商店街の救世主たるか「まちゼミ」の取組

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 ご縁があって、「まちゼミ」という商店街活性化のセミナーを聴講した。
 講師は「まちゼミ」の創始者であり、岡崎市の化粧品店㈱みどりやの専務取締役の松井洋一郎氏。
 
 岡崎市の中心市街地は全体で年商500億円あったのが、郊外型ショッピングセンターの進出によって70億円まで縮小したらしい。
 松井氏は同じ商店街の仲間とともに、イベント、町おこし、祭り、ホコ天、などなど様々な取組をしてきたが、イベントの時はそれなりに人々が商店街に繰り出すものの、各店の売上が上がるわけでもなく、イベント以外の時には街には閑古鳥が鳴いている状態から脱却できなかったらしい。
 それが「まちゼミ」という取組を始めたところ、個店に来るお客が増え、街全体も活気が戻ったという話である。
 しかもその取組の結果、岡崎市の中心市街地商店街では、当初11店舗で始め、最初の年の「まちゼミ」への来店客数は190人だったのが、11年後の今では130店舗で行われ3800人もの来店客になったとのこと。この間、閉店した店は1か所もないらしい。
 しかも全国の商店街が同じ取組を展開し、現在までに150か所で繰り広げられているとのことである。これまでに「まちゼミ」を始めてやめた商店街はわずか1か所のみ。つまりどこでも効果が表れているということだ。
 話を聞けば聞くほど、当たり前といえば当たり前のことをやっているのだと思う。
 お店で日常的に接客している商店主が、その持っている店の取扱商品などに関する知識やノウハウのごく一部を、「まちゼミ」というイベントの時に、あらかじめ予約して来てくれた客に、無償で提供する。しかもその時間中は、商品をお勧めしない=販売活動は停止する、というもの。イベント時間は通常60分と限定。これを商店街ぐるみで期間を決めて行う。
 松井氏の店では、初年度のイベント来店客数が10人、うちリピーターになった人が2人、11年後の今は来店客数が240人(イベント回数も増やしたらしいが)、リピーターが40人以上。これらのお客は固定客になっており、増収につながる。
 今どき、中心市街地だの商店街だので、増収などという言葉はついぞ耳にしたことがなかったので、びっくり仰天である。
 確かに、最近は、ものを買いに行った時に、それに関してとか、あるいは買う前の疑問点をお店の人に聞くということをあまりしない。
 私自身、先日、ある文具を知ろうと思って文具店に行ったが、ショーケースに入っていて、取り出して試用させてもらおうという気持ちにならなかった。出してもらっておきながら何も買わなければ店の人に悪いなあという気持ちが働いたからである。一方、同じメーカーの安価な商品はショーケースではなく、露出で展示されていたが、ショーケースの中のものと比較ができないから、それでいいのかどうかの判断もできない。
 かくして私は何もできずにその文具を買わず、店にしても顧客とのコミュニケーションはもちろん、販売チャンスをみすみす失ってしまったのである。
 現代はこのように店と顧客のコミュニケーションが希薄になり、ものの本当の情報がフェイス・トゥ・フェイスで伝わりにくくなっており、ビジネスチャンスも狭まっている。
 「まちゼミ」はこのような状況を打開し、商店街ならではの強み(情報に詳しい専門家=店主が直接来店者とコミュニケーションが取れ、聞きたいこと、知りたいことを顧客に対面で伝えることができる)を大いに発揮できる。年の功も存分に強みとして発揮でき、さらに店のファンを増やし、売上の確保・増加にすらつなげることができるというものである。
 富山県の全部の商店街で取り組んでほしいものだと心から強く感じた。

