本日、地元の税務署に「個人事業の開業届出書」と「所得税の青色申告承認申請書」を提出してきました。
また県税事務所には「個人の行う事業の開始届」という書類を提出してきました。
前日の4月13日には、6年9か月お世話になった富山県内の地域金融機関を円満退社させていただきました。サラリーマン生活31年と13日に終止符を打ち、新たな門出を迎えました。
退職から開業まで少し時間が欲しかったのですが、諸般の事情でゆっくりとはいておられず、退職の翌日に早や開業届提出となった次第です。
前職において退職に向けて事務を進めていただくことになってからは、自分の営みとしては独立に向け様々な準備を行いました。
参考に簡単に記載しておきます。(順不同です)
1.個人で行くか法人を設立するかの検討 ⇒ とりあえず個人で行くこととし「個人事業の開業届出書」と「所得税の青色申告承認申請書」と「個人の行う事業の開始届」を準備。正本のほかにコピーを一枚用意しておき、それにも受付印をもらう。(後々いつ開業したんだっけ?ということがわかるように、その他開業届をしたことの確認書類としても必要になるケースがあるそうですから。)
2.青色申告を行うため、会計・税務処理のやり方を検討 ⇒ 色々なパソコンソフトを調べた結果、自分のニーズ(販売管理との連携、低廉な料金、ある程度のサポートの充実、仕訳の簡便さ、クラウド対応、制度変更時のアップグレードの容易さなど)に最も適していた「MFクラウド確定申告」と「MFクラウド請求書」というクラウドサービスの利用を決定。これ、銀行の収支やクレジットカードの支払情報なども引っ張ってきてくれるので、仕訳入力が楽です。(なんでもかんでも仕事の経費にしてはいけないので取捨選択は必要ですが)
3.屋号を検討 ⇒ 個人名だけでは様にならないので、自分の名前の後ろに「中小企業診断士事務所」をつけることに。(事務所というよりは自宅の一角を事務部屋にしただけなのですが・・・)
4.名刺の作成 ⇒ パソコンを使って自分で作ることもできますが、どうせならロゴが入ったカッコいいものがいいと思い、プロのいる印刷会社に相談。小学校の時から好きだったマークと自分の思いを伝えてプロのデザイナーの方にアレンジしてもらいました。気に入ったのができました。
5.挨拶ハガキの作成 ⇒ 自己紹介用のハガキサイズのカードを作成するつもりでしたが、開業当初は訪問できない方々に対する挨拶状が必要だと気づき、急遽ハガキの作成に切り替え。名刺と一緒に依頼したので、ロゴも入り、ブランド戦略っぽくなりました。
6.ハンコの作成 ⇒ 請求書に押すハンコは個人なので丸印でもいいようですが、屋号をつけた以上は、角印があった方が適切だろうと考え、はんこ屋さんに相談しました。後からネットで調べると3分の1程度の値段でできたようですが、開業当初は顔を見て話ができる人にお願いするのが良いのだ、と割り切ることにしました。
7.会計書類の保管方法の検討 ⇒ 今まで買物から帰ってきたらゴミ箱行きになっていた領収書類は、仕事に要したものは軽費として課税対象から引くことができるため、会計帳簿に記入するだけでなく、証拠書類として保管しておかなければならないということにも今さらながら気づいた次第です。そのため、A4サイズの2穴バインダーファイルを購入。A4の紙に1件ずつ貼付の作業を行っている次第です。
8.これらの開業前の諸々のお金は「開業費」として計上でき、しかも通常は5年程度で償却する「繰延資産」というものになるらしいです。もちろん税務当局がどう判断なさるかはわかりませんが。
9.マイカーの用意、ホームページの立上げ ⇒ 去年の終わり頃から徐々に準備してまいりました。ホームページとこのブログのリンク張りも行いました。
10.独立開業の基本的準備事項 ⇒ ドメインやSWOT分析的なことや夢の整理やスキルの棚卸などが、独立開業の大前提として極めて重要なのは言うまでもありません。が、これは別の時に書かせていただきます。
仕事については、富山県新世紀産業機構の中小企業支援センターでの「よろず支援拠点」という経営相談事業などに携わらせていただく予定です。
50代半ばの独立開業は、定年前としては早すぎるようにも思います。またコンサルタント業へ乗り出していくには、少し年齢を重ねすぎたかなという気もします。しかし、こういうものはたぶんタイミング=自分がやろうと思った頃合いが一番いいタイミングなのではないかと思います。
今後、ふるさと富山を地盤に、これまでお世話になったNTTグループや地域金融機関の方々への恩返しも含め、私の経験や知識を活かし、地に足をつけて80歳くらいまでしっかりと仕事をしていきたいと思っています。
組織人ではなくなったとは言うものの、一人でできる仕事の範囲などたかが知れています。色んな方々と力を合わせて助け合いながら企業の支えとなって行きたいと思っています。ゆるやかに、柔軟に、フレキシブルにチーム編成などをしながら、企業・組織の様々な課題に取り組んでいきたいなと思っています。
(ご同道の士の皆さん、ご指導・ご鞭撻・お力添えのほど、よろしくお願い致します!)
