嶋中雄二さんの講演を聴いた

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 ご縁あって、三菱UFJモルガンスタンレー証券の景気循環研究所長の嶋中雄二さんの講演を聴いた。
 機会があればいつかお話を伺いたいと思っていた、憧れの人である。
 なんだか、大好きなアイドルタレントと握手するような、ワクワク感、昂揚感があった。
 嶋中雄二さんは、景気循環論についての、我が国での恐らく第一人者である。
 特に、まだ若い頃にお書きになった『太陽活動と景気』(日経ビジネス人文庫で復刻)という本に、私は感銘を受けた。
 太陽活動と景気に何らかの関係がある、ということは以前から言われており、この著書では、太陽黒点活動が、景気循環の色々な波(ジュグラー・サイクルやコンドラチェフ・サイクルなど)とほぼ軌を一にしていることを立証しておられる。太陽黒点活動の周期は吉村という先生が明らかにしたもので、吉村サイクルと呼ばれている。
 思えば、その昔、大学生の頃に出会った、大後美保さんという人の『気候と文明』という本に、既に太陽黒点活動が人間の諸活動と密接な関係があると書いてあった。
 さらに、かの〝パンツサル〟の栗本慎一郎教授が、吉村サイクルとコンドラチェフ・サイクルがほぼ一致している、ということを説いて回っていたのが今から20年ほど前。
 そんなこんなで、私のこの30年ほどというものは、太陽黒点活動にとても強く関心を持ってきた期間であった。
 そして数年前に出会ったのが、嶋中氏の『太陽活動と景気』であった。
 とても平明な書きぶりで、しかもよく先駆者たちの学説を踏まえた内容でもあり、わかりやすく、いたく感銘した。
 そんな嶋中氏の講演だったので、楽しみも楽しみ、言葉に表せないくらいワクワクしていた。
 講演の内容はここには書かないが、さすが、金融系のシンクタンクの方らしく、数字、統計、関係性を駆使して、今の世界の景気動向、今後の見立てなど、鮮やかな切り口で論説いただいた。
 少なくとも、今後1年半程度は景気が上昇するであろうとの見立て。
 大要黒点活動の話はなかったけれども、大変興味深い講演だった。

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ヒポクラテスの誓い

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 介護福祉の勉強をしていて出会った言葉<ヒポクラテスの誓い>。
 ヒポクラテス・・・言うまでもなく、医学の祖として讃えられている、ギリシャ時代の医者である。
 映画「ヒポクラテスたち」といえば、故・古尾谷雅人さんの出世作でもある。(これは本題とは関係ないが)
 その「ヒポクラテスの誓い」、本人の作ではないという説もあるそうだが、真偽のほどはともかく、内容がとても素晴しいのでここに一部を転載させていただく。
1.私は、自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
2.依頼されても人を殺す薬を与えない。
3.同様に婦人を流産させる道具を与えない。
4.生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
5.結石を切り出すことは神かけてしない。それを生業とするものに委ねる。
6.どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
7.医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。

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昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」についての随想