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ホリディ・コンサル始動

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 中小企業診断士の資格をいただいてから早14年。
 この間、診断士としての実務には携わっていない。
 診断士資格を維持するためには、たゆまぬ知識の学習と現場(診断・指導・助言等)の実務(とその証明)が必須である。
 診断協会のお世話で、補習としての実務に携わらせていただいたことはあるものの、資格維持のためには本当の意味で実戦を積んでおかなければならない。
 しかしコンサル会社にでも勤めていない限りそういう機会はなかなかないし、機会があったとしても一般的な企業は副業禁止のため仕事として(お金をいただいて)行うわけにはいかない。
 組織のルールを順守しながら実務経験をして資格を維持していくためにはどうしたら良いか。
 悩んでいたら、ある人から、土日で空いている時間に「ボランティア」でコンサルしたらどうか、と助言をいただいた。
 それはいいかも!と思い、知人に相談したところ、企業を紹介してあげようと暖かい言葉。
 ということで、某日、富山県の東部にある企業を訪れた。
 これが私のホリディ・ボランティア・コンサルの事始めとなる。
 その企業は、大手メーカー数社を顧客に持つxx製造業。
 具体的なことはもちろん書けないが、組織のこと、人材のことなど、社長は色々課題認識を持っておられる。
 それらについて、一気に片づけられるものではなく、整理して優先順位をつけつつ、アドバイスをしていかなければならない。
 日本にある企業約420万社のうち99.7%は中小企業であり、従業員の約7割はそれら中小企業に属していると言われている。地域に根差し、地域の産業・雇用を、必ずしも安定的にとは言い切れない側面もあるけれど、しっかり確保し税金も払っておられるのがそれら中小企業の経営者・奥様・従業員たちである。その方たちに敬意も持って接し、私などが学んできた組織の組み方やITの活用、人の活かし方など、少しでも有用な情報を提供し、社長や従業員の人たちの役に立つことができれば、これまで学んできた甲斐があろうかと思う。
 できることにも使える時間にも限りはあるけれど、少しでもお役に立てればと念じつつ、また私自身も学ぶ機会を与えていただいたことに心から感謝し取り組んでみたい。

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ラリー・ドレスラー著『プロフェッショナル・ファシリテーター』

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 先達がSNSに投稿しておられたのに刺激をいただき、読んだ。
 著者は組織開発コンサルタントでありファシリテーターのラリー・ドレスラー氏。監訳を森時彦氏が務め、佐々木薫さんという方が訳している。
 ファシリテーションをやっていると、ミーティングが炎上することがある。
 そんな時、進行役はあせり、怯え、その場を収めようと躍起になるか、権力を使って頭から“反抗者”を押さえつけて議論を自分の都合のいい方へ持って行くか、大概どっちかの行動を取りがちになる。
 通常は上司が進行役ではなく、そのため前者が大半である。
 さて、炎上した時に上記のようにならないようにするために必要なことは何か。炎上をかわすテクニックについて書かれた本であろうかと思っていたが、どうやらそうではない。炎上した会議を乗り越えていくために必要なことは、テクニックではなく日頃からの肚の持ち様、心の持ち様が大切とのことである。
 
 心の持ち様について、6つの切り口で書いてある。(本では「6つの流儀」と紹介されている)
 1.自分の状態変化に敏感になる。
 2.「いま、ここ」に集中する。
 3.オープンマインドを保つ。
 4.自分の役割を明確に意識する。
 5.意外性を楽しむ。
 6.共感力を養う。
 私には、これら6つの心構えの中でも、特に「オープンマインドを保つ」というのと「自分の役割を明確に意識する」というのが参考になった。
 これらの心の状態であるためには、謙虚であること、知らないことを素直に認めること、自分は自分のためにこの会議の場にいるのではなく、会議参加者グループのためにいることを忘れないことが大切だということだ。
 要はファシリテーターたるもの、自分可愛い、自己防御本能から少し離れた心持ちで役割に徹することが必要だということだろうと理解した。
 実際に炎上した現場で、何事もないようにかつ真摯な態度を崩さずに振る舞えるようになるのは、そうそう簡単なことではないが、日頃の心の鍛錬(=自分の役割に対する覚悟と言い換えてもいいだろう)が大事であることを改めて学ばせてもらった。

