珠算塾創業者のお話しに学ぶ起業家のマインドセット

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 昨日8月24日(水)は第2回にいかわ創業スクールの開講前体験講座が開かれました。
 不肖私も創業経験者ということでお話しをさせていただいたのですが、私の前に登壇された、第1回の受講者の方のお話がとても良かったのでその一部を引かせていただきます。
 お話しされたのはHさんという珠算塾を営んでおられる女性の方でした。

 結婚後お子さんができられてしばらくしてから、久しぶりに子ども時代に通った珠算塾を訪れた、というところから話が始まります。
 昔のようにまた算盤を学びたいなと思われ、自身再チャレンジをし、お子さんも学び始められたということです。学習が進むにつれ昇級試験に挑戦したり、さらに他の教室の優秀な子どもたちを見るにつけどんどん学習意欲が高まってより高いレベルに挑戦し続けておられたある日、近所の子どもたちが算盤を教えて、と言ってくるようになり、今度は教育意欲が出てきました。
 寺子屋から塾への進化を図る過程で「事業」という考え方が沸いてきたのでしょう、ちょうど周りの人にご自分の夢を語っている時に、ちょうど昨年の「第1回創業スクール」の募集があり、タイミングよく応募され、受講に至ったそうです。

 はじめは塾の講師をしている普通のお母さんがご自分の経験談を語っておられるのだなあ、となんとなく拝聴していたのですが、お話しの内容を聞くにつれ「起業家が持つべきマインドセット」のエキスのようなものが全部詰まっていることに気づきました。あ、この人はすごいなあと感じ、Hさんのお話しのポイントを私の話においても随所で使わせていただきました。

・創業するのに必ずしも「その道」のナンバーワンである必要はない。他の人よりも少し前に進んでいるだけでも提供できる価値はいくらでもある。(但し継続的な学習や努力は必要)
・自分の思いを周囲に伝える。周りの人に相談するなど「思い」を発信し続けるとチャンスがやってくる。
・自分がどうしたいか、である。環境は関係ない。やりたいことがはっきりしていれば環境は変化する。
・私にもできる、という自信と勇気が大事。自信を持って努力を続ければきっとできる。
・将来を見据えつつも、着手は小局から。背伸びせず実現できる計画に収斂させる。そのためには客観的な外部の意見も聞きながら実現可能性の高い事業計画を作る。そして立てた計画は着実に実行する。

 わずか20分の講演でしたが、ものすごく中身の濃い内容でした。次回お目にかかることがあれば講演用のメモを拝見したいくらいです。ともかく私が一番学ばせていただきました。感謝!にいかわ創業スクール

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塩野七生さんの『ローマ人の物語29(文庫)』

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 塩野七生さんの『ローマ人の物語』、文庫版の第27巻、28巻を読んだのがもう4~5年前のことになります。
 第29巻からはローマ帝国の晩年に入っていきます。サブタイトルが「終わりの始まり」。
 物語は上を向いて進んでいく最中は書き手も楽しそうな言葉が躍っているし、それを読む私たち読み手もワクワク感があります(秀吉や信長などに関する書き物に対する個人的な印象です)。
 この『ローマ人の物語」もカエサルやアウグストゥス辺りの筆致はとても明るい感じなのですが、ティベリウス以降はちょっと事実を丹念に記述することにエネルギーが費やされているような少し下り調子な印象を受けます。
 そのためか前半とは著しく読書テンポが落ちてしまっています。
 今回の主人公はマルクス・アウレリウスです。
 この人は哲人皇帝と言われ『自省録』というストイックな哲学の本を書いており、第29巻においてもあちこちにその内容に触れられています。こりゃあ『自省録』を読まないと先に進みづらいなと感じてしまい、『自省録』を買うまでに数年かかってしまいました。先だって読み終え、ようやく第29巻再開となりました。