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 NHKの大河ドラマについての投稿を何度かしたこともあってか、ある友人から「去年の大河ドラマはどうだった?」と聞かれた。
 視聴率が低かった原因として巷間言われていることの説明をしたが、ではなぜ自分は見続けているのか(まだ最後の4、5回分は録画状態で見ていない)、どこが良かったのかというと、確かに「良かった」理由は思いつかなかった。単純に平清盛が好きだということが一番の理由だが、松山ケンイチという期待の若手俳優が大役にチャレンジしたことへの敬意、私が一番最初に見た大河ドラマが新平家物語(仲代達也さん主演)であり、追体験を求める気持ちなどもあったのかも知れない。
 で、このドラマは一体なんだったのか、という問いをあらためて自分に問いかけてみると、どうやら伊藤四郎さん演じた白河上皇の皇胤との噂のある清盛が、この世の頂に立った後は、結局改革ではなく白河上皇と同じようにわがまま放題・好き勝手なことをしてしまう「人間のさが」を表現したかったのかな、という点と、晩年の清盛のマネジメントは大失敗(武士の世を作ると言いながら、平家の世にしてしまい、世の反感を買ってしまった)であったということを言いたかったのかな、という気がする。
 なにせ長男を憤死・悶死させ、奥さんは孫を抱いて海に飛び込んで自殺せざるを得ない状態に追い込んでしまったのだから、これほどの家族経営ミスはない。なにが大政治家か、と思うのだが、それでも彼の若き日の高邁な理想、日本列島大改造計画、宋との貿易で国を富ませ民を豊かにという熱き思い、そしてそれに向けたまっしぐらな行動があったがために、制度疲労の貴族政治に巨大な風穴を開け、新しい世を切り拓くことにつながったのであり、その功績は日本史に大きく刻まれるのは間違いないと思う。
 「おごる平氏」と言われる。本当かな?と思う。テレビでは宗盛あたりが仕事もせずに昼まっから酒をかっくらい、源頼政の長男の馬を横取りするなどの悪行狼藉の姿が描かれていた。清盛も本能の赴くままに目をつけた女性を(こちらも昼まっから)閨に連れ込んだりしている。負けて滅んだ者には抗弁のしようがない。どこまでが本当でどこからが勝者による脚色かわからない。
 何がしかの事実はあったのだろう。しかし全てを鵜呑みにはできないという批評眼は持っておきたい。彼が本当に「武士の世」を作りたかったのなら、頼朝や義経を任用して武士の挙党一致体制を組めば(源頼政だけ昇進させるのではなく)、平家があんなにあっけなく滅びることもなかったかも知れない。(その点家康は巧妙だよなあ・・・。)しかしそれは歴史のイフであり、繰言はやめましょう。
 ということで、残りの数話を見つつ、八重桜ちゃんも平行して見ていこうと思います。

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数年で日本の製造業は国際的に弱体化するという予測について

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 ある業界紙からの引用。重要な指摘だと感じたので発信させていただく。
 BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)シカゴのハル・サーキンという人物のコメント。
 「中国の賃金は毎年15~20%上昇しており、2015年には生産性や労働の中身の差を加味すると米国の労働コストの90%に達する。」
 「シェールガスの登場で米国の電力コストは日本の40~50%。」(米国では電力の安定供給に問題があるため、各家庭などに非常用電源装置=いわゆるUPTが備えてあるような話には触れられていないが)
 「2015年には多くの製品分野で米国の製造コストが日本よりも20%位安くなる。」
 特にこの最後の予測(製造コストが日本より20%安くなる)が衝撃的である。
 これは日本の製造業の国際競争力が、折角円高の補正があって円安方向に触れつつあって輸出が戻るかなと言われているのに、コスト高という要因でまた輸出が落ち込む恐れが大きいということを意味している。
 つまり、地力としての競争力があると言われている日本の製造業にとって、立ち直り難い問題を突きつける予測である。
 これに立ち向かうには、製造コストを根本的に下げる革新が必要である。
 たとえば日本近海で採れるメタンハイドレードの産業利用を本格化してエネルギーコストを根本的に下げるとか、既にNTTで40~50代社員の賃下げの記事などが出ている(目的は本件とは異なる)が、それに倣い1~2割の賃下げをするとか、産業面での大きな減税をするとか、頭のいい人たちが沢山いるのだから、色々な方策を考えて早急に着手すべきかも知れない。

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怒ることは時として必要ですが、恨むのはよした方がいいよ、という老子のお話し