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小出宗昭さんの『小出流ビジネスコンサルティング』

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 静岡銀行出身の小出宗昭氏の書かれた『小出流ビジネスコンサルティング』という本。
 小出氏は「富士産業支援センター 通称f-Biz」と言われる中小企業支援機関のセンター長である。
 “企業支援のカリスマ”などとも言われ、今や経済産業省のご意見番的な存在になっている。
 さてこの本は、近代セールス社という出版社から出されている。
 主に銀行員向けの業界誌や通信教育などを手がけている。
 そのためか、小出氏自身は既に銀行に籍は置いておられないと思われるが、語り口調は主に小出氏の後輩たる若き銀行員に向けて語られた「こうあって欲しい」「こうあるべきだ」「そのためにはこういう姿勢で企業経営者と接して欲しい」といった書き方になっている。
 もちろん銀行員以外が読んでもいいのだが、ご本人の出身母体や出版社の性質上、その辺は少し差し引いて理解しておけば混乱しなくていいような気がする。
 さて内容。
 コンサルとしては極めてオーソドックスな、定石について書かれた、コンサルのイロハ、であると思う。
 しかし、決して教科書的ではなく、小出氏自身が、銀行というどちらかというと、顧客企業と対等以上の立場にいらっしゃった所から、顧客企業と同じ目線、同じ立ち位置にまで降りてこられ(その間の葛藤はあったと思うが)、顧客企業の目線、さらには顧客企業のお客さんの目線からものを見、実際に知恵を出し相談相手に提携先の紹介をしたり新商品のネーミングを考えたりプロモーションの手伝いをしたりという、実体験に基づいた書き物であり、その点が、そこらのコンサル教科書本と大いに異なる点である。
 書かれていることはオードソックスで教科書的であるが、その背景にあるものがご本人が(恐らく)七転八倒してつかんだ、本当の体験に裏打ちされているので、単語ひとつ取っても空疎な感じがない。一つひとつの言葉に重みがあるので、すっと心に入ってきて、しかも残る。
 この本の中、どこを切っても生々しい血流が吹き出すような感じなのだが、当然全部は紹介できない。
 ここでは、私が特に重要だと思った3つの着眼点のうち、1つをご紹介するにとどめる。
 おしまいの方に、企業支援者にとって必要な3つの資質について書かれている。
 1.ビジネスセンス
  これすなわち、相談者(企業経営者)の真のニーズを引き出し、それを本人に自覚させ(教えるのではなく、自分で気がついた、と納得してもらうことがその後の本気の取組において極めて重要)、相談者とともにセールスポイントや経営課題を見出し、成果・解決に結び付けられる能力、のことだと定義されている。
 そしてそのプロセスには(1)課題発見と(2)アイディアの具現化が必要。
 (1)課題発見のポイントは①強みが明確か?②ターゲットの設定は適切か?③セールスポイントがターゲットに対して正しく伝わっているか、の3点。
 (2)アイディア具現化(つまり、企業の課題を解決するために取り組むべき事項)のポイントは①世の中のトレンドや顧客のニーズに対して自社の強みを適切に充てること、②現実的であること(実現できること)、③リスクを最小限に抑えつつチャレンジできる方法を考えること、の3点。
 2.コミュニケーション力
  ①信頼構築のための聞き出す力
  ②相互理解のために質問力
  ③経営者の行動を促すための伝える力
(世の多くのコンサル本では、「聞き出す力」と「質問力」などは言葉が似ているので、誤解されないように、往々にして違う単語を使ったりする箇所であるが、小出氏はあえて誤解を恐れず、類似の単語でありながら自分の言葉として使い分けておられる。このあたりが「千万人と雖も我往かん」の既成の権威を恐れずに猛進する小出氏の真骨頂が表れているような気がする。)
 3.情熱
 ということである。著書にはたとえば、ビジネスセンスを磨くにはどうしたら良いか、だとか、経営者から信頼される質問をするためには日頃どういう心掛けが必要か(上から目線の仕事の仕方に慣れている人は直しなさいね、と書いてある)、などについても平明に説いてあるのだが、ここではこの辺にしておく。
 基本的な内容ではあったが、実践に基づくという点が大変参考になった。
 コンサルタントも営業に忙しいビジネスパーソンも、日頃の鍛錬が大切なのは一緒だ。

