ヒポクラテスの誓い

LinkedIn にシェア
Pocket

 介護福祉の勉強をしていて出会った言葉<ヒポクラテスの誓い>。
 ヒポクラテス・・・言うまでもなく、医学の祖として讃えられている、ギリシャ時代の医者である。
 映画「ヒポクラテスたち」といえば、故・古尾谷雅人さんの出世作でもある。(これは本題とは関係ないが)
 その「ヒポクラテスの誓い」、本人の作ではないという説もあるそうだが、真偽のほどはともかく、内容がとても素晴しいのでここに一部を転載させていただく。
1.私は、自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
2.依頼されても人を殺す薬を与えない。
3.同様に婦人を流産させる道具を与えない。
4.生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
5.結石を切り出すことは神かけてしない。それを生業とするものに委ねる。
6.どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
7.医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。

LinkedIn にシェア
Pocket

昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」についての随想

LinkedIn にシェア
Pocket

 NHKの大河ドラマについての投稿を何度かしたこともあってか、ある友人から「去年の大河ドラマはどうだった?」と聞かれた。
 視聴率が低かった原因として巷間言われていることの説明をしたが、ではなぜ自分は見続けているのか(まだ最後の4、5回分は録画状態で見ていない)、どこが良かったのかというと、確かに「良かった」理由は思いつかなかった。単純に平清盛が好きだということが一番の理由だが、松山ケンイチという期待の若手俳優が大役にチャレンジしたことへの敬意、私が一番最初に見た大河ドラマが新平家物語(仲代達也さん主演)であり、追体験を求める気持ちなどもあったのかも知れない。
 で、このドラマは一体なんだったのか、という問いをあらためて自分に問いかけてみると、どうやら伊藤四郎さん演じた白河上皇の皇胤との噂のある清盛が、この世の頂に立った後は、結局改革ではなく白河上皇と同じようにわがまま放題・好き勝手なことをしてしまう「人間のさが」を表現したかったのかな、という点と、晩年の清盛のマネジメントは大失敗(武士の世を作ると言いながら、平家の世にしてしまい、世の反感を買ってしまった)であったということを言いたかったのかな、という気がする。
 なにせ長男を憤死・悶死させ、奥さんは孫を抱いて海に飛び込んで自殺せざるを得ない状態に追い込んでしまったのだから、これほどの家族経営ミスはない。なにが大政治家か、と思うのだが、それでも彼の若き日の高邁な理想、日本列島大改造計画、宋との貿易で国を富ませ民を豊かにという熱き思い、そしてそれに向けたまっしぐらな行動があったがために、制度疲労の貴族政治に巨大な風穴を開け、新しい世を切り拓くことにつながったのであり、その功績は日本史に大きく刻まれるのは間違いないと思う。
 「おごる平氏」と言われる。本当かな?と思う。テレビでは宗盛あたりが仕事もせずに昼まっから酒をかっくらい、源頼政の長男の馬を横取りするなどの悪行狼藉の姿が描かれていた。清盛も本能の赴くままに目をつけた女性を(こちらも昼まっから)閨に連れ込んだりしている。負けて滅んだ者には抗弁のしようがない。どこまでが本当でどこからが勝者による脚色かわからない。
 何がしかの事実はあったのだろう。しかし全てを鵜呑みにはできないという批評眼は持っておきたい。彼が本当に「武士の世」を作りたかったのなら、頼朝や義経を任用して武士の挙党一致体制を組めば(源頼政だけ昇進させるのではなく)、平家があんなにあっけなく滅びることもなかったかも知れない。(その点家康は巧妙だよなあ・・・。)しかしそれは歴史のイフであり、繰言はやめましょう。
 ということで、残りの数話を見つつ、八重桜ちゃんも平行して見ていこうと思います。

