志賀直哉さんの『和解』

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奈良の東大寺は二月堂の裏参道がとても良い風情です。大阪で7年半勤務をし、東大寺にも何度も足を運びましたが長らくそのことを知らず、確か司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のいずれかの回のものを読んだ際、それも大阪滞在中の晩期にようやく知った次第です。
二月堂の裏参道から大仏さんの方には行かず二月堂から三月堂を抜け、若草山の麓の茶屋街を通っていくと、やがて春日大社に出ます。春日大社を左に見つつ境内の終わりまで行くと、目の前に急に鬱蒼とした森が現れます。春日山原始林の一角です。奥に足を踏み入れず、人が歩けるように整備された道があるので、そこを進んで行きます。「下の禰宜道」又は「ささやきの小道」と言われる遊歩道です。そこを200~300mも歩くと、森を抜け、民家の立ち並ぶ町に出るのですが、そこからすぐの所に「志賀直哉旧居」という看板のあるモダンな家があります。場所は奈良市高畑町という所になります。

へえーっ、ここがあの有名な志賀直哉さんが・・・このような場所で暮らしていたのか・・・春日大社まで徒歩10分、東大寺や興福寺や猿沢池が散歩コースなんて、なんて優雅な場所に住んで小説を書いていたのだろうか・・・ととてもうらやましく感じたものです。この方の小説はその頃はまあ読んだことがなく、どんな人物なのかもさっぱり知りませんでした。(写真は2009年8月に現地で撮影したものです)
とりあえず中に入らせていただいたのですが、部屋のしつらえを見てびっくり。子どもたちの教育にとても熱心なことがわかるような子ども部屋になっていました。いわゆる教育パパといった感じではなく、子どもたちの自発性を重んじる、自分たちで学んでいこうと思わせるような環境作りをしておられるなあという印象を持ちました。なんと庭にはプールまであったようで、その跡が残っていました。
奈良市高畑に住む前は、奈良市幸町という所に住まわれていたようで、通算奈良には13年住んでいたことになります。しかしその後、男の子の教育のためには東京が良いということで、東京に移住してしまいました。そんなこんなでこの人は生涯(幼児期も含め)23回も引越ししておられるようです。88年の生涯ですので、なんともせわしない感じがしますが、それでもこの高畑には丸7年住んでいたようなので、それなりに居心地が良かったものと思います。私も2階の部屋に上がらせてもらって窓外の風景を眺めていたら、とても気分が落ち着き、いつまでもここの空気を吸うていたいものだと思いました。家を作るならこういう家だなあとも。

その後『暗夜行路』に挑戦しましたが、なかなか進まぬうちに、遂に15年も経過してしまいました。この人は若い頃に父親と不和になり、わだかまりを長いこと抱えて過ごし、三十代初めには取り返しのつかないくらいの険悪な間柄になっていた、しかしその後34歳頃に不和が解消された、ということを見聞きしており、『暗夜行路』もそういうことをテーマにしたものだということです。一小説家がその父親と喧嘩しようが何しようが構わないし、そのことを長編小説で書き連ねられても、私にとってほとんど意味がない、そもそも私小説とは他人様のプライベートを読まされるものであり、共感できるものであれば有益かも知れないが、場合によっては作家さんと傷をなめあうだけのなぐさみにしかならないのではないかという心持ちが私にはあり、あまり私小説を読んで来なかったということが、途中で投げ出してしまう原因かも知れません。
何かの拍子で志賀直哉さんが父と和解したことそのものをテーマにした短編小説に書いているということを知り、そんなことが小説になるんだ、という思いと、どういういきさつで和解したのだろうということに関心がわき、読んでみました。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は「父殺し」がテーマだと言われています。男の子が父親を憎いと思うエディプスコンプレックスも「男子が最初に出会う女性の性愛の相手である父に対する怒り・憎しみ」だと言われます。男の子とその父親というのは根本的にライバル関係(なんて生易しいものではなく、果ては殺し合いにまで発展することもあるくらいに恐ろしいものかも知れません)にあるというのは、頭で考えてどうこうなるものではないような生物としての宿命かも知れません。或いは、自分の中の嫌な部分が父の中に見出され、自分は父の嫌なところを受け継いでいるという事実を直視したくない無意識の抵抗みたいなものもあるのかも知れません。しかし志賀直哉さんの物語は、父親をうざい存在だと思う息子の無意識で無自覚な感覚が、やがて、自分は一体何に抵抗していたのだろうか、何と「無意味」で「馬鹿げている」ことをしていたんだろうか、と気づく瞬間があります。ここに至る経緯には、志賀直哉さんの最初のお子さんが生後数十日で亡くなってしまったことや、その翌年に二人目のお子さんを授かったこと、気丈だった祖母が随分弱ってしまったこと、などがあり、なぜか卒然と父を赦す気持ちが芽生え、母(志賀直哉さんの実の母は既に亡くなっており、継母に当たる方)の仲介を得て父との長年の確執を終えることになったようです。この時父親も「これまでのような関係を続けて行く事は実に苦しかった」と吐露してくれます。今の私は息子である志賀直哉さんの立場も、父親の立場もわかるせいか、このセリフを読んだ瞬間に、熱いものがどっと溢れ出しました。良い小説だと思います。

