しんきろうマラソンに今年も参加しました

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ありそドーム
 今年で35回を迎えた「魚津しんきろうマラソン大会」。
 私は平成21年から参加し今回で7回目の出場になります。
 元々スポーツが得意だった方ではないので、そんな自分への挑戦、自分との闘いだと思い、7年前に一念発起して出ることにしました。
 但し、誰かと一緒に走っても遅いためにその人に迷惑をかけるのは明らかなため、一人で出ることにしました。
 結果は、7年前は練習もせずにいきなり出たものだから、途中でへたばってしまって2キロも走らないうちに歩き出してしまい、その後も何度も走っては歩き、ということの繰り返しでした。
 2年目からは少しは事前に練習するようになり、とにかく完走を目指そうと、とりあえず目標を「自分自身としての完走」ということに設定しました。
 途中からは30分を目途に、というふうにタイムも意識してやってきました。
 さて今年は・・・。残念ながら30分の壁は切れず、31分02秒ということで、初年度のワースト記録に次ぐ長時間でした。
 順位はこれまででは最高記録の202位。去年が203位でしたので、1位繰り上がりましたけれど、順位は今のところ目標にはしていないので、嬉しいですがほとんど関係ありません。
 去年と何が違ったのだろうか?と自分なりに振返りをしてみました。
 ①去年よりも1歳年をとった。(当たり前のこと)
 ②朝の習慣を少し変えた。(運動とは関係ない)
 ③会社員ではなくなった。(これも運動とはたぶん関係ない)
 ④食生活を果物と野菜を多く摂取するようにした。(ポール・マッカートニーは菜食主義者だけど3時間のコンサートで歌いまくって元気そのもの)
 ⑤前日散髪に行った。(体重は軽くなり風の抵抗も少なくなったはず)
 ⑥去年は半年ぐらい取り組んでいた腕立て伏せなどをやらなかった。(確かに、上半身も走りには影響あるらしいから・・・)
 ⑦事前の5キロ完走練習をしなかった。(これも、練習不足は否めない)
 ⑧本番前のアップをいつもよりも多くやってしまった。(疲れた、と言い訳しよってどうすんねん!)
 ということで、去年との違いで走りに影響が出そうなのは⑥と⑦.
 いくら天気が良くても<<<練習不足>>>はごまかせませんね!
 それにしても、天気は晴れ、湿度は52度というベストコンディションに恵まれ、楽しいひと時でした。
鴨
 本番前のアップ中に見かけた鴨のペア。のんびり浮かんでました。
見物人
 しんきろうマラソンの名のとおり、毎年今頃から蜃気楼が本格的に出てきます。
 今日も出ていたようで、号砲の前にランナーたちがカメラマンに交じって遠くに見える?見えてない?蜃気楼に目を凝らしていました。
しんきろうマラソン20150426海
 午前中は風もなく、こんなに穏やかな海でした。

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国民年金の第1号被保険者になりました。

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 勤めていた会社から「離職票」なるものが届きました。
 これの使い道はよくわかりませんが、「雇用保険失業等給付」というリーフレットなども同封されていたので、国民年金への加入申請と、合わせてハローワークへ職業紹介依頼兼失業保険の給付申請などに用いるものであろうと思われます。
 とりあえず今の時点で失業保険をいただく予定はないので、とりあえず国民年金の加入申請に市役所へ行ってきました。これ、市役所の他に、年金事務所ってところでも対応していただける(というか、むしろそっちが本家)のだそうです。
 今まではサラリーマンだったので、区分としては第2号被保険者(加入対象:65歳未満)。これからは自営業なので第1号被保険者(加入対象:20歳以上60歳未満)ということになります。
 市役所の職員さんから「免除申請はなさいますか?」と聞かれ、それなあに?って逆に聞き返しました。
 独立当初は一般に収入が少ないケースがあるため、年金保険料の一部又は全部を免除してもらえる制度だとのこと。
 私なりに理解した特徴は以下の3つ。
 ①免除が認めてもらっている間は、保険加入期間として扱われる(通算25年以上加入していないと後から年金がもらえないのですが、この期間もその25年以上の期間に加えてもらえる)ということ。
 ②通常、前年の所得をベースに納めるべき保険料が計算されるが、独立した場合は前年の所得をゼロとみなしてもらえるので、免除の承認がおりやすいということ。
 ③但し、免除期間は保険料を納めていないので、その期間の分だけやがておりてくる年金の額は当然少なくなる。
 独立した時には、そんなこともあれこれ考えながら、年金保険の対応をしていかなければならないようです。
 もちろん所得の多い人は悩むまでもなく、スパッと払えばよろしいようです。2年分前納、なんて制度もできたそうですから。