 さて。
 世界史では「ゲルマン民族の大移動」の時期を西暦375年( み な ご そっと移動)というふうに覚え、それが長期的なトリガーとなってローマ帝国が滅びた、と教わった記憶があります。
 塩野さんのこの本にはこういう記述があります。
 「番族の首長たちが首都を訪れ、彼らから皇帝に、帝国の支配下に入って他の属州民と同じ立場になりたいという申し出がなされた。しかし、皇帝は、ローマ帝国に何の効用ももたらさない人々を受け入れるわけにはいかない、と答えて、この人々の申し出を断った。」「これこそが、時代の変化の予兆であったのだ。紀元160年といえば、アントニス・ピウスの治世の最期の年で、この「慈悲深き人」は翌年に死去し、紀元161年からの皇帝はマルクス・アウレリウスに代わる。」「マルクス・アウレリウスも、この一事が時代の変化の予兆であったことに、気づかなかったということになってしまう。」(P197~198)
 「紀元170年の春を期して、ローマ軍はドナウを渡りダキアを北上し、大規模な攻勢に打って出た。」(P215)
 「ローマ軍の攻勢がダキアの北に集中しているスキを突いて、ちょうどその両脇にあたり地点からドナウ河を渡ったゲルマンの二部族が、実に大胆な行動に出ていたのだった。」「ウィーンの軍団基地を避けてそのはるか上流からドナウを越えたマルコマンニ族は、ローマ領内に入った後もひたすら南下してアクィレイアを襲撃した。」(P216)
 「リメス(防壁)破らる!の報が、帝国の西方に波のように広がっていった。」(p218)

 塩野さんがこの先どういうふうな話しの展開をなさるのかは読んでみないとわかりません。
 私の推測では、これらの記述が次のようなことの伏線になっているのではないかと感じています。
 カエサル以降、ローマは統制の取れた強い軍隊を持ちつつも、恭順してくる他部族に対しては、生存を認め、部族長にはカエサルという名前を与えることすら行い、農耕を進め定着を促し、闘う必要性をなくしてローマ化していったという平和維持のやり方を採っていたのに、このアントヌス・ピウス、そしてマルクス・アウレリウスは「ローマ帝国に何の効用ももたらさない」「撃退すればよい」という考え方で時代の変化にあった判断をせず、排外的で内向的な政策を取ってしまった・・・。
 つまりこれまでローマを発展させ安定させてきた価値観の一つである「寛容」と反することを時の皇帝が行ってしまったことが、近隣諸国の態度を硬化させ、それがゲリラ戦を招き、長い国境線を維持することによる疲弊と国力の低下をもたらしたのがローマの崩壊の遠因だ。

 少し遡ったところにこのような記述があります。これはアントニヌス・ピウス治世5年目に行われたアリスティデスという学者による演説からの引用です。
 「ローマは、すべての人間に門戸を開放した。それゆえに、多民族、多文化、多宗教が共生するローマ世界は、そこに住む全員が、各々の分野での仕事に安心して専念できる社会をつくりあげたのである。・・・中略・・・ローマ人は、誰にでも通ずる法律を整備することで、人種や民族を別にし文化や宗教を共有しなくても、法を中心にしての共存と共栄は可能であることを教えた。・・・中略・・・かつての敗者に対しても数多くの権利の享受までも保証してきたのである。」(P25)
 ピウスの晩年の判断は、果たしてこのローマの価値観からしてどうだったのだろうかと考えてしまします。

 塩野さんはこの巻でもカエサルを高く評価しています。
 「カエサルは天才だ。そして、天才とは、他の多くの人には見えないことまで見ることのできる人ではなく、見えていてもその重要性に気づかない人が多い中で、それに気づく人のことなのであった。」と。
 このような記述によって、五賢帝最後の2人が国境線の向こう側で起きている変化に気づかなかったことを問題視しています。

 彼らがカエサルのような天才ではなかったからだ、と言ってしまえばそれまでですが、この2人の皇帝はともに首都ローマからほとんど出ることなく過ごしていたようです。その前のハドリアヌスが皇帝時代の大半を前線の点検・対策・点検(PDCAで言うところのC⇒A⇒Cの繰り返し)に費やしていたのとは大違いです。
 つまり、問題は現場で発生している、又は発生し得るということを感覚的に知っていてそれへの対応をしっかり行っていた前帝とは異なり、これら2人の皇帝は残念ながら現場を見ずに過ごしていたがために、現場の問題に気づけなかったのではないか、という仮説が考えられます。