この和解に至るまでの行程は随分長く、この人の日常風景が延々と語られます。しかし所々に志賀直哉さんの心情の変化をもたらす伏線のようなものが描かれています。
例えば新潮文庫のp68には「前々夜から前日の朝までジリジリとせまってきた不自然な死、それにあるだけの力で抵抗しつつ遂に死んでしまった赤児の様子を凝視していた自分にはそれは中々思い返す事の出来ない不愉快だった。総ては麻布の家との関係の不徹底から来ていると思った」とあり、自分の周囲で起こる不幸な出来事、それと向き合えない自分、すべてを父のせい、又は父との間柄が不仲である現状のせい、という風に、自分以外のなにかに責任を転嫁している様子が描かれています。
そして父に詫びを入れ、父からも赦しの言葉をもらったあとは「非常に身体も心も疲れて来た。そしてそれは不愉快な疲れ方ではなかった。濃い霧に包まれた山奥の小さい湖水のような、少し気が遠くなるような静かさを持った疲労だった。長い長い不愉快な旅の後、漸く自家に帰って来た旅人の疲れにも似た疲れだった。」(P131)とあり、爽快な感じではないものの、重荷を下ろしたという感じが伝わってきます。
実はあまり目立った扱いにはされていないものの、志賀直哉さんの奥様(康子(さだこ)さん)の、この短気者(志賀直哉さんのことです。意外に短気だったようです)に対する気遣い・支えがあったればこそ、今日に至ったのではないかと思います。
それにしてもこの「濃い霧に包まれた山奥の小さな湖水のような」という自分の心持ちを表す表現は、なかなか思いつかないような表現だと思いましたが、私にとってはしっくり来るものでした。世の中には悲しい結末の物語もあり、エンディングを知ることは恐怖であることも往々にしてありますが、この『和解』は実話に沿っているということも含め、久しぶりにカタルシスを味わうことができました。

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今も新鮮な耳ざわりの「ララバイ・オブ・バードランド」(byクリフォード・ブラウン&サラ・ボーン)

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ラジオ番組を聴いていたら、クリフォード・ブラウン(tp)とサラ・ボーン(vo)の「ララバイ・オブ・バードランド」をやっていました。1954年の録音だそうで、なんと今から70年前のものですがちっとも古びていない新鮮な印象で聴くことができました。初めて聴いたのが40年前だったのでその時点でも30年前だったことになります。

昨年ニューヨークのジャズクラブ「ブルーノート」を訪ねる機会がありました。ブルーノートと言えば、このクリフォード・ブラウンをはじめ、アート・ブレイキー、もホレス・シルヴァー、ハンク・モブレー、ジミー・スミス、リー・モーガン、ルー・ドナルドソン、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムス、オーネット・コールマンなどが演奏したことがあるということのため、そのような系統のものを期待していましたが、今はそういうのは流行っていないのか、ジャズそのものがどんどん進化しているためか、この夜の演奏はラップのようなそうでないような、あまりすんなりとは音が耳に入っては来ませんでした。

ジャズの良い演奏を聴くなら、かならずしも最新のものでなくても、こういう古い録音でも十分新鮮な感じを受け取ることができるなあと独り言ちています。これは別にジャズに限らず、クラシックでも落語でも通じることかも知れません。(単に古いものを懐かしむ私自身の高齢化の進行か、はたまた成長がストップしただけのことなのかも知れませんが)

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2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」に関連して

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戦国時代や幕末の登場人物は大体相場が決まっていて、どの役者さんが誰を演じているかを理解すれば、そうそう混乱はしないのですが、今年の大河ドラマはあまりなじみのない平安中期。もちろん藤原道長や頼道、紫式部や清少納言・・・辺りまでは中学校で習うので心当たりのある名前ですが、道長の父親となった途端に「は?」となり、道長が三男で、上に二人の兄がいたなどと言われてもさらに「は?」となってしまっているのが今年の悩みです。

そこで以前購入した日本史年表の系図に当たって、登場人物の関係を洗っては今年の大河ドラマを見るようにしています。

まず主人公コンビの道長と紫式部。藤原家は枝分かれが沢山で探すのが大変でしたが、なんとか見つけました。道長と紫式部は6代前は同じ祖先の「冬嗣」だということろまで確認できました(この年表の系図の記載が真実ならばですが)。この写真には写っていませんが、左の上の方に冬嗣の名前があります。