投稿者「kazuto nakajin」のアーカイブ
ホリディ・コンサル・2ndステージ
昨年の秋から行っている「ホリディ・ボランティア・コンサル」。
昨年中は結局、会社の求人活動に役立てることを目的としたホームページの制作、となった。
ホームページ作りは専門家にお任せして、私自身は盛り込むべき項目の検討、コンセプト作り、社長挨拶、先輩社員インタビューなどのお手伝いをした。
年末に仕上がり、その後の採用活動の側面的なお役には立てたようである。
入社志望者が何人かあり、それぞれホームページを見ているとのことだった。
明けて1月、次の課題を社長からいただいた。
今度は社長を支える立場の幹部の方々のリーダーシップ向上に向けた取組である。
部下指導のためには、まず上司が自己管理ができていることが大事だが、現時点では幹部の方々も特段の目標設定があるわけではない。
そのため、部下指導を行うも何も、何をもって指導していいかの基盤が社内にないことがわかった。
そこで、まずは全社共通認識となるよう、各自が自分で目標を設定し、目標管理をしていくというところから始めることになった。
目標管理というと、各自が自己申告した目標を上から管理され、できないと低い評価しか得られず、昇給や昇格にマイナスになるので、あまり高いハードルを設けないようにしよう、という従業員側の防衛策が取られ、結局うまくいかない、といった事象が見られる。
しかし本来の目標管理は自己の成長のための手法であり、会社が業績評価をするための指標などはまた別のものである、というようなことをドラッカー教授も言っている。
この企業においても、まずは全員が目標を持ってこの一年仕事に取り組み、できれば「良かったね」できなければ「じゃあ次どうしよう?」という話し合いを上司と一緒に考え対策を取っていく、ということをしていく。
この話し合いの営みを通じて、上司は上司の役割を担っていき、部下は自己成長に取り組むとともに上司との親密な間柄を構築でき、企業との紐帯を強めていくことにつながる。
そんな絵に描いたようにうまいこと行くはずがない、かも知れないが、対話のやり方をお伝えし、それをチェックし、スムーズな話し合いをプロデュースし、求める結果に近づくように支援してくのが私の役割である。
人の成長に関することなので、成果をあせってはいけない。ましてや個人の成長目標の設定などこれまでやってきたことのない企業である。色んなことが初めてで、従業員の皆さんも相当戸惑うことと思う。一つずつ紐解きながらお手伝いをし、皆さんにとってレベルアップが実感でき、収益にもつながっていくよう取り組んでいきたい。
通信環境の整備
ファクシミリを一台導入し、本日電話番号の設定工事が行われました。
ファクシミリはブラザーの複合機です。
通常はファクシミリと電話にそれぞれ別の番号をつけるのでしょうが、私の所は一つの番号で電話とファクリミリを兼用すれば十分です。
そうそうファクシミリが届くわけでもないし、通常は携帯電話で連絡がつくはずなので。
問題はその受信の仕方です。
先輩のT中小企業診断士にならい、受信したファクシミリをDropboxに自動転するように設定しました。
設定等に少し時間がかかりましたが、なんとか成功。
これをやっておくと、仮に色んな所から私には不要なファクシミリが届いても、プリントアウトせずに(トナーの無駄遣いなしに)内容を確認することができます。しかも出先からでも。
紙として出力したければ、家に帰ってきてから出力すればよし、不要ならデータのまま削除すればよし、ということで、情報管理に気をつけつつではありますが、クラウドをうまく活用すれば色んなことができそうです。
2015(平成27)年の大河ドラマスタートに際して
今年、平成27年(西暦2015年)の大河ドラマは吉田松陰の妹・文が主人公だということである。