 「現場を見ず現場の問題に気づかなかったこと」そして「伝統的な寛容の精神と反する力技だけに頼ってしまったこと」これらがローマ帝国を崩壊に導く序曲となったということをこの先塩野さんが書いてくれていそうな気がします。・・・第30巻へ続く。

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「現場が先生」という社長の言葉

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 独立する少し前に話を伺った先輩から、経営者に対するリスペクト(尊敬)の念を忘れてはならないよ、と教えられました。
 先日伺ったある製造業。業績芳しからず、経営改善の取組を進めなくてはならない状態で、融資先からはダメな会社、ダメな経営者だと思われています。確かに、折角持っている素晴らしい技術をちゃんとお金に変える技量が低いのだろうと思います。
 それでもこの社長は20人近い従業員を雇用し続け、その方々の家族の生活まで背負っていらっしゃると思うと頭が下がる思いがします。そんなわけで冒頭の先輩の教訓を念頭に置きながら社長の話にじっくりと耳を傾けました。製造業の写真 「現場が一番大事」「答は現場にある」なんて言い方をよく経営学の教科書でも耳にします。件の社長の口からもさらっと「現場が先生なんです」という言葉が出てきました。頭や理屈でわかっていてもそれを自分の言葉でさらっと言われる所が素敵だなと思いました。そしてそれを従業員の皆さんにも徹底しておられ、クレームがあると、普段は外に出ることはない製造の担当者にも実際に現場(製品が使われている現場)まで行ってもらって、何が問題か、誰が何に困っているかを自分の目で見て確認させることもあるそうです。(毎回ではありません)
 ちゃんと製造担当者は加工し、完成検査もクリアして発送したにもかかわらず、何らかの問題が発生することはあるそうです。そうした場合に、何が問題だったのか、ただ謝って交換すれば済むとは限りません。エンドユーザーの要望が設計に反映されていなかったのか、気象条件で予期せぬトラブルだったのか、色んな原因がありえます。もちろん上流工程のメーカーが最下流工程まで気にすることはないのかも知れませんが、実は発生した問題の中に当社の硬直的なものの考え方が原因としてあったかも知れないし、次の商品の開発に向けたヒントがあるかも知れません。
 この社長はそういうことを日々考えながら、現場=エンドユーザーの使い勝手まで意識をしながら社の運営、従業員教育をしておられました。後は改善にしっかり着手しV字回復を成し遂げられるだけです。頑張る中小企業、応援していきたいと思います。

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アン・マンスフィールド・サリバン『愛とまごころの指』、ヘレン・ケラー『わたしの生涯』

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 ある介護事業所のコンサルをさせていただいています。
 最近は介護保険料の切り下げなどの影響もあり、経営環境が厳しくなっており、当該の事業所は高齢者福祉の仕事だけでなく、障がい者福祉の仕事へ乗り出しておられます。

 そんな縁もあって、障がい者福祉事業の参考にと思い、三重苦を乗り越えて活躍したヘレン・ケラーとサリバン先生の本を手に取りました。

ヘレンケラー本写真

 2歳で視覚と聴覚を失い、わがままに育ったヘレンの心の闇をサリバン先生が徐々に取り除いていく物語です。
 出会いの当時、サリバン先生は若干20歳、ヘレンは7歳になる直前だったといいます。
 サリバン先生っていうとおばさんのイメージがありましたが、この若さにびっくりしました。

 さらに驚いたのは、サリバン先生自身が一時期視力を失っており、家族の死などもあって精神病院で極度の引きこもり状態になっていたということです。幸い病院の看護婦さんがサリバン少女のことをとても気にかけてくれ、ようやく心を開き立ち直っていき、目の手術をして視力を回復させ、ついには20歳で教師になったという凄まじい前半生を送った人だということです。
 ヘレンはサリバン先生に指に文字を書いてもらうことを通じて、全てのものには名前があることを理解し、やがて言葉を発するようになり、さらにはタイプライターで文章も綴ることができるようになり、人前での講演などもできるようになります。とてつもない苦労の末ハーバード大学の女子学部を24歳で卒業します。
 この間サリバン先生はほとんどつきっきりで本を指話で翻訳し、授業で行われる講義も指話で伝えていたそうで、サリバン先生にも学位を与えるべきではないかという話も合ったくらいだそうです。
 と言ってもサリバン先生が初めから成人君主だったということではなく、本人が手紙の中で語っていますが、最初は生活の糧を得るため、母校の指示で勤務先(ヘレンの家)に赴任したというような、ごく日常的な関わり方から始まったようです。