秋山竜次さん演じる藤原実資は、この系図を見る限りでは段田安則さん演じる藤原兼家のいとこの子に当るようです。ということは、藤原道長にとっては、またいとこという間柄になりましょうか。wikipediaによると「藤原道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫き、権貴に阿らぬ人」とのことで、道長存命時から右大臣になり、道長死去の1027年以後も右大臣を勤め、亡くなる1046年までその地位にあったようです。享年90歳。この人が主人公ではないのでドラマはそこまではやらないでしょうけど。
それにしても段田安則さん、いい味だしてます。

何週目だったか忘れましたが、新たに、藤原公任と藤原斉信(ただのぶ、と読むようです)と藤原行成という次代を担う若手公卿たちが登場しました。いきなりなのでまたまたwikiで親、祖父、などと辿ってまた下るということを繰り返し、三人を発見。公任は道長からするとまたいとこ、斉信はいとこ、行成はいとこの子、どれも藤原冬嗣の系統で、間柄も近い人々のようでした。ロバート秋山竜次さんのやってる藤原実資もまたいとこのようですので、近侍していた兼家の子の道兼(段田安則さんちの次男にして道長の兄貴)も、またいとこの間柄、にもかかわらず天皇への近さ遠さで階級差が生じていたということでしょうか。ちなみに左大臣源源信の子孫には佐々木道誉や黒田如水が出て来るようです。

さらに、ここの所権勢を振るっている、花山天皇の側近の藤原義懐(よしちか)。この人は兼家さんの長兄の伊尹の五男らしく、上の系図には出ていませんが、やはり道長のいとこという間柄になります。これまで名前が出るごとに「よしちかごときが!(怒)」というような言い方をされています。また花山天皇が「くびったけ」になってるという忯子(よしこ)さんは、道長のいとこの妹、ということでこの奥様も道長のいとこということになりますが、夭逝されたようです。そのせいか、花山天皇は、わずか2年で退位あそばして出家されるみたいです。その後、いよいよ我らが兼家さんがじい様として新天皇の後見役を務め、権勢を振るわれたのでしょうけど、四年であっさり鬼籍に入ってしまわれるようです。
さて、友人からの情報で、佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝が紫式部と結婚するとのことで、系図を確認しました。共通の先祖の良門という人からみて、紫式部は5代目、宣孝も5代目。だいぶん離れて見えますが、Wikipediaによると、二人はまたいとことのこと。系図に現れていない曾祖母が共通の近い人みたいです。
・結婚3年後の1001年、夫の宣孝死去
・1005年、安倍晴明死去
・1016年(又は1019年以降)紫式部死去、但し、今回の時代考証をしている倉本一宏さんの説では、1020年代半ば頃まで存命だったのではないかとのこと。
・1027年、道長死去
さてこの物語ではどこまで描かれるのでしょうか。
なお、橋爪淳さん演じる関白頼忠も、段田安則さん演じる右大臣兼家からすると、いとこ、の間柄のようです。

偶然書庫で古い岩波新書の北山茂夫氏著『藤原道長』を発見し中を紐解くと、紫式部と道長の最初の奥さんになった源雅信の娘の倫子さまの関係が出ていました。5代遡ると共通のご先祖藤原良門という人に行き当たるようです。「またいとこの孫」同志という関係のようです。お互い赤の他人だったかのような顔をしていますが。
この岩波新書は良書だと思います。著者の個人的な思い入れも相当入っているようですが、道長が政権を担うかなり前から説き起こしてあり、大河ドラマで描かれているまさに同時代が詳しくわかりやすく書いてあります。

「鎌倉殿の13人」に鳥羽上皇の側近として出ていた慈円僧正という方がおられ、この方も藤原一族なのですが、この方の書いた『愚管抄』という本に最近はまっています。というのも、この本の中に、200年ほど前に当たる道長時代の前後を含めた事柄がとても沢山詳しく書いてあるからです。