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映画「春を背負って」の登場人物を交流分析的に見てみる

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 昨日、富山県の立山を舞台にした映画「春を背負って」を観た。
 険しい山を舞台に、人が生きる喜びを取り戻していくような、観ている私も元気(酸素)をいっぱいもらえるような、そんな素晴らしい映画だった。
 さて、ちょっと即物的になるが、「春を背負って」の登場人物を交流分析の「機能分析」でどの類型に当てはまるか、なんて試みを自分なりにしてみた。
 ・小林薫さんが演じた父親はまさしく支配的な親のCPのイメージ
 ・檀ふみさんが演じた母親はそのまんま東
  ではなく、そのまま養育的な親のNP
 ・蒼井優さんが演じた愛ちゃんは天真爛漫なFC
 ・豊川悦司さんが演じたゴローさんはモロ成熟した大人のA
 ・そして主人公、我らが松山ケンイチさんは子どもの頃、山小屋開きなどにいつもつき合わされ、いやでいやでしょうがないが逆らうこともできず、大人になって親から離れるという反発をしてしまった、順応とその反対行動が出てしまったAC
 ということで、結果は主要人物5人がものの見事に5つの類型にはまっている(ように思える)。
 このほかに、主人公の友だちのサトシも父に敵わず、弱い自分をあきらめているAC、主人公の勤めていた会社の上司は父と同じCP、山岳救助隊の体調も父のような厳格さを持ったCP、そして、色んな人や立山の自然にもまれて少しずつ成長していく松山ケンイチさん演じる主人公のトオルは弱弱しいイメージからだんだん脱却し、最後にはCPとAがしっかり自分の中で育っていく、そんな様を感じられた。
 まあ、分析的な視点はどうでも良いが、素晴らしい映像・素晴らしいキャスティングだった。
 当然我々の目には直接は映らないが、それらを支え、味わいを引き出す木村大作監督をはじめ、素晴らしいスタッフがいてこそ作り上げられた日本映画史上に残る作品だと思う。

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システム監査技術者の試験に合格

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 ある先輩から、数年前に「システム監査技術者」の資格を取っておいたらいいぞ、と言われた。
 しばらくは頭の片隅にあったぐらいだった。
 私が就職して最も勉強した分野の一つがデータ通信であった。これはその時の業務上、やむにやまれぬことだった。
 しかしそれはデジタル時代における技術を理解する上での基礎的な知識だったおかげで、今でもIT関係の様々な情報が違和感なく理解することができる。
 私が情報通信業界の片隅で営業をしていたのが15年前までだ。
 その後、営業第一線を離れてマネジメントやコミュニケーション系の仕事を経験させていただき、遂には情報通信業界そのものから離れ、かれこれ6年が経過した。
 自分の中のITチックな素養はまだ通用するだろうか、との思いがあり、資格試験にチャレンジしてみようかと思った。
 と言っても、データベースやセキュリティなど、情報技術の最新の実地経験が必要な分野に挑戦するほど愚かではない。
 何年か前に言われた「システム監査技術者」という先輩の一言を思い出し、試験の内容を調べた。
 ギリギリ、情報通信の端っこぐらいの位置からでも取り組めそうな唯一の試験がこれだ、と思い、力試しと運試しのつもりでチャレンジした。 
 一昨年初めて受けた時は、IT知識や要素系の内容を問う「午前Ⅰ」と「午前Ⅱ」までが合格点だったが、午後の試験はてんであきまへん、という結果だった。「午後Ⅰ」と「午後Ⅱ」は本当に歯が立たなかった。
 昨年は色々別の用事があり受験せず、今年「午前Ⅰ」の合格有効期限が最後ということもあって、年明けから通信教育も行って一昨年より相当真面目に準備をして再チャレンジした。
 結果、合格させていただくことができた。
 今の会社で役に立たせることは全くできないが、将来に亘り、これまた世間様にお返しするタイミングがあればと思う。
 まずは、私の受験勉強を心優しく見守ってくれ、応援してくれた家族に心から感謝したい。
 ありがとうございました。

