2020年初頭から新型コロナウイルス感染症「COVID-19」が猛威を振るっています。ワクチンの開発や治療薬の治験などが医学関係者の皆さんの間で懸命に取り組まれているものと思いますが、現時点ではまだこれといった具体的なものが見えていません。そのため、いつ収束又は終息するのかが見えず、私たちの生活は大幅に制約を余儀なくされています。
3年半ほど前に経済学者の水野和夫さんがお書きになった著書に『株式会社の終焉』という本があります。その中で著者はグローバル資本主義の限界を捉え「地球はいずれ閉じる」「21世紀の原理は『よりゆっくり』『より近く』『より寛容に』である」と主張しておられます。「20世紀の『技術の時代』は17世紀の『科学の時代』からの累積の上に築かれた」「今なすべきことは、21世紀はどんな時代化をまずは立ち止まって考えることです。走りながら考えると、過去4世紀間の慣性、すなわち『より速く、より遠く、より合理的に』が働いて、ITを切り札にした第4次産業革命にすがることになります。」と。
オンライン授業やオンライン会議、オンライン相談など、ネットを通じて会うというやり方が増えてきました。また、学校を9月入学に変更してはどうかという議論も再び始まりました。今まで4月生まれの人とと10月生まれの人が同じ学年だったものが、そういう風に大きく制度を変えると学年が別になってしまうかも知れず、また会社の入社時期はどうするのか、先生方の人事異動は、予算との関係は、私立学校の経営は、その他その他検討しなければならない課題が山ほどあります。しかし世界では米国をはじめ多くの国がそのようにやっているとなれば、ある意味業界標準みたいなものであり、合わせる不都合と合わせない不都合の比較みたいなことも考えてみる価値はあるのかも知れません。
先日一部の政治家の方々がColaboという団体を訪問した時のことが話題になっていました。後でその団体の方が抗議文を公開しておられ、一読しましたが、とても理路整然としてわかりやすく、どの行為やその背景となる思いのどこに問題があるのかが丁寧に記載してありました。私たちは勘違いしているのかも知れません。どちらが偉いのか。そういう問題ではなく役割なんだということを。例えば、極端な言い方をすれば、政治家は農家や工業生産者などと違って財を生み出しません。もちろん資本家の方もおられますが。財を生み出さないということはある意味「生産性がない」と言い換えても良いかも知れません。私たちが汗水たらして働いて稼いだお金の一部を税金として税務署に渡し、政治家はそのお金で生活をしておられるのですが、その自覚がどこまであるのか。私たちも彼らに投票して選んで税金を払って私たちの代弁者として雇っているという自覚がどの程度あるのか。選ばれし偉い人たちなのだと勘違いしているのではないでしょうか。
そのことが見えてきたのは、今回のコロナウイルス感染症で、傷ついた多くの人たちが求めている生活費や事業の固定費などのカバ-を国に求めているのに、あたかも「誰に与えてあげようか」という姿勢が一部に見られ、私たちがそのおかしさに気づき、誰かが「そもそも税金を納めたんだからこんな時ぐらい少し返して下さい」という言い方をして、それに対する共感が広がったということがあるのではないかと感じています。
国がおかしな動きをしたらちゃんとそれをおかしいと言えること。これは民主主義の大事な要素だと映画「フェアゲーム」は示唆しているように思います。ナオミ・ワッツさんとショーン・ペンさんが主役を演じており、ショーン・ペンさんが映画の終盤で講演している中で次のようなことを言っています。「ベンジャミン・フランクリンが独立宣言の草稿を書き、表へ出ると女性が近づき尋ねた。『フランクリンさん、どんな政体になりますか?』フランクリンは答えた『共和制です。守り通せるなら』・・・一人一人が国民としての義務を忘れない限り、道路の穴の報告も、一般教書の嘘を追求することも、声に出せ、質問するんだ。真実を要求しろ。民主主義は安易に与えらればしない。だが我々は民主主義に生きる。義務を果たせば、子どもたちもこの国で暮らせる。』実話に基づいた映画ですが、これがつい十数年前の出来事だと知り、驚くとともに、さすが民主主義の本家だなと感じました。
水野和夫さんと山口二郎さんの共著に『資本主義と民主主義の終焉』という本があります。この中で山口二郎さんが米国のハーバード大学教授のスティーブン・レベツキー氏とダニエル・ジブラット氏の共著『民主主義の死に方』の一節を紹介しており、「独裁の兆候として『審判を抱き込む』『対戦相手を欠場させる』『ルールを変える』の3つがあると指摘している」と書いておられます。今回のコロナウイルス感染症が収まったあと、人と人との接し方や社会の仕組み・当たり前が変わっているかも知れません。しかし、水野和夫さんはこの著書で最後に仰っています。「資本主義は終焉しても、民主主義は終わらせてはいけない」
私たちが「声に出さず」「質問しない」間に、大事なものを失ってしまわないよう、この大変な時にもしっかり意識をしていくことが大事なのではないだろうかと思います。外国の話ではありますが、フランクリンが「守り通せるなら」と言ったということを肝の銘じておきたいと思います。そしてこの世界中に猛威を振るっているウイルス禍の後、分断やヘイトで他人と自分を分かつのではなく、他の人に対してもう少し親切に穏やかに接することが多くなるような、あるいは、少しでも企業が利幅を大きくするために低コストで生産できるところから仕入れるというグローバルサプライチェーンが見直されて地産地消のような動きが高まるような、水野和夫さんが仰っている『よりゆっくり、より近くに、より寛容に』という価値観や体制の変化が少し増えていくのかも知れません。