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ドストエフスキー『貧しき人々』

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大学一年生の冬、『罪と罰』を読もうと買いましたところ、あまりの難解さに(特に人の名前の複雑さと同じ人なのにいくつも呼び方が出てくるややこしさ)面食らってしまい、いきなりは無理だ、もう少しとっつきやすいのを先に読んで「肩慣らし」をしてからでないととても歯が立たないやと慌てて買ったのが『貧しき人々』でした。あれから四十数年が経ち、もう一回読んでみようかと探したところ、まだ書棚にあったので久しぶりに読みました。古い岩波文庫なので、星三つ、すなわち当時の価格で300円。著者はドストエフスキーではなくドストイェフスキィ、になってました。実はこの小説がドストエフスキーの処女作だったということも改めて知りました。長文の「ワルワーラの覚え書き」を読んで、後から既視感が漂いました。小説の中に別の物語が盛り込んである作りは、他の小説でも珍しくはありませんが、ドストエフスキーで言えば、『カラマーゾフの兄弟』の中に挿入してある、次兄のイワンが語る「大審問官」の立ち位置とよく似ているような気がして、ああそうか、ドストエフスキーは処女作でもうそういう作りをやっていたんだなあと感じた次第です。

訳者の原 久一郎さんの「あとがき」は1959年11月に書かれたことになっています。これは初版が1931年なのですが、その後ソヴェト国立出版局の1956年版によって新訳されたものが私の手元にあり、よって1959年のあとがきがあるわけですが、そこにはドストエフスキーの理解者であったネクラーソフという詩人がロシア思想界の大立者であったベリンスキイを訪れて「新しいゴーゴリが出ましたよ。新しいゴーゴリが」と伝えたということが書かれています。その時、ドストエフスキー25歳。

ブイコフという地主が出て来ます。最後にワルワーラを妻に迎える人物ですが、前回読んだ時にはちゃんと読めていなかったのですが、実は結構最初の頃に登場し、ちゃんと伏線が張ってありました。さてこの先彼女はどうなるのでしょうか。また彼女を実の娘のように慈しみ愛情を注いでいた貧しき下級官吏のマカールはどのように老いていくのでしょうか。マカールからワルワーラに送られたうように見える最後の手紙はワルワーラに届いたのか或いは書いただけなのか。

辛い小説ですが、全体を通して色んな場面が想像力を掻き立てられ、読後もしばらくは余韻があるような気がします。貧しき人々

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鴨長明『方丈記』より

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又同じころ(元暦2年(西暦1185年)7月9日)かとよ、おびただしく大地震振ることはべりき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋づみ、海はかたぶきて陸地をひたせり。土さけて水わきいでて、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にただよい、道行く馬は足のたちどを惑わす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、ひとつとして全からず。あるいは崩れ、あるいは倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛るなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷にことならず。家のうちにをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出れば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にものらむ。

若しせばき地にをれば、近く炎上ある時、その災をのがるることなし。若し辺地にあれば、往反わづらい多く、盗賊の難はなはだし。

世にしたがへば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身を宿し、たまゆらも心をやすむべき。

(令和6年能登半島地震から14日目)

ここに転載したのは、岩波文庫の『新訂 方丈記』p22~26に書いてあった839年前の地震の様子とそれについての鴨長明さんの叙述からの抜粋です。今回の能登半島地震と比較しようとか世は無常とか、このことに関連付けて何かを述べようという意図はありません。そのような意図はないものの、何かにすがらなければこの気持ちを落ち着かせるすべがなく、永井荷風の『断腸亭日乗』の関東大震災のくだりを読み直したり、徒然草を紐解いたり、方丈記をめくってみたりしているうちに、方丈記の中に地震に関する記事を見出し、平安末期のこの頃にもこのようなことがあり、それを記述している人がいたのだなあと感じ、心を落ち着かせようとあとなぜをしてみたものです。転載していない部分には、本震の後の一日ニ三十回の余震、その後の数日おきの余震などについても記載されており、また地震本部の「主要活断層の長期評価」には能登半島の大部分には活断層が描かれていないにもかかわらず大きな地震があったように(専門家の間では危険であるとの認識があったような記事も目にしましたが)、日本はそもそもいつどこで地震があるかわからない不安定な陸地であることを今更ながら思い知らされたことです。

(令和6年能登半島地震から19日目 追記)

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久しぶりに開いた塩野七生さんの『マキャヴェッリ語録』と最近のこと

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若い頃に買った本です。塩野七生さんの『マキャヴェッリ語録』を久しぶりに開いてみたところ、いきなり目に飛び込んできたのが以下の文章です。