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田中啓文さんの『蓬莱洞の研究』

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 ライトタッチのSF伝奇学園もの小説、田中啓文さんの『蓬莱洞の研究』。
 この人の本はいわゆるハチャハチャSFの系統に近い、というふうに思っている。
 例としては『蹴りたい田中』である。ヨコジュンこと横田順彌さんに作風が近いのかなと思っており、気持ちをほぐすSFとして前作などは読んでいた。
 こちらはしかし、伝奇とホラーが入ってきており、軽くはない。とは言え、田中啓文さんらしく、オチはしっかりダジャレでまとめていただいており、は? ・・・わははははははははははははははは、となること請け合い。
 言うならば、筒井康隆さんと横田順彌さんを足し合わせて、半村良さんと高橋克彦さんを少し振りかけたような味わいの学園伝奇SFものである。
 最近はホラー小説でヒット作を出しておられるようだが、私はあえてこの手のハチャハチャオヤジギャグシリーズを、今後とも応援したい。

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出口治明さんの『仕事に効く教養としての「世界史」』

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 著者は生命保険の世界では知る人ぞ知る立志伝中の人物、ライフネット生命会長兼CEOの出口治明さんである。
 歴史を学ぶことは、人間の営みを知ることであり、国の名前や年号を覚えることが主眼ではない。
 人々がどういう場合にどういう判断をしどういう行動をしその結果何がどうなったかを知ることだと思う。
 但し、色々な出来事や判断が全て冷静に客観的に理性的に行われてきたかというと、そうでないことが結構多い。
 例えば、民族大移動などは、どこそこへ行けばこういういいことがある、現地の人々と話し合って少し住む場所を分けてもらおう、などといって行われたわけではない。
 大方が気候変動によって作物が取れなくなったり、食用にしていた生き物がいなくなったりしたことが原因であろうし、移動先にいる先住民を蹴散らして住もうとしていたことが大半であると歴史は教えてくれている。
 そんなわけで、歴史の出来事は必然的な要素と偶然的な要素が絡まり合っているので、今同じシチュエーションがあったからといって同じ判断や結果にはならないが、学ぶべきところは多いと思う。
 また、世の中というのは常に流動しており、ひと時も固定的なことはないのだということも歴史から学ばれる点である。
 このことは既に鴨長明が方丈記で喝破していることであり、今さらここで声高に叫ぶ必要のあることではない。
 さて『仕事に効く教養としての「世界史」』は、上述したようなことを、世界史を概観しながら、しかも特定の地域や国に焦点を当てるのではなく、テーマを絞って、それにまつわる国々や人々を縦糸・横糸を駆使して、著者の知識と見識を語ってくれている良書である。
 単に世界史の知識を披歴するのではなく、歴史上の事象をを縦から横から関連づけて、著者の理解・解釈を交えて語ってくれているので、歴史好きにとってはおさらいプラス新たな知見を得ることができるという効用もあり、新しい解釈に触れることもできるので、とても楽しい。
 歴史はあまり好きではない人にとっては、人々の営みや外国の成り立ちの背景にこんなことがあったんだ、と気づく楽しみ方があるかも知れない。
 私にとって「目から鱗」だったのは、奈良時代の女帝たちには隣国のロールモデルがあったこと、焚書坑儒は実は墨家潰しだったのではないか、17世紀から19世紀前半までは中国とインドで世界GDPの半分を占めていたのであって最近の両国の勃興は歴史の大潮流からすれば波が再び戻ってきたようなことだとの認識などなどである。
 こういう知見は、まさに5000冊の歴史書を読んできた出口治明さんという「樽」の中で揺籃し、熟成させられたもののほんの一部であろうと思われる。
 ユーラシアの歴史における「トゥルクメン」、西欧の歴史における「ヴァイキング」など海と陸の移動系・遊牧系・狩猟系民族の果たした役割の重要性についても面白い語りがなされている。
 著者は、これらを紐解く鍵として、交易を置いている。「人類を発展させるための重要な手がかりは交易である」という考え方が著者の文明観の根底に流れているような感じがする。栗本慎一郎氏やカール・ポランニー博士などの考え方と共通しているのかも知れない。
 さて、では歴史を学ぶことの意義とは何か。
 著者は「人生の出来事に一喜一憂するのではなく、長いスパンで物事を考え、たくましく生き抜いてほしい」と仰っている。「今日まで流れ続け、明日へと流れている大河のような人間の歴史と、そこに語られてきたさまざまな人々の物語や悲喜劇を知ってほしい」「それが人生を生き抜いていく大きな武器になる」と私たちに語りかけている。
 本書でも言われている「縁もゆかりもない人々が<同じ国民であるという>植え付けられた国家という幻想」(米政治学者ベネディクト・アンダーソン)、ということも含め、自分たちの国や共同体や地域や親戚などの狭い領域だけに捉われた判断をせず、視野を広く持って考え、判断していくように、歴史に学ぶことはこれからも多そうだ。