LinkedIn にシェア
Pocket

川原慎也さんの『これだけ!PDCA』

LinkedIn にシェア
Pocket

 中小企業診断士として自身のバージョンアップを怠ってはならない。今回は経営改善に関する本を一つ。
 川原慎也さんという方の書かれた『これだけ!PDCA』。
 PDCAを阻害している要因とは何ぞや。
 この本では、計画を作る時期に問題ありとの指摘。
 ・決算1~2ヶ月前のバタバタしている時期に作るから、おざなりになり、みんなの同意や認識共有も図れないので、心の入った計画(P)になりにくい。
 ・最近の(私もとみに思うことだが)成果主義が邪魔をしている。つまり自分の手柄にならない、例えば人の育成とか、長期的な種蒔とかを避け、目標は手の届く低いものにしてしまう。
 ちなみに私も以前人様のマネジメントに携わった時期があったが、明らかに手の届くレベルの目標を設定しクリアした人にはそこそこの評価しかしなかったし、他のメンバーの支援をしみんなから感謝をされたり成長を促すことに寄与した人(自分の仕事もこなしつつ、ではあるが)には相当高い評価をし、そのとおりの二次評価ももらってきた。それによってチームの団結力が強くなり、お互いをフォローしあって全体として強い組織作りができたという自負がある。
 その他
・目的と目標と計画の関係
・5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)を徹底している会社は強い
・計画は忙しい日常業務があることを前提に作らなくては破綻する
・解決策立案に当たってはプロセスを細かく(実行可能なレベルまで)落とし込んで立てるといい
などなど、わかりやすく、示唆に富んだ本だった。

LinkedIn にシェア
Pocket

中島孝志さんの『キラーリーディング』

LinkedIn にシェア
Pocket

 たぶん今年最後の読書。
 中島孝志さんという人の『キラーリーディング』
 速読法の本は何冊か読んでいる。
 私の場合、その技術をちゃんと修得して、たったかたったかと読んでいけばいいはずなのだが、読み方がなかなか速くならないのが難点。
 とは言え、何か目新しいやり方がないかとまたしても速読法の本を読んだ次第
 言えるのは、自分に必要な情報をいかに早く得られるか、が速読法、短い時間で大量の本をモノにする技術だということ。
 この本に書かれていたエッセンスは、
 ①まず「前書き」を読む。
 ②次に目次を読んで全体の構成を掴む。
 ③掴んだ全体像の中で自分が必要な情報を得られそうな箇所(章)を類推する。
 ④できれば、著者が肩の力を抜いて書いたであろう「あとがき」も読んでおく。
 ⑤あたりをつけた章に行ったら、その中でキラーフレーズを見つける。
 ⑥キラーフレーズの中のキラーワードを見つける。
(注)その際、キラーフレーズやキラーワードは、別に著者の最も言いたいことやこの本の中の核心ではなくとも良い。自分にとって重要な情報であればそれがキラーフレーズでありキラーワードなのである。
 ⑦本を読むときは付箋を活用する。ざーっと読み進める途中に気になる箇所があったら付箋をどんどん貼っていく。
 ⑧後で付箋の箇所だけを読み返し、重要だと思ったところだけパソコンに打つ。
 ⑨情報整理は京大カード(B6のものが最もポピュラー)を活用し、読書メモを作る。
 ⑩デジカメも使う。メモのパソコン打ちも活用する。ひたすらどんどんパソコンにデータを取り込む。キーワードを自分なりにつけて放り込んでおく。(後でキーワードで検索すれば、整理して保管しなくても取り出すことができるのがパソコン管理の強み)
 ⑪音声入力も活用する。この著者の場合はICレコーダを活用している。こちらもキーワードを音声ファイルに付与した上でパソコンに放り込んでいるらしい。
 といったようなことか。
 ①から⑥は大概の速読本に共通したやり方仕方である。
 ⑦以降は、この著者のオリジナルなノウハウも含まれている。
 ということで、そろそろ速読法の本は卒業して、来年はほんとにちゃんと本を読んで情報をどんどん取り込み、実学として活用していかねばならない。