「国家にとって、法律をつくっておきながらその法律を守らないことほど有害なことはない。とくに法律をつくった当の人々がそれを守らない場合は、文句なく最悪だ。」

「国家にとってもう一つ有害なことは、様々な人物を次々と糾弾し攻撃することによって、国民の間にとげとげしい雰囲気をかもしだすことである。」

企業などで言えば、ルールを作って周知しておきながら、社長自らがそのルールを逸脱して平気でいると、当然社員・スタッフはしらけてしまって誰もルールを守らず、真面目にやったものが損をするという気持ちが蔓延した統制の取れない集団になってしまいます。これは組織やチームというべき状態ではなく、たまたま今だけここにいる、お金のためにここにいる、同じ会社で働いている同僚かもしれないが所詮他人であり他人がどうなろうと知ったこっちゃない、というのが本音の人々の集団だと言っても過言ではない状態だと言えるのではないかと思います。そういう中小企業は厳に存在しており、加えて、社長に対して誰も何も言えないということが往々にしてあるため、不満は表出せずに内部でくすぶり続けます。そういう企業に入って従業員インタビューをすると「上の人の言っていることとやっていることが矛盾している」という声がよく聞かれます。それを経営者に伝えると大抵は怒りの矛先が当の従業員に向かってしまうのでインタビュー結果の取扱は要注意です。しかしいずれかのタイミングでそれをしっかり経営者にお伝えし、結果として経営者がその振る舞い方を見直さないと、面従腹背・今だけ金だけ自分だけの面従腹背状態からは脱却できず、業績は改善せず、退職者は後を絶たずテキトー社員だけが残り、社長は「こんなにいい施策をやっているのになぜ我が社は良くならないんだ?」という疑問を持ち続ける裸の王様のまま、ということになりかねません。内省力の高い経営者の場合は、一旦怒りの矛先が従業員に向かっても、自らを批判的に見て、「あ、悪いのは自分だったんだ」となって、改めて虚心坦懐にインタビュー結果と向き合い、改善に取り組むために従業員の話に改めて耳を傾け、自分が何をすべきか、従業員には何を求めるべきかというところからやり直す方もいらっしゃいます。(これができる経営者は強い組織を作ることができるようです)

さて、今年は「甲辰」の年とのことで、十干は「甲」、十二支は「辰」だそうです。甲というのは「新芽が出る」「難しいことを突き破る」という意味があるそうです。その前年の十二支の「卯」が「地中でうごめいていたものが地上に現れる」ということとつなげて考えると、新しい良いことの顕在化ということもあるのでしょうけど、昨年の後半頃から、それまで分厚い蓋で覆われていた「やっちゃいけない偉い人の良くない行い」が徐々にあらわになってきて、今年はさらにそれらがより明確に見えてくる年になるのかも知れません。新しい良いことの顕在化という点では新産業が現れたり、ということもあるかも知れませんし、また良くないことについては狎れあいでテキトーなところで曖昧にされることもあるかも知れません。

最初のマキャヴェッリ語録に戻ると「国家にとってもう一つ有害なことは、様々な人物を次々と糾弾し攻撃することによって、国民の間にとげとげしい雰囲気をかもしだすこと」という言葉がありますが、1月9日の日経新聞にはユーラシアグループが発表した「2024年の世界の10大リスク」が載っており、その筆頭が「米国の分断」でした。自分の考えと合わない人を、口を極めて罵る、罵って溜飲を下げる、罵ったことを同じ考えを持つ人から褒められてつかの間の承認欲求を満たす、交流分析的に言うと「Aが働いていない」状態で「You not OK」という価値観の自己への刷り込みがさらに強化されていく、その結果分断は埋まらない、という良くない状態が続く恐れがあります。ちなみにリスクの2位は「瀬戸際の中東」とあり、同じ日の日経新聞には「ブリンケン米国務長官が、ガザでの戦闘が中東の周辺地域に転移する恐れがある」と述べたとの記事もありました。なぜ使われている言葉は「飛び火」ではなく「転移」なのでしょう?戦争は治らない人類の病弊だということでしょうか。

分断は米国だけの傾向ではなく、残念ながらわが国でもネット空間を震源地としてそれが常態化し、現実世界にまで相当及んできているような気がします。私たちの住む北陸では能登半島を中心に大きな地震が元日に発生し、今も住まいを失った方々、日々の食事・排泄・睡眠・風呂など健康を維持することすらままならない人々、事業所や工場などが被災して仕事が出来ない状態の企業、予約のキャンセルなどで収入が激減したサービス業など、大変な困難の中にあります。人を誹謗中傷している暇があったら・・・と言いたくもなりますが、人のことを言う前に自分はなすべきことをしているのだろうかと自問自答する日々です。マキャヴェッリ語録

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小阪裕司さんの『「価格上昇」時代のマーケティング』

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ワクワク系マーケティングの小阪裕司さんの著書です。昨年購入していたのですが、ようやく読むことができました。

私たちの国では、30年続いたデフレの下なかなか値上げができませんでした。思うに、色んなものが100円で売られており、例えば文具店に行くと150~200円ぐらいするポストイットとそれほど品質に差を感じないものが百均では100円。あれも100円。とにかく安いのが良い、安くないと売れない、という感覚になりきってしまっていたような気がします。