今さらではあるが、一昨年は同じ幕末・維新の物語ではあるが、新政府からすると敵とされてしまった、同じ日本の会津藩・新島八重が主人公であった。
番組放送当時、川崎尚之助という人物が気になっていた。
昨年末に偶然書店で見つけたのが、あさくらゆう氏の著書『川崎尚之助と八重』(知道出版)という本である。
川崎尚之助が大河ドラマで登場した当初は、とても江戸時代の武家らしからぬ、現代風の容姿・振る舞い・喋り口調の人物であり、配役のミスではないかと思っていた程度の印象だった。
しかし回を重ねるにつれ、会津の人々の向学心や国の行く末を思う気持ちに対するこの人物の取組姿勢が真剣で清々しく感じられていった。
会津藩の最後の方では、京都に駐在して帰ってこられなくなっていた山本覚馬(義兄)に代わり、(この頃既に会津藩士になっており、かつ大砲頭取という役職を拝命していたこともあってだろうが)会津藩士たちに対して、軍事教練をも行い、会津城籠城戦では、妻・八重とともに新政府軍と激しい戦いを行った。
同じ日本人同士、同じように国の行く末を思いつつ、色々な行き違いが重なって、遂には国の敵とされてしまった会津。
出身は但馬の国、出石藩でありながら、学問を縁として会津に出仕し、真面目一筋で生き抜いた川崎尚之助。
敗戦の責任を問われ、会津藩兵は東京へ送られ、さらに青森県の斗南を藩として与えられ、自然環境の厳しい中、その地を開墾したり、自給自足の生活の工夫を行う。
しかし俸給は少ないため困窮すさまじく、藩の窮状を救おうと、川崎尚之助は、上司とともに函館に渡り、斗南で生産される“予定の”作物と米の交換交渉に当たる。現金に換える産物がまだないため、いわば先物取引に応じてくれる商人を探すのである。信用も交換すべき物産もなかったが、ある人物の仲立ちにより、幸いデンマークの商人と折衝をすることができた。
仲立ちをしてくれた人物は斗南藩の商業担当者と名乗ったようだが、それは嘘偽りで、その人物は斗南藩とも会津藩とも関わりのない人物であり、しかも別の外国商人から多額の借金をしていた。そして会津藩が降り出した手形をその外国商人に渡していたため、商談が大混乱し、裁判にまで発展してしまった。
さらに色々なトラブルが重なり、川崎尚之助は、それらを藩の命令で行ったことではなく、自分だけの思いでやったことだと供述し、やがて肺炎となり、39歳で亡くなってしまう。
恐らく川崎尚之助は、日本全体の中でも相当優秀な人材であり(山本覚馬同様)、時と場所が異なっておれば、国全体に対しても相当な貢献をし、健康と幸せに恵まれた生涯を送ったと思われるが、残念ながらそうはならず、失意のうちに人生を終えざるを得なかったものと思う。
1986年に放映された幕末の会津を描いたテレビドラマでは、川崎尚之助は「逃げた男」というような描かれ方をしたらしい。しかし、一昨年の大河ドラマ「八重の桜」では、開明的で男女平等的で思いやり深く一途な人物として見事名誉復活を果たした。
川崎尚之助の資料は非常に乏しく、この人物像をつかむために、NHKスタッフもそうだろうが、今回読んだ本の著者も相当な苦労をなさったようだ。色々な史料に当たり、実家を探し当て、兄筋のご子孫にも協力を要請したり(兄筋のご子孫も川崎尚之助が縁者とはご存知なかったらしい)、執念の探索としか言いようのない努力をなさっている。
ひたむきな努力と執念の取材・調査が実って、この本が世に出ることができたようだ。
川崎尚之助について著者曰く「一にひたむきな努力が認められ、二にその素直な性格が会津藩に認められ、三に愛する八重に認められ、その思うがままに一途に尽くした人生だった。その最後も斗南藩の窮状を救うために一途に苦境と戦い、そして自身が暗黒星雲に飲み込まれるとも、八重や斗南藩を守るため、そのまま黙して昇華した。」
