高岡市金屋町でのひと時「民家ホテル 金ノ三寸」

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先日、早朝からの仕事に備え、同じ県内ではありましたが、高岡市に前入りしました。かねてより友人が経営している「民家ホテル」に関心があり、泊めさせていただきました。「民家ホテル 金ノ三寸(かねのさんずん、と読みます)」は、京の町屋のような建物が二棟あり、それぞれ、最大で8人まで泊れる大きい建物と4人が上限の中くらいの建物が並んでいます。

私は向かって右側の4人用の方を予約し泊めさせていただきました。建物は2階建てで、すっかりリノベーションされており、京の町屋のような風情がありました。デザイナーのセンスの高さがうかがい知れます。

「金ノ三寸」というネーミングは、実は鋳型の「鋳」を崩したものらしく、この辺りは金屋町といって、江戸開幕の頃にこの地を治めていた前田家が7人の鋳物師を招き高岡を銅器などを含む鋳物の町にした中心的な場所だったようで、今も多くの鋳物師や鋳物の前後の工程を担う様々な技能士の方々がいらっしゃるとのことです。彼らの技術は、奈良・法隆寺の国宝・釈迦三尊像の再現や奈良・薬師寺の国宝・東塔相輪構成金具の修復など、国の大事な宝を維持・復元することなどに大きな貢献をしているそうです。1000年以上も前の宝物を復元するためには、構成部品を一つひとつ丁寧に点検していかなければならず、ばらす作業も当然必要なのだろうと思います。鋳の文字をばらしたのも、そういう古きをたずねて新しきを知るという心意気なのかも知れないなあと勝手に想像しつつゆるやかな時間をすごさせていただきました。https://kanenosanzun.jp/

夕食後は、これまた友人が経営している末広町のバー「flower bar hanakotobar」で一杯。高岡駅を背に市電通り沿いにあるお店です。オープンから一年が経過し、マスターも元気な様子で接客してくれました。バーボンの後は、食用花の乗った美味しいカクテルも振舞ってもらいました。有難いことでした。https://hanakotobar.studio.site/

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森本真樹さん著『躍動するアフリカ』

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地元の図書館に行ったら<新刊>というコーナーで目に入りました。早速借りてきて一読しました。著者や外交官で3度のアフリカ勤務をなさった方で、現在はエチオピアにあるAUの事務局で働いておられるとか。この方が2008年に当時のエチオピアのメレス首相から、日本には日本にしかできないことをやって欲しい、働く人を指導する指導者の教育である、との依頼を受け、カイゼンを通じた労働教育のプロジェクトを提供したということが書いてありました。ちなみにメレス首相曰く「普通の道路、橋やダムの建設なら、欧州や中国に依頼すれば良い」「規範を書くのは、欧州の人が得意」という風に、日本に依頼することと、欧州や中国に依頼することを区別していたようです。「重要なのは労働倫理です。これは日本が最も得意とする分野であり、日本人にしかできないもの」と仰っていたそうです。

時々知人たちと「日本人の良い所はどこだろうか?」という話題になることがあります。内省的? 思いやり? おだやか? 話し合いでものごとを決めようとする姿勢? どれも合ってるような感じはしますが、それらと逆の出来事にもしばしばお目にかかります。上の人の言うことに素直に従う従順さ・おとなしさ・・・悪く言えば隷従ということにもなりかねず、そういう労働者になるように仕立ててくれ、というのが本音の要請だったとしたら、それはそれで本質を突いていたのかも知れませんが、森本外交官たちが提案し導入したものがカイゼンであったということです。まず、仕事が終わったらきれいに片づける、ということから始めたということですし、カイゼンの本質は、自主性・自発性・チームワークといったボトムアップの取組のはずですから、自由の尊重や多様性重視や相互リスペクトといった価値観も5つのSなどと一緒に伝えられたのではないかと思います。

面白いなと思ったのは日本の蚊取り線香が現地の蚊にも結構効くので、そのおかげでマラリアの感染抑制にも効果があるとの記述でした。蚊取り線香の材料となっている除虫菊はケニアやタンザニア産らしいので、アフリカからすれば逆輸入なんでしょうか。現地で生産できればいいのかも知れません(日本にとっては加工賃が入らなくなるので良くないのかも知れませんが)。