しかしここ1~2年、コロナ禍での事業者の疲弊、北洋材の品薄による木材の値上げ、ウクライナでの戦争の影響による小麦価格の値上げ、なんだか理由がよくわからない原油価格の値上げによる電力料金の値上げ、などボディブローのようにじわりじわりと色々な「原価」が値上がりをしてきました。その結果、多くの企業で「利幅が薄くなってきた」「コロナが明けてようやく黒字が見えてきたと思ったらまた赤字だ」という状況になり、しかもそれがこれまでの「安いのが良い」という感覚麻痺によって「値上げ」という選択肢が出てこず、包装を簡易にして価格を維持しようとか銀行は封筒をATMコーナーから撤去してコストを切り詰めようとか、そういう弥縫策に走り、結局自身で首を絞めているような感じになっているように私は感じています。

そんな中、顧客にとって価値のある商品・サービスを作り、その価値を伝えることも含めて提供していけば、それに見合った価格にすれば良い、そのためには日頃から顧客との関係をしっかり構築しておき、顧客が気づいていないニーズへの訴求や顧客が知らない価値を教えることでお客から対価を得る、といったことが書かれているこの本は目から鱗でした。

工場でものづくりをしている人たちは日頃顧客と接することがありません。自分たちが作っているものがその後どういう経路を経て何と組み合わされてどういう人がどんな恩恵を得ているのかということもなかなか知る機会がありません。そうした場合でも、経営者が顧客(発注元企業)の喜びの声(ポジティブなリアクション)を聞いてきて、社内に伝えることで、働く人々も「喜ばれている」「役に立っている」「私の仕事には意味がある」と感じることができ、それが明日へのエネルギーになる、ということです。

p49にヴィクトール・フランクル博士の『夜と霧』に関する記載がありました。曰く「より生き延びる確率が高い人は生きる“意味”を持っている人であることがわかった。」 企業の場合でも、一人ひとりの社員が「ここで働くのは自分にとってどういう意味があるのか」ということに思いを致し、何らかの答を得ることができた社員は元気が出、継続する力が湧いてくるものと思います。そういう機会を作ることも経営の仕事でしょうし、その問いに対してポジティブな答が見つかるような会社であれば永続性は高まっていくものと思います。「ここで働く意味」とはなんでしょうか。「成長」「共感」「仲間」「(もちろん)給与や休暇などの処遇」といった人としての当たり前のことが組織として提供できているかどうか、人を単なる労働力としてしか見ていない企業、人を企業の目的を一緒に実現していくための仲間として見ている企業、同じように給料を払い働いてもらっているだけかも知れませんが、その両者には大きな違いがあるのではないかと思います。経営に携わる人々は、自身で、或いは職場の仲間とともに、時にはそんなことを考えることも必要ではないか、ということもこの本を読んで感じました。「価格上昇」時代のマーケティング

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公式伝記『イーロン・マスク』

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まだ52歳の若さで伝記が出る人物。父のエキセントリックな子育て、南アフリカの過酷な環境など子ども時代の体験がその後のこの人の人格を形成しているのだろうということは想像できますが、この人の天才的な発想や同時にいくつもの事業を経営し続け、新たなことにも挑戦していく頭脳がどこから出て来るものか、はこれとはまた別の理由や背景があるようにも感じます。ただ、一攫千金を得た父を乗り越えたいという思いはあったのだろうなと感じます。子どもの頃、昼から夜の9時までぶっ通しで本を読み続ける集中力、授業中に先生が呼びかけると窓外の景色のことを返事してしまう、これも集中力、何かに没頭するとまさに寝食を忘れてのめり込む集中力、仕事の合間の休憩にやるゲームでも集中してしまう(休憩になっているんだろうか?なっているんでしょうね、きっと)集中力。天才と言われますが、天賦の才は頭脳そのものではなく頭脳を集中して使い続けられる集中力のことを言っているのかなという気にすらさせるのがイーロン・マスク氏の本を見た感想の一つです。

家族では、まず弟のキンバル・マスク氏。私自身は初めてそういう人の存在を知りましたが、イーロン氏の事業において欠かすことのない貴重な存在であることが、本からはにじみ出てきます。母のメイさん。父は恐らく厳父だったのでしょうけど、母は慈母といって良いような印象を受けました。人生の多くの場面でお母さんが出て来ます。とっても仲が良さそうです。また、最初の奥さんとの間に5人の子をもうけ、その後3回か4回、結婚または非婚の状態で子どもをもうけており、数えていませんが、たぶん10人ぐらいのお子さんがいるようです(亡くなったお子さんもいるようです)。