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よろず支援拠点での活動開始

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 今日から富山県新世紀産業機構内の「中小企業支援センター」において、「よろず支援拠点事業」という仕事の相談員(サブコーディネータ)という立場で参加させていただきました。
 何をするかというと、中小企業や小規模事業者の方々の経営上の色々な相談事に対応させていただく、という仕事です。
 初出勤でしたので、先輩相談員の対応模様を隣に座って勉強させていただく、というところからの出発です。
 企業の経営者の方々が考えておられることに対して、客観的に助言する仕事であり、何か一つでも二つでも役に立つ情報提供ができ、相談企業のビジネスがより良くなればいいなと思っています。
 一つひとつ勉強しながらの取組ですが、中小企業の経営課題に対応するための診断・助言を行う専門家として、有用なお手伝いにつながるよう頑張ります。
 ※参考「よろず支援拠点」とは:国が全国に設置する経営相談所です。 中小企業・小規模事業者の皆様の売上拡大、経営改善など、経営上のあらゆるお悩みの相談に対応します。
 富山の「よろず支援拠点」:富山県富山市高田527番地 情報ビル1F 公益財団法人 富山県新世紀産業機構 内
 Tel.076-444-5605 Fax.076-444-5646 E-mail:yorozu@tonio.or.jp
 参考URL:http://www.smrj.go.jp/yorozu/087938.html

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税務申告ばなしその2(源泉徴収について)

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 企業(コンサルタントにとってはお客さん)から仕事を請け負い、代金をいただく場合、給与所得者の場合は所属している会社が源泉徴収をしてくれます。
 源泉徴収すなわち、所得税を頭から差し引いて、企業が国に税金を納めるということです。従業員はいちいち自分で税金を計算して納めに行く必要はないということです。
 上記の「お客さん」からコンサル代金をいただく場合でも同様で、納税義務は代金を支払う側(企業=お客さん)にあるそうです。従って、たとえば1万円のコンサル代金を請求し、その額が振り込まれたとしたら、源泉徴収税10.21%は1万円に乗じて1,021円を企業が国に納めなければならないそうです。または、1万円から10.21%を逆算して(大体1,000円ほどになるのでしょうけど)、差し引いた額をコンサルに振り込む、ということになるのだそうです。
 個人で事業を営んで初めてわかるあれやこれやでした。
 勉強になります。

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個人事業主の税務申告の相談

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 個人事業主2日目となりました。
 ものの本を読むと、個人で所有する自動車・・・これは当然仕事で使うのですが、私用でも使いますが、そういう、資産なるものを、仕事部分を按分して貸借対照表に載せることができ、かつ減価償却費を損益計算書に載せて、費用として見ることができるというようなことが書いてあります。
 費用として見ることができるというのは、収入から差し引くことができるということで、それだけ税金の対象となる所得の額が小さくなるということで、細々と事業を営もうとしている私のような個人にとっては大変助かることです。
 ということで、実際どうなのか?と地元の税務署に聞いてきました。(売上もないのに何をしとるのか?と思われそうですが、来年の申告時期になってから慌ててもどうしようもないので、今のうちいまのうち)
 答えは一発、とてもシンプルでした。
 購入してから今までの期間の分について、購入価格に減価償却率という比率を掛け、その分がこれまでの価値の減少分とします。次に減少した価値を差し引いた残りが事業当初の資産額となります。その資産額に対して、これまた減価償却率を掛けた額が今年の減価償却費となります。それに仕事で使う割合(80%とか90%とか50%とか)を掛け、出てきた額が事業の費用として見させてもらえる、ということでした。
 但し、個人としての償却年数とか償却率は、事業用として見る場合と異なるので、やはり税務署という専門家に素直に話をして相談するのが間違いないようです。こんな複雑なこと、本やネットを見てもそうそうわかりませんからねえ。

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独立開業しました

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 本日、地元の税務署に「個人事業の開業届出書」と「所得税の青色申告承認申請書」を提出してきました。
 また県税事務所には「個人の行う事業の開始届」という書類を提出してきました。
 前日の4月13日には、6年9か月お世話になった富山県内の地域金融機関を円満退社させていただきました。サラリーマン生活31年と13日に終止符を打ち、新たな門出を迎えました。
 退職から開業まで少し時間が欲しかったのですが、諸般の事情でゆっくりとはいておられず、退職の翌日に早や開業届提出となった次第です。
 