兄筋のご子孫も曰く「本人は、後悔なんかはしていない、ただ私の真実の姿を皆に分かってもらって欲しいと言っているような気がする。」
こういう人物たちが敗者の側にいて、それらを礎にしつつ、今日の日本の土台ができてきたということを感謝の念を持ちつつ、今年の大河ドラマを楽しみたいと思う。
ホリディ・コンサル第2回
先日訪問したxx製造業。
社長インタビューの内容を自分なりに整理した「メモ」を携え、本日2回目の打合せに参上した。
「メモ」は企業概況、現状、当面の課題といったような内容で構成しており、こちらの認識に間違いがないか確認しつつ、あらためて社長の思いを伺った。
課題は複数あり、全部いちどきに対策を講じることは困難なので、比較的すぐに手を打てることでかつ重要なテーマについて意見交換。
次回はそのテーマについて、主要メンバーにも入っていただき、前へ進めることとなった。
ボランティアとはいえ、真剣勝負。
自分の持てる知識・ノウハウ・友人知人などの人脈・この会社の役に立ちたいという思い、それらをフル動員して当たることになる。
商店街の救世主たるか「まちゼミ」の取組
ご縁があって、「まちゼミ」という商店街活性化のセミナーを聴講した。
講師は「まちゼミ」の創始者であり、岡崎市の化粧品店㈱みどりやの専務取締役の松井洋一郎氏。
岡崎市の中心市街地は全体で年商500億円あったのが、郊外型ショッピングセンターの進出によって70億円まで縮小したらしい。
松井氏は同じ商店街の仲間とともに、イベント、町おこし、祭り、ホコ天、などなど様々な取組をしてきたが、イベントの時はそれなりに人々が商店街に繰り出すものの、各店の売上が上がるわけでもなく、イベント以外の時には街には閑古鳥が鳴いている状態から脱却できなかったらしい。
それが「まちゼミ」という取組を始めたところ、個店に来るお客が増え、街全体も活気が戻ったという話である。
しかもその取組の結果、岡崎市の中心市街地商店街では、当初11店舗で始め、最初の年の「まちゼミ」への来店客数は190人だったのが、11年後の今では130店舗で行われ3800人もの来店客になったとのこと。この間、閉店した店は1か所もないらしい。
しかも全国の商店街が同じ取組を展開し、現在までに150か所で繰り広げられているとのことである。これまでに「まちゼミ」を始めてやめた商店街はわずか1か所のみ。つまりどこでも効果が表れているということだ。
話を聞けば聞くほど、当たり前といえば当たり前のことをやっているのだと思う。
お店で日常的に接客している商店主が、その持っている店の取扱商品などに関する知識やノウハウのごく一部を、「まちゼミ」というイベントの時に、あらかじめ予約して来てくれた客に、無償で提供する。しかもその時間中は、商品をお勧めしない=販売活動は停止する、というもの。イベント時間は通常60分と限定。これを商店街ぐるみで期間を決めて行う。
松井氏の店では、初年度のイベント来店客数が10人、うちリピーターになった人が2人、11年後の今は来店客数が240人(イベント回数も増やしたらしいが)、リピーターが40人以上。これらのお客は固定客になっており、増収につながる。
今どき、中心市街地だの商店街だので、増収などという言葉はついぞ耳にしたことがなかったので、びっくり仰天である。
確かに、最近は、ものを買いに行った時に、それに関してとか、あるいは買う前の疑問点をお店の人に聞くということをあまりしない。
私自身、先日、ある文具を知ろうと思って文具店に行ったが、ショーケースに入っていて、取り出して試用させてもらおうという気持ちにならなかった。出してもらっておきながら何も買わなければ店の人に悪いなあという気持ちが働いたからである。一方、同じメーカーの安価な商品はショーケースではなく、露出で展示されていたが、ショーケースの中のものと比較ができないから、それでいいのかどうかの判断もできない。