イーロン・マスク

物理法則以外は規則とは言わない物理法則以外は勧告である・・・本人の抱えている病気のせいか、人の心への配慮があまりできない人のようで、心理学などはこの人の中では下位に属しているようです。しかし組織運営においては学ぶべき点もありそうな感じです。曰く
・技術系管理職は実戦経験を積まなければならない。たとえばソフトウェアチームの管理職なら仕事時間の20%以上は実際にコーディングをしていなければならない。ソーラールーフの管理職なら、自分も屋根に上って設置作業をしなければならない。そうしなければ、馬に乗れない騎兵隊調、剣の使えない将軍になってしまう。
・まちがうのはかまわない。ただし、自信を持った状態でまちがうのだけはやめにしよう。
・自分がやりたくないことを部下にやらせてはならない。
・解決しなければならない課題に直面したら、管理職に伝えて終わりにしないこと。階級を飛ばし、管理職の下の人間と直接会うこと。
・採用では心構えを重視すべし。スキルは教えられる。
・失敗して学べ。
・第1戒:要件はすべて疑え。頭のいい人が決めた要件ほど危ない。私が定めたものであっても、要件は必ず疑え。そして、おかしなところを少しでも減らせ。第2戒:部品や工程はできる限り減らせ。第3戒:シンプルに、最適にしろ。(必要のないものを最適化するのではなく必要のないものをなくした上での最適化であること。)第4戒:サイクルタイムを短くしろ。工程は必ずスピードアップが可能だ。第5戒:自動化しろ。これは最終段階だ。自動化から始めるのは間違い。要件をすべて洗い直し、部品や工程を減らせるだけ減らし、バグをつぶし切るまで自動化は待たなければならない。(これらはこの順序のとおり行うこと)

著者のウォルター・アイザックソン氏によると、本の事前校閲のようなことをイーロン氏は一切行っていないそうです。イーロン・マスク氏にとって有限の時間の中で何を優先すべきかという、そのリストの中にすら自身について書かれた本の校閲などという項目はないのかも知れません。

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スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

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ここ最近アメリカの少し古い映画を観ています。先だってはスコット・アステアの「コンチネンタル」。びっくりしたのは、その当時(たぶん1930年代)のアメリカでは、左ハンドルの車と右ハンドルの車が共存していたことです。全編ダンスが多く、最近のインド映画かと思うところもありました。ま、あくまで私の個人的印象ですので、全然違うのでしょうけどね。

さて直近で観たのが「華麗なるギャツビー(グレート・ギャツビー)」です。スコット・フィッツジェラルドという人の原作です。

本はまだ途中ですが、色んな点が私にとっては不条理に感じられ、いわく言い難い後味が残っています。書かれたのが第一次世界大戦の七年ほど後。映画には何度もなっているようですが、私が観たロバート・レッドフォードのこれは1974年のものです。本の中に気になった文章があったので抜き書きしておきます。

「アメリカ人は、農奴たることはいやがらぬばかりか、進んでなりたがるくせに、貧農たることは昔からいつも頑固にこばもうとする人間なのである。」(新潮文庫p144)・・・意味不明。

「三十歳-今後に予想される孤独の十年間。独身の友の数はほそり、感激を蔵した袋もほそり、髪の毛もまたほそってゆくことだろう。」(同p225)・・・これはうまく韻を踏んだ気の利いた言葉のように感じましたので採録しました。

グレートギャツビー

映画の中では、男たちがいつも顔といわず首筋といわず汗をかいているのが気になりました。顔にあれだけ汗をかいているということは、シャツの背中も下着の中もびっしょり汗をかいているに違いないのですが、画面にはとにかく汗をかいている男たちの顔の大写しが多かったです。汗の意味は、真夏だという設定もあるのでしょうけど、それぞれがなにがしかの隠し事や後ろ暗いことがあり、緊張しているということを表現したのだ、というような説もあるようです。

現代アメリカを代表する作品だということなので、私の感じた不条理感、違和感はさておき、本の方も最後まで読み切って、何が「20世紀最高の文学の2位」なのか、考えてみたいと思います。日本語訳なので、米国の方々のような味わい方は難しいのでしょうけど。

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ドストエフスキー『未成年』

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数年前にドストエフスキーの『白夜』という短い小説を読みました。なんとも言えない幻想的な失恋小説でした。その時の個人的な印象を言えば、装丁の影響を受けたのか、どことなく日本の「雪女」を連想させられました。そこから改めてドストエフスキーに挑戦していこうと決意したのがこの投稿内容のきっかけになります。

ドストエフスキーは大学に入った年に、ちゃんとした小説を読まなければという思いで挑戦したものです。最初は肩慣らし(ロシア文学への心のハードルを下げるための練習)として『貧しき人々』を読み、人物の名称や表現に馴染んだ上で『罪と罰』に取り組みました。それからかれこれ40年近くを経て、7年前の2016年、一週間ばかし仕事からも世間からも離れられる機会がありこの機を逃してなるものかと思い『カラマーゾフの兄弟』を読みました。村上春樹さんの小説にはしばしばこの本のことが出てきていたので、随分前から気になっていたものです。さらにちょうどその頃亀山郁夫さんの新訳が話題になり、筒井康隆さんが亀山訳によってようやく読めたという主旨のことを仰っていたので、それでは、と私も挑戦しました。いわゆる五大長編の1と5だけを読んだことになります。