また「アフリカでは、老人が一人亡くなることは、図書館が一つなくなるのとおなじことであると言われる」との記述もありました。老人=先輩は智恵の宝庫。ものの見方、経験、考えて来られたことなど、先輩たちから学ぶことは沢山あります。もうちょっと先輩たちを大事にしなきゃ、と反省。

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東京の電車内の中吊り広告のこと(地元の方はとっくにご存知なのでしょうけど)

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先日所用で上京しました。その際、井の頭線と都電(山手線)に乗りましたが、何気なく中吊り広告に目をやると、たまたまその時だけだったのかどうかわかりませんが、以前だったらとても色々な広告があったのが、まるっきり様変わりしており、ビックリしました。

具体的には、井の頭線では吊り棒(正しい名称がわかりませんが、要は広告の紙の上辺をクリップで挟んでいる二枚の棒?細い板?です)に「片面だけ」のもの、本来なら2枚×2枚の4枚(裏表)でワンセットなのに「1枚しかないもの」というぐらいに吊るして宣伝すべきものがない状態でした。

都電については、車両の中の大半が「SUICA」関連のもの。SUICAでこんな周辺サービスが受けられますよといったようなものであり、SUICAそのものの宣伝ではないというものの、要はJRと関連した広告であり、全くの第三者が広告主ではないというものだと私の目には映りました。

一方で車両側面吊り革上の動画広告は5秒おきでどんどん入れ替わり、繰り返し繰り返し激しい光が明滅していました。映像の切り替わりが早いためにずっと見ていることができません。こりゃあ都会の人でも見る気にはならないのではなかろうかと思うくらいの単調なメッセージの繰り返しでした。

中吊り広告が広告市場として魅力的なものではなくなってきた、ということなのかな?という仮説を持ちました。乗った曜日や時間帯がたまたま入替の時間帯だったから少なかったのかも知れませんが、これだけSNSやターゲット広告が花盛りになってきている現状からして、中吊り広告に頼る意味合いが極めて薄いものになったのかも知れませんね。

それはそれとして、この3年あまり、公共放送のテレビニュースを見ると、コロナの新規陽性者数などコロナ関連の報道があるたびに映し出されていたのが東京渋谷のスクランブル交差点の人出の様子でした。曰く「今の渋谷スクランブル・・・このように人出はほとんどありません」「以前から見ると少し賑わいが戻ったような週末です」といった感じで毎度毎度スクランブルの映像が流されていました。その際、必ず目に入ったのが、正面にデンと座った「大盛堂書店」の看板でした。ずっと気になっていましたが、今回の上京の折を利用して入口をくぐってみました。それほど大きな書店ではないものの、地下・1F・2Fの3フロアで書籍販売を行っておられました。もしかすると、コロナ前は3F以上もあったのかも知れませんが、今回お邪魔した時は3F以上は立入禁止となっていました。東京のど真ん中で、この人出の少ない時もしっかり店を守ってこられたことに敬意を表し、文庫本2冊を買い求めました。経営にはなんの足しにもならないかも知れませんが、ほんの応援の気持ちを表しました。それにしてもこの時のスクランブル交差点は大変な賑わいでした。それも若い人・外国人などなど。信号が変わるたびに新しい顔ぶれがどっと対岸に繰り出し、赤信号の間にどんどん溜まって歩道が人であふれ、青信号になるとまたそれらの人が吐き出されて、の繰り返し。東京は賑やかでした。

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村上龍さん『希望の国のエクソダス』

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西暦2000年に刊行された村上龍さんの『希望の国のエクソダス』を読みました。
最近「日本を脱出せよ」といった言説がちらほら聞こえてきており、これがその嚆矢となるような小説だと誰かが言っていたことがきっかけです。
内容は日本そのものを脱出するものではないので上記のこととは全くのイコールではないものの、現在の体制から抜け出して自分たちの才覚で、ある種独立的な自治体を作り上げていくものであり、その意味では「脱出」に通ずるものがあるようにも思います。