 全ての人かどうかは私にはわかりませんが、「今より良くなりたい」「色んなことを知りたい」「愛をもって人と接したい」という気持ちをヘレンも心の深いところに持っていたようです。その気持ちをサリバン先生は言葉を教えることと躾を通じて呼び覚ましたようです。
サリバン先生の手紙より(サリバン先生の手紙より)

 可能性があればやってみようというのがサリバン先生の基本スタンスだったうようです。生きている限り前へ進め、という意思の大きな力をこれらの本から教わりました。

 私の仕事である企業との関わりにおいても、良い所を見つけ、前へ進める勇気を奮い立たせられるようなお手伝いができるよう心がけたいと思います。

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目標設定取組支援第2ステージへ

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 昨春から約1年に亘って、ある企業の目標管理制度導入のご支援をしてきました。今年の初めに予定の工程を終え、一旦けじめをつけたのですが、経営者の方から社員の様子に変化が見られるのでもう少し継続したいとのお声がけをいただき、第2ステージのご支援を行うことになりました。

 以前コーセル株式会社相談役の町野利道さんのご講演を聞いた際、同社では目標管理制度を導入して定着するまでに10年かかったと仰っており、さもありなんと感じていました。
 自分ではない部下の社員の人たちが、その行動を自発的・内発的に変えていけるようになるなんて、そんなに簡単なものではないと思います。
 まずは仕組や形を整え、いつまでにこれをして下さいという指示をして、しかもやったことによってプラスのリターンが返ってくることの繰り返しがあって初めてその人の習慣になっていくのではないかと思います。もちろんそれは部下をおだて上げることを意味しているのではなく、叱咤激励など言われた時は当人にとってイヤなことも含めてのリターンですが。

 この企業の場合、去年は導入編でした。初めは幹部の方々と一緒にやり方を考え、部下面談などの場に同席し、どんな風に話をしたら良い動機づけができるかなど試行錯誤しながら取り組んできました。
 人によっては達成度合いが後から測れないようなあいまいな目標を設定しているケースもあり、何度も話し合いをして書き直しをしてもらったりもしました。
 毎月色々な話をしていく中で、会社として解決すべき色々な課題が浮き彫りになっていきました。それらの課題を現場レベルではどう対応していくべきかといった話し合いも行われ、見える化の提案などもさせていただきました。

 昨日数ヶ月ぶりに幹部の方々と打合せを行い、合わせて部下面談の場にも同席させていただきました。
 以前はお互いそれほど言葉数が多くなかったのに・・・今回は上司も部下も活発に意見交換をしておられました。「こうしたらもっと良くなるのではないか」といった前向きな発言も飛び交っていました。
 この企業は変わってきている、そう感じました。もちろん変化は人によってまちまちです。全く変わったように見えない人もおられると思います。しかしこの企業では、旗振り役のNo.2が「変化していこう」ということを日頃一人ひとりの従業員に語りかけています。その効果がしっかり現れてきているものと思います。
 及ばずながら、第2ステージのお手伝いをさせていただける喜びを感じています。ありがとうございます。

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交流分析士インストラクターデビュー戦

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 本日、おかげさまで交流分析入門講座を開催することができました。
 インストラクターの資格取得を目指して丸三年。
 最初は色んなことがブツ切りに見えてなんだかよくわかりませんでしたが、諸先輩のお導きのおかげで、学習を進めるにつれ少しずつバラバラの知識が結びついて、実生活や実社会にも活用できるようになってきたような気がします。
 今日は、魚津商工会議所さんでの初インストラクターを務めさせていただきました。
 なにぶん駆け出しですので、これからさらに学習を進めて行かねばと思っています。
 そんな私にとって、人様に交流分析のことをお伝えすることができるのは、何よりも自分自身の勉強になります。
 今日一緒に登壇してもらった先輩インストラクターの話の内容、事前に準備する時の自身の学習、参加された方々からの質問、一つひとつが自分にとって新鮮な気づきになります。
 将来的には若い方々に早い時期に学んでいただき、自分の人生のかじ取りを自信をもって行っていただけるよう貢献したいと思いますし、企業などの組織においても幹部と従業員の方々に学んでいただき、思いやりと正のエネルギーに満ちたチーム作りができるようお手伝いしていきたいと思っています。入門講座テキスト20160522