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 書店で立ち読みをする。
 時々いい文句に出会う。
 過日、妻との買い物の途中に時間調整で入ったある書店。
 文庫本コーナーにあった「老子」についての本。
 老子は岩波文庫その他多くの本が出ている。
 最近では加島祥造さんという方の老子の本がヒットしたのが記憶に新しい。
 さて件の老子本。
 書名は失念したが、いいことが書いてあったので控えておく。
 『老子』第六十三章より。
 「怨みに報ゆるに徳を以ってす。」
 世の中には腹の立ったことについていつまでも恨みに思い続ける人がいるが、仕返しは仕返しで仕返される。仕返しと恨みが増幅されていく。実につまらないことだと思う。
 相手の人にしても、必ずしも悪気があってやった、というわけではない場合もある。
 「確信犯」の場合もあるが、それにしても(もちろん、法的に問題がある行為は当然法廷の場できちんと裁きを下すべきであり、ここではそういうことを論じているわけではありません)
 何かの出来事があって腹が立ったとしても、それを恨みに思う気持ちを少し薄め、徳を加えてお返しすれば、相手が自分の軽率な行為の過ちに気づくこともあれば、またこちらに対して好意を抱いたり、感謝をしたり、・・・そうしてその気持ちが次の好意的な働きかけにつながっていく。
 もしも全くこちらの加徳に気が付かなくてもそんなことは構わない。期待して徳を加えるのではなく、それが自然の動作になっておればなんら気にすることもない。
 しかし少しずつ、毎度毎度徳を加えてお返しをしていけば、積もり積もって、いつかは相手の人が気づくこともある。何度も言うが、それを期待して、金品や行為のお返しがあることを望むのではない。「無償の愛」といってはあまりに大袈裟だが、人間関係の好循環を生み出すちょっとの工夫だと思えばいいのではないだろうか。
 そういうことをお互いが心がければ、職場や家庭やコミュニティで、人間関係のいざこざが長続きすることはない。
 老子はいい。

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企業の持つべき道徳について考える

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 「企業倫理」ということが一時期言われた。
 今は「コンプライアンス」という言い方がポピュラーだが、現実の企業で、人としての清さ、正しさ、美しさが価値観の底流にあるとは、どうも思い難い今日この頃である。
 四半期決算が本格的に導入された結果、あるいは日次管理でPDCAを回すようになった結果、企業はどんどん短期利益を追うようになり、そういう傾向が強まっているように感じる。
 企業を構成しているのは、資本だとか土地だとか労働だとか、いわゆる生産の三要素などと言われており、それらがうまくかみ合って高い生産性や財やサービスを生み出すのだろうが、結局のところ、人がいてはじめて色んなことが成り立ち、提供されるわけで、人があっちを向いていてはうまく行っているものもいずれガラガラと音を立てて崩壊する。
 となれば、やはり、企業を構成する人の道徳心、公正心、公共心、などが利潤追求以上に重要なのではないだろうか。ドラッカーは企業の使命は「市場を作ること」と言っている。利益を生むこと、とは言っていないのである。もちろん企業を生かし続けるために利益はなくてはならない。
 次の財やサービスを還元すべき善の循環をしていくために、適正な利益は必要だし、正しいことをして適正な利益を生まない企業は退場してもらわなければならない。(公共の福祉のための政府の事業は一律には論じられないが)
 ではあるが、利益そのものだけを追求するのは本末転倒である。
 社会に有用かどうか、ということがその大前提にあり、有用なれば利益を得て当然、その利益をまた次の剤やサービスの提供につなげ、またやる気を出すためのエネルギーにもなる。
 社会に有用な企業を構成するのは、社会に有用だと信じ、社会に有用な行動をする構成員、つまり人である。
 企業を構成する「人」が社会に有用であり、社会に反しない行動をすることが企業の存立の大前提である。
 それらを総称して、ここでは「企業道徳」という言葉を使いたい。
 別に目新しいことではない。
 道徳と利潤追求は相反しない。
 マックス・ウェーバーも言っていることだし、鈴木正三も言っている。
 ことさらに、今頃改めて「企業倫理」「コンプライアンス」などというから肩肘張って研修だとかなんだとか言い始めてしまっているが、ことの本質は私たちが小学校で習った道徳の授業での内容で十分なのである。
 人として当たり前の考え方、当たり前の行動、これを愚直に実行していくことが企業にとっても求められるのではなかろうか。
 最近はそういうふうに思う。
 かっこつけた言い方ではなく「企業道徳」に真剣に取り組むべき時期ではなかろうか。

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休耕田について思う

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 ある友人が語っていた減反ばなしからの連想。
 最近の減反・・・長ネギやら小麦やら大豆畑に転作されている元・田んぼ。稲穂の波を見ながら育った我々にとっては寂しく悲しい光景である。
 ただ、それはノスタルジックな意味だけではなく、それ以上に「今」の問題として気になっている。
 田んぼ→荒れ地(として放置)→人の気持ちや心への影響(心のすさみ)や地力の萎縮。
 私たちが暮らしている土地の自然環境が人の心に影響しないはずはない。
 私たちの心に少しでも豊かな影響があたわるように、休耕田をほっぱっておかない方が良いはずである。
 また、日本の国土、土や自然や生態系が、農耕の仕組みによって今の状態が維持されているのであり、「田んぼシステム」は、少しでも維持をすべきだと思う。
 私のような「農業部外者」がわかったようなことを言っちゃだめなんだろうけど、そういう歯がゆい気持ちがある。
 みずほの国、日本の元気は農耕の復活復権からではなかろうか、と思う。