村上さん曰く「人材の国外流出が本格的に始まってしまったら、たぶんこの国の繁栄の歴史が本当に終わるだろう」(文庫p101)。

村上龍『希望の国のエクソダス』

まだ仮装通貨の片鱗も見えてない時代に「イクス」という仮装通貨的なパワーを持つ「地域通貨」を登場させてみたり、坂本龍一さん(音楽家、2023年3月逝去)を風力発電所のブレードで音楽を奏でるための実験をさせたり(実際にそのようなことがあったかどうかは確認していませんが、唯一実在の人物が実名で登場しているくだりです。p385)、実験的な小説にしては今日の日本を見通したような、近未来社会経済小説と呼んでも良いような感じがします。

他にも「日本経済はまるでゆっくりと死んでいく患者のように力を失い続けてきたが、根本的な原因の究明は行われず、面倒な問題は先送りにされた」(p16)、「これまで通りのやり方で何とかなるだろうと思っていたのだ。メディアは、危機へのそういう曖昧な対処に加担していた。本質を見なくてもすむような有名人のゴシップや社会事件を(中略)興味本位に報道した。」(p17)、「過去の日本を歴史的に美化するような動きも目立った。」(p17)といった20年後の今のことかと思うような主人公の独白もありました。

冒頭登場するナマムギ君はパキスタンとアフガニスタンの国境付近で地雷処理をしながら、なぜ日本を離れてここにいるのかという記者の質問に対して「あの国には何もない、もはや死んだ国だ」と語り、さらに「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある、われわれには敵はいるが、いじめるものやいじめられるものがいない」(p12)と人と人との間で生きるとはどういうことなのか(敵と戦うことを是とする気持ちはありません)を端的に語っているように思います。

小松左京さんが『日本沈没』を書きましたが、科学的な知見(ウェゲナーの大陸移動説や日本海溝の深さとマントルの移動など)を下地にしつつ、小松左京さんが伝えたかったことは、戦後も戦前と日本人の閉鎖性は変わっていない、この辺で国際人にならなければ大変なことになる、そのためには一回日本がなくなったらどうなるかという思考実験をしてみることで、目を開くきっかけになりはしないか、といったようなことを考えてあの小説をお書きになったということをどこかで読みました。
実は村上龍さんも同じような思いを抱いてこの小説を書いたのではないかと感じたのがつぎのくだりです。「日本人みんなが、何か共通なイメージっていうか、お互いに、あらかじめ分かり合えることだけを、仲間内の言葉づかいでずっと話してきたってことなんじゃないかな。その国の社会的なシステムが機能しなくなるってことは、その国の言葉づかいも現実に対応できなくなる。」(p122)ということを主人公の交際相手の経済記者に語らせています。

これからの時代、若い人が地方から東京へ、東京からオーストラリアなどの海外へ、集団脱出するような日本にならないよう「希望」が持てる国であり続けるにはどうしたら良いか。まずは私たち大人が楽しく、誠実に、正直に(嘘をつかず)、明日に希望を持って生きていくことが必須だと思います。ポンちゃん(主要登場人物の一人、中学生)が国会の証人喚問で語るセリフ「この国には難でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」・・・こんなことを若い人に言わせない社会にしなければ。外国から日本を訪れる人たちが、日本は観光だけでなく働いてスキルを身につける上でもとても良い国だ、と言われるような国にしていかなければと思います。

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「価値観」の力

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ある仕事で、企業の経営者の相談相手として伴走的に関わるということをしています。「経営力再構築の支援」というような言い方がなされている業務です。「経営力再構築」とはどういう状態からどういう状態になることを指すのか、あまり明確な定義があるわけではないようですが、経営者がこれまで気づかなかった会社内の問題やなるべく考えないようにしていた問題などに、経営者が目を向け主体的に解決に取り組むことを目指しているようです。