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小山昇さんの『1日36万円のかばん持ち』

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 株式会社武蔵野の社長ということで本を何冊も上梓されている小山昇さんの最新刊です。
 忙しい社長業の傍ら、よくこんなに沢山本を出せるもんだと感心します。
 それでも毎週日曜日はきっちり休暇を取っておられるようだし、睡眠時間もきっちり7時間以上とっておられるとのこと。よほど高効率で仕事をなさっている。それこそ秒単位のスケジュールだし、電車に乗る時も降りた後の移動行程と移動時間を考えながら乗るという徹底ぶりです。

 さてこの本は、小山さんの思考・行動をそばでかばん持ちをしながらつぶさに体感し、その経験を自分自身の経営に活かすために、1日36万円×3日=108万円の授業料を払ってかばん持ちを名乗り出た色々な会社の経営者の感想などを基に、小山さん自身が編集した実践的経営指南書です。
 副題には「三流が一流に変わる40の心得」とあり、このプロセスから出てきた小山流経営哲学が40項目にわたって実例とともに書いてあります。

 私自身は人材育成に関心があるため、<心得16 離職率を下げたければ、「1日1時間以上」社員をほめなさい>や<心得22 ストレスに負けない社員をつくるたった「2つ」のこと>などを特に興味深く読ませていただきました。
 その他にも、キャッシュフロー経営の重要性について書かれた部分や金融機関との効果的な付き合い方、幹部社員のうまい使い方、など、熟練の経営者ならではの智慧がふんだんに盛り込まれていました。

href=”http://teamwakuwaku.com/blogdb/wp-content/uploads/2016/05/小山昇.jpg”>小山昇

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樋口陽一さんと小林節さんの『「憲法改正」の真実』

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昨日は憲法記念日ということもあって、新刊の本書を紐解きました。
憲法っていうのは色々な法律の親玉のようなものだと漠然と思っていました。
しかし、確かにその側面はあるものの(あらゆる法律は憲法に反してはならないので)、それ以上に大事なことは、憲法と法律は相当異なった役割を持っているということでした。(憲法は国民の権利を守るために権力が暴走しないように権力を縛る、法律は憲法の範囲内で国民を縛る)
そういう憲法の基本的な役割を本書を読んで初めて理解できたような気がします。
中でも、個人が生まれながらにして基本的な人権を持っているという、私たちの憲法に書かれている人類の普遍的な価値観は、これからも大事にしていきたいものです。
この価値観は、交流分析の哲学で言うところの、①人は誰でもOKである。②人は誰もが考える能力を持っている。③人は誰でも自分の運命を自分で決め、そしてその決定はいつでも変えることができる。という個人の尊厳を大事にする考え方と極めて共通しているようにも感じます。

憲法改正の真実

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小宮一慶さんに刺激を受けて、松下幸之助さんの本

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 昨年、経営コンサルタントの小宮一慶さんが松下幸之助氏に関する本を出されました。
 小宮さんによると毎晩幸之助氏の本をひもとき、自分の立ち位置や行為の指針として振返っておられるそうです。
 仕事をしていく上での勇気も沢山いただいた、といったようなことをあるラジオ番組で語っておられました。
 松下幸之助氏は経営者として偉大な人物ですから、経営者の方々にとっては色々参考になることが多いのだろうと思いますが、小宮さんのような経営コンサルタントにとっても(彼も会社経営に携わっておられますが)良い書物なのだろうなあ、と思い、同業の私もこれからの生き方・仕事への心構えの参考にしようと改めて幸之助さんの本『道をひらく』を求めました。
 開いてびっくり。
 最初にパラパラっと開いたページに、いきなり「病を味わう」というタイトルの文章が目に入りました。
 これって今から悪い細胞たちと闘っていくための(あるいは付き合っていくための)心構えを、幸之助さんが私に諭し聞かせてくれようとしているのではなかろうかと感じました。まさにセレンディピティという感じです。

