塩野七生さんの『ローマ人の物語』。
文庫本でちまちまと読ませていただいている。
高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』という素晴らしい本がある。
それと比較をするのは適切ではないと思う。
なぜならば、それぞれ、範囲もボリュームも著者の専門領域も異なるし、さらには著者の関心のありかすら別である可能性があるからだ。
ではあるが、高坂氏の本と「同じくらい」素晴らしいと思って読んでいる。
現在ようやく「悪名高き皇帝たち」を読み終えたところだ。
オクタビアヌスの後のティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロという4人の皇帝をめぐる物語である。
カリグラやネロは若くして権力者になってしまい、それが元でものごとがよく見えなかったのではないか、という気がする。
治める、ということは、自分が好きにする、ということではなく、人々がいかに満足を得られるような演出をするか、ということかも知れないなとこの巻を読んで思った。
そういう演出を政治というのかも知れず、そうなると若さというのは、熱狂で人々から迎えられていい調子になっているときはいいが、ひとたび世の中の調子がおかしくなると、どういう方向に持っていくべきかとか、一時的にみんなの不満をそらすためにどういう手を打っておいたらいいかとか、誰を取り組みのリーダーにすべきかというような調整的な能力が必要で、それは若い君主にはなかなか求めることが困難なのではないかなと思う。
明確な意思があって、それをやり続ける意思があって、実行できる体力と脳みそがある。そして人々をして主役だと思わせるような演出ができる。
これが世の中を引っ張っていき、かつ人々から慕われながら仕事をしていくリーダーに求められる条件ではなかろうか。
思慮の浅さ、という点では、いくつかの善政もしたのだろうけれども、やはりカリグラやネロに及第点は与えられないだろう。
そんなことを思った。
「読んだ本」カテゴリーアーカイブ
大前研一の本を読んで
大前研一の『50代からの選択―ビジネスマンは人生の後半にどう備えるべきか』 (集英社文庫)という本を立ち読みでパラパラと読んだ。
その中に、50代からの人生は40代後半で考え、準備していかなくてはならないという主旨のことが書いてあった。
私も今46歳。
このままあと4年が経過すれば給与はいやでも3割カットとなる。これは、そういう会社の制度なのでしょうがない。
そうして54歳ぐらいで肩を叩かれ、関連会社に行き、今よりも割に合わない仕事をテクテクと続けるか、まだ売れる可能性のある今この時期に自分の力を信じて新たな世界に飛び出していくか、大前研一の本を読むと、今だからこそできることをすべきではないか、60代になってから何かを継続しようと思っても、大概は何もできないと書かれてあった。
確かにそうだろうな。
何かひとつのことを成し遂げるとしても、60歳からではちょっと遅すぎるような気がする。やはり50代でのスタートだろう。そのためには40代からスタートを切っておかなくては間に合わない。今が旬だ、今がチャンスだ、と自分に言い聞かせている。
勝間和代さんの本
勝間和代さんという人の本がいくつもベストセラーになっている。
昨年暮れに『効率が10倍アップする新・知的生産術』という本を買った。
時間のあるときにパラパラめくっており、あちこち感銘だらけで、大した人だよこの人は、と思っている。
慶応大学に行き、19歳で公認会計士、24歳で中小企業診断士など、学歴・資格取得歴自体が天才的なものであり、頭脳の出来が余人とは異なると思うが、真似てできることはやってみたい。
その中の一つに、軽量なノートパソコンの保有・活用というのがある。
ノートパソコンを持ち歩いてどこででも知的活動、なんてそうそうできるものではないが、とにかく真似てみることにした。
彼女のようにPanasonicのレッツノートというわけにはいかないが、なんとか予算を工面して、サードパーティーの注文生産のノート型を注文した。重さは1.9Kg、画面は12.1インチでCPUは2G、ハードディスクは80Gで、一応DVDドライブがついており、OSはXPのホームエディションである。インターネットエクスプローラーも搭載しているらしいので、ソフトはメーラーもオフィス系ソフトも無料ソフトをダウンロードしたり、Googleを活用すれば、メールやオフィス系もなくてもいいくらいだ。
持ち歩きパソコンでの生活、が実現するかどうかはわからないが、机の上の動きが悪いデスクトップは使い道を制限して、これからはノートでやっていこうと思う。
入手は1週間後ぐらいかな。
どんどん知的生産性を高めていこう。