わが町富山市中心商店街のアピール度の弱さ

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kazuto_nakajin

富山の中心商店街である「総曲輪通り」「中央通り」のHPを探して、目的の店を調べようと思ったのだが見つからない。ショッピングセンターならば館内の案内図をしっかり掲載しているが、これらの商店街はそもそもHPすら見つからない。これではいけないと思うが、商店主の皆さんはどうお考えだろう。
12-10 22:16

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南雲吉則さんの『50歳を超えても30代に見える生き方 「人生100年計画」の行程表 』

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 最近我が家では「ゴボウ茶」が旬である。
 悪くない味なので飲んでいたが、著者の南雲吉則氏が提唱者らしい。
 56歳ということだが、どう見ても40歳前後にしか見えない。
 本の表に写真が出ている。
 今時の若者、って感じだ。

 しかしこの人は「今時の若者」ではない。
 医者であり科学者だ。そして理屈ではなくしっかり実践し、自らの若さを保っておられる。
 小食にしてゴボウ茶を飲み、よく歩く。
 早寝早起き、小さな魚や果物を皮ごと食べる。
 これを実践して100歳まで生きる。
 私も少しでもこの人に近づいて、目標である100歳まで生きることとしよう。
 100歳のある老人の言。
 「100歳まで生きるためには、死なないようにすること」
 けだし、名言。

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オダギリ展子さん『最強の文具活用術』

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 文具好きにはたまらない一冊。
 中身も見ないで買ってしまった。

 中で紹介されていた、キングジムのデジタル名刺ホルダー「ピットレック」。
 名刺整理については長いことずぼらで来たが、そろそろこういうものできちんと整理&スピーディーに検索できるようにしなければ、と思い始めている。

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女優の鶴田真由さんのインド話

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 FM東京をキーとする土曜夕方5時からの番組「Saturday Waiting Bar Avanty」を長らく聴いている。
 会社の後輩に教えてもらった。
 JAZZが流れるバーのカウンターで、各界の著名人や一流の人などの日常会話にちょっと聞き耳を立てる、という趣向になっている。
 番組の進行は、主に謎の大学教授がやっている。(たぶん、次元大介役の小林清志さんではないかと思うのだが)
 最近は時間が合わず、なかなか聴けなかったが、Podcastでやっていることを知り、ダウンロードしては都合のいい時間に時折聴いている。
 今日、2007年11月17日にアップロードされた、女優の鶴田真由さんの会話を聴いた。
 鶴田さんはなんでもインドが好きで、ある時、夫が仕事ででかけた1ヶ月のインド行に同道し、自分は断食やヨガ三昧の生活をし、最終的に合流して帰国されたらしい。
 その会話の中で、インドで発明(発見?)された「0」について語っておられた。
 0はインドで発明されたが、ゼロというのは何もない「空」の概念ではなく、プラスとマイナスのそれぞれの方向のものが同じだけの振れ幅で存在している状態なのだ、とか。
 つまり色んなものが渾然と詰まっているが、それらがバランスよく、結果的に調和し循環しているというようなことらしい。
 具体的に言うと、プラスの方向とは、たとえば「生きることの諸活動」。マイナス方向とは、「人の死」。
 インドでは生と死が同じ重みで普通に共存している。(というのはよく聞くことではある)
 たとえばガンジス川では、顔を洗ったり洗濯したりという日常生活が営まれている一方、その川に亡くなった人の遺体を流している。
 当たり前の光景だという。(これもよく聞く話である)
 生に関する振れ幅と同じだけ、死に関する振れ幅がある。
 
 またたとえば、インドでは定価以上の価格で売りつけ、不当な利益を得る人が多いらしいが、その人たちが余剰な利益をお寺に寄進する、といったことも普通に行われているらしい。
 我々から見ると、だましとったお金は自分の懐に入れる、のが普通であり(もちろん良くないことだが)、それを懐には入れず、さも善行をするかの如く寄進をするというのは、やってることが矛盾しているではないか?と思うが、彼らはそれが当たり前なのだという。
 これは、聖と邪の振れ幅が同じ、という例だろうか。
 ゼロとは何もない状態だと捉えていたが、そうではない、という。
 何も無いのではなく、色んなものがあってそれらがバランスを持って循環しているのが、どうもインドのゼロだというふうに彼女は感じたらしい。
 そういう見方に初めて触れた。
 面白いなあと感じ、興味深く聴かせていただいた。
 インドの人々の、善悪の捉え方が違う点までは共鳴できないが、仕事や生活のON状態とゆったりした時間を過ごすOFF状態をバランスよくとる、とか、陽の食物と陰の食物をバランスよく採る、といったような(規模が小さいけど)バランスを意識した生き方は、私たちにとっても大切なことだと思った。

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トヨタの豊田章男社長の決意

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 一昨日のニュースステーションでトヨタの豊田章男社長のインタビューが報じられた。
 超大企業創業家の御曹司。
 満を持しての登場であるが、社長就任のタイミングも大変難しい判断があったろうと思う。
 にも拘わらず、社長就任以降もリコール問題やリーマンショック、その後の不況などで大変難しい舵取りの連続の日々であり、まさに渦中の人ですらある。
(でも社長であり、経営していかねばならない立場であることは、世の多くの経営者となんら変わりない)
 