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時間の使い方、使われ方

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 昨年の暮れから、休日は早朝ウォーキングをすることを心がけているのだが、実際には「早朝」になっていない。
 ここでいう早朝とは、太陽が上るか上らないかぐらいの時間帯であり、この夏の季節なら、5時台が最低線だろうと思う。
 さてうまく時間が使えていない原因について考えた。
 恐らく、目覚めから実際に起きるまでの時間をだらだらしていて、今日でも5時過ぎに目は覚ましたものの、歩き始めは6時、帰って来てシャワーだ朝ごはんだ新聞だとやっているうちにもう8時・・・つまり、想定している時間配分と、実際の自分の行動が合っていないこと、だと思い至った。
 そこで、ドラッカーさんに習い、目覚めてから今まで何をしたか、時間に沿って細かに書き出して見た。
 5:11 目覚め・・・そこからしばらくは起きられず再眠したりゴロゴロしたり。
 5:30 離床。歯磨き、洗顔、リアップ塗布
    真向法体操
 6:00 ウォーキング開始(雨中傘差しにて)
 6:35 帰宅、シャワー
 6:50 朝食、新聞見ながら
 7:05 トイレ
 7:10 妻と会話
 7:20 長男と会話
 7:25 ネットで調べもの、facebookのチェック
 8:00 試験勉強開始
 ということで、目が覚めてから離床までの20分弱というものは、無駄な時間であるが、それ以外は、つまり起きてしまえば、それほど無駄なことをしているわけではない、というのがわかる。
 けれど、色んなことに、それなりに時間というものはかかってしまう、ということがわかった。
 はじめから「それ」だけをできればいいのだが、たとえば朝起きて顔を洗うだけでも数分はかかるのであり、その時間は予定の時間にオンしなければならないという当たり前のことに気が付いた。
 この時間のかかり方を参考に、今後予定を立てる場合には、それを踏まえ、スタート時間をもう少し早めることで、一日の時間がさらに心地よく使えるのではないかと思う。

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徳川家康の深い言葉

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 徳川家康の言葉だそうです。
 滅びる原因は、自らの内にある。
 重荷が人をつくる。身軽足軽では人は出来ぬ。
 世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。
 大事を成し遂げようとする者は、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。
 最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。
カーネギーや中国古典や最近流行の成功本などにも共通して書いてあるような、人間と人生に精通した人だからこそ言える、深遠な言葉だと思います。

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今年は資格試験オンパレードの年

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 今度の日曜を皮切りに、9月までの間に4つの資格試験を受けなければならない。
 しかも「受からなければ」ならない。
 既に4月には「システム監査技術者」という難関の試験にチャレンジした。これは大変な試験だった。勉強不足を痛感した一日だった。過去のトライの結果はともかく、今後の4つの試験は受からなくてはならない。
 まず今度の日曜に受けるのは「医療経営士3級」というもので、いわゆるコンサル的な資格だ。
 コンサル的な資格は色々応用も効くと思うし、学習していて楽しい。
 しかし、その後の3連発は「証券外務員」(二種、一種、内部監査員)という営業的な資格である。
 しかも必ずしも好んで受けるわけではないので、幾分「行(ぎょう)」のように受け止めている。
 受験勉強中は、好きなこと・やりたいことは最小限にしなければ合格はおぼつかない。
 既に3月頃からそれでなくともストイックな日々がずっと続いている。
 とはいえ、今年のように沢山受験する機会がある年はそうそうないだろう。
 この受験受験の一年、そして学びとして与えられていること自体も、何者かのお導きであろう。
 そう観じ、学べることを楽しんで参ろうと思う。
(心の底では、もうちょっと好きな本を読んだり人と会ったりしたいのになあと叫んでいる自分がいるにはいるが・・・)

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