整えた人が「覚者=目覚めた人=ブッダ」であり、「ほとけ」となるのだそうだ。
 さらに、ブッダは、自分だけ目覚めるのではなく、他人をも目覚めさせた人のことを言うらしい。
 ジコチューではブッダにはならないのである。らしい。
 ご住職の話はまだまだ続く。
 六波羅蜜という言葉がある。
 平清盛をまつった寺は六波羅蜜寺である。
 これはもともと「6つの」「パーラミータ」という意味だそうだ。
 パーラミータの意味は失念したが、次の6つがそれに当る。
 ・布施
 ・戒律
 ・忍辱
 ・禅定
 ・精進
 ・知恵
 ということらしい。(順不同&間違いあるかも)
 これらに共通するのが、言葉だという。
 たとえば、布施と言った場合、我々は「お布施=お金」というふうに連想しがちだが、ご住職曰くは「なにもものや金だけが布施ではない。優しい心のこもった<言葉>も布施である」という。
 「戒律」は「言葉を慎む」
 「忍辱」は「言葉(の暴力)に耐える」
 など、いずれも言葉と関連したことだという。
 人間は言葉を持ち、言葉を使えるという点が、他の全ての動植物と異なる点であり、言葉をしっかり、大事に使っていかなければならない、ということをしきりに仰っていた。
 最後に、言葉で願いを考える、そして人生を変えていくことすらできるよ、というお話があった。
 有名な「心を変えると行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」という一節である。
 「心を変える」の心とは、誓願を立てるということで、これも言葉を持ってする必要がある。
 すべて、言葉の力、というわけである。
(TRICKで野際陽子さん演じる書道家=山田里美の「文字のちからっっ!!」ではないが)
 偶然「8」のつく日に訪れて、いい話を承った。
 ラッキー、である。

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