その仕事を始めて約一年が経過しますが、いくつかの企業と取り組んでいる中で、「価値観教育」と「組織力強化」がとても大事であり、かつこれらの企業に共通した課題だなと最近感じています。そのうち「組織力強化」は組織の中間にいる人たちのマネジメント行動(もちろん「考え方」が前提として必要です)ができるようになることです。「価値観教育」については、社員が10名ぐらいの間は、大抵の場合は社長と社員がいつも同じ釜の飯を食べるといった、物理的にも心理的にも近い間柄のため、ことあらためて価値観を合わせるようなことは必要ないのですが、規模が大きくなって行ったり、中途入社の人が増えて行ったりすると、徐々に社長の思いや大事にしていることや行動基準のようなものが伝わりにくくなっていきます。そのうち組織の崩壊、なんてことにもなりかねません。

成長を志向し、組織力を強化していこうという企業にとっては、価値観をどうしていくかということが大きな課題になるようです。そんなことを感じながら、ハーバードビジネスレビューの2023年4月号「価値観」特集を読みました。

価値観という言葉の定義や、パーパス、企業理念、ミッション、ビジョン、バリュー、経営方針、行動指針など、企業の方針的なことを表す言葉は沢山あり、何が上位概念で何が下位概念かといったことも、言う人によって一様ではありません。この本では、コーポレートバリューという考え方を提唱しています。コーポレートバリューは、①企業が最終的な到達を目指す地点と、②企業および企業の構成員の心構え、の2つの要素で構成される、とのことです。①をパーパス或いはミッションと呼び、②をバリューと呼んでいます。パーパスは社会課題などを背景として自社が社会で果たすべき役割や社会に提供したい価値であり、企業が存続する限り追い求める高邁な理想、内発的に形成されるもの(但し、経営者の独りよがりの「やりたいこと」とは少し違う)であり、多様な人材が一つの組織に集まって協働する理由であり、バリューは、目指す地点(①)にどのように向かうかを規定するものであり、「心構え」だとあります。

目指す方向がずれている人、企業が望むような行動様式が取れない人、をどうするか、といった問題も発生しています。価値観の合わない人、というのが従来の言い方になるかも知れません。ここでは価値観=目標=ゴール(=パーパスやミッション+バリュー)という言い方なので、「目指す方向」というのがが近いように思いますが。そこを目指そうとせず、そのための「心構え」(お客様からの様々な刺激に対してどう反応・行動するかといった従業員に共通的に心得ておいてもらいたい行動の基準みたいなもの)が他の人と異なる場合は、どうするのか。価値観の合わない人は出て行ってもらう、というような簡単なわけにはいきにくい時代になっています。人手不足の問題もありますが、多様性がイノベーションを生む土壌であるということを考えると、そのような人をどうやって包摂していくのか、という難しい課題にも対応していくことがこれからは必要かも知れません。見ないふりをするのではなく、かといって退場してもらうのでもなく、しかし社内での他の従業員との軋轢を放置せず、いかに包摂して自社のパワーを高めていくか。難儀ですがこれからの企業にとって取り組む必要のある課題ではないかなと感じています。

さて、この冊子には、コーポレートバリューを組織内にうまく浸透させることがとても大事であるということや、そのための方法論なども書いてあり、ここでは省略しますが、実務の中でも参考にしていきたいと思っています。

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年齢と仕事

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先日、手塚治虫さんが60歳で亡くなったということが、ある新聞に書いてありました。亡くなった時のニュースには接していたので、何歳で亡くなったかはその時に知っていたはずであり、本来驚くことではないはずなのですが、自分の年齢が亡くなった時の手塚治虫さんの年齢を超えてしまっていること、また年齢が超えているにもかかわらず今も子どものような気持ちで手塚治虫さんが描いたマンガを面白いと感じて読むことがあること、さらには漫画家とコンサルタントの仕事は比ぶべくもないはずなのですが手塚治虫さんがなされた仕事の万分の一もなしていないまま手塚治虫さんの年齢を超えてしまっているという事実に愕然としてしまいました。

手塚治虫さんはわずか60年の人生でいかに多くの作品を作り多くの人に影響を与えたことか。人間60年あれば凄いことができる、と思うとともに、60年を超えて過ごしてきた自分自身は、さてこれからどうしていくべきかという思いになりました。