 前職において退職に向けて事務を進めていただくことになってからは、自分の営みとしては独立に向け様々な準備を行いました。
 参考に簡単に記載しておきます。(順不同です)
1.個人で行くか法人を設立するかの検討 ⇒ とりあえず個人で行くこととし「個人事業の開業届出書」と「所得税の青色申告承認申請書」と「個人の行う事業の開始届」を準備。正本のほかにコピーを一枚用意しておき、それにも受付印をもらう。(後々いつ開業したんだっけ?ということがわかるように、その他開業届をしたことの確認書類としても必要になるケースがあるそうですから。)
2.青色申告を行うため、会計・税務処理のやり方を検討 ⇒ 色々なパソコンソフトを調べた結果、自分のニーズ(販売管理との連携、低廉な料金、ある程度のサポートの充実、仕訳の簡便さ、クラウド対応、制度変更時のアップグレードの容易さなど)に最も適していた「MFクラウド確定申告」と「MFクラウド請求書」というクラウドサービスの利用を決定。これ、銀行の収支やクレジットカードの支払情報なども引っ張ってきてくれるので、仕訳入力が楽です。(なんでもかんでも仕事の経費にしてはいけないので取捨選択は必要ですが)
3.屋号を検討 ⇒ 個人名だけでは様にならないので、自分の名前の後ろに「中小企業診断士事務所」をつけることに。(事務所というよりは自宅の一角を事務部屋にしただけなのですが・・・)
4.名刺の作成 ⇒ パソコンを使って自分で作ることもできますが、どうせならロゴが入ったカッコいいものがいいと思い、プロのいる印刷会社に相談。小学校の時から好きだったマークと自分の思いを伝えてプロのデザイナーの方にアレンジしてもらいました。気に入ったのができました。
5.挨拶ハガキの作成 ⇒ 自己紹介用のハガキサイズのカードを作成するつもりでしたが、開業当初は訪問できない方々に対する挨拶状が必要だと気づき、急遽ハガキの作成に切り替え。名刺と一緒に依頼したので、ロゴも入り、ブランド戦略っぽくなりました。
6.ハンコの作成 ⇒ 請求書に押すハンコは個人なので丸印でもいいようですが、屋号をつけた以上は、角印があった方が適切だろうと考え、はんこ屋さんに相談しました。後からネットで調べると3分の1程度の値段でできたようですが、開業当初は顔を見て話ができる人にお願いするのが良いのだ、と割り切ることにしました。
7.会計書類の保管方法の検討 ⇒ 今まで買物から帰ってきたらゴミ箱行きになっていた領収書類は、仕事に要したものは軽費として課税対象から引くことができるため、会計帳簿に記入するだけでなく、証拠書類として保管しておかなければならないということにも今さらながら気づいた次第です。そのため、A4サイズの2穴バインダーファイルを購入。A4の紙に1件ずつ貼付の作業を行っている次第です。
8.これらの開業前の諸々のお金は「開業費」として計上でき、しかも通常は5年程度で償却する「繰延資産」というものになるらしいです。もちろん税務当局がどう判断なさるかはわかりませんが。
9.マイカーの用意、ホームページの立上げ ⇒ 去年の終わり頃から徐々に準備してまいりました。ホームページとこのブログのリンク張りも行いました。
10.独立開業の基本的準備事項 ⇒ ドメインやSWOT分析的なことや夢の整理やスキルの棚卸などが、独立開業の大前提として極めて重要なのは言うまでもありません。が、これは別の時に書かせていただきます。
 仕事については、富山県新世紀産業機構の中小企業支援センターでの「よろず支援拠点」という経営相談事業などに携わらせていただく予定です。
 50代半ばの独立開業は、定年前としては早すぎるようにも思います。またコンサルタント業へ乗り出していくには、少し年齢を重ねすぎたかなという気もします。しかし、こういうものはたぶんタイミング=自分がやろうと思った頃合いが一番いいタイミングなのではないかと思います。
 今後、ふるさと富山を地盤に、これまでお世話になったNTTグループや地域金融機関の方々への恩返しも含め、私の経験や知識を活かし、地に足をつけて80歳くらいまでしっかりと仕事をしていきたいと思っています。
 組織人ではなくなったとは言うものの、一人でできる仕事の範囲などたかが知れています。色んな方々と力を合わせて助け合いながら企業の支えとなって行きたいと思っています。ゆるやかに、柔軟に、フレキシブルにチーム編成などをしながら、企業・組織の様々な課題に取り組んでいきたいなと思っています。
(ご同道の士の皆さん、ご指導・ご鞭撻・お力添えのほど、よろしくお願い致します!)