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村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル 第1部』

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 知人の薦め(?)で、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』に着手。
 先日伊勢神宮に参詣した折の行きのJR車中で、「第1部 泥棒かささぎ編」のおおむね半分ぐらいを読み、その後は断続的にパラパラと読んできた。
 この第1部のおしまいの方にノモンハンでの軍隊の活動が書かれてある。
 そこまでの現代物語とはまったく様相を異にする内容で、妙な違和感があるが、この小説を書くに際して、著者はノモンハンのことを相当調べたようであり、してみると、村上春樹さんは、実はそれを強く言いたいのかな?と思う。
 特に興味深かったのが次のような記述である。(主人公が世話になった人の遺品を届けにきてくれた元軍人の回想話の中の一節)
 「戦線がどんどん前に進んでいくのに、補給が追いつかんから、私たちは略奪するしかないのです。捕虜を収容する場所も彼らのための食糧もないから、殺さざるを得んのです。間違ったことです。 (中略) うちの部隊でもやりました。何十人も井戸に放り込んで、上から手榴弾を何発か投げ込むんです。 (中略) この戦争には大義もなんにもありゃしませんぜ。こいつはただの殺しあいです。そして踏みつけられるのは、結局のところ貧しい農民たちです。 (中略) そういう人を意味もなくかたっぱしから殺すのが日本の為になるとはどうしても思えんのです。」
 この言葉が実態かどうかはわからないが、かのローマの戦争・・・周辺を攻めるけれども、人を殺すこと自体が目的ではなく、ローマ文明を広げ、それによって国境地域の安定化を図ることが目的であり、そのため恭順すれば寛容で迎え入れ、ローマ人と同じ権利義務も付与していく政策。また周辺の安定化のため、軍とともに、必ずロジスティクスを確保し(当たり前のことであるが)、コツコツと道路を建設し、医療施設や入浴施設なども一緒に建設して都市を作っていく・・・という営みと比較すると、なんということか、と思ってしまう。
 村上春樹さんはそういうようなことを訴えたいと思ったのかも知れない。
 まだ、第2部、第3部が残っているので、以上の見方は間違った捉え方かも知れないが、途中経過で感じたことを記しておきたい。

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司馬遼太郎さんの『街道をゆく33 奥州白河・会津のみち;赤坂散歩』