考えてみれば、昭和から平成に移る時期に、手塚治虫さんだけでなく、美空ひばりさん(享年52歳)、西堀栄三郎さん(享年86歳)、松下幸之助さん(享年94歳)、松田優作さん(享年40歳)、開高健さん(享年58歳)、田川水泡さん(享年90歳)などです。石原裕次郎さんはもう少し早くに昭和62年に52歳で亡くなっていますが、昭和を彩る方々が相次いで亡くなったなあと当時は感じていました。

それはさておき、人の年齢と仕事ということを考えると、伊能忠敬さんのことに思いが至ります。伊能忠敬さんは49歳で隠居し50歳で自分よりも随分若い天文学者に弟子入りし55歳頃から70歳頃に至る15年間をかけて日本国中を歩き回って日本地図を作り上げた方ですが、この方のことを思うと、仕事するのに年齢がどうのこうのということはあまり関係ないのだろうなあと感じます。他にも高齢になってから世の中の役に立つ仕事をした人は大勢います。そんなことを思うと、改めて、今生きていることに感謝しつつ、大きなことか小さなことかには関係なく、組織とチームとそこで働く人たちの活力が高まるよう支援していこうと思うこの頃です。

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今年の目標の整理

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例年年明け早々に目標設定などの一連の作業をしていますが、今年はかなり遅れてこの時期になりました。目標設定においては、これまで読んだ色々な本や会社員時代に学んだことなどを総合していくつかのシートを使ってやっています。

その一つが「マンダラ目標設定&時間管理シート」です。目標はマンダラ状の9マスの真ん中のマスに「今年の目標」を10個程度書けるようにしてあり、それを取り囲む8つのマスには自分が大切だと思う分野を書き、その8つそれぞれにおいても目標を10個程度ずつ書けるようにしてあります。

私の場合は「仕事」「勉強」「家庭」「外部交流・社会貢献」「健康」「余暇」「経済」「スキルアップ(付加価値)」の8つを配しています。「仕事」と「勉強」と「スキルアップ」は同じように感じるかも知れません。たぶん同じカテゴリーでしょうね。人によっては「外部交流(友人や知人との交流)」と「社会貢献」を分けた方が納得感があると思いますし、目標を分類する場合にはそのようにするやり方を勧めている本もあります。

まあ要は自分が書きやすいように分類すれば良いのではないかと思いますが、社会との関りに関することはあった方が良いのではないかと考えています。マンダラマトリックスの右側は一日の標準的な時間割りを書き、その下にはコメントを簡記できる欄を作ってあります。右端1/3程度の所は、縦軸に日を入れ、横軸はマンダラで分類した各項目が配してあります。例えば4月1日に仕事に何時間使い、勉強を何時間やって、家族に関する時間をどれだけ使ったかを書き込むための欄があります。エクセルで作っているので、月の途中でも各分類項目のためにどれだけの時間を使っているか、仕事ばかりに偏っていないか家族のための時間がほぼゼロではないか、などの点検もできます。自分が目標とする理想的な時間配分を表の最下部に入れておくことで、目標と現状がいつでも比較できるようにしてあります。(実際にはこの表はほとんど使っていませんが)

今年は「週1回以上ブログを書く」ことや「よろず支援拠点で行っているノウハウを整理する」こと、「1日1万歩以上を週1回以上実施」などの新しい目標もお目見えしました。4月も中盤に差し掛かって来ましたので、活動的に取り組んでいきます。

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アドバイスという名の自慢話~中野信子さんの『脳の闇』より

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「アドバイスという名の自慢話」・・・やりがちです。それも無意識に。新聞に出ていたこの項目を見て書店に走りました。昨日の日経新聞の記事下広告。中野信子さんの『脳の闇』です。
曰く「一人では解決できない感情に対して安易にアドバイスを与えるという行為がどれほどその人をがっかりさせてしまうことか。」「お勉強がよくできた人ほど、また、承認欲求が満たされていない人ほど」「自分が問題を解いてあげなければ、という課題に一直線に向かっていってしまう」
近く予定しているある研修に必須の戒めが書いてありました。その職場ではお客様を承認欲求の対象にしてはならないことをお伝えしようと思いますが、私自身心せねばと改めて思っています。