 豊田社長の肉声を聞く機会はそうないなと思い、画面を見つめた。
 当たり前のことだが、日本のトップ企業の社長の言葉として、私なりに心に響いた。
 曰く、石にかじりついても雇用を守る。
 曰く、30万人の従業員の最終責任は私にある。
 曰く、それは決めることである。
 曰く、決断は3秒でしなくてはならない。そのためには常日頃、世界でいい車を作ろうと懸命になっているみんなの苦労や頑張りを見、聞き、肌で感じることだ。
 ギャンブルで会社の金を湯水の如く使ったどこかの上場企業の御曹司とは大違いだ。
 感動した、とつぶやいたところ、ある元経営者の方からご指摘をいただいた。
<素晴らしいといえば素晴らしい。しかし、これはすべての社長たる者が「当然」として持つべき覚悟ではないか。その覚悟がなければ、すぐに社長を辞めた方がいい。>
 そのとおりだと思う。
 至極当たり前のことだ。
 しかし、この当たり前の「決意」ができていない経営者も世の中には多い。
 特に創業者が苦労して今の地位まで持ってきたことが胆からわかっていない二世経営者に多い。
 豊田社長の、当たり前の真摯な態度に、超大企業のトップのおごりではなく、謙虚な誠実さを感じた。

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津本陽さんの『胡蝶の剣』

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kazuto_nakajin

JRでの帰路。最近読んでいるのは、友人お薦めの作家の剣豪小説。津本陽さんの『胡蝶の剣』である。
舞台は幕末近い嘉永年間。薩摩から江戸へ。剣術修行中の若き侍たちの物語。
日本人はこういう質実剛健な生き方をしてきたのだと、今の軟弱な自分が恥ずかしくなるような清冽な物語だ。
とても面白い。
この作家は薩摩人?と思ったが、和歌山のご出身らしい。

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11/13のツイートまとめ

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kazuto_nakajin

今日の昼食はカレーライス2杯ときのこ汁。締めて250円。地域の文化祭にて。
11-13 12:42

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11/06のツイートまとめ

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kazuto_nakajin

昨日と一転して今日は雨。夕べ遅くから降り続いている。こうして少しずつ本当の冬に向かって行く。庭木の保護や雪対策など、徐々に備えをしていかなくては。
11-06 09:35

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11/02のツイートまとめ

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kazuto_nakajin

妻が作ってくれたマーボ豆腐に「食べるラー油」をドバッと混ぜて、紹興酒と一緒にいただく。至福の時。
11-02 22:00

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塩野七生さんの『ローマ人の物語26(文庫)』

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 お陰様で最近は帰りのJRの中で少しずつ本を読む時間ができている。
 しばらくストップしていた塩野七生さんの『ローマ人の物語(文庫版)26 賢帝の世紀(下)』を読み終えた。
 カエサルからアウグストゥス、ティベリウスら、ローマ帝国創業のダイナミックな歴史、その後のおごり高ぶりの混乱期や中興の祖らの活躍を経て、ようよう安定期に差し掛かってきたローマ帝国。
 安定が衰退への兆しでもあるのだが、今はまだそれは見えない。
 ばかりか、拡大したローマの版図をより強固なものとすべく、トラヤヌスやハドリアヌスなどがローマ中を駆け巡って石橋を叩いて固めるという作業を行っている。
 ハドリアヌスの後を次いだピウスはほとんど外征を行わず、しっかり内治を行っている。
 豊かなローマがさらに爛熟しようとする直前のような気がする。
 それにしても不思議なことは、この五賢帝の時代と言われるローマ安定期の100年ぐらいの間、中には晩年常軌を逸したような判断誤りを犯してしまった皇帝もいたものの、概ね賢明な判断をしてローマを安定ならしめた人たちが選抜され、次の皇帝に任じられ、しっかりとその機能を果たした=国民に安全と食をきちんと提供することができた、ということが奇跡のように思われる。
 もちろん歴史の表には残っていないトラブルや事件は色々あったろうが、人の引継ぎが大変うまくできたということは、先代の皇帝の人選眼が優れていたこと、それを支える人材育成機能が元老院辺りにもしっかりしていたということではなかろうか。
 さらに言えば、戦争で負けて奴隷の立場からスタートした先祖を持っていても、辺境の出身であっても、きちんと仕事をしていくことで、皇帝の地位に上り詰める人もいたというダイナミズムというのか、制度設計の素晴らしさが、この帝国を支えていたのではなかろうか。
 それが、カエサルの項によく出ていた「トーレランス=寛容」というこの時代のローマ人が持っていた徳性ではなかろうか。
 それと、国のためなら自分を差し出せるという高貴な使命感=ノブレス・オブリッジを連綿と伝えた国民性と言うような徳性、それらがこの国の発展、世界中から尊敬を集めた大本の力ではなかろうか。
 と、そんなことを、ここまで読み進めてきて思う。

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