情報社会論の奥にあるのは寛容論かも知れない

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ご縁があって富山国際大学というところで「情報社会論」という授業を受け持たせていただいています。
情報社会という切り口で世の中の色々な事柄について論じあっています。
全15回、IT、通信、メディア、法律、科学技術など色んなテーマで学んでいますが、よくよく考えると、私が一番伝えようとしていることは「寛容論」のようなものなのではなかろうかと最近思い始めています。
世の中には色々な立場の色々な境遇の人が共存してこの社会を成り立たせています。
しかし私たちはややもするとスマホの画面をちょっとなぞるだけで、誰かの悪口を世界中に発信したり、猛獣が動物園から逃げ出したなどの根拠のない話を撒き散らしたり、正面切っては言えないことをつぶやいたりすることができます。
それは発言力の弱い私たちが発言できるツールであり、誰でも著者になれるチャンスを開くものであるなど良い点もあるのですが、言葉の暴力を容易に表出しそれが拡散されてしまう危険性もあります。そうしたやり方になじんでいくと、自分と違う価値観の人との間に線を引いたり壁を作ったりすることへの心理的な抵抗感がだんだん小さくなってしまうのではないかと感じています。
ITの功罪ということを考えると、ITには(ITだけではありませんが)そういう負の側面(又は負の可能性)があることを意識して、過激な方向に行かないよう自制していくことが大事なのではないだろうか、それがITリテラシーというものではなかろうかと思います。
自分と違う価値観、多様な意見があることをまずは認めあい、その上で議論をし、共通点や妥協点を探ることが大事ではなかろうかという思いをベースに毎回の授業をしています。そのため、短時間ではありますが、グループディスカッションを毎回行い、何かの事象についての色々な受け止め方がありうることを一緒に学んでいます。
あと来週の授業で今期も終わりですが、学生さんたちが何か一つでもつかみ取ってくれたらいいなあと思っています。

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