LinkedIn にシェア
Pocket

数年で日本の製造業は国際的に弱体化するという予測について

LinkedIn にシェア
Pocket

 ある業界紙からの引用。重要な指摘だと感じたので発信させていただく。
 BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)シカゴのハル・サーキンという人物のコメント。
 「中国の賃金は毎年15~20%上昇しており、2015年には生産性や労働の中身の差を加味すると米国の労働コストの90%に達する。」
 「シェールガスの登場で米国の電力コストは日本の40~50%。」(米国では電力の安定供給に問題があるため、各家庭などに非常用電源装置=いわゆるUPTが備えてあるような話には触れられていないが)
 「2015年には多くの製品分野で米国の製造コストが日本よりも20%位安くなる。」
 特にこの最後の予測(製造コストが日本より20%安くなる)が衝撃的である。
 これは日本の製造業の国際競争力が、折角円高の補正があって円安方向に触れつつあって輸出が戻るかなと言われているのに、コスト高という要因でまた輸出が落ち込む恐れが大きいということを意味している。
 つまり、地力としての競争力があると言われている日本の製造業にとって、立ち直り難い問題を突きつける予測である。
 これに立ち向かうには、製造コストを根本的に下げる革新が必要である。
 たとえば日本近海で採れるメタンハイドレードの産業利用を本格化してエネルギーコストを根本的に下げるとか、既にNTTで40~50代社員の賃下げの記事などが出ている(目的は本件とは異なる)が、それに倣い1~2割の賃下げをするとか、産業面での大きな減税をするとか、頭のいい人たちが沢山いるのだから、色々な方策を考えて早急に着手すべきかも知れない。

LinkedIn にシェア
Pocket

怒ることは時として必要ですが、恨むのはよした方がいいよ、という老子のお話し

LinkedIn にシェア
Pocket

 書店で立ち読みをする。
 時々いい文句に出会う。
 過日、妻との買い物の途中に時間調整で入ったある書店。
 文庫本コーナーにあった「老子」についての本。
 老子は岩波文庫その他多くの本が出ている。
 最近では加島祥造さんという方の老子の本がヒットしたのが記憶に新しい。
 さて件の老子本。
 書名は失念したが、いいことが書いてあったので控えておく。
 『老子』第六十三章より。
 「怨みに報ゆるに徳を以ってす。」
 世の中には腹の立ったことについていつまでも恨みに思い続ける人がいるが、仕返しは仕返しで仕返される。仕返しと恨みが増幅されていく。実につまらないことだと思う。
 相手の人にしても、必ずしも悪気があってやった、というわけではない場合もある。
 「確信犯」の場合もあるが、それにしても(もちろん、法的に問題がある行為は当然法廷の場できちんと裁きを下すべきであり、ここではそういうことを論じているわけではありません)
 何かの出来事があって腹が立ったとしても、それを恨みに思う気持ちを少し薄め、徳を加えてお返しすれば、相手が自分の軽率な行為の過ちに気づくこともあれば、またこちらに対して好意を抱いたり、感謝をしたり、・・・そうしてその気持ちが次の好意的な働きかけにつながっていく。
 もしも全くこちらの加徳に気が付かなくてもそんなことは構わない。期待して徳を加えるのではなく、それが自然の動作になっておればなんら気にすることもない。
 しかし少しずつ、毎度毎度徳を加えてお返しをしていけば、積もり積もって、いつかは相手の人が気づくこともある。何度も言うが、それを期待して、金品や行為のお返しがあることを望むのではない。「無償の愛」といってはあまりに大袈裟だが、人間関係の好循環を生み出すちょっとの工夫だと思えばいいのではないだろうか。
 そういうことをお互いが心がければ、職場や家庭やコミュニティで、人間関係のいざこざが長続きすることはない。
 老子はいい。

