塩野七生さんの『ローマ人の物語』

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』文庫版全巻をようやく読み終えました。平成14年の刊行から丸18年をかけての通読となりました。元々ハードカバー版の第1巻が刊行されたのが1992年(平成4年)で最終の第15巻が2006年ですから、著作仕事自体も14年がかりでの大仕事です。

元々塩野さんの著作は学生時代に求めた『神の代理人』や『ルネサンスの女たち』『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』あたりから親しんでいたので、『ローマ人の物語』が出た時も書店で何度かページをめくりつつ、あまりに分厚いので購入には至らず、文庫版が出た時には躍り上がって喜んで買い求めたものです。

全編にわたり、過去の様々な記録や遺物をなぞって歴史の経緯・叙述を記しつつ、都度ご自身の推論も提示しながら読者に示す書き方となっており、何が記録で何が自身の考えかを区別しながら読み進めることができました。これは塩野さんの書き方の特徴であろうと思います。

ローマ皇帝というのは絶対君主のような印象を学生の頃は持っていましたが、この本を読んで初めてわかったのは、まったくそうではなく(歴代の皇帝にもよるようですが)、基本的には元老院という貴族(これも固定的ではなく新規参入貴族もあったようです)たちが承認するという手続きがあったこと、世襲とは限らず現皇帝の甥や信頼のおける部下に引き継いだこともあり、クーデターでの交代もあった(にもかかわらず皇帝という制度はそのまま)、というバラエティに富むあり方だったことです。ずっと後の時代にはローマ教皇が戴冠するという風に変わっていったようですが。

この本の私にとっての圧巻は、ハンニバル、カエサル、そして西ローマ帝国の滅亡のあたりです。

ハンニバルについては、文庫第4巻「ハンニバル戦記(中)」にある次の文章に、リーダーとはかくありたいと思わせる一文があります。「全軍を休ませるに足る宿営地の設営など、考えるだけでも無駄だった。山岳民が使う避難所や要塞に出あえば、神々の恵みとさえ思えた。多くの夜は陣幕を張る場所さえ見つけられず、それらを身体に巻きつけて風と寒さを防いだ。たき火は燃やしたが、暖をとるまでは不可能だった。総司令官のハンニバルも、一傭兵と同じく凍りついた食をのどに流しこみ、一傭兵と同じに崖下で仮眠をとった。だが、彼にだけは、一兵卒ならば考えなくてもよい種々のことを考え、情況に応じた判断を即座にくだす必要があった。」

欧米諸国では「ハンニバルが来るぞ」というのは子どもを怖がらせるための親の脅し文句で、日本での「鬼さんが来るぞ」というのに近いようなニュアンスがあるそうです。食人鬼のような恐ろしさをこめられているように思いますが、実際のハンニバルは将兵とともに起居し、将兵と同じ苦労をし、将兵に混じって仕事をしていた(但し戦略は自身で練っていた)、というある種理想的なリーダーだったのではないかと思います。戦後のある時のローマの将軍スキピオとハンニバルの邂逅シーンも優れた叙述だと思います。

カエサルについては、絶対君主を目指した横柄な人物でエジプトで女王と結婚し挙句は側近に裏切られて衆人環視の中で殺害された、という印象がこの本を読む前の私のイメージでした。しかしこちらもとんでもない誤解だった・・・事実の一部はあっていたのでしょうけど・・・ということがわかりました。なにせハードカバー版で2冊にも及び、文庫版では6冊にもなる、全巻通じて最もページ数を多く割かれた、超痛快な人物です。(捕虜として捕らえられた時の態度が刮目に値します。ある意味「犬のディオゲネス」が奴隷として売られた時のような潔さに通じるような) のみならず、塩野さんはよほどカエサルが好きなのか、皇帝の失政が見られるたびに(と言っては大げさですが)「カエサルだったら」とか「カエサルがもしいたら」みたいなことを後々までずっと書いておられます。

最後の43巻は蹂躙される自分たちの街に住む人々の惨状に思いを致し涙なしでは読めませんでした。しかし、塩野さんのこの本を通じて学んだことは、ものごとは一方からだけ眺めるのではなく、相手の側の目線も必要であるということで、攻める側からはまったく異なる(悲劇ではない)風景が見えていたのだろうなあとも思います。現場で当事者としてその被害にあっていない立場だからこそ取りうるスタンスなのでしょうけど。ただ、現代ではとても直視できない光景です。フレデリック・ラルー氏の『ティール組織』にある「レッドのパラダイム」だということを前提に置かないととてもではないですが。(私たちは既にそのパラダイムは超克しているはずです)


476年に西ローマ帝国の皇帝が廃されて以降のイタリアは、故地回復という名の下に思いつきのように戦いを仕掛ける東ローマ帝国皇帝といわゆる蛮族の平和的支配と劫掠の中でボロボロに疲弊していく旧西ローマ帝国の人々。特にミラノの惨状は目を覆うばかり。食糧生産はできず水道網は市民を救済するという目的での戦闘のために破壊されるなど、戦争は文明と一般の人々の暮らしと心を崩壊させることは間違いないことはよくわかりました。
フレデリック・ラルー氏の『ティール組織』にある「レッド・パラダイム」がそれよりも上位概念であるはずの「アンバー・パラダイム」を打ち負かしたということなのか、はたまた。粗野が往々にして文明に勝ることもあるということの証拠なのでしょうか。
アッティラが東ヨーロッパに攻め入ってきて押し出される形でフランクやらゴートやらが東西ローマ帝国を襲うのですが、そもそもその背景にあったかもという気候変動については塩野さんは触れられておらず。「人の歴史」として描かれたので自然現象は思索の対象外ということだったのかも知れません。最後に泣きを見るのはいつも一般市民です。
長い月日の中で蛮族と言われた人々は少しずつローマ帝国に(軍隊を中心に)取り込まれ融合していき、その中でかの文明のもろさや弱さを学習し、攻めどころを理解し、中に入ったり外から攻めたりしながら、最後は砂の城が崩れるようにポロポロと崩壊していった感じがします。
とは言えキリスト教会は存続し蛮族と言われた人々もヨーロッパのあちこちに住まいし、また帝国を逃れて海辺に行きやがてヴェネツィアとして千年の栄光を誇る人たちもいたり、やがて元々同一国だったはずのヨーロッパの人々が東ローマ帝国を蹂躙しコンスタンチノープルを崩壊させたりと、歴史はまだまだ続きます。

塩野七生さんの著作の一部

ともかく、長い間一つのテーマで楽しい読書をさせていただきました。塩野七生さん、ありがとうございました。

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