ある団体で「研修係」を務めていた時、その団体の副会長だった方がいらっしゃいました。2年ほどのおつきあいでしたが、その方が先日不慮の事故で亡くなりました。満61歳とまだお若く、突然のことでした。
「研修係」当時、その業務の必要性や進め方について迷っていた時に、その方はみんなの意見を聞こうと言って全員が集まった場に自ら登壇し、意見を引き出していつ何をやるかということをてきぱきとまとめて下さいました。見た目には、どちらかと言うととっつきにくい感じで、柔軟性に欠けるような印象があっただけに、その時の対応にとても頼りがいを感じました。
その方のお通夜に出席した時に、導師のお坊さんが語られた説教の中に、タイトルの親鸞の言葉がありました。
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が仏門に入るべく天台座主の慈円を尋ねた際、夜になっていたため、慈円から「今夜は遅いから明日夜が明けてから得度の儀式をしましょう」と言われたのに対し、幼い親鸞が「今夜中にお願いします」と言って詠んだ歌だと紹介されました。お坊さんは「親鸞が7歳の折に」と言っておられましたが、色々調べてみると「9歳」とあります。それなりのお年になっている真宗のお坊さんがよもや間違えることはあるまいと思いますが、どちらであっても小学校前半くらいの年齢の子どもが「明日には命がないかも知れません。一刻も早く仏の道に近づきとうございます」と言って「桜の花びらが夜半の風で散ってしまう」ことになぞらえて和歌をうたってしまうことには驚かざるを得ません。あるいは子どものが駄々をこねたのかな?とうがった見方をしてしまうのは私が悟りにはほど遠い俗物のためでしょう。
あれほどの良いお人でも、一夜にして亡くなってしまうくらいにこの世ははかない。だからこそ生きている今を大切に、改めるべきは即座に改める、ということが大事なのだというおしえだと感じました。
振り返ってわが身を考えると、個人事業者として独立して4年近くになりますが、サラリーマン時代と異なり、必ずしも毎日が定時出勤というわけではなくなり、朝少しゆっくりめに起きる(床の中でだらだらと二度寝などして過ごす)日があります。「明日ありと思う心」が気持ちのゆるみを招き、自分で自分をしっかり律することができなくなってしまったようです。その結果腹回りまでだらりとしてきました。かと言って他人様に依存して強制してもらうというのは問題外です。やはり自分で自分を律しなければなりません。来年、いや、明日からはこの親鸞さんの言葉を唱えながらしゃきっと床から出よう、と故人のご縁に感謝しつつこの年の瀬に決意をしたところです。