清水ミチコさんのパロディソングに思う

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タレントの清水ミチコさんの『米唄』『米がない』など最近の社会情勢を風刺したyoutube動画が静かに流行しているそうです。以前はこういったパロディに触れ、気に入らない偉い人や不条理な現実を笑い飛ばすことで私たち庶民は明日もなんとか頑張ろうという気持ちになっていたものですが、最近はすっかり鳴りを潜めてしまったような気がします。このネット時代では、様々な場面で「炎上」するリスクがあるために権威を笑う芸が避けられているのかも知れません。
そもそもパロディや風刺はかなり古い時代から存在しており、ある意味エンターテインメントの本質と言っても過言ではないのではないかという気がします(もちろんエンタメ全体としてはもっと色々な要素があると思いますが)。
西洋の偉い王様は常に道化師をそばに置いて自分の振る舞いを正すようにしていたと聞いたことがありますし、また中国でも唐の李世民は「諫議大夫」という官職を設け、あえて諫言を言う者をそばに置いていたと言います。ことほどさように上に立つ人は耳障りの悪い話を直接聞く仕組みを作っておくことも治世のバランスを保つ重要な工夫だと思います。
裸の王様にならないように・・・とここまで書いて、はて自分はどうか、ということに思い至りました。私はもちろん王などというご大層なものではありませんが、メンバーとスタッフ計22人と一緒に一定の目標を目指して取り組むチームのチーフという役割を担っています。先日も会議の後で、あるメンバーから「ものが言いにくい雰囲気がある」と苦言を呈されましたし、「言っていることとやっていることが違う」とも言われました。既にして耳障りの良いことを求めているではないか、こりゃまずい、ということに、清水ミチコさんの歌からの連想で気が付きました。
さて明日からちゃんと振舞えますでしょうか。とりあえず清水ミチコさんの他の歌も聞いてみることにします。

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