LinkedIn にシェア
Pocket

企業の持つべき道徳について考える

LinkedIn にシェア
Pocket

 「企業倫理」ということが一時期言われた。
 今は「コンプライアンス」という言い方がポピュラーだが、現実の企業で、人としての清さ、正しさ、美しさが価値観の底流にあるとは、どうも思い難い今日この頃である。
 四半期決算が本格的に導入された結果、あるいは日次管理でPDCAを回すようになった結果、企業はどんどん短期利益を追うようになり、そういう傾向が強まっているように感じる。
 企業を構成しているのは、資本だとか土地だとか労働だとか、いわゆる生産の三要素などと言われており、それらがうまくかみ合って高い生産性や財やサービスを生み出すのだろうが、結局のところ、人がいてはじめて色んなことが成り立ち、提供されるわけで、人があっちを向いていてはうまく行っているものもいずれガラガラと音を立てて崩壊する。
 となれば、やはり、企業を構成する人の道徳心、公正心、公共心、などが利潤追求以上に重要なのではないだろうか。ドラッカーは企業の使命は「市場を作ること」と言っている。利益を生むこと、とは言っていないのである。もちろん企業を生かし続けるために利益はなくてはならない。
 次の財やサービスを還元すべき善の循環をしていくために、適正な利益は必要だし、正しいことをして適正な利益を生まない企業は退場してもらわなければならない。(公共の福祉のための政府の事業は一律には論じられないが)
 ではあるが、利益そのものだけを追求するのは本末転倒である。
 社会に有用かどうか、ということがその大前提にあり、有用なれば利益を得て当然、その利益をまた次の剤やサービスの提供につなげ、またやる気を出すためのエネルギーにもなる。
 社会に有用な企業を構成するのは、社会に有用だと信じ、社会に有用な行動をする構成員、つまり人である。
 企業を構成する「人」が社会に有用であり、社会に反しない行動をすることが企業の存立の大前提である。
 それらを総称して、ここでは「企業道徳」という言葉を使いたい。
 別に目新しいことではない。
 道徳と利潤追求は相反しない。
 マックス・ウェーバーも言っていることだし、鈴木正三も言っている。
 ことさらに、今頃改めて「企業倫理」「コンプライアンス」などというから肩肘張って研修だとかなんだとか言い始めてしまっているが、ことの本質は私たちが小学校で習った道徳の授業での内容で十分なのである。
 人として当たり前の考え方、当たり前の行動、これを愚直に実行していくことが企業にとっても求められるのではなかろうか。
 最近はそういうふうに思う。
 かっこつけた言い方ではなく「企業道徳」に真剣に取り組むべき時期ではなかろうか。

LinkedIn にシェア
Pocket

小出宗昭氏の『カリスマ支援家「小出宗昭」が教える100戦100勝の事業サポート術』

LinkedIn にシェア
Pocket

数年前に友人から紹介された本、小出宗昭氏の『カリスマ支援家「小出宗昭」が教える100戦100勝の事業サポート術』をようやく読んだ。
この人は静岡銀行の出身で経営支援の仕事に携わった末に公的支援機関に出向し、4年ほど前に独立されて企業支援の仕事をしつつ、最近は政府の中小企業施策を担うナントカ委員とかいうのも務めておられる。
そういう人なので、公的機関におけるコンサル手法の本かと思っていた。そういう要素もあるにはあるが、この本の底流にあるのはご自分の後輩たちである、現役の金融機関職員に対する熱いメッセージだと感じた。
つまり金融機関が地域の経済を時間をかけてでも活性化していくためには(それが長期的な経営基盤の強化にもつながるのだが)、これまでのような「融資可能可否」を決算書から判断するという単眼的なものの見方ではなく、経営者や企業としっかり向き合ってその光るポイントを見出し、お金以外も含めた支援ができるようになって欲しい、というメッセージである。そのことを繰り返し巻き返し、本の中で何度も訴えている。とはいえ現実の金融機関は営利企業であり、長期的な取組みだけやるわけにもいかず、企業支援というものは現実的にはやはり公的機関に恃むところ大であろう。
コンサルの進め方や心構え、日ごろの勉強方法や経営者との接し方など、学ぶべき点も多い良書であった。

