エイプリルフールについて考える

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 昨日はエイプリルフールでした。
 嘘をついても良い日、という風に一般的には認知されている日です。

 中学生の頃に読んだ江戸川乱歩さんの本に「プラクティカルジョーク」を趣味にしている人物の話が出ていました。
 「ペテン師と空気男」という題名の短い小説でした。
 電車の中で口から黒い糸を出している人物がいて、たまたま乗り合わせた主人公が「何をしているのか」と尋ねると、その人物は「胃の消化に関する実験をやっている」というような返事をし、さらに突っ込んで尋ねると、「金柑だけを食べており、胃袋には、糸で垂らした小さな容器が入っている、その容器を後で取り出して、胃の中の消化物がどうなったかを調べるのだ」という主旨のことを説明するのです。
 よくよく聞くとそれは手の込んだ冗談で、黒い糸の先には何もない。単に口に入れてあるだけで、自分の姿に関心を持つ人をからかうためのセットだという話。
 物語はその後もしばらく続いて、件の人物は最後は新興宗教の教祖となって多くの人をだますのですが、ジョークも規模が大きくなると新興宗教にもなれるという話です。だまされる方も壮大なジョークの主に自分の判断を任せてしまうことで精神的な疲労から解放される(心の苦労から楽になる)という道を選択するので、悪い気はしていません。ある意味エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』に似た心境なのかも知れません。ちなみに電車の中の主人公はその教祖の魅力の虜になってしまい、そのまま秘書か何かになるというオチだったと思いますが、子どもながらに新興宗教とは所詮そんなものかも知れないなと妙に納得したことを覚えています。

 最近は人をだます、はめる、ということはあまり良い行いではないという空気があるように思います。
 確かに悪意のある嘘はいけないと思いますが、さもありなんと思わせる軽い冗談(誰も傷つけないような)はたまにはあってもいいのではないか、せめて4月1日ぐらいは・・・と思っています。
 とはいえ、なかなかそういう軽いノリで人に嘘をついて、後からそれが嘘だとわかっても笑って許してもらえるシチュエーションはなかなかないものですね。
 私はちなみにフェイスブックで、年齢詐称の誕生日の話題、フルマラソンのコースがない大会でのフルマラソン出場宣言、今話題の映画の主人公二人が朝市にサイン会に来てる、巨大ネット産業と運送業の買収話、などなどいくつかの嘘を書き連ねて、最後に「嘘でーす」という遊びでお茶を濁しました。
 中には私の年齢詐称を信じて下さった方もあり(本当だと思った、という嘘かも知れませんが)、ひと時楽しく過ごしたエイプリルフールの日でした。お付き合い下さった皆さんに感謝です。

 では明日からの新年度、明るく楽しく元気に乗り切っていきましょう。

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