天の戮民

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これまたひょんな出会いとなりました。昨日偶然書店で求めた呉智英さんと適菜収さんの対談本をめくっていたら、荘子の話が出て来ました。

曰く、外編と雑編派読まなくても良い。私も総感じていたので、我が意を得たり!とおもいつつ、さらに進むと大宗師編に、孔子のキャラをあてがわれた登場人物に「私は天の戮民である」と言わせているとのこと。そんな言葉知らなかったし、荘子は高校の頃から読んでいるものの全部を読み通したわけではなく、大宗師編も途中で止まっていたため、はっとして、そういう箇所があったのかと慌ててページをめくりました。

天の戮民とは、天から刑罰を受けた身であり、無為自然に生きたいけれどもそうはできず、世俗の内につながれている(不自由な身の上だ)と語らせているのです。世俗の内にしばられて生きるというのは、知識や礼節を大切にするという面倒があり、安らかには生きられないと吐露させています。

もうあと数ページのところで、このくだりに行き着いていたかと思うと自分の読書の要領の悪さを恥じるのですが、そこの手前で呉智英さんによる解説にたまたま出会えてから次に進めたというのは、なんともはや僥倖ではないかと感じ入ったひとときでした。

これ、書物のセレンディピティと言っても良いかも知れません。感謝。

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『ソクラテスの弁明・クリトン』

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本文だけなら90ページもない薄い本であり、かつ40年以上前に購入したものでしたが、なかなか読むことができませんでした。
どういう心境かは自分自身よくわかりませんが、ようやくちゃんと向き合う機会を得ることができました。
プラトン著『ソクラテスの弁明・クリトン』(岩波文庫)です。(40年以上前に買ったのは角川文庫で、日付を見ると高校二年の冬でした・・・1ページも読まない積読でした)

気になった箇所を少し抜粋します。
「私に対して全然虚偽のことをいい触らす多くの弾劾者・・・諸君の中の多くの人達をまだ少年であった頃から篭絡・・・彼らの数は多く・・・諸君のある者はまだ少年であり、諸君のある者はまだ青年であり、最も他の言を信じ易き年頃」
ここまで読んで、今のSNSの隆盛ぶりとそこに流れる様々なウソやデマに容易に取り込まれてしまっている人々のことに思いが至ってしまいました(先の宮城県知事選挙で比較的若い世代の人びとがどうも虚偽情報を信じた投票行動をしたのではないかという報道がありましたので)。
さらに「私を弁護してくれる者のない欠席裁判において私を弾劾した・・・彼らの名前をすら知り得ずまた挙げ得ぬ・・・猜疑と讒謗慾とのために諸君を説得せんと試みた人々・・・これらの人々に対してはまったく策の施しようがない。・・・人は彼ら一人をもここに召喚してこれを反駁することが出来ず、弁明に際しても、たとえば影と戦うが如く、何人も応答する者なくして弁駁するより外に全く途が無い」(p14~15)
これもSNSでの本名のわからないアカウント名による匿名での誹謗中傷の類と変わらない状況であると、私の意識には捉えられました。
後ろの解説を読むと、当時のアテナイの人々は、ペルシャとの戦争に勝利した後の隆盛後、ペロポンネソス戦争で敗北し、スパルタ配下、三十人専制性の恐怖政治を経由し、再び民主制にはなったものの往時の勢いはなく、自信と誇りを失った人々は誰かに責任を押し付けることで憂さ晴らしをしたい、「何事にもひたすら復古を念とし新を厭う反動時代となった」頃に、「聴者の意を迎え、手段を選ばざる成功術」を色々と言説を弄する「ソフィスト」と呼ばれる人々が跋扈していたようです。ソフィストは「何ら普遍的に通用する標準を認めざる極端なる主観主義」を持っており、伝統的な価値観を破壊する人だとみなされていたようで、現にそれらの人のいくばくかは裁判で国外追放とされていたようです。
真実を知っている人をひたすら探し、色々な人と議論をし、やはり本当のことを知っている人がいない、自分は「知らないということを知っている」「大切なことは単に生きることではなく、善く生きることである」という主張をしたがために「別の神を信奉する者だ」として、ソフィストと同類、それもその中の大物だとみなされてしまい、結局不信人者として有罪の判決を受け、しかもそれでも自分の良心の主張をしたがために裁判官の多くの心証を悪くし、処刑という結果となったようです。
そういう時代背景も考えると、今の日本の状況と重なって見えてしまうのがなんとも複雑な気持ちになってしまいましたが、いつの世にもあるようなことなのかも知れませんが、この2500年、「人をそしる」「人を貶める」ことで溜飲を下げることが相変わらず行われているという点で、私たちはほとんど進歩していないのかも知れません。リベラルアーツは西洋人の基礎教養だとか、哲学が諸学の基礎と言いますが。

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