LinkedIn にシェア
Pocket

冲方丁さんの『天地明察』

LinkedIn にシェア
Pocket

 小説というのは、読み始めとか途中の展開や転換、クライマックス辺りまではいいんだが、エンディング近くになると、離れがたい気持ちに、往々にしてなる。
 この『天地明察』がまさにそういう小説であった。
 この小説は大阪の友人から薦められて読んだものだが、初めの頃は出てくる言葉が難解この上なく、さてどうなることか、と心配もしたが、ストーリーが面白く、ついつい引き込まれ上巻は一気呵成に読んだ感じだった。
 渋川春海の純朴さとひたむきな向学心。作成した問題の誤りに気づいたときの潔さ、それを暗にほのめかした関孝和の深い配慮。素晴らしい江戸人の誇りと気高さに涙が出た。
 さらに北極星を見ながら日本各地の測量をしていく際の、先輩学者たちの純粋さ。想定が当たったときの子どものようなはしゃぎよう。
 まるで映像を見ているような、冲方丁という作家の筆さばき。
 映画化されたがゆえに余計にかも知れないが、岡田准一さんがこんなふうにボケてるんだろうな、とか、宮崎あおいさん演じる「えん」のにらみ顔など、容易に頭に浮かぶので、小説を読んでいるというより、映画を観ているような気にさせてくれる小説だ。
 幕末維新の折、日本が砲艦に脅かされつつも、結局は欧米列強に植民地化されずに済んだのは、この時期(江戸時代初期)に、既に高度な算術の知識・技術を持っていたこと、に象徴されるように、日本の学術・技能のレベルが極めて高かったことが大きいのではなかろうか。
 私たちにはそういう学術能力が伝承されているはず。
 もちろんそれらは、他人の知識の受け売りのみでなく、自分たちで工夫したり新しいものを生み出すオリジナリティも大いにあるはずである。
 苦難の続く日本の政治経済情勢ではあるが、こういう爽やかな生き様をしなきゃ、と心から敬意を表しつつ、この素晴らしい人物たちが織り成す日本のDNAを背負って、みんな頑張りまっしょい。

LinkedIn にシェア
Pocket

和田秀樹さんの『テレビの大罪』

LinkedIn にシェア
Pocket

 和田秀樹さんの『テレビの大罪』(新潮新書)を読んだ。
<<(元不良がテレビに出て)「子どもがグレても、ほっといたほうがいいっすよ」などという言葉を信用してしまった親は、一体どうなるでしょうか。それで子どもが人を殺してしまったり、親が家庭内暴力で殺されたりしてしまったら、テレビはどう責任を取るというのでしょうか。>>(本書より引用)
 という一文がある。極端なたとえかも知れないが、テレビにはそれだけの影響力と責任があるはずだ。この本を書いて、著者の和田秀樹さんは、その後マスコミからオミットされている由。
 しかし書いてあることは正しい。
 テレビは「二分割思考(白か黒しかない、と断定する考え方)」を助長し、正常な判断ができる大人が持っている「認知的複雑性(中間にグレーがあり、濃いグレーから薄いグレーまで様々あるという、可能性の多様性を理解する力)」を弱めている、と主張される。
 最近のテレビには見るに耐えない下劣な番組が多すぎて、とても見られたもんじゃない、という話をよく聞く。その感覚は健全なことだと思う。もちろん、全てのテレビ番組がそうだとは言わないが、お笑い・社会・政治・経済・健康ものに対する注意が必要なこと言うに及ばず、情報番組や歴史検証ものなど、比較的、偏見で作られる可能性が低いものでも、盲信してはいけないぞ、という感性は必要だと思う。
 若い人たちにも一読を勧めたい本だ。

LinkedIn にシェア
Pocket