かくして私は何もできずにその文具を買わず、店にしても顧客とのコミュニケーションはもちろん、販売チャンスをみすみす失ってしまったのである。
現代はこのように店と顧客のコミュニケーションが希薄になり、ものの本当の情報がフェイス・トゥ・フェイスで伝わりにくくなっており、ビジネスチャンスも狭まっている。
「まちゼミ」はこのような状況を打開し、商店街ならではの強み(情報に詳しい専門家=店主が直接来店者とコミュニケーションが取れ、聞きたいこと、知りたいことを顧客に対面で伝えることができる)を大いに発揮できる。年の功も存分に強みとして発揮でき、さらに店のファンを増やし、売上の確保・増加にすらつなげることができるというものである。
富山県の全部の商店街で取り組んでほしいものだと心から強く感じた。
ホリディ・コンサル始動
中小企業診断士の資格をいただいてから早14年。
この間、診断士としての実務には携わっていない。
診断士資格を維持するためには、たゆまぬ知識の学習と現場(診断・指導・助言等)の実務(とその証明)が必須である。
診断協会のお世話で、補習としての実務に携わらせていただいたことはあるものの、資格維持のためには本当の意味で実戦を積んでおかなければならない。
しかしコンサル会社にでも勤めていない限りそういう機会はなかなかないし、機会があったとしても一般的な企業は副業禁止のため仕事として(お金をいただいて)行うわけにはいかない。
組織のルールを順守しながら実務経験をして資格を維持していくためにはどうしたら良いか。
悩んでいたら、ある人から、土日で空いている時間に「ボランティア」でコンサルしたらどうか、と助言をいただいた。
それはいいかも!と思い、知人に相談したところ、企業を紹介してあげようと暖かい言葉。
ということで、某日、富山県の東部にある企業を訪れた。
これが私のホリディ・ボランティア・コンサルの事始めとなる。
その企業は、大手メーカー数社を顧客に持つxx製造業。
具体的なことはもちろん書けないが、組織のこと、人材のことなど、社長は色々課題認識を持っておられる。
それらについて、一気に片づけられるものではなく、整理して優先順位をつけつつ、アドバイスをしていかなければならない。
日本にある企業約420万社のうち99.7%は中小企業であり、従業員の約7割はそれら中小企業に属していると言われている。地域に根差し、地域の産業・雇用を、必ずしも安定的にとは言い切れない側面もあるけれど、しっかり確保し税金も払っておられるのがそれら中小企業の経営者・奥様・従業員たちである。その方たちに敬意も持って接し、私などが学んできた組織の組み方やITの活用、人の活かし方など、少しでも有用な情報を提供し、社長や従業員の人たちの役に立つことができれば、これまで学んできた甲斐があろうかと思う。
できることにも使える時間にも限りはあるけれど、少しでもお役に立てればと念じつつ、また私自身も学ぶ機会を与えていただいたことに心から感謝し取り組んでみたい。
ラリー・ドレスラー著『プロフェッショナル・ファシリテーター』
先達がSNSに投稿しておられたのに刺激をいただき、読んだ。
著者は組織開発コンサルタントでありファシリテーターのラリー・ドレスラー氏。監訳を森時彦氏が務め、佐々木薫さんという方が訳している。
ファシリテーションをやっていると、ミーティングが炎上することがある。
そんな時、進行役はあせり、怯え、その場を収めようと躍起になるか、権力を使って頭から“反抗者”を押さえつけて議論を自分の都合のいい方へ持って行くか、大概どっちかの行動を取りがちになる。