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『社員30名の壁超え3つのステップ』

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経営支援の場面では、個人の方の創業からある程度の規模の企業の経営改善や今後の成長課題に関するこtなど、様々な悩みや課題に直面します。この本は、社長のリーダーシップで成長してきた企業が、さらに大きくなろうとした場合に直面する「組織力」について書かれたものです。

極端な言い方になるかも知れませんが、社長が全社員を見ることができ、全社員と気持ちを通わせる規模であれば発生しなかったような問題が、一定人数を超えると発生してしまうということがあります。昔はこんなことに頭を悩ます必要はなかったんだけどなあという声を時々聞きます。専門用語で言えば「スパン・オブ・コントロール」ということと関係しているのかも知れません。

さて、そういった事象は、見方を変えれば成長痛のようなものかも知れません。それを克服するためには社長がいなくてもちゃんと仕事が回るように仕組みを整えていくというプロセスであり、この本にはそのような手順が書いてあります。

1stステップは「理念の浸透」、2ndステップは「中期経営計画の共有」、3rdステップは「HRMの仕組み構築」とあります。このプロセスを順に踏んでいくことで、中間管理者が育ち、個々の従業員の成長ももたらすことができ、組織が大きくなっても基盤がしっかりした状態で仕事をし続けられるというものです。

現在取り組んでいる伴走支援の仕事においても、活用できそうなヒントをいただきました。

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久しぶりに「1/fゆらぎ」を体験してきました~

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桐朋アカデミー・オーケストラ特別演奏会~

富山のオーバードホールで開かれた「桐朋アカデミー・オーケストラ」の特別演奏会を聴きに行ってきました。いい演奏会でした。正味2時間で3曲の演奏。リストの交響詩「オルフェウス」指揮はジョセフ・ウォルフさん。続いてクラリネット奏者の亀井良信さんを加えての、フランセ作曲「クラリネット協奏曲」。譜面台がない。という状態での演奏は、ビックリ仰天ものでした。しかも音域の広いこと広いこと。高音から重低音まで自由自在に吹きまくる、いや、自由自在ではなく決められたとおりに演奏されているのでしょうけど、こちらには全く自由にかつオケとうまい具合にかみあって、という風に聞こえてしまいます。彼の演奏ぶりはとにかくすごいもので、とても説明できません。休憩をはさんで3曲目はベルリオーズの「幻想交響曲 作品14」というもので、休憩中にパンフに書かれていた解説を読んだのですが、なんと失恋の曲。しかも未練たらしく第五楽章まであるというおまけつき。(未練たらしく、というのは私の勝手な解釈です) ベートーヴェンの「月光」は愛する人に思いを馳せて、だったような、曲の背景を映画で知ったような記憶がありますが(「威風堂々」はナポレオンに贈った曲でしたでしょうか?)、これまでほとんどの場合そのような背景を知らずに聴いていました。背景を読んだ上で曲を聴くと、入り込み方が俄然違いました。なんとなく、作曲者の心の映えまで見えるような感覚に陥り、最後は涙腺が緩んでしまいました。素晴らしい演奏でした。指揮のジョセフ・ウォルフさんのダイナミックな動きも大変見応えがありました。

ちょっと最近脳が疲れ気味だったこともあり、2時間たっぷりと1/fゆらぎを浴びまくり、おかげさまで脳の中がスッキリしました。たぶん今脳波を図ると「うれしーい!」という声が聞こえるかも知れません。このコロナ禍のもと、楽団の皆さんは集まって人前で演奏できる機会が少なかったことと思いますが、今日久しぶりにこういう機会を得て、自身脳がすっきりした体験をしたことで、音楽はなくてはならないものなのではなかろうか(不要不急というものではなく)、と結構強く感じました。と同時に、欧米の責任ある方々が日頃からこういうものに触れる習慣を持っているということは、いい音楽を聴いて脳を休め、リセット・リフレッシュさせることで的確な判断をするために必要なことだと知っているのではなかろうか、という気がしました。気のせいかも知れませんが。

ところで、今日の演奏者の方々の顔と名前を一致させたくて何人かのお名前をネットで見ていたら、チェロ奏者でめっちゃ存在感のある渡部玄一さんという方が、実は渡部昇一さんのご子息ということがわかりました。本も著しておられるようなので拝読しようと思っています。

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