 参考に転載させてもらいます。
 「病気になってそれがなおって、なおって息災を喜ぶうちにまた病気になって、ともかくも一切病気なしの人生というものは、なかなか望みえない。軽重のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床に臥すのである。
  五回の人もあろう。十回の人もあろう。あるいは二十回、三十回の人もあるかもしれない。親の心配に包まれた幼い時の病から、不安と焦燥に悶々とする明け暮れに至るまで、人はいくたびか病の峠を越えてゆく。
  だがしかし、人間にとって所詮死は一回。あとにも先にも一回きり。とすれば、何回病気をしようとも、死につながる病というのも一回きり。あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と観じられようか。
  いつの時の病が死につながるのか、それは寿命にまかすとして、こんどの病もまた人生の一つの試練なりと観ずれば、そこにまたおのずから心もひらけ、医薬の効果も、さらにこれが生かされて、回復への道も早まるであろう。
  病を味わう心を養いたいのである。そして病を大事に大切に養いたいのである。」
 ということで、私も病気のことはお医者さんたちにお任せすることにして、自分自身は次の仕事への行動計画や遊びのことなどに想をめぐらせようと思っています。いきなりいい文章に出会えました。これからも座右の書としていこうと思います。幸之助さん、小宮さん、ありがとうございます。

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黒田邦雄さんの『裸のマハ』(映画脚本より)

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 以前どこかで<面白い映画だ>と聞いたような記憶がかすかに残っていました。たまたま手に入ったので読んでみました。
 映画の脚本を基にして黒田邦雄さんという人が著した本です。

 一人の女性を描いた肖像画。
 「裸のマハ」というのは後世につけられた名前だとか。
 絵は裸体のものと衣服を着用したもので同じポーズのものが2種類あり、絵が描かれた18世紀末は女性の裸体の絵などは極めて不道徳であり、唯一ベラスケスが描いた「鏡のヴィーナス」という後ろから裸像を描いたものぐらいで、正面から描いたものなどなかったそうです。
 そのため絵の依頼主であるスペインの宰相マヌエル・デ・ゴドイは衣服を着た絵との2枚を制作させ、額縁の中に二重に入れておき、着衣のものを表側に、裸体のものをその後ろに配置し、自分が見たい時だけ着衣の絵をスライドさせて抜き取って見られるようにしていたとのことです。

 絵を描いたのは、かのゴヤ。
 ゴヤとゴドイは大変仲が良かったそうです。
 しかし「マハ」という人物が誰なのか、実際のところよくわからない。
 ゴドイという依頼主は当時の王妃マリア・ルイーサの寵愛を受けて25歳の若さで宰相になった元近衛兵。彼は王妃だけではなく貴族の公爵夫人とも深い間柄にあり、しかも奥さんがいて、さらには愛人までがいたという人物。王妃と公爵夫人の間を3日がかりで馬を駆けて往復していたというから相当タフな人ですが、一体いつ政治をしていたのか・・・。
 ゴドイが描かせた「マハ」はどの女性だったのか、そして権力と愛をめぐっての争いの最中で毒によって命を落とす女性、殺人か事故か自殺か。宮廷を舞台に幾人もの思惑やら愛憎やら事件やらが複雑に入り乱れ、謎が謎を呼ぶという展開です。

 史実を基にしたフィクションだと本の奥付には書いてありますが、史実も相当ややこしかったようです。
 この物語の後、スペイン国王の息子がクーデターを起こし、国王、王妃、宰相ゴドイらは1808年に追放されたとのことです。
 ゴドイは追放後紆余曲折を経ながらも1851年まで43年間84歳の年まで生きていたということなので、当時としてはなかなかの長寿だったのではないでしょうか。
 あっという間に斜め読みしましたが、面白い小説でした。宮廷のドタバタ劇、スクリーンで観ると楽しみが倍増するような気がします。

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