通常は上司が進行役ではなく、そのため前者が大半である。
さて、炎上した時に上記のようにならないようにするために必要なことは何か。炎上をかわすテクニックについて書かれた本であろうかと思っていたが、どうやらそうではない。炎上した会議を乗り越えていくために必要なことは、テクニックではなく日頃からの肚の持ち様、心の持ち様が大切とのことである。
心の持ち様について、6つの切り口で書いてある。(本では「6つの流儀」と紹介されている)
1.自分の状態変化に敏感になる。
2.「いま、ここ」に集中する。
3.オープンマインドを保つ。
4.自分の役割を明確に意識する。
5.意外性を楽しむ。
6.共感力を養う。
私には、これら6つの心構えの中でも、特に「オープンマインドを保つ」というのと「自分の役割を明確に意識する」というのが参考になった。
これらの心の状態であるためには、謙虚であること、知らないことを素直に認めること、自分は自分のためにこの会議の場にいるのではなく、会議参加者グループのためにいることを忘れないことが大切だということだ。
要はファシリテーターたるもの、自分可愛い、自己防御本能から少し離れた心持ちで役割に徹することが必要だということだろうと理解した。
実際に炎上した現場で、何事もないようにかつ真摯な態度を崩さずに振る舞えるようになるのは、そうそう簡単なことではないが、日頃の心の鍛錬(=自分の役割に対する覚悟と言い換えてもいいだろう)が大事であることを改めて学ばせてもらった。
小出宗昭さんの『小出流ビジネスコンサルティング』
静岡銀行出身の小出宗昭氏の書かれた『小出流ビジネスコンサルティング』という本。
小出氏は「富士産業支援センター 通称f-Biz」と言われる中小企業支援機関のセンター長である。
“企業支援のカリスマ”などとも言われ、今や経済産業省のご意見番的な存在になっている。
さてこの本は、近代セールス社という出版社から出されている。
主に銀行員向けの業界誌や通信教育などを手がけている。
そのためか、小出氏自身は既に銀行に籍は置いておられないと思われるが、語り口調は主に小出氏の後輩たる若き銀行員に向けて語られた「こうあって欲しい」「こうあるべきだ」「そのためにはこういう姿勢で企業経営者と接して欲しい」といった書き方になっている。
もちろん銀行員以外が読んでもいいのだが、ご本人の出身母体や出版社の性質上、その辺は少し差し引いて理解しておけば混乱しなくていいような気がする。
さて内容。
コンサルとしては極めてオーソドックスな、定石について書かれた、コンサルのイロハ、であると思う。
しかし、決して教科書的ではなく、小出氏自身が、銀行というどちらかというと、顧客企業と対等以上の立場にいらっしゃった所から、顧客企業と同じ目線、同じ立ち位置にまで降りてこられ(その間の葛藤はあったと思うが)、顧客企業の目線、さらには顧客企業のお客さんの目線からものを見、実際に知恵を出し相談相手に提携先の紹介をしたり新商品のネーミングを考えたりプロモーションの手伝いをしたりという、実体験に基づいた書き物であり、その点が、そこらのコンサル教科書本と大いに異なる点である。
書かれていることはオードソックスで教科書的であるが、その背景にあるものがご本人が(恐らく)七転八倒してつかんだ、本当の体験に裏打ちされているので、単語ひとつ取っても空疎な感じがない。一つひとつの言葉に重みがあるので、すっと心に入ってきて、しかも残る。
この本の中、どこを切っても生々しい血流が吹き出すような感じなのだが、当然全部は紹介できない。
ここでは、私が特に重要だと思った3つの着眼点のうち、1つをご紹介するにとどめる。
おしまいの方に、企業支援者にとって必要な3つの資質について書かれている。
1.ビジネスセンス