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 NHK大河ドラマ「八重の桜」・・・ここ何回か観ていないので最近の放映内容に疎いが、会津戦争の辺りから、そういえば司馬遼太郎さんは会津のことをどう思っていたのだろう? あるいは、会津についてどういう書き物を残しているのだろう?と気になっていた。
 私と司馬さんの接点といえば、中学3年生の頃に放映されたNHK大河ドラマ「花神」に始まり、幕末関係で言えば、小説、ドラマいずれも薩長土肥側から見たものだけだった。一度なじむと、人間、その方が居心地がいい。そのため、おのずと「会津は敵」という史観がじんわり自分の中に定着していた感がある。それはたぶん司馬さんの本意ではなく、たまたま歴史上の主人公を誰にして小説を書いたか、だけの話であり、彼の著書には「王城の護衛者」や「最後の将軍」「新選組血風録」など、倒幕された側の人々が主役のものも幾冊もある。ただ私がそれらを遠巻きに眺めていただけのことだ。
 さて、今年の大河ドラマは、そういう偏った私のものの見方を改めさせてくれている。ようやく妙な呪縛めいたものから解けて、司馬さんが会津をどう見、どう語っていたかを調べてみようという気になった。彼が比較的書きたいことを自由っぽく書いた紀行ものの一つに「街道をゆく」のシリーズがある。その第33巻に会津編が掲載されている。
 ゆっくり時間をかけて全文を読んだ。
 初めの頃、会津とはなんの関係もない(ように見える)ストーリーが延々と語られ、大阪を出発するまでに1章をかけており、その後も東京の話やら関東の話やら空海の話やら松尾芭蕉の話やら白河の関にまつわる話やら源融の話やら源義経の話やら源平屋島の戦いやらあっちへ行ったりこっちへ来たり、一体いつになったら会津が出てくるのか、やっぱり司馬さんは会津がきらいだったのかな?と読み止まることしばしば(ジョークではない)。
 しかし、中盤に来て会津徳一という奈良末・平安初期の旧仏教の〝知的豪傑〟の話が出てきて、これも幕末の会津とは関係がないのだが、そろりと「会津」という単語を入れた話を聞かせてくれたり、旧陸軍大将だった柴五郎の話(会津戦争で肉親が自害、その後会津の藩替えで、藩の人々とともに凍える寒さの斗南藩で大変な苦労をしたことなど)が紹介されたり、山下りんというロシア正教会の修道女のイコンの話があったりして、徐々に幕末の会津に近づく。
 今放映されている「八重の桜」にも重要なポジションで紹介されているが、会津藩家老だった山下浩という人物が明治後期に世に出した「京都守護職始末」という松平容保公と会津の人々の記録に筆が及ぶや、一気呵成に幕末会津の活躍ぶりやその後の仕打ち(悪役を仕立て、その悪役を倒すことで新政府が前政府に勝って天下を取ったということの正統性を示すための犠牲として扱われた)についての記述がなされている。江戸期における教育水準の高さ、純朴で他人のせいにしない悲しいくらいの潔さ、そういう会津人気質を司馬さんはガラスの風鈴を扱うようにいとおしんでいるように思える。
 「会津藩」という章を司馬さんは次のような一節で括っている。この一節の末尾、括弧書きの中に司馬さんの当時の会津の人々に対する哀悼と尊敬の気持ち、自分は大阪人だが会津の人々の悔しさ・無念さをわずかでも代弁できないものか、という葛藤の混じった思いがこもっているような気がする。
 <藩としての精度が高かったために、江戸時代、国事にこきつかわれた。・・・中略・・・この藩は北辺の各地に陣屋を設けて国家の前哨の役目をしたが、寒さのために罹患して死ぬ者が多く、いまも北海道やその属島に会津陣屋あとや藩士の墓がのこっている(このことについて、国家は一度も旧会津人に感謝をしていない)。>

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