それで終わっても良かったのかも知れませんが、あと三作を読まないというのもどうかなと思い、『白痴』『悪霊』『未成年』のどれがいいかなあと検討。なんとなく『未成年』というのはあまり聞きませんし、他の二作の重そうなタイトル、巷間耳にするそれらの小説の重々しさに比べるとまだ軽いのではなかろうかという期待がありました。という安易な理由で『未成年』に取り組んだのが数年前。三、四十ページくらいのところであえなく挫折してしまいました。何が面白いんだろう?ということと、見開きに改行が一つもない文字びっしりのページの連続で、しかも言いたいことが伝わりにくい難解さ(ビジネス文書ではないという割り切りをすべきだったのでしょうけど)、ということで、ほうほうの体で逃げ出したという感じでした。

今年の初めだったと思いますが、丸谷才一さんが「読まれないドストエーフスキイ」と書いておられた『ステパンチコヴォ村とその住人たち』を偶然書店で見つけ、帯に「ドタバタ笑劇」とあったので、一気呵成に読みました。その勢いで5月に改めて『未成年』に挑戦し、約2カ月半かかって読み終えた次第です。

やはり前回同様何度も挫折しそうになりましたが、この間、他の小説には見向きもせずに取っ組み合いをしてきました。後になってわかったのですが、主人公には母の違う姉がいるのですが、その女性のことを「主人公が好意を持っている2人のうちの一人の女性」だと錯覚していました。確かに振り返って読み直してみると「姉」であるとはっきり書いてあるのですが、途中で忘れてしまっていました。そのくらい混乱する小説です。

しかし今回勉強になったことがあります。ロシアの名前のつけかたは、本人の名前・父の名前(少し変形)・苗字、という構成になっているようで、例えばこの小説の主人公であるアルカージー・マカローヴィチ・ドルゴルーキーは、苗字がドルゴルーキー、父の名前はマカール、本人の名前がアルカージー、となっています。姉のアンナ・アンドレーエブナ・ヴェルシーロワは、ベルシーロワが苗字の(たぶん)女性名詞、アンドレイが父の名前(父は、アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフ・・・実は主人公アルカージーの実父でもある)、アンナが本人の名前、という具合です。それがしっかり頭に入っていれば、アンナ・アンドレーエブナがヴェルシーロフの娘であり、すなわち主人公と同じ父を持つ姉弟であることもすぐに理解できたはずなのに・・・という思いに駆られます。しかも同じ人物でも、呼ぶ人によって言い方が異なるため、それらが同一人物であるとちゃんと認識しないままに話しが進んでしまうこともあり、複雑な物語が余計わかりにくくなってしまいます。読み手の力不足ではありますが。

しかし後半から亀山郁夫さんがお書きになった参考図書「ドストエフスキー五大長編を解読する」などを時々眺めたこと、全巻終了後に、他の参考図書にも目を通すことで、もやもやっとしていたことが多少は見通しが明るくなったような気がします。中でもフランスに亡命したロシア人作家アンリ・トロワイヤの『ドストエフスキー伝』は直截的で「目から鱗」状態でした。これら参考図書にはとても助けられました。

未成年

最後にいくつか抜き書きを。

新潮文庫上巻p519「われわれは韃靼(タタール)族の侵略にさらされ、その後二百年というもの奴隷状態におかれました」・・・参考図書 NHK出版『世界史のリテラシー 「ロシア」はいかにして生まれたか タタールのくびき』

新潮文庫上巻p568「自分が公正な者は、裁く権利がある」・・・ラスコーリニコフ?

新潮文庫上巻p575「アルカーシャ、キリストはすべてを許してくださいます。おまえの冒涜も許してくださるし、おまえよりももっとわるい者だって許してくださるんだよ」・・・親鸞聖人悪人正機説?

新潮文庫下巻p142「笑いがもっとも確実な試験紙だ・・・赤んぼうを見たまえ、あかんぼうたちだけが完全に美しく笑うことができる」

新潮文庫下巻p265・・・マカール・イワーノヴィチ(主人公の名義上の父)の最後の言葉「なにかよいことをしようと思ったら、神のためにすることだ、人によく見られようと思ってしてはいけない」

さて、しばらくはドストエフスキーから一旦離れ、いずれまた未読の小説集と長編二作に戻ってきます。

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