これすなわち、相談者(企業経営者)の真のニーズを引き出し、それを本人に自覚させ(教えるのではなく、自分で気がついた、と納得してもらうことがその後の本気の取組において極めて重要)、相談者とともにセールスポイントや経営課題を見出し、成果・解決に結び付けられる能力、のことだと定義されている。
そしてそのプロセスには(1)課題発見と(2)アイディアの具現化が必要。
(1)課題発見のポイントは①強みが明確か?②ターゲットの設定は適切か?③セールスポイントがターゲットに対して正しく伝わっているか、の3点。
(2)アイディア具現化(つまり、企業の課題を解決するために取り組むべき事項)のポイントは①世の中のトレンドや顧客のニーズに対して自社の強みを適切に充てること、②現実的であること(実現できること)、③リスクを最小限に抑えつつチャレンジできる方法を考えること、の3点。
2.コミュニケーション力
①信頼構築のための聞き出す力
②相互理解のために質問力
③経営者の行動を促すための伝える力
(世の多くのコンサル本では、「聞き出す力」と「質問力」などは言葉が似ているので、誤解されないように、往々にして違う単語を使ったりする箇所であるが、小出氏はあえて誤解を恐れず、類似の単語でありながら自分の言葉として使い分けておられる。このあたりが「千万人と雖も我往かん」の既成の権威を恐れずに猛進する小出氏の真骨頂が表れているような気がする。)
3.情熱
ということである。著書にはたとえば、ビジネスセンスを磨くにはどうしたら良いか、だとか、経営者から信頼される質問をするためには日頃どういう心掛けが必要か(上から目線の仕事の仕方に慣れている人は直しなさいね、と書いてある)、などについても平明に説いてあるのだが、ここではこの辺にしておく。
基本的な内容ではあったが、実践に基づくという点が大変参考になった。
コンサルタントも営業に忙しいビジネスパーソンも、日頃の鍛錬が大切なのは一緒だ。
映画「春を背負って」の登場人物を交流分析的に見てみる
昨日、富山県の立山を舞台にした映画「春を背負って」を観た。
険しい山を舞台に、人が生きる喜びを取り戻していくような、観ている私も元気(酸素)をいっぱいもらえるような、そんな素晴らしい映画だった。
さて、ちょっと即物的になるが、「春を背負って」の登場人物を交流分析の「機能分析」でどの類型に当てはまるか、なんて試みを自分なりにしてみた。
・小林薫さんが演じた父親はまさしく支配的な親のCPのイメージ
・檀ふみさんが演じた母親はそのまんま東
ではなく、そのまま養育的な親のNP
・蒼井優さんが演じた愛ちゃんは天真爛漫なFC
・豊川悦司さんが演じたゴローさんはモロ成熟した大人のA
・そして主人公、我らが松山ケンイチさんは子どもの頃、山小屋開きなどにいつもつき合わされ、いやでいやでしょうがないが逆らうこともできず、大人になって親から離れるという反発をしてしまった、順応とその反対行動が出てしまったAC
ということで、結果は主要人物5人がものの見事に5つの類型にはまっている(ように思える)。
このほかに、主人公の友だちのサトシも父に敵わず、弱い自分をあきらめているAC、主人公の勤めていた会社の上司は父と同じCP、山岳救助隊の体調も父のような厳格さを持ったCP、そして、色んな人や立山の自然にもまれて少しずつ成長していく松山ケンイチさん演じる主人公のトオルは弱弱しいイメージからだんだん脱却し、最後にはCPとAがしっかり自分の中で育っていく、そんな様を感じられた。
まあ、分析的な視点はどうでも良いが、素晴らしい映像・素晴らしいキャスティングだった。
当然我々の目には直接は映らないが、それらを支え、味わいを引き出す木村大作監督をはじめ、素晴らしいスタッフがいてこそ作り上げられた日本映画史上に残る作品だと思う。