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ホリディ・コンサル・2ndステージ

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 昨年の秋から行っている「ホリディ・ボランティア・コンサル」。
 昨年中は結局、会社の求人活動に役立てることを目的としたホームページの制作、となった。
 ホームページ作りは専門家にお任せして、私自身は盛り込むべき項目の検討、コンセプト作り、社長挨拶、先輩社員インタビューなどのお手伝いをした。
 年末に仕上がり、その後の採用活動の側面的なお役には立てたようである。
 入社志望者が何人かあり、それぞれホームページを見ているとのことだった。
 明けて1月、次の課題を社長からいただいた。
 今度は社長を支える立場の幹部の方々のリーダーシップ向上に向けた取組である。
 部下指導のためには、まず上司が自己管理ができていることが大事だが、現時点では幹部の方々も特段の目標設定があるわけではない。
 そのため、部下指導を行うも何も、何をもって指導していいかの基盤が社内にないことがわかった。
 そこで、まずは全社共通認識となるよう、各自が自分で目標を設定し、目標管理をしていくというところから始めることになった。
 目標管理というと、各自が自己申告した目標を上から管理され、できないと低い評価しか得られず、昇給や昇格にマイナスになるので、あまり高いハードルを設けないようにしよう、という従業員側の防衛策が取られ、結局うまくいかない、といった事象が見られる。
 しかし本来の目標管理は自己の成長のための手法であり、会社が業績評価をするための指標などはまた別のものである、というようなことをドラッカー教授も言っている。
 この企業においても、まずは全員が目標を持ってこの一年仕事に取り組み、できれば「良かったね」できなければ「じゃあ次どうしよう?」という話し合いを上司と一緒に考え対策を取っていく、ということをしていく。
 この話し合いの営みを通じて、上司は上司の役割を担っていき、部下は自己成長に取り組むとともに上司との親密な間柄を構築でき、企業との紐帯を強めていくことにつながる。
 そんな絵に描いたようにうまいこと行くはずがない、かも知れないが、対話のやり方をお伝えし、それをチェックし、スムーズな話し合いをプロデュースし、求める結果に近づくように支援してくのが私の役割である。
 人の成長に関することなので、成果をあせってはいけない。ましてや個人の成長目標の設定などこれまでやってきたことのない企業である。色んなことが初めてで、従業員の皆さんも相当戸惑うことと思う。一つずつ紐解きながらお手伝いをし、皆さんにとってレベルアップが実感でき、収益にもつながっていくよう取り組んでいきたい。

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通信環境の整備

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 ファクシミリを一台導入し、本日電話番号の設定工事が行われました。
 ファクシミリはブラザーの複合機です。
 通常はファクシミリと電話にそれぞれ別の番号をつけるのでしょうが、私の所は一つの番号で電話とファクリミリを兼用すれば十分です。
 そうそうファクシミリが届くわけでもないし、通常は携帯電話で連絡がつくはずなので。
 問題はその受信の仕方です。
 先輩のT中小企業診断士にならい、受信したファクシミリをDropboxに自動転するように設定しました。
 設定等に少し時間がかかりましたが、なんとか成功。
 これをやっておくと、仮に色んな所から私には不要なファクシミリが届いても、プリントアウトせずに(トナーの無駄遣いなしに)内容を確認することができます。しかも出先からでも。
 紙として出力したければ、家に帰ってきてから出力すればよし、不要ならデータのまま削除すればよし、ということで、情報管理に気をつけつつではありますが、クラウドをうまく活用すれば色んなことができそうです。

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2015(平成27)年の大河ドラマスタートに際して

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 今年、平成27年(西暦2015年)の大河ドラマは吉田松陰の妹・文が主人公だということである。
 今さらではあるが、一昨年は同じ幕末・維新の物語ではあるが、新政府からすると敵とされてしまった、同じ日本の会津藩・新島八重が主人公であった。
 番組放送当時、川崎尚之助という人物が気になっていた。
 昨年末に偶然書店で見つけたのが、あさくらゆう氏の著書『川崎尚之助と八重』(知道出版)という本である。
 川崎尚之助が大河ドラマで登場した当初は、とても江戸時代の武家らしからぬ、現代風の容姿・振る舞い・喋り口調の人物であり、配役のミスではないかと思っていた程度の印象だった。
 しかし回を重ねるにつれ、会津の人々の向学心や国の行く末を思う気持ちに対するこの人物の取組姿勢が真剣で清々しく感じられていった。
 会津藩の最後の方では、京都に駐在して帰ってこられなくなっていた山本覚馬(義兄)に代わり、(この頃既に会津藩士になっており、かつ大砲頭取という役職を拝命していたこともあってだろうが)会津藩士たちに対して、軍事教練をも行い、会津城籠城戦では、妻・八重とともに新政府軍と激しい戦いを行った。
 同じ日本人同士、同じように国の行く末を思いつつ、色々な行き違いが重なって、遂には国の敵とされてしまった会津。
 出身は但馬の国、出石藩でありながら、学問を縁として会津に出仕し、真面目一筋で生き抜いた川崎尚之助。
 敗戦の責任を問われ、会津藩兵は東京へ送られ、さらに青森県の斗南を藩として与えられ、自然環境の厳しい中、その地を開墾したり、自給自足の生活の工夫を行う。
 しかし俸給は少ないため困窮すさまじく、藩の窮状を救おうと、川崎尚之助は、上司とともに函館に渡り、斗南で生産される“予定の”作物と米の交換交渉に当たる。現金に換える産物がまだないため、いわば先物取引に応じてくれる商人を探すのである。信用も交換すべき物産もなかったが、ある人物の仲立ちにより、幸いデンマークの商人と折衝をすることができた。
 仲立ちをしてくれた人物は斗南藩の商業担当者と名乗ったようだが、それは嘘偽りで、その人物は斗南藩とも会津藩とも関わりのない人物であり、しかも別の外国商人から多額の借金をしていた。そして会津藩が降り出した手形をその外国商人に渡していたため、商談が大混乱し、裁判にまで発展してしまった。
 さらに色々なトラブルが重なり、川崎尚之助は、それらを藩の命令で行ったことではなく、自分だけの思いでやったことだと供述し、やがて肺炎となり、39歳で亡くなってしまう。
 恐らく川崎尚之助は、日本全体の中でも相当優秀な人材であり(山本覚馬同様)、時と場所が異なっておれば、国全体に対しても相当な貢献をし、健康と幸せに恵まれた生涯を送ったと思われるが、残念ながらそうはならず、失意のうちに人生を終えざるを得なかったものと思う。
 1986年に放映された幕末の会津を描いたテレビドラマでは、川崎尚之助は「逃げた男」というような描かれ方をしたらしい。しかし、一昨年の大河ドラマ「八重の桜」では、開明的で男女平等的で思いやり深く一途な人物として見事名誉復活を果たした。
 川崎尚之助の資料は非常に乏しく、この人物像をつかむために、NHKスタッフもそうだろうが、今回読んだ本の著者も相当な苦労をなさったようだ。色々な史料に当たり、実家を探し当て、兄筋のご子孫にも協力を要請したり(兄筋のご子孫も川崎尚之助が縁者とはご存知なかったらしい)、執念の探索としか言いようのない努力をなさっている。
 ひたむきな努力と執念の取材・調査が実って、この本が世に出ることができたようだ。
 川崎尚之助について著者曰く「一にひたむきな努力が認められ、二にその素直な性格が会津藩に認められ、三に愛する八重に認められ、その思うがままに一途に尽くした人生だった。その最後も斗南藩の窮状を救うために一途に苦境と戦い、そして自身が暗黒星雲に飲み込まれるとも、八重や斗南藩を守るため、そのまま黙して昇華した。」
 兄筋のご子孫も曰く「本人は、後悔なんかはしていない、ただ私の真実の姿を皆に分かってもらって欲しいと言っているような気がする。」
 こういう人物たちが敗者の側にいて、それらを礎にしつつ、今日の日本の土台ができてきたということを感謝の念を持ちつつ、今年の大河ドラマを楽しみたいと思う。

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ホリディ・コンサル第2回

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 先日訪問したxx製造業。
 社長インタビューの内容を自分なりに整理した「メモ」を携え、本日2回目の打合せに参上した。
 「メモ」は企業概況、現状、当面の課題といったような内容で構成しており、こちらの認識に間違いがないか確認しつつ、あらためて社長の思いを伺った。
 課題は複数あり、全部いちどきに対策を講じることは困難なので、比較的すぐに手を打てることでかつ重要なテーマについて意見交換。
 次回はそのテーマについて、主要メンバーにも入っていただき、前へ進めることとなった。
 ボランティアとはいえ、真剣勝負。
 自分の持てる知識・ノウハウ・友人知人などの人脈・この会社の役に立ちたいという思い、それらをフル